増子を打ち取った後の真中は続けて青道打線の6番、7番バッターも打ち取って1回の表を終えた。
(グッジョブだ、真中ボーイ。厳しい展開だが、これでまだファイト出来る。)
雄叫びを上げながらマウンドを下りてくる真中を見ながら、市大三高の監督である田原が笑みを浮かべる。
(天久ボーイには酷なエクスペリエンスとなったが、ここでチャレンジをしておかないと、彼のジーニアスな才能を持ってしても葉輪ボーイと勝負する事は出来ないだろう。)
1回の表で1つもアウトを取れずに交代した天久だが、監督である田原は天久の才能を微塵も疑っていなかった。
天久が野球部を逃げた事も、今日打ち崩された事も、全ては天久の才能を開花させる為に必要なプロセスだと田原は考えているのだ。
(頼れるエースである真中ボーイがいる夏までしか出来ないクレイジーなチャレンジだが、これで天久ボーイが目覚めるならリターンは十分だ。)
レフトから引き上げて来ながらも、どこか呆然としている天久に田原は目を向ける。
(真中ボーイは9回を投げきれるペースではないがそれでいい。その背中を1イニングでも長く天久ボーイに見せてくれ。それが、天久ボーイの心にレボリューションを起こすキッカケとなるのだから…。)
市大三高メンバー全員がベンチに戻ると、田原は柏手を打って注目を集める。
1回の表で4点差をつけられても、この男は微塵も諦めていなかったのだった。
◆
1回の裏、マウンドに上がった伊佐敷は市大三高打線を三人で抑える順調なスタートを切った。
続く2回の表、先頭打者は8番の倉持だ。
倉持は右投手である真中に対して左打席に立つ前に、青道野球部のコーチである落合の言葉を思い出していた。
『お前の足を活かすなら左打席に専念しろ。』
倉持は埼玉のプロ野球チームにいるスイッチヒッターでトリプルスリーを達成した偉大な遊撃手に憧れている。
それ故に倉持はスイッチヒッターをやっているのだ。
だが、落合の言うことも理解出来る。
しかし、納得は出来ていない。
何故ならショートのポジションもスイッチヒッターも、全ては憧れの男を目指すが故のものだったからだ。
それを否定された倉持は大いに悩んだ。
そして、この試合でパワプロに1番バッターを奪われた事が更に倉持を悩ませている。
結果を求めて左打席に専念するか、夢を追い掛けてレギュラーを落とされる事も覚悟するか。
その答えはこの打席の前に決めていた。
(あの人が…俺のヒーローなんだよ!)
そう、倉持は憧れを追うことを決意したのだ。
右投手である真中に対してスイッチヒッターのセオリーである左打席に立たずに右打席に立った倉持は、大きく息を吐きながらバットを構える。
(葉輪はドラフトを蹴ってでも夢を追うんだ。なら、その後ろを守る俺が逃げてどうするんだ!)
競技の世界はどれ程の努力を重ねても結果が出なければ認められない残酷な一面がある。
それ故にどこかで理想を追うことを諦め、生き残る為に現実に適応していく事もある。
だが倉持はそれを理解しつつも、理想を追うことを決意したのだ。
そんな倉持に対する真中の初球。
真中は打ち気を外す様にアウトコースの高速スライダーから入った。
この1球に倉持は身体が泳いだ中途半端なスイングで空振りをしてしまう。
これでカウントはノーボール、ワンストライク。
倉持はタイムを取ると、打席を外して素振りをする。
二度、三度と強くスイングをしてから打席に戻る。
2球目。
真中はインハイにフォーシームを投げ込んだ。
初球の残像が残る倉持はアウトコースに対応しようと踏み込んだ結果、2球目のインハイのフォーシームをぶつかると錯覚して身体を反らして避けた。
しかし、ボールはインハイ一杯に決まってストライクがコールされた。
この判定に倉持は悔しそうに歯噛みをする。
追い込まれた状況の3球目。
真中は初球と同じアウトコースの高速スライダーを投げ込んだ。
コースは甘いが力一杯に投げ込んだ真中の高速スライダーは、倉持の予測を超えるキレを見せる。
ガキッ!
辛うじてバットの先っぽに当たった打球が1塁線を転がっていく。
倉持は全力で1塁に駆けた。
転がっていく打球を市大三高の1塁手が素手で捕球して、素早く真中がカバーに入る1塁に送球する。
真中がベースを踏むと同時に倉持が1塁ベースを駆け抜ける。
塁審の判定は…?
「…セーフ!」
塁審の両手が大きく横に広げられると、倉持はスタンドにいる落合に向けて拳を突き上げたのだった。
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