(完結)閃の軌跡0   作:アルカンシェル

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68話 《聖痕》

 

「もしもの時は君に僕を斬って欲しい」

 

 昨夜、強化ドラッグを受け取った時にヨシュアがそんなことを言い出した時には何事かと思ったが、彼が危惧していたことが起きてしまった。

 リィンの目の前には虚ろな瞳をしたヨシュアが双剣を構え、ワイスマンの前に立っている。

 彼の剥き出しの肩には深層意識の中に刻まれた《聖痕》の象徴になっている紋様が怪しい光を灯していた。

 

「っ……」

 

 リィンは思わず自分の胸に手を当てる。

 ケビンの診断ではワイスマンがリィンに刻んだ《聖痕》はそれ程の効果があるものではないらしいが、だからと言って目の前でヨシュアを見てしまうと不安になる。

 

「どうやらその様子だとヨシュアから予め聞かされていたようだな? 大方、このような事態になったら斬ってくれとでも頼まれたのかね?」

 

「…………っ」

 

 その問いに肯定を返さず、リィンはヨシュアの横をすり抜けてワイスマンに斬りかかる。

 が、目前のところで回り込んだヨシュアにその刃は弾かれた。

 

「フフ……つれないなあ……

 だが、無駄だよ。私の身を守ることはヨシュアに最優先行動として刷り込んである……

 私を倒せば、ヨシュアは解放されるという着眼点は悪くないが、それはまず不可能だと言っておこう」

 

 ヨシュアを避けて、ワイスマンだけを倒す。

 それは思っていたよりも難しいとリィンは断念するしかなかった。

 

「それにしてもリィン・シュバルツァー、君には脱帽したよ」

 

「いきなり何を言い出す?」

 

「純粋な賞賛さ……

 まさか、《鋼の聖女》が勝手に《福音計画》に関わってくるとは思わなかったよ……

 しかし、君はそれを退けてきた。その偉業にできることなら勲章の一つでも授けたいところだが、残念なことにそんなものは用意していなくてね」

 

「生憎だけど、俺はあの人にちゃんと勝ったとは思っていない」

 

 本心からリィンはその賞賛を拒絶する。

 罠に罠を重ね、最後は十分な力を発揮できない場に引きずり込んで得た勝利だ。

 彼女も敗北を認めたのだが、最後の最後、身動きの取れなかった自分を腕一本のみで軽々と浮遊都市に投げ込んでいった事もあり、今一つ本当に勝った気になれてはいなかった。

 

「いやいや、十分に誇っていい戦果だ……

 しかし、それにしても聖女も意外と大したものではなかったようだな。まさかこのような子供に遅れを取るとは」

 

「あの人の侮辱は許さないぞ」

 

 ワイスマンの言葉にリィンは顔をしかめて言い返す。

 敵であり交わした言葉こそ少なかったが、彼女は決して目の前の外道に悪く言われるような人ではなかった。

 

「いや、あれでも《結社》最強と呼ばれる《使徒》の一人……

 確かに君は特殊な《異能》を持っているが、それを差し引いたところで成人もしていない子供に負けるなんて不甲斐ないとしか言うことはできないな」

 

 しかし、仲間のはずのワイスマンの口は止まらない。

 

「《劫炎》を君に嗾けた最大の目的は、君の力を消耗させる事だったのだよ。もちろん、盤上からの排除が出来れば最良の結果ではあったのだがね」

 

「俺を消耗させる?」

 

「君が手に入れた《騎神》……そして君自身の力……それは計画を大いに狂わせる要因だった……

 だからこそ、この最終局面で君が十全の状態で辿り着けないように彼を配置した……

 聖女が横槍を入れて来たせいで、少々盤面は狂ってしまったが、《劫炎》が担うはずだった役割を彼女はきちんと達成してくれた……

 だが《武闘派》の《使徒》を名乗るのなら、君程度の存在は簡単に倒せると思っていたが、どうやら私は彼女を買い被っていたようだ」

 

「…………言いたいことはそれだけか?」

 

 好き放題言うワイスマンに反論することは無駄だと判断してリィンは太刀を構える。

 女剣士が騒ぎ立てる幻聴――万死いや億、兆死に値するぶっ殺せと――叫んでいるような気がした。

 程度の差はあれリィンも彼女と同じ気持ちだった。

 

「フフ……今の君は《鬼の力》を使うことはできない。違うかな?」

 

「…………答えるつもりはない」

 

 素っ気ない言葉を返すものの、ワイスマンの指摘は的を射ていた。

 ドラギオンに乗っていた時に試したが、いつも感じている胸の中の焔が異様に小さくなっているのを感じた。

 呼びかけても揺らぎもしない。

 それ程までに弱々しくなった《焔》を感じるのはリィンも初めてだった。

 

「答えなくても構わないよ。どうせすることは同じだ……

 果たして君は私の最高傑作であるヨシュアを斬ることができるのかな?」

 

「それは……」

 

「フフ……さあ、ヨシュア。まずはリィン・シュバルツァーから始末したまえ」

 

 ワイスマンの命令にヨシュアが動く。

 三人に分身し、一斉に斬りかかって来るヨシュアをリィンは落ち着いた心で迎え撃つ。

 刃を弾き、分け身の二人を斬り伏せ、本体を殴り、押し返す。

 

「…………何だと!?」

 

 その結果にワイスマンは目を剥いて驚く。

 

「これがあんたの言う最高傑作か? 《鬼の力》を使うまでもない、以前に戦った時の方がずっと強かったよ」

 

 速度や力など単純なものは確かに向上しているがそれだけだった。

 駆け引きもない太刀筋は容易に見切ることができ、大幅に向上した力もただ真っ直ぐに振るわれるだけで簡単に受け流せる。

 

「《魂》の篭っていない剣なんかで俺を倒せると思ったら大間違いだ……もっともあんたのような人間に言っても分からないだろうけどな」

 

 自分ではなくても、《達人》と評されているジンやミュラーなら同じことを言っていただろう。

 例外としてはエステルだろうか。

 彼女はいくら口で強がってみせたとしても、ヨシュアと真っ向から戦うことはできなかっただろう。

 

「言ってくれるじゃないか……

 まあ私は《武芸者》ではないからそんな不確かなものを信じることはできないが、目の前で実証されてしまっては認めるしかあるまい」

 

 リィンの言葉をワイスマンは先程の驚愕が嘘だったかのようにあっさりと受け止める。

 

「どうやらヨシュアにはまだ改良の余地があると知れただけでも良しとさせてもらおう」

 

「随分と余裕だな?」

 

「ああ、全くもって問題ない。これくらいはまだ想定の範囲だ」

 

 ワイスマンの言動にはったりではない凄みを感じてリィンは身構える。しかし――

 

「ではまず、君の認識を奪わせてもらうとしようか」

 

 パチンと指を鳴らすと、リィンの目に映っていたワイスマンとヨシュアが入れ替わる。

 

「っ!?」

 

「これで君は今、私とヨシュアを入れ替えたように認識が変わったはずだ」

 

「それが何だって言うんだ?」

 

 確かにヨシュアにワイスマンの顔を重ね、逆にワイスマンの顔にヨシュアを重ねるという形で認識がおかしくなったが、それだけでどうなるわけではない。

 それぞれの武装の違いはそのまま認識できているので、何も問題はない。

 

「フフ……まあそう焦らないでくれたまえ……

 創造主として我が《聖痕》に命じる。君の怨敵であるゲオルグ・ワイスマンを殺したまえ」

 

「なっ!?」

 

 次の瞬間、リィンの胸に刻まれた《聖痕》が形を変える。

 闇色に光る線が不規則にリィンの体中に伸びて、剥き出しの手や首、そして顔にまで侵食していく。

 

「ぐっ……」

 

 《聖痕》がまるで《鬼の力》のようにリィンにドス黒い感情を叩き付け、ワイスマンを殺せと騒めく。

 握った太刀に力が篭り、足はワイスマン、と誤認しているヨシュアへと向かう。

 

「違うっ……」

 

 歯を食いしばって衝動に耐えていると、ワイスマンはさらに《聖痕》に命令を与える。

 

「《聖痕》よ……《鬼の力》を引き出したまえ」

 

 弱っていることなど関係ないと言わんばかりに《聖痕》が《鬼の力》にまで侵食して力を無理矢理絞り出される。

 黒い感情がさらに昂るが、それでもリィンは刃をヨシュアと誤認しているワイスマンに向ける。

 

「ほう……まだ正気を保つとは、ではこれならどうかな?」

 

 彼が指を鳴らすと、そこに一人の少女が転移して現れた。

 

「本当ならば《Oz74》を使いたかったのだが、彼女は工房へと引き取られてしまってね……申し訳ないがこちらで代用させてもらうよ」

 

 長い銀髪の、自分と同じ歳くらいの少女は感情のない目をしてそこに立ち尽くしていた。

 

「では、最後の仕上げとさせてもらおう……ヨシュアよ、《Oz63》を殺せ」

 

「やめろっ!」

 

 振り下ろされた刃をリィンは寸前のところで受け止めることができた。

 しかし――

 

「ごふっ……」

 

 ワイスマンが放った光の剣が少女を背中から貫いた。

 血を口から吐き出した少女が倒れる。

 そこにさらに光の剣が殺到し、少女の体に突き立っていく。

 

「どう……して……」

 

 少女は虚ろな瞳をリィンに向け――

 

「どうして助けてくれないの、リーン?」

 

 無垢な恨み言を残して、少女は事切れた。

 

「ゲオルグ・ワイスマン……」

 

 耐えなければいけない。これは全て彼の仕込みに過ぎないのだから。

 アルティナのような言葉遣いも、似ている容姿も全てワイスマンがリィンを煽るために用意したものに過ぎない。

 しかし、それでもリィンはあの時の光景を思い出してしまう。

 

「ヨシュアよ。リミッターを解除して、リィン・シュバルツァーを殺したまえ」

 

 ワイスマンの命令にヨシュアの肩の《聖痕》が応じるように一際大きく光り輝き、リィンと同じように光の線が血管のようになってヨシュアの体を侵食する。

 先程とは比べ物にならない速さと力。

 まさしく体のリミッターを取り払った力で襲い掛かってくる忌むべきワイスマンと刷り込まれた存在からの猛攻にリィンの理性は瞬く間に削られ――

 

「オオオオオオオオオオッ!」

 

 抑え込んでいた理性の壁が崩壊し、獣じみた咆哮を上げてリィンの髪が白く染まる。

 それに対してヨシュアは冷めた眼差しのまま二人は激突した。

 

 

 

 

「あんたは……」

 

 金縛りに身動きが取れない状態のまま、エステルは目の前で起きた最低最悪な三文芝居に絶句した。

 エステルだけではない。クローゼも、ケビンも目の前で見せられたものに言葉を失っていた。

 

「フフ……所詮はその程度か……

 見ていたかね? あれだけの大口を叩いておいて、少し揺さぶられただけで彼は簡単に獣に成り果てた……

 やはり人間の《心》など強さを計るものとしては曖昧でいかん。そう思わないかね?」

 

「ふざけんじゃないわよ……」

 

 もはや怒りの感情が湧き過ぎて怒鳴ることさえできなかった。

 

 ――何が簡単にだ……

 

 リィンの心の隙間を縫う様に刺激しておいて、ぬけぬけと言うワイスマンにエステルは激しい怒りを感じずにはいられない。

 

「こんのぉぉぉぉぉぉ!」

 

 金縛りで身動きが取れないなんて関係ない。

 気合いを体に漲らせてエステルはとにかく抵抗をする。

 

「エステルさんっ!」

 

「無茶や! 力でこの術を解くのは――」

 

「どりゃああああああああっ!」

 

 気合いの雄叫びを上げ、全身に金の闘気を漲らせエステルは《魔眼》を打ち破った。

 

「うっそやろ……」

 

「エステルさん……すごい……」

 

 その結果に未だに金縛りに囚われたままのケビンとクローゼは呆気に取られるが、エステルは闘気を霧散させその場に膝を着いた。

 

「エステルさん!?」

 

「だ…………大丈夫……ちょっと息が切れた……だけだから……」

 

「まさか私の《魔眼》を自力で打ち破るとは思っていなかったよ。流石は剣聖の娘と言ったところかな」

 

「うっさい! それよりも覚悟しなさい! あんたをぶっ倒して二人を止めてやるんだから」

 

「フフ……意気込むのは勝手だが、《魔眼》を破るのに疲弊した君にはたしてそれができるのかな?」

 

 立ち上がって棒を構えたエステルを威嚇するようにワイスマンの周囲に導力戦術殻が浮かび上がる。

 

「っ……」

 

「それよりもどうかね?

 君たちが演じた劇の様に、君が二人の間に割って入った方が案外二人とも止まるかもしれないと思わないかね?」

 

「演じた劇?」

 

「学園の文化祭……確か演目は《白き花のマドリガル》だったかな。奇しくもあの劇と似た場面になったと思わないかね?」

 

「はぁ? 何言ってんのよ!?」

 

「分からないかね?

 片や国に故郷を奪われ、暗殺者として殺しの技を覚えた男……

 片や貴族の家に拾われ、《剣聖》へと至る光の道を歩んできた男……

 色の配役は違えど、庶民と貴族。同じ姫君に心を寄せた者同士が戦っていると言う点ではあの劇と同じではないかな?」

 

「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ! ヨシュアはともかくリィン君があたしを好きになるなんてあるわけないじゃないっ!」

 

 エステルのその言葉にワイスマンとクローゼ、そしてケビンは心を一つにしたかのように沈黙した。

 

「え……何? どうしたの?」

 

「エステルさん……それは……何と言うか……」

 

 金縛りに囚われていなければクローゼは目を伏せ、両手で顔を覆っていただろう。

 

「エステルちゃん。それはあまりにもリィン君が不憫やろ」

 

「ケビンさん!? 何言ってるのっ!?」

 

「エステル・ブライト……君も中々に罪な人間のようだな……

 まさかあれだけの思いを向けられていて、欠片も気付いていないとは」

 

「ええっ! 何であたしが責められてるのよ!?

 って、それじゃあリィン君が戦いが終わったら話があるって、もしかして……」

 

 エステルは背後の二人の顔を伺うと、二人はさっと目を逸らした。

 

「うそ……いや……でもあたしにはヨシュアが……」

 

 場違いなところで知ってしまったリィンの本心にエステルは混乱して頭を抱える。

 そんなエステルに愉悦の笑みを浮かべてワイスマンが促す。

 

「さて、どうするエステル・ブライト? 女神の奇跡を信じ、姫がしたように二人の間に割って入るかな」

 

「あたしは……」

 

 演じた劇のことを思い出してエステルは唸る。

 赤と蒼の騎士はエステルとクローゼ、姫はヨシュアだった。

 対立する二人を止めるために姫はその身を犠牲にしたが、その後は奇跡が起きて姫は生き返った。

 

「さあ、時間はもうないようだが、どうするかね?」

 

 促されて見れば二人の戦いは最高潮に達しようとしていた。

 

「ヨシュア……リィン君……」

 

 考えるよりも先にエステルは前に踏み出していた。しかし、一歩を踏み出したところでワイスマンの《魔眼》が再び彼女を縛り付けた。

 

「フフ……」

 

 聞こえてくる笑みはどこまでも底意地の腐ったものだった。

 二人が動く。

 黒い闘気を纏ったヨシュアが双剣を逆手に構え、疾走する

 対する灰色の焔を宿した太刀を大上段で構えたリィンも真っ直ぐに疾走して、ヨシュアを正面から迎え撃つ。

 

「やめてぇぇぇぇぇぇぇっ!!

 

 エステルは目を瞑って叫ぶ。

 そして、驚くくらいに静かな交差の音が響いたかと思うと、エステルの足元に何かが落ちた。

 

「…………あ……」

 

 それを見た瞬間、全身から血の気が引いた。

 

「そんな……」

 

「ちっ……」

 

 背中合わせになった二人の内、一方は何事もなかったかのように立ち尽くし、もう一方は腕を押さえてうずくまる。

 

「フフ……どうやらヨシュアの勝ちのようだな」

 

 その結果にワイスマンは勝ち誇り、ヨシュアが斬り飛ばしたリィンの右腕を見て満足そうに頷く。

 

「さあ、ヨシュアよ。リィン・シュバルツァーの息の根を止めろ」

 

「やめてヨシュアッ!」

 

 エステルの悲痛な悲鳴が響き渡る。

 しかし、それを掻き消すようにワイスマンの興奮した言葉が続けられる。

 

「リィン・シュバルツァーの死をもって彼の《聖痕》はお前に移る。そうすれば《鬼の力》はヨシュアのものとなり、ヨシュアは《超帝国人》へと至ることができる……

 さあ、早く。彼を楽にしてあげたまえ、超帝国人ヨシュア・アストレイッ!」

 

「………………その呼び方はやめて欲しいな」

 

 次の瞬間、ヨシュアの姿が霞の様に消えて、ワイスマンの目の前に現れる。

 

「な……!?」

 

 鋭い斬撃が杖を弾き飛ばし、ワイスマンは慌てて転移術で距離を取る。

 

「あ……」

 

「へへ……金縛りが解けたか……」

 

「ヨシュ……ア……?」

 

 金縛りが解けたエステルはその場にへたり込んで、彼を見上げる。

 が、ヨシュアはそんなエステルを無視して叫ぶ。

 

「ケビン神父っ! クローゼッ! リィン君の手当てを早くっ!」

 

「あ、はいっ!」

 

「ったく、無茶しやがって」

 

 ヨシュアの叫びに二人が動く。

 ケビンは転がったリィンの右腕を拾って、うずくまるリィンに駆け寄っていく。

 

「ば、馬鹿な……あの状態から意志を取り戻せるはずがない……現に《聖痕》はまだお前の肩に――」

 

 言葉の途中でワイスマンはその光景に絶句して言葉を止めた。

 ヨシュアの肩に描かれた《聖痕》に一筋の線が走ると、それに灰色の焔が灯り《聖痕》を焼き消した。

 

「見ての通り、僕の深層意識に貴方が刻んだ《聖痕》はリィン君が焼き斬った」

 

「あ、ありえない……奴は私の《聖痕》によって意識を暴走させていた……そんな神業ができるはずがないっ!」

 

「ど、どうだ……白面のワイスマン……あんたが望んだとおり……《ワイスマンの聖痕》を斬ってやったぞ……」

 

 ケビンたちの手当てを受けながら、左手に太刀を握ったリィンは勝ち誇ったように宣言した。

 それを横目にヨシュアは一先ずの安堵の息を吐きながら、ワイスマンへ向けて言う。

 

「僕は《聖痕》の一点に、暗示の楔を打ち込んで操られた時の対策をしておいた」

 

「そんなことは想定内だっ! カシウス・ブライトなら気付いていてもおかしくない……

 だがお前が打ち込んだ一点は、《エステル・ブライトをその手で殺す》ことのはずだ!」

 

「それは間違っていない。だから貴方は僕にエステル以外を殺せと命じた。本来ならそれを外した時点で僕は詰んでいたはずだった」

 

「そうだ。お前は賭けに負けたはずだっ! だったら――」

 

「貴方の敗因はリィン君を侮ったことだ」

 

 狼狽したワイスマンにヨシュアはそれを突き付ける。

 最後の激突の瞬間、リィンは右手に持っていた太刀を左手に持ち替えて振り抜いた。

 右手から来る斬撃と合わせるはずだった刃はその腕を斬り落とし、ヨシュアは無防備な状態でリィンの一太刀を受けた――はずだった。

 ヨシュアにも理屈は分からない。

 ただその一太刀はヨシュアの体を傷つけることはなく、《ワイスマンの聖痕》だけを捉え、ヨシュアをワイスマンの呪縛から解放した。

 

「リィン君には感謝してもしきれないよ」

 

 同時に罪悪感に押し潰されそうになるほどに申し訳なくも思う。

 ヨシュアを《聖痕》から解放する代償に、リィンは右腕を斬り落とされた。

 それがどれほどのことを意味するのか、分からないヨシュアではない。

 だが、感謝も謝罪も後回しにしてヨシュアは未だにへたり込んでいるエステルに声を掛ける。

 

「エステル、行ける?」

 

「あ……うんっ!」

 

 ヨシュアに話しかけられて呆然としていたエステルは頷き、立ち上がる。

 

「手を貸してほしい。リィン君の分も含めて……教授、貴方を倒すっ!」

 

「もう何がなんだか分からないけど、覚悟しなさいっ!」

 

「クッ……いいだろう……

 《盟主》の忠実なる僕――蛇の使徒が一柱、《白面》の力、見せてやろう!」

 

「望むところよ!」

 

「全力で行かせてもらうよ!」

 

 

 

 

「なんちゅう無茶をしやがったんやお前は!」

 

 斬り落とされた右腕の傷口を合わせ、法術で治療するケビンはリィンの頭を叩きたい気持ちで一杯だった。

 しかし、相手は重症人。そんなことできるはずもなく、ケビンは治療に集中する。

 

「姫さん、わいの矢折ってええから、それを添え木にしてリィン君の腕を固定してくれ」

 

「はいっ!」

 

 クローゼはケビンの指示通りに動く。

 

「で……リィン君、君どのへんから意識あったんや?」

 

 治療に集中しながらケビンは気になっていたことを尋ねる。

 

「意識はずっと残っていました……

 ただ体は縛られていたように自由が利かなくて、それでも何とかしなくちゃいけないって考えていたんです」

 

 結構な量の血を失って顔色は悪いが、受け答えがしっかりしていることに一先ず安堵する。

 

「目の前のワイスマンがヨシュアさんなのは分かっていました……

 抜け道がないかと必死に考えて出て来たのが、《ワイスマンの聖痕》だけを切れば、俺に刻まれた《聖痕》は命令を達成したと認識して大人しくなってくれるんじゃないかと思いました」

 

 それで実際に実行して達成したリィンにケビンは最早恐ろしさを感じる。

 

「あんな風に……《鬼の力》を使えたのは初めてでした……もうほとんど出し尽くして……

 最後の一欠片の力だったのに……なんていうかすごくきれいに斬れた気がします」

 

「それはきっと疲れ切っていたから出せたものやろな」

 

 人でも良くある話だ。

 疲れ切った状態の人は最も無理のない動作をしようとする。

 無尽蔵の体力と力を与えるかに見える《鬼の力》にも、限界があってもおかしい話ではない。

 発動出来ぬほどに疲弊したそれをワイスマンの《聖痕》が無理矢理引き出し、残り僅かな力を自覚して振るった今のリィンは、《鬼の力》の最も効率の良い動かし方を覚えたことに他ならない。

 そして《聖痕》だけを斬るという神業をやってのけたのは、《理》の外の技術で作られた太刀によるものも大きいだろう。

 

「は……まさに《策士策に溺れる》やな……」

 

 ここまでされると最早嫉妬することさえ馬鹿馬鹿しい。

 むしろ、これだけがむしゃらに前を向き突き進む姿に胸の奥を熱くさせられる。

 

「一先ずこれでええやろ。でもなリィン君……君はこれ以上戦ったらあかん」

 

 法術による治療を終えて、ケビンは医学を学んだ者としての顔になる。

 

「斬られた腕や指はすぐに処置すれば、くっつく事例はある……でも、また同じくらいに剣が振るえるようになるかは分からん……

 ともかくこれ以上の戦闘は認めるわけにはいかん。せっかくくっつけた腕が最悪二度と元に戻らなくなる可能性があるからな」

 

「そう……ですね……」

 

 表面的に繋がったように見える右腕にリィンは力を込めてみるが指はピクリとも動かない。

 

「あんまり悲観しなくてもええ、法国に行けば俺以上に治癒術を使える奴に心当たりがおるから、長い時間はかかるかもしれへんが――」

 

「大丈夫です」

 

 ケビンの慰めを遮ってリィンは苦笑を浮かべて見せる。

 

「戦えば、腕を失うのはもちろん、死ぬことだってあるんです。ヨシュアさんの命を救った代償が俺の腕一本だった……今はそれで十分です」

 

「そうか……」

 

 リィンの強がりにケビンは目を伏せ、それ以上の説明はやめた。

 そして――

 

「リィン君……」

 

 そして、ケビンの話が終わったとみるや、クローゼがぞっとするような声を響かせてリィンの肩を掴んだ。

 

「私……前に言いましたよね? 無茶はしないって」

 

「い、いや……でもクローゼさん……今回のは――」

 

「言いましたよね?」

 

「…………はい」

 

 絶望的な局面を腕一本の犠牲で切り抜けた。

 しかし、それで納得してもらえるはずもなく、リィンはクローゼに頭を下げることしかできなかった。

 もっとも、後で姉弟子にも同じように怒られるのだろうなと、リィンは悟った顔で憂鬱になるのだった。

 

 

 


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