「なんだ、葉輪が先発じゃねぇのか。」
春の東京神宮大会の準々決勝が行われる球場で青道高校が試合前の練習をしているのだが、それを見て文句を言ったのは市大三高の2年生である天久 光聖(あまひさ こうせい)だ。
天久は市大三高の監督である田原が『ジーニアス』と称賛し、エースの真中でも勝てないかもしれないと言われる程の才能溢れる選手だが、去年の公式戦には一度も出場していない。
それは身体作りに専念していたからではなく、天久が野球部から逃げたからだ。
理由は練習が忙し過ぎて彼女とデートも出来ないという、球児達が聞いたら憤慨ものの理由である。
そういった理由で去年の夏の大会前には市大三高の野球部から逃げた天久だったが、何故か去年の秋の大会前には野球部に戻って来ていた。
それは、パワプロが理由である。
夏の甲子園を制したパワプロが貴子と恋人になってデートをしていたのを、同じく彼女とデートしていた天久が目撃したのである。
そこで天久は『あいつが両立出来るのに俺に出来ないわけがねぇ!』と奮起して野球部に戻ったのだ。
さて、そんなこんなで市大三高野球部に戻った天久は、言葉通りに野球部の練習と彼女との交際を見事に両立してみせた。
むしろ、逃げた前よりも熱心に練習をした事で天久の才能は開花していった。
そして天久は今大会の青道との試合で先発を任されたのだ。
「光聖。」
天久が声の方に振り向くと、そこには真中がいた。
「真中さん、どうしました?」
「光聖、油断するなよ。」
「青道で気をつける打者はクリスさんぐらいでしょ。まぁ、そのクリスさんも打ち取るイメージは出来てるっすけどね。」
そう言って天久はまた外野で練習をしているパワプロに目を向ける。
「俺はあいつと投げ合いたいんすよ。」
「青道は葉輪だけじゃない。そして、俺達もお前だけじゃないって事を忘れるな。」
「わかってますよ。一度逃げた俺をまた迎え入れてくれた皆には恩を感じています。」
パワプロの練習を見ていた天久は真中の目を見る。
「だから、俺が皆を甲子園につれていきますよ。」
「…俺はエースを譲るつもりはないぞ。」
「一度逃げた俺がその番号を背負うのはまだ早いっすよ。」
不敵に笑った天久は踵を返して市大三高ベンチに戻っていく。
その天久の背中を見た真中は両手を腰に当ててため息を吐いたのだった。
◆
試合前練習も終わり、春の東京神宮大会の準々決勝となる青道と市大三高の試合が始まった。
先攻は青道。
1番バッターであるパワプロが打席に入ると、スタンドからは声援とブーイングが沸き起こった。
(お~お~、有名人は大変だねぇ。まぁ、俺の方が有名人になるけどさ。)
天久はロージンバッグを手にしながら、足場を作っているパワプロを見下ろす。
(しっかし、エースが1番バッターってどうなのよ?普通はエースで4番じゃねぇの?)
足場を作り終わったパワプロがバットを構えると、天久もロージンバッグを置いてプレートに足を掛ける。
(まぁ、いいか。何番だろうと打たせねぇからよ。)
初球、天久はアウトコースのフォーシームから投げ込んだ。
判定は…ストライク。
(次はフォークを同じ所から落として空振りでツーストライクっと。)
2球目、天久はアウトコースにフォークを投げたが、パワプロは見逃してボール。
これでカウントはワンボール、ワンストライク。
(めんどくせぇ…一丁前に見逃してんじゃねぇよ。)
3球目、天久はアウトコースにカーブを投げ込んだ。
コースは甘かったが、パワプロはこれも見逃してストライク。
カウントはワンボール、ツーストライクとなった。
(あ~あ、チャンスボールを見逃しちゃ、俺の勝ちだな。)
キャッチャーからの返球を受け取った天久がプレートに足を掛ける。
(もうお前を三振で打ち取るイメージは出来てるんだよ。インロー膝元のスライダーでな。)
天久はプレートに足を掛けると投球モーションに入る。
そしてボールをリリースすると、イメージ通りの感触にパワプロの三振を確信した。
しかし…。
カキンッ!
パワプロがスイングしたバットが金属バットの快音を響かせる。
「おいおい、冗談は止せよ。」
天久のマウンド上での呟きなど構わずに、打球はライトスタンドへと飛び込んだのだった。
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