黒の方舟。
本来は結社の紅い巨大戦艦だったが、文字盤に書かれていた通り、漆黒の船となっていた。
最後の試練。
そこで待ち構えている守護者以外の存在を懸念して、攻略には出来る限りの人数で臨むことになった。
牢屋に捕まっていたギルバートを助け、彼からセキュリティーカードを手に入れた先でオルグイユとG-アパッシュの先駆けを倒し、聖堂と呼ばれる広間でリィンは――
「オラオラオラオラッ!」
《痩せ狼》ヴァルターの拳の乱打を太刀で受け止めながら吹き飛ばされた。
空中で体制を直して柱に着地した瞬間、目の前にはすでに拳を振り被ったヴァルターが迫っていた。
「死ねっ!」
その拳の一振りをリィンは紙一重で躱し、カウンターの抜刀術を叩き込む。
「はっ! 甘えっ!」
ヴァルターはそれを篭手で受け止めて、密着する程に体を寄せる。
拳がリィンの腹に触れるその瞬間――
「破甲拳・零式」
一瞬先に触れさせたリィンの拳がヴァルターの腹を打ち抜く。
「くはっ! 良いぜ。ゾクゾクしてきたぞ」
咄嗟に身を捩り、威力を殺したヴァルターはサングラス越しに目を輝かせ、以前の紅蓮の塔で戦った時とは桁違いにレベルを上げてきたリィンに歓喜する。
「流石は本家か……躱し方も熟知しているか」
通じなかった零距離からの破甲拳に無念を感じながらリィンは着地して太刀を構え――
「二の型《疾風》」
開いた間合いを一瞬で詰めてリィンはヴァルターに一太刀を浴びせて斬り抜ける。
その一撃は篭手によって受け止められるが、リィンは構わずもう一度《疾風》を使う。
「二度も同じ技が通じ――」
リィンの踏み込みに合わせ、ヴァルターはカウンターを狙って拳を振り被るが、そのリィンの速度は先の一手とは異なり遅かった。
「ちっ」
振り切りそうになった拳を止めるが、その間にも滑るようなゆっくりとして足取りで接近してきたリィンはヴァルターの眼前で最速の剣を振り切った。
その場から全力で床を蹴って後ろに下がってヴァルターは後ろに下がって躱して笑う。
「はっ! まどろっこしいのはやめだ」
そう言うとヴァルターは腰を落として気息を整える。
リィンは尋常ではない気配に身構える。
「ふっ!」
踏み込むと同時にヴァルターは両の拳に乗せた気弾を撃つ。
高速で撃ち出された二つの気弾をリィンは一息で斬り伏せ、その闘気を太刀に取り込み鞘に封じる。
そして崩しの攻撃を迎撃されたというのに、少しも怯みせずに突っ込んでくるヴァルターに――
「鏡火水月の太刀――残月――」
振り被った拳が突き出されるより速くリィンは太刀を一閃する。しかし――
「ふっ……」
まるでそのタイミングを分かっていたようにヴァルターは神速の一閃を身を屈めて躱して、そのままリィンの懐に入り込む。
「アルティメットブローッ!」
そして下から突き上げたアッパーがリィンを打ち上げた。
………………
…………
……
ヴァルターはおもむろにタバコを取り出し、火をつけて一服する。
そこで天井に叩きつけられたリィンが彼の前に落ちた。
「くっ……まさか……聖女にも劫炎にも通じたのに……」
「ククク、鏡火水月の太刀。確かに強力な技だ……
付与された焔は防ぐことは困難、その一振りだけに余剰の闘気で身体能力を引き上げているせいで俺の目でも見切るのは厳しい」
悔しそうにするリィンを見下ろしながらヴァルターは追撃せずに解説を始める。
「それなら……どうして……」
ヴァルターの言葉を信じるのなら、リィンの一撃はヴァルターに見えていなかったはず。
なのに完璧に見切られて理由がリィンには分からなかった。
「お前のその技の欠点は大まかに二つ……
相手の気を取り込むというプロセスが必ず必要になる点。ま、これはカウンターの技の常だから大した問題じゃない……
致命的なのはその状態を維持して置ける時間の短さだ。せいぜい十秒か?
その間に攻撃しなければならない、そして焔の制御に意識を集中して攻撃が単調になる。それがその技の欠点と言ったところだな……
来るタイミングが分かっていれば、躱すのはそう難しいもんじゃねえ。ついでに言わせてもらえば、その手の技は小技の連打との相性が悪いぞ」
「…………まさか、こんなに早くダメ出しされるなんてな」
使うことだけでもかなりの集中力が必要なだけに、その技の危うさなどリィンは言われるまで気付きもしなかった。
聖女に認められた自分だけの技。
少しは自信があったのだが、その自信はたった数回使っただけで木端微塵に砕かれる。
「いや……少し頼り過ぎていたか……」
聖女や劫炎に通じ認められて、知らずの内に増長していた自分を恥じる。
所詮は思い付きの技。
改善する点もあれば、技に対して自分を鍛えなければならない点など問題はまだまだ多い。
「ま、《鏡火水月》も《流の型》も今後に期待だな」
あっさりと言って、ヴァルターは吸い終わったタバコを投げ捨てる。
「それよりも出せよ。分かってんだぞ、代わりがあることはな」
言われて、リィンは胸を押さえる。
「…………付け焼刃は通じないか……」
レクターとは違って、武術家としての厚さは思い付きを試す試行錯誤も許さないだろう。
様子見の段階はもう終わりだと告げる狼にリィンは胸に宿る、カグツチの焔を種火にした自分の焔を解放する。
「魔気合一ッ!!」
「ククク、そうだ! そいつとやり合ってみたかったんだっ!」
歓喜に震えるヴァルターは拳を構え、仕掛ける。
「…………楽しそうだなヴァルター」
もしかすれば浮遊都市の最後の局面で拳を合わせた時以上に盛り上がっている兄弟弟子の姿に、《幻惑の鈴》ルシオラが出した霧の式神と戦っていたジンはポツリと呟いた。
*
《怪盗紳士》ブルブラン。
《痩せ狼》ヴァルター。
《幻惑の鈴》ルシオラ。
三人の執行者達との戦いをリィン達に任せ、ヨシュアを始めとした彼との因縁が深い一同は背後に漆黒の竜機を従えた黒騎士を前に膝を着いていた。
「どうした、その程度か?
雁首を揃えておいて情けない。それとも貴様らにはリィン・シュバルツァーの真似事は荷が重いか?」
「っ……まだだ……僕はまだ戦えるっ!」
ヨシュアが叫びながら立ち上がると、他の者たちも続く。
「ふざけんな……いつまでも上から見下してんじゃねえっ!」
「至らないのは重々承知しています。それでもあの子の心残りが一つでもないようにするためにも、私は負けられません!」
「ロランス少尉……予想を遥かに上回る実力だが、彼と同じ《八葉》の末端の者として軽んじられては黙っているわけにはいかないな」
「はっ……そう言われちゃ気張らなきゃあかんな」
アガットが、クローゼが、リシャールが、ケビンが立ち上がる。そして――
「あんたの強さは十分分かっているわよ……それでもあたしはぜったいに諦めないんだからっ!」
エステルもまた弟分に負けないように自分を奮い立たせた。
*
「おおおおおおおっ!」
「はああああああっ!」
気合一閃。太刀と拳が交差し決着の一撃が極まる。かに思えたが、ヴァルターの体は唐突に光に包まれて実体が揺らいだ。
リィンの太刀は彼の体をすり抜けて空振り、ヴァルターの拳は体ごとすり抜けてしまった。
「ちっ……」
その結果にヴァルターは機嫌を損ねて舌打ちした。
「ふむ……どうやら黒騎士殿との勝敗が決したようだな」
同じく光に包まれたブルブランは背後の転移陣に視線を送り、戦意を治める。
「ふふ……どうやらここまでのようね。楽しかったわよシェラザード」
「ルシオラ姉さん……その姉さんは今でも……」
「フフ、本物の私が生きているか死んでいるか……偽物の身としては何とも答えようがないわね」
「……そっか……」
「その答えは帰ってからあなた自身で見極めなさい。それと……その髪と服、とっても似合っているわよ」
「あ……フフ、ありがとう」
シェラザードとルシオラは姉妹としての言葉を交わす。
「ヴァルター……キリカのことなんだが」
「ああ、聞いているぜ。何でもカルバードの情報機関からスカウトされたんだってな……
ジン、あいつに言っておけ。あんまり強面が過ぎると完全に嫁き遅れるぞってな」
「はは……わかった、伝えておくぜ」
ジンとヴァルターも同じように言葉を交わす。
そんな風に清々しく別れをする彼らにレンは不安に揺れた声をかける。
「三人とも……もう行ってしまうの?」
「フフ、名残惜しいがね。君の方はいつ《結社》に戻って来るつもりかな?」
レンの言葉にブルブランは笑みを浮かべて聞き返す。
「…………それは…………」
言い淀み俯くレンにルシオラが優し気な言葉をかける。
「ふふ……納得いくまで迷いなさい。我ら《執行者》。その行動は《使徒》といえど制限することはできない」
「敵に回るんだったら愉しみにさせてもらうぜ。戻って来るんだったら……
ま、稽古でも付けてやるよ。お前だったらあの寸勁、すぐにマスターしそうだしな」
「うふふ……考えさせてもらうわ」
続くヴァルターの言葉にレンは虚勢を張る様に笑顔を返す。
「さて……そろそろ時間のようだ」
「それでは皆様……今宵の舞台はこれにて」
「クク……そんじゃあ、あばよ」
ヴァルターの言葉を最後に執行者たちはこれまでの人たちと同じように消え去った。
「はあー」
それを確認してようやくリィンは全身から力を抜き、緊張を解いた。
「お疲れ様弟君、また随分と派手にやったね」
アネラスはリィンを労いながら美しかった聖堂が破壊された部屋を見渡した。
「…………何なんだよあいつ。次から次へと見たことない技使って……あの人、泰斗流じゃなかったんですか?」
「ヴァルターは行方を眩ました後に様々な武術を取り込んだらしいからな……むしろ良く本気のあいつと互角に戦えたなリィン君」
思わず出た愚痴にジンが答えて、彼の奮戦を労う。
「……ああいう人を天才って言うんですかね?」
あれほどの多彩な技を持っているのに、その技に振り回されることのない芯が通った安定性があった彼の拳にリィンはただ感服する。
戦いの最中にはレクターとの戦いでリィンが使った《遅い剣》の型の完成形を見せつけられ、己の未熟さを痛感させられた。
「とりあえず、これで全部の試練は終わったけど……弟君……これでよかったの?」
「よかったって、何がですか?」
アネラスの質問が分からず、リィンは首を傾げる。
「だってほら、この先でヨシュア君達と戦っていたはずの《黒騎士》はあの人だよね? だったら弟君も再戦をしたかったんじゃないの?」
「それは……」
アネラスの指摘にリィンは目を泳がせる。
リィンも《黒騎士》の正体には気が付いているし、彼とは一度ちゃんとした決着を着けたいとは思っている。
「確かにあの人と戦えるのは最後の機会だからアガット先輩たちがやる気になっていたのは分かるけど、弟君が遠慮しなくてもよかったんじゃないかな?」
「そ……そうかもしれないですね……」
浮遊都市では彼と戦う機会に恵まれず、彼と深い因縁を持っていただけにアガットやエステル、国家論を突き付けられたクローゼ、そしてかつての上司だったリシャールは《黒騎士》との戦いに参加することを強く望んだ。
そんな彼らに加えて、今度こそは勝ちたいと願うヨシュアと、《影の国》という要素で一番関わっているケビンという構成で最奥に進むメンバーは選出された。
「でも、我儘を言わせてもらえるなら、俺はこんな戦いではなくて、一対一で戦える場の方が良かったですから。それに――」
「それに?」
「……いえ、何でもありません」
今生、最後の戦いと思って意気込んでいる彼らと肩を並べ、冷静に戦える自信がリィンにはなかった。
その後の……
ヴァルター
「悪いな。《鏡火水月の太刀》は俺が先に破ってやったぜ」
聖女
「そうですか……」
劫炎
「はっ……構わねえよ。むしろその次が愉しみなくらいだ」