ハーメル村。
リベールとの国境近くに位置する帝国の小さい村。
十年前に山崩れによって壊滅した村だったはずだが、ラヴェンヌ村を経由した獣道を抜けた先にあったのは人の住んでいない廃村だった。
「ミュラーさん、ここがハーメル村ですか?」
「ああ、十年前の地図によればここで間違いない」
帝国領への勝手な不法侵入なのだが、すでに覚悟が決まっているミュラーはこれまで同様に進む足に迷いはない。
リィンはその後ろを少し緊張した顔をしてついていく。
村だったそこは荒れ果てていた。
雑草が生い茂り、崩れた石造りの建物は蔦に覆われている。
よく見れば風雨にさらされてボロボロの建物の壁には銃弾の弾痕が刻まれている。
「ミュラーさん……これって……」
「ああ、どう見ても山崩れなどで滅んだようには見えないな」
リィンの考えをミュラーは肯定する。
「リーン……」
「大丈夫だアルティナ。それよりも疲れていないか?」
「それは問題ありません……ただ……」
落ち着きなくアルティナは周囲を見回す。
不気味なほどに静まり返った廃墟。
そして、それを助長するかのように寒々しい空気がそこには満ちていた。
まだ日は高いのだが、それでも何かが出そうなそんな空気がそこにはあった。
「《百日戦役》……
十年前、宣戦布告と同時に行われた先制攻撃によるエレボニア帝国が戦端を切ったリベール王国への侵略戦争……
その直前にこのハーメル村は山崩れが起きて全滅したと公式の記録にはされている」
「それはおかしいですよ」
思わずリィンはそれに異を唱えた。
もし本当に山崩れが起きたとしたのなら救助活動をするはずだ。もしくは二次被害が起きる可能性だってある。
こんなリベールとの国境でそんな自然災害が起きた場所で戦争なんて始めるのは軍事について知らないリィンでもあり得ないと分かる。
それに村の様子はパッと見ても土砂に埋もれた様子はない。
「ああ、実際の開戦の理由は違った……
王国製の導力銃で武装した何者かによる村人たちの虐殺……帝国はそれをリベールによるものだと断定しリベ―ルに宣戦布告を行った」
「王国製の導力銃……リベールの人達がそんなことを!?」
ミュラーが語る真実は信じられないものだった。
リベールの女王にはリィンも会ったことがある。
穏やかでとてもそんなことをするような人には思えなかった。
しかし、ミュラーの話はまだ続いた。
「だが停戦後の帝国は《ハーメルの悲劇》は自然災害によるものだと発表した」
「え……?」
「当時の記録ではハーメルは全滅ではなく、二人の子供が軍に保護されていた……
だが、自分たちだけ生き残ったことに悲嘆した二人は軍の保護施設から抜け出し、村の跡地で自殺したと記録には残っていた……
そうしてハーメルの村人は名実ともに全滅した……
その二人の子供の名前がレオンハルト……そしてヨシュア・アストレイだった」
《剣帝》とヨシュアの名前にとうとうリィンはミュラーの言葉を消化し切れずに押し黙った。
ハーメル村が王国軍に襲われたことが理由で始まったはずの《百日戦役》。
しかし、戦争が終わってから帝国が発表した内容は自然災害によるものとされたが、目の前の廃墟がそれが嘘である証拠だった。
「それじゃあまるで……」
「そこから先は俺たちも推論でしか語れないがな……
すまない。本来なら君のような成人してない子供に聞かせるような話ではないのだが、もしかしたら君と無関係ではない可能性もある」
「え……? それはどういう意味ですか?」
「あのお調子者の思い付きをそのまま尋ねるのは気が引けるが、君もハーメル村の出身ではないか? この景色に見覚えを感じないか?」
「っ……」
ミュラーの言葉にリィンは息を飲み、ゆっくりと周囲を見回す。
しかし、急にそんなことを言われても、そこから何かを感じ取る余裕はリィンになかった。
「そんな……あり得ませんよ……だってハーメルとユミルがどれだけ離れていると思っているんですか!?
それに《百日戦役》が始まったのはたしか春だったはず。俺は吹雪の日に父さんに拾われたから時期が――吹雪の日?」
自分で否定を叫び、それまで疑問を感じていなかった事柄にリィンは気付く。
吹雪の日に外に出ることは大人であっても死の危険を伴う。
引き取られて一年後の冬の日にリィンは吹雪の日には決して外に出ないようにと両親に教えられた。
遭難すればそれこそ死に至ってもおかしくないそんな日に父、テオ・シュバルツァーは何をするために外にいたのか。
「父さんには出掛ける理由があった……?」
そしてそんな危険な日に後遺症もなく保護された自分。
「それじゃあまるで――」
「そこまでにしておいた方が良い」
ミュラーに肩を叩かれてリィンは思考を中断する。
気が付けば、心臓は早鐘を打つように脈打ち、呼吸は全力疾走した後のように乱れていた。
「とりあえず一度、深呼吸をしろ」
「…………はい」
言われた通りにしてリィンは自分を気遣うように寄り添ってくるアルティナの頭を撫でる。
「すいません。勝手に取り乱して」
「いやいい。こちらも不躾に踏み込み過ぎたようだ」
生真面目に謝るミュラーにリィンはあえてふと思ったことを尋ねる。
「そういえば帝国が存在を隠蔽して村に勝手に入るって、実はまずいことなんじゃないですか?」
「ああ、最悪機密保持法に抵触し、国家反逆罪として処罰される」
「なっ!?」
返ってきた言葉にリィンは絶句する。
「安心しろ。オリヴァルト皇子がこの件に関しては俺たちの身の安全は保障してくれている」
「…………すいません。全然安心できません」
以前彼の名を騙って逮捕劇を演じた際に頂いた親書の内容を思い出してリィンは唸る。
「気持ちは分かるがな」
そう言いながらも不安を感じさせない苦笑を浮かべるミュラーにリィンはお腹が痛くなってくる。
「……少し歩いてきていいですか?」
気分転換になるか分からないが、一度頭の中を整理するためにリィンはそんな提案をした。
「ああ、俺も村の中を見て回る……危険はないと思うが、何かあれば声を上げて知らせてくれ」
「はい」
リィンは頷き、アルティナと一緒に廃村の奥へと歩く。
無造作に転がっている木刀。
子供のおもちゃのブリキの人形。
ヨシュアと《剣帝》レオンハルトの故郷。
村の最奥の広場には何も刻まれていない石碑がひっそりと建っていた。
そしてその前には時間が経って萎れたしまった白い花束が供えられていた。
「ヨシュアさんかな……」
状況を考えれば、おそらくここに立ち寄っていたのだろう。
ヨシュアとレオンハルト。
二人がどうしてあれほどに冷めきった目をしているのか、ここに来て少しだけ分かった気がした。
「俺も花を持ってくるべきだったな」
「リーン、それにはどんな意味があるのでしょうか?」
「え……?」
花を供える意味が分からないのか、アルティナは首を傾げる。
「そもそもこれはお墓なのですか? 知識にある物とは相違が大きいかと」
「お墓……というよりも慰霊碑だな……
献花っていうのは死んだ人の魂が安らかに眠っていられるようにと祈るためのものだ」
この村に何人の人間が住んでいたのかリィンは知らない。
国家から存在をなかったものにされた彼らが果たしてまともに弔われたのかも分からない。
だからこそ、この寒々とした空気がこの廃村に満ちているのかもしれない。
形だけの慰撫。
それは何よりも死者の魂を愚弄している行為なのかもしれない。
「理解できません……
人は死ねば、それはもうただの肉の塊に過ぎません。そのようなことをしても死者は何かを感じることはないはずです」
「それは、そうかもしれないが」
生まれが特殊なせいなのか、ずれた死生観を持つアルティナにリィンは物悲しくなる。
――無理もないか……
《Oz70》。それはつまりアルティナの前に少なくても69人の彼女と同じ境遇の子供たちがいたことになる。
アルティナを道具として平気で刺客を差し向けるような連中のことだからおよそまともな扱いをされていたとは考えられない。
「でも、アルティナは俺を助けてくれたよな?」
「当然です。生きているからこそ意味があるのではないですか? 死んでしまっては何も残らないのでは?」
「それならもしも、俺が死んでしまったらアルティナは花を供えてくれないのか?」
「リーンが死ぬことはあり得ません。不謹慎なことを言わないでください」
ジト目で睨まれてリィンは思わず苦笑する。
墓の前で先に不謹慎なことを言い出したのはアルティナの方だという指摘はしない方がいいのだろう。
「それじゃあ逆にアルティナを俺が守り切れなくて死なせてしまったとして……お墓も花もいらないか?」
「………………分かりません……
《Oz》の前任者たちは稼働限界を迎えれば廃棄処分されていました。物に魂は宿らないはずなのだから正しい処理方法なのではありませんか?」
「アルティナに魂がないなんてあり得ないよ」
改めて彼女を生み出した存在への怒りを感じながら、表にはそれを見せずアルティナの頭を撫でる。
「まあ、その話はあとでゆっくりと話そう……今日はそういうものだと思って納得してくれ」
「了解しました」
こくりと頷くアルティナにリィンはさてどうしたものかと慰霊碑に向き直る。
アルティナに言った手前、花でも供えたいところだが生憎手持ちはない。
少し考えてから、リィンは姿勢を正し、歌を紡いだ。
「リーン?」
「鎮魂歌って言うわけじゃないけど、こういう方法も死者を慰める方法の一つだ」
アルティナの疑問に応えて、歌を続ける。
こういう場で歌うべき鎮魂歌を知っているわけではない。場違いだと分かっているが何故か無性に《星の在り処》をこの村に捧げたくなった。
リィンの歌声に遅れて、たどたどしいハーモニカの音が重なった。
横目で見たアルティナは何を考えているか分からない、いつもの無表情。
歌につられただけの行動かもしれないが、リィンはそれを止めることはしなかった。
………………
…………
……
「どうか、安らかに眠って下さい」
歌を終えて慰霊碑に一礼して踵を返す。
そこでリィンは何かの気配を感じて、横の森へと視線を向ける。
そこには黒い髪の少女がじっとリィンを見つめていた。
――誰だろう……どこかで会ったような……
その姿に懐かしいものを感じてリィンは声をかけようとして――
「シュバルツァー」
ミュラーの呼ぶ声に振り返る。
「それは……慰霊碑か……となるとさっきの歌は鎮魂歌の代わりか……
しまったな。俺も花を持ってくるべきだったか」
村の方から歩いてきたミュラーはリィン達の背後の慰霊碑を見て顔をしかめる。
そんなミュラーにリィンは苦笑してから、リィンは森へ視線を戻す。
「あれ……?」
しかし、先程の少女の姿はどこにもいなかった。
「どうしたシュバルツァー? 何か見つけたのか?」
「……いえ」
場所が場所だけに本物の幽霊を見たのではないかと考える。
しかし、《鬼の力》には霊感など備わっていたと感じたことはない。
それに仮に少女が幽霊だったとしても、不思議と恐怖は感じなかった。
むしろ彼女の表情がリィンは気になった。
恨みつらみではない。
ただ誰かを案じるかのような寂しげな表情。そして何かを懇願するような眼差し。
一瞬だけ見た幻にも関わらず、リィンの心にはそれが深く印象付けられた。
アルティナ
「一瞬でも女性なら幽霊であっても見逃さない……やはりリーンは不埒ですね」
レーヴェ
「ほう……」
ヨシュア
「ふうん……」