「…別に、ここも私が支払って良かったんですがね」
「流石にこの金額を司令官に払わせる訳には行かないよ。ちょっと懐は痛くなるけど、支払い相応以上の対価は得られたんだし」
上機嫌な様子で先行する響。若干ふらついて居るが、ずっこけそうな程でもない為、提督はそれを後ろから眺めつつ歩いた。
ちなみに先程の店で響は提督の倍近く飲んでいたらしい。
「……そう言えば、今何時かな?私は腕時計を持って無いんだ」
「あの店には時計が置いてありませんからね。ええと……11時56分です。あの……駆逐艦寮の門限って何時でしたっけ」
「夜の12時までだね」
「思いっきり間に合わないじゃないですか……」
ここから駆逐艦寮までは徒歩30分程度。今このタイミングでタクシーを拾えたとしても間に合うか訳ないというレベルだ。
「でもまあ、いいさ。今日はホテルで泊まる事にするよ。だが……うぐ、財布が軽くなる……」
響は女の子という関係上、どうしてもセキリュティの揃ったホテルを望むが、それでは、結構な額を払った直後の響にはかなりの痛手だろう。
うーむ、と悩む響に、提督は
「なら、響。今日は私の部屋に泊まりませんか」
「……ふへ?」
半分酔った勢い、半分は先程響が払った金額を知るが故の善意。やましい気持ちが無い訳では無いが、今の所実行に移せる程の度胸も無し。
ぽかんとした響の表情を可笑しそうに、提督は優しげな表情で響の目を見る。
「私の部屋なら門限も気にする必要が無いですし、明日はお互いに休暇でしょう?」
「で、でも悪いよ。私の不始末を司令官が拭う必要は無いんだ」
「私なら大丈夫です。どうせ帰っても1人、やる事は特に無いですから」
「……やっぱり司令官酔ってるよね」
「お互い様ですよ?」
「お酒、ある?」
「ええもちろん、ってまだ飲むんですか」
「当然さ。今日は飲みすぎで怒る妹も居ないんだから」
雷の事ですか、と二人で笑いあって、提督が「こちらです」と先行する。
「ねぇ司令官」
「?」
「愛されるって、何なんだろうね」
「……何なのでしょうね」
繁華街から二人の姿が消える頃には、既に日付けが変わっている頃だった。
「おじゃましまーす」
「一人暮らしには広すぎる部屋ですから、適当にくつろいでいてください」
提督の部屋は1DKの間取りだが、その一部屋が異常に広い。10畳は軽く超えるその部屋は、ベッドが置いておる空間とソファの置いてある空間が背を向け合った棚で区切られている。
「……これは凄いな司令官。流石は士官だね」
「私は狭い方が落ち着くのですが、この部屋は先輩に押し付けられたものでして」
提督が8畳ワンルームのアパートに住んでいた頃、昇進をきっかけに先輩が「お前も高級士官になったんだから、住む場所位改めろ」と言われて購入した物件である。
「さあ司令官。早速飲もう。もちろん付き合ってくれるよね?」
「本当に早速ですね……ワインでいいですか?」
提督がワインとグラスを2つ取り出している内に、キッチン周りを物色していた響は冷蔵庫からチーズを持ち出してきた。本当にマイペースな部下である。
提督がグラスにワインを注いでいる間、二又のフォークでチーズを弄んでいた響は、ワインのボトルを見て目を見張った。
「それ、25年もののワインじゃないか。いいのかい、そんなの飲んでしまって」
「いいんですよ。折角誰かと飲む機会なんですから」
乾杯。声もなくグラスを掲げた後、二人同時にグラスを煽る。ワイン特有の発酵した葡萄の風味が鼻腔をくすぐり、じんわりとした酔いを運んでくる。
「こうやってプライベートで誰かとお酒を飲むの、実は二回目でして」
「そうなのかい?」
「ええ。20の時に父親と飲んだのが最初です。それからは付き合いで飲む事もありましたが、こうやって他人とゆったり飲むのは響が初めてですね」
「……そっか」
提督の言葉で解けた表情になった響は、うつむき加減にチーズを齧る。
他愛もない話をしながら、テーブルのワインが底をついた頃、また冷蔵庫の中を物色していた響が、戻りざまに口を開いた。
「……ねぇ、司令官。私って……一体何者なんだろう」
「……それは艦娘という存在について、ですか」
「うん」
提督は難しい顔になって、思案する。高級士官として、そして艦隊を預かる身分として、艦娘の成り立ちについては知っている。だが、それを響に教えるべきなのか。無論、軍規で艦娘にそれを教える事は禁止されている。それに、響はそんな事を聞きたい理由ではないようだ。
「気がついたらそこにいて、武器を持たされて戦う事を義務付けられて。人権なんて元から無いし、恐怖は認められず、忠誠すら必要ない。ただ国の為に死んでいく。よしんば生き残って、この戦いに勝利して、私達には一体、何が残るんだろう。『意志持つ兵器』の末路って、一体なんなんだろう」
それは誰にも分からない。戦後処理についての会議をする暇など無いからだ。未だに敗色濃厚なこの戦況では尚更。
だから提督は、こう答える事にした。
「私には戦った後の事などわかりません。不当な扱いを受けるかも知れません、称えられるべき救国の英雄、されどその実情はただの兵器。だから、もし戦いが終わったら、私はそう言った扱いを、響達が受けないように、尽力します。自分の愛すべき部下をそんな事には、させません」
「……」
カシュッ、っという炭酸ガスの音がして、缶ハイボールを開ける響は、ぽかん、と口を開けていた。
「ふふ、格好いいこと言ってくれるじゃないか。顔は赤いけどね」
「う、元々お酒には強い方じゃないんです、勘弁してください……」
恥ずかしそうに項垂れる提督を見て、微笑む響は、缶ハイボールを半分ほど一気に飲むと、提督に近づく。
「っ!?響、何を……」
「何って、せっかく愛すべきって言ってくれたからさ、愛されてみようかなって」
提督の膝の上に滑り込んだ響は、猫のように体を摺り寄せる。
「……やっぱり酔ってますよね」
「酔ってる時にしか出来ないこともあるからね」
「……これ以上自制する自信はありませんよ」
響は「ふぅん」と言って提督をじっと見据える。
お互いの息遣いが聞こえるほどの距離で響は、
「酔い任せに言うけどさ、有り体に言えば私は司令官に恋心を抱いているらしい……ほぼ確実に」
提督が憶えているのは、ここまでだった。
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