「やめろ……やめてくれぇぇぇぇぇっ!」
リィンの悲痛な叫びが木霊するが、それはそんな悲鳴を無視して止まらない。
どうしてこんなことになったのだろうか。
思わず目の前の彼女を斬る――ことは無意味であってもやらないが、目の前の自分を斬り捨ててでもこの光景を止めたかった。
「まあまあ落ち着きたまえリィン君」
そんな風に今にも太刀を抜きそうなリィンを背後から羽交い絞めにしてオリビエは宥める。
リィンがある程度記憶と力を取り戻したからなのか、それともその時の記憶を共有する者が増えたからなのか、記憶の扉は今までと少し違う形でその時の記憶をリィン達に見せていた。
「うわ……」
ジョゼットは顔を赤くして恥ずかしそうにしながらも、目の前の光景から目を放そうとしなかった。
「理解できません。説明を要求します」
「えっと……」
目の前の光景を理解できずにアルティナはクローゼに説明を求める。
「その…………ごめん」
そしてヨシュアは複雑な顔をして目を逸らした。
『そりゃあ、あたしは何と言っても『支える篭手』の遊撃士なんだから! まあ、今はまだ見習いだけどね』
記憶の中のエステルがそう言って、記憶の中のリィンに手を差し伸べる。
そのどこか熱に浮かされたように陶酔した表情で彼女を見上げる自分の顔は第三者の目から見せつけられてリィンは羞恥に身悶える。
いくら自分の感情に疎いと言っても、それを自分で見せつけられてしまえば嫌でも分かってしまう。
「慈悲を! さもなくば死をっ!」
「は、は、は! そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないか……
うーん、これがリィン君の初恋の瞬間か、ロマンだね……ヨシュア君、彼女の恋人として何か一言ないかな?」
「オリビエさん……それは流石に……」
話を振られたヨシュアは困ったように言葉を濁す。
幸いなのはこの場に彼女が同行していなかったことなのだが、何の慰めにもならない。
『ありがとう、エステルさん』
「うわあああああああああああああっ!」
頬を赤くして恥ずかしそうに呟く自分の姿に、リィンができたのは悲鳴を上げることだけだった。
*
「――というわけなんだよ」
「それは何と言って良いか……」
「惨いな……」
「影の国のルールとはいえ、あまりな話だな」
「えーと……ドンマイ」
嬉々として今回の記憶の扉のことを語るオリビエにミュラー達は思わず目頭を押さえ、膝を抱えてうずくまるリィンに同情する。
「…………次の扉は俺一人で入ります」
「おっとそれはないんじゃないかなリィン君っ!
時期的に推測すれば次の扉はおそらく《爆誕! 超帝国人っ!!》なのだから次の引率もボクが必ず勝ち取らせてもらうから安心すると良い」
「ぶっ飛ばしますよっ!」
全然安心できないことを宣うオリビエにリィンは拳を握り締め、歯ぎしりをする。
こんな奴でもエレボニア帝国の皇族であり、リィンにとっては言葉を交わすことさえ畏れ多い天上人。
なのだが、これまで思い出した記憶に尊敬できるものは欠片も存在しないことに憤りを感じてしまう。
「まあまあ落ち着きたまえ……
リィン君が憤る気持ちも大いに理解できる。なのでここは一つみんなで恋バナをしようじゃないか!」
「おい! 馬鹿皇子、どうしてそうなる?」
深々とため息を吐いてアガットがオリビエに反発する。
「ははは、安心したまえ。君はティータ君とのあれやこれやを話してくれればいいさ」
「って、何でそこであいつが出てくるんだ!?」
「オリビエ、悪ふざけもそこまでに――」
「ミュラー……今日ほどボクは君に失望した日はないよ……
いくら君がお堅い武人だとしても、ここで傷心したリィン君に気の利いた言葉一つ掛けられないなんて、君はそれでも帝国男児か!?
年長者として多少のアドバイスもできないとは恥ずかしいと思わないのか!?」
「むぅ……」
「それに愛の狩人であるボクの目は誤魔化せないよミュラー……
ボクというものがありながら、ユリアさんと蜜月の一時を過ごしたんだろ?」
「変な言い方をするな。少々相談に乗って手合わせをしただけだ」
「それは重畳。遂にミュラーにも春が来たとは……オリエ夫人やクルトも喜ぶだろう」
「オリビエ……貴様……」
ミュラーは忌々しいと言わんばかりにオリビエを睨むが、そんなものが今の彼を止める抑止力にはならなかった。
「えっと……それはオレも参加なんですかね? できれば休むことに専念したいんですけど……」
恐る恐るケビンが手を上げてその場からの離脱を計る。
影の皇子との戦いで《聖痕》を使った反動によって倒れたケビンは現在探索から外れて回復に努めている。
とはいえ、話くらいはできるが内容だけに参加したくない。
「おや? まあ無理をさせるわけにはいかないからね」
「そう言ってもらえると助かります。それじゃあオレは――」
「まあ無理強いはしないさ。そう……君が今のリィン君を見て何とも思わないのなら……
少しでも力になって上げようという良心が、罪悪感がないというのなら全然構わないさ」
「うぐ……」
踵を返して離脱しようとしていたケビンはオリビエの言葉に唸る。
普段の調子があれなので忘れがちだが、オリビエは一国の皇子。
その思慮深さは本物であるため、その指摘は的確にケビンの急所を捉える。
「ま、まあ気の利いた事言えるか分かりませんが、少し考えてみますわ」
「しかし、恋愛の話か……
そうだな。俺もあまり考えたことはなかったが、ヴァルターがキリカにしたアプローチくらいしか話せることはないな」
「ほほう、ヴァルターと言えば執行者の《痩せ狼》殿だったね……
そういえば彼はキリカさんの婚約者だったようだけど、確かにそこら辺は興味深い話だ」
「あまり期待してくれるなよ。俺もあいつもその方面では器用に立ち回れなくてな、まあキリカが他の女を基準にできる奴ではなかったというのもあるが……」
「いやいや、彼にはいろいろと苦しめられたからね。是非ともいろいろと語ってくれたまえ」
ここにはいない人間の生贄が決まる。
そして今この場にオリビエを止められるものはいない。
しかし――
「その時のエステルは大きな虫を捕まえて――」
「うん……ヨシュア君、君の話はそれくらいにしておいてあげようね」
分かっていたことなのだが、ヨシュアの語る話はリィンに大ダメージを負わせるものだった。
*
「さて、エステルちゃん。これからどうするの?」
「えっと、何のことかなアネラスさん?」
「苦しいのですがアネラスさん……」
アネラスに睨まれてエステルは目を泳がせ、アネラスに抱き締められたオライオンは疲れた言葉をもらす。
「あら? エステルったらリィン君の気持ちに自分で気付けたの?」
「いえ、リベル=アークの最終局面で教授が勝手に暴露してしまったんです」
意外そうなシェラザードの疑問をクローゼがその時の事を思い出したかのように忌々しく説明する。
「つくづく外道ね、あのクソ眼鏡は……」
「ええ、全くです」
吐き捨てるシェラザードの言葉にクローゼは強く頷いた。
「でもエステルお姉ちゃんはどうするんですか? リィンさんは幽霊なのかもしれないですけどせっかく会えたのに」
「どうって言われても、あたしはほら……ヨシュアがいるし、その……ね……」
ティータの悪気のない眼差しにエステルはしどろもどろになる。
幽霊の存在は苦手だが、それを差し引いたとしてもリィンとの再会は嬉しかったのがエステルの本音だった。
しかし、それと同時に教授の言葉を思い出してしまって真っ直ぐに彼の顔を見ることができないのも事実だった。
「あーあ……ひどい女だね。あんな風に惚れさせておいてそれに気付かないとか、やっぱりノーテンキ過ぎなんだよ」
「あんですってっ!」
そしてジョゼットの辛辣な言葉にエステルは眦を上げて反発する。
「二人とも、喧嘩はやめたまえ」
一触即発になろうとしたジョゼットとエステルの間にユリアが割って入って止める。
それにリースが同調した。
「ユリアさんの言う通りです。それにもしかするとこの問題は思っているよりも深刻かもしれません」
「リースさん?」
「まだ私の推測でしかありませんが、この《影の国》は現世と幽世の狭間に存在する世界だと考えています……
浮遊都市で死んだはずのリィン・シュバルツァーが私たちと違う状態で現れたことには意味があると思っています……
皆さんは《グリモア》を覚えていますか?」
「ええ、金と銀の道で別れた時にケビンさんとリースさんにそれぞれ擬態していた魔物のことですよね?」
「はい。聖典に記されている魔物ではありますが、もう少し詳しく説明すると……
煉獄に落ちた罪深い魂が絶え間なき業火にさらされ自我を失った魂魄の成れの果てです……
リィン・シュバルツァーの幼児化が自我を失っていた過程によるものであるならば、彼の行きつく先は《影の国》に徘徊している亡者ということになります」
「でもでも、リィンさんが罪深いだなんて――」
「子供が親より先に死ぬ……それはある意味でそう取ることもできます……
仮にそうでなかったとしても、未練に囚われて彷徨っていた魂魄が取り込まれた可能性も考えることもできます……
こちらだったとしても行きつく先は忘我により亡者になることは変わりません」
「つまり、ここでリィン君の無念を晴らしてちゃんと成仏させて上げないと……」
「もしも現世において現出するようになることになれば、教会の調伏対象となるでしょう」
リースの言葉を想像したエステルは身を震わせて立ち上がる。
「ちょっとあたしリィン君のところに行ってくるっ!」
「待ちなさい」
「ぐえっ!?」
勢いよく飛び出そうとしたエステルの首をシェラザードの鞭が捕まえる。
「何するのよシェラ姉!?」
「落ち着きなさいエステル。今リィン君のところに行って何を言うつもりよ?」
「え……それは……」
思わずエステルは口ごもる。
「言っておくけどこのタイミングでリィン君の気持ちには答えられません、なんてあんたから言ったら止めにしかならないわよ」
「そうですよ。それに未練ということはやはり約束通りリィン君から告白してもらうべきでしょうし」
「ちょ、クローゼ!? 告白って何!?」
「え……? エステルさん、リィン君が事件が解決したら話したいことがあるって言っていたの覚えていますよね?」
「え……うん……でも、それってあたしだけじゃなくてみんなにお礼が言いたいっていう意味だと思っていたん……だけど……」
エステルは周りからの非難の視線に言葉を尻すぼみにしていく。
「エステルちゃん、それはないよ」
「我が妹分ながら恥ずかしい」
「…………鈍感」
「エステルお姉ちゃん……」
「エステル君……私も人のことをとやかく言えるわけではないが、それはあまりにもリィン君が不憫ではないだろうか?」
「あーあ、ヨシュアもこんな無神経な女のどこがいいんだか」
「なるほど、これが悪女というものなのですね」
「懺悔なら聞きますよ?」
「ううう……」
みんなからの集中砲火に、流石のエステルも膝を抱えていじけてしまう。
「というわけだからエステルにこの件を任せたら、ろくでもない結果にしかならないからあたし達で段取りを考える必要があるわよ」
「了解です。シェラザード先輩」
「私ももちろん協力させてもらいます」
「あのあの、わたしも手伝えることがあれば何でも言ってください」
「私もリィン君には大きな借りがある。リベールを代表して彼を亡者などにさせないよう尽力させてもらおう」
「ま、あんな記憶を見ちゃった手前、ここで降りるのは後味が悪いからボクも協力して上げるよ」
「元より迷える子羊を導くのはシスターの役目です」
「わたしは協力することはできません」
すっかりリィンを成仏させる方向に話がまとまる中でオライオンだけが異を唱えた。
「オライオンちゃん……やっぱり弟君のことが怖い?」
できることならあの子と同じ姿格好のオライオンにも協力をして欲しいと思うアネラスはオライオンに聞き返す。
「いいえ。そういう意味ではなく、わたしには《好き》という概念が理解できません……
ですのでこの場は経験豊富なみなさんに任せることが作戦の成功率を上げることだと判断します……?」
そこまで言ってオライオンは首を傾げた。
直前まで張り切っていたはずの一同はそれまでのテンションが嘘だったかのように消沈してしまった。
「どうかしましたか?」
「…………何でもない……何でもないよオライオンちゃん……」
恋愛経験値のない剣の乙女は精一杯の笑顔を浮かべるのだった。