「君の名は。キルヒアイス」   作:高尾のり子

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第26話

 

 

 

 キルヒアイスは三葉の部屋で朝を迎え日付を見て、泣いてはいけないと思っているのに涙が止まらなくて喘いでいた。

「うっ…くっ…うぅっ…」

 明日、この町に隕石が落ちる日だった。

「…明日っ……どうして……明日っ…」

 今まで入れ替わりは連続して生じたことは一度もない。今日、三葉の身体にいるということは、ほぼ必ず明日は三葉は三葉だった。避難させる作戦案はある、実は起爆装置も秘かに造ってはいた、そして半年前の三葉ではなく、今の三葉なら作戦案通りに動いてくれる可能性もある、ガソリンで火傷したりせず町内の空き家を爆破して、予告電話をかける、そのくらいのことができる経験をともに重ねてきた。

「…ぐすっ…泣いて、どうなるものでも……どうせ、私は三葉さんたちを助ける気もないくせに……」

 けれど、宇宙の因果律に触れる気は無かった。

 この入れ替わり現象だけでも相当な危険だと感じるのに、歴史を意図して変更したら、どうなるのか。起爆装置を造っていたのも、結局は自分への言い訳や気休めにすぎず、論理的な思考では助けるつもりは無かった。

「……できないっ……私には……そんな恐ろしいこと……」

 極めて楽観的に考えれば、隕石落下での犠牲者をゼロになるよう避難させれば、犠牲者は出ず日本は対宇宙防衛のミサイル技術開発に乗り出さず、そうなれば核戦争は起こらないか、もしくは時期がずれるかもしれない。その時点で、もう歴史は大きく違うことになる。いずれ人類が宇宙に出るとして銀河連邦が成立するのか、ルドルフが再臨するのか、核戦争の時期が違うだけでも、おそらく歴史は大きく狂う。それさえ楽観的に考え、揺り戻すように歴史が同じ経路を辿り、ルドルフ以外のルドルフのような男が出現するかもしれない。そう考えれば、ラインハルトのようなラインハルトも、アンネローゼのようなアンネローゼも生まれてくれるかもしれないけれど、姉弟ではなく兄妹になっているかもしれないし、キルヒアイスのようなキルヒアイスと出会うかもしれないし、出会わないかもしれない。楽観を究極に突き詰めれば、核戦争はなく人類は穏やかに銀河へ拡がり、ルドルフも一軍人として生涯を送り、ラインハルトも幼年学校などへ行かず、アンネローゼも幸せに青春を送るかもしれない。

「……そうなれば、私は……ここに来ない……ここにいる私は私………」

 そこまで大きく歴史が変われば、そもそも帝国暦に生きた自分が1583年も遡って、ここにくる現象が生じないし、生じるとしても、それは帝国暦の自分で無くなり、結局、今ここに三葉の中にいる自分がいないことになってしまい、とてつもなく矛盾が生じる。

「……あるいは………私は消えて……」

 それとも歴史を変えた瞬間に自分は消えるのかもしれない、隕石落下で犠牲者は出ず、その瞬間に自分もアンネローゼも銀河帝国も銀河連邦も何もかも消失して、宇宙は2013年からやり直すのかもしれない。それで三葉たちが助かるなら、と、そう考えなくもないけれど、確証もないし不安は巨大すぎる。

「……結局……私は卑怯者……」

 三葉には何度も助けてもらった、三葉がいなければヒルダは死んでいたし、アンネローゼもどうなっていたか、わからない。そんな大きな恩のある三葉を見捨てて、自分は美しい二人の妻と来年には生まれる子供、そして揺るぎない皇帝としての地位を守るのか、宇宙が崩壊するなんて大袈裟なことは起こらないかもしれない、ただ少しずつ歴史が変わるだけかもしれない、もしかしたらラインハルトだって死なずに済んだかもしれない。ただ、ただ、自己保身のために三葉たちを見捨てるような気がして、感極まって大声で泣いた。こうやって泣いていることさえ、心の底で、もう助けない、歴史は変えない、見捨てると決めているから泣いているのだと、自分の卑怯さが嫌になって慟哭する。

「ああああああっ!!」

「朝から何を大声で泣いてるの?」

 戸を開けて四葉が入ってきた。

「また、オネショしたなら私がしたことにしていいからさ…あ? お姉様の方?」

 同じ号泣でも実姉とは品格が違ったので四葉は、すぐに気づいた。

「お姉様、どうして、そんなに泣いて……あ、もしかして、明日、隕石が落ちて私たちが死ぬと思ってる?」

「っ…知っているのですかっ?!」

「安心して。大丈夫、そうはならないから」

「そんなっ…、でも……何が…どうなって……宇宙の因果が…」

「なるほど、そういうこと考えて悩んでくれてたの。それも大丈夫、宇宙がストップしたり壊れたりはしないから。まあ、……若干、一名、一つの世界を途絶させた人が私の姉だったりするけど……まさか、宮水の巫女にとってのタブー中のタブーをやるとは……我が姉ながら…」

「四葉、どうか、教えてください! どうなっているのですか? 四葉は何もかも知っているのですか?」

 縋りつくように三葉の手が四葉に抱きついた。四葉は手で姉の涙を拭いて舐めた。

「何もかもではないけれど、ただの人間よりは色々と知っているよ。とりあえず、泣かなくていいよ」

「ぐすっ…四葉たちを助けても宇宙は崩壊しないのですか? 歴史は、どうなるのですか?」

「さすが、お姉様、ちゃんと慎重に考えてくれてたんだね。その慎重さと注意力をお姉ちゃんにも一欠片でも分けて欲しいくらいだよ。うん、わかった。お姉様なら不用意に誰かに言ったりしないと思うから、全部、教えてあげるね」

「……すべて…」

「う~ん………まず、人間に理解してもらうために、私たちの存在を正確に語る言葉がないけれど、私たちは水に宿る霊、時間に根を張る流体の生命とでも言えるかな」

「…………霊………流体……」

「って、いきなり言われてもわからないよね。とりあえず、お姉様が一番心配してくれてる因果律についてだけど、パラレルワールドっていう概念はわかる?」

「はいっ!」

 その一言で三葉の顔がパッと輝き、そして普段は三葉が触らない押し入れの奥から小さな箱を出してきた。

「四葉、それなら、これを見てください!」

「なにこれ?」

 四葉は起爆装置と作戦案を見せられた。作戦案はドイツ語で書かれていて、オーベルシュタインと入れ替わったときに多少は習得したので読めなくもない。

「……農業小屋を爆破………予告電話………あ~、そういう風に避難させるつもりだったんだ」

「はいっ、これなら誰も死なずに済みます! ガソリンで火傷しないよう、これから私が教えますから、どうか三葉さんと二人で明日、頑張ってください」

「ありがとう。でも、せっかく準備してくれたけど、そんな大袈裟なことしなくても、お母さんが準備しておいてくれるから、大丈夫だよ」

「……二葉さんが……けれど、彼女は……とっくに……」

「そろそろお父さんに知らせた方がいいかもね。あんまりギリギリだと、お父さんも大変だから」

 そう言った四葉は机の上にあった三葉のスマフォを手に取った。

「静かにしててね」

「はい。……」

 四葉は電話帳から俊樹の番号を出して電話をかける。別居していても、父娘なので番号くらいは知っていた。

「おおっ、三葉か。おはよう、どうしたんだ?」

 なかなか会う機会が無い娘からの電話に、俊樹は嬉しそうな声で応対してくる。

「違うわ。あたしよ、トッシー」

「っ……二葉……なのか…」

 俊樹をトッシーと呼ぶのは、彼の記憶の中で一人しかいなかった。

「お久しぶりね。嬉しいわ、ちゃんと町長になって続けてくれていて。まさか、三葉たちと別居してるとは思わなかったけど。まあ、それもいいかもね」

「二葉……本当に二葉なのか……」

「ええ、四葉の身体をかりているけれど、あたしよ。で、二つお願いがあるの」

「ぅっ……二葉が、そう言う時……たいてい難題が…」

 民俗学者を辞めて町長になれ、と遺言で命じられた俊樹の声から恐れが感じられる。

「一つは、明日の夕方、ここに隕石が落ちるの」

「ここって?」

「宮水神社に決まっているでしょ。で、半径500メートル以内に誰一人いないように避難させておいて。避難訓練名目でも、爆破予告があったでも、何でもいいわ。隕石が落ちるなんて言っても誰も信じないでしょうから、そこは知恵を絞って考えなさい」

「隕石って……そんな突然に……」

「ティアマト彗星よ、あれの一部が割れるの」

「……そんなことを信じろと……」

「あたしが言ったこと、今までに一回でも外れたことある?」

「………ない」

「じゃ、その件は、よろしくね。あと、三葉のことなんだけど、あの子、不登校になってるの知ってる?」

「あ、ああ…担任から電話があった。修学旅行から二日に一回くらいしか、登校していないと。最近は、それも休みがちだと」

「理由も知ってる?」

「………いや、…詳しくは……いろいろとウワサは聴くが、真偽も怪しいし、この前、教育委員会から表彰されたときは元気そうにしてはいたぞ」

「校庭で、おもらししたウワサは本当よ。かわいそうにバスが渋滞に巻き込まれて我慢できなかったみたいなの。タイミング悪く、その前にはオネショもしちゃって、ずいぶん学校でからかわれてるみたい」

「そうか……かわいそうに……私が目立つ立場だから余計にだろう……それで、休みがちなのか?」

「ええ、あの子、昔から恥ずかしがりだから。頑張って二日に一回は行っていたけど、もうそれも限界みたいよ。きっと来週からは、まったく行かなくなるから通信制の高校に移籍させて。あと、隕石で、この家も吹っ飛ぶから、三葉は体育館の避難所だと、かわいそうだから、トッシーの家に住ませてあげて」

「うっ…うちにか…」

「若い美人の秘書と同居してるから困る?」

「っ……なっ…なぜ、それを……、い……いや、お前は、だいたい、何でも知っていたな……未来でさえ……」

「全部じゃないけどね。ということで、しばらく三葉を住ませてあげて。代わりに再婚してもいいわよ。トッシーも一人じゃ、淋しいもんね。もう、いいのよ。気にしなくて。ありがとう。じゃあ、また。何か頼みたいことがあったら頼むから町長はできるだけ続けておいてね。バイバーイ♪」

 ものすごく軽く電話を切った。電話一本で隕石の件と、ついでに姉の不登校まで対処しておいて四葉はキルヒアイスとの話に戻る。

「これで隕石は、もう大丈夫。誰も死なないから安心して」

「………そんな……簡単な……」

「そのために、お父さんは町長なんだから利用しないと」

「今、あなたは…二葉さんだったのですか?」

「ううん。演技。でも、お母さんは私の中にもいるから」

「四葉……あなたは、いったい……何者なのですか? 神の使いか……なにか…」

「人間から見れば、半分は神で半分は人間と言えなくもないかな。神さまも色々で、うちの姉みたいなのもいるけど」

「……神が……存在する……」

「神と言っても、全知全能唯一絶対じゃないよ。実体は宇宙人と言った方が近い」

「っ、宇宙人なのですか?!」

「そう、地球外生命体が宮水四葉という人間の身体に寄生してる状態という表現も間違いではない」

「……寄生……」

「怖がらなくても、ミトコンドリアや腸内細菌が害をおよぼさないように、私たちティアマトから来た流体生命体は害はないよ。むしろ、人間に貢献してる。なるべく人間世界の歴史を良い方に導いて、いずれ霊的に高次な存在となってくれるようにね」

「霊……霊や霊魂といったものが存在するのですか? 宇宙人でさえ、信じがたいのに」

「霊や霊魂を、否定するのは、おかしな話だよ、とくにお姉様たちの来た時代の科学なら逆説的に証明さえ、できるくらいに」

「私たちの時代……」

「なぜ、ワープは成人の脳細胞には一切悪影響を与えないのに、妊娠中の胎児には、きわめて悪い影響があるのかな?」

「……その原因は不明です」

「それは唯物論でのみ考えるからだよ。女性の妊娠中に胎児は、だんだんと霊魂を形成していく。なのに、いきなり空間上の位置が変わると、周囲から霊魂を形成するために集めていた形成の材料、かりに霊子と言ってもいいけれど、ワープによって空間上の位置を瞬時に動かされてしまうと、霊子を集めることに支障をきたして形成不全を起こす。霊も、霊だけでは存在が不安定で、よりしろや身体があってこそ安定するからね。ティアマト星系から来た私たちも、そう。ティアマト彗星という母船から、1200年ごとに地球へ着陸して人間に定着してる。まあ、着陸というよりは強行着陸になってるけど。むしろ人間には墜落に見えるかもね。でも、私たちは流体だから平気だし、ティアマト彗星の分轄は一部を凍らせることで割ってるからさ」

「…だから、この土地には、以前に2度も隕石墜落の後が……?」

「そう。さすが、よく観察してるね」

「偶然とは思えない確率ですから……けれど、あなた方はティアマト星系から……来て……いるのですか…?」

「そうだよ。それを偶然だと思った? あの星系に人間がティアマトと名付けたことも。彗星に同じ名を名付けたことも。言葉には霊的な力があるよ。あと、何より私たちも、どこでも好きな時代、好きな場所にタイムワープできるわけじゃない。ワープに制限があるように、タイムワープにも、入れ替わる人との相性や、時脈、辿り行く道の問題もある。まあ、だからこそ、ティアマト星系付近にいてくれたとき、お姉ちゃんが入れ替わりに行って時脈をつなげられたわけだけどね」

「………入れ替わりは……霊が入れ替わっているのですか?」

「脳細胞が入れ替わっていると、思う?」

「……いえ……おそらく質量は時間を跳躍できないのではないかと……」

「うん、だいたい無理」

「霊は信じざるをえない………そうだとしても因果律は、どうなるのですか? 単純にパラレルワールドだとしても、辻褄が…」

「そう、辻褄は大切だね。うちのお姉ちゃんは、その辻褄を無視して、一つ世界を途絶させたからね」

「………三葉さんは、何をされたのですか?」

「まず、パラレルワールドって概念で入れ替わりと時間跳躍をとらえると、つい、世界を数直線のようなイメージで考えるかもしれないけど、そうじゃないの。世界の総体は、この紐のようなものであり、より重層的で多世界が組み合ったものなんだよ」

 そう言って四葉は、三葉の髪を結っている紐を撫でた。組紐は複数の糸で形成され、組み合わさって鮮やかな色を表現しつつ、頑丈さも兼ね備えている。

「紐……」

「一つ一つの世界は、この一本一本の糸のようなもの、そして、寄り集まって組まれて、この組紐みたいに確かな存在になる。世界はね、多世界なんだよ、それをまだ人間は認識できないけれど、いくつも複数の世界が組重なって、世界の総体になる、その世界の総体を私たちは、より良い方にしたい。人間と共生してね。人間は自分がいる、一本の糸の世界だけを見て、それを確かなものだと感じるけれど、そうじゃない。むしろ、一本ずつだと、とても不確かなもの。いつ切れるか、わからない。そうならないよう幾重にも組み合わさり、支え合い、多世界で進んでいくの。まあ、だから、お姉ちゃんが一本ダメにしても、なんとか、なるんだけどね」

「………ダメに……した?」

「まず、お姉ちゃんは一度目…、一度目というと時系列が不確定な多世界で表現に語弊があるから、一本目と言うね。一本目、お姉ちゃんは、そろそろ宮水の巫女として普通は覚醒する時期なのに、ぜんぜん目覚めず、何も気づかず、予感も予知夢も見ず、思いっきり隕石の直撃を受けて私たちごと死ぬの」

「…………その延長が私たちの世界?」

「そう! さすが、お姉様! その通り。隕石落下で犠牲者が出て、核戦争、銀河連邦、銀河帝国、そんな殺伐とした世界になったのも、私たちが干渉できなくなったことも大きい。私たちは唾液や、おしっこを介して世界全体に拡がってはいるけれど、大本は宮水の血筋にあるから、それが絶えると、とても影響力は弱くなる。それでも修正方法はある。けれど、二本目! これの方が大問題だった。もう修正もきかない」

「…………」

「二本目で、お姉ちゃんは、一応は入れ替わりに目覚めて3年先を知る機会を得たのに、ぜんぜん隕石落下の情報に触れようとしない。というか、3年先であることさえ、何度入れ替わっても気づかない。曜日だって違うのに、どういう頭をしてるのか、同じ時間だと思い込んで、しかも使命感も何も感じず、ただただ東京で遊んでバイトして、男の子の身体であることを楽しむだけなの!」

「………」

 三葉がヒルダと遊んでいたことを思い出した。

「で、このままじゃ、また死ぬ! ぜんぜんダメって状況だったんだけど、なんとか入れ替わり相手の男の子、立花瀧が気づいてくれて、私たちを助けようと動いてくれた。けれど、未来から過去に干渉するのは、とても難しい。それでも最後の最後、究極の奥の手として用意してある口噛み酒に辿り着いてくれて、かなりドタバタな感じに終わったけど、なんとか隕石で犠牲者が出るのは防いでくれたの」

「……よかった…」

「ここまではギリギリよかった。ギリギリ。けれど、なんと! お姉ちゃんはタブー中のタブー、辻褄をメチャクチャにする行動に出た! なんと、入れ替わり相手に会おう! 会って声をかけよう! むしろ彼氏にしたい!! という、とんでもない行動に出て、わざわざ東京で就職までして、何年も何年も! 探し回った。で、あげくに、とうとう出会うはずのない二人が出会って、声までかけてしまうの!」

 四葉は話しながら興奮してきている。半分は人間であると言っただけに、やはり家族である実姉の所業に思うところが大きいようだった。

「……それが、いけないことなのですか?」

「ダメダメだよ。多世界といっても辻褄は重要なのに。世界が重層的であるために、それに口噛み酒を飲んで糸と糸の区別が、より不明確になっているために会ってしまうリスクが生じていて、けれど、ちゃんと論理的に考えれば、助けに来てくれた立花瀧は一本目のお姉ちゃんたちが死んだ世界の立花瀧、なのに二本目の生きているお姉ちゃんと会うなんて超危険! 本来は会わないはずの二人が出会って、声をかけたら、その時点で、その先は無し! その世界は途絶! たった一言、君の名は。そう問いかけた時点で、そこで終わり! タイムパラドックスを起こして、世界の糸は途絶する。ごくごく単純に考えて隕石落下で宮水三葉が死んだという情報に触れた立花瀧が、助かった宮水三葉に出会うわけがないんだよ。なのに、世界の総体が重層的な多世界であるために、そして宮水の巫女と、口噛み酒を飲んだ者であるために、出会ってしまうこともありえるの。それでも、幽霊のように黙ってすれ違っていてくれれば、世界の糸は保たれる。なのに、出会って、君の名は。とまで因果律に干渉して声をかけられると、もう世界は糸の軸を保てない。そこで終わりの終止符。こんな風に、お姉ちゃんは二本目の世界を途絶させてしまったの」

「………では、いま、ここに四葉といるのは三本目なのですか?」

「そう。フォローの三本目。三本目の西暦2013年から、一本目の西暦3599年に干渉してるの。一本目で、その先に殺伐とした未来をつくってしまったフォローとして、お姉ちゃんと私が頑張らないといけないの。私は無理して早めに覚醒したから、きっとお母さんみたいに人間としては早く死んでしまう。私たちも人間の個性が色々であるように力にバラツキもあるの。お姉ちゃんは連続で、しかも24時間も入れ替わっていられるところは、すごいんだけど、使命感とか、人間としての注意力とか、思考の方向性とか、そのあたりが残念だったし、お婆ちゃんは前時代に十分に働いたんだけど、その分、もう人間でいう痴呆症みたいなもので、もう世界の総体の紐を見ることもできないし、その記憶も薄れてる。そもそも、宮水の巫女は多くが一人娘だったのに、お母さんが無理して二人目を産んでくれたのも、なんとなく理由がわかるよ。お姉ちゃんを産んでから未来を感じて、この一人じゃ危うい、と思ってくれたんだよ」

 四葉は長い話を終えて軽くタメ息をついた。

「はぁぁ……お姉ちゃんは、この三本目でも、数々のことを、やらかしてるけどね……どうして、あの人は、こっちを選択するかなぁ、って選択を………。まず、テッシーと素直に結ばれればいいのに、友情と優柔不断と性欲で3Pとか、始めるし。もともと、幼稚園の頃にお母さんがお父さんをトッシーって呼んでるのを真似して、勅使河原克彦をテッシーって呼び始めて、私この人のお嫁さんになる、とか言い出して男児をその気にさせたくせに。そもそも、最初の入れ替わり後に無理しないでバケツに、おしっこすれば、その後のおもらしルートも回避できたし、入れ替わり相手に丸一日我慢なんて過酷なこと強いたりするから終電でも漏らすし」

「っ…」

「あ、ごめん。これ、テッシーと二人だけの秘密だったね。うん、忘れとく」

「……お願いします…」

「あげく修学旅行で大失敗して不登校になるし。旅館でのオネショだって夜中のうちに布団とか旅館の人に相談して片付ければ全員爆睡してたんだから、なんとでもなったし。校庭でのおもらしなんか自爆以外のなにものでもないし。口噛み酒を造るだけで恥ずかしがってた人が、おもらしなんかしたら、そりゃ学校いけないよ。そもそも二本目から何度も何度も一本目の立花瀧と入れ替わってたのに、どうやったら3年先だって気づかずに過ごせるんだろう。ちょっとくらいニュースでも見れば、糸守町の隕石落下なんて大ニュース、触れないわけがないのに。どうせ、彼のスマフォでも、くだらないことばっかり見てたんだろうなぁ。宮水の巫女の力は、彼氏をつくるためでも、入れ替わった先で彼女をつくるためでもなく、ささっと未来の情報を集めて活かすものなのに。だいたい感情移入するほど何度も何度も入れ替わるものじゃないのにさ。それでいて、他人の批判は一人前以上なくせに、自分は打たれ弱い現代っ子だし」

 もう大筋を語り終わり四葉が一人言のようにつぶやいているので、キルヒアイスは半分は神のような存在だという四葉に是が非でもお願いしたいことがあった。

「四葉にお願いがあります!」

「……」

「四葉が神さまに近い存在なら、どうか、ラインハルト様を生き返らせてください! いえ、死ななかったことにしてください! お願いします!」

「……それが可能だと思う?」

「お願いします! どうか、どうか! ラインハルト様のいらっしゃる未来を!!」

「そのために自分が死ぬ、としても?」

「っ……かまいません!!」

「さらに、ヴェスターラントの犠牲者に数倍する死者が出るとしても?」

「……………まさか……ラインハルト様が、過ちを繰り返すようなことは……」

「繰り返すよ。ただ、ヤン・ウェンリーに勝ちたい、それだけのために何百万の人命を損ねる。何より、アンネローゼさんを笑顔にできるのはキルヒアイスの存在のみ、彼女に灰色の生涯を送らせるのがいいか、数人の子供と、その数倍の孫に囲まれて、にぎやかに過ごさせるのがいいか、あなたに、あなたの未来を教えるのは語りすぎかもしれないけれど、アンネローゼさんとヒルダさんは、とても仲良くうまくやっていくし、皇帝を退いた後も、あなたが生きているうちに大きな戦乱が起こることはない。そもそも、そう修正することが私とお姉ちゃんの使命だった。さらには、ラインハルトはアンスバッハに殺されなかったところで、ほんの数年の寿命しかない。これは不可避な寿命。そして、その数年で屍体の山を築く。カイザーラインハルトは戦を嗜む、そう評されるけれど、嗜むなら、酒か女である方が、ずっとマシ。さあ、それでも、ラインハルトを生かしておきたい?」

「……………………」

「そろそろ登校の時間だよ。そして、今日が最後、もう二度とお姉様が、ここに来ることはない。隕石の件は大丈夫。もう何も心配しないで、ただの女子高生として一日をおくって。出席も、どうでもいいよ、どうせ早退するだろうし」

「………四葉………本当に、色々ありがとうございました」

 四葉に頭を下げて通学路に出ると、克彦と早耶香に出会った。

「おはよう、三葉」

「おはよう、三葉ちゃん」

「っ…はい…おはようございます。テッシー、サヤチン。…ぅっ…」

 二人の顔を見て、涙が零れた。二人は死なない、これからも元気で生きていてくれる、けれど、もう会えない、もう二度と会えない、その安心と離別の感情で涙が溢れて止まらない。

「三葉……無理なら今日も欠席するか?」

「そうだよ、無理しないで休む?」

「いえっ…今日が最後…いえ、何でもありません。…うぅっ…今日は学校へ行きたいです。行っておきたいっ…だから…」

 そう言って涙を拭きながら歩き出すので、克彦と早耶香は心配しながらついていく。泣きながら歩いていると、からかわれた。

「おジョー様、目が、おもらししてるよ」

「きゃははは! 朝からボロ泣きじゃん。またオネショしたの?」

「お前らなァ! いい加減にしないと、女でも殴るぞ!!」

 克彦が怒鳴って本当に殴りそうな勢いでいると、三葉の手が克彦の手をつかんだ。

「テッシー! やめてください! かまいませんから! どうか、静かに登校したいです!」

「お…おう……三葉が、そう言うなら……」

「手をつないで……。……サヤチン……今朝は……テッシーと手をつないで歩いても、よろしいですか?」

 人目があるところでは早耶香が克彦の恋人ということで過ごしていたけれど、今日だけは手をつないで登校したかった。濡れた三葉の瞳で懇願されて、早耶香に断るという選択肢は生まれなかった。

「ええよ。たまには」

「ありがとう、サヤチン」

 つかんでいた克彦の手を握り直した。

「「…………」」

 二人とも初めての手をつないでの登校に照れと幸せを感じた。ただ、それを見た同級生たちは不思議に思う。たしか、克彦と早耶香が交際していたはずなのに、泣きながら手をつないでいるのが三葉で、早耶香は三葉の隣を歩いている。どうなったら、そうなるのだろう、という強い疑問が生まれる。おかげで、おもらしのことをからかわれることはないけれど、注目はいつも以上だった。そして、最後の朝のHRを終え、一時間目を克彦と離れた自席で授業を受けていると、もう我慢できなくなった。

「テッシー……今日、一日いっしょにいたいです……」

 休み時間になって、そう克彦に告げた。それから早耶香に謝る。

「サヤチン、お願いです。どうか、今日一日、テッシーと過ごさせてください」

「……いいよ、どうぞ」

 泣きながら頼まれて断る気になれなかった。了承すると、三葉の両腕が早耶香を抱きしめてきた。

「ありがとう! サヤチン! サヤチンのことも大好きです! あなたに会えて良かった!」

「ちょっ……いきなり、何よ…」

 突然に抱きつかれて泣かれて、それでも早耶香も想うところもあって、つられて涙が流れた。嫉妬しないように、争わないようにと心がけていても、一人の男と二人で付き合っているのは感情が高ぶりやすい。早耶香も抱き返して囁く。

「私も大好きよ。これからも仲良くしようね」

「っ…ぅっ…くっ…」

 その、これからが存在しないので、涙が止まらない。それでもチャイムが二人の抱擁を解いた。

「テッシー、どうか、わがままをお許しください。あの夕日を見た丘に、いっしょに行きたい!」

「お…おう! わかった。どこでも、付き合うぜ!」

「「「「「……………」」」」」

 クラスメートたちが公然と早退しようとする二人を茫然と見ている。なにが、なんだか、わからない、勅使河原って名取と付き合ってたよな、という疑問が渦巻く。克彦と二人で教室を出ようとして、振り返った。

「みなさんも! 今日まで、ありがとうございました! さようなら!」

「「「「「?? ……………」」」」」

 さらにクラスメートの疑問が深くなり、そして数人は背筋に氷柱を刺されたように冷たい恐怖を覚えた。

「「「っ……」」」

 やばい、からかい過ぎた、イジメ過ぎた、死ぬ気かもしれない、という恐怖だった。思い返せば、修学旅行からイジメまくった、おもらしとオネショのことで、美人で巫女で町長の娘というクラスメートを何度もからかい、イジメた。イジメではないように見せかけていたけれど、自殺されると絶対にイジメと認定される気はする。しかも相手は権力者の娘で、教育委員会も徹底的な調査をするだろう、否定しても他のクラスメートは証言するに違いない、やばい、超やばい、警察沙汰になるし、最悪は逮捕、全国ニュースにもなるかもしれない、ネットに加害者の実名を晒されるかもしれない、何より町長である父親も子供のケンカで済むうちは自重して出てこないとしても娘が自殺したら鬼神となって荒れ狂うに違いない、小さな町で町長に睨まれて生きていくのは大変だし、親が生活保護世帯だと余計に怖い、と三葉をイジメていた一部の生徒たちが真っ青になっている。

「み…宮水、もう、からかわないからさ!」

「そうよ! 宮水さん! ごめんね! ちょっと、しつこかったよね!」

「て、勅使河原! 優しくしてやれよ! ずっと、ついていてやれよ!」

「勅使河原くん、どうか、お願い! フォローしてあげて!」

 三葉の立場で考えると、おもらしとオネショのことで学校ではイジメられ、親友との恋争いにも敗れて、克彦と早耶香が付き合い始め、もう何も生きる望みが無くなったと思い込んでも仕方ない気がする。今日一日だけ克彦を貸してもらった後、ひっそり一人で自殺する気かもしれない、そんな恐怖で、とにかく克彦に頼んでいた。克彦が三葉の肩を抱きながら言っておく。

「お前ら、もう三葉をイジメるなよ!」

「わ、わかってる!」

「うん、もう、からかわない! ごめんね、宮水さん!」

 自殺されたくない一心で謝っているクラスメートたちを克彦は睨んでから三葉の手を引いた。

「行こう、三葉」

「はい」

 二人で早退して、あの丘まで行った。いっしょに弁当を食べて、静かに過ごして、ときおりキスをして、そして時間は刻一刻と流れて日が傾き、夕日になる。夕日のまぶしさと、もう会えなくなる悲しさで、また涙が流れた。

「……三葉……、もう、そんなに泣くなよ……」

「はいっ……ごめんなさい……せっかく、二人でいるのに……泣いてばかりで…」

「………。まさか、あいつらが考えたみたいに……自殺する気じゃないよな?」

 克彦も、それは少し心配だった。クラスメートへ、ありがとうございました、さようなら、と言い、早耶香へは、会えて良かった、などと言った。それに克彦にもフタマタ継続という、とんでもないことしている自覚も実はある。罪悪感もあったりする。

「三葉……オレは三葉が好きだ。お前が苦しいなら、……サヤチンとは、もう……終わりにしてもいいんだ。いや、終わりにしよう。オレは三葉だけが好きだ。だから、死のうなんて絶対に思わないでくれ。な、三葉」

「テッシー……………」

 勘違いされていることに気づいた。

「テッシー、それは誤解です。私は死のうなんて、思っていません。サヤチンとのことも今は結論を出さないでください。私が……私は……」

 三角関係が継続するにせよ、結論が出されるにしても、それに自分は干渉してはいけないとわかっている。ただ、もう克彦に会えなくなるのが悲しかった。

「…私は………私は……もう……ぅっ…ぅぅっ…」

「そんなに泣かれたら、心配になるじゃないか。どうしたんだよ? 何が、あったんだよ? 問題はイジメだけじゃないよな? サヤチンのことでもないなら、何だよ?」

「……………」

「三葉、言えないことなのか?」

「…………」

 言いたい、言ってしまいたい、嘘をついたまま、克彦と別れたくない。もう二度と会えないし、もう二度と起こらない現象なら、もう言ってしまっても問題ない、と思った。

「私は………自殺したりしません。……でも、……もう……今の私は……もう、テッシーと会えなくなります……」

「ど……どういうことだよ?」

「私は、本当は宮水三葉では……ありません。実は……ときどき、三葉さんと心が入れ替わっていた別の人間です」

「っ……マジ……で?」

「はい」

 まっすぐに三葉の瞳が見つめてくると、克彦は信じた。もともと月刊ムーなどを愛読しているので超常現象へのシンパシーは普通の高校生より、はるかに強い。そして、やはり毎日のように三葉へ接していて、本当の三葉と今の三葉が、ずいぶんと性格も品格も違うことは気づいていた。最初は町長選挙のために、お嬢様として振る舞っているだけかと思っていたけれど、細かい記憶に齟齬があったりもするし、布団の上で抱いていて本当に同じ三葉なのか、疑問に思うことも多かった。むしろ、別の人間だと言われると、すべて納得するほどだった。

「そうか……そう、だったのか」

「ごめんなさい……騙すようなことになって…」

「いや、いいよ。心が入れ替わるなんて……そんな現象……すぐに信じないし、言えないだろう。……町長選挙のとき、くらいからか?」

「はい、そうです。そして、もう今日で終わりです。だから、もうテッシーと私はッ……会えなくなる……ぅっ…ぅっ…」

 三葉の目が涙を流すと、克彦も悲しくなって泣いた。

「そうか……。……オレは君のことも好きだった」

「っ…テッシー!」

 三葉の身体が抱きついてきた。

「三葉……違う……、君の名は?」

「ジークフリード・キルヒアイスですっ」

 三葉の唇が名乗り、克彦は微笑んだ。

「キルヒアイス、キレイな名前だな」

 そう言って克彦は三葉の身体を抱きしめた。いまだにアンネローゼとヒルダはミヤミズミツハを女性名とは思っていないし、克彦もジークフリード・キルヒアイスを男性名とは感じなかった。

「キルヒアイス、もう会えなくなるのか。外国にいるのか? どうすれば、会える?」

「もう……絶対に会えません。私は別の世界から来ているのです」

 四葉の話からすると、会えないし会ってはいけないし、それでなくても1500年もの時を隔てている。いっそ、別の世界と言った方がいいくらいだった。

「そうか……会えないのか……くっ…くっ…」

 絶対に会えないとわかると克彦の悲しみも深まった。それは死ぬのと、同じ意味合いさえある。たとえ、それぞれに先の人生があるとしても、もう絶対に会えないなら、お互いにとって、それは死に近い離別だった。

「キルヒアイスっ」

「テッシーっ」

 感極まって二人が抱き合い、キスをする。

「キルヒアイス、この丘でオレが告白したときも、キルヒアイスだったんだな?」

「はい……ごめんなさい……黙っていて」

「もう、いいよ。オレはキルヒアイスだって好きだ」

「ああ、テッシーっ! 大好きです! 私もテッシーが大好きです!」

「キルヒアイスっ! オレもお前が大好きだっ! キルヒアイスぅぅ!」

 抱き合って何度もキスをして、そのうちに夕日が沈み、暗くなってしまった。前回に来たときより日没時間が早いので、ゆっくりと歩いて駅に向かった。静かに二人で手を握り合って、時間が流れなければいいと想いながら電車に乗った。

「あと、どのくらいキルヒアイスは三葉の中にいられるんだ?」

「夜の12時までです」

「……まるでシンデレラだな」

 そう言って、もう電車の中なのもかまわずに抱きしめてキスをした。まわりの乗客が高校生の若さを、微笑ましく想ったり、煩わしく思ったりしている。糸守町に着き、手を握り合ったまま、宮水家まで戻った。

「……離れたくない……最後まで、いっしょにいてください」

「ああ、そうしよう」

 帰宅していることは四葉に伝えて、宮水神社の境内から星を見上げた。もう、はっきりとティアマト彗星が見える。明日にも再接近するはずで、分裂するはずだけれど、それについては四葉の言葉を信じているので、もう案じていない。克彦が髪を撫でてくれた。

「別の世界から来たか。会えて、よかった。キルヒアイス」

「はい、私もテッシーに会えて、よかったです」

 またキスをして抱き合う、もう会えないと想うと何度キスしても足りないし、9時、10時、11時と残り時間が着実に減っていくと、もう神社の境内であることも忘れて制服を脱いで抱き合い、避妊具を使うのも忘れて、一つになっていた。もともと、宮水神社の境内は夜中になれば、庭ようなもので誰も来ないし、つい先日も山頂で交わった二人は最後の時間を情熱的に過ごした。

「ああっ……大好きですテッシー、愛しています」

「オレもだ。愛している、キルヒアイス」

 あと数秒だった。

「「さようなら」」

 二人とも涙を零しながら、別れた。

 

 

 

 三葉は観光気分で旗艦バルバロッサから海王星を見ていた。手紙で同盟政府との和平が成立し、その直後から地球に向かっている状態だと説明されている。

「たしかに、今現在の地球は見てみたいよね」

「陛下、ビッテンフェルト提督から通信が入っております」

「メインスクリーンに映して」

 すぐにビッテンフェルトの姿が映し出されたけれど、顔色が悪かった。やや青白いのに、頬だけが興奮しているように赤い。

「どうしたの? 大丈夫?」

「はっ」

 さらに、敬礼している手の小指と薬指が途中で切断されていて無い。

「その指……」

 まさか、また何か大失敗でもして、ヤクザみたいに指を落としたのかな、でも、そんな文化があるようには思えなかったけど、と三葉が変な心配をしていると、ビッテンフェルトが自らが説明する。

「陛下が地球へお越しになる前に露払いをと、ミッターマイヤー元帥より命を受け、地球の安全を確認しに接近していたのですが、艦橋に潜り込んでいた賊にナイフで斬りつけられ、毒が塗ってあったものですから、かすり傷だったのですが切断しております。お見苦しきところ恐縮です」

「賊って……」

「御安心ください。調べましたところ、地球教徒なる者どもであり、すでに本部を叩き潰しております!」

「そ…そう……それなら、いいの、かな…」

 同盟軍との最終戦闘に留守番を命じられて不満が溜まっていたビッテンフェルトが指まで斬られて、どれほど激怒して苛烈な攻撃をしたのか、明らかに鼎の軽重を問われるような艦隊攻撃をしたんだろうな、と三葉は思った。

「地球教徒どもの目的も計画も不明でしたが、もはや山脈ごと消滅しております。何も案ずることはありません」

「そ…そう……山脈ごと……。体調は、どう? 顔色悪いけど、大丈夫? 毒は、どうだったの?」

「ご心配いただき、ありがとうございます。毒など、とうに免疫ができております! 何ほどのこともありません。指も2本ばかり、武人の勲章にすぎません」

「……。お大事に」

 免疫ができてないから指を切断したんじゃないかな、と三葉は余計なことを考えたけれど、皇帝として部下をねぎらうことを優先する。

「無事でよかったです。ビッテンフェルト提督の武功も、八百万の黄昏に参加した提督たちと同じほどに評価しますね」

「はっ! ありがたき幸せ! ……ですが、もう戦闘は無いのでしょうか?」

「無いことを祈ってください」

 やっぱり参加させなくてよかったよ、絶対イゼルローン方面でもフェザーンから侵攻させても、同盟政府の返事を待たずに戦端を開きそうだもん、と三葉は一人の戦死者もなく大作戦が終わったことに安堵しつつ、通信を終えた。そして、バルバロッサの艦橋から、そろそろワインでも飲みたいな、と思いながら土星を眺めている。

「あ~あっ……ヒルダも妊娠しちゃうし。いっしょに、お酒も飲めないし、ワープもダメらしいから連れて来れないし、また一人だよ」

「酒なら、お付き合いしますぞ、陛下」

 ベルゲングリューンが言ってくれる。

「いいね、いいね」

「……」

 オーベルシュタインが何か言いたそうに時刻を見た。まだ、予定では三葉自らが艦隊指揮を執る時間帯ではある。キルヒアイスがキルヒアイスである場合は、皇帝という覇者たる立場にしては低姿勢に過ぎたけれど、三葉である場合、低姿勢な上に軽姿勢で、しかも同盟軍と和平が成立したことで完全に遊び気分になっているのを、そろそろ諫言すべきかと考えている顔だった。

「わかってますよ、あと10分は勤務時間ですもんね」

「おわかりいただけ幸いです」

 オーベルシュタインに頭を下げられたけれど、三葉は叱られたようにしか感じなかったし、それが実体だった。そこへ、ケスラーからも通信が入ってきた。ケスラーは敬礼して話し始める。

「ビッテンフェルト提督を襲った地球教徒なる者どもですが、目的は陛下の暗殺にあったようです。その前に地球へ接近していたビッテンフェルト提督を、まずは害そうとしたようです。ビッテンフェルト提督より連絡を受け、オーディンおよび他の星系でも捜査いたしましたところ、相当数の教徒をとらえております」

「ご苦労様です。これは大逆罪?」

「当然に」

「ですね、その方向で、よろしくお願いします」

「はっ」

 ケスラーは簡潔かつ明瞭に報告し、引き続き捜査する旨を述べて通信を終えた。三葉はヒマそうに艦橋から太陽系内の宇宙空間を眺めていて、一つの小天体を見つけた。

「あれ、何かな?」

 一応は皇帝の質問なのでオーベルシュタインは手元の操作端末機で調べて答える。

「ティアマト彗星なる彗星です」

「ふーん……あれが……意外と地味」

「………」

 オーベルシュタインは操作端末機で彗星の詳細を見て、変わった彗星だな、と感じた。記録では1200年周期で地球に接近しており、しかも386年前の西暦3213年と、さらに2013年と、813年と紀元前387年に毎回毎回分裂して地球へ隕石となって落下しているとあった。

「…………。陛下、何をされているのですか」

 そのことを説明しようかと思っていたら、三葉が彗星に向かって大きく手を振っていたので、覇者として不格好なので質問の形で注意した。

「ん? なんとなくだよ、なんとなく」

「………」

 まるで仲間でもいたかのように手を振った三葉へ、何か言う前に勤務時刻が終わった。

「終わった♪ さ、飲みに行こう」

「行きましょう、陛下」

 ベルゲングリューンと艦橋を出て行く。オーベルシュタインはキルヒアイスから、もう、それほど入れ替わりは続かないはずと聞いていたので、あまり皇帝が部下と親しげに飲むな、と言うのもやめることにした。三葉はビューローも誘って、低重力訓練室を出入り禁止にして3人で飲みながら、成人雑誌を回し読みする。ビューローはベルゲングリューンほどの愛飲家ではなかったけれど、成人雑誌のコレクションはベルゲングリューンを上回っていた。

「「「主砲斉射3連! ファイエル!」」」

 おじさんたちと酔っぱらって飛距離を競い合い、笑っている。

「さすが、陛下! お若いですな!」

「あ~っ! 気持ちよかった! 男って最高! 女もいいけどね!」

 最後のキルヒアイスとの入れ替わりを気持ちよさそうに終えた。

 

 


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