翌日――ボース南アンセル新道
「メイベル市長って……すごい人ですね」
「ほんとよね。50万ミラのワインをあっさり水に流しちゃうんだから」
リィンの呟きにエステルが頷く。
「もしもこれが帝国貴族だったらと思うと……」
「やっぱり貴族って怖いの?」
「その人によりますね。メイベル市長のように大らかな人もいれば、50万ミラなんて端金と思っている貴族だっていますよ」
「はー……50万ミラが端金って……」
「訴えられて賠償で済むならいい方ですよ。オリビエさんみたいな人だと侮辱されたって言う理由でこれかも」
首を切る仕草にエステルは苦笑いを浮かべる。
結局、ワインをタダ飲みしたオリビエはその持ち主だったメイベル市長の一声であっさりと釈放された。
当然、そのおまけだったリィンも無事に釈放され帝国へ強制送還されることもなかった。
そして、その恩を返すために市長からの仕事を請け負っていたエステルたちの手伝いをすると言い出したオリビエに便乗する形でリィンも彼女達に協力することを決めた。
「そういうリィン君って、もしかして貴族だったりする?」
「……どうしてそう思ったんですか?」
なるべく冷静にリィンは聞き返す。
「うーん……何となくかな?」
「少なくとも高貴な血は流れてない。そういう意味では平民と変わらないですよ」
曖昧な言い方をしてリィンは答えを濁し、別の話題を振る。
「ところでさっきから見えているあの塔は何ですか?」
「塔……?」
木々の上に見える琥珀色の塔。
「あ……あたしも実際に見るのは初めてだけど、あれはボース地方にある『琥珀の塔』よ」
「あら、エステル。ちゃんと覚えていたのね」
「当然。シェラ姉に散々教えられたからね」
シェラザードに褒められてエステルは嬉しそうに笑う。
「じゃあそのまま、塔についてリィン君たちに教えて上げなさい」
「う……」
笑みは一転して苦しげなものに変わり、頭を悩ませながらエステルは知識を搾り出す。
「リベールには『四輪の塔』っていう四つの塔がそれぞれの地方にあるの」
ボース地方の琥珀の塔、ロレント地方の翡翠の塔、ルーアン地方の紺碧の塔、ツァイス地方の紅蓮の塔。
それぞれは古代ゼムリア時代の末期に作られたとされ、リベールに眠る『七つの至宝』の一つ『オーリオール』に関わっているかもしれない。
「あら? それは私も初耳ね。そんな話どこで聞いたの?」
「えへへ、実はこないだ知り合った学者さんの受け売りなんだ」
姉貴分の知らない知識を披露したことが嬉しいのか、エステルは照れたように笑う。
「『セプト=テリオン』が眠っているか、中々ロマンのある話だね」
そしてリュートを鳴らし歌いながら歩いていたオリビエが振り返って会話に参加してきた。
「でも『七つの至宝』なんてただのおとぎ話でしょ?」
「いやいや帝国でも『巨いなる騎士』という伝承があるからね、案外それが帝国の『至宝』かもしれないよ」
「へえ、それってどんな――」
「あんたたち、おしゃべりはそこまでよ!」
和んでいた空気がシェラザードの一言で引き締まる。
年相応、感情豊かに笑っていたエステルの表情が引き締まって遊撃士の顔になる。
リィンもまた思考を戦闘のものに切り替え、敵の姿を探す。
街道を塞ぐ形で亀型の魔獣がそこにいた。
「手配魔獣ね。情報通りの特徴……
ちょうどいいわ。空賊と戦う前に貴方達の実力、見せてもらうわよ」
「ふっ……是非もない。ボクの華麗な銃の腕前をお見せしようじゃないか」
シェラザードの発破にオリビエは張り切った様子で導力銃を取り出す。
リィンもまた腰に佩いた太刀を抜き、下段に構える。
「八葉一刀流、初伝……リィン・シュバルツァー。行きます」
*
魔獣を斬り裂いた太刀を納めて、リィンは溜めていた呼気をゆっくりと吐き出す。
「ふう……」
「へえ、流石は先生の弟弟子ね。見事な剣技だったわ」
「いえ、自分の剣なんて全然ダメですよ」
シェラザードの賞賛の言葉をリィンは首を振って否定する。
「たしかに俺はカシウスさんと同じユン老師に師事していましたけど……
俺は剣の道に限界を感じて修行を打ち切られた『初伝』止まりな未熟者です」
「確かに踏み込みが甘いようには見えたけど、その歳で一流派の初伝に至っているなら十分じゃないのかしら?」
「それじゃあダメなんですよ……俺は……」
左胸を抑えながらリィンは否定を重ねる。
「そう……? まあ詮索はしないけど少しは自信を持ってもいいんじゃないかしら。過ぎたる謙遜は嫌味よ」
「それは……すいません」
謝るリィンにシェラザードは苦笑する。
「ま、ともかく二人とも戦いで足を引っ張ることはなさそうね。でも――」
「分かっています。空賊の制圧は貴女たちの役目。俺は人質の安全確保に徹する」
「分かっているならいいわ」
そう言って、シェラザードは魔獣が残したセピスを拾っているエステルたちに向かって言う。
「さあ、ヴァレリア湖までもう少し、行くわよ」
シェラザードの号令で一同は再び歩き始める。
が、そんな中でエステルが足を止めて空を見上げていた。
「どうかしたんですか、エステルさん?」
「あ、リィン君……えっとね。あそこからなら空賊艇を見つけられないかな?」
「確かに見晴らしはいいかもしれないけど……でもリベールの軍が飛空挺で定期的に哨戒しているんですよね?
そうなると上から見えるところに隠してあるとは思えないけど……」
「それもそっか……でも、うーん」
リィンの言葉に納得するも、塔が気になるのかエステルは唸る。
「いいわよエステル。行ってきなさい」
「シェラ姉、いいの?」
「ダメ元でも行ってみる価値はあるわ。それに琥珀の塔は真っ先に軍が調べたからこそ今は、って可能性だってあるわけだしね」
「それじゃあ……あ、でもヴァレリア湖で聞き込みもしないといけないし……」
うーんと腕を組んでまた悩み出すエステルにシェラザードが助け舟を出す。
「ええ、だからエステル、ヨシュア。それからリィン君。貴方達三人で琥珀の塔を見て来てくれるかしら」
「え、じゃあシェラ姉は?」
「あたしはオリビエを連れて一足先にヴァレリア湖へ行って聞き込みをしているわ……
せっかく人数がいるんだもの、有効活用しないとね」
「オヤオヤ、シェラ君たらボクと二人きりになりたいだなんて……
ところでシェラ君、ヴァレリア湖畔の川蝉亭ではおいしい魚料理と果実酒が評判だそうだ。是非ともボクに一杯奢らせてくれたまえ」
「ダメよ。いっぱいやるのは聞き込みが終わってからよ」
「ほう、ではそれを手早く終わらせてしまおうじゃないか」
シェラザードの言葉にオリビエはあからさまにやる気になる。
「それじゃあ三人とも、塔の調査は任せたよ。可能な限りじっくりと時間をかけて調べてくるといい」
そう言い残して、オリビエはシェラザードの手を引いてヴァレリア湖への道を進んでいく。
残されたエステルは半眼になって呟く。
「帝国人って、あんなのばっかりなのかしら?」
「それはないから」
同じ帝国人として、あれと同じと見られるのは心底遠慮したいリィンだった。
「ともかく塔を調べるなら、急ごう」
「そうね……早くしないと危ないものね」
「そうですね。オリビエさんがシェラザードさんを酔わせて何かよからぬことをするかもしれないですからね」
リィンの一言にエステルとヨシュアは顔を見合わせて苦笑した。
*
「これが琥珀の塔……」
塔の中に入ったリィンは見えない天井を見上げて呟く。
塔の造りは単純だった。
中央の支柱に周囲の回廊。
階層ごとに回廊と支柱を繋ぐ通路があるが、ところによっては崩落しているところもある。
「ロレントの翡翠の塔にそっくりなのね。色は全然違うけど雰囲気は同じ…………」
不意にエステルは黙り込む。
「どうしたのエステル?」
「え、いや……なんか話し声が聞こえたような……」
自信がなさそうに答えるエステルにヨシュアとリィンは耳を澄ませる。
「ほんとだ。誰かいるみたいだね」
「本当に空賊だったらどうしますか?」
「その時は一旦戻ってシェラさんと合流してもう一度来よう」
万全を期すなら確かにその方が確実だろう。
「翡翠の塔は魔獣の住処になっていたからリィン君気をつけてね」
「分かりました。エステルさん」
「よし……それじゃあいくわよっ!」
エステルの号令を合図にしてリィンたちは琥珀の塔の調査を開始した。
*
「あっ! あの人っ!」
塔の最上層に辿り着くとそこには熱中した様子で遺跡を調べている学者がいた。
その熱中振りは自分達の存在はもちろん、近付いている魔獣にも気付いてない様子だった。
「危ないっ!」
「え……?」
学者が振り向くのと魔獣が襲い掛かるのは同時だった。
「ひ、ひいっ!」
魔獣の爪が学者に届くよりも速く、エステルの棒が魔獣を弾き飛ばす。
「下がってっ! ヨシュア、リィン君っ! 行くよっ!」
背中に学者を庇うように棒を構えるエステル。
彼女に遅れてヨシュアとリィンは魔獣を背後から強襲して一気に片を付ける。
「はぁ……た、助かりましたよ」
腰を抜かした学者は魔獣が退治されたのを見て安堵の息を吐く。
「誰かと思えばアルバ教授じゃない。空賊団かと思って緊張しちゃったわよ」
「あ、あはは、お久しぶりです」
「二人の知り合いですか?」
リィンの質問にヨシュアが頷く。
「うん、彼がさっきエステルが言ってた塔を調べている学者さんだよ。
少し前にロレントの翡翠の塔で同じ様な場面に出くわしてね」
「おや、そちらの方は初めてですね。私は考古学者のアルバと申します。以後お見知りおきを」
「御丁寧にどうも、俺はリィン・シュバルツァーといいます」
差し出された手に握手をしてリィンは頭を下げる。
丸い眼鏡かけ、その出で立ちはまさに学者といった風貌。
穏やかな物腰と言動ではあるが、こんな魔獣の巣になっている場所に護衛もつけずに来るとは顔に似合わず行動的な人。
それがリィンが彼に感じた印象だった。
「シュバルツァー? もしかしてエレボニア帝国のシュバルツァー男爵に関わりのある方ですか?」
「っ……」
不意打ちされたアルバ教授の言葉にリィンは息を呑む。
「それは……」
いきなりのことでリィンの思考は真っ白になる。
「えっと男爵って、どれくらい偉いの?」
「エステル……」
最初に出てきたエステルの言葉にヨシュアが苦笑し、アルバ教授が彼女の疑問に答える。
「貴族としては一番下の地位ですね……
ですがシュヴァルツァー男爵家は皇家との縁が深く、男爵でありながらエレボニア帝国の北に位置するユミルを賜った特殊な貴族と言えるでしょう……
ただ……」
「ただ……?」
「噂話なのですが、出自の不明な怪しい浮浪児を養子に迎えた大層な変わり者――」
「やめてくれっ! 何も知らないくせに分かったようなこと言うなっ!」
ようやく出てきた言葉でリィンは叫んでアルバ教授を黙らせた。
「すいません。知っていることはつい語りたくなるタチでして」
申し訳なさそうに謝るアルバ教授にリィンは大人気なく怒鳴ったことに後悔した。
「いえ、こちらこそすいません。怒鳴ったりして」
気まずい空気になったのを察してヨシュアが本題に入る。
「ところでアルバ教授、話し声が聞こえてましたが他に誰かいるんですか?」
「ありゃ、聞こえちゃいましたか。いやぁ、お恥ずかしい。
あれは研究中のくせでしてね……口に出さないと考えが纏まらないのですよ」
「なーんだ、独り言か」
当てが外れたエステルは落胆する。
「なんだかがっかりさせてしまってすいません……
ところで皆さんはどうしてこちらに? また記者さんの護衛ですか?」
「いえ、僕達は空賊団を探している最中なんです」
「空賊団……それはもしかして屋上から見えたあの飛空挺のことですかね」
アルバ教授のその言葉にエステルとヨシュアは顔を見合わせた。
*
琥珀の塔の屋上から見つけた、森の中に隠すようにあった飛空挺はまさに空賊団のそれだった。
思わぬ手柄に喜び、シェラザード達と早く合流しようと塔を急いでいると、不意にヨシュアがストップをかけた。
「どうしたのヨシュア?」
「みんな静かに」
一言そう言ってヨシュアは下の階を吹き抜けから覗き込む。
「あ――」
それを見て大声を上げそうになったエステルの口をヨシュアは慣れた様子で塞ぐ。
「大型魔獣か……登ってくる時には気付かなかったけど」
「ちょうど入れ違いになったか、それとも外から入り込んできたんだろうね」
「ギルドに指定された魔獣じゃないわよね。あの大きさで手配されてないとは思えないけど」
「未確認の大型魔獣だね。戻ったら手配されているかもしれないけど……エステル」
「うん。リィン君はここでアルバ教授と待っていてくれる?」
「俺も戦えます」
戦力外だと思われるのは心外だとリィンは太刀を握りながら応える。
「リィン君の実力を疑っているわけじゃないよ。教授を一人にしておくわけにはいかないから、お願い」
そう言われてしまえば引き下がるしかない。
自衛能力がなさそうなこの学者をここで待たせて、別の魔獣に襲われる可能性もある。
それに外への扉がしまっているなら、魔獣の新手が現れるとしたらこの階から。
それを注意、もしくは撃退することこそが今自分がやるべきことだと納得する。
「分かりました……加勢が必要ならいつでも言ってください」
「オッケー……それじゃあ行くわよ、ヨシュアッ!」
「エステル……ああ、もう」
ヨシュアの返事をまたずに階下に飛び降りるエステル。
それを慌てて追い駆けるヨシュア。
上からの奇襲に始まり戦闘が始まる。
「剣聖の子供達か……」
その様子を上から観戦しながらリィンは考える。
『剣仙』ユン・カーファイの教えを受け、八葉一刀流を納めた剣士カシウス・ブライト。
しかし、彼の子供たちはどちらも太刀を使わず、しかも聞けば彼自身も今は棒術を使っているらしい。
そこに落胆がないわけではないが、それとは別に二人の技量の高さに舌を巻く。
自分と比べて一つか、二つ年上な彼らだが、その実力は遥か先を行っている。
「リィンさん、リィンさん」
二人の戦いぶりに見入っていたがアルバ教授の呼ぶ声にリィンは顔を上げる。
「どうしました?」
「あ、あれ……」
アルバ教授が指差す先。回廊の向こう側に一匹の魔獣――と子供がいた。
「なっ!?」
絶句して駆け出そうしたが致命的に場所が悪い。
途中の通路は崩落していて、そこに辿り着くには遠回りをしなくてはならない。
「やめろ……やめてくれっ!」
懇願するようにリィンは叫ぶ。
しかし、そんなもので魔獣は止まるはずもなく、その鋭い牙が長い黒髪の女の子に無慈悲に突き立てられた。
「あ……」
思考が、身体が凍りついたかのように固まる。
「に……い……さ……ま……」
女の子が自分を呼んだ。
「エ……リゼ……」
何で彼女がここにいるか分からない。
それでもリィンは間違いなく妹だと、大切な人だと『認識』している。
「どうして……どうして……?」
女の子は血に塗れた手をリィンに精一杯に伸ばす。
「ああ……あああっ!」
「にいさま……どうして……助けてくれないの?」
彼女の最後の際の恨み言にリィンは絶叫を上げた。
「うあああああああああああああああっ!」
胸の中に宿る焔が激しく燃え上がった。