(完結)閃の軌跡0   作:アルカンシェル

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52話 未来への仕込み

 

 

 目の前の光景にリィンは心が軋むのを感じた。

 カシウスに諭され、アルティナが残した意志に触れ、教授がどんな罠を仕掛けてきたとしても全てを受け止める覚悟をしていたはずなのに、目の前の光景はそんな覚悟を嘲笑うかのようにリィンを絶望を与えた。

 

 ――覚悟はしていたんだけど……立ち直れないかもしれないなこれは……

 

 覚悟はあった。

 心構えも十分にしていた。

 しかし、このタイミングで、それも変わってしまった彼女と再会するなどとは思ってもみなかった。

 最初から勝ち目がないことは理解していた。

 そして、どこかでまだ本気になりきれていなかったのか、まだ自覚が十分ではなかったのかもしれない。

 とにかくリィンの覚悟は甘かったと評価するしかなかった。

 そして、それが与える精神ダメージもリィンが想定していた以上に大きかった。

 

「どうしたのリィン君?」

 

「いえ…………何でもありませんエステルさん」

 

 今までの笑顔を三割増しで輝かせ、変わってしまったエステルにリィンは絞り出すように応える。

 

「えっと……久しぶりだねリィン君。砦でのことは悪かったね」

 

 バツが悪そうにしながらも、隠しきれない幸せな様子のヨシュアにリィンは思わず拳を固めてしまう。

 カシウスとの一戦で《理》に手をかけ、感情を律する術を身に付けたリィンだったが、この衝動をどうして抑えることができようか。

 

「あ……」

 

 危機を感じてヨシュアは反射的に一歩後ろに下がる。

 

「あらヨシュア、どこに行くつもりかしら?」

 

「安心しろ。俺らの不満はあいつの一発に含ませておいてやる」

 

「ま、そういうことだから観念するんだな」

 

 しかしシェラザードとアガットが肩を押さえて、ジンがさらに大きな手で背中を押さえる。

 

「はは……はい……」

 

「え……何……? 何なの?」

 

 苦笑を浮かべてそれを受け入れるヨシュア。突然の出来事にエステルは困惑する。

 そんな彼女を置き去りにしてリィンはヨシュアに向かって拳を振り被る。

 

「歯を食いしばれ」

 

 最低限の理性がそれを言わせて、リィンはヨシュアをぶん殴った。

 

 

 

 ヨシュアの帰還によって様々な情報を得ることができた。

 《紅の方舟》グロリアス。

 結社の保有する凡そ250アージュに及ぶ巨大空中飛行戦艦。

 リベールの《白き翼》アルセイユが全長42アージュなのだからそのおよそ六倍の大きさ。

 それだけでも《結社》の技術力の高さを改めて思い知らされる代物だった。

 《福音計画》については第三段階にまでその進行を進めていること。

 そして、女王陛下から語られる《ハーメルの悲劇》の真相について。

 何はともあれ、エステルの無事とヨシュアの帰還は喜ばしい出来事だった。

 しかし、その喜びに浸る間もなく《結社》は次の行動を起こしていた。

 各関所の襲撃と四輪の塔の異変。

 エステル達は《執行者》が現れたそれぞれの塔へアルセイユを使って急行する。

 リィンもそれに同行し、戦うつもりだったのだが……

 

「リィン君。君にはやってもらいたいことがあるので王宮に残ってくれるかな?」

 

 カシウスの一言でリィンは居残ることになった。

 案内された一室でリィンはカシウスを待つのだが、そこにはリィン一人ではなかった。

 

「いやーまさかこのタイミングでヨシュア君が戻ってくるとはね……

 流石はエステル君の王子様、やることがあざといね」

 

「意外ですね。オリビエさんのことだからてっきり最後まで付き合うと思っていたんですが」

 

 すでに出発してしまったエステル達なのだが、そこにオリビエは同行していなかった。

 帝国に帰国するようだが、リィンはそこに不信を感じずにはいられない。

 この男がその程度の理由で《秘密組織と戦う》という娯楽を逃す男ではないとリィンは知っている。

 

「でもオリビエさんはどうしてここに? 帰国するならすれば良いじゃないですか?」

 

「うん。実はカシウス殿がリィン君にしたい話と関係があってね。実は――」

 

「すまない待たせたな」

 

 オリビエの言葉を遮って、カシウスが部屋に入ってくる。

 

「いえ、それより話というのは何ですか?」

 

 《結社》が各地で暴れている今の状況であえて自分だけを呼び出した理由をリィンは考える。

 やはり、認めてもらいはしたが、オリビエと一緒に帰国するべきだと言うのだろうか。

 

「すまないな。これから俺は急いでレイストン要塞に戻らなければならんから単刀直入に言わせてもらう」

 

 回りくどい話はなしだと言外に告げるカシウスにリィンは意識を引き締める。

 

「まず最初にリィン君に頼みたいのは、これから封鎖区画の最奥に行ってもらいたいということだ」

 

「封鎖区画にですか?」

 

 話題が帰国でないことに安堵しながらリィンは聞き返す。

 封鎖区画とはクーデター事件の最終局面、リシャール大佐がゴスペルを起動した場所であり、《環の守護者》たる人形兵器が現れた王宮の地下深くの古代遺跡。

 今更そこに何の用があるのかリィンは首を傾げる。

 

「ああ、四輪の塔の異変に連動して何かが起こっているかもしれん……

 《輝く環》を封印するのが四つの塔の役割であることはもはや明白だが、その安全装置と呼べるものが残っている可能性もある……

 各地の派手な襲撃が陽動なのだと考えれば、本命は誰にも悟らせることなく王宮に忍び込んでいる可能性も十分に考えられる」

 

「それができるのは……」

 

 脳裏に浮かぶのは二人。

 変装の達人か、もしくは一時期この王宮に名前を偽って潜伏していた剣士。

 

「分かりました。それじゃあ俺は今すぐに――」

 

「まあまあ落ち着きたまえリィン君」

 

 早速出発しようとしたリィンをオリビエが止める。

 

「カシウス殿、ここからはボクが」

 

 そうカシウスに断りを入れて、オリビエはリィンに向き直る。

 その眼差しは普段のすちゃらかなものではなく、カリスマを感じさせる方の眼差しだった。

 

「何ですかオリビエさん?」

 

 リィンはその様子に佇まいを直して聞き返す。

 

「リィン君。君はこの先の局面をどう見るかな?」

 

「この先の局面ですか……いきなりそう言われても……」

 

「まあ、そう言わずにリィン君の推測を聞かせてくれないかな? 《結社》が何を目的に動き、その結果何が起こるのか?」

 

「《結社》の目的はあくまでも七つの至宝の一つである《輝く環》を手に入れることです」

 

「確かにその通りだ。ではその手段は?」

 

「ゴスペルを使うことだと思います……

 クーデター事件の時には封印の一部を解いた様子でしたから、おそらくは今回の四輪の塔にも同じような機能があり、それを止めるつもりなのではないかと思います」

 

「では《輝く環》が現れた時に考えられる最悪の二次被害はなんだと思う?」

 

「二次被害ですか?」

 

「そう二次被害だ」

 

 直接の被害ではなく二次被害と言われてリィンは考え込む。

 そもそも《輝く環》がどんなものかも分からないのに被害を想像しろなどという無茶振りに文句を内心で思い浮かべながら考える。

 

「…………あ……《導力停止現象》」

 

「そうそれだ」

 

 リィンが思いついた呟きをオリビエは肯定する。

 

「ボクとカシウス殿も同じ結論に達してね……

 一応はすでにラッセル博士が対処手段を作ってあるのだよ……だが、問題はここからだ」

 

「問題ですか?」

 

「仮定の話として、《導力停止現象》が王国全土を超えて帝国領にまで影響を与えることがあれば、それこそ帝国は軍を動かすだろう……

 場合によっては《輝く環》がリベールが開発した新兵器だと言い掛かりを付けてね」

 

「そんないくら何でも――」

 

「あり得ないと思うかい? 《ハーメルの悲劇》を引き起こした前科があるのに?」

 

「あ……」

 

 そう言われてリィンは口をつぐむ。

 

「まあ、そういうわけだからボクはもしもの時を考えて帝国へ戻り、オリヴァルト皇子に動いてもらおうと考えているんだ……

 それがボクにしかできない、エステル君達への最大の援護だと思うからね」

 

「オリビエさん……」

 

 思慮深い言動にリィンは感動する共に嘆きたくなる。

 

「どうして今のような立ち振る舞いが普段からできないんですか?」

 

「フフフ、素直に褒めてくれていいんだよ」

 

「やめておきます。褒めたら調子に乗りそうですし……

 でも、それならそうとエステルさん達にも言っておけばいいんじゃないですか?」

 

「分かってないなぁリィン君。男というのは結果で語る生き物なんだよ。それに実はボクの仕込みだったと明かした時のエステル君達の驚く顔が見たいじゃないか」

 

「あ……そうですか……」

 

 やっぱり普段のお調子者だったオリビエをリィンは半眼で睨む。

 

「話は分かりましたが、その上でオリビエさん達は俺に何をさせるつもりですか?」

 

「おや? どうしてそう思うのかな?」

 

「わざわざこうしてカシウスさんも交えてその話をしたということは、俺にも何かさせるつもりだと想像はできます」

 

「はは、流石リィン君。話が早いね……

 もしも帝国が進軍して来た場合、君には王国軍と《導力停止現象》が無関係であるという証言をして欲しいと思っているんだ」

 

「そんなこと俺じゃなくても、エステルさん達遊撃士の方達に証言してもらった方がいいんじゃないですか?」

 

「それも一つの手だが、エステル君の遊撃士ランクは《C》ランクだ……

 《結社》の実験を暴いてきた功績として異例の速度でランクを上げているようだが、ここから先は昇格試験などを受ける必要があることもあってこれ以上のランクアップは望めない……

 中立の立場とはいえ、《C》ランクではそれなりの実績だが発言力としては少し弱い……

 かと言ってA級のジンさんはカルバードの人間であることから、帝国人とは相性が悪いだろう……

 B級のシェラ君達ならなんとか説得力はあるかもしれないが、手札は多い方が良いだろう?

 リィン君は一応帝国の貴族なのだから適任だと思うんだ」

 

「貴族と言っても男爵家ですよ。正直エステルさん達と五十歩百歩だと思いますが」

 

「ふむ……ならこうしよう」

 

 そんなことを言い出したオリビエにリィンは途轍もない悪寒を感じた。

 オリビエはリィンの目の前で用意していた羊皮紙を広げると、鼻歌交じりにそこに何かを書き綴り始めた。

 そしてペンを置くと、懐から黄金の獅子が彫り込まれた儀礼用の短剣を取り出して、羊皮紙と並べる。

 

「今、この時を持って略式であるがリィン・シュバルツァーをオリヴァルト・ライゼ・アルノールの名の下に皇室親衛隊の末席に任命する……

 これがその書状であり、証拠となる短剣だ。受け取ってもらえるかな?」

 

 羊皮紙に書いた内容を読み上げるオリビエにリィンは頭を押さえる。

 

「オリビエさん……それは何の冗談ですか?」

 

「フフフ、こうすれば君は名実ともにオリヴァルト皇子が後ろ盾に得られることになり、男爵家を超えた権威を持つことになるわけだ……

 流石に皇室親衛隊の言葉なら軍も耳を傾けてくれるだろうさ」

 

「そうかもしれないですけど……そうじゃなくてっ!」

 

「安心するといい、オリヴァルト皇子には事後承諾になるが、きちんとリィン君のことは売り込んでおくから」

 

「そういう問題じゃありませんっ! いや、それも無視できないことですけど。とにかく無理ですっ!」

 

「まあまあこれはリィン君の身柄を守るためのことでもあるんだよ」

 

「俺を守る? どういう意味ですか?」

 

「まだ一部の者しか知らないことだが、帝国ではリィン君の存在は注目され始めているんだ、もちろんいい意味での方でね」

 

「え……? どうして?」

 

「それは最強の猟兵団、《西風の旅団》と《赤い星座》に土をつけた少年なんて噂が広まれば、当然のことじゃないかな?」

 

「いや……あれはいろいろと事情があってですね」

 

「その事情はここではあまり重要なものではないよ……

 そして、それを切っ掛けにあのカシウス・ブライトの弟弟子だということも広まってしまっているそうだし、目端の利くものなら宰相閣下がすでに目を付けているという事実も知っている……

 まだその噂が真実かどうか確かめている段階だから大きな動きにはなっていないが、リィン君が帰国した時には革新派と貴族派の両方から熱烈な勧誘を受けることは間違いないだろうね」

 

「いや……そんな……ただの浮浪児にそんなことをしますか?」

 

 オリビエの語る未来にリィンは今一つ実感が持てない。

 

「でも、まあオリビエさんの言いたいことは分かりました……

 オリビエさんがオリヴァルト皇子の意志の下で動いているのも知っています。でも流石に名前を勝手に使ってこんな子供を親衛隊に任命するのはやり過ぎですよ」

 

「フフフ、リィン君だって以前にオリヴァルト皇子の名前を騙って悪徳市長を退治したそうじゃないか」

 

「あの時と今回のことは全く別物です」

 

 オリビエの予想通りなら、今回は帝国軍人を騙すことになる。

 いくら彼が皇子直轄の諜報員だったとしても、それは超えていけない一線だとリィンは思うし、帝国政府からも二度目はないとリィンは忠告を受けている。

 

「リィン君……まだ成人していない君に無茶を言っているのは重々承知している……

 先日にアルティナ君を亡くした君の心労を考えればこんなことを言うのは間違っているかもしれない……

 だが、ボクもオリヴァルト皇子も祖国の不当な侵略を許したくはない。必ずリィン君の身柄の安全は保障する。だから引き受けてくれないかな?」

 

 真摯に頭を下げられてリィンは反論の言葉を飲み込む。

 

「カシウスさんはこの案についてどう思いますか?」

 

 一人では決め切れない案件にリィンは助け舟を求める。

 

「そうだな。ここで重要なのは帝国軍の侵攻の足止めをすることだ」

 

「足止めでいいんですか? 説得ではなくて?」

 

「ああ、いくら《導力停止現象》と王国軍が無関係であったとしても、それだけでは帝国の進行を止める理由には弱い……

 リベールが帝国に示さなくてはいけないのは、その現象を解決するための策があるかどうかだ」

 

「その策はあるんですか?」

 

「すでにラッセル博士が開発してくれている。だが、最終調整そのものは《導力停止現象》が起きてからしか行えないものでな。だからこそ時間が必要なのだ……

 そういう意味ではオリヴァルト皇子が協力してくれるというのは願ってもないことだ」

 

 意外と前向きな意見にリィンは項垂れる。

 そんなリィンにカシウスは苦笑して続ける。

 

「何そこまで深刻に受け止める必要はない。帝国にも《導力停止現象》が波及した場合、その軍が動けなくなる可能性だって十分ある……

 実際に使える場面になるかはその時になってみなければ分からないのだから、使う必要もないかもしれない……ただ……」

 

「ただ……?」

 

「後でこうしておけばよかったと後悔しないためにはあらゆる用意をしておく必要があると、俺は思っている」

 

 後悔。その言葉にリィンはポケットの中に入れておいたハーモニカに触れる。

 それでも最後の踏ん切りがつかないリィンにオリビエが最後の一押しをする。

 

「しかし、リィン君の負担が大きいのも事実……

 ではこうしよう。親衛隊の任命はあくまでまだ内定であり、将来的にはリィン君が別の道を進むことを選んで構わない……

 そして先程言った通り、リィン君の存在は帝国の中で大きなものになっている、帰国すれば婚約の申し込みも殺到するだろう……

 なのでオリヴァルト皇子にそこら辺を牽制してもらうというのはどうかな?」

 

「どうかなって言われても……出自不明の浮浪児にそんなことしますか?

 だいたいそこまで融通を聞いてもらえるとは思えないんですが」

 

「安心したまえ、何を隠そうボクとオリヴァルト皇子はただならぬ関係でね。それくらいの無理は聞いてもらえるよ」

 

「まあ……それはそうかもしれないですが」

 

 かつて頂いた親書の一言を思い出して、改めてオリビエとオリヴァルト皇子の性格の相性が良いことを思い出す。

 だがせめて自国の皇子が同性愛者でないことをリィンは切に願う。

 

「それにリィン君は事の重大さがまだ分かっていないようだね……

 婚約を申し込まれるのは何もリィン君だけではないのだよ。シュバルツァー家と縁を結ぶならエリゼ君にも――」

 

「分かりました。この話引き受けます」

 

 オリビエが最後まで言い切る前にリィンは覚悟を決めて、書状と儀礼の短剣を受け取った。

 

「ふ……計画通り」

 

「まだまだだな……」

 

 そんなリィンにオリビエは勝ち誇り、カシウスは苦笑した。

 その二人の表情が何を意味しているのか、この時はまだリィンは何も気付いていなかった。

 

 

 

 

 


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