沢村が東に抗議の声を上げた頃、外野ノックを終えたパワプロが姿を見せた。
「…何、この状況?」
一見すれば、初めて見る男が東に噛みついている様な状況だ。
なんでこうなっているのかわからないパワプロは腕を組んで首を傾げていた。
「よっ、来たなパワプロ。」
そんなパワプロに、少し前から川上と東の練習を見ていた御幸が声を掛けた。
「一也、これってどういう状況なの?」
「ノリにダメ出しをしていた東さんにあいつが噛みついた。」
沢村の行動を理解出来ないパワプロがまた首を傾げる。
「葉輪くん、来たわね。」
「あ、礼ちゃん。」
高島が東条を伴ってパワプロに声を掛けると、東条は背筋を正してパワプロに頭を下げた。
「えっと、東条だったよね?久し振り。」
「はい!来年からよろしくお願いします、葉輪さん!」
東条の挨拶に高島の眼鏡の奥で目が光る。
投手を1人確保したと…。
「それで、あいつは誰なの、礼ちゃん?」
「高島先生よ、葉輪くん。」
1年経っても変わらない呼び方に高島はため息を吐きたい気持ちになる。
高島は資料を捲りながら考える。
(藤原さんに矯正をお願いしようかしら?)
パワプロと貴子が付き合っているのは青道野球部では公然の事実となっている。
故に、パワプロと接点が少ない者が打撃投手を頼んだりするときは貴子に頼む者も多いのだ。
「彼は沢村 栄純くん。左投げ左打ちのピッチャーよ。」
「沢村?聞いたことないな。」
高島の言葉に御幸が疑問の声を上げる。
「知らなくても仕方ないわね。沢村くんは軟式出身だから。」
御幸は高島の言葉に納得した様に頷いた。
月刊野球王国を愛読している御幸は高校野球やシニアの情報にも目を通している。
その自分が全く知らない無名の選手を高島がスカウトしてきた事に興味を持った。
そんな御幸につられるようにパワプロも頷いた。
もっともパワプロは同じ部内のメンバーの名前と顔が今も一致しないのだが…。
パワプロ達は今も東に噛みついている沢村に目を向ける。
すると…。
「そんで、お前はどうしたいんや?」
「俺と1打席勝負しろ!それで、俺が勝ったらあの人に謝れ!」
東と沢村のやり取りをパワプロと御幸は面白そうに見ているが、
高島はどうしてこうなったとばかりにため息を吐いたのだった。
◆
時間は沢村が東に噛みついたところにパワプロがやってきた時まで遡る。
(え?こいつ、何を言ってんの?)
急に東に噛みついてきた沢村に川上は驚愕している。
川上は正直なところ、沢村が何を言っているのかわからなかった。
「打撃練習は1人じゃ出来ねぇだろ!投げてもらってるのになんだよそれ!」
東を指差して物申す沢村の姿に川上は目を見開く。
(いやいや!俺が投げさせてもらってるんだって!)
ドラフトで上位指名確実と言われているプロ注目選手である東に投げる機会など
そうあるものではない。
間違いなく川上は貴重な経験をさせてもらっているのだ。
それに、東は言葉はきついが誉める時にはキチンと誉めてくれる。
アウトコースに投げ込んだ時のその一言は確実に川上の自信になっていったのだ。
川上は恐る恐る東へと目を向ける。
意外にも東は怒っていない。
むしろ沢村の言葉を受け止める余裕すら感じさせている。
(すげぇ…。これがプロに行く人の貫禄かぁ…。)
川上は東に尊敬の念を抱く。
そして、今日の経験を糧にしようと心に誓った。
そんな川上を差し置いて沢村はヒートアップして東に物申している。
そして気が付けば…。
「そんで、お前はどうしたいんや?」
「俺と1打席勝負しろ!それで、俺が勝ったらあの人に謝れ!」
どうしてこうなった…。
川上は貴重な練習機会を奪われた事に頭を抱えたのだった。
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