柔らかな春の日差しが自分を包み込んでいる。そよ風が頬を撫でる感覚に、思わず目を細める。あゝ今日はなんて素晴らしい日なのだろうか。
春日野春彦は浮かれていた。学校までの通学路、大して晴れてもいない天気の中、てきとうに思いついた詩的表現を馬鹿みたいに心の中で呟くほどには浮かれていた。
その原因は隣にある。春彦と談笑をしながら歩みを進める少女、白羽=ラフィエル=エインズワース。何を隠そう彼女は自分の初めての友達なのである。昨日はもう二度と関わるまいと決意するほどの人物であったが、紆余曲折を経て打ち解けることに成功し、友人関係を結ぶに至ったのだ。
自分がチョロすぎるだけ?はっ、なにを言っているんだか。高校に進学した自分はもう過去のそれとは違うのだ。今の自分は言わばnew春彦。上位の存在として生まれ変わったのだ。その証拠に……
「?どうかしたのですか?
「いやいや、なんでもないよ
そう、なんと友人と名前で呼び合う関係に持ち込むことができたのだ。いくら世界が広いとは言っても名前で呼び合う友達を持つ人間はそうそういまい。今の自分のコミュニケーション能力は、おそらく世界でも上位5%には食い込めるだろう。グッバイ非リアども。俺は先の世界に行くことにする。
実際はガチガチに緊張しながら春彦がラフィエルに頼み込み、その気迫に軽く引きながら彼を哀れんだラフィエルがそれを了承したという経緯があるのだが、そこは彼の口からは語られないようだ。
流石春日野春彦。都合の悪いことから目をそらすことに関しては日本一である。
「しっかし、今日は本当にいい日だね!もういっそのこと学校なんかサボってどこかに遊びに行こうか!」
「いえ…あの…空は曇っていますし。それに授業開始日に欠席だなんて、春彦くんただでさえ先生に目をつけられているのですから、そんなことしたら取り返しのつかないことになりますよ?」
「確かにそうだね!流石ラフィ、俺じゃあそこまで気がつかなかったよ!」
「えーっとぉ、あはは。そんなことないですって……」
なぜだろう、彼女との距離感が遠い気がする。やはり自分は少し浮かれすぎていたのだろうか。
いや、でも友達なんてできたの初めてだし、一緒に登校なんて経験できるとも思ってなかったし……
ん?っていうか
「あれ?そういえば今日の天気って曇りだよね?」
「そうですよ?朝から日差しが薄いとなると少し気が滅入ってしまいますよね」
おかしい。確かに空に太陽は見えないのだが、自分には周囲が明るく感じられる。
落ち着きを取り戻した春彦は考える。
この感覚、覚えがある。五感では感じられない、まるでそれこそ
気になって隣を見る。いや、この感覚ラフィエルのものではない。確かに初対面の時は恐ろしいほど感じられたオーラだが、昨日今日と共に時間を過ごしたことでだいぶ
ではこの感覚の正体はいったい何なのであろうか。
「ん?あれは……」
俯いて周りの気配に気を向けていた春彦だが、ラフィエルから発せられた言葉により気を取り戻す。そして彼女の顔が向けられた方向に目をやるとそこには……
「あっ、おはようございますラフィ。今日もいい日ですね」
自分の感覚からいえば、これは間違いなく正の霊力なのだが、それを認められないほどに桁違いな力だ。
アレはいったい何なのだ。ラフィのことを名前で呼んでいるということは彼女の知り合いなのであろう。いや、知り合いっていうかそもそも人なのか?直視できないが故にその造形を把握することができない。
「あら、おはようございますガヴちゃん。今日も可愛らしいですね」
「もう、ラフィったら朝から私のことをからかって……」
「うふふ、ごめんなさいガヴちゃん」
「はぁ。まあいつものことですけどね。それより、そちらの方は……」
ガヴちゃん(仮)が自分の方を向く。それにより、自分に向けられる光がよりいっそう強くなる。前を向くのが困難なほどに。
「?こちら、私の友達の春日野春彦くんです。わたしと同じ1-Aなんですよ」
「そうなのですか!初めまして。私、天真=ガヴリール=ホワイトと申します」
まて、今彼女、なんて名乗った?
「っ、春日野春彦、です。ごめん、聞きそびれてしまったんだけど、良ければもう一度名前を聞いてもいいかな?」
「はい、構いませんよ。天真=ガヴリール=ホワイトです。ラフィとは同じ学校を卒業してるんですよ。よろしくお願いしますね、春彦くん」
そう言って彼女は自分の方に手を差し出してきた。
いや、まて、それどころではない。今彼女が名乗った名前、天真=ガヴリール=ホワイト。それから彼女から発せられる莫大な霊力。そして帰国子女であるラフィと関わりがあるという事実。
お前もか。お前も転生者か。
何でこう昨日からポンポン転生者候補が現れるんだ。おかしいだろう。
叫びたくなる気持ちを抑え、心を落ち着かせる。大丈夫だ春彦。彼女はラフィの友人。今すぐ自分と敵対する人間ではないはずだ。まずは冷静に彼女の正体を探り、そして友好的な態度を示さなければならない。
春彦はおもむろに人差し指を伸ばし、その指先で差し伸べられたガヴリールの手に触れる。
「?あの、これはいったい……」
自分の指先は発光しなかった。どうやら彼女はETではないようだ。
いや、何をしてるんだ自分。
「あ、ごめん。ちょっと目にゴミが入っちゃってさ、少し待って」
「えっ?大丈夫ですか?今目薬をお出ししますね」
そう言って慌ただしくカバンの中を弄る天真さん。
やはり、彼女からは邪悪な気配は感じられない。言動も善人そのものだ。
だとしたら馬鹿に警戒する必要もなく、友好的に接したいのだが……
「はい、お使いください春彦くん」
「ああ。ありがとう、天真さん」
「ガヴリールで構いませんよ。それから、その…春彦くん?どうして先ほどから俯きっぱなしなのでしょうか?」
どうしよう。このままでは彼女と顔を合わせることができない。
まずいぞ、俯きながらの会話にも限界がある。しかし未だガヴリールから発せられるオーラに慣れる気配はない。このままではせっかく友好的に接してくれてる彼女の対応を無下にすることになってしまう。
いや、まて、方法はあるじゃないか。できればそうやすやすとは使いたくはないが、状況が状況だ。やむを得まい。
そう考えた春彦は、ガヴリールから受け取った目薬をさしながら瞼を強く閉じ、魔眼に力を入れた。
ゆっくりと目を開け、そしてあたりを見渡す。
空間はかすかに歪み、色彩は滲んでいる。目に入るありとあらゆる物体に、なぞるだけでそれを殺すことのできる線が浮かんでいる。例えるなら地獄としか形容のしようがないような、最悪の終末風景が春彦の周りに広がっていた。
いかん、感傷に浸っている場合ではない。
急いで垂れた目薬を拭き、そしてガヴリールの方を向く。色彩が滲んでいるせいで形しか捉えられないが、そこには長い髪をまっすぐに伸ばした小柄な美少女が怪訝そうな顔で春彦のことを見つめていた。
「はい、ありがとうガヴリール。助かったよ。それから、これからよろしくねってことで。はい、握手」
「っ…、いえ、気にしないでください。こちらこそ、よろしくお願いしますね」
戸惑った様子が感じられたガヴリールだったが、すぐに調子を戻し、にこやかな表情を浮かべて自分の手を取ってくれた。
本当はもっと話をしたいのだが、今の自分にはそろそろ限界のようだ。
春彦はおずおずとした調子でラフィエルに話しかける。
「ごめん、ラフィ。ちょっと体調が優れないんだ。保健室に行ってくるから先生に伝えておいてくれないかな」
「いえ…それは構いませんが、あの春彦くん?一人で大丈夫ですか?」
「平気だって。それからガヴリール、さっきは変に接しちゃってごめんね。また今度改めてお話してくれたら嬉しい」
「……はい。あの、お大事に」
やはり戦闘時ではなく日常生活での魔眼の使用は無理があったか。ズキズキとした目の奥の痛みはすぐにでも頭痛へと変化しそうだ。動けなくなる前に保健室まで辿り着かなければ。
二人からの返事を聞くと同時に、足早にその場を立ち去る春彦であった。
「……ガヴちゃん。今のは……」
ラフィエルは恐る恐る口を開き、ガヴリールに尋ねる。
「ラフィは彼のことを知っていたのですか?」
「いいえ。詳しく話すと長くなるのですが、昨日彼が現世に縛られた魂を天へと返している場面に遭遇しまして。ですが、その時は今のような様子は見られなかったのですが……」
話を聞き黙り込むガヴリールの顔を、心配そうな様子で覗き込む。
「大丈夫ですよ、ラフィ」
優しい声色だった。まるでこちらの不安を見抜いているかのような。
「ですが、ガヴちゃん、」
「大丈夫です、ラフィ。それに、仮に大丈夫ではなくなったとしたら、その時は私達が導けばいい。」
違いますか?と、先ほどよりも少し強い口調でガヴリールは語りかける。
「そう、ですね……。はい。初めてできた人間の
「ラフィ、あなた……」
ガヴリールは相変わらずですね、と少し冷めた目線をラフィエルに向ける。しかし、あまり責める気は起きなかった。
先ほどの春彦の瞳の正体。短時間しか見れなかったため、断定はできないが、もしあの瞳が
いや、考えるのはよそう。彼がどうであれ、自分たちに初めてできた人間の友人には変わりはないのだ。
私たちは天使。全ての人々を幸せに導くのが使命だ。
ガヴリールは自分自身に言い聞かせるように心の中で呟き、再び笑顔を浮かべると、不安そうにこちらを見つめるラフィエルをつれて教室へと向かうのであった。
誰だこいつ。