(完結)閃の軌跡0   作:アルカンシェル

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 今回の話でストックが尽きました。
 次回の更新は未定となります。




5話 舞台裏の死闘

 

 目の前でモスグリーンに塗装された飛行挺がゆっくりと夜の空へと浮上していく。

 それはカプア空賊団が所有する飛行挺。

 それが飛び立つ様をリィンは一人で見送り、巻き起こされた風が落ち着くのを待ってから地図を広げた。

 

「琥珀の塔がこの位置で、ヴァレリア湖がこっち……月は向こうの方角だから、飛空挺が飛び立った方向はこっちだな」

 

 地図に書き込みをして、シェラザードから預かった遊撃士手帳と一緒に懐にしまう。

 

「よし……」

 

 一通りの装備を確認して、リィンは一人でアンセル新道をボースへ向けて走り出した。

 

 

 

 

 

 塔の外でアルバ教授と別れ、急いでヴァレリア湖へ向かったリィンは最初に見た光景に絶句する。

 湖畔にある宿屋。

 そこの一階はレストランとなっていて、周囲での聞き込みを終えたのだろうシェラザードとオリビエの二人はそこにいた。

 ただし、彼女達が挟むテーブルには山盛りの酒瓶とグラスが散乱していた。

 

「え……?」

 

 テーブルに突っ伏すオリビエと上機嫌に新しい酒瓶を開けるシェラザードにリィンは目を疑った。

 

「え……?」

 

「おかえりなさーい」

 

 にこやかにリィンたちを迎えたのは昼間の頼りになるお姉さんなシェラザードではなく、ただの酔っ払いだった。

 

「遅かったじゃなーい」

 

「ま、また仕事中にこんなに飲んで……」

 

 呆れるエステルだが、その言葉には慣れた諦観があった。

 

「やーね、まだ序の口よ。ねーオリビエ」

 

 陽気な笑顔でシェラザードはオリビエが持っているグラスに追加を注ぐ。

 

「待ちたまえシェラ君。なにゆえ君は天使のような笑顔で悪魔のような所業を……」

 

「なによ あたしの酒が飲めないっての」

 

 オリビエはその言葉にぐっと息を飲み、意を決して新しく注がれたお酒を飲み干した。

 が、そのまま音を立てて、再びテーブルに突っ伏して動かなくなった。

 

「んもぅ……だらしないわねぇ」

 

 落ちたオリビエにがっかりとしたシェラザードはエステルに向かって手招きする。

 

「エステル、こっちにいらっしゃい」

 

「ダメよ。あたしたちは未成年だってば」

 

「んーじゃあ……リィン君。一緒に飲もう?

 つきあってくれたら、ぬ・い・で・あ・げ・る・か・ら」

 

「うわああああっ!? シェ、シェラザードさんっ!?」

 

 露出の激しい服から見て分かる大きな胸を押し付けられてリィンは慌てふためく。

 

「あら……?」

 

 顔を赤くして身体を離そうとするリィンにシェラザードは面白そうなおもちゃを見つけた目でリィンを見る。

 

「いい反応ね。ヨシュアは動じてくれないからつまらないのよねー。ほら飲みなさい。おねーさんが許可する」

 

「ちょ、やめてっ、シェラザードさんっ!」

 

 後ろから抱きすくめられ、逃げることは叶わず、シェラザードのされるがままにリィンは弄ばれる。

 

「シェラ君、ぼ、ボクがつきあうからリィン君を解放したまえ。というかリィン君、そこを代わりたまえ」

 

「オリビエさんっ!?」

 

 潰れたはずのオリビエの再起の姿にリィンは初めて彼に尊敬の眼差しを送る。

 

「うっ……」

 

 が、直後に顔を蒼くしてテーブルに逆戻りになる。

 

「オリビエさーんっ!!」

 

 あれが自分のこの後の姿だと思うと戦慄せずにはいられない。

 本気で命の危機を感じるリィンだが、見かねてエステルが待ったをかけた。

 

「あーもうっ! シェラ姉聞いてっ! 空賊たちがこの近くに来ているのよっ!」

 

「詳しく聞かせなさい」

 

 エステルの言葉を聞くやいなや、抱きついたリィンを解放してシェラザードは椅子に座り直す。

 酔っ払っていた顔は引き締められ、すでに昼間の遊撃士の顔に戻っていた。

 

「た、助かった……」

 

「シェラさんは底なしのザルな上に酔ったら周囲に絡むから気をつけた方がいいよ」

 

「それは先に言って欲しかったです」

 

 ヨシュアの遅い忠告にリィンは深々とため息を吐いた。

 

 

 

 

 

「ざっと見て空賊は七人ってところね」

 

 日が落ちた夜の闇の中、琥珀の塔の近くで飛行艇の下で焚き火を囲う集団を発見する。

 それぞれがお揃いのジャケットと帽子を被っているその姿はリィンにとっては初めてだが、エステルたちは断定した。

 

「違うわ、シェラ姉。ジョゼットが見えないもの」

 

「キールという男もいません」

 

「飛行艇の中に明かりは見えませんし、この場にいるのはあの七人だけとは思いますけど」

 

 エステル、ヨシュアが具体的な名前を出す中で、リィンはとりあえず自分の考えを口にする。

 

「そうね、ここにいるのが全員とは限らないわね。あなたたちならどうする?」

 

「もちろん突撃あるのみよ。多少増えたって制圧できない数じゃないわ」

 

 目の前の集団に加えて名前が判明している二人の合計九人。

 対して、こちらはオリビエがいないため四人。

 奇襲の優位を考えれば確かに何とかなるだろう。

 

「その作戦はどうかな?」

 

 しかし、それに異を唱えたのは酔いつぶれていたはずのオリビエだった。

 付け加えると何故か彼は頭からずぶ濡れになっていた。

 

「オ、オリビ――」

 

「静かに、あいつらに気付かれる」

 

 声を上げそうになったエステルの口をヨシュアが塞ぎ注意する。

 

 ――何だろう……?

 

 不意にリィンは胸の中にもやもやした違和感を感じて首を傾げた。

 自覚したのは一瞬、リィンは気のせいと割り切った。

 

「驚いたわね……あの酔いつぶれた状態からよくそこまで回復したもんだわ」

 

「フッ、任せてくれたまえ。胃の中のものをすべて戻して冷たい水を頭からかぶってきたのさ……

 ははっ文字通り水もしたたるいい男さ」

 

「あ、ありえない……」

 

「なんと言うか、執念ですね」

 

「そこまでしますか?」

 

「ツメが甘かったわね。火酒の一気飲みでもさせておけば良かったかしら?」

 

「それは確実に死ねるんで勘弁してくれたまえ」

 

 シェラザードの言葉にオリビエはぶるりと身を震わせてから、本題に入る。

 

「それよりさっきの話だが、こんなところで空賊の下っ端を制圧して終わりなのかい?」

 

「え……?」

 

「奥に潜む諸悪の根源に辿り着くためには思い切って敵の懐に潜り込むのも必要だろ?」

 

「つまりオリビエさんはここで空賊を制圧するのではなく、今の内に飛行艇に忍びこんでアジトまで案内してもらおう、と言いたいんですか?」

 

「ピンポーン」

 

 リィンがオリビエの言葉を分かりやすくすると、正解と言わんばかりにオリビエが笑う。

 

「確かに一理あるけど……」

 

「どうしたのシェラ姉? まあ、確かにオリビエの出した案に乗るのはシャクかもしれないけど的外れじゃないと思うけど」

 

「ええ、でもその案にはいくつか問題があるわ」

 

「そうですね」

 

 シェラザードの言葉にすかさずヨシュアが頷く。

 

「一つ目は空賊団の規模が未だに分からないこと……

 もう一つは隠れる場所によっては外を把握できなくてアジトの位置が分からないこと、最後に人数の問題」

 

「逃亡・潜入は人数が多くなるほど、逃げ隠れするのが難しくなる……

 かと言って、人数を絞ると空賊を制圧しきれなくなるわね」

 

 ヨシュアが上げた問題にシェラザードが補足する。

 

「そうなると、エステルさんたち三人は当然として」

 

 リィンは自分とオリビエを見比べる。

 

「そんなっ!? シェラ君はボクを捨てるっていうのかい? あんなに熱い一時を過ごしたっていうのに!?」

 

「やめんか」

 

 すがり付こうとするオリビエをエステルが押し止める。

 

「考えるまでもなく残るのは自分でしょう」

 

「リィン君?」

 

「俺の戦闘スタイルは太刀による近接戦闘がメインです……

 ですが、すでに前衛にはエステルさんとヨシュアさんがいます。俺の腕も二人には及びません……

 それに対してオリビエさんの武器は銃と導力魔法、バランスを考えるならオリビエさん一択だと思います」

 

 リィンからすれば、まだ何も役に立ってない。

 むしろ迷惑しかかけていないので汚名返上したくはあるのだが、ここで無理について行って迷惑をかけることはしたくない。

 

「ヴァレリア湖の宿に残したみなさんの荷物を回収して、ギルドに運んでおきます。それでいいですか?」

 

 せいぜいできてそこまでだろう。

 しかし、リィンの申し出にシェラザードが待ったをかけた。

 

「いいえ、荷物は事情だけ説明して宿に預けていいわ。それよりもリィン君にはやってもらいたい仕事があるわ」

 

 そう言ってシェラザードは地図と遊撃士手帳を取り出した。

 

「貴方は飛び立つ飛行艇の方角を確認した後、それをギルドに報告してちょうだい……

 それからあたしたちはあいつらのアジトに着き次第、発煙筒で狼煙を上げるようにするからそのことも伝えてくれる」

 

「え……?」

 

「無事に空賊を制圧しても、場所によっては乗客を安全に帰すことは難しいかもしれないわ」

 

「ああ、そうなると迎えの飛行艇が必要になりますね」

 

「ええー……それって軍に協力を要請するってこと?」

 

 当然、遊撃士協会は飛行艇を所有していない。

 しかし、その飛行艇を持っているのは軍だけだとすれば、必然的に軍に頼らざるを得ない。

 いくら遊撃士と軍の仲が悪くても、明確な情報ならば軍も動いてくれる。

 

「文句を言わない。リスク管理も遊撃士には必須の能力よ」

 

 口を尖らせるエステルを軽く叱って、シェラザードはリィンに向き直る。

 

「地味な仕事かもしれないけど、重要な仕事よ。お願いできるかしら?」

 

 お調子者には任せられないしね。と付け加えられた言葉にリィンは苦笑する。

 

「分かり――」

 

「あ――やっぱり、ちょっと待って」

 

 快く承諾しようとしたが、エステルが待ったをかける。

 

「それってリィン君に今からボースまで戻れっていうこと?」

 

「ええ、できるだけ早く軍に動いてもらった方がいいでしょ?」

 

「だけど、それじゃあ夜の街道を一人で……」

 

「あんたの心配も分かるけど、その子はカシウス先生の弟弟子よ……

 戦闘能力だってあんた達には一歩劣るかもしれないけど、準遊撃士としてなら十分にやっていけるのはあんたも分かってるでしょ?」

 

「それはそうだけど、でも……」

 

「エステルさん、俺のことなら大丈夫です」

 

 シェラザードの地図と手帳を受け取りながら不安な顔をするエステルにリィンは笑ってみせる。

 

「それよりもこれ以上の問答をしている暇はないでしょう? 忍び込むなら早くした方がいい」

 

「…………ああ、もう」

 

 短いが深い葛藤の末、エステルはシェラザードの案を受け入れた。

 

「いい、リィン君。絶対に無理はしないでね。危ない魔獣と遭遇したら迷わず逃げちゃっていいからね」

 

「ええ、そこはエステルの言う通りよ。任務優先じゃなくて、貴方の安全が第一だから」

 

「分かりました。みなさんも気をつけて」

 

 そうしてリィンはみんなと別れて、飛行艇が見やすい場所を探し始めた。

 

 

 

 

 魔獣除けを兼ねた導力灯の光を頼りにリィンは走る。

 夜の街道は昼間のそれとは違って静かなものだった。

 すれ違う人は一人もいない。

 獣も寝静まっているのか、危険な気配は特に感じない。

 このまま何事もなければ一時間程でボースに辿り着けるだろう。

 

 がさりっ!

 

 木が大きく揺れる音に違和感を感じ、リィンは咄嗟に横に跳ぶ。

 直後、二人の仮面に黒装束の怪しい男がリィンが走っていた進路に剣を持って降ってきた。

 

「っ……何だお前たちはっ!?」

 

 太刀に手をかけてリィンは叫ぶ。

 

「お前たちも空賊の一味か?」

 

 飛空挺の前で焚き火を囲んでいた空賊たちが着ていたジャケットとは装いが違う。

 しかし、ただの野盗にしては錬度が高い。

 空賊の一味とは思えないが、全くの無関係だとも思えない。

 

「悪いが貴様にはここで眠ってもらう」

 

 リィンの問いに答えずに襲い掛かってくる二人。

 

 ――大丈夫だ……問題ない……

 

 焔が燃え上がる気配はない。

 そもそも焔が燃え上がるほどの脅威をリィンは彼らに感じなかった。

 

 ――身体が思った通りに動く、それに景色が広い……

 

 男達の太刀筋を容易く見切り、二人の間をすり抜ける。

 その瞬間に鞘に納めたままの太刀を二度振り、ヘルメットの上から後頭部を強打する。

 

「がっ!?」

 

「くっ!?」

 

 一人には確かな手応えを感じ、もう一人は仕損じた。

 

「このクソガキがっ!?」

 

 たたらを踏みつつも激昂して襲い掛かってくる黒装束

 その気迫にリィンは太刀を抜き、縦に構えて闘気を練る。

 

「焔よ……我が剣に集えっ」

 

 振り上げられた剣が振り下ろされるより速く、懐に踏み込む。

 そして刃を返して峰で焔を纏った刃を三度、黒装束に叩き込んだ。

 

「ば、馬鹿なっ!」

 

 今度こそ崩れ落ちた黒装束にリィンは緊張して止めていた呼気を吐き出した。

 初めての人間相手の実戦。

 本気の殺意をぶつけられても冷静に動くことができたことに安堵する。

 

「今のは……」

 

 咄嗟に使った技、『焔ノ太刀』の手応えに戸惑う。

 丸太相手の訓練ならまだしも、実戦ではいつも不発してばかりの技だったのに、身体が自然と動いて使うことが出来た。

 

「…………エステルさんのおかげかな」

 

 彼女への吐露からどんな心境の変化があったのか、それを言葉にするのは難しい。

 だが、そのおかげでリィンの中の何かがよい方向へ変わったのは確かだった。

 

「って、喜んでばかりもいられないか」

 

 焔ノ太刀を受けて、辛うじて意識を保っている黒装束にリィンは太刀を突きつける。

 

「お前はこのまま遊撃士協会に突き出させてもらう」

 

「それは困るな」

 

 リィンの宣言に応えた声はすぐ後ろからだった。

 

「っ!?」

 

 息を飲んでそこから跳び退き、振り返ると同じ黒装束に赤い仮面のヘルメットの男が立っていた。

 

「た、隊長っ!? すいません、油断しました」

 

「仕方がない連中だ……まあいい、こいつは俺がやる」

 

 対峙した瞬間、身が竦んだ。

 

「な、何で……?」

 

 何もされていないというのに震え出す自分の身体にリィンは困惑する。

 身体の震えが伝播して太刀の鍔が鳴るが、止められない。

 

「ほう、これだけで実力差を理解するか……ここで斬って捨てるには少々惜しい逸材のようだ」

 

 何かを言われているが、リィンの耳にそれは入ってこなかった。

 命の危機なら胸の中の何かが反応するはずなのに、焔は男の凍てついた気配に凍らされたように萎縮してしまっている。

 

 シャキンッ……

 

 金色の剣が鞘から抜かれる音が静寂に満ちた夜に大きく響く。

 

「あ……」

 

 その剣を見た瞬間、胸の中の焔が一層小さくなる。

 本能だけで理解していたリィンもそこまで来てようやく状況を頭が把握する。

 剣士としての格の違い。異質な存在感を持つ剣の存在。

 

 ――勝てない……

 

 例えあの力に身を任せたとしてもこの窮地を乗り越えることはできない。

 

「抵抗はするな。何、少しの間――」

 

 言葉の途中、剣の切っ先を突き付けられて、それが限界だった。

 

「う……うわあああああああっ!」

 

 圧倒的な死のイメージにリィンは逃げ出していた。

 恥も外聞も捨てて、リィンは全力で走る。そうしなければ殺される。

 シェラザードたちから頼まれた仕事のことなど、もう頭には残っていない。

 ボースの街の明かりは見えている。

 そこまで辿り着けば助かる。

 根拠もない希望に縋りつくが、背後から迫る強烈な殺気にリィンは咄嗟に太刀を盾にする。

 直後、凄まじい衝撃が腕に走った。

 太刀は手から弾かれ、身体は蹴られたボールのように吹き飛ばされ、木に叩きつけられた。

 

「くっ……うっ……」

 

 痛みに呻きながらもリィンは本能的に頭を抱えて伏せる。

 次の瞬間、リィンの首があった場所に剣が振り抜かれて、リィンの何倍も太い幹が両断され、音を立てて倒れた。

 

「あ……ああ……」

 

 圧倒的な死の恐怖にリィンは身体を震わせながら這うようにして駆け出そうとして、後ろ襟を掴まれ力任せに投げられた。

 

「うぐっ」

 

 視界が回り、受身も取れずにリィンは顔面から地面に着地した。

 

 ――早く立ち上がらないと……

 

 そう思って顔を上げると、その鼻先に金色の剣が突きつけられた。

 

「不運だな。それだけの才がなければ苦しまずに逝けたものを」

 

 憐れみの言葉と共に掲げられた金色の剣。

 月を背後にしたその煌きは幻想的で場違いにもリィンは見惚れてしまった。

 

 ――俺、ここで死ぬのか……?

 

『今日からリィン、お前は家の子だ』

 

 不意に養父の顔を思い出した。

 

『あらあら、リィンたら怖い夢でも見たの?』

 

 続けて養母の顔を思い出す。

 これまでリィンが会った様々な人たちの顔が脳裏に浮かんでは消えていく。

 そして最後に――

 

『にいさま、しっかりして! 死んじゃやだっ!』

 

 駆け巡る走馬灯の中で思い出す妹の言葉。

 それは初めて『異能』で魔獣を殺戮した時、全てが終わって倒れた時に最後に聞いた言葉だった。

 

 ――ああ、俺は馬鹿だ……

 

 あの出来事はリィンにとって思い出したくないトラウマだった。

 記憶の奥底に封印して、決して触れないようにしてきた。

 しかし、そこにリィンが求めていた答えがあった。

 魔獣の血で汚れた手を気にもせずに握り締め、泣き叫ぶ妹の姿はただひたすらに自分の身を案じていた。

 辛い記憶だったかもしれない。

 それでもそこには忘れてはいけないものがあった。

 思えば、あの時からエリゼの顔をちゃんと見ていなかった。

 

「っ……」

 

 抵抗をやめようとしていた身体に活を入れ、リィンは地面を掴む。

 そのまま掴んだ土を仮面の男に向かって投げつけた。

 

「無駄な抵抗は苦しみを長引かせるだけだぞ?」

 

 一度は諦める気配を見せたリィンの抵抗に男は意外そうにする。

 リィンはボースへの道ではない方向へ走り、弾き飛ばされた太刀を拾う。

 

「死ねない……こんなところで死んでたまるかっ!」

 

 怯えた身体を奮い立たせてリィンは太刀を構える。

 剣を合わせるまでもなく、彼が強いことは理解できた。

 リィンの中ではユン老師が最も強い存在だったが、それを超えかねないほどの強さ。今のリィンではどう足掻いても届かない高み。

 それでも生き残るためにできることは一つだけだった。

 

『その力はリィン君の大切なものを守ってくれたんでしょ?』

 

 言われたばかりの言葉を思い出す。

 

 ――お前が俺の力だっていうなら……

 

 左胸を押さえてそれの存在を感じる。

 今まで自分でそれを引き出したことなどない。そもそもどうすれば引き出せるのかさえ、分かっていなかった。

 だが、今なら分かる。

 金の剣に当てられて疼く胸の中の焔。男の殺気に萎縮してしまっているがその存在を明確に感じることができる。

 そして意識を集中し、意図してその焔を燃え上がらせる。

 

「くっ……」

 

 意識が黒く染まっていく。

 いつもは抵抗しても飲み込まれるそれに、リィンは身を委ねた。

 

 

 

 

「おおおおおおおおおっ!」

 

「これは……?」

 

 目の前で少年の気配が変わる。

 しかし、変化は気配だけに収まらず、黒い髪は白く、アメジストの瞳は赤く染まる。

 恐怖に怯え泥に塗れた少年の顔は、その恐怖を一片も残さない鬼の形相に。

 

「まさかこんなところで奴と同じ存在に出会うとはな」

 

 大して驚くこともせず、彼は少年の変化を受け入れる。

 

「しゃああああああっ!」

 

 少年が斬りかかってくる。

 その速度は部下たちと相対していた時を遥かに超える速さだった。

 

「大した強化だが、奴ほどではない」

 

 完全に力に飲み込まれ、がむしゃらに剣を振るだけの少年に脅威など微塵も感じない。

 剣を交えるたびに剣戟の力も速さも際限なく上がっていくのに、男の余裕は崩れない。

 

「むっ?」

 

 唐突に嵐のような連続攻撃が止まり、少年は距離を取った。

 

「もう終わり……というわけではないか……」

 

 少年の髪は依然白く染まったまま、ギラついた剥き出しの殺気も消えていない。

 しかし、獣となった少年がとった行動は太刀を納めることだった。

 

「は……まさか獣に落ちた最後に人の技に頼るとはな」

 

 太刀を納めても、逃げる素振りはない。

 むしろ腰を落とし、東方剣術の居合いの型を取る。

 型を作ることで無秩序だった闘気が定まり、殺気は一段と濃密になる。

 仮面の男は金色の剣を構え、対抗するように闘気を練り上げる。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

「はああああああああああああああああっ!」

 

 少年の雄叫びに負けない声量で闘気を練り上げる。

 先に動いたのは少年の方だった。

 焔を纏った居合い斬り。

 

「燃え盛る業火であろうと、砕き散らすのみ」

 

 対するは極寒の闘気を纏った一撃。

 交差は一瞬にして一合。

 胸を切り裂かれ、地に落ちたのは鬼の子の方だった。

 

「がは……」

 

 斬られ、地に伏してなお、少年は生きようと這い足掻く。

 

「悪いがお前の命はここで狩り取らせてもらう」

 

 最初は命まで取るつもりはなかった。

 どういう経緯かまでは分からないが遊撃士に協力している帝国の観光客。

 強めに脅し、目的が果たされるまで眠ってもらえば十分だったのだが、少年の異能は見過ごせない。

 最初こそは無様に逃げ出したが、それは過敏に実力差を察してしまったため。

 それも最終的にはその恐怖に打ち勝ち、異能を引き出す形で向かってきた上に、獣となった上で技を繰り出した。

 将来的な素養はこの場だけでは計り切れない。

 それ故に少年の存在は計画の不確定要素になる。

 不本意だが少年の命をここで終わらせることを決める。

 

「う……あ……」

 

 白く染まっていた髪は黒いそれに戻り、圧倒的な気配は消え去っていた。

 地に伏した呻きながらも少年は生に縋るように地面を這って少しでも距離を取ろうとする。

 

「己の不運を呪うんだな」

 

 彼は躊躇いなく金色の剣を振り下ろした。

 

「…………何のつもりだ『白面』?」

 

 狙いを外し、何もない地面に剣を突き立てた彼は冷めた口調のまま、森の闇の中に問いかける。

 

「ふふふ……ここで彼を殺されると計画に支障がでるのでね。邪魔をさせてもらったよ。ロランス・ベルガー少尉殿」

 

「計画にこんな奴の存在はなかったはずだが?」

 

「『福音計画』の話ではないよ。彼は『幻焔計画』の駒の候補の一人だ」

 

「……オルフェウス計画の第一計画さえまだ始動していないというのに、もう第二計画の心配か?」

 

「下準備はもう始まっているのだよ。現に『深淵』殿はすでに『蒼』を目覚めさせているのだよ」

 

「…………勝手にしろ」

 

 それ以上の問答は無意味と判断して、剣を納める。

 

「ああ、彼のことは私に任せてくれたまえ。ここでの記憶は消しておいて上げよう」

 

 それに応えず、声に背を向ける。

 

「隊長っ! あの子供は……よろしいのですか?」

 

 近くで待機していたはずなのに、先程の会話に気付いていなかった部下が尋ねてくる。

 

「捨て置け」

 

「ですが、奴がギルドに空賊のことを知らせたら大佐の手柄が」

 

「奴は帝国人だ。未だに足場固めが終わっていない今、帝国に開戦の口実をくれてやるわけにはいくまい……

 それに当分は目を覚ますことはない」

 

 取って付けたような言い訳で部下を納得させ、少年にやられた部下を回収する指示を出す。

 それに従って動く部下たちにこの場を任せようとして、足を止めた。

 

 ――レーヴェ……

 

 唐突に脳裏に浮かんだ昔の光景。

 とうの昔に凍てつき振り返ることのなかった暖かだった日々。

 何の脈絡もなく思い出した記憶を、頭を振って追い出して、再び歩き出した。

 

 

 

 

 

 




リィン「よし掴んだ」(Sクラフト習得)

ロランス少尉「なら、次は俺が相手だ」

リィン「…………助けて『氷の乙女』さんっ!」

クレア「すいません。無理です」




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