(完結)閃の軌跡0   作:アルカンシェル

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66話 二人の遺児

 

 

 

「意外だな……」

 

 リベル=アークで最も高い場所で彼らが来るのを待っていたレーヴェは登って来た一団を見て呟いた。

 

「てっきりあの娘と共に来ると思っていたが、どういう心境の変化だ?」 

 

「ただの合理的な判断だよ……

 エステルはレンに言うことがある。エステル以外の人達にもそれぞれの因縁があるし、余力を残して戦うだなんて考えていられる相手じゃない」

 

「それでお前は空賊などを率いて《剣帝》に挑むと……?

 それの何処が合理的な判断だと言うんだ? リィン・シュバルツァーには一度遅れを取ったが、お前たち程度では役者不足もいいところだ」

 

「何だとっ!?」

 

「ジョゼット待てっ!」

 

 レーヴェの言葉にジョゼットが激昂し、キールが止める間もなく導力銃を抜き撃つ。

 が、正面からの銃撃にレーヴェは少しも怯まずに、黄金の剣を一閃。

 次の瞬間、打ち返された弾丸がジョゼットの導力銃を撃ち壊す。

 

「なっ!?」

 

「まじかよっ!?」

 

「むう……」

 

 あまりの神業に何をされたのか分からなかったジョゼットは腰を抜かしてへたり込む。

 

「さて、これでお前の仲間はもう使い物にならなくなった。どうするつもりだ?」

 

「…………キールさん。ジョゼットを連れて下がっていて下さい」

 

 ジョゼットはもう一丁導力銃を持っているが、そんなこと関係なく《剣帝》に飲まれてしまった。

 おそらくはもうまともに戦えるだけの戦意を維持することはできないだろう。

 

「レーヴェ……何があったの?

 正直、今のはグロリアスで会った時以上の剣の冴えだった」

 

「何……俺もまだまだ未熟だと自覚しただけだ」

 

 ヨシュアの問いにレーヴェは曖昧な言葉で答えをはぐらかす。

 

「それでお前はどうするつもりだ? その役立たず共に足を引かれながら俺と戦うか……

 それともエステル・ブライト達が来るのを大人しく待つか……俺はどちらでも一向に構わないぞ」

 

「…………いや、レーヴェ。《剣帝》には僕一人で挑ませてもらうよ」

 

「おいヨシュア! どういうつもりだ! 俺たちは――」

 

「すいません、キールさん。でも、これは最初から決めていたことなんです」

 

「それにしたって無謀が過ぎるんじゃないか? 確かに俺たちは足手まといのようだが、それにしたってあれと一人でやるのは無謀が過ぎる」

 

 ドルンは意地になっているのではないかと尋ねる。

 

「流石に俺達もここまでは予想していなかったぜ。武術大会で手を抜いていたってレベルじゃないぞ」

 

 ここは戦略的にも一旦退いて、それこそエステル達と合流しもっと大人数、それこそ全員で仕掛けるべきではないかとドルンは提案する。

 

「いえ……おそらく消耗したみんなで掛かっても順に落とされていくだけです……それくらいなら始めからいない方が良い」

 

 いっそうドライなくらいにヨシュアは言い切る。

 それ程までに今のレーヴェは尋常ではなかった。

 

「それはお前とて同じことだ……

 《漆黒の牙》、お前の本分は闇に紛れて牙を突き立てるだけだ。《隠形》という最大の武器もなしに《剣帝》に挑むことの意味が分かってないお前ではないはずだ」

 

「そうかもしれない……

 でも、僕は自分の弱さと向き合うためにここに来た……

 姉さんの死から逃げるために自分を壊したのも、教授の言いなりになり続けたのも……全部、僕自身の弱さによるものだった……

 それを気付かせてくれた人に報いるためにも……

 大切なものを守るためにも……僕は……正面からレーヴェや教授に向き合わなくちゃいけないんだ」

 

 ヨシュアは双剣を抜き、構える。

 

「…………言いたいことはそれだけか?」

 

 ヨシュアの宣言に対してレーヴェは冷ややかな言葉を返す。

 そして、黄金の剣の切先をヨシュアに向けて言い放つ。

 

「ならば俺も宣言しよう。ここで俺はお前を斬る」

 

「っ……」

 

「お前には前に言ったな。切り捨てるならば、そう徹底しろと……

 俺ももっと早く気付くべきだった。俺が《修羅》になるために、俺はお前を一番最初に斬り捨てるべきだった」

 

「レーヴェ……」

 

 何処かでまだ期待をしていたヨシュアは愕然とした気持ちでその覚悟を察してしまった。

 

「どうしたまさか今更臆したか《漆黒の牙》? リィン・シュバルツァーならこの程度では怯まないぞ」

 

 引き合いに出された名前にヨシュアは合理的な思考で頭の片隅で考えてしまった撤退の案を消す。

 レーヴェは本気だ。

 むしろ今までずっと迷惑を掛け続けていたことを考えれば、いつ見放されていてもおかしくはなかったのだ。

 今もなお、何処かでレーヴェに自分の覚悟を証明し、認めさせることができればもしかすればあの頃のような関係に戻れるのではないかと、心のどこかで期待した。

 しかし、レーヴェの一言が全てを物語っていた。

 教授やレーヴェに徹底的に仕込まれた合理的な思考がうるさいくらいに逃げろと警鐘を鳴らしているが、ヨシュアはそれを無視する。

 

「万全の俺にお前の勝機は万に一つもない。勝ち目のない敵には戦うなと教えたはずだぞ」

 

「それでも……

 姉さんが救い、教授が繕い、父さんが解き放ち、そしてエステルと共にあると誓った魂……

 遊撃士としての心得と、《漆黒の牙》としての技……」

 

 そして、彼への対抗心。

 全てを胸にヨシュアは改めて双剣を構え、啖呵を切る。

 

「その全てをもって、《剣帝》に挑ませてもらうっ!!」

 

「いいだろう……来いっ! 《漆黒の牙》!」

 

 二人の戦いの火蓋がここに切って落とされた。

 

 

 

 

 格上の相手に対してヨシュアは突撃することなく、まずは横にステップを踏み、特殊な歩法でレーヴェからの意識を揺らして幻惑する。

 そして残像で気を引いて背後から強襲する。

 それがヨシュアが最初に考え組み立てた戦術だったが、一歩踏み出したところでそれは失敗した。

 

「ふっ……」

 

 宣言と共に踏み出してきたレーヴェの一撃をヨシュアは双剣を交差して受け止める。

 その衝撃を受け止め切れずに後ろに飛ばされたヨシュアは横からレーヴェが回り込み、背後に回るのを見る。

 ヨシュアが地に足を着ける直前にさらにレーヴェの剣が薙ぎ払われ、双剣の片方がヨシュアの手から弾き飛ばされる。

 

「くっ……」

 

 後ろにたたらを踏んで、最初の位置に戻ることになったヨシュアは一本になった剣で、目の前から追撃を仕掛けてくるレーヴェに身構えて――横から殴り飛ばされた。

 

「どうした《漆黒の牙》? まさかこの期に及んで先手を譲ってもらえるなどと甘い考えでいたわけじゃないだろうな」

 

「っ……」

 

 レーヴェの指摘にヨシュアは唇を噛む。

 まさしくその通りだった。訓練の延長、強者としての余裕もあり、かつての手合わせはいつも自分の攻めから始まった。

 それ故に今回も同じように考えてしまった。

 

「それにしては無様が過ぎるな。リィン・シュバルツァーならこの程度の不意打ち、容易に対処していただろう」

 

「ぐっ……」

 

 膝を着くヨシュアをレーヴェは侮蔑の視線で見下ろす。

 

「いつまで膝を着いている? そんな様でどうやって勝機を掴むつもりだ!?」

 

 追撃にレーヴェは間合いを詰めて、ヨシュアがいた場所が蹴り抜く。

 ヨシュアはナイフをレーヴェに牽制として投げ、弾かれた剣を回収して――一気に速度を上げる。

 

「むっ……」

 

 レーヴェを六人のヨシュアが取り囲み、一斉に襲い掛かる。

 

「――鬼炎斬っ!」

 

 それら全てを一太刀で薙ぎ払うが、そこに本物はいなかった。

 そしてその頭上から音もなく本物のヨシュアが襲い掛かる。

 

「ふ……」

 

 落下の速度も合わせた、骨さえ断つ強力な一撃をレーヴェは難なく剣で受け止め、弾き返す。

 ヨシュアはその衝撃に逆らわず、煙幕弾を残してそこから離脱する。

 直後、黒い煙がレーヴェを包み込む。

 しかし、煙幕を使うには場所が悪い。室内ならともかく、浮遊都市の屋上では吹く風に数秒も持たずに煙は吹き飛ばされる。

 が、視界が晴れるとヨシュアの姿はなくなっていた

 

 ――逃げたか……

 

 とは思わない。レーヴェがその姿を探して周囲に視線を走らせると、その背後の足元でヨシュアが足の腱を狙って双剣を振る。

 軽くその場で跳躍してレーヴェはそれを躱し、ヨシュアの頭に手を伸ばす。

 身を捩ってその手を避けそのまま跳んで、距離を取ると共に振り返りヨシュアは再びナイフを投げる。

 今度のそれはレーヴェを狙ったものではなく、レーヴェの足元を狙う。

 仕込まれた爆薬が刃が地面に突き立つことでスイッチが入り、爆ぜてレーヴェの追撃を牽制する――はずだった。

 

「なっ!?」

 

 爆発をものともせずに突っ込んできたレーヴェにヨシュアは絶句し――レーヴェの一閃がヨシュアを捉えた。

 

「がっ!」

 

 防刃性能がある服がその斬撃をある程度防ぐがその衝撃はむしろ体の内側まで響きヨシュアは血反吐を吐きながら、吹き飛ばされる。

 

「どうした小細工を労してなおこの程度か?」

 

「ぐ……」

 

 幸いなことに傷は浅く、まだ戦闘は続行可能。

 それでもすぐに動くことは難しい。

 

「…………ねえレーヴェ……一つだけ答えて欲しいんだ……」

 

 治癒術を気付かれないように小さく使いながら、体が落ち着くまで会話で場を繋ぐ。

 

「どうして教授に協力してこんなことをしているのか……

 前にカリン姉さんの復讐が目的じゃないって言ったよね。『この世に問いかけるため』……それは一体どういう意味なの?」

 

「…………ああ、そんなことも言っていたな……」

 

「え……?」

 

 何処か遠くを見る目をして応えたレーヴェにヨシュアは呆気に取られる。

 

「そんなものはもうどうでもいい……もはや人にそれを問う価値はない……

 俺は《輝く環》のその圧倒的な力を持って、この王国を……そしてカリンを奪った帝国を消し去ると決めたのだから」

 

「なっ!? 本気で言っているのレーヴェッ!?」

 

「当然だ……そしてこれはカリンへの手向けの復讐ではない。俺の《修羅》へ至るための糧であり、俺のためだけの復讐だ」

 

 レーヴェのあまりの言葉にヨシュアは言葉を失う。

 彼にどんな心変わりがあったのか分からない。ただ、レーヴェの本気さだけがヨシュアには分かった。

 そしてそんなヨシュアにレーヴェは凍てついた言葉を掛ける。

 

「お前を殺した後は、当然ここに来るだろうあの娘を殺す」

 

「っ……」

 

「エステル・ブライトだけではない。リベールの王女を始め、帝国の皇子も殺してその死体を送り返してやれば、王国と帝国の戦争を引き起こすこともできるだろうな」

 

「…………レーヴェ……」

 

「ククク……何かおかしいか?

 俺たちの存在を自分たちのメンツのためになかったことにした奴等らへのしかるべき報いだ。俺にはそれを行う資格がある」

 

「そんなこと……絶対にさせないっ!」

 

 激昂するヨシュアをレーヴェは嘲笑する。

 

「フッ……お前に何ができる? 無様に時間を稼ぐことしかできない卑しい暗殺者でしかないお前が俺を止められるとでも?

 リィン・シュバルツァーならまだしも、お前には不可能だ」

 

「っ……」

 

 引き合いに出された名前もそうだが、埋めようのない実力差にヨシュアは押し黙る。

 だからこそ、ヨシュアはもう形振りを構わないことを決断する。

 

「レーヴェ……僕はお前を殺す……」

 

「不可能だと言ったはずだ。お前は結局、いつまで経っても臆病者の泣き虫なのだから」

 

「例え、どんな手を使っても……教授の《殺人人形》に戻って刺し違えることになったとしても、お前は――絶対に殺してやるっ!」

 

 ヨシュアは蒼い錠剤を取り出すと、それを躊躇せずに飲み込んだ。

 

「ぐっ……」

 

 途端に即効性のクスリはヨシュアに力を与える。

 傷の痛みは消え去り、身体に異常な力が漲る。

 

「強化ドラッグか……《漆黒の牙》の奥の手だが。それに頼ることこそ、お前の弱さであり、限界だ」

 

「黙れっ!!」

 

 ヨシュアは双剣を手に疾走する。

 先程よりも速く、そして強い力でヨシュアは嵐のような斬撃を繰り出す。

 長年に渡り調整されたヨシュアの《聖痕》にはリィンのそれとは違い薬物の影響をある程度コントロールする力がある。

 後遺症が残らない代わりに強化される時間が三分だけなのは、レーヴェにも知られている。

 だからこそ、その三分でヨシュアはレーヴェを殺すべく刃を振る。

 

「どうした奥の手を使ってその程度か? リィン・シュバルツァーの《鬼》はもっと殺意に満ちていたぞっ!」

 

「ぐっ……」

 

 双連撃が弾き飛ばされる。

 

「どうした唯一勝るスピードもその程度かっ! リィン・シュバルツァーはそこからカウンターを返してきたぞっ!」

 

「がっ!?」

 

 高速移動の絶影に容易くカウンターを合わされ殴り飛ばされる。

 強化して増大した力と速さにも関わらず、レーヴェは難なくヨシュアを叩きのめす。

 

「あああああああああああっ!」

 

 悲鳴のような雄叫びを上げ、ヨシュアは二つの分け身を作り出す。

 

「秘技――ファントムレイド」

 

 レーヴェの動体視力を振り切って、三人のヨシュアが同時に襲い掛かる。

 しかし、レーヴェは目端に捉える影と、ヨシュアの殺気だけで分け身からの斬撃を受け切り、その合間を縫って二人とも斬り捨てる。

 

「――取ったっ!」

 

 そのわずかな隙でヨシュアは前からレーヴェの懐に潜り込む。

 長剣よりも、短いヨシュアの刃が活きる間合い。

 分け身を斬り捨てたレーヴェは剣を振り抜いた態勢。

 そこにヨシュアは最後の十数秒の力を注ぎ込んで無数の突きを繰り出し――レーヴェの手から剣を弾き飛ばした。

 

「やっ――」

 

 《剣帝》の剣を落とした。

 それを勝利として声を上げたヨシュアの顔面にレーヴェの拳が打ち込まれ、ヨシュアは仰け反って倒れた。

 

「何のつもりだ《漆黒の牙》? 俺を殺すのではなかったのか?

 まさかこの期に及んでそんな方法で俺の《修羅》を止められると本気で思ったのか?」

 

 剣を拾いに行く素振りも見せず、レーヴェは凍てついた眼差しと侮蔑をヨシュアに叩き付ける。

 

「やはりお前は半端者だ……リィン・シュバルツァーなら躊躇わなかっただろうな」

 

「くっ……」

 

 心の何処かでまだ覚悟と力を示せば、レーヴェは退いてくれるのではないかと思っていたヨシュアはレーヴェの本気に打ちひしがれる。

 忍ばせた暗器の類はもうほとんどない。

 クスリの効果も切れ、双剣も通じなかった。

 もはや万策尽きて固まるヨシュアにレーヴェは容赦なく言葉をぶつける。

 

「それともあの失敗作のように、エステル・ブライトをお前の目の前で殺せばその甘ったれた根性がなくなるか?」

 

 それはヨシュアにとっての逆鱗だった。

 

「っ……あああああああああああっ!」

 

 がむしゃらに双剣を振り回してヨシュアはレーヴェに斬りかかる。

 

「ふん……」

 

 素手にも関わらず、レーヴェは拳で剣を横から叩き、ヨシュアの最後の悪あがきを難なく捌いていく。

 

「そうだな……まずは右腕を落とすか?」

 

「っ!?」

 

「その後は両足の腱を切り、あの目障りな目を潰す。そして――」

 

「黙れ! 黙れっ! 黙れっ!!」

 

 ヨシュアの猛攻が激しさを増す。

 分け身によって三人に増えるが、瞬く間に分け身は殴り消される。

 

「脆い。リィン・シュバルツァーなら――」

 

「うああああああああああっ!!」

 

 殴り消された先から新たな新たな分け身を作り出し、レーヴェに襲い掛かる。

 二人消されたのなら、次は三人。

 三人消されたのなら、次は四人。

 四人消されたのなら、次は――――

 分け身を増やすたびにヨシュアの頭をその負荷に悲鳴を上げるが、一切勢いを緩めずにヨシュアは疾走する。

 

「どうしたっ!? ヨシュア・ブライトッ! その程度ではまだクスリを使っていた方がマシだったぞっ!」

 

 そう叫ぶレーヴェだが増えていくヨシュアに対応が遅れ始め、その身に斬撃が届き始める。

 

「――ファントムレイドッ!!」

 

 ヨシュアは叫び、本体を含め九人となってレーヴェに襲い掛かる。

 最初の二人が成す術なく、彼の拳に打ち抜かれ霧散して消える。

 その隙をついて刃を届かせた一人が離脱するよりも早く蹴られて消される。

 背後から強襲した三人が、レーヴェの分け身と刺し違えて消える。

 両側から襲い掛かった二人をレーヴェは首を掴んで止めて、握り潰す。

 そして最後の一人、本体はこじ開けたレーヴェの一瞬の隙に踏み込む。

 極限まで集中した故なのか、全てが止まったかのような錯覚を感じながら、ヨシュアは動かないレーヴェを殺意の剣を振り被る。

 

 そして――

 

 

 

 

 ――それでいい……

 

 自分を殺し得る刃を時が止まったような感覚で見たレーヴェはそこに至ったヨシュアに眩しそうに目を細める。

 散々罵り、挑発したにも関わらず、最後の最後まで踏み切れなかった弟の火付きの悪さにレーヴェは溜息を吐きたくなる。

 

 ――遊撃士の心得は良いが、この先にそんなものは不要だ……

 

 自分の後に控えている《教授》にそんな甘さを残して挑めば必ず付け入られる隙になる。

 そして、今まさに限界を超えて必殺の刃を届かせようとするその姿にレーヴェは自分でも信じられないほどに穏やかだった。

 あの時、アルティナを目の前で殺されたリィンの姿に心の何処かに亀裂が走ったのを感じた。

 後の封鎖区画では彼に自分の《欺瞞》を暴かれ、剣の勝負でも負けた。

 その時リィンの背後に見たカリンの姿は今でも克明に思い出せる。

 ただひたすらにやるせない物悲しい顔。

 そんな顔をレーヴェはそれこそ彼女が生きていた中で一度も見たことはなかった。

 そして、それを見た瞬間レーヴェの中の何かが決定的に壊れた。

 

 ――この道の先に俺の望む答えなどない……

 

 そう悟ってしまったレーヴェにはもう《結社》にいる理由さえも分からなくなった。

 

 ――だが、ケジメは必要だ……

 

 彼にとってのカリンを殺す片棒を担いでしまっただけではない、他にも多くの罪を犯してきた自分にはもう後戻りは許されない。

 アルティナの死体を使って何かを画策していた教授に執行者の強権を振りかざし、その亡骸を焼いたのは償いというには烏滸がましい自己満足だろう。

 そして、これまで積み重ねた罪を償うにしても国という存在に贖罪する事をレーヴェは受け入れることはできなかった。

 故に、その命の使い道はたった一人のために使うのに決まっていたようなものだった。

 目の前の弟は教授に与えられたものを――《漆黒の牙》の殻を破り、とうとう自分を超えた。

 その姿に安堵して、レーヴェはヨシュアの刃を受け入れる。

 

 ――さあ、ヨシュア……俺を殺して、それをお前の禊にしろ……

 

 ヨシュアの中では自分は狂った復讐者として残り、いつか忘れ去られるだけの存在になるだろうが構わない。

 

 ――所詮俺は悪党……その程度の結末がお似合いだ……

 

 ヨシュアが振り被った刃がようやく動く。

 自分を殺す刃。

 弟が手に入れた力を最後に目に焼き付けるように見据え――双剣は投げ捨てられた。

 

「何――!?」

 

 直後、ヨシュアの拳がレーヴェの顔面に叩き込まれた。

 

 

 

 

「…………何のつもりだ、ヨシュア?」

 

「……それは…………こっちの…………セリフだよ……レーヴェ」

 

 拳をレーヴェの頬に当てたままの状態で固まったヨシュアは息を絶え絶えにしながら、レーヴェに言葉を返す。

 直前まで、それこそ本気でレーヴェを殺すつもりで剣を振り被った。

 しかしその瞬間、彼の背後に見たのは今は亡き姉の姿だった。

 その姿を見た瞬間、真っ黒に染まっていた思考は一瞬で晴れ、目の前には先程まで悪辣に振る舞っていたレーヴェが満ち足りた顔をしてヨシュアの剣を受け入れようとしていた。

 気付いたら剣を投げ捨て、その馬鹿面を力の限り殴っていた。

 

「何のつもりだよ。あんな心にもないことを言って……」

 

 冷静になった頭で改めて考えれば、自棄になっていたとしてもあまりにらしくないことばかりだった。

 殊更にリィンの名前を出して煽り、エステルを殺すと言って挑発した。

 挙句の果てには分け身は躊躇なく殴り消したにも関わらず、本体には致命傷になる攻撃は一度もしていなかった。

 

「………………」

 

 ヨシュアの問いにレーヴェは何も返さない。

 だから、ヨシュアは一方的に続ける。

 

「姉さんを……見たよ……悲しそうで……もうやめてって言ってるみたいで……あんな顔は初めて見た」

 

 見返しても、刹那の幻だったのか、レーヴェの背後にあの懐かしい姿はない。

 レーヴェはかすかに震えたが、やはり何も言わない。

 そんな彼に業を煮やしてヨシュアは叫ぶ。

 

「ふざけるなっ!」

 

 頬にぶつけたままの拳を引き、逆の頬をヨシュアは殴りつける。

 

「死んで楽になろうとでも思ったのか!? それは《逃げ》じゃないのか!? 答えろっ! 《剣帝》レオンハルトッ!!」

 

 激情のままヨシュアは叫ぶ。

 そんなヨシュアにレーヴェは長い沈黙の末に口を開く。

 

「ヨシュア、俺はお前のことが本当は疎ましかった」

 

 次の瞬間、レーヴェの拳がヨシュアの腹にめり込んだ。

 

 

 

 

「ヨシュアッ! ついでにジョゼットッ!」

 

 レンとの戦いを終わらせて中枢塔の頂上に辿り着いたエステルは想像もしていなかった次元の戦いが繰り広げられていた。

 

「僕もレーヴェが大嫌いだったよ! いつもいつも姉さんと一緒にいて、一番きれいな笑顔を向けてもらっていたレーヴェなんていなくなればいいって何度も思ったよ!」

 

「それはこちらのセリフだ! いつもいつもカリンの後にべったりで二人きりの時をいつも出てくるお前が心の底から邪魔だと思っていたんだ!」

 

 二人は互いに罵り合って殴り合っていた。

 

「…………何これ?」

 

 二人の口から出て来たとは思えない低俗な言葉にエステルの頭は理解を拒絶する。

 

「あ……エステル……」

 

 呆然と二人の喧嘩を眺めていたジョゼットはエステルに戸惑った顔で振り返る。

 

「何があったのジョゼット? 何でヨシュアとレーヴェがあんなキャラ崩壊させてるのよ!?」

 

「そんなのボクだって分かんないよ! さっきまで凄い殺し合いをしていたのに、突然あんな風になっちゃって。もう何がなんだか……」

 

 困った顔で取り乱すジョゼットだが、その背後のキールとドルンは何かを悟ったように笑って二人の殴り合いを眺めて手を出そうとしない。

 

「えっと……とにかくヨシュアに加勢を」

 

 見ればレーヴェは剣を落としている。

 ならばここでヨシュアに加勢して一気にレーヴェを倒すとエステルは意気込み、踏み出した。しかし――

 

「やめておけ」

 

 その肩を一緒に屋上へ上がってきたアガットが掴んで止めた。

 

「アガット、でも……」

 

「ただの兄弟喧嘩だ。止めるのは野暮だろ」

 

 直前まで落とし前を付けると息巻いていたアガットはしたり顔で肩をすくめる。

 

「そういうことだ。大人しく勝負が決まるのを待ってようぜ」

 

「ガハハハッ! 男兄弟なんて一皮剥けばこんなもんだぞ、お嬢ちゃん」

 

 キールとドルンがそれに便乗する。

 

「えぇ……」

 

「あうあう……ヨシュアお兄ちゃん……」

 

 ティータもまたその光景に戸惑っていると、エステル達に遅れて次々に仲間たちがその場に現れる。

 

「ああっ! ボクのヨシュア君があんなにも心の内を他の男にさらけ出すなんて、ボクのシャイな男心はジェラシーでバーニングさっ」

 

 オリビエが戯けたことを言い出すが、男衆は満場一致でこの低俗な戦いに静観の構えだった。

 

「ああ! もうっ! 男ってめんどくさいっ!」

 

 そんな当てにならない男共に痺れを切らして、エステルは大きく息を吸って――

 

「ヨシュアッ! 負けるんじゃないわよっ!!」

 

「エ、エステルさん!?」

 

 突然上げた声援に隣にいたクローゼは身を竦ませる。

 

「これくらいは良いでしょ?」

 

 加勢を止める男共に聞き返せば、したり顔の笑顔が返って来た。

 そして、エステルの声援に続いて次々にヨシュアを激励する言葉が飛び出した。

 

 

 

 

「やれやれ……騒がしいものだな」

 

 騒がしくなった外野にレーヴェは肩を竦める。

 

「そう思うなら、さっさと倒れてくれないかな」

 

「ふん……生意気な口を利くようになったものだな……」

 

 口ではそう言いながら、ヨシュアの背中越しに見る彼の仲間たちの姿を見てレーヴェは満更でもない笑みを口に浮かべる。

 この声援がヨシュアがこの五年で手に入れたものだと思うと、清々しい気持ちになる。

 

「悪いけど……エステル達が見ているんだ……勝たせてもらうよ。レーヴェ……」

 

 ヨシュアが拳を握り込み、最後の力を振り絞る様に振り上げる。

 レーヴェもまたヨシュアと同じで限界だった。

 その一撃をもらえば、おそらく立てないだろう。

 そして、それを受けるのもいいかと思いながらレーヴェは――振り抜かれた拳を掻い潜り、カウンターのアッパーがヨシュアを天高く殴り飛ばした。

 

「お前が俺に勝つなんて十年早い」

 

 彼の兄としての意地を優先したレーヴェの顔は晴れやかだった。

 

 

 

 






 主人公、名前は連呼されるのに今回は出番なし。




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