キルヒアイスは日の出前に四葉に起こされていた。
「起きて。お姉様の方だよね?」
ほぼ一日おきに入れ替わっているので見当をつけて四葉が問うと、頷いた。
「はい」
「よかった。昨日の前夜祭はボイコットされたから。お姉様なら、ちゃんとお祭りに出てくれるよね」
「…はい…、不肖ながらお勤めいたします」
三葉は、もう何度も学校を休んでいるようだったし、夏祭りの前夜祭は各家庭から氏子代表が来るだけで高校の同級生などは顔を出さないけれど、それでも出仕しなかったようで、かなりの空腹を覚える。ただ、睡眠だけは十分に摂っておいてくれたようで、相当な早起きなのに、あまり眠くない。
「悪いけど10分で、ご飯を食べて。日の出のタイミングで禊ぎするから」
「はい」
祭りの手順や舞いは、もう何度も練習したのでわかっている。急いで食事すると、近所の小川へ行き、周囲に誰もいないことを確認してから四葉は裸になった。
「お姉様も目を閉じて裸になって」
「…はい…」
屋外で裸になることに、かなりの抵抗を覚えつつも、時間をかけたくない上、すでに四葉は裸になってしまったので諦めて脱いだ。それでもショーツまで脱いでいいものかは、かなり迷う。迷っていると四葉が脱がせてくれた。目を閉じたままなので手を握って導いてくれる。
「冷たいけど、この水で全身を洗うから」
「はい」
洗ってもらいながら、夏はともかく秋は震えるだろうし、正月の祭りは、もはや苦行であり、三葉が嫌がるのもわからなくもないと感じた。ただ、この行為も秋祭りが最後になり、三葉も四葉も死んでしまうのだと思うと、閉じた瞼が涙で濡れた。
「お姉様、襦袢を着けたから、もう目を開けていいよ」
「………」
目を開けると、まだ四葉が裸だったので目をそらした。それでも一瞬見た四葉の肢体は朝日を浴びて輝いていて、神々しいとさえ感じた。二人で巫女服を着ると、祭りの準備に入る。去年の秋に収穫されて、ずっと稲穂のまま保存されてきた古米を石器を使って食べられる段階まで整えていく。脱穀作業だけでも汗が流れた。
「ハァ…石器時代の人は本当に大変だったのでしょうね」
「どんな時代でも人間は、それぞれに苦労して生きてきたんだよ」
「たしかに…」
まだ10歳なのに、しっかりしている、と想って四葉の横顔を見ると、とても真剣な顔で脱穀している。さらに玄米を白米にし終えると、もう正午を過ぎていた。
「お姉様、火を熾すよ」
「はい」
さらに原始的な道具だけで火を熾す作業も苦労した。摩擦熱を利用して火を熾し、土器で米を炊くために石で釜戸を造る。夕方になって米が炊きあがると、感動と空腹で身震いした。
「これを一粒も食べてはいけないのですよね……」
「お供え物だから」
二人とも汗だくになっているし、早朝に食事してから水と塩しか口にしていない。
「お姉様、二度目の禊ぎするよ」
「はい……。あそこで、するのでしょうか? ……」
「大丈夫、人払いはされるから」
すでに祭りの夕方なので出店も始まり、人通りも多いのに、近所の小川で裸になるのかと不安になると、四葉は婦人会の当番に挨拶する。
「お集まり、ありがとうございます。これから禊ぎしますので、お願いします」
「はいよ。二人とも、頑張ってね」
婦人会の会長が指示して小川の周辺から町民や観光客を退去させる。完全に婦人会のメンバーしかいなくなると、離れたところにパトカーも駐まり、準備が整った。
「これで安心でしょ」
「…はい…」
やっぱり三葉が嫌がる理由がよくわかる、完全に人払いされても、まだ明るい夕方の小川で禊ぎするのは、かなりの抵抗があった。それでも時間がおしているので、やるしかない。四葉に手を引かれ、裸になって小川で身体を清める。腰まで水に浸かっているときに四葉が小声で囁いてきた。
「おしっこ、今、しちゃって」
「……川の中に、ですか? 神聖な儀式の最中なのに……」
「汗や垢を流すわけだから、いいんだよ。それに、今しておいてもらわないと、きっと舞いの途中で漏らすよ。そんな予感がする。私の予感、最近当たるから」
「………」
舞いの動作には地面を踏みしめるように脚を開いてドンドンと飛ぶものもある。早朝に水へ入り、今も身体を冷やしているので、かなり我慢している。四葉の言うとおり済ませておかないと、舞いの最中に我慢ができなくなりそうだった。ずっと、忘れるようにしているけれど、終電での失禁は忘れられない記憶で、その悲劇を繰り返したくはないし、三葉からは手紙で何も知らされていないけれど、修学旅行の3日目にあったことは同級生たちの言動で、なんとなく察してきている。
「……わかりました……今、本当に、誰もこちらを見ていませんか?」
ずっと目を閉じているので周囲の様子はわからない。四葉が促すように背中を撫でてきた。
「大丈夫だよ。しちゃって」
「……はい…」
おそるおそる力を抜いた。
「………ふぁぁ…」
思わず声が出るほど、ずっと我慢してきた尿意を解放するのは気持ちよかった。そして、やはり男性とは感覚が大きく違った。
「はぁぁ……」
「気持ちいいでしょ」
「…………お答えいたしません」
「とくに川の中にするのって気持ちいいよね。鮭が卵を産むみたいな感覚でさ、いってらっしゃい、って気分」
「……………それには同意しかねます」
「私もしよ」
「…………」
「あぁぁ……」
四葉が済ませるのを待って、川から揚がると、二人とも新しい巫女服に着替え、いよいよ完全に準備が整った。舞台の袖で祭りが進行していくのを見守る。
「四葉………緊張してきました……」
「それでいいんだよ。神事なんだから」
「………」
四葉の横顔を見ると、とても落ち着いている。落ち着いて、人の流れでも見ているようで、祭り全体を見渡している。
ドンッ!
一葉が太鼓を打った。舞いが始まる合図だったので、一斉に町民たちが二人を見てくる。
「「……」」
すっと立ち上がると、雅楽の拍子に合わせて身体が動いてくれた。四葉と三葉の喉が歌い上げる。
「「八百万の神たち、あらゆるうつしき青人草、もろもろ聞こし召せ」」
二人の声と雅楽だけが響く。
「「神はかりに、はかりたまひて、糸守の瑞穂の郷」」
歌いながら舞う。
「「神問はしに、問はしたまひ、神祓いに祓いたまひて、安国と平らけく、治ろし召さむ」」
舞いが終わると、苦労して炊きあげた白米を手で口へ運ぶ。
「「………」」
早朝から何も食べていないので、口に食物を含むと、唾液が溢れ出して口いっぱいになる。ゆっくりと、よく噛み、唾液と白米を混ぜ、それを酒枡へ吐き出していく。途中で、今回も見に来ていた同級生から、からかいの声をかけられたけれど、儀式に集中していると、気にならなかった。
「ありがとう、お姉様」
終わってから四葉が礼を言ってくれた。
「いえ、私こそ、貴重な経験でした……まるで…」
「まるで?」
「自分と自然、自分と宇宙が一体化するような心地で……」
共和制だけでなく、祈りや宗教といったものとも縁遠い文化で育ってきた。儀式といえば俗物でしかない皇帝を讃えるものだったし、たまに士官のうちには雷神オーディンの名を口にする者もいるけれど、それほど真剣に信仰しているわけではなくて、自らを奮い立たせるための掛け声にすぎなかったりする。
「不思議な心地でした。神というものが、存在するような気がするほど……」
「そっか。……少なくとも、千年先の科学でも理解できないものは存在するよ」
「…………なぜ、そう言えるのですか?」
「お姉様は、今、ここに、どうやって来たの?」
「っ………」
「こういうのを神業っていうんだよ」
巫女服を着た四葉が言うと、四葉が半分、神であるように感じた。二人が巫女服を脱いで平服になると、克彦と早耶香が声をかけてくれる。
「お疲れ様。よかったぞ、三葉」
「三葉ちゃん、立派やったよ」
「ありがとうございます」
心配してくれていた友人に礼を言い。家へ戻って、ようやく一葉が用意してくれた食事を口にすると、とても美味しくて、アンネローゼが作ってくれた料理を思い出すほどだった。
三葉は中将としての執務室でヒルダを抱いていた。人払いしてあるので安心だったけれど、キルヒアイスからの手紙では、他に好きな人がいるから、ヒルダとの関係は遠慮してほしいと伝えられている。それに対して、その好きな人との関係が進展しそうにないならヒルダを大事にしてあげたい、と伝え返している。そして、ヒルダを一晩だけの関係で切り捨てるのは残酷だ、と伝えて結局は会う度に抱いていた。
「キルヒアイス中将……ああ、嬉しい…」
ヒルダも一週間に一度くらいの割合で仕事をせずに自分を抱いてくれる命の恩人が大好きだったし、普段の仕事を熱心にしているときも、よそよそしくはされるけれど、そういう姿も好きだった。
「もう一回しよ。ヒルダ」
男として女性を抱く喜びは大きかった。強い欲求があり、その欲求を満たすというサイクルに三葉は浸っていた。けれど、ヒルダが時計を見て残念そうに告げる。
「そろそろ、ローエングラム元帥のところへ参られるお時間ですわ」
「もう、そんな時間かぁ……早めに終わったら、もう一回しようね」
名残惜しくヒルダとキスをしてから、定刻ギリギリに招集されていた部屋に入った。すでにラインハルト麾下の主だった提督が集まっており、三葉が最後だった。
「キルヒアイス中将、口紅が着いていますぞ」
ノルデンが半分笑いながら指摘してくる。
「どこどこ?」
「冗談ですよ」
ヒルダは配慮して口紅を相手へ付着させないグロスを塗っているので、どこにも着いていなかったのに、かまをかけられてハマっていた。ミッターマイヤーも失笑する。
「うちの元帥府には撃墜王が多いのかもしれんな。ロイエンタール」
「「いっしょにしないでもら…」」
三葉とロイエンタールが異口同音しかけてやめ、ロイエンタールは黙り、三葉は言っておく。
「女の子を次々と替えていくのは、どうかと思うな」
「「「「「……………」」」」」
その点についてはミッターマイヤーだけでなく他の提督も同感だったけれど、それを面と向かって集合しているときに言った者はいない。そして、三葉の言い方は冗談でも羨望でもなく、本当に批判だった。ロイエンタールが反論してくる。
「キルヒアイス中将におかれては私生活にまで心配していただき、ありがたいことだ」
「心配じゃないよ。やめた方がいいって話」
「………」
「いろいろな女の子を抱きたいって気持ちはわかるけど、すぐに替えてたら、その子のこと深くわからないし、そんなポンポン捨てちゃうような子と、なんで最初から付き合うの? もっと、お互いの時間を大切にしたら?」
「キルヒアイス、そのへんにしておけ」
ラインハルトが入室してきてキルヒアイスの肩を叩いた。
「けど…」
「人それぞれのことに、口を出すな。キルヒアイス」
「……はい」
不服だったけれど、三葉は黙った。オーベルシュタインが三葉とロイエンタールを冷たい目で見てから、大攻勢をかけてくる同盟軍に対して、徹底的な焦土作戦に出ることを説明した。
「以上のように、相手の物資を浪費させ、物心ともに限界に至ったところへ、一挙に我々で殲滅する」
領民を飢えさせることになる作戦に、数人からの異論も出たけれど、ラインハルトが意見をまとめ、いよいよ決定というとき、三葉が閃いた。
「あ!!」
大きな声をあげたので全員の注目が集まる。
「まだ異論があるのか、キルヒアイス」
「いえ、むしろチャンスです! あ、でも……ここでは……あとで、二人のときに話します。今は、この作戦、このまま進めてもらっていいと思います」
「「「「「……………」」」」」
「……わかった。そうしよう」
ラインハルトが諸将へ解散を告げ、三葉と二人になった。
「それで、ミツハは何を閃いた?」
「同盟軍と同盟するんです!」
「は?」
「まず、オーベルシュタインさんの作戦通り、同盟軍に帝国領の奥深くまで侵攻してもらいます」
「それで?」
「それで、いよいよ物資が尽きてきた。もう限界かな、というところで私たちはオーディンを出発して、これを討つ、と見せかけてアンネローゼさんを救い出します」
「姉上を……だが、そんなことをすれば…」
「そこで同盟軍と同盟するんです。私たちも皇帝と戦う! さあ、いっしょに戦おう! 物資も腐るほどある! 供与しよう、って」
「何をバカな……」
「彼我戦力差を考えても戦利にかないますよ! ラインハルトさんには帝国軍の半数が麾下にあって、これに今回攻めてくる同盟軍を足せば、たとえ門閥貴族の私兵艦隊がそこそこあっても勝てますよ! もしも、戦術的な敗退が数カ所で生じても、全体では帝国領の半分が同盟側になるくらいで落ち着くと考えます。それに、アンネローゼさんを救出するとき、ついでに皇帝も殺してしまえば、跡継ぎは幼い3人くらい? かな。そうなると、門閥貴族は、きっとまとまりを欠いて自分の領土を安堵してもらえるなら、それぞれに同盟軍や私たちと停戦する見込みだってある! ほら、これで万々歳! アンネローゼさんと、いっしょに暮らせますよ!」
「………バカバカしい……」
「なんで? どこが?!」
「オレは宇宙の覇者になりたいのだ。誰が一亡命者のような生き方をしたいと言った?」
「……宇宙の覇者……って、なに? それ、どういうこと? アンネローゼさんを助けたいんじゃなかったの?!」
「むろん、姉上は取り戻す。その上で、オレは全宇宙をも手に入れる。宇宙の覇者になるのだ。ルドルフにできたことだ、このオレにできないと思うか?」
ラインハルトのアイスブルーの瞳が野望に輝き、キルヒアイスの瞳が不審に曇った。
「…………全宇宙で一番になりたいってこと?」
「……。そういう言い方もある」
「それならさ、やっぱり同盟軍と同盟して、帝国の門閥貴族を全部倒して、フェザーンの自治体制にも変更を要求して、宇宙を一つの共和制政体にして、そのうえでラインハルトさんが大統領選挙に立候補するなりすればいいよ! 帝国領が共和制に参加するっていうなら、同盟軍は、きっと喜んでくれるし!」
「……………」
ラインハルトの脳裏に大統領選挙でヨブ・トリューニヒトあたりの選挙ポスターと自分のポスターが並ぶ姿が去来し、さらに年齢的には今回の同盟軍大攻勢を提案したアンドリュー・フォークあたりが対立候補になるかもしれないという未来予想も浮かび、すぐに掻き消した。
「バカバカしい! 選挙など論外だ! オレはルドルフのような至尊の座を占めるのだ! このオレの手で! 軍略によってな!」
「………でも、ルドルフだって、たしか20代そこそこで政界に転じて選挙で、えらくなったと思いましたけど……違いました?」
「…………」
そういえば、そうだった。ルドルフが戦術的勝利を重ねたのは、ごく若い頃のみで、28歳で少将だった時期に退役し、以後は政党政治家として躍進している。ウッド提督の再来などと称されているけれど、宇宙海賊を相手に規律を正した正規軍で、苛烈に追いつめただけで、もともと宇宙海賊と正規軍では装備にも兵站にも大きな差がある。苛烈さと捜査の緻密さは賞賛に値すべきだったけれど、軍略家としては真正面から正規軍同士が戦うことでの評価はない。そして、ルドルフにできたことを再現するのであれば、そろそろラインハルトも退役して選挙に出てもいい階級だった。
「いいや! 違う! オレは武力によって全宇宙を統べるのだ!」
「……武力によって……」
「ミツハの言うような姑息な手段によって宇宙を盗むのではなく、力によって奪いたいのだ」
「………そんなことして自分が皇帝になっても、またラインハルトさんの子孫が今の皇帝みたいになるかもしれないですよ?」
「フン、世襲などにこだわらぬ。かりにオレの子孫に、その地位にふさわしい実力がなければ、別の者に取って代わられる、それだけのことだ」
「…………世襲もさせないのに、皇帝になる意味って、あるんですか?」
「……。……ミツハなどには、わからんのだ。キルヒアイスなら、わかってくれる」
「でもでも、この同盟軍大侵攻の機会を逃したら、またアンネローゼさんを助けられる機会が遠のいてしまいますよ?」
「姉上には………今しばらくお待ちいただく」
「今しばらくって、もう十年だよ?! 十年も好きじゃない男に抱かれてる女の気持ちが…」
「黙れ!!!」
ラインハルトが一喝して睨みつけてくると、三葉は気圧されたけれど、睨み返した。
「っ……」
「ミツハの意見など求めていない! オレとキルヒアイスの野望について、お前に意見を求めた覚えはない! 分をわきまえろ!」
「………二人きりのときは、くだけてくれていいって、言ったもん……」
「さがれ。もう12時まで顔を見せるな」
「っ! 自分が聞きたくない意見を聞かないようにするなら、そんなのルドルフと同じだよ!!」
「何ィ!!」
ラインハルトの白磁のような肌に朱が走った。
「貴様、言うにことかいて! あの男とオレを同列にするかっ!!」
「同列じゃないよ! 選挙じゃなくて武力な分、もっと悪い!!」
「貴様ぁ!!」
二人とも完全に頭へ血が上り、軍服を掴み合い、白兵戦技も出ない、ただの押し合いをして、まだ怒鳴る。
「オレとキルヒアイスで、すべて決める!! お前は黙っていろ!!」
「ああそう!! じゃ、勝手にすればいいよ! アンネローゼさんを助けたいっていうから協力してきたのに!! この武力バカっ!!」
「貴様っ!! ぬううう!」
掴み合いは筋力と体格で勝る方が有利になり、ラインハルトの爪先が浮く頃、ドアの外にまで響く怒声を衛兵が心配して報告を受けたミッターマイヤーによって制止される。
「何事ですか?!」
「「……」」
制止されて、ようやく二人とも少し冷静になった。
「元帥閣下と中将が揉み合うなど、作戦を前に士気へ影響します! どうか、冷静に」
「「……………」」
ラインハルトが、さがれ、と手を振ると、三葉は何か言いかけて、やめた。そして、敬礼もせずに退室する。廊下を怒りながら進み、中将としての執務室に入ると机を蹴った。
「あの武力バカっ!!」
「っ…」
待っていたヒルダが激しい剣幕に驚いている。女の子を驚かせてしまったことで三葉は悔やんだ。
「あ……ごめん……」
「どうかなさったのですか?」
「……………」
言える情報ではないと判断したけれど、しばらく黙って考え、そして時計を見てから、ヒルダを見つめて問う。
「ヒルダはさ、現在のゴールデンバウム王朝を、どう思ってる?」
「……どう、と言われましても………ただ、ある程度の改善すべき点は多いかと思います」
慎重に言葉を選んだヒルダを、さらに見つめる。
「もしも、その改善を私たちがやろう、と言うとき、それに協力したいと思ってくれる?」
「………。はい。閣下のおそばにあって、それが成し得るなら、これに勝る喜びはありません」
はっきりと断言してくれたヒルダに三葉は閃いた計画を話し、残りの数時間でヒルダの協力もえて、キルヒアイスを納得させられそうな作戦を立案した。
キルヒアイスは12時なっても執務室にヒルダと二人でいる状況を認識した。何度か、ヒルダの衣服が乱れていることがあったので、それはやめてほしいと思っていた。その願いが届いたのか、今夜のヒルダは赤面して何かを期待していたりせず、きっちりと軍服を着て、望ましい真剣な顔をしている。
「では、閣下、12時になりましたので、ご命令通り、二人で立案した作戦のすべてを最初から説明させていただきます」
ヒルダは三葉から、考えを整理するために12時から作戦を説明し直して欲しいと言われていたので、とても手紙ではおさまりきらない量の作戦案をキルヒアイスへ説明する。いきなり始まった説明を、キルヒアイスは三葉の意図を察して聴くことにした。
「はい、お願いします」
まずヒルダは焦土作戦から説明していき、途中で三葉の閃きに変える。
「いよいよ同盟軍へ攻勢をかける、というタイミングで帝都オーディンを急襲します。地上ではキルヒアイス中将の指揮による陸戦部隊が、軌道上ではローエングラム元帥による艦隊が。このとき、もっとも重要視するのは、ローエングラム元帥の姉君を無傷で保護すること。皇帝陛下については保護が可能であれば保護、状況が難しければ生死は問わないが必ず身柄を押さえること」
「っ…」
キルヒアイスが緊張して周囲に余人がいないか、再確認して、そしてヒルダを見つめる。片眼義装の両目に迷いは無かった。
「同時に同盟軍へ使者を送ります。使者には食料と物資を満載した補給艦1500隻を付帯させ、また信用をえるため、かつて捕虜にしている将官以上の者、具体的にはリンチ少将またはセレブレッゼ中将などを同行させ、交渉中に解放します。使者の人選には、なお吟味を要しますが、ミッターマイヤー提督またはメックリンガー提督にあたっていただきます」
「……………」
あまりに大胆な計画にキルヒアイスの額に汗が浮かび、無意識に手の甲で拭い、黙って最後まで聞き入る。
「想定される危険性は麾下の提督が命令に従わないこと、また、麾下にない帝国軍艦隊の動勢ですが、軍務省の占拠により、これらも8割を押さえることができるでしょう。そして、門閥貴族たちの私兵艦隊への対応ですが父マリーンドルフとノルデン提督を中心として一部の貴族にのみ領土を安堵する旨の布告を出し分裂を誘います。もっとも激しい抵抗が予想されるイゼルローンに近い星系を領土としている貴族たちの私兵艦隊ですが、当初の作戦で撤退させられているこれらの私兵艦隊は同盟軍との挟撃により戦術的優位を確保しやすいばかりか、領主以外の私兵それぞれの私有財産については、たとえ同盟領となった後も補償する旨を伝え、降伏を誘います。以上です」
「……………。本当に、同盟軍が我々と手を結ぶと思いますか?」
「結ばざるをえないでしょう。焦土作戦により占領地は拡がっていても物資は枯渇しています。こちらには撤収した物資が山のようにありますから、交渉材料になります。何より帝都オーディンで政変があれば、いずれかの勢力と手を結ぶことになるでしょうが、門閥貴族たちと同盟が手を結ぶことはありえません。何より、ローエングラム元帥の姉君を取り戻したいという反逆の理由は同盟市民にも受けが良いでしょうから」
「………。麾下の提督たちは、みな指揮に従うと思いますか?」
いずれ、帝政への挑戦をふまえて人選している提督たちではあったけれど、長年の宿敵である同盟とまで結ぶと言われて従うか、その点に不安はある。
「多くの提督はローエングラム元帥への忠誠から従ってくださると考えます。ですが…」
ヒルダが少し言いにくそうにしたので促す。
「忌憚なく言ってください」
「キルヒアイス中将は子爵家の嫡男であるノルデン中将を信用しておられるようですが、私は彼が指揮に従う可能性は半々、いえ、それ以下であると考えます。父は私が説得いたしますが、ノルデン中将のことは信用されすぎない方が良いかと思います」
「……たしかに…」
「ですが、一人、二人の提督が離反したところで全体が優勢に進み、帝国領の半分が同盟の占領下となり、残り半分が一部の貴族とローエングラム元帥が治める形になることは高い蓋然性があるかと判断します」
「………同盟に帝国領の半分を……、そして残り半分を一部の貴族とラインハルト様が治める形に……それでアンネローゼ様を取り戻せるっ」
「………」
ヒルダの義眼が少し異様な光りを放った。それに気づかず、問う。
「他に、私は何か言いませんでしたか?」
「こちらの暗号文を説明後にお見せするよう」
ヒルダが手紙を渡してくれる。日本語で書かれていて、ヒルダには読めなかった。
一日も早くアンネローゼさんを救い出すには、このチャンスを生かすべきだと思います。
ヒルダには反逆のことを勝手に話してしまって、すみません。作戦の細部を詰めるのに、ヒルダの協力が欠かせなかったのです。
でも、彼女は裏切らないと思います。私のこともキルヒアイスさんのことも好きでいてくれるから。
ただ、問題はラインハルトさんが反対なことです。
宇宙全体を手に入れたい、とか言い出して話を聴いてくれませんでした。
この作戦で、なんとか説得してください。帝国の半分でも十分だと思います。
なによりも一日も早くアンネローゼさんを助けてあげて。
キルヒアイスさんなら、わかってくれると思うから。
お願いします。
読み終えたキルヒアイスは作戦書をヒルダから受け取ると、すぐにラインハルトの執務室へ向かった。
「元帥閣下は、おいでになりますか」
「はっ。おいでになります。…ですが…」
衛兵が会わせることを躊躇している。数時間前に掴み合いのケンカをしていた中将が再び訪ねてきたのでトラブルの香りしかしない。
「お取り次ぎをお願いします。元帥閣下は私に会ってくださるはずです」
「……わかりました。一応、訊いてまいります」
そう言った衛兵は、すぐに戻ってきた。
「お会いになるそうです。どうぞ」
「ありがとうございます」
キルヒアイスは執務室へ案内され、ラインハルトと二人きりになった。
「お待たせしました」
「ずいぶんと遅かったな」
ヒルダからの作戦説明を聴いていたので、すでに午前1時になっている。ワインを飲んでいたラインハルトはグラスを勧めてきた。
「まあ、飲め。今日のお前は激しかったぞ」
「その前にお話があります」
「……何だ?」
「この作戦案を聴いてください」
そう言ってキルヒアイスは三葉とヒルダが作った作戦案を説明した。説明しながら細部を補足してもいく。ラインハルトは不服そうに、それでも黙って聴いていた。
「以上です」
「………はぁぁ……お前まで、ミツハに影響されるとはな。オレたちの野望は、どうするのだ?」
「二つの点を、さらに私は主張します」
「ほお」
「まず、第一に、もしも今回の同盟軍の大侵攻をオーベルシュタイン大佐の発案通りに徹底的な焦土作戦によって財政的にも疲弊させ、艦隊戦力へも壊滅的な打撃を与えれば、今後10年20年に渡って再度侵攻してくることは無くなるでしょう。これは結果としてラインハルト様の存在を門閥貴族たちから見たとき、利用価値と機会が激減し、逆に危険性が増大することになります」
「……」
「そして、同盟軍を撃退した戦功に対する報償ですが、すでにラインハルト様は元帥です。この上、三長官職を与えられれば良いですが、それが軍務尚書などでは直接指揮する兵がいないことになります。もっと悪い可能性としては元帥の上に、大元帥なり首席元帥なりの称号をもうけて、それに当てられることですが、栄誉ばかりで実権が一切ない。実権を与えられることがあっても、それは大規模な叛乱が起こるか、再び同盟軍が侵攻してきてくれるか、そんな機会を待つことになるかもしれません」
「………」
「何より、いずれ我々が決起するにせよ、そのためには兵、物資、艦隊を招集せねばなりませんが、平時にこれを行うのは目立ちすぎます。むしろ、今回のような機会であれば、最大限に物資を集め、艦隊を整えても誰も怪しむことはないでしょう」
「………」
「第二は、なによりもアンネローゼ様を今すぐに解放できる機会だということです。この機会を逃したとき、あと何年、お待たせすることになるのか、その点が最大です」
「…………だが、この作戦がうまくいったとして、オレたちは帝国領の半分以下で再出発することになるぞ。同盟に対して著しく戦略的に不利だ」
「この作戦が終わったとき、同盟とはすぐに戦端を開くような終わり方にはならないでしょう。お互い、一度は兵を引き、何らかの条件で休戦、または停戦となり、それは短い間ではないはずです」
「では、どうするのだ?」
「機会を待ちましょう。我々が善政を敷き、戦力を整え、機会の到来を待っていれば、巨大化した同盟は自ら分裂することもありえます。それが20年先でも30年先でも、私たちは50歳です」
「そんな年寄りになるまで待てというか」
「歴史上の英傑も多くは版図が最大化した頃には、その年齢を超えています。何より、アンネローゼ様をお救いするのが、10年20年先であってはなりませんが、宇宙を手に入れるのは30年先でも良いではないですか」
「……………」
「この作戦がラインハルト様の信条に合わないことは理解しております。とくに三葉さんの発想は敵の裏切りに期待するばかりでなく、自ら裏切って状況を打開しようとする卑劣漢の発想です。ですが、それでもアンネローゼ様をお救いできる上、我々とて帝政へ裏切りを企てているという意味合いでは同じです。戦い方が美しいか、汚いか。それと、三葉さんは状況を楽観的に考えすぎます。麾下の提督が従うのか、同盟が本当に手を結んでくれるのか、門閥貴族の私兵艦隊が容易に駆逐できるのか、不確定要素は多い。けれど、それはオーベルシュタイン大佐の作戦を実行した後でも同じことです。勝った我々に、どんな処遇がされるのか、それに武力で対抗するタイミングをいつ掴むのか、もしもアンネローゼ様が人質に取られるようなことがあれば、私たちは打つ手が無くなるのですから」
「…………」
黙り込んでいるラインハルトへ、キルヒアイスは一歩近づいた。
「女の身でいることの不安さは、おわかりにならないと思います。私も体験してみるまでわかりませんでしたから。それでも、少し想像してみてください。自分が女だったら、と」
「……オレが女だったら、どうだと言うのだ?」
「自分がアンネローゼ様であると強く思い込んでみてください」
「姉上だとか……」
「身体の造りも女性になり、気持ちも女性になったと想像して思い込んでみてください」
「……そんなことに意味があるのか?」
「お願いします」
「………わかった」
ラインハルトは目を閉じて想像してみる。けれど、気性に合わないし、やはり完全に肉体と精神が入れ替わっているキルヒアイスと三葉に比べるべくもないものの、それでも自分を女性だと思い込んでみた。
「…………」
なんだか、とても恥ずかしくなってキルヒアイスを直視することができず、目をそらした。
「では、次に私をフリードリヒだと思い込んでみてください」
「…………」
嫌そうに頷いた。
「動かないでください」
「…………」
キルヒアイスの手がラインハルトの頬に触れ、それから首筋まで優しく撫でおろした。
「っ! やめろ!!」
ラインハルトは悪寒を覚え、鳥肌を立てながらキルヒアイスの手を払うと、胸を突き飛ばした。
「気持ちが悪い!! 二度とするな!!」
「………二度と、ですか…」
強く突き飛ばされて転倒したキルヒアイスは倒れたまま、ラインハルトを見上げる。
「もう十年ですよ。そして、アンネローゼ様は手を払うことも、突き飛ばすこともできない。ずっと耐えておられる………一日でも、一日でも早く解放したい」
ぐっとキルヒアイスが拳を握ると、ラインハルトも不快感より胸の痛みを覚えた。
「お前の言いたいことは、わかった。……だが、……この作戦は……」
「まだ、時間はあります。どうか熟慮してください。私は準備しておきますから、決行のご命令をお願いします」
そうキルヒアイスは懇願した。
三葉は自分の部屋で焦土作戦を実行されて、呻いていた。
「……ぅぅ……お腹、空いたぁ…」
目の前には四葉が置いていった美味しそうな朝食がトレーに載っているけれど、それを食べると学校に行かなくてはいけない。けれど、学校には行きたくない。
「三葉ちゃん………かわいそうに……。でも、お祭りは立派にやれたんやし、学校もさ、行こうよ」
「三葉……食べて学校に行こうぜ」
早耶香と克彦が今朝も不登校気味の三葉を心配して来てくれている。
「……ぐすっ……焦土作戦って人道に反するよ……」
それでも学校に行きたくない。食料に手を着けず、三葉は布団に潜り込んだ。
「「…………」」
早耶香と克彦が目を合わせて、考えていた作戦を口にする。
「なあ、三葉。近いうちに学校サボって気分転換に3人で長スパへ行こうぜ」
「ぇ……」
「三葉ちゃんの気分転換によ、遊びに行こう。早朝に始発で出発して思いっきり遊ぼうよ」
「…………行きたいけど……」
この町にいると全員が三葉のことを知っていて気が休まらない。学校を休んで一日ずっと二階にいる。一階だと昼間は神社を訪ねてきた人が寄ってくれたりするので、三葉の居場所は二階だけだった。二階で空腹に耐えながらスマフォでパズルゲームをして過ごしている。もう三葉にとって世界は布団になっている。キルヒアイスの人生については真剣に考えているけれど、自分の人生については投げ出し気味だった。
「でも、悪いよ……二人とも休ませてまで……」
「たまにはいいさ」
「うん、たまにはね」
休日に電車に乗ると他の同級生も遊びに出るかもしれない。おもらしをからかわれるのがつらくて引き籠もっている三葉を解放するために、あえて夏休み前に遊びに行く計画だった。