――贄により古の力が流されし刻、道は開かれる――
「大丈夫!? リィン君、ケビンさん!」
セレストが方石を目印にして第七星層への扉を開き、我先にと走り込んだエステルは声を上げる。
リースとアルティナが星層を突っ切るという手段で第七星層へ先行したと聞いた時は耳を疑ったが、その遅れを取り戻す勢いでエステル達が《煉獄》に足を踏み入れる。
しかし、そこでは全てが終わろうとしていた。
巨大な悪魔にリィンとアルティナが二人掛かりで止めを刺している。
そして《影の王》ルフィナ・アルジェントはケビンとリースを前に、穏やかな笑みを浮かべて彼らの介錯を受けるのを待っていた。
しかし、最後の別れは無粋な乱入者の手によって邪魔された。
闇色のコートを纏い、目元を覆い隠す大きなゴーグルをかけた少年は宣言する。
「《影の国》はこの《影の皇子》が乗っ取らせてもらう」
その宣言と共に《煉獄》の世界は一変した。
一瞬、エステル達の視界が暗転するとそこは《紫苑の家》の地下にあった《始まりの地》によく似た場所にいた。
「そして、ようこそ《影ノ星杯》へ」
*
「よくもルフィナ姉さんをっ!」
ケビンはボウガンに新たな矢を番え激昂と共に撃つが、その悉くを《影の皇子》は剣で斬り払う。
「っ……」
「ダメです。ケビンさん!」
さらに新しい矢を装填しようとしたところでリィンが止める。
「邪魔をすんなリィン君!」
「だったら頭を冷やせっ!」
ケビンの声に劣らない怒声を返されて怯み、なんとかケビンは激情を呑み込もうとして《影の皇子》を歯ぎしりして睨み付ける。
「フフ……ケビン・グラハム……君にそんな目をされる筋合いはないはずだが?」
「ふざけんな! てめえたった今、何をしたと思っとるっ!?」
挑発的な《影の皇子》の言葉にケビンは激昂するが、矢を放つことは耐えた。
憎悪を込められた眼差しを笑みを浮かべて受け流した《影の皇子》は横目でエステル達の姿を確認する。
「どうやら役者は揃ったようだ……さて、この中で俺の正体に辿り着いた者はいるのかな?」
《影の皇子》の気取った言葉に答える者はいない。
そんな一同の様子に《影の皇子》は笑みを深める。
「フフ、どうやら暗示が効き過ぎてしまったようだな……それ程までに俺の存在を認めたくなかったのか……
それともそちらのリィン・シュバルツァーの存在しか見えていなかったのか……まあ、どちらでも構わないか」
「何を訳の分からないことを……」
「おっと、失礼。確かにこのままでは話が噛み合わない……では、暗示を解くとしようか」
そう言って影の皇子はもったい付けるように腕を掲げると、指を鳴らした。
「え……?」
途端に靄がかかったようにしか認識できなかった《影の皇子》の姿をケビン達は正しく認識した。
「…………あ……ああ……」
震えた声をもらしたのは誰だっただろうか。
鎖で飾られた闇色のコートに目元を覆い隠す大きなゴーグル。
顔の全体は判らないがその輪郭と立ち姿や髪からそれが誰なのか、すぐに理解できた。
「……リィン……くん……うそ……どうして……?」
「フフ……」
エステル達の反応に愉悦の笑みを浮かべた《影の皇子》はゴーグルを脱ぎ、その素顔をさらす。
そこにはやはり思った通りの顔があった。
「お前は……誰だ?」
リィンも驚愕しながら、自分と同じ顔をした《影の皇子》を睨みつけて問う。
「俺はリィン・シュバルツァーの負の想念の集合体と呼ぶべき存在だ……
《鬼の力》を源にして独自の思考システムに目覚め、この《影の国》で形となって蘇った……
そう……全ては俺を置き去りにした貴様らに復讐するために」
「あ……」
リィンの顔から出て来た言葉に一同は顔をしかめる。
それは一同にとって忘れられない傷だった。
ケビンの仕込みだったのは関係ない。そもそも彼がしたのは簡単な思考誘導に過ぎない。
勝利に酔い、気を抜きさえしなければ避けられたのではないのかと、事情を説明された今でもそう思ってしまう。
しかし――
「違うっ!」
己を責める仲間たちの中で、ヨシュアが声を張り上げた。
「あなたは……あなたは……リィン君じゃないっ!」
愕然とした表情で身体を震わせるヨシュアに《影の皇子》は笑みを浮かべて肯定する。
「やれやれ、ヨシュア。ネタ晴らしが早すぎる……
せっかく私の呪縛から解き放たれたのだからもう少しユーモアというものを身に付けるべきではないかな?」
「私? 呪縛……え、まさか!?」
《影の皇子》の言葉にエステルは思わず顔を上げ、その先の名をケビンが続ける。
「蛇の使徒が一人、《白面》のワイスマンか。まさか本当にリィン君に刻んだ《聖痕》で復活したんか!?」
「フフ……改めて久しぶりだね諸君……しかし、それは正解でもあり不正解でもあるのだよ、ケビン・グラハム」
リィンの顔で人相の悪い目をするその様はまさにゲオルグ・ワイスマンを連想するものだった。
「今の私はゲオルグ・ワイスマンでもあり、リィン・シュバルツァーでもある。そしてどちらでもない存在だ」
「どちらでもない存在だと?」
「そう……そもそも君たちは何故、リィン・シュバルツァーだけが幼児化という過程を経て《影の国》に取り込まれたと考えているのかな?」
「それは……」
「《影の皇子》という役割は、なんてことはない……《影の王》と同じ、君たちを罰するために生み出された存在なのだよ」
「俺達を罰する?」
「君たちが抱える罪悪感や後ろめたさ、一つ一つは小さなものだが、それが折り重なりケビン・グラハムのトラウマに同調する形で方向性が定められた……
本来なら《黒騎士》のように、しかし彼とは違い《復讐者》として君たちの前に現れるはずだった。が……ここで思いもよらないことが起きた」
《影の皇子》は胸に手を当てると、《鬼の力》を引き出して髪を白く、目を赤く染める。
「曲りなりとも二つの至宝と接触したリィン・シュバルツァーはその存在の《質》を一つ上の段階へと昇華させていた……
そのせいでレーヴェやカシウス・ブライトでさえ抗えない影の国の強制力に抗うことができてしまったのだよ」
「それならどうして、お前が存在している?」
「フフ……確かにリィン・シュバルツァーなら君たち程度の想念を押し付けられても跳ねのけることはできた……
そうならなかったのは不特定多数の想念がまとまってしまったっことにより、元から存在していた《影の国》の残留想念ともいうべきものまで引き込んでしまったせいだ」
説明が抽象的過ぎて理解が及んでいない者たちもいるが、《影の皇子》は構わずに続ける。
「この《影の国》は数千年に渡り、人の願望を取り込んできた……
《輝く環》がそれを律してきたが、それが消滅したことにより《影の国》は新たな主としてケビン・グラハムの《聖痕》をコピーして核に据えた……
しかし《聖痕》はケビン・グラハムの想念を反映させるだけで、残留想念を処理することはなかった……まあ、元々そんな機能など持ち合わせていないのだから当然だが……
リィン・シュバルツァーが拒絶した《影の皇子》の想念は押し返されると共に、その無秩序な想念を巻き込み。より強い強制力で《影の皇子》を彼に押し付けた……
その繰り返しの結果、数千年分の想念の圧力を得た《影の皇子》の役割にリィン・シュバルツァーの想念は負けて押し潰され、弾かれ、砕けた……
その残骸がリィン・シュバルツァーの幼児化して現れたのだよ」
「それはつまり……」
「分かり易くまとめれば、君たちの想念が結果的にリィン・シュバルツァーをあのような姿にしたとだけ思えばいい……
ゲオルグ・ワイスマンの人格がこの体に宿ったのは、単に彼に刻んだ《聖痕》と同調したか、古代人の想念よりも自己主張が強かっただけだろうと私は考えているよ……
もっとも数多の想念と混じり、《鬼の力》の想念とも混ざり合った精神が《ゲオルグ・ワイスマン》であるという保証はないがね」
長々とした説明を簡潔にまとめると《影の皇子》は嗤う。
「さて、ここで私から一つ質問をさせてもらおう」
「質問……だと?」
「何、実に簡単な質問だ……
あの浮遊都市の崩壊から生き延びたリィン・シュバルツァーを自分たちの想念が殺したと分かって、どんな気持ちかね?」
「なっ……!?」
「リィン君が……生きていた?」
二つの意味で一同は絶句し、リィンは空気を読まずに無理やり押し切って、言えば良かったと後悔する。
「フフ……その様子では聞くまでもないか……アア、ワカッテイル。セカサナイデクレタマエ」
エステル達の反応に気を良くした《影の皇子》はおぞましい《黒》い何かを纏っておもむろに手をかざした。
「できればもう少し、語りたかったが《ワレ》が急かすのでね。講義はここまでとして、儀式を始めさせてもらおう」
その言葉を合図に、一同の周囲に三つの光が結実する。
一つは金の巨人、金のパテル=マテル――ゴルディアス級零式。
一つは紅い聖獣、紅いレグナート――タイクーン。
一つは黒の幻想、黒のトロイメライ――ゲシュペンスト。
「さあ、《空ろなる黄昏》を始めるとしようか。リィン・シュバルツァー」
「さん、はい……ワイスマン超うぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」