今回はプロローグなので短いです。
70話 異界~新たな始まり~
七曜歴1203年十二月。
あの《リベールの異変》から十ヶ月が経とうとしていた地をオリビエは再び踏むことになった。
「やれやれ……まさかこんなにも早くリベールの地を踏むことになるとはね」
王都グランセルの空港に到着したオリビエは感慨深く、目の前の光景を見渡した。
同年二月に起きた《リベールの異変》からすっかり元通りになった街並みにオリビエはこの光景が祖国に蹂躙されることがなくてよかったとおもう一方で物悲しさを覚えてしまう。
「オリビエ……」
「ああ、分かっているよミュラー……さっそく王宮へ向かおうじゃないか」
ふざけることもなくオリビエは親友に促されて歩き出す。
パルム地方の視察を中止してまで来たリベール。
すでに最悪の結果を受け入れる覚悟はできている。
だからこそ、重い足取りだがオリビエは義務を果たすために歩き出す。
「……あの時も言ったが、あまり抱え込むなよ」
「分かっているさ……」
気遣う言葉にオリビエは軽い調子で返す。
しかし、その目はいつもの気楽さがないことにミュラーは溜息を吐いてそれ以上は言わずに彼の後を歩く。
時間にすれば十ヶ月も前。
《輝く環》の消失によって崩壊を始めた浮遊都市からの脱出劇はエステルとヨシュアが取り残されたと思ったが、彼女たちは古竜に乗ったカシウスに助けられた。
それで大団円になるはずだったのだが、先行していたはずのリィンと彼に運ばれたレーヴェはアルセイユに乗り込んでいなかった。
「今思っても、勝利の美酒と《環》が与えてくれた全能感に酔っていたんだろうね」
そうでなければ、いくら一番早くレーヴェを運べるとしても消耗していたはずの彼を一人で行かせることの危険さを見過ごすはずはなかった。
そこにいる誰もが、戦いは終わったと思い込み、最後の最後で気を抜いてしまったが故の失態。
聞けば、リィンは《結社》最強の使徒である《鋼の聖女》と戦い、ワイスマンに操られ、右腕を斬り落とされながらもヨシュアの《聖痕》だけを斬って状況を覆した。
さらには《輝く環》の意志と接触して、戦い疲れて限界だった自分たちを回復させてくれた。
まだ十五歳でしかない少年はおそらくあの中で最も消耗していたはずだった。
「オリビエ……何だったらお前は大使館で――」
「言ってくれるなミュラー……これはボクの皇族としての義務でもあるんだからね」
彼の家族に報告をしに行った時の事は今でも鮮明に思い出せる。
殴られることさえ覚悟していたのに、リィンの両親はもちろん妹のエリゼさえも気丈に振る舞って、オリビエのせいではないと言ってくれた。
――いや、言わせてしまった、のだろうね……
皇族の立場が彼らに恨み言を言わせずにしてしまったと想像することは容易い。
同行したアネラスがリィンから借りていたゼムリアストーンの太刀を返した時でさえ、その振る舞いは変わらなかった。
だからこそ、自分がここで逃げるわけにはいかない。
「お待ちしておりました。オリヴァルト皇子、それからミュラー殿」
グランセル城の門の前で彼らをユリアが出迎える。
「お久しぶりだねユリア大尉殿……再会の感動に一つ歌を贈りたいところだが、それよりも先日の導力通信のことだが、本当なのかね?」
「ええ……」
ユリアは顔をしかめながら頷く。
彼女もまた、アルセイユの艦長を務めていただけに、リィンが取り残されていたことに誰よりも責任を感じていた。
「三日前、リベル=アークの水没地点からリィン君の太刀が引き上げられました」
*
『そうですか……やはり……いやはや惜しい子供を亡くしましたね』
「ああ、全くその通りだよ」
通信機を片手にオリビエはギリアス・オズボーンと言葉を交わす。
帝国を出発する際に言葉をかけてきた宰相との約束をオリビエは律儀に守って彼の太刀を受け取った経緯を報告する。
宣戦布告をしたものの、彼もリィンを目にかけていたこともありオリビエは特に拒むこともなくその願いを聞き届けた。
「残念なことに今回のサルベージでもリィン君達の亡骸は見つからなかった……
出来ることなら、どんな姿になっても故郷に連れて帰って上げたいのだがね」
『そうですね……では皇子は数日リベールに滞在するといいでしょう』
「いや……一度帝都に戻らせてもらうよ。二度手間になってしまうかもしれないが、まずはこの太刀をリィン君の御家族に届けて上げたいからね」
『そうですか……ならば、テオ・シュバルツァーには私から一報を入れておくとしましょう』
「おや? いいのかい?」
『これくらい、大した手間ではありませんよ。それではオリヴァルト皇子、そろそろ失礼します』
「ああ、協力……感謝するよオズボーン宰相閣下」
導力通信を切ってオリビエは一息つく。
「宰相閣下は何と?」
「大した言葉は交わしていないよ……しかし、我らの宰相も本当にリィン君のことを目を掛けていたようだね……
もしかしたら次の《彼の子供》になっていたかもしれないね……」
「そうか……」
「しかし、こうして改めてリィン君の遺品が引き上げられてしまった以上はそう遠くない内に改めて覚悟しておく必要があるだろう」
オリビエはテーブルの上に置かれた太刀を手に取ってため息を吐く。
「……そうだな」
「おや……何か気になることでもあるのかねミュラー?」
「いや……何でもない。おそろく気のせいだろう」
「そんな一人で納得してないで、気付いたことがあるのならボクにも話してくれたまえ」
「大したことじゃない。その太刀……以前に感じていた何かがなくなっている気がしただけだ」
「感じていた何か?」
「魔剣などの曰くのある剣に往々として存在している凄み……
リィン・シュバルツァーが持っていた時には感じていたそれが今では感じなくなっているだけだ」
「それは……」
この太刀の出自はオリビエも知っている。
なにせ目の前で起きた奇蹟のような出来事だった。
カシウスに心と共にゼムリアストーンの太刀を折られたリィンを庇った戦術殻が変化した武具。
《結社》にとって何か特別な存在でもあるようだが、リィンも仲間たちもそこに今は亡きアルティナの遺志が宿っていたと思っていた。
それが失われてしまったことの意味にオリビエはやはり胸を痛める。
「…………ままならないものだね」
オリビエは肩を竦めて窓の外を見る。
「…………おや?」
「どうしたオリビエ?」
「いや今、窓の外に人影が――」
夜の闇の中、街灯の上に立つ人物にオリビエは目を凝らす。
この距離でミュラーよりも先に自分が気付いたことに首を傾げ、見覚えのある気がするそのシルエットをもっとよく見ようと窓を開けようとする。
その瞬間、光がオリビエの視界を覆いつくした。
「閃光弾か!? 下がれ、オリビエ! おそらく狙いは――」
ミュラーの声が聞こえるが、オリビエは――ミュラーも何をするよりも前に光に飲み込まれた。
その光景を見届けるようにオリビエが見ようとしていた街灯の上の男は不敵に笑う。
「クク……かくして《王》は復活し、昏き煉獄の扉は開かれた……いざ来たれ! 贄よ! 迷い人たちよ!
果てることのない永劫の焔に焼き尽くされるがいい!」
闇色のコートに鎖を装飾した衣装。そして顔には不釣り合いなゴーグルで目元を隠した少年は誰もいない大使館の一室を見下ろして祝祭の宣言を行った。
*
「……む……」
瞼の上からかかる光の圧力が弱まってオリビエはゆっくりと目を開く。
目の前には懐かしい大柄な体躯の武術家の顔が最初に目に入った。
「……ジンさん?」
「皇子……あんたか……どうやら夢……というわけでは無さそうだな」
「フッ……違いない……
シェラ君ならともかく夢の逢瀬に酒飲み友達というのは些かボクの流儀に反するからね」
「ハハ、お前さんらしいな。しかし、さすがにシェラザードは酒飲み友達にはならないか」
「シェラ君には呑まれても彼女の酒には決して呑まれるな。リベールで得た教訓の一つだよ」
「くく、そりゃまた随分と貴重な教訓だったようだな……」
「さて――」
横目で確認していた彼らにオリビエとジンは向き直る。
「状況を説明して――」
言いかけてオリビエは言葉を切った。
そこにいたケビン神父に見慣れないシスターもいるが、一年前に肩を並べ戦った仲間たちがいた。
しかし、オリビエが言葉を失ったのは彼らの姿によるものではない。
「アネラス君…………その子は……」
アネラスの背後、その足に隠れるようにしがみ付いた五歳くらいの男の子。
黒い髪の男の子はあの終わりの戦いでいなくなってしまった少年の面影がある
その子が誰かなど問うまでもない。
オリビエの魂がそれは彼だと告げている。
だからこそ、この一年間鳴りを潜めていたノリでオリビエは歓喜の声を上げる。
「ああ、ボクの愛しのリィン君! まさかこんなところで君と再会できるなんてこれも女神の導きに違いない!
さあ! この奇蹟の再会に感涙のベーゼと抱擁を――」
叫びながらオリビエはアネラスの陰に隠れる男の子に突撃して――
「破邪顕正――」
「八葉滅殺――」
「サンクタスノヴァ――」
「あ~れ~……」
三人の保護者が変態を吹き飛ばした。
「はは、さすがと言うべきか……お二人とも相変わらずというべきですかねぇ」
そんなオリビエの姿にケビンは苦笑して頭を掻く。
そんなケビンの言葉にジンは同じく苦笑を浮かべて応える。
「今ので俺まで括られるのは少し困るがな……ところでその男の子はいったい?」
「あー俺らもこの子が何なのかはまだちゃんと把握できてないんですが」
「ほら弟君、この人は大丈夫な人だから」
アネラスに促されて前に出された男の子はおずおずとした様子で大柄のジンを見上げる。
「む……」
見れば見る程にリィン・シュバルツァーによく似ている。
しかし、あの時別れた少年は子供と言っても十五歳の男だった。まだ伸び盛りではあっただろうが、ジンの腰まで届かない小さな子供ではなかった。
それでもジンはオリビエと同じように期待に胸を膨らませて男の子が口を開くのを待つ。
「えっと……りぃん・しゅばるつぁー……五さいです……」