「君の名は。キルヒアイス」   作:高尾のり子

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第10話

 

 

 キルヒアイスは三葉の部屋で目を覚ますと、回数を数えて日付を見ていた。

「これで22回目………」

 三葉と入れ替わること、すでに22回となっている。

「三葉さんの時間では4月から6月に、けれど私の時間では486年の2月から11月まで進んで……私が三葉さんになるのは、三葉さんの時間で、およそ週に3、4回。けれど、私の時間では不定期ではあるけれど週に1回程度……もしも、このままのペースなら彗星落下の頃には、私の時間では489年中頃に……」

 入れ替わる日のペースが二人のいるそれぞれの時間で違うことには、ずいぶん前から気づいていたけれど、その記録から逆算して彗星落下まで入れ替わりが続くと仮定すると、帝国暦では489年までになりそうだった。

「この現象は三葉さんたちを救えという神の意志なのでしょうか………いえ、神のような非科学的なものが……もっと、よく知り、もっと、よく考えましょう……。けれど、もしも、彗星落下で三葉さんが亡くなるとすれば、私は彼女の残り少ない人生の半分を無為に奪っているということに…」

 胸に痛みを覚えつつ、三葉としての日常を女性らしく過ごすために枕元にあった手紙を読む。

「テッシーとカフェに………写真とお土産…」

 手紙には今日の予定として、克彦と電車で移動して地方都市にあるカフェに行くこと、もしも自分が行けずに入れ替わりが起こってキルヒアイスが行くなら、カフェの料理をスマフォで写真に撮っておくこと、テイクアウトのお土産を多めに買って帰ることが書かれていた。

「サヤチンは……」

 たいてい3人いっしょに行動するのに、早耶香のことが触れられていないのでスマフォでメッセージ履歴をチェックした。克彦とのやり取りが見つかる。

 

 明日、念願のカフェに行かんか? 割引券もらったし。

 行く行く!

 じゃあ、9時に駅に集合な。

 サヤチンは?

 あいつは家族で富山にマス寿司を食べに行くって言っておったやろ。

 ああ、そういえば、そんなこと言ってたかも。サヤチンが行けないなら来週は?

 割引券の期限が来るから。

 そっか。どうしようかな。

 割引券がある分、おごってやってもいいぞ。

 行く!

 じゃあ、決まりだな。

 

 やり取りを見ると、昨夜になって急に決まったことなのだとわかった。

「………これは……デート……どんな服で行けば……」

 着替えは用意されていなかった。お互い、軍服や制服だと、もう用意しなくてもわかるし、普段着も三葉のショーツが入っているタンス以外は中身を把握している。

「明らかにデートなのですから、テッシーに失礼のない服装でないと……」

 いつもの日曜日に着ているような平服で行くわけにはいかないと思い、タンスを探って少し胸がきついけれど、三葉が中学生の頃に女性らしさへ憧れて買った白いワンピースを選んだ。

「もう、こんな時間に…」

 服を選んで、いつもより身なりを整えることに気遣っていると、約束の時間が迫り、朝食もそこそこに駅へ急いだ。到着すると、すでに克彦が待っていた。

「おはようございます。お待たせいたしました」

「………。そ、そんな女らしい服……もってたんや……」

 初夏らしい肩と胸元を露出したワンピースは17歳の三葉の健康的な美しさを外面からも内面からも輝かせていたし、白いワンピースに合う靴が無くて玄関で困っていたところ、一葉が二葉が使っていたヒールのある白サンダルを出してくれたので、いつも学校で見る三葉とは別人のように可愛らしく見えて、克彦は気温以上に暑く感じた。

「おかしくないでしょうか。スカートが短すぎる気がして、場にふさわしくなければよいのですが」

 スカート丈は制服と同じほどだったけれど、ふわりとした生地なので風が吹くと不安感が大きい。首から肩、胸元までを露出するのは宮廷婦人たちにも、よく見られる衣装だったので抵抗が少ないけれど、スカートは踝まであるのが普通で、膝上の腿半ばまで露出するのは内心で、とても恥ずかしいと感じている。ただ、周囲の女子高生も同じほど短いので、それが文化なのだと自分に言い聞かせているだけで、恥ずかしいことにはかわりはなかった。

「い…いや…ぜんぜん、大丈夫。ナイス、チョイス」

 そう言う克彦も普段の平服よりも決めてきていて、香林坊で買ったスラックスや勅使河原建設の嫡男として出席するパーティーなどでも着られるフォーマルさとカジュアルさを兼ね備えたカッターシャツを選んでいた。

「じゃあ、行こうか」

「はい」

 二人で電車に乗って糸守町を離れ、おしゃれなカフェのある街を歩くと、三葉の美しさと気品ある雰囲気は、とても目立った。立っていても座っていても、物腰の穏やかさと上品さは銀河屈指の女ぶりでエスコートしている克彦にも気合いが入る。それでも、お目当てのパンケーキが運ばれてくると、三葉の手が恥じらいながらスマフォを出した。

「……お料理の写真を撮りたいと思います。……失礼ですが、よろしいでしょうか」

「あ、…、ああ、どうぞ」

 克彦は普通のことだと感じたけれど、喫茶中にスマフォを出して料理を撮影することが、とても下品で不作法なことに感じられるのに、そうするように命じられているので羞恥心に耐えながら、一品につき角度を変えて3枚は撮らされ、恥ずかしそうに顔を赤くしていると、克彦は元々どうでもよかったパンケーキの味は一切記憶に残らず、ただ三葉の顔に見惚れた。とても恥ずかしそうに一枚一枚の写真を丁寧に撮りつつも、周囲の視線を気にして顔を真っ赤に染め、あまりに恥ずかしくて涙まで浮かべている。

「はぁぁ…」

 やっと撮り終わってスマフォを片付けると、両手の指で熱くなった頬を冷やしてタメ息をついている。

「はしたないことをして、すみませんでした。ご同席されていて、さぞやご不快であったかと痛み入ります。どうか、お許しください」

「いや、いいって、いいって。ほら、早く食べんと、クリームが解けるで」

「はい、いただきます」

 そう言って半分まで食べてから、また恐る恐る三葉の手がスマフォを出した。

「あの…」

「どうした?」

「……もう一度、写真を撮ってもよいでしょうか」

「ああ、いいけど、早く食べんと解けるぞ」

「はい、せっかくお誘いいただきましたデートで、このような不調法をお見せすること、どうぞ、ご容赦ください」

「…デート……だよな、やっぱり……これは…」

 克彦は満足そうに頷いて、迷っていた夕方の予定を三葉が喜びそうな手羽先の美味しい焼き鳥屋から、景色のいい静かな公園の丘に決めた。けれど、三葉の顔は悲壮なほど羞恥心で染まり、食べかけのパンケーキの断面を撮ることに抵抗を覚えている。ふわふわのパンケーキの断面を生地の様子がわかるように撮っておくことという命令だったけれど、公衆の面前で自分が食べかけた物を撮るという行為が恥ずかしすぎて、スマフォを持つ三葉の手が震えている。見かねて克彦が言う。

「貸してみ、オレが撮ったろ」

 そう言って克彦が撮ってくれた。

「すみません。ありがとうございます」

「いいって。さ、食べようぜ」

「はい」

 ようやく喫茶を楽しみ、糸守町にはない都市部の賑わいを見て回り、夕方になると克彦に誘われて公園の丘にのぼった。

「ここ夕日がキレイなんや」

 有名すぎるスポットだと、他にカップルもいて告白しにくいので子供の頃に何度か見に来たことのある、ごく平凡な公園に誘ったのだけれど、その選択は正解だったようで運良く誰もいないし、夕日が美しく周囲を彩っている。

「テッシーのおっしゃる通りですね」

 初めて地球から見る太陽の夕日は、とても感動的だった。どの可住惑星も当然ながら環境的に地球と近いけれど、恒星の大きさや色合い、恒星惑星間の距離、大気の微量成分、それらが少しずつ惑星ごとに異なるために夕日は、とくに違いが鮮明になる。そして、糸守町は急峻な山に挟まれた谷間であるために夕日になる前に日没してしまうので、これが本当に初めての夕日だった。太古の昔から何十億年と繰り返されてきた自然現象を目の当たりにしてDNAが揺さぶられるような感動を受けていた。今までに見た、どの夕日よりも美しいと感じるし、写真や絵画で見た夕日も、地球が核戦争で混乱する以前の夕日を目指す印象の原点としているので、その原点そのものを見ることができて胸と目が熱くなってくる。

「夕日……なんて美しいの……ありがとう、テッシー」

「三葉」

「はい?」

 克彦の方を振り返ると、真剣な眼差しで見つめられていた。

「オレは三葉が好きだ」

「っ…」

 前置きも照れもない直球の告白を受けて三葉の心臓が拍動の速度を早めた。

「オレは三葉が好きだっ」

「……テッシー……」

 困った、という気持ちと、嬉しいという気持ちが等量に湧いて思考を混乱させてくる。自分が三葉ではないことは忘れていない、けれど可能な限り三葉として行動しようと思っている、もしも、この告白を受けたのが三葉なら、どう反応したのか、どう反応するのが、今後の三葉と克彦のためになるのか、それを考えるけれど、答えに至れない困ったという気持ちと、そして素直に嬉しいと感じる気持ちが混在して、三葉の頬も夕日で染められている以上に赤くなってくる。

「オレと付き合ってくれ」

「……それは……男女交際ということですか?」

 わかりきっていてバカな質問をしていると自覚していたけれど、それでも問うと、克彦は真剣に頷いてくる。

「ああ、そうだ」

「………」

 三葉の瞳が克彦を見つめる。克彦も見つめてくる。男性からの告白と熱い視線が、より三葉の心臓を高鳴らせてくる。答えに窮して無言だったけれど、三葉の表情を見て克彦は勝機を感じて、三葉の肩を握った。

「ずっと、好きだった。なかなか言えなかったけど、伝えておきたいんだ。好きだ、大好きだ」

 ずっと言えなかった分、言えるようになると繰り返し言いたくて連射した。その連射が三葉の心臓を経験したことがないほど高鳴らせたし、感じたことのない嬉しさが胸に湧いてきて、このまま克彦の男性らしく成長してきた腕に抱かれたいという衝動さえ覚えた。

「………」

「………」

 イエスと答えたい、答えてあげたいし、答えたかった。言葉にしなくても、そっと目を閉じて唇を捧げるだけで気持ちは十分に伝わるし、身体がそれを求めている気がする。けれど、それはダメだとわかってもいる。たとえ、最終的にイエスと答えるにしても、それは三葉が決めることで、今日の自分が決めていいことではないとわかってる。そして、このタイミングで、また思い出してしまった。この真っ直ぐな熱い告白をしてくれた克彦でさえ、あと四ヶ月の命なのだと知っている。

「………」

「好きだ、三葉」

 女として、とても嬉しかったし、男として尊敬に値する男だと想う。自分に、こんな勇気をもった告白をアンネローゼにできるだろうか、そう自問すると、より尊敬するし、握られている肩から感じる男の手の逞しさが女の身体の芯を熱くさせてきて、このまま抱かれたいという気持ちで体重が克彦の方へいってしまいそうになる。

「泣かないでくれよ」

 克彦は三葉の涙を指先でぬぐった。いつの間にか、泣いていた。

「イヤだったか? オレなんかに好きだって言われて……」

「いいえ!」

 それは、はっきりと答えておかないといけない。三葉がイエスと答える可能性もあるのだから、今は選択の余地を残して明日に持ち越さなければいけない。

「イヤだなんて、とんでもないことです! 嬉しいです! とても嬉しいです。この涙は嬉しくて泣いているのです!」

「三葉……」

 克彦はイエスだと想って三葉の身体を抱きしめてキスしようとしてくる。けれど、それには抵抗した。

「待って、待ってください。どうか、答えは明日まで待ってください。お願いします、今は……今は、ここまでに…」

 キスは拒絶して顔を伏せ、克彦の胸へ頬をつけた。

「本当に嬉しいです。けれど、どうか明日まで待ってください。勝手なことを言って、すみません。お願いします、どうか、待ってください」

 答えを待たせることが申し訳なくて泣けてくる。しかも、克彦と三葉には時間が残されていない、あと四ヶ月しかない。そう想うと涙が止まらなくなって、ぽろぽろと三葉の涙が零れ、夕日を反射してキラキラと光った。

「三葉……」

 克彦は待ってと言われて、一つだけ心当たりはあった。早耶香のことだと思った。自分が早耶香に好かれているという自覚は自惚れでなくあった。むしろ、早耶香は周囲から見てもわかるほど、はっきりとアピールしてくる。だから、三葉が躊躇うことがあるなら、それは早耶香のことだと、女性の人間関係はわからないものの、そう解釈した。

「…………」

「…………」

 もう夕日が沈んでしまった。

「待つよ。三葉、一日でも一ヶ月でも一年でも待つ。オレは、ずっと三葉が好きだから」

「っ…ぅっ…くっ…」

 声をあげて泣きそうになって、それは17歳の少女として、この場面でするのは変だとわかっていても嗚咽が湧いてくる。泣き声を手で押さえて耐えている三葉の肩を克彦は優しく抱いていてくれた。ずっと、そうしていたいと克彦は思ったけれど、現実は少し冷酷で、もう時間がない。夕日をバックにしての告白は予定したものだったし、日没時間もネットで検索して知っていた。そして、糸守町まで帰る終電も、もう無くなることを知っている。山奥の町に帰るには、たった今、日没したばかりなのに次の電車を逃すと、無くなってしまう。

「三葉、そろそろ帰らないと電車が無くなるから」

「はい…」

 ハンカチで涙を拭くと、克彦が手を引いてくれる。泣き顔のままで電車に乗るのは恥ずかしかったけれど、ダイヤが極めて限られていることは行きに見たので知っている。せめて電車内に化粧室でもあれば顔を整えたかったけれど、たった2両しかない車両には化粧室もなかった。夕方の混み合う車両の中で顔を伏せていると、克彦が守るように抱いてくれて頭を預けた。そうして、糸守町へ近づいていくと、どんどん乗客が減っていく。一駅ごとに乗客が減り、二人とも席に座ることができた。座ってからも、克彦の胸に顔を伏せていたけれど、さすがに一時間もすると泣き顔も落ち着いて、抱かれていることが恥ずかしくなって礼を言って離れた。

「………」

「………」

 明日まで待って、と言われた克彦は待つつもりだったので話題に困り、そして三葉の身体は、もっと激しく困っていた。

「………」

 いつも夜12時まで我慢している生理現象が激しく三葉の下腹部をノックしてきている。学校での昼食時も食べるだけで飲まないようにしていたのに、今日はカフェでのデートだったためにパンケーキとセットだった紅茶がポットで提供されたので2杯も飲んだし、行きの電車で克彦が買ってくれた生茶も断るのも失礼だと思って飲んでしまっていた。おかげで涙は止まったのに、今度は背筋に冷たい汗が流れるほど我慢している。しかも乗客が2人だけになった車両内は冷房が効きすぎてきてワンピースを着ている三葉の身体は手足が冷えて余計につらい。ギュッと膝と膝を合わせて我慢しながら座っていても気を抜くと取り返しのつかないことをしてしまいそうだった。

「……はぁ……」

 つらくて息を吐いてしまうと、克彦が心配してくれる。

「遠出やったし疲れた?」

「はい…少し……でも、ご心配なく……とても楽しかったですから」

 微笑したつもりだったけれど、頬が攣れそうになってしまった。そして、疲れてもいる。履き慣れないヒールのあるサンダルだったので、ふくらはぎから腿、お尻までの筋肉が悲鳴をあげてきている。そんな下半身に力を入れているので、ときどき気が遠くなりそうになった。

「次は終点、糸守ぃ~♪ 糸守ぃ♪」

「あぁ、やっと…」

 つい声に出してしまうほど、待ち遠しかった終点に到着してくれた。克彦もタメ息をつく。

「はぁぁ、ホント遠いよな」

 二人で降車しようと座席から立ち上がったときだった。

 くきっ…

 履き慣れないサンダルで足首を捻りそうになり、バランスを取るために脚を開いて立った瞬間、どうにも我慢できなくなってしまった。

「んっ、あぁ………」

「三葉? ………」

「……こっちを……見ないで……ください……お願い…」

 三葉の両手が顔を隠している。止まっていた涙も、また溢れてきて止まらない。終点だったので車掌が車内点検のために歩いてきて、失禁している乗客がいたのを見て、見なかったことにして去っていく。終電でトイレのない車両だと、たまにあることだったし、医療を必要とするような体調不良であれば見なかったことにせず対応したのだけれど、三葉の身体は健康そうに見えたし、何より彼氏とのデートに見えたので関わらない方が無難だという顔で去っていった。

「…み……三葉…」

「…………」

 三葉の両手は顔を覆ったまま、肩を震わせて静かに泣いている。とても恥ずかしくて顔を見せられたものではなかったし、どうしていいか、もうわからない。こんなとき、17歳の少女なら、どうすればいいのか、いくら考えようとしても頭が混乱して思考がまとまらないし、せっかくデートに誘ってくれた克彦にも、三葉にも申し訳ない気持ちでいっぱいになり、何もできずにいる。そして、脚が震えて腰が抜けそうになる。

「三葉、泣かんでええから。気づいてやらんで、ごめんな」

 そう言った克彦は座り込みそうになっていた三葉の身体を横抱きにすると、電車を降りて改札を通る。無人改札だったし、さきほどの車掌が検札するシステムだったけれど、克彦の両手が塞がっているので、素通りさせてくれた。女性一人を横抱きにしたまま歩いても、建設現場でセメントの袋を運ぶこともある克彦の両腕は、ここ最近は筋トレもしていることもあって危なげなく進み、そして駅前にあった噴水に抱いたまま入った。

「………」

「………」

 ゆっくりと克彦が噴水の中で座り込むと、二人ともずぶ濡れになった。

「………」

「遊んでたら、うっかり落ちちまったな」

「っ……テッシー!」

 こんな方法で女子の大失敗をフォローしてくれたことが、あまりにも嬉しくて、まだ横抱きにされたまま、克彦に抱きついて衝動的にキスをしてしまった。

「…み…三葉…」

 驚いた克彦だったけれど、もう明日まで待つこともないと今度は克彦からキスをする。さきほどの車掌が羨ましそうに遠目に見ている中、しばらくキスしていた二人は静かに離れると、宮水家に歩いて向かう。初夏とはいえ、日の暮れた高地で衣服が濡れていると、さすがに寒い。とくにワンピース姿だと震えてくる。また克彦が温かい手で肩を抱いてくれると、もうこのまま抱かれてしまいたいと感じてしまったけれど、自制心は残っていた。

「二つ……お願いさせていただいてよろしいでしょうか…」

「何でもいいぜ」

「ありがとう、テッシー。では、一つ、さきほどの私の失態を、どうか忘れてください。明日以降に二人きりのときも、お話にならないでください。お願いします」

「ああ、当然」

 了承した克彦の手が頭を撫でてくれる。

「もう一つ、さきほどのキスも忘れてください」

「………。……それは、…どういう意味で?」

「…………」

 しばらく考えて言い訳を思いついた。

「ファーストキスが、ああいう形だったことは忘れたいからです。お願いします。次にテッシーとするキスが私たちのファーストキスだと記憶してください」

「わかった」

「ありがとう、テッシー」

 そこまで約束してるうちに、もう宮水家が見えてきた。もう別れて、それぞれの家に向かうと思うと、一抹の不安がよぎって最後に問う。

「テッシー…」

「ん?」

「……私のことを、まだ……好きでいてくれますか? あんな失態を見せて、もう呆れておられるなら……私は明日……」

 そこまで言って悲しくなって顔を伏せると、克彦が肩をすくめた。

「失態? そんなこと、あったか?」

「っ……ありがとう、テッシー」

 また抱きつきたくなってしまって、自制するのに苦労してから別れた。宮水家に帰ると四葉が迎えてくれた。

「お帰り、お姉様。どうしたの? びしょ濡れで」

「テッシーと噴水で遊んでいて、落ちてしまったのです」

「そんな小学生みたいな……。風邪ひくよ。目隠しして、お風呂に入ったら?」

「………。……」

 すっかり身体は冷えてしまっているし、このままでは風邪を引くと思われた。

「……ですが、目隠ししていては危険ですし…」

「いっしょに入ってあげるよ」

 そう言ってくれた四葉に脱がしてもらって、いっしょに入浴し身体を温めた。夕食を終え、どんな手紙を書いて三葉に克彦から告白されたこと、そして、すばらしい男性なので、ぜひ交際した方が良いことを伝えようかと考えていると、スマフォが鳴った。

「サヤチンから。もしもし?」

「メッセージ、読んでくれてないの?」

「すみません。入浴していたものですから」

「そっか。富山土産のマス寿司、食べてくれた?」

「あ、はい。さきほど、ただきました。ありがとうございます、とても美味しかったです。お魚をあんな風に調理しているなんて、とても斬新で面白い料理だと思いました」

「……。まあ、喜んでもらえてよかったけど。話は、それだけよ」

 早耶香が電話を終えようとするので、こちらから話しかける。

「サヤチンにも聞いてほしい話がありますの」

「嬉しそうな声して、ええことでも、あったん?」

「はい! 今日、テッシーが私のことを好きだと言ってくださったのです。お付き合いしたいと! 私は、とても良いことだと思うのですが、サヤチンも祝福してくださいますよね?」

「……。それは何かの冗談?」

「いいえ、冗談などではありません。テッシーは本心から私のことを好きだと、まじめに告白してくださったのです。私、とても感動いたしましたし、あしからず想っておりました彼のことですから、まだ明日まで結論は保留しておりますが、前向きに考えたいと想っております」

「………それを私に話して、どうしたいわけ?」

 急にスマフォから響いてくる早耶香の声が低く冷たくなったけれど、話を続けた。

「お友達として祝福してください。テッシーと私が交際することを、いっしょに喜んでいただきたいのです」

「………。あのさ!」

 早耶香が怒鳴ってきた。

「いくら何でもひどすぎない?!」

「え………何がですか?」

「っ……そうやってスットボケるんや?! 私の気持ち、知ってるくせに!」

「サヤチンのお気持ち? すみません、よく知りません。教えていただけますか?」

「………ああそう!! じゃあ勝手にすればいいよ!! 付き合えばッ!!! こんな大事な話、そのふざけたお嬢様モードでされるなんて思わなかった!! わかってほしいなら、わかってほしいで、もっと言い方ってあるやん?! それなら私だって諦めたのに!!」

「あ……あの……お気に障ったのなら、謝罪いたします。どうか、落ち着いてください」

「バカにしないで!!」

 そう怒鳴った早耶香は電話を切ってしまい、こちらから何度かけても応答してくれなかった。

「いったい、どうして、サヤチンはお怒りになってしまったのでしょう……」

 まだ女心が十分に理解できない。けれど、ゆっくり何度も考えてみるうちに、だんだん早耶香の気持ちが見えてきた。

「もしかして、彼女もテッシーのことを好きで……」

 そう考えると思い当たる節は多い。そして、そうとしか思えなくなってきた。

「私は、なんてことを……彼女の気持ちも考えずに……」

 時計を見ると、もう夜の10時過ぎで早耶香へ会いに行くことも非常識だし、自分が謝りに行くと余計に混乱させる気もする。そして、やっぱり時間が残されていない三葉と克彦に幸せな時を少しでも過ごして欲しいという気持ちもあった。自分に置き換えても17歳の頃にアンネローゼと幸せな時間を数ヶ月おくれるなら、その後に過酷な運命が待っているとしても、その数ヶ月の価値は何物にも代え難いと想える。

「とにかく、お手紙に……」

 克彦から真剣な告白を受けて、とても好ましい男性だと感じたこと、そして早耶香とのやり取りを手紙にしていくうちに12時を迎えた。

 

 

 

 三葉はクロイツナハⅢの警察署内でホフマン警視から感謝状を受け取っていた。

「感謝状! ジークフリード・キルヒアイス殿。貴殿はクロイツナハⅢにおける麻薬捜査に協力され、多大な功績のあったことをここに証し、これに感謝いたします。帝国暦486年11月…」

 感謝状が手渡され、三葉も銀河帝国の礼儀作法で受け取る。

「この身に余る栄誉、恐縮の至りです」

 授与式が終わり、少しばかりホフマンと談笑したけれど、あまり話すと昨日の記憶がないことでボロが出そうなので、早々に切り上げ、ラインハルトが待っている喫茶店に入った。

「お待たせしました」

「ああ」

 ラインハルトは平服で優雅にコーヒーを飲んでいた。二人とも第四次ティアマト会戦が終わったことで、休暇で娯楽施設であるクロイツナハⅢに来ている。

「こんなのをもらいました」

 三葉が感謝状をラインハルトに見せる。

「キルヒアイスらしいな。どこにいても苦労性のようだ」

 そう笑ってから、三葉に名乗る。

「フロイラインミツハと、はじめて会ったときも少し話したけれど、オレの名も変わった」

「そういえば、どこかの家名を受け継ぐって…」

「ええ。ラインハルト・フォン・ローエングラムと申します。以後お見知りおきを、フロイラインミツハ」

「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」

 二人の会話をお冷やを持ってきたウエイトレスが聴いてしまい、真顔で同性にフロイラインと言っているラインハルトの顔をちらりと見て、すぐに行ってしまった。二人も休暇中の油断で、つい変な疑いをもたれる言動をしてしまったことにお互い失笑して席を立った。

「さて、せっかくの休暇だ。とりあえず観光でもしようか」

「そうですね」

 喫茶店を出て、二人でクロイツナハⅢの内部を歩き回った。やはり大人向けの娯楽施設なのでカジノやキャバクラなど、金、女、酒という組み合わせが目立つ。あまりラインハルトにとっては興味の湧かない場所だったので、ついつい話題が会戦のことになった。

「フロイラインミツハは、あのとき何か言いたそうにしていたな」

「あのときって?」

「ミュッケンベルガーから私の艦隊が単独で突出する形に布陣され、右に転進して敵の眼前を横断する、という策をとったときだ」

「ああ、あの。こんな邪道は二度と使わぬ、って言ってらしたときですか」

 三葉は第四次ティアマト会戦を思い出して答える。

「余計なことだから言わない方がいいかな、って思ったから黙っていたんですよ」

「どんなことを考えていたのか、知りたい」

「じゃあ、言いますけど、あれって完全にミュッケンベルガー元帥さんからの仕返しですよ」

「仕返し?」

「ほら、第三次ティアマト会戦のとき、ホーランドさんの艦隊に猛攻されてミュッケンベルガー艦隊が大ダメージを受けてたじゃないですか。そのとき、いくら戦利にかなっていたとしても、ぜんぜん助ける様子も見せなかったら、そりゃ怒りますし、次で仕返しされますよ」

「ふむ……ミュッケンベルガーから好かれていないのはわかっているが、なるほど仕返しかァ」

「ミュッケンベルガー元帥さんにしたら、ティアマトの借りはティヤマトで返す、みたいな気分だったと思いますよ。だいたい、帝国軍も同盟軍も、お互いに友軍と協力しなさすぎです」

「フ、それが見抜けるようになったか。あの会戦でのフロイラインミツハの働きには感謝している」

「私は、ただ相性が悪そうだったノルデン少将さんを近づけないようにしただけですよ。第三次のときと違って、忙しそうでしたから」

 会戦の日に入れ替わっていた三葉は相性の悪い二人が揉めないように間に立って両方と会話し、直接二人が話すことのないよう立ち回っていた。それは糸守町でも相性の悪い氏子のおじさんたちが氏子総会や社務所月例会でケンカをしないように立ち回るときに身につけた技術で、お茶を淹れたり、コーヒーの糖分を多めにしたりと、細々とした配慮で衝突をさける戦術でもあった。それに、第三次ティアマト会戦でのラインハルトの勝利によりノルデンも批評より世辞が多くなったので、その世辞さえ耳に入れたくないラインハルトに代わって話を聴くことが三葉の役目になっていた。

「ああ、それが、とても助かった。あいつが何か言うとオレの思考が乱される」

「配属されてきた副参謀長のメックリンガー准将さんとは相性がいいみたいですね」

「女性は人間関係を見抜く目が鋭いな」

「……」

 思いっきり顔に好き嫌い出てますよ、と三葉は言いそうになったので黙ってキャバクラの看板を見上げた。

「ここに入ってみませんか?」

「ここにか……いや、こういう店は、ちょっと…」

「こういう店ばっかりの地区じゃないですか。避けてたら面白いものないですよ」

「だ…だが、フロイラインミツハが不快な思いをするかも…」

「イヤだったら、すぐ出ればいいじゃないですか」

 二人の美青年が店前で話し合っていると、すぐに客引きが声をかけてくる。

「いらっしゃいませ。本日サービスディにて30分2000帝国マルクで1ドリンクつき、しかも5時までは一対一以上の接待をお約束しております。さ! さ! どうぞ!」

「入ってみましょうよ」

「……では……少しだけ…」

 好奇心を刺激されている三葉と、乗り気でないラインハルトを客引きはプロらしく柔軟さと強引さを兼ね備えた攻勢で店内に引き込んだ。

「二名様、入りまーす!」

「いらっしゃいませ」

「キャー、お兄さん、ステキ!」

 まだ昼過ぎだったので他の客は少なく、余り気味だったキャバ嬢たちが二人の美青年を見て集中砲火を浴びせてくる。

「どうぞ、こっちに座って。お兄さん、お名前は?」

「ジークフリード・キルヒアイスだよ」

「キルヒアイスさんですね。かっこいい名前! まるで戦場を駆け抜ける疾風みたい! 軍人さんでしょ?」

「え、わかるの?」

「姿勢でわかるよ。何を飲みますか?」

「じゃあ、黒ビールを」

「黒ビールですね。私も何か飲んでいい?」

「いいよ。どうぞ」

「じゃあ、キルヒアイスさんと同じにしよ」

「君の名は?」

「私はエリザベート。エリザでも、エリーサでも好きなように呼んで」

 よくある源氏名で本名ではなかった。

「じゃあ、フロイラインエリーサって呼ぶね」

「きゃはっ♪ フロイラインとか言われると恥ずかしい!」

「一回言ってみたかったんだ。フロイラインって」

「うんうん、上流階級って感じがするよね。あ、ビール来たよ。乾杯しよ、乾杯!」

「プロージット♪」

 三葉は、どことなくユキちゃん先生に似ているキャバ嬢と盛り上がっているけれど、ラインハルトは不味そうに安ワインを黙って飲んでいる。ラインハルトに付いたキャバ嬢が話しかけても必要最低限に、ああ、と答える程度で盛り上がっていない。それでも律儀に30分間は待ち、立ち上がった。

「キルヒアイス、そろそろ出よう」

「はーい」

 まだ居たかったけれど、明らかにラインハルトが不機嫌なので三葉も立ち上がった。キャバ嬢たちもラインハルトの顔色は見ていたので、ここでしつこくすると次の瞬間に怒鳴り出すという気配を見抜き、次回のご来店を期待して引き下がった。どのみち宇宙に浮かぶ閉鎖されたクロイツナハⅢに居るのなら、また夜にでもキルヒアイスだけが来店してくれるかもしれないという見込みもあるし、そういうパターンの客も多い。三葉はユキちゃん先生に似ているキャバ嬢の頭を撫でた。

「ごめんね、フロイラインエリーサ」

「また来てください。キルヒアイス」

 店を出ると、ラインハルトはタメ息をついた。

「はぁぁ……うるさいところだった」

「ああいうの嫌いですか?」

「好かないな。むしろ、フロイラインミツハが楽しそうだったのが意外だ。あんな下品…いや、ああいう雰囲気は平気なのか?」

「雰囲気っていうか、女の子たちが可愛いじゃないですか」

「………。あれも、可愛いうちに入るのか……」

「今度は、あっちの店に入ってみませんか?」

 三葉が別のキャバクラを指したのでラインハルトは止める。

「い、いや。もう、たくさんというか、もっと別のジャンルの店にしよう。ああ、そうだ! カジノがある! カジノに行こう!」

 二人で別のフロアに移動してカジノに入ると、やはりバニーガールもいたし、スロットゲームもポーカーもあったけれど、賭け事に関しては二人とも経験がない。少し試してみて、すぐに負け、もともと吝嗇気味であるラインハルトは金銭の無駄遣いだと感じたし、田舎育ちの三葉も興味が持てずカジノに使うくらいなら、もう一度エリーサと乾杯したいと思った。

「出ようか、キルヒアイス」

「そうですね」

 ここは意見が一致してカジノを出た。

「次、どこで遊びます?」

「ふむ……」

 ラインハルトが悩む。たしかにクロイツナハⅢには休暇で遊びに来ているけれど、10歳で幼年学校に入ったきり、ずっと遊びとは無縁の生活だった。もともと壮大な目標があって座学にも訓練にも励んできたので遊び方など知らない。そして、やはり大人向け娯楽施設で水商売を避けると、やれることは少ない。ラインハルトは案内板を見て考えるけれど、フライングボールの競技場は現在閉鎖中と表示されているし、射的などでは三葉が怒りそうだし、おそらく本格的な射撃訓練にはならないと思われる。

「あ」

 ラインハルトが決めた。

「ここにしよう!」

「……ここですか…」

 小学生じゃないんだから、と三葉はプールを指されて思ったけれど、さっきはキャバクラに付き合ってもらったので同意した。二人で男子更衣室でレンタルの水着に着替え、プールサイドに出ると、やっぱり大人向けの娯楽施設なのだと感じる雰囲気だった。子供がキャッキャッと水遊びするプールではなく、大人の男女がゆったりと休暇を過ごすプールだった。

「キルヒアイス、競争しよう」

「……。場の空気を読んでください。ここで競泳とかしたら冷たい目で見られますよ」

「そう言われると、みな泳いでいないな。いったい何をしているんだ?」

「基本、カップルで来るか、ナンパでしょ。それか、日光浴、あとはお酒」

「プールの意味がないじゃないか……」

「いえ、プールがあるから水着になれるという口実があるわけですよ。ほら、ああいう水着の人もいるし」

 三葉は相手に気づかれないようにプールサイドのカウチで寝転がっているドミニク・サン・ピエールを指した。ドミニクは赤い水着を着ていたけれど、かなりの露出をしていて身体の大部分が見えている。

「あの女は、あんな姿で恥ずかしくないのか?」

「声が高いですよっ。遮音力場があるわけじゃないんですよ」

 三葉が心配したとおり、ラインハルトの声はドミニクに聞こえてしまい、寝転がっていたのに起き上がってフルーツカクテルを一口飲むと、こっちに歩いてくる。目のやり場に困るような水着姿でラインハルトは目をそらしたし、三葉はフォローするために前へ出る。

「す、すみません。田舎育ちなもので。あんまりキレイな人だから、びっくりして」

「そう。坊やたちも可愛いわね。どこから来たの?」

「オ…オーディンです」

「ずいぶん都会から来たのね。私の方が田舎者よ」

「お姉さん、どこから来られたんですか?」

「フェザーン」

「ああ、あの」

 はじめて帝国臣民以外の人間に会い、ちょっと嬉しい。

「フェザーンって、どんな感じですか?」

「抽象的な質問ね。でも一杯おごってくれるなら、話してあげてもいいわよ」

「ぜひ」

 三葉とドミニクが会話を始めると、ラインハルトはすることがなくなり、とりあえずプールを一周泳いでから、また戻ってきた。まだ楽しそうに会話してるので、また一周してから戻ってくると、アドリアーナ・ルビンスカヤに声をかけられた。

「私の連れに、お友達を盗られたみたいね」

 ルビンスカヤは黒い肌を銀色のビキニ水着で包み、黒い頭皮も銀髪のウィッグをかぶっていた。ドミニクと同じくスタイルは良いものの、ドミニクよりは露出が控え目で、けれど瞳は野心でもありそうな光りを放っていたのでラインハルトも少しは興味をもった。

「ご婦人もフェザーンから?」

「ええ。坊や、と呼ぶには失礼な年齢かしら?」

「ラインハルト・フォン・ミュ…ローエングラムですが…」

「ローエングラム……あの二度のティヤマト会戦で活躍された? たしか、以前はミューゼル…」

「フェザーンのご婦人方にまで覚えていただいているとは思いませんでした。失礼ですが、あなたは?」

「ルパーナ・ケッセルリンクと申しますわ」

 堂々と偽名を名乗った。お忍びで来ているので当然、自治領主ということは隠しているし、スキンヘッドで多くの人々に記憶されているだけに、銀髪のウィッグをかぶっていると、誰も気づかずにいてくれる。

「あの二度の会戦、本当に見事なご活躍でしたわね」

「いえ、それほどでも」

「そして、ウワサに違わぬ、この金髪もお美しいこと」

「そんなことまでウワサの種になっていますか」

「私は外側より、その内部にある実力に興味を覚えるけれど」

 ルビンスカヤが見通すように見つめてくる。せっかくの偶然の機会に最大限情報をえようとしてくる視線だったけれど、ラインハルトの方もフェザーン人という存在に興味を覚えるし、政治や軍事の話は退屈しない。二人も話し込み、三葉とドミニクの方も盛り上がっているので、ルビンスカヤが滞在しているホテルに呼ばれ、最高級ワインを飲みながら、また話し込んだ。ラインハルトとルビンスカヤは政軍について話していたけれど、ドミニクと三葉は完全に逆ナンになっている。

「坊や、女の人と、お付き合いしたことあるかしら?」

「いえ。……」

 キルヒアイスの瞳は赤いドレスに着替えたドミニクの胸を見ている。さきほどまでの水着より面積が広いので露出は控え目だけれど、また別の色気があって身体が熱くなってくる。

「フフ」

 ドミニクは露骨な視線を浴びて楽しそうに微笑んだ。まるで少年が覚えたばかりの性欲に翻弄されているような視線で、大人の男性が隠すことを学習する前の、野蛮で野性的で物欲しそうな目で年下の美男子から見られると、ドミニクも身体が熱くなってくる。今夜どうやってキルヒアイスの身体で楽しもうか、せっかくの休暇を最大限に楽しもうと、挑発的なポーズをとってみると、やっぱり見つめられる。

「「……」」

 ドミニクが脚を組むと、スカートの奥を見られるし、腕を上げて髪をまとめるフリをすると胸と腋を見られる。そろそろ、女優、歌手、ダンサーとしては第一線で活躍するには苦しい年齢になってきているだけに若い美男子からの視線は、とても嬉しくて、もう会話はどうでもよくなり、魅せるドミニクが見ている三葉の前で色々なポーズをとっている。だんだんダンサーとしての血も騒いできて、ほぼ踊りのように動いていた。ルビンスカヤの方も、ドミニクの方向性に賛同してラインハルトを口説こうと思ったけれど、こちらは容易に落ちない。軍略の話には乗ってくるけれど、ルビンスカヤの身体には一切の興味がないようで、銀色のドレスから見える内腿や胸元、腋、背中、お尻から目をそらせて話している。あまり見せつけると退室しそうな雰囲気さえ感じる。

「まるでイゼルローンの防壁ね」

「は?」

「もし閣下が同盟側で、あそこを落とすなら、どう落とすかしら?」

「さて、それは思いついても話せないな」

 アイスブルーの瞳が野心的に光ると、ルビンスカヤは金髪の頭を抱きしめたくなったけれど、正攻法で落ちないのはイゼルローン並みのようなので策略をろうすることにした。

「これは479年ものの白よ」

 そう言ってラインハルトのグラスにサイオキシン入りのワインを注いだ。この手の酒席に慣れているルビンスカヤとドミニクに比べて、まったく初陣に近いラインハルトと三葉は指先で微量ずつ入れられているサイオキシンに気づきもせず酩酊していく。それでもラインハルトは引き際を感じていた。

「酔い過ぎてしまったようだ。そろそろ失礼しよう」

「もう一つだけ昔話を聴いてほしいわ」

 もう、だいたいの話題は尽きてきたのでルビンスカヤは野心と恋について語る。

「もしも閣下が、野心と恋、いずれかを選ぶとしたら、どちらにする?」

「………。………野心だ」

「なぜ?」

「恋は誰にでもできるだろう。だが、野心は……その才幹のある…」

 アルコールとサイオキシンの作用で、もうラインハルトのろれつは怪しい。

「…者にのみ…達成可能…な…」

「そうね。昔、閣下と同じことを考えた男がいた」

「……」

「その日の暮らしにも困るような、ごく貧しい家の娘。けれど、とても可愛い。夕食を持っていてあげると、とても喜んで食べるような可愛い娘」

「……貧しい…か…」

 もうラインハルトは半分話を聞いていない。貧しかった家族3人での暮らしが脳裏を回っている。

「そんな貧しいけれど、それでも愛していた娘と結婚するか、銀河の富の数%を占める富豪の娘との縁談を選ぶか。とても悩んだし、悩みすぎてハゲてしまったけれど、結局は野心をとった」

「……」

「おかげで、その男は恋以外のすべてを手に入れ、人生を大いに楽しむ、芳醇な酒、舌を溶かす料理、心の琴線を震わせる名曲、たおやかな美女、いずれも手に入れた。そして政略と軍略のゲームを楽しむ地位さえ」

 もうラインハルトの意識は朦朧としているので、ルビンスカヤは銀髪のウィッグをとって禿頭になった。

「けれど、ダース単位で愛人をつくっても、子供をつくったのは、その娘とだけ。そういうバカな男の昔話」

「もう聞いてないわよ。どっちの坊やも」

 まだ三葉は目を開けているけれど、もうドミニクの身体しか見ていない。ドミニクは三葉が意識を失わないようアルコールとサイオキシンの量を調節していた。完全に意識を無くしたラインハルトの身体をルビンスカヤは女性とは思えない膂力で横抱きにして持ち上げるとベッドへ運んでいく。

「私の最初の相手にふさわしいわ」

「まったく、あきれるわ。たしかに、あなたは男としての楽しみを、ほぼすべて手に入れた。だからといって、女の楽しみまで手を出す必要があったのかしら?」

 ドミニクは先月までアドリアン・ルビンスキーという男性だった元愛人に問うたけれど、彼らしく、そして彼女らしく微笑まれる。

「そう、あしざまに言うものではないわ。人の運命なぞ、ちょっとした気まぐれで大いに良い方にも悪い方にも変わってしまう。むしろ、個人の才幹など、それを生かす場も与えられず死んでいった者の方が多い。さきの会戦でも100人はいたろうさ」

「運命と気まぐれねぇ……」

「オレにとって、いや、私にとって、女になったのは幸いな気まぐれだったわ。でなければ手術前に精密検査など受けなかったし、医者嫌いの私のこと、男のままだったら、近いうちに脳腫瘍で死んでいたから」

「お金儲けにもつながったしね」

 中年男性だった自治領主が見違えるような美女になったことは、すでに一部の業界では有名で銀河中から同じような手術を望む問い合わせが、すでに一万を超え、超高額にもかかわらず予約は100件を超えている。これはこれでフェザーンの新たな経済的優位点になりつつあった。イエス・ルパート・クリニックは結果にコミットする、という謳い文句で自治領主の顔写真をビフォアーアフターで流している。どう見ても別人というほどの美女になっているけれど、自治領主という立場に変更がないのでコンピューター合成写真でもない、真実だと思われているし、医科大学院を出たばかりの実力派名医も笑顔でCMに出ている。地球教の司教も、いい顔はしなかったけれど、ダメという教義もなかったので不問にしていた。

「はぁぁ…」

 ドミニクは聞こえないように囁く。

「結局、いまだに初恋の相手が忘れられないようじゃ、たかが知れているけれど。ね、坊や」

「ぁあぁ」

 ふらふらと三葉が求めるように抱きついてくるのを避けて、ドミニクは高級ハンドバックから注射器を出した。

「最高にハイで忘れられない夜にしてあげる」

 やはりサイオキシンも麻薬なので口から飲食物に混ぜて摂取させるより血管に直接流し込む方がはるかに効く。サイオキシン入りの注射器の針がキルヒアイスの肌へ刺し込まれつつあるのと、ルビンスカヤの舌先がラインハルトの肌へ接触しつつあるのは、ほぼ同時だったし、そして夜12時だった。

 

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