(完結)閃の軌跡0   作:アルカンシェル

62 / 139
62話 《輝く環》

「あれ……?」

 

 目を覚ましたリィンが最初に見たのは今は懐かしいユミルの自室の天井だった。

 

「どうして……?」

 

 身体を起こして、就寝する直前のことを思い出そうとする。

 だが、奇妙な違和感を感じるだけで靄がかかったように昨日のことが思い出せない。

 思考に没頭していると、ドアを叩く音が聞こえて来た。

 

「朝です……もう起きてますか、リーン?」

 

 扉越しに聞こえる声にリィンは息を飲んだ。

 どうしてそんなに驚いているのか、自分でもよく分からない。

 困惑して返事ができないリィンがまだ寝ていると判断したのか、彼女はドアを開けて部屋に入ってきた。

 

「…………起きてましたか。おはようございます。リーン」

 

 淡々とした冷めた口調。しかし、決して無感情ではない幼い声。

 銀の長い髪のメイド服を着た少女はベッドの上で呆然とするリィンに小首を傾げる。

 

「どうかしましたかリーン?」

 

「い……や……何でもないアルティナ……おはよう」

 

「はい。おはようございます」

 

 ぺこりと頭を下げたアルティナは顔を上げてかすかに微笑む。

 

「食事の用意は済んでいます。リーンが最後になりますので急いでください……

 不埒な……いえ、着替えの手伝いは必要ですか?」

 

「……いや、大丈夫だ。すぐに行くと伝えておいてくれ」

 

「……分かりました」

 

 瞳に不服の色を見せながらもアルティナは退く。

 仕事を覚えてから何かとリィンの身の回りのことをしたがるようになったアルティナに苦笑を浮かべながら、リィンはベッドから抜け出して迷うことなく着替えを始める。

 寝間着を脱いだその胸には傷痕も聖痕もなかった。

 

 

 ……………

 ………

 ……

 

 

 リィン・シュバルツァーは帝国北部のユミルの男爵家に生まれた長男だった。

 家族は両親に血のつながった妹のエリゼ。そして十年前に吹雪の雪山に捨てられていた当時は赤子だったアルティナの四人。

 血の繋がりはないが、シュバルツァー家にとってはすでにアルティナは家族として受け入れられていた。

 

「おはようございます」

 

 リィンは挨拶と共にすでにみんなが揃っていたリビングに入る。

 

「ああ、おはよう……珍しいなリィンが寝坊なんて」

 

 上座に座っていたテオが顔を上げてリィンを迎える。

 

「ふふ、しょうがないわよね。昨日、エステルさんから手紙が届いたんですから」

 

 朝食をテーブルに並べながらルシアが笑う。

 

「むう……」

 

 そして頬を膨らませて不満そうにするエリゼがいた。

 エステルの話題を出すか、アルティナが自分を起こしに来る時にはいつもそんな風になっている妹の姿にリィンは慰めるように頭を撫でて声をかける。

 

「おはよう、エリゼ」

 

「はい……おはようございます兄様」

 

 頭を撫でられて気恥ずかしそうにしながらもエリゼは何処か嬉しそうにリィンの手を受け入れた。

 

 

 ……………

 ………

 ……

 

 

「天気も良いし、今日はみんなで一緒に鷹狩りにでも行かないか?」

 

 朝食が終わるとテオがそんなことを提案して来た。

 

「はい、構いませんよ」

 

 断る理由のないリィンは父の提案に頷くが、異を唱えたのは二人の妹達だった。

 

「父様、今日は帝都に連れて行ってくれるという約束だったはずですが」

 

「んっ」

 

 エリゼが以前の約束を持ち出し、アルティナが同調するようにうんうんと首を縦に振る。

 

「そうなんだがな……

 今帝都では怪盗Bや漂泊の詩人と名乗る変質者が現れたりと危険なんだ。帝都への買い物は日を改めた方が良いだろう」

 

「……そうですか。それなら仕方ないですね」

 

「ん……」

 

 肩を落とす二人の妹達を尻目にリィンは目を手で覆う。

 

「父さん、鷹狩りもいいですけどせっかくだからピクニックをしませんか?」

 

 リィンの提案は名案だと言わんばかりにエリゼ達に賛成された。

 趣味の鷹狩りができないことにテオは肩を落としながらも、乗り気で準備を始める。

 リィンも昼食のお弁当を作るルシアの手伝いをしようと席を立ち、暖炉の上に飾られた太刀が目に入った。

 

「どうしたリィン? お前が太刀に興味を持つなんて珍しいな」

 

「そう……何ですか?」

 

 意外そうにするテオにリィンは聞き返す。

 

「その太刀は皇帝陛下から賜ったシュバルツァー家の家宝だ……

 もっとも武器なんてこの世界には必要ない。ユミルは安全だ。それに何があっても俺がお前たちを守ってやるから安心しろ」

 

「…………」

 

 テオの頼りがいのある言葉にリィンは沈黙を返す。

 飾られた太刀。

 この世界は平和で武器を持つ必要はない。

 例え、危険な魔獣に遭うことになったとしても守ってくれる頼るべき父がいる。

 そんな父が頼もしいと感じる一方でリィンは自分の手を見下ろした。

 そこには剣ダコのない綺麗な手があった。

 

 ……………

 ………

 ……

 

 

 それは幸せな日々だった。

 血の繋がりがないことに不安を感じることもなく。

 自分の中の《獣》じみた力に怯えることもない。

 その手に剣を持つ必要はなく、守られることが当たり前で何も辛いことはない。

 

「リィン達は下がっていろ。こいつは俺が倒す」

 

 巨大な熊の魔獣を前にテオは剣を構えて叫ぶ。

 母や妹達は魔獣の存在に怯えているが、同時に父が必ず守ってくれるという安心がその顔にはあった。

 リィンもまたその安心を胸に感じ――それでも前に足を踏み出した。

 

「もう十分だ」

 

 そう呟くリィンの手には暖炉の上に飾られていた太刀が握られていた。

 

「リィンッ!? 下がっていろと言ったはずだっ! 何をして――ぐっ!?」

 

 リィンの動きに気を取られたテオは魔獣の振り回した腕に剣を弾かれる。

 

「くっ……」

 

 それでもすぐに気を取り直したテオは拳を握り締め、鋭い爪を振り下ろす魔獣に立ち向かう。

 が、その間にリィンは割って入り、魔獣の腕を受け止めた。

 

「リィンッ! どうして――」

 

「ありがとう……良い夢だった」

 

 狼狽するテオに向かってリィンは穏やかな口調で感謝を述べる。

 ここはリィンが望んだ世界。

 シュバルツァー家の長男として生まれたかったと願ったことがあった。

 《鬼の力》に怯えることもなく、厳しい剣の修練で自分を痛めつける必要のない世界。

 エリゼやアルティナと家族として笑い合える穏やかで幸せに満ちた世界。

 どんな危険からも守ってくれる両親がいる世界。

 

「でも、そうじゃないんだ……」

 

 目の前に立ち塞がるのはあの時の魔獣。

 あの時と同じような絶望がリィンに圧し掛かり身体を震えさせる。それはまるで《守られていろ》と言わんばかりの妨害だった。

 

「それじゃあダメなんだ……」

 

 震える身体でありながら、リィンは力任せに魔獣を蹴って突き飛ばして、太刀を振る。

 テオとの戦いでは斬られていた魔獣の毛皮はリィンの攻撃では何故か通らない。

 それでも怯まずにリィンは魔獣の攻撃を軽やかに躱しながら斬撃を浴びせ続ける。

 

「兄様っ! 逃げてっ!」

 

「リーンッ!」

 

 リィンを心配して悲鳴を上げる妹達に悪いと思いながらも、リィンは決して退かない。

 

『戦わなくていい。貴方は私が守る。貴方は幸せであればいい』

 

 太刀を振るたびにそんな思考がリィンを鈍らせる。

 

「違う……そうじゃない……」

 

 そんな思考を否定して、リィンは魔獣を強撃してその巨躯を弾き飛ばす。

 

「もういいっ! 下がりなさいリィンッ!」

 

「リィン! 父さんに任せて、貴方が戦う必要なんてないのよっ!」

 

 心配してくれる両親の言葉にリィンは振り返らずに感謝をしながら、何も感じない胸に手を当てる。

 

「ありがとう……」

 

 この世界を見せてくれた存在に対してリィンは感謝を口にする。

 

「この機会を俺にくれて……」

 

 目の前の魔獣はあの時と同じ、リィンにはどうすることもできない強敵。

 違うことは背後には頼れる両親がいることだが、それは些細なことだった。

 あの時は何も知らず、湧き上がる衝動に任せて選んでしまった道。

 嘆き、怯え、ユン老師と会うまで夜もまともに眠れなかった日々は確かに苦しくて、生きるのをやめてしまいたいとさえ思った。

 

「それでも……」

 

 何も感じない胸に手を当ててリィンは訴える。

 

「この先に死にたいくらいの後悔があったとしても、その先の未来があることを俺はもう知っている……

 だから俺は、何度繰り返すことになっても俺はこれを選ぶ……それに――」

 

 彼女が教えてくれたことを思い出して、それに語り掛ける。

 

「だいぶ言うのが遅れたな……あの時、俺やエリゼを助けてくれて、ありがとう」

 

 何も感じなかったはずの胸の奥で《焔》が産声を上げる。

 それは確かに《獣》じみた得体の知れない力かもしれない。しかしそれでも、それがリィンの代わりに大切なものを守ってくれたことには変わりない。

 そしてそれはあの時に限ったことではない、リベールに来てからも何度も何度も助けられてきた。

 強い精神で御さなくてはいけないと思っていた。

 しかし、本当にそれが必要だったのだろうか。そんな疑問を浮かべながらリィンは続ける。

 

「だから……少し情けないけど、これからも俺に力を貸してくれ」

 

 今度は自分の意志で選び直す。故にリィンとそれは今まで以上に深く結びつく。

 《焔》が意思を持つように勢い良く燃え上がり、リィンを変えていく。

 

「神気合一」

 

 それは今までにない程の一体感だった。

 御するのではなく、受け入れ一つになる。

 《呪い》は《祝福》に変わり、よりリィンと馴染んで力を与えてくれる。

 

「ウガアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 魔獣が野太い咆哮を上げるが、もう恐怖を感じなければ甘い声も聞こえない。

 

「無明を斬り裂く、閃火の一刀――」

 

 あの子が残した太刀にリィンは焔を宿し、振り抜く。

 

「灰の太刀、暁」

 

 刃が通らなかったはずの魔獣を一息で斬り刻む。

 そして残心を怠らず、振り抜いた太刀を鞘に納める。

 鯉口が鳴らして、鞘を納めるとその音を合図にして世界はひび割れて崩壊した。

 

「どうして……?」

 

 暗い闇の中、振り返ると見知らぬ女性がそこにいた。

 おそらくはこの夢を見せた張本人だが、なんとなく本当の姿ではないとリィンが感じた。

 

「どうして、みんな……わたしを拒む?」

 

 エステル達が回収したデータクリスタルを読んでいたリィンは何となく状況を理解する。

 おそらく女性は《環》がリィンと話をするために用意した仮初めの姿。

 そして《環》が封印される前にしていたことをリィンにも実行したに過ぎない。

 多くの願いを叶え、自律し、願われる前に願いを叶えるようになった存在。

 女性を通して感じる気配からは悪意というよりも無垢な、無垢過ぎる感情しか感じなかった。

 呆然と佇む女性にリィンは向き直る。

 

「アルティナは……あんな風に笑ったことはないんだ」

 

「それでも貴方はあの笑顔を見たいと願った」

 

「そうだな……」

 

 リィンは《環》の言葉を肯定し、そして否定する。

 

「いつかあんな風に笑ってくれるんじゃないかと思っていた……

 でもきっと、その時見せてくれる笑顔は、俺が想像もしなかったものになると思っていた」

 

 その笑顔を見る機会が残っているのかは分からない。

 自分の想像の産物だったとしても、アルティナの笑顔が見れたことは確かに嬉しいことだがそれを認めることはできなかった。

 そしてそれはアルティナだけではない。

 

「父さんは優しいけど、厳しい人でもあるんだ……前に猟銃に興味本位で触ったらすごく怒られて拳骨をくらった。すごく痛かったよ」

 

「あの世界にはそんな痛みはなかったはず」

 

「母さんも時々父さんよりも怖い時がある……正直、あの時の事は思い出したくない」

 

「思い出したくないなら、忘れればいい」

 

「エリゼは少し前まではあの夢みたいに慕ってくれていたけど、今はそうじゃない……

 俺から距離を取る様になったし、余所余所しくなった。寂しいと思うけどエリゼももう子供じゃないんだ、兄という存在が疎ましくなったのかもしれないな」

 

「この世界ならずっと一緒にいられる。貴方を否定することは絶対にない」

 

「それは俺の知っているエリゼじゃない」

 

 《環》の言葉にリィンは断言を返す。

 実際に体験して、古代人が危惧していたことがよく分かった。

 幸福で満ち足りた夢がいつでも与えられるのなら人は現実に生きる意味を失ってしまう。

 さらには人の願いを際限なく叶えるということは、矛盾した願いや破滅を願いさえも叶えてしまう可能性もある。

 

「どうして? この世界は誰も貴方を傷付けない。この世界は貴方の願いのはず? この世界なら貴方は幸福のはず? どうして?」

 

 リィンの言葉を理解できずに《環》は何故を繰り返す。

 そこに悪意はなく、ただ純粋に疑問を繰り返す。

 《環》は確かに自律して独自の意志で人の願いを叶えるようになったが、それは生まれたての赤子に等しい存在に感じた。

 その姿にリィンは何も知らなかった少女の姿を重ねる。

 

「幸せって何だと思う?」

 

「幸せとは幸福……心が満ち足りている状態のことを指す」

 

 事務的な言葉が返ってきて、ますますその様にあの子を連想して苦笑してしまう。

 

「そうだな……確かにそうだ」

 

「《痛み》はこの世界に必要ない。違いますか?」

 

「ああ、それは間違ってる」

 

 《環》の疑問にリィンは頷く。

 

「確かに俺はずっと痛かった。でもその痛みがあったからこそ、エステルさんやアルティナ達と出会うことができた……

 この先、アルティナとの本当の別れがあったとしても俺はあの子と過ごした幸福を忘れたいとは思わない」

 

「どうして? それは不幸なはずなのに?」

 

「君がしたことは俺の中のアルティナを殺すことだ。どんなに痛くても、俺はそれを絶対に望まない」

 

「…………分からない」

 

 リィンの眼差しに《環》は疑問を繰り返す。

 

「貴方が望めば、この事件を今すぐに解決することはできる。なのにそれを望まない?」

 

「それは魅力的な提案だな……それでも、うん……君に全てを任せようなんて俺たちは思ってないよ」

 

「…………」

 

 納得がいかないように《環》は押し黙る。

 そんな憮然とする女性にリィンはあの子にするように手を差し出して、その頭を撫でる。

 

「その代わり、一つだけ俺の願いを聞いてもらってもいいか?」

 

「何ですか?」

 

 その言葉を待っていたと言わんばかりに女性は無表情のまま目を輝かせる。

 

「見守っていてくれ」

 

「見守る?」

 

「俺達が《結社》に勝てるかどうか……

 クローゼさん達の御先祖様が選んだ道の結末を、人が《環》に頼らなければ生きていけないただ弱い存在なのか、見届けてほしい」

 

「見届ける……」

 

 困惑の意志が伝わってくるが、それでいいとリィンは思う。

 

「ああ、それで《人》とは何なのか考えてほしい……

 そうすれば、もしかしたら1200年前とは違った答えを出せるかもしれないから」

 

「……………」

 

 その言葉に応えはなかった。

 代わりに黒だった周囲の景色が白く染まり始める。

 覚醒が近付いている。何となくリィンはそれを察して改めて女性を見ると、彼女は笑っていた。

 《輝く環》の超常存在としての笑みではなく、何処か安心したような温かな微笑みにリィンは何故か涙が零れる程に胸を締め付けられ、懐かしさを感じる。

 そんな微笑みがリィンの記憶を刺激するようにある記憶を想起させる。

 

『《リィン》……どうか健やかに育ってくれ……女神よ……願わくばこの子だけは――』

 

 大きな背中の記憶と聞き覚えのある男の言葉。

 その声はおそらく……そして《輝く環》が借りた女性の姿はきっと――

 

「……ぁ…………」

 

 今もまだ胸の奥に小さく残っていた棘が消えたような気がした。

 

「…………そうか。俺は……ちゃんと……愛されていたのか……」

 

 《環》が意図したものではないのだろう。

 ただ思い出させてくれた温かさをリィンは噛みしめ、その温もりを忘れないように夢から現実へと帰還した。

 

 

 

 




 このIFは本編とは何の関係もない話になります。

ブルブラン
「ハーハッハッハッ!
 まさかこの期に及んでさらなる境地に至るとは! 素晴らしいっ! それでこそ超帝国人っ!
 この舞台の最後の相手は君しかいないっ!」

ヴァルター
「おい! 奴とやり合うのは俺が先だ。お前は引っ込んでな」

オリビエ
「待ちたまえ怪盗紳士! 君の相手はボクのはずだ!?」

ジン
「そうだヴァルター俺たちの決着はどうするつもりだ!?」

ブルブラン
「我が好敵手よ。君も分かっているはず、未熟な果実が今まさに最高に至った!
 ならば、今彼と相対しない理由はないだろう?」

ヴァルター
「ククク、そういうことだ……お前との決着はこの次までお預けだ」

 …………………
 ……………
 ……

レーヴェ
「始めるとするか。リィン・シュバルツァー……誰にも邪魔はさせない。俺とお前の最後の勝負を……」

ヨシュア
「レーヴェッ!?」

 …………………
 ……………
 ……


オズボーン
「《リィン》…………ちょっと健やかに育ちすぎていないか?」


ワイスマン
「…………どうしてこうなった?」

クロウ
「俺の見せ場が!?」



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。