春の高校野球選抜全国大会の決勝戦は4回の裏を迎えていた。
大阪桐生のエースである館は青道打線に全力投球で立ち向かっていく。
青道はチャンスを作るものの、あと1本が出ずに4回の裏も無得点に抑えられてしまった。
5回の表の大阪桐生の攻撃は4番でエースの館からだ。
パワプロのピッチングの前に沈黙している打線に火をつける為にもここは1本打っておきたいところ。
だが、館のバッティングでもパワプロのボールを前に運ぶ事は出来ず、キャッチャーフライに倒れてしまった。
後続の5番、6番バッターは連続三振に抑えられ、パワプロが奪った三振は5回で13個となった。
青道の攻撃となる5回の裏、ここで大阪桐生の監督である松本が動いた。
エースの館をレフトに送ったのだ。
松本は先日の成宮の一件を目の前で見ていた事もあり、まだ館に余裕があるうちに温存し、ここぞの場面で力を発揮出来る様にと考えたのだ。
この松本の策は当たり、5回の裏の青道打線は三者凡退に終わった。
6回の表の大阪桐生の攻撃、大阪桐生打線は5回の裏の三者凡退から流れを掴みたいところだが、ここでパワプロのピッチングのギアが上がった。
6回の表の先頭打者である大阪桐生の7番バッターに対する初球、御幸は要求した高速スライダーを捕球しきれずに弾いてしまった。
左投手が投じる右打者に対するインローのスライダーは、打者が影となって捕球しにくいものだが、それを含めてもパワプロの高速スライダーのキレはこの大会で一番のものだった。
形容するならばスライダーの変化量を持つカットボールといったところだろう。
今までパワプロのボールを数えきれない程に受けてきた御幸でも見たことの無いキレだった。
大阪桐生のバッターはパワプロのスライダーをフォーシームと認識してスイングしたが、バットを振りきったまま固まっている。
文字通りにボールが消えた様に見えたからだ。
御幸は主審にボール交換をしてもらってからタイムを要求してマウンドに向かう。
「パワプロ、今のは?」
「ん?なんか調子がいいんだよね。こう、頭はスッキリしてるのに身体の内側からグワッと熱くなってくる様な感じで。」
パワプロは特殊能力の『尻上がり』によるギアチェンジの感覚をそう表現する。
すると、御幸はパワプロの言葉に笑みを浮かべた。
「その感覚、去年の夏の西東京地区決勝戦で俺も感じたぜ。」
「へ~、そうなんだ。」
暢気に答えるパワプロに御幸は苦笑いをしてから表情を引き締める。
「次はちゃんと捕る。」
「おう!信じてるぜ、一也!」
パワプロが差し出したグローブにミットを合わせた御幸は、キャッチャーボックスへ戻っていったのだった。
◆
特殊能力の『尻上がり』によりギアチェンジをした後のパワプロのピッチングは圧巻だった。
春の高校野球選抜全国大会の決勝戦まで勝ち上がってきた大阪桐生打線のバットが掠りもしなかったのだ。
このパワプロのピッチングをデジカメを片手に観察していた幾人かの男達が一斉に立ち上がる。
その数は12人。
12人の男達はまるで競う様に足早に甲子園球場の外に向かうと、それぞれが携帯電話を片手に熱弁を始めた。
この男達はライバル関係にあるのだが、そのライバルの耳があってもお構い無しにだ。
そんな男達とは違い、サングラスの奥で目を輝かせながら観察を続けている男がいる。
この男、どうやら海外の人物の様だ。
男は隣にいる通訳に熱心に語りかけながらもパワプロのピッチングの観察を止めなかったのだった。
◆
春の高校野球選抜全国大会の決勝戦、青道と大阪桐生の試合は9回裏まで進んでいた。
スコアは両チーム共に0。
だが、その内容はまるで違っていた。
何故なら、大阪桐生はここまで1人のランナーも出すことが出来ていないからだ。
しかし、野球はどれだけランナーを出そうとも失点をしなければ負けは無い。
それだけを支えに、大阪桐生は9回まで青道に食らい付いて来た。
だが、大阪桐生は9回の裏にこの試合で最大のピンチを迎えていた。
状況はツーアウトながら満塁。
大阪桐生の監督である松本はこの場面をエースの館に託した。
そして、青道の監督である片岡もある男にこの場面を託す。
「代打、クリス!」
片岡が主審に代打を告げると、青道の応援団から大歓声が上がる。
その大歓声の中、バッターボックスに向かうクリスの耳にパワプロの声が届く。
「クリスさん!楽しんで行きましょう!」
クリスはパワプロに笑みを向けると、自然体でバッターボックスに立つ。
マウンドの館は独特な笑顔をしながら投球モーションに入る。
初球、クリスはアウトローのフォーシームを見送る。
主審がストライクをコールすると、大阪桐生の応援団から青道の応援団に負けない程の大歓声が上がる。
(大阪桐生は成宮の暴投を間近で見ている。ならば、決め球は悔いを残さない為に得意球を選ぶ筈だ。)
2球、3球と館が投じてくるボールをクリスは見送り、カウントはツーボール、ツーストライクまで進んだ。
(押し出しサヨナラのリスクを背負わない為にも、次の1球で来る…!)
クリスが細く息を吐き出すと、館が頷いて投球モーションに入った。
投じたボールは…館の決め球である高速スライダーだ。
クリスは迷いなくバットを振りきった。
カキンッ!
金属バットの快音を残し打球がセンターの頭上を高々と超えていくと、クリスはゆっくりと1塁ベースに向かって走り出したのだった。
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