「君の名は。キルヒアイス」   作:高尾のり子

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第16話

 

 

 キルヒアイスは三葉の部屋で気がつくと、四葉が目の前にいた。

「こんばんは、お姉様」

「はい、こんばんは」

「お腹空いてる?」

「え? ………はい……そのようです」

 恥ずかしそうに頷いた。

「下に夕食があるから、どうぞ」

「ありがとうございます。けれど、どうして夕食が12時を過ぎたのですか?」

「うちのお婆ちゃん、厳しいからね。病気でもないのに学校を休むと、働かざる者食うべからず、でさ。巫女の仕事をしなくても、そうだし」

「三葉さんは欠席されたのですか?」

「うん」

「その方が良いのかもしれません。ひどい中傷を受けていましたから」

「お姉様もつらいなら、休んでくれてもいいよ」

「いえ、私は大丈夫です」

 かなり遅い夕食を取ってから眠り、朝になって通学路へ出た。

「おはようございます、テッシー、サヤチン」

「おう、おはよう、三葉」

「おはよう、三葉ちゃん」

 二人とも、あえて修学旅行の話はせずに、まったく関係ない月刊ムーの記事について克彦が語るのを聴きながら登校する。

「でよ、この記事によると地球外生命体の有力な移動手段として彗星が考えられるっていうんだ」

「あいかわらずバカな話を思いつくよね、その雑誌」

 早耶香が夏の空を見上げて、暑そうに汗を拭いた。学校に着くと、いきなり侮辱されるようなことは無いけれど、一部の生徒がヒソヒソと話し合ったり、クスクスと笑っていたりする。

「今日は休まずに来てるよ、おジョー様」

「替えのおパンツ持参じゃね」

「おジョー様はトイレいかないから、きっとオムツだよ」

 面と向かって言うわけではなく聞こえるか、聞こえない程度の声で話されているし、克彦が睨むと知らん顔される。宮尿三吐の次は、おジョー様という言い方でお嬢様と発音するのと違いが少なく余計に注意しにくいし、陰にこもる中傷だったけれど、もともとアンネローゼも宮廷内で門閥貴族から色々と陰口を言われても、聞こえない顔をして過ごしていたので、それを見習って毅然としている。そのおかげか、大きな悪戯はされずに一日が終わった。

 

 

 

 三葉はラインハルトとの朝食を終え、元帥府でヒルダから今日の予定を聴いていた。

「本日のご予定は10時より、エリザベート・フォン・カストロプ公爵夫人の自裁に立ち会われることになっております」

「ああ、あの人……皇帝に逆らったんだから、死刑は当然か……。他の予定は全部、明日に回しても大丈夫?」

「はい、キルヒアイス中将自らがなさらなければならない仕事は、それだけです。他は事務的な決済などがありますが、明日以降でも問題ありません」

 すでにヒルダはキルヒアイスから、たまに自分は丸一日あまり仕事をしたくない日があり、そんな日は翌日以降でいい仕事は後回しにして、どうしても処理しなければならない案件だけ進めるよう、と聞いているので、その日が来たのだと思い、外せない用件だけを伝えている。

「じゃあ、午後からヒルダと、どこかに遊びにいこう」

「え……はい! あ、でも…」

 嬉しそうに返事してからヒルダが迷っている。

「何か用事ある?」

「実は昼休みにオーベルシュタイン大佐に呼ばれているのです」

「あの人に………しかも、昼休みにって……」

「大佐は、これは私的な用件だから業務時間外に、と」

「……私的な用件って、怪しくない? あの人そのものが怪しいのに」

「クスッ……今日のキルヒアイス中将は、いつもと、ぜんぜん雰囲気が違うのですね」

「そ、そっかな。まあ、今日はオフな気分だからさ」

「まるで元帥府で初めて、お出会いした日みたいです」

「うん、あの日から、もう一週間は経ったなぁ……ま、それはいいとして、あの大佐の私的な用件って明らかに怪しいから注意して」

「はい」

「っていうか、私もついていってあげようか」

「いえ、それでは鼎の軽重を問われます」

「あ、そっか、中尉が大佐に会いに行くのに中将がついていくのはマズいか………じゃあ、偶然をよそおってドアの外で待ってるよ。変なことされそうになったら叫んで呼んで。今度こそ逮捕してやるから」

「クスっ…よろしくお願いします」

 ヒルダとの話を終えると、軍服を儀典用の華美なものへと着替え、新無憂宮へと移動する。途中でノルデンに出会った。

「気の進まない任務だね」

「まったくですな」

 ノルデンも中将としての儀典服を着ている。エリザベートを捕虜にしたとき、二人とも関わっていたので慣例として見届人に指名されていた。二人でベーネミュンデも自裁させられた部屋に入った。

「………。ここで、今までに何人も……」

「独特の雰囲気がありますな」

 自裁のために用意されている部屋は華美なのに陰鬱な感じを受けるのは、その使用目的を知っているからかもしれなかった。他にも官僚やカストロプ家と関わりのあった見届人が入室して整列していく。フランツも入ってきて、ノルデンと三葉に会釈した。

「そのせつは、ありがとうございました。ノルデン中将にお助けいただき、まことに感謝いたしております」

「いえいえ、当然のことをしたまでですよ。ははは! 伯もお元気そうで、よかった」

「おかげさまです。また、キルヒアイス中将のところへは娘がわがままを言って押しかけてしまい、すみません。ご迷惑をかけていませんか?」

「いえ、ぜんぜん。むしろ、可愛…いえ、えっと…嬉しいですよ。光栄です」

「そう言っていただけると幸いです。もともと男勝りで結婚も難しいかと思っていたのに、あの傷では……」

「………。そんな簡単に諦めなければ、よい縁があるかもしれませんよ」

 キルヒアイスの手が娘を心配する父親の肩に触れると、フランツは有り難そうに一礼して軍属の三葉たちとは離れた位置に整列した。三葉は天井を見上げた。豪華な天井画が描かれ、やはり部屋の使用目的に合わせているのか、ヴァルハラを表現している。

「あと3分か……毒殺は苦しむのかな? ノルデン中将さんは見たことありますか?」

「いえ。けれど、そう苦しむことは無いはず。一応、公爵夫人としての礼節をもって遇されると」

「爵位か……」

「兄のカストロプ公から形式的に相続した上での自裁ということに。もっとも、その兄のマクシミリアンでさえ、死後に宮内庁が父オイゲンからの相続を正式に認めた後から妹へ、ということゆえ。本当に形式的なもので、あわれなことよ」

「………憂鬱ですね。……新無憂宮といっても、けっこう憂鬱な部屋が有って…」

「ゴホン!」

 リヒテンラーデが咳払いして私語をやめさせた。いよいよ定刻となり、エリザベートが儀仗兵に連れられて、ドレス姿で現れた。最後の礼遇ということで公爵夫人として最初で最後のドレスを着ているし、おそらく蒼白な顔色をしているはずなのに化粧のおかげで美しく見える。しかも二重顎だった下顎のラインが、ほっそりと痩せていた。

「………」

 ぜんぜん別人みたいに痩せてる、そりゃそうだよね、捕虜になって、ご飯もらっても公爵家の食事とはレベルが違うだろうし、いずれ殺されるとわかってたら食欲も無いだろうし、こうやって痩せると、けっこうキレイで可愛い子だったんだ、艦隊指揮なんか執らずに全部お兄さんのせいにしたら、命くらいは助かったかもしれないのに、かわいそう、と三葉が同情的な視線を送っていると、睨まれた。

「この下賤な卑怯者めが!! 正々堂々戦っていれば勝ったのは私だ!!」

「………」

 まあ、5000対2000だったから、私が5000の方でも、勝ったと思うよ、そもそも真正面からぶつかることしかしないなら艦隊指揮官も参謀も無用の長物だよね、いかに戦術を練るかが仕事なんだから、それを卑怯って言われてもなぁ、と三葉が黙って考えていると、エリザベートが唾を吐きかけてくる。

「ペッ!」

「っ…」

 三葉は人間が唾液を貯めるときの予備動作を熟知していたし、持ち前の反射神経もあってエリザベートの唾が顔にかかる前に、さっと横へ回避すると同時に、とっさに身体が動いてボディーブローを放ち、うずくまったエリザベートの肩を捻ると組み伏せた。

「あ……」

 流れるような白兵戦技で組み伏せてから、空気が読めていないことに気づいた。リヒテンラーデが注意してくる。

「キルヒアイス中将、公爵夫人への礼節を忘れぬよう」

「は…はい、すいません。つい、とっさに……失礼しました」

 キルヒアイスの手が公爵夫人を離すと、たとえ女性が相手でも容赦しないのだと思い知ったのか、もう何も言わずにエリザベートは儀仗兵に連れられ、赤い絨毯の上を歩いていき、リヒテンラーデの前に立たされた。

「フリードリヒ皇帝陛下よりの勅命である」

「……」

 エリザベートは顔を硬くして聴き、リヒテンラーデは慇懃に宣言する。

「エリザベート・フォン・カストロプ公爵夫人に死を賜る」

「っ…」

「格別のご慈愛により自裁をお許しくだされた。さらに公爵夫人たる礼遇をもって、その葬礼をなすであろう」

「…………ぃ……イヤ…」

 ドレスが着乱れるほど震え、周囲を見回して助けを求める。

「……た……助け……フ…フランツ伯父様! た、助けて!」

 親戚を見つけて助命を乞うた。フランツは人質にされた恨みも無いように気の毒そうな顔をしたものの、助けることはできないとわかっている。それでもエリザベートは言い募った。

「わ…私は強欲な兄に騙されていただけなのです!」

「……エリザ……かわいそうに…」

 主犯たるマクシミリアンが生き残っていれば、妹は終身刑からの恩赦の可能性もあったけれど、三葉が帝国に反逆した私兵の多くを帝国軍に組み入れたこともあり、誰も処罰しないままでは示しがつかないので、エリザベートの死は不可避だった。

「お願い、フランツ伯父様! 私は悪くない! 悪いのは全部兄なの! あいつは……あの男は……まだ、幼かった私を辱めた!! だから、言うことをきくしかなかったの!」

「「「「「……………」」」」」

 場の空気が、さらに重くなった。マクシミリアンが10歳前後の女子を愛することは公然の秘密だったけれど、まさか実妹にまで手を出しているとは、という残念な空気が漂い、エリザベートは同情を集めようと必死に語る。リヒテンラーデはベーネミュンデのときと同じく、もう最後なので言いたいことは全部言わせてあげてから、終わらせるつもりで今少し本人の気が済むまで待っている。泣きながらエリザベートは幼少の頃に受けた実兄からの虐待を語り、それゆえ嫁に行くことも諦めて、また大人になってからは相手にされなくなったものの、トラウマによるストレスで肥満して二重顎になり、兄が帝国に反逆したときも止めようとしたけれど、言うことをきかないと幼少期に撮られた3次元映像が、全宇宙に送信されるかもしれないので本当に仕方なく皇帝陛下へ弓を引いたのだと、切々と語った。

「………実の兄妹で………気持ち悪い……」

 三葉は聴いていて、ぞっとした。そして、やっぱり実の兄弟姉妹でも、そんなことをする人間が実在するのだと思い知り、これからは四葉と距離をおこうと考えている。

「……エリザ………本当に、かわいそうに……」

 フランツは娘を傷物にされてはいたけれど、同じく傷物にされていた姪を抱きしめた。そして、わずかな可能性に期待してリヒテンラーデへ視線を送ったけれど、勅命に変更はありえなかった。

「そのへんで気が済みましたかな、公爵夫人」

 リヒテンラーデが腰の後ろで組んでいる手の指先をチョイチョイと動かすと、係の者が用意していた杯を盆に載せてもってきた。豪奢なグラスに3分の1ほど、酒と毒が入っている。

「ひぃっ…」

 エリザベートが本能的に後退ると、儀仗兵が左右から両腕を捕まえて動けないようにした。ゆっくりと厳かに係がグラスを載せた盆をもって近づいていく。エリザベートは恐怖してガタガタと震え、もう腰が抜けて儀仗兵に支えられて立っている。

「ひぃ……ひぃぃ……」

「………」

 これって銃殺の方が楽なんじゃないかな、もしかして自裁って名目でイジメてるのかな、だいたい潔く自分で死んじゃう人はブラスターで頭を撃つパターンが多いらしいし、ってことは自分で死ねない人だけが、この自裁に追い込まれるわけで、やっぱりイジメかも、と三葉が可哀想に思っていると、エリザベートの足元に水たまりができた。

「………」

 かわいそうに漏らしちゃったよ、おもらしってホントみじめ、かっこ悪いし、みんな紳士だから見て見ぬフリしてるけど、これが高校だと紳士ばかりじゃないし、と三葉は涙ぐみつつ、エリザベートが強引に毒を飲まされるのを見ていた。

「うっ……くっ…」

 ほとんど苦しむことなく少し血を吐いて倒れると、もう動かない。赤い絨毯には血と尿でシミができていた。

「…………」

 三葉は軍靴を少し動かして絨毯の感触を確かめる。新無憂宮は手織りの豪華な絨毯が敷かれている部屋がほとんどだったのに、この部屋の絨毯は感触的に、かなり他の部屋より安価そうで絨毯は毎回使い捨てなのだろうと思った。

「もう出ましょうか。キルヒアイス中将」

 ノルデンに促され、頷いた。

「昼休み前に、これはきついね」

「そうですな。ご昼食の予定は?」

「ちょっと女の子と」

「羨ましいですな」

 にやりと微笑んだノルデンはタメ息をついてから話題を変える。

「はぁぁ……羨ましいといえば、キルヒアイス中将はローエングラム元帥のお気に入りのようで羨ましいですな」

「はあ……まあ……昔から友達って部分もあるから」

「どうも、私はローエングラム元帥にこころよく思われていないようで中将として艦隊をさずかったものの、どれも旧式艦や第2線級の艦ばかりで、主に補給部隊の護衛が任務になりそうでね。黒色槍騎兵や疾風ウォルフとまでは望まないものの、活躍の機会が無さそうで」

「ラインハルトさんは、ちょっと人への好き嫌いが激しいから。けど、考えようによっては安全でいいじゃないですか。私が言うのもなんですけど、今の年齢で中将なら、エーレンベルク元帥さんやミュッケンベルガー元帥さんに比べれば十分に若いですし、ほどほどの出世の方がいいですよ」

「おお、なるほど、たしかに、そうだ。何事も、ほどほどですな」

「そう、ほどほど。あんまり目立つ立場だと、失敗したとき余計に恥ずかしいですし、ほどほどに、いきましょう、ほどほどに」

 三葉はノルデンと別れ、ヒルダと早めの昼食を済ませてからオーベルシュタインの執務室まで行く。三葉だけが廊下で偶然をよそおいつつ待機し、ヒルダはノックして入室する。

「ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ中尉、参りました」

 ぴしりと敬礼すると、待っていたオーベルシュタインも敬礼を返しつつ、ソファを勧める。

「よく来てくれた。マリーンドルフ中尉。どうぞ、座って」

「は…はい…」

 ヒルダも、まだ一週間ほどしか元帥府に勤務していないけれど、明らかにオーベルシュタインの態度はいつもと違った。

「そうだ。コーヒーを…」

 オーベルシュタインは従卒に命じようとして止め、自ら立ち上がった。

「いや、これは私的な用件であるから、私が淹れよう。どうぞ楽にして、待っていてくれたまえ」

「は…はい…、ありがとうございます…」

 ヒルダは少し待ってオーベルシュタインが自ら淹れてくれたコーヒーを礼儀の上で飲むフリをしたけれど、カップに唇を着けないようにした。

「それで、大佐。ご用件というのは?」

「うむ……これを…」

 そっとオーベルシュタインは封書をヒルダへ手渡した。

「もちろん、これは業務命令ではないので、中尉には断ることもできるが、ぜひ、よく考えて、受諾していただきたい」

「……」

 ヒルダは封書を開け、目を通すと立ち上がった。

「わかりました。前向きに検討いたします」

「伯爵へも、よろしく伝えておいてほしい」

「はい」

 敬礼して退室したヒルダに三葉が訊いてくる。

「どうだった? 変なことされなかった?」

「クスっ、はい。意外ではありましたが、考えてみれば当然かもしれません。これを見てください」

 ヒルダがパンフレットを見せてくれる。

 

  義眼者友の会 入会案内

 義眼の開発は、いまだ道半ばです。

 ときおり異様な光りを発して周囲を驚かせてしまったり、

 どうにも頻繁に調子が悪くなったり、

 そんな悲しい想いをしている皆さんが立ち上がるときです。

 みんなの力を合わせて財務省を動かしましょう。

 義眼者友の会は一人でも多くの加入を募っています。

 義眼者本人、またはご家族、門地爵位に関わりなく誰でも歓迎しています。

 ぜひ、ご入会ください。

会長 パウル・フォン・オーベルシュタイン

 

 読んだ三葉も納得した。

「そういうことか。ヒルダも片目が義眼だから。じゃあ、入るの?」

「そうですね。年会費も300帝国マルクですから、一応、入会してみます」

 心配していた案件が軽微に終わったので、二人とも安心して出かけ、郊外にある夕日の見える丘までレンタルした地上車で移動して、早めの夕食をテイクアウトのサンドイッチとワインで終えると、ごく自然な成り行きで三葉はヒルダにキスをした。

「……キルヒアイス中将……」

「もう一回していい?」

「………私は、この通り……傷物ですから……」

「ヒルダの傷、全部見てみたい」

「っ…」

「抱いていい?」

「………」

 ヒルダは黙って頷いた。

 

 

 

 キルヒアイスは見慣れないバスルームにいたので緊張しつつも落ち着いて手に持っていた手紙を読む。

「なっ……」

 落ち着いて読んだけれど、ひどく動揺する内容だった。

 

 ごめんなさい、男の欲望に負けてヒルダを抱いてしまいました。

 けど、すごく可愛いし、キルヒアイスさんにお似合いだと思うから、ぜひ交際してあげてください。

 ラインハルトさんには遅くなるって連絡してあります。

 今日の行動としては、エリザベートの自裁に立ち会いました。ごく無難に終了。

 ただ、ノルデンさんがラインハルトさんに気に入られてないみたいだって気にされてました。うまく取り持てるといいかな、と思います。

 あと、オーベルシュタインさんが障害者団体への加入をヒルダに求めていました。義眼の会とか、別にいいかな、とは思います。

 ヒルダには優しくしてあげてください。

 勝手に抱いてしまって、ごめんなさい。

 どうしても、可愛くて我慢できなくて。

 とてもいい女の子だと思います。

 目のことも身体の傷のことも気にしてるけど、そんなこと関係ないくらい魅力的。

 だから、お願い、大切にしてあげて。

 避妊はしました。

 

 思わず2回、読んだ。

「………………」

 何度読もうと内容は変わらない。とくに最後の一行が、恐ろしく現実的で重い。

「…………………」

 自分が着ているのは、どこかのホテルのバスローブのようだった。

「……………三葉さん……そんな……勝手に…」

 言うまいと思ったけれど、やっぱり勝手すぎると感じる。

「………………」

 けれど、自分も女の身であったとき、身体が求めるのか、克彦と思わずキスをしてしまっていた。幸いにして、ずっと克彦は黙っていてくれるけれど、どちらが先に勝手をしたのかといえば、自分だった。けれど、キスだけで、それ以上はしていない。

「………私は……アンネローゼ様を……」

 三葉と入れ替わるようになってから、三葉に自分の想いを教えたことがあるか、思い返してみる。

「…………三葉さんは……知らない……」

 教えていない。ラインハルトと協力して後宮から救い出したいとは伝えてある。けれど、自分の想いは伝えていない。そもそも、その想いを口にしたことさえない。ラインハルトは暗黙の了解として気づいていてくれるけれど、後宮にいる女性へ思慕しているというだけで不敬罪にあたる恐れもあり、言うわけがなかった。

「…………」

 そうなると三葉が恋人のいないキルヒアイスにヒルダが似合いだと勧めるのは、自分が勝手に克彦との交際を勧めたのと同じようなもので、ごく勝手な善意と身体が求める生理なだけだった。

「とにかく状況の確認を……」

 キルヒアイスは気を取り直して、バスルームを出た。ホテルの一室だった。ベッドにはヒルダが横になっている。目を閉じているけれど、恥じらっている表情で眠っているわけではなさそうだった。

「………」

 窓の外を見ると、夜景からオーディンの郊外だとわかった。

「……………」

 星空へ叫びたくなった。もう長い付き合いになっているけれど、一度も言葉を交わしたことのない三葉へ直接に言いたい、叫びたい、これはないだろう?! と。

「………………」

「キルヒアイス中将……どうか、されましたか?」

 ヒルダが目を開け、シーツで身体を隠しながら上半身を起こした。

「……いえ……少し…飲み過ぎたようです…」

 ごく無難な返答をしてヒルダに背中を向けて動揺を知られぬよう気持ちを落ち着ける。これから、どうするべきか、ラインハルトへの報告は、どのようにすべきか、これは報告すべき事柄なのか、よくよく考え、ヒルダとの性行為のことは伏せることにした。

「ラインハルト様に電話をかけてきます」

「はい」

 ヒルダは急に仕事を思い出したかのような男の雰囲気の変化を残念に思ったけれど、はいと返事だけして待つ。キルヒアイスは服を着て、ホテルのロビーまで出てから電話をかけた。

「ラインハルト様」

「遅かったな」

「すみません」

「で、どうしているんだ?」

「はい、三葉さんとマリーンドルフ中尉が郊外まで遊びに出ていたようで、遅くなってしまったので、このまま最寄りのホテルに泊まるということです」

「そうか。他には?」

「自裁の件は無事に終えてくれたようです。あとはノルデン中将のことを少々。そして、オーベルシュタイン大佐が義眼についての障害者団体をマリーンドルフ中尉へ勧めたそうですが、お気にされるような内容とは思えません」

「そうか。わかった。こちらからは重要な情報がある」

 一呼吸おいてラインハルトが気迫のこもった声で告げる。

「同盟軍に何らかの動きがあるようだ。いまだ詳細は不明だが、少なくともイゼルローンより、こちら側へ、何らかの侵攻をしてくる気でいるようだ」

「それは……では、ただちに元帥府へ戻った方が…」

「いや、まだ、そこまでの段階ではない。ただ、そんな話がフェザーンから回ってきたという段階だから、まだ先になるだろう。だが、遠い将来のことではない」

 もうラインハルトはキルヒアイスが女性中尉と外泊していることなど、どうでもいいようで電話の向こうで、相手の侵攻規模に応じた戦略をいくつも考えている気配だった。

「何個艦隊で来るか、楽しみだな」

「はい」

「まあ、今日のところは、しっかり休んでおけ」

「はい」

 電話を終えると、少しタメ息が漏れた。

「はぁ…」

 同じ部屋に泊まっているのか、と訊かれたら、どう答えるべきか、困ったかもしれない。けれど、すでにラインハルトの思考は同盟軍との戦闘にあって、男女関係については一欠片も考えていない様子だった。

「…………部屋に……戻るべき……かな…」

 このまま帰宅したり、もう一部屋を借りて別々に眠るのはヒルダに対して、かなりの非礼になる気がする。どうするべきか迷う。

「こんなことには経験が……教科書か、師匠でもいれば…」

 ロイエンタールの顔が浮かんだ。

「ダメだ」

 ミッターマイヤーに相談するのも、やはり遠慮したい。そもそも深夜12時を過ぎて、いきなり電話で質問するようなことではない。

「……………相手は伯爵令嬢なのですよ、三葉さん……」

 三葉は爵位と軍階級の存在に慣れてきてくれているものの、根本的には平等な日本社会から来ているので、キルヒアイスが帝国騎士でさえない庶民であること、中尉であってもヒルダは伯爵令嬢であることを意識してくれていない気がする。単に歳が近くて、お似合いそうだから、むしろ自分が可愛いと感じてしまったので、というだけのように思われる。

「………あまり待たせるわけにも………」

 そろそろ戻らねばと、答えのないまま、部屋へ戻った。

「………」

「………」

 待っていたヒルダも、どう応答すべきか困り、恥じらって下を見ている。流れから考えて、このまま二人で一つのベッドで眠るか、もう一度、抱き合うか、そのくらいのことはわかるけれど、わかることと実行に移すことには数光年の開きがある。

「………」

「………」

「………何か、あったのですか? ローエングラム元帥とのお電話で」

「え…ええ! 同盟軍が攻めてくるのです!」

 話題を変えられることのタイミングの良さに同盟軍へ感謝しつつ、ヒルダとは男女ではなく中将と中尉として、同盟軍を迎え撃つ対応について話し合い、朝を迎えることができた。

 

 

 

 三葉は抱き起こそうとしてくれる妹に断りを入れていた。

「いいよ、一人で何とかするから、私の身体に、あんまり触らないで」

「……布団を汚さないでね」

 心配して見ている四葉の視線が気になり、三葉は退室を促す。

「見られたくないから出て行って」

「……バケツと雑巾も廊下にあるから。じゃ」

 四葉が出て行くと、三葉はスカートだけは濡らさないようにまくって、布団の隣りに四葉が敷いておいてくれたヨガマットへと、起き上がらずに寝たまま転がって移動した。

「ぅ……ぁぁ~……」

 情けない姿だと自覚しているので、あまり考えないようにしてヨガマットを片付け、濡らした下着を持って廊下に出る。四葉が待っていた。いつもの流れだと、いっしょに入浴することになるけれど、それも断る。

「これからはお風呂も一人で入るから」

「……。じゃあ、もう私は寝るよ。おやすみ」

 四葉は自室へ入っていく。三葉は脱衣所で下着を手洗いしながら、今までたいてい妹が洗っていてくれたことを実感して、この作業を自分ですると、みじめさが増すことも思い知った。

「…………」

 黙って一人で入浴していると、会話しながら入るよりも淋しいし悲しい。

「…けど…これ以上、四葉に変なことに目覚められても困るから……」

 それでも唾液や小水に興味をもったり、姉の身体に触れてくる四葉と入浴するのも、今後やめようと思っている。静かに揚がると、自室の布団に潜り込んだ。

「………学校……行きたくないなぁ……でも、行かないと、ご飯が……」

 朝が来なければいい、来るならオーディンの朝がいい、と願いながら眠り、願いはかなわずに朝を迎えた。

「…………」

「お姉ちゃん、朝ご飯できたよ」

「………どうせ、それ食べたら学校に行けって……」

「働かざる者食うべからず、らしいからね。お弁当も用意されてるけど、たぶん、それも学校に行くんじゃないともらえないよ」

「…………ぐすっ………いいもん………ダイエットだと思うもん……」

 もそもそと三葉が布団に潜り込み直すと、四葉はタメ息を飲み込んで一階へ降りて祖母へ報告しようとしたけれど、克彦と早耶香が玄関に現れたので応対する。二人は通学路に現れない三葉を心配して来てくれているので、四葉は頼む。

「どうぞ、二人ともあがってください。お姉ちゃん、まだ布団から出ないし、なんとか元気づけてあげてください」

「「お邪魔しまーす」」

 制服を着ている二人が三葉の部屋へ入る。

「三葉ちゃん、元気にしてる?」

「三葉、大丈夫か?」

「………大丈夫じゃないし……元気じゃないもん……お休みするんだもん」

「三葉ちゃん……昨日みたいに毅然としてたら、そんなに色々は言われないからさ」

「………それでも、ちくちく言われてるもん…」

 昨日の出来事を書いた手紙もすでに読んでいたけれど、やはり陰口を言われていると書いてあったので登校したくない。

「三葉、休むと明日、より行きにくくなるぞ。できるだけ守るからさ。行こうぜ」

「……ぐすっ……明日は、ちゃんと行くもん」

 まだ洗顔もしていないので克彦に顔を見られたくない。布団から出ずに二人と話していると、四葉が朝食をトレーに載せてもってきた。

「ほら、これ食べて」

 香ばしい自家製味噌の匂いが拡がり、三葉は仕方なく諦めた。

「ごめん、テッシー、着替えるから出て行って」

「じゃ、オレは外で待ってるからよ」

 朝食を摂って洗顔し、制服を着て三人で登校した。

「あ、おジョー様、おはよう」

「きゃはは、おジョー様、お元気?」

「「「…………」」」

 からかわれて三葉がビクリとして顔を伏せると、昨日よりからかい甲斐があるのでエスカレートしてくる。とくに克彦がフォローできなくなる男女別の体育でひどくなった。心ない一部の女生徒が聞こえよがしに会話している。

「オネショってさ、いくつまでした?」

「小2までかな。あんたは?」

「恥ずかしながら小4で、やっちゃったことあるよ」

「クスっ、まあ中学までに卒業すればOKじゃない」

「おもらしは、いくつまでした?」

「さすがに、おもらしは幼稚園で卒業でしょ」

「だよね。普通しないよね」

 聞きたくなくても聞こえてしまう三葉が泣きそうな顔で震えているので早耶香が怒る。

「そういう話、もうやめてあげなよ! いつまでもさ! 人が失敗したのが、そんなに可笑しい?!」

「え? なに? 私ら、自分のオネショと、おもらしが、いつまでだったかって話してるだけなんですけど?」

「わざとらしい!」

「名取は、いつまで、おもらししたの?」

「…………」

 早耶香が最後におもらししたのは、小学5年で富士急ハイランドのお化け屋敷に挑戦したときだったけれど、もちろんそんなことを教える気はないし、黙って睨むと背中を向けて、泣きそうな三葉の背中を撫でる。

「気にすることないよ、三葉ちゃん」

「……ぐすっ……」

 昼休みも、注意しにくい遠回しな中傷を続けられ6時間目のHRで修学旅行を振り返る時間がもうけられた。ユキちゃん先生が文集にするための用紙を配りながら生徒たちに言う。

「今回の修学旅行で一番、印象に残ったことを、それぞれ書いてください」

「そりゃ一番は、あれしかないだろ」

「きゃはは、そうそう、あれあれ」

「糸守門内の変!」

「おジョー様、校庭でござる! 校庭でござるよ!」

「ご乱心めさるな! トイレは、あちらにござる!」

 校門を入ったところで、おもらししたことを桜田門外の変と忠臣蔵に喩えられて、もう耐えられなくなった。三葉は立ち上がってカバンを持つと、早退も告げずに教室を走って出ようとする。

 バンっ!

 感情的に教室の戸を開けて勢いがつきすぎてしまい、弾き返ってきた戸に側頭部を打たれてバランスを崩すと、もんどりうってゴミ箱へ頭から突っ込んで倒れてしまった。

「きゃはははははは!」

「だははははは! ひーはははは!」

 おかげで、からかいに参加していなかったクラスメートにまで爆笑され、あまりに可哀想で笑う気になれるわけがない克彦と早耶香以外は笑い続けている。

「…ぅっ……うくっ…ひっく…」

 今にも号泣しそうな三葉を早耶香が立たせる。

「三葉ちゃん、帰ろう」

「オレも早退する」

 三人で早い時間に通学路を戻り、啜り泣く三葉を慰めながら宮水家まで帰ると、そばの小川に四葉がいるのを克彦が見つけた。

「四葉ちゃん、何をしてるんだ」

「巫女さんって、あんな修業もしてたっけ?」

 早耶香も気づいて小川の滝に打たれている四葉を不思議そうに見る。巫女として三葉が滝業などしているのを見たことはない。四葉は巫女服の下に着る襦袢姿で滝に打たれている。まるで滝の流れと一体化するように両手は力を抜いて垂らし、ときどき口を開けて水を飲んでもいる。夏なので気持ちよさそうにも見えた。

「ぐすっ……このごろ、四葉、変だから……ちょっと頭を冷やした方がいいよ……」

 三葉は巫女業には興味なさそうに自室へ戻ると、布団に潜り込んだ。あと、何時間でオーディンかな、ヒルダに会えるかな、と想いながら。

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