秋の高校野球選抜東京地区大会の第2回戦、青道と帝東の試合が行われる球場で、今は青道高校がグランドを使ってシートノックをしていた。
「レフト!」
ノッカーをしている片岡の声に反応してチラリと目をレフトのパワプロに向けた落合は、目をブルペンで投げ込みをしている降谷へと戻した。
「降谷、ただ数を投げ込んでも意味が無いぞ。試合経験の少ないお前は先ずは自分の肩の作り方を確立しなければいけない。他にも試合をする球場のマウンドの感触、当日のリリースの感覚の確認など、ピッチャーにはやるべきことが多くあるんだからな。」
「はい。」
高校野球で初めての公式戦を前にしても緊張した様子を見せない降谷の姿に、落合は感心した様に頷く。
(片岡監督が降谷を先発に推した時は大胆な考えだと思ったが、思ったよりも有りかもしれんな。)
パワプロと御幸が国際大会で不在の間、片岡と落合は新チームの投手起用について毎日の様に話し合っていた。
その話し合いの中で、二人は各投手を次の様に評した。
シニアでの実積と安定感の東条。
意外性の沢村。
経験と信頼の川上…といった具合だ。
そんな各投手達の評価の中で、降谷はスタミナとコントロールと経験の不足による不安定さが際立ってしまっていた。
先発投手として起用するからには最低でも6イニングは投げきって貰いたい。
しかし、スタミナとコントロールに不安がある降谷ではその6イニングすら厳しいかもしれない。
それ故に落合は降谷を先発候補から除外していた。
だが、今回の試合で片岡は降谷を先発に起用したのだ。
(葉輪という絶対的なピッチャーがいなければ、片岡監督もこんな無茶はしなかっただろうがな。)
降谷と沢村という原石を磨くには経験を積ませる必要があるが、経験の少ない二人では多くのピンチの場面を迎えてしまうだろう。
だが、そんなピンチの場面にも絶対的な信頼と共にマウンドに送れる怪物が青道にはいるのだ。
(メディアを始めとしてOBからも批判や非難がくるだろうな。だが、それらを覚悟して教え子の成長を優先するのは片岡監督らしいといえばらしいがね。)
現代野球においても先発完投こそが投手の理想とする者は少なくない。
それ故に落合はパワプロを後ろに回す事に批判や非難が殺到するだろうと考えているのだ。
(もっとも、批判や非難がくると確信しても反対しないあたり、俺も随分と片岡監督に毒されているんだろうな。)
自嘲する様な笑みを浮かべた落合は、降谷が試合前に過度な投げ込みをしない様に見守っていったのだった。
◆
青道の練習時間が終わり帝東の練習時間になると、青道メンバーはベンチから向井の投げ込みを観察していた。
「いいコントロールだな。キャッチャーのミットが動いていない。」
「ハッハッハッ!パワプロ先輩のコントロールに比べればまだ未熟!怖れる必要はないですよ!」
御幸が向井のコントロールを評価すると、そんな御幸の言葉を沢村が笑い飛ばした。
「俺もそう思うけど、お前が威張る事じゃないだろ。」
「ボス、俺はいつでも行けますよ!」
沢村は御幸のツッコミを気にせずに片岡にアピールをする。
そんな沢村の行動に川上と東条は苦笑いをした。
「沢村のああいう図太さは素直に羨ましいな。」
「川上先輩、先輩の初めての高校野球での公式戦はどうでした?」
「緊張して何も覚えてないな。あ、パワプロが凄かったのだけは覚えてる。」
「去年からノーノーとかパーフェクトを当たり前の様にやってましたもんね。」
東条が苦笑いをしながらそう言うと、川上もつられて苦笑いをする。
「…川上先輩は葉輪さんと同学年ですけど、何か思わなかったんですか?」
「うちは入部したら身体能力テストがあるだろ?あの時に俺は、『あぁ、俺は絶対にエースになれないな』って思ったよ。」
東条は川上の答えに納得した。
自身もパワプロがいる間は絶対にエースになれないと確信しているからだ。
「葉輪さんのボールを見て、投手を辞めようと思った事は?」
「ないよ。」
川上は笑顔でそう答える。
「パワプロはピッチャーとしても凄いけど、友達としてもいい奴なんだ。だからかな?俺は自然にパワプロに置いていかれたくないって思って、パワプロの背中を追い掛け続けてる。」
「その気持ち、よくわかります。」
川上と東条はどちらともなく、ベンチの最前列で御幸と並んで向井の投げ込みを観察しているパワプロに目を向ける。
「沢村や降谷には負けたくないな。」
「そうですね。」
顔を見合わせて笑みを浮かべた川上と東条は、拳を軽く合わせたのだった。
これで本日の投稿は終わりです。
また来週お会いしましょう。