「さぁ、帰るぞ、光聖。」
春の東京神宮大会の準々決勝で青道との試合に5回コールド負けした市大三高のエースである真中は、まだ俯いている天久に声を掛けた。
「…なんで、そんな顔をしてるんすか?」
絞り出す様に声を出した天久は悔しそうに拳を握り締めている。
「俺達、5回コールドをくらったんすよ?なんで笑ってるんですか!?」
「そうか、今の俺は笑えているのか。」
少し恥ずかしそうに言った真中に驚いた天久は、俯いていた顔を上げる。
目元を赤く腫らした天久を見て、真中は苦笑いをしながら話し出す。
「光聖、悔しくないわけないだろ。でもな、それ以上に収穫があったんだ。」
「…収穫?」
「あぁ、今日の試合、俺は青道に10点取られたが、俺のベストボールは打たれなかったんだ。クリス以外にはな。」
真中はスコアラーに借りていたスコアブックを開いて天久に渡す。
天久は食い入る様にスコアブックを見た。
「…ほんとっすね。」
「コントロールさえ間違えなければ、俺のボールは青道相手にも通用する。つまり俺にはまだ成長の余地があるんだ。それがわかって嬉しくてな。」
そう言った真中は本当に嬉しそうに笑顔になった。
天久は悔しかった。
何も出来ずに負けて不貞腐れていた自分と違い、既に次を見ていた真中の心の強さに。
(これがエースか…くそっ!俺は何をやってるんだよ!)
両手で自分の頬を思いっきり張った天久は勢い良く立ち上がる。
そして…。
「真中さん、早く帰って練習しましょう。」
「さっきまで泣いていた奴の台詞じゃないな。」
「な、泣いてないっすよ!」
真中と天久は負けた後とは思えない明るい雰囲気で歩きだす。
そんな二人をそっと見ていた田原は、嬉しそうに笑みを浮かべたのだった。
◆
春の東京神宮大会の準決勝が行われる日、その日の午後に試合を予定している青道高校野球部のメンバーは、午前中に行われる稲城実業と明川学園の試合を見学する事にした。
だが…。
「あれ?成宮が先発じゃないの?」
パワプロが驚いて声を上げた通りに、稲城のエースである成宮は先発ではなく、ライトの守備についていた。
これにはパワプロだけでなく、成宮を知る青道メンバー全員が驚きの表情を見せていた。
「フーくん、成宮くんはこの大会、一度も先発してないよ。」
「そうなの、貴子ちゃん?」
「うん、投げても後半の2イニングぐらいで、それ以外はライトの守備についていたの。」
「へ~。」
パワプロと貴子の会話に御幸が加わる。
「もしかしたら、鳴はケガをしたのかもしれないな。」
「成宮がケガ?一也、なんでそう思うんだ?」
「一つはここまで一度も先発をしていない事。そして、明川学園の楊が相手でも先発しない事だな。」
明川学園の楊は今大会において準決勝までの4試合全てで先発完投し、無失点を記録してきた。
そんな楊を相手にエースの成宮が投げないのはおかしいと御幸は話した。
「何よりも、後一つ勝てばパワプロと投げ合えるのに鳴が投げないとは考えられないからな。」
「春の選抜の時みたいにバテない様に温存してるんじゃないの?」
「その可能性もあるけど、楊が相手なら1点勝負になりかねないのに、まだ温存するのはリスクが高過ぎるだろ?まぁ…ケガ以外の理由で投げられない可能性もあるけどな…。」
そう言いながら御幸が外野で守備練習をする成宮に目を向けると、それにつられる様にパワプロと貴子も成宮に目を向ける。
成宮が先発しない謎が残ったまま、稲城と明川の試合が始まるのだった。
これで本日の投稿は終わりです。
また来週お会いしましょう。