「最後に、会えて良かった。みんなを、未来をっ……お願いするね。―――リィン」
彼女は俺の名を呼んで、光と化した。
寂しげに震える声は尻すぼみになり、それでも彼女は最後まで、笑っていた。
___________________
午後二十時前。演習地を囲うように設置された導力灯の光が、ぼんやりと辺りを照らしていた。耳を澄ませば、光に誘われて集まっていた羽虫達の羽ばたきが聞こえてくる。
(緑が、濃い)
やがて、遠吠えが届いた。森林の何処かで生じたであろう野生の声に、居心地の良さを覚えた。草木や土の匂いが濃いせいか、深く呼吸をする度に胸が弾む。理由は考えなくたって明白だ。
「こんな所にいたのか、シーダ」
「……クルトさん?」
足元を覗き込むと、クルトさんがやれやれといった様子で私を見上げていた。気が緩み切っていたようで、接近にすら気付いていなかった。
「今回は見逃すけど、列車の屋根に上るなんて真似は、今日限りにしてくれないか。危険だし、駅でやったら大問題になる」
「あ、あはは。ごめんなさい、以後気を付けます。……私に何か用ですか?」
「そろそろ二十時だ。二十時以降は車外での行動は禁止だと言われていただろう」
「え?ああ、もうそんな時間だったんですね」
失念していた。クルトさんが指摘した通り、二十時以降は車外厳禁。報告書の作成や明日に向けた準備等、やるべきことは未だ山積みだけれど、どれも車内でできることだ。
「ユウナやアルティナも、外に出ているのか?」
「いえ、私だけです。少しだけ夜風に当たりたかったので。……ユウナさんは、教官とラウラさんの関係に、まだ戸惑っているみたいですね。アルティナさんに色々と探りを入れていました」
「僕も多少は驚きはしたが……まあ、放っていけばいいさ」
リィンさんの異性関係はさて置いて。
今から約二時間前。一通りの要請を成し遂げた私達は、満身創痍の身に鞭を打って、演習地に戻った。
夕食を手早く済ませ、ミハイル教官に今日一日の活動内容を報告すると、案の定手厳しい反応が返ってきた。依頼された全ての要請をクリアーした点については一定の評価を得られたものの、一時は窮地に追い込まれ、ラウラさんやエリオットさんの支援を受けるに至ったことは大いに反省すべき失態。弁解の余地は見当たらなかった。
そして今現在、私達《Ⅶ組》女子三名は、一時の休息を取っていた。ベッドに横になった途端に熟睡してしまうぐらい疲労困憊だけれど、そうも言っていられない。報告書の作成は明日の朝が期限だし、明日の活動に備え済ませておくべきことは多々ある。
「コホン。それで、どうかしたのか?」
「はい?」
「こんな時間に、こんな場所で……。君らしいと言えば、それまでだけど」
変に遠回しな言い方で、クルトさんは言葉を濁した。
「気にしないで下さい。少しだけ、考えごとをしていただけです」
「考えごと、か」
「はい。……えーと」
妙な間が空いて、そよ風がクルトさんの細髪を撫でた。
どうしよう。この場合、話した方がいいのだろうか。言いよどんでいると、クルトさんはふうと溜め息を付いてから、優しげな笑みを浮かべた。
「実を言えば、僕も頭を冷やしたくてね。……二十時までまだ時間はある。もう少しだけ、涼んでいくよ」
どうやら無用な心配を掛けてしまったらしい。気にしないで欲しいと言っても、きっとクルトさんは引っ掛かりを抱いたまま寝床まで持っていくに違いない。
優しさに甘えて、胸の内を吐き出してしまおう。考えごとと言っても曖昧模糊過ぎて、上手く言葉にできる自信はないけれど、駄目で元々だ。
「何と言ったらいいか……。随分と遠くまで、来ちゃったなって。多分、そんな感じです」
「……距離的な意味合い、ではなさそうだ」
クルトさんは背中を列車の装甲に預けて、夜空を仰いだ。
私達の頭上では、無数の星々が朗々と光を放っている。故郷とは同じ夜空で繋がっているはずなのに、見え方が明確に異なっている。季節や天候とは無関係に星の輝きが変わるだなんて、考えたことすらなかった。
「もっと小さい子供だった頃、漠然と将来について考えることがありました。クルトさんにも、そういった経験はありましたか?」
「そうだな……あるにはあるさ。というより、多々あったと思う。今となっては、様変わりしてしまったが」
「え?」
「いや、続けてくれ。しかしその口振りだと、何かしら変化があったように聞こえるね」
「はい。ある頃から少しずつ、着実に」
私が思い描いていた未来の中で、私は変わらずにノルドで暮らしていた。お母さんと同じように結婚して、子供を産んで、新たな家庭を築いて。約束された平穏の中で、変わらずに生きていく未来。
けれども、故郷を取り巻く変化に、私は否応なく衝き動かされた。年々増加の一途を辿る観光客数。それに比例して激化する二大国間の軍事衝突。戦車の咆哮に圧倒される度に、曖昧だった未来像が白紙と化していき、まるで異なる私が描かれていく。
「極めつけは、お姉ちゃんとの出会いでした。外の世界から突然やって来た女性が、いつの間にか私達と一緒に暮らしていて、家族になって……。だから、その逆だってあり得るのかなって、考えるようになったんです」
「……そうか」
相槌を打ってから、クルトさんは跳躍した。驚いたことに、クルトさんは私と同様に列車の屋根上へとよじ登り、私の隣に腰を下ろした。
「シーダはよく、兄弟の話をするな。察しは付いていたが、第Ⅱ分校へ入ったのも、その辺りに理由が?」
「あると思います。あの内戦も大きな切っ掛けになりました。故郷が戦禍に見舞われた時、私やトーマはいつだって無力でしたから」
「トーマ……確か、二つ年上の兄だったか?」
「ええ。トーマはお兄ちゃんを目指して、一方の私は、お姉ちゃんの背中を求めて。最近は競い合うように、お互いの理想を掲げながら励んでいました」
トーマはこの二年間で大きく背丈を伸ばした。時間を見付けては槍術を磨いて、集落を守る戦士の一人として、鍛錬に励み続ける日々。
意を決して外界へ飛び込んだ私とは、対称的に映るかもしれない。けれど根柢は一緒のはずだ。道は違えど、信念は同じ。言葉にせずとも伝わる物がある。
「だから私は……えーと、……その。ごめんなさい、何を言いたいのか、分からなくなってきちゃいました」
「謝らなくていい。それに他人事とも思えない。僕も、同じなのかもしれないな」
「クルトさんが……私と?」
その横顔には、複数の感情が浮かんでいた。
希望と絶望。意志と諦観。相反する何かがない交ぜになったかのような表情に、思わず吸い込まれそうになる。
「僕にも理想はあった。いや、今も変わらずにある。だけど、まるで届く気がしない。歩みを止めているつもりはないのに、段々と遠退いているようにも感じてしまうんだ」
「それは……分かる、気がします。何となく」
ひどく抽象的な言葉が並んだ。彼が何を云わんとしているか分からず、けれど通じているような感覚を抱いたのは、クルトさんが言ったように、私達が似た者同士だからなのだろうか。
「どうしてだろうな。とても遠くに映るんだ」
「どうして、でしょうね」
手を掲げても、夜空に輝く星々には届かない。そんな当たり前が、常に付き纏う。
私はアヤ・ウォーゼルには及ばない。背丈も体力も、腕力もない。年齢差は言い訳にならない。
行方知れずという現実が、更に拍車を掛ける。一体何処に消えてしまった?何かしらを知っているであろうリィンさんは、一向に何も語ろうとしない。敢えて触れずにいる印象さえある。
その代わりにリィンさんは、強くなれと私に言った。直向きに強さを求めた先に、きっと真実があるはずだと。―――うん。とどのつまり、結論はいつだって同じなんだ。
「でも届きますよ、きっと。そう信じないと、明日に繋がりません」
「それも分かっているさ。しかし……な、何だ?」
私はクルトさんの右手を掴んで、立ち上がった。
今の私には、信じることしかできない。このちっぽけな手で掴み取れる物は少ないかもしれないけれど、決して無力じゃないはずだ。家族が信じたリィンさんを信じて、一日一日を全うする。考え込んでも結局は一周をして、結論は同じ。何も変わらないのだ。
「二刀流の使い手として、クルトさんは私の先輩でもあります。その人が弱音を吐いていたら、私も困っちゃいます。だから頑張りましょう、一緒に」
「……フフ。ユウナも相当だが、君も大概だな」
「ユウナさん?」
「君達は何処までも―――」
刹那。暗闇の向こう側から、乾いた音が到来した。次いで笛の音色のような音が勢いを増していき―――『火』が演習地のど真ん中に降り注いで、強い衝撃が車両を揺さ振った。
長い長い夜が、始まりを告げた合図だった。
___________________
声を出さずに悲鳴を上げていると、複数の飛来音が鳴っては、振動に足を取られる。漸く収まりが見え始めた頃には、演習地のそこやかしこで黒煙が上がっていた。
「い、一体何ですか!?」
「敵襲だっ……シーダ、下りるぞ!」
敵襲。一体誰が?意識して平静を保ちながら、地面に着地する。
既にほとんどの生徒や教官達が勢揃いしていて、辺りには火の手が回っていた。内側に歪んだ列車の装甲。半壊した二体の機甲兵。見るも無残に吹き飛んだ簡易キャンプ。漂う黒煙と硝煙の匂いが、幾度も故郷で生じた戦火を連想させた。
「あそこだ!」
リィンさんの声が、全員の視線を一点に集めた。
夜の闇の中で揺らめく焔が照らした、『三つ』の人影。白銀色の耀く甲冑に身を包んだ女性が二人。その隣に立つもう一人の女性には見覚えがあった。まさかセントアークで擦れ違った、あの人が?
「鉄機隊の筆頭隊士と筆頭補佐。そして執行者№XVII。三人共々、結社有数の手練れ達です」
「あれが……結社の?」
アルティナさんの声で、ぞっとするような恐怖感が一挙に押し寄せる。
鉄機隊。№持ち。人の域を超えた人外達。『お姉ちゃんの手記』に綴られた言葉に、誇張は何ひとつないのだろう。遥か高みから嘲笑うかのように見下す三人の姿は、まさに喰らう側。その華麗な容姿が全てを際立たせていた。
「問答無用の奇襲っ……一体どういうつもりだ!?」
リィンさんの怒声に、三匹の蛇が不気味な笑みを湛えた。
「勘違いしないで下さい。私達が出るまでもありませんわ」
「此度の目的は『挨拶』と『警告』に過ぎぬ。身のほどを弁えるがいい、第Ⅱ分校とやら」
「あはは!それじゃあ、歓迎パーティを始めようか!!」
穏やかな言葉を合図に、数多の脅威が舞い降りる。概観しただけでも十数体に及ぶ人形兵器達。辛くも撃退してきた機械仕掛けの大所帯が、暗闇の向こう側から続々と姿を現した。
まるで悪夢のような光景を前に、それでも私達の教官達は、勇ましい声を上げた。
「狼狽えんな!《Ⅷ組戦術科》、迎撃準備!!」
「《Ⅸ組》は戦術科が討ち洩らした敵に対処。医療班は待機、通信班は緊急連絡。迅速かつ冷静に対応して!」
ランドルフ教官とトワ教官の指示を合図に、《Ⅷ組》と《Ⅸ組》勢が展開を始める。続いて私達もそれぞれの得物を構えて、リィンさんに指示を仰いだ。
「教官、僕達はどうすれば!?」
「俺達は遊撃だ。《Ⅷ組》や《Ⅸ組》の陣形を崩さないよう応戦する。ミハイル少佐、指示を」
「右翼側面を警戒しつつ中央に陣取れ。直に後続が来るぞ」
「了解です。《Ⅶ組》総員、迎撃を開始する!」
「「イエス、サー!」」
ブレイブオーダー起動、布陣は突撃陣『烈火』。リィンさんを先頭に駆け出して間もなく、演習地と街道を繋ぐ出入り口付近から、三体のファランクスJ9が姿を現した。
戦闘開始。リィンさんは即座にアルティナさんと戦術リンクを繋ぐと、昼間の戦闘から一変して、自ら先手を取った。
「終の太刀―――『暁』」
「ブリューナク最大火力。掃討します」
全てが一瞬だった。瞬く間に放たれた無数の斬撃が人形兵器の装甲を裂いて、クラウ=ソラスの容赦のない追撃が薙ぎ払う。二人の先手がそのまま決め手となり、たったの数秒間で、脅威は見るも無残な残骸と化していた。
「す、すごい。二人共、あんなにすごかったっけ?」
「僕らも続こう。シーダ、いくぞ!」
「はい!」
こちらも後れを取る訳にはいかない。クルトさんと戦術リンクを繋いで、後方支援に回ったユウナさんがガンブレイカーを構える。
途端に、頭上から重々しい何かが圧し掛かる。恐る恐る見上げると、絶望的なその光景に、目が眩んだ。
「あはは!さあさあ、味見といこうか!?」
新手。無数の人形兵器と、紅色の瞳を爛々と輝かせる鬼。そして甲冑に身を包んだ圧倒的な武が二人。悪夢のような現実が、悪夢で上塗りされた。
___________________
ランドルフ・オルランドは言いようのない憤りで身体を震わせながら、頭上を睨んだ。
「こん畜生がっ……!」
上空から飛来した人形兵器により陣形は乱され、既に乱戦の様相を呈し始めていた。辛うじて押し留めていた軍勢が、四方八方から若者達に牙を向けて、阿鼻叫喚の声が響き渡る。
更には人外の手練れ達の参戦。戦力差を承知の上での一方的な破壊。ふざけるな―――ふざけるな!
「シャーリィ、てめえ!!」
感情に身を任せて、ランドルフはスタンハルバードを振るった。
何より許せなかったのだ。これはこれで悪くはないのかもしれないと感じ始めていた物が、音を立てて崩れていく。乗り越え受け入れたはずの忌々しい過去が脳裏を過ぎり、憤激が闘気を生んだ。
「あははは!流石だねぇランディ兄、久々に痺れたよ。もっと楽しませてくれるよね?」
戦鬼と化した従妹の声に意を介さず、ランドルフは鍔迫り合いの状態で、後方を振り返る。
既に負傷者は多数生じていた。早々に立て直さないと手遅れになる。
「レオノーラ!お前が指揮を執って、負傷者を列車の中まで後退させろ!」
「あ、アタシが?」
「マジモンの実戦を知ってんのはお前だけだ、前線は任せて後ろから応戦しろ!」
「っ……オーケー、やってやろうじゃんか」
レオノーラの背中を見届けてから、渾身の力を込めてテスタ=ロッサを押し返す。重低音と共に回転するテスタ=ロッサの刃が火花を降らし、それでもランドルフは目を逸らさず、赤々と燃え盛る意志を以って踏み止まった。
「よそ見をしてる場合かなぁ!?」
「るせえ!こちとら背負ってるもんがあんだよ、好き勝手やらせはしねえ!!」
巨大な闘気がぶつかり合う最中、後方ではレオノーラの援護射撃の下、負傷した生徒らが続々と列車内に後退し始めていた。
「タチアナ、早く!」
「きゃあぁ!」
「タチアナ!?」
最後の一人であるタチアナの左肩に銃弾が掠め、思わず倒れ込んでしまう。レオノーラはありったけの銃弾を撒き散らしながら駆け寄り、肩を貸して強引にタチアナを立ち上がらせた。
間に合ってくれ。藁をも縋る思いで後退し始めると、頭上から予期せぬ応援が風と共に舞い降りた。
「私とクラウ=ソラスが引き付けます。二十秒で体勢を立て直して下さい」
「アルティナっ……助かる、任せたよ」
漆黒に輝く機体が銃弾を弾き返し、再び高度を上げると、釣られて人形兵器の猛攻が逸れていく。列車内からも援護射撃が放たれ、その隙に車内へ飛び込んだレオノーラは、一度だけ深呼吸を置いてから声を捻り出した。
「リロード!!」
タチアナの左肩の患部を確認して、手近にあったブラウスを巻き付けて止血する。車内も決して安全ではなく、依然として前線で戦い続ける仲間と教官を援護する必要もある。少しでも手を緩めれば、全滅は必至。
「ツーマンセルでいくよ、マヤはシドニー、サンディはアタシと。タチアナはオーバルアーツで援護。アルティナの合図で応戦を開始っ……日頃の訓練の成果を見せる時だ、銃弾を絶やすんじゃあないよ!!」
「了解です」
「ま、任しとけ!」
「ここからが正念場ですね!」
「逃げちゃダメ、逃げちゃダメっ……。い、いけます!」
この一ヶ月間で積み重ねてきた物があるはずだ。各々が己を奮い立たせて、銃口を向けた。
________________________
ランドルフがシャーリィと刃を交え始めた頃、リィン・シュバルツァーは感情に蓋をしながら戦場を俯瞰的に捉え、淡々とした口調で指示を下した。優先すべきは負傷者の救護と安全確保だ。
「アルティナ、レオノーラ達の援護に回ってくれ。あのままじゃ保たない」
「え?で、ですが」
「この状況じゃ君だけが頼りだ。行ってくれ」
「っ……分かりました」
リィンは振り返らず、眼前に降り立った二人の女性と対峙していた。
「久しいですわね、灰の起動者。……彼女とは初対面でしたか?」
「我が名は剛毅のアイネス。見知り置き願おう」
神速の異名を有する鉄機隊筆頭隊士。そして剛毅。その立ち振る舞いと猛々しい気当たりから察して、神速と同格の使い手と踏んでいい。
執行者に勝るとも劣らない一騎当千の戦士が二人。地力で渡り合えるとは到底思えない。最後に『奥の手』を引き出して間もない以上、少しでも長引けば尽きてしまい、裏目に出る可能性の方が高い。
「ど、どうしますか、教官」
それに今は、過去とは違う。昼間とは状況が違う。これ以上、下手に巻き込む訳にはいかない。超えてはならない一線がある。
それなら、どうする?どうすればこの窮地を脱することができる。
「何を呆けている。こちらから往くぞ」
「!?」
一片の迷いが、反応を鈍らせた。剛毅が振るった巨大なハルバードの斬撃が地面を抉り、地鳴りが轟く。突如として現れた亀裂は―――リィンと生徒ら三人を分断し、やがてアイネスの戦意は、そちら側へと向けられた。
「クルト、ユウナ、シーダ!?」
「そうはさせませんわ。貴方のお相手はこの私です」
デュバリィの剣先がリィンの動きを封じると、視界の隅ではアイネスが一歩ずつ守るべき者達へと近付いていく。教官としての意志が身体を衝き動かそうとしても、足を取られたように動けない。
「ご安心を。彼女は生粋の武人ですわ。ことのついでに武の一端を味わうだけでしょう。……まあ、無事では済まないかもしれませんが」
「っ……!」
わなわなと身体を震わせながら、リィンは太刀を抜いた。さながら獰猛な獣が今にも獲物に飛び掛からんが如く、鋭い眼光で対象を射抜きつつ、牙を構えるように。
「……成程。腐っても『八葉』ですわね。お見事な気当たりですわ」
「何のつもりか知らないが、生徒達まで巻き込んでっ……!!」
一閃。妙域に達した者同士の斬撃が、新たな亀裂を地面に刻んだ。
___________________
剛毅のアイネス。初めて耳にした名だ。少なくともお姉ちゃんが残してくれた手記に、その名はなかったと記憶している。
「ヴァンダール流の双剣術に、特殊警棒を用いた制圧術か。いずれも興味深い」
けれども、力量の程は肌で感じ取っていた。ユウナさんとクルトさんも同様のようで、無数の汗粒が浮かんでいた。巨大な斧槍を向けられて以降、生きている心地がまるでない。一歩でも迂闊に動けば、それこそ首が飛んでしまう。
「して……ふむ。二刀小太刀、そなたがクロスベルの錠を解く『鍵』なのだな」
「……わた、し?か、鍵って」
「構うなシーダ。どうせ戯れ言だ」
鍵。あの人は今、『鍵』と言ったか?
頭を軽く振って、雑念を追い出す。忘れるな、相手は執行者と並ぶ身食らう蛇が一人。余計なことは考えず、集中を深めろ。
「尋常ではない使い手だ。抜かるなよ、ユウナ」
「い、言われなくとも」
視線で会話を交わして、ユウナさんとクルトさんが戦術リンクで繋がる。取っ掛かりは二人の仕掛け。先手を取らないと、圧倒的な膂力に抗えない。
「あ―――」
二人の踏込みと同時に、突風が生じた。気付いた時には斧槍の柄がクルトさんへと襲い掛かり、力任せの薙ぎ払いが、双剣ごとクルトさんを吹き飛ばした。
「がはっ!?」
「く、クルト君!?」
返す刀で、ユウナさん。剛腕が振るう斧槍がユウナさんを捉え、為す術もなく悲鳴が上がった。
たったの二撃。とても技とは呼べない単純な力が、戦況を一変させた。一歩も動けないまま、私は独り立ち尽くしていた。
「若い。いずれも腕は認めるが、迷いが気を乱している。ヴァンダール、そなたは殊更にな。踏込みが浅過ぎだ」
やがて剛毅の視線が、私へと向いた。辛うじて構えていた小太刀に身体の震えが伝わって、ゆらゆらと揺れ動く。混じり気のない恐怖心が止め処なく溢れ出て、視界が歪んだ。
「失望させてくれるな。有角の獅子の魂を継ぐ者として、気概を見せるがいい」
「あ……あ、う」
駄目だ。敵うはずがない。攻めることも、守ることもできない。逃れようがない。
感情に屈し掛けていた、その時。予想だにしない名前を告げられた。
「話は変わるが。そなたの姉君……アヤ・ウォーゼルは、我と同格の使い手と聞いている。願わくば一度、立ち合ってみたかったのだがな」
「……お姉、ちゃん?」
瞬間。景色が変わった。突然の夜明けのように視界が広がり、自然と呼吸が安定した。全身に浮かんでいた冷や汗に気付いて、冷静さを取り戻していく。
(そっか……この人、似てるんだ。お姉ちゃんと)
女性としては際立つ背丈の女性。超重量の得物を軽々と自在に操る勇姿。確固たる信念が振るう刃。一定の領域に達した使い手。
敵である事実に変わりはない。逆境の只中にあることも。けれども、今の私を形作る大切な物のひとつが、二の足で立ちはだかっている。そう捉えれば、私は抗うことができる。
「……ふう」
恐怖心が、羨望へと変わった。強張っていた四肢が弛緩して、脱力を生んだ。
抗う術はない。しかし抗わずにはいられない。たとえ届かなくとも、手を伸ばすことはできる。この小さな手は、そのために磨いてきたのだから。
「あの構えは、シュバルツァー教官から教わった……『残月』?」
「ふむ。返し技と見える。……面白い、我から後の先を取るつもりか。その度量、汲んでやろう」
恩師から授かった唯一の技に型はない。両利きの利を活かして左右対称に二刀小太刀を緩めに構え、あらゆる角度に対応。
意識した深い集中。最大限引き出した五感の全てを相手に向けて、一挙手一投足を合わせる。感応力だけなら、私はこの人達の領域に達することができる。
「クソッタレが……誰でもいい、アイツらを止めろ!!」
「シーダちゃん、駄目!」
ランドルフ教官とトワ教官の声が聞こえる。二人だけでなく、後でみんなに謝っておこう。全てを分かり切った上で、覚悟の上で―――身勝手を、貫かせて貰います。
「さあ、返して見せるがいい!!」
「っ……!!」
二刀小太刀『絶佳』。私だけの剣で、私は―――
___________________
ユウナの目には、一瞬の閃光のようにしか映らなかった。両者が瞬く間に交差したと思いきや、アイネスはハルバードを振り下ろした姿勢のまま動かず、一方のシーダの身体は、『何者か』の腕の中にあった。
「……誰?」
衝突の刹那、西方から疾風の如き速度で割って入った銀髪の戦士、フィー・クラウゼルの腕の中で、一時的にシーダは意識を失っていた。
「勇敢と無謀の違いを理解して尚、挑まずにはいられない、か……うん。血は繋がっていなくても、確かにアヤの妹だね」
「……無粋な真似を。何のつもりだ、遊撃士」
実のところ、アイネスにその気はなかった。多少の手傷は仕方ないと目を瞑りつつ、殺める訳にはいかない。アイネスにとって、彼女の主にとって、何より結社としても。
「そっちが本気じゃなかったのは分かってる。でも見過ごす訳にもいかなかった。……それに、気付いてる?」
「何のことだ?」
「反応が速過ぎて、コンマ一秒間に合わなかった」
「何のことだと聞いている」
「この子の剣は、あなたに届いた」
フィーが指をぱちんと鳴らすと、無数の栗色の髪が、アイネスの背後で静かに落下した。
髪留めで束ね、腰元まで届いていたはずの長髪の大半が、ぱらぱらと地面に落ちていく。ユウナとクルトは、驚愕の声を漏らしていた。
「か、髪が……?」
「斬った、のか?」
フィーが駆け付けていなければ、返しようのないアイネスの一撃に屈して、血を流していたであろう事実は否定できない。しかしシーダの意志と意地が、フィーの疾風に匹敵する超反応となって、僅かに届いていたのだ。
「私が割って入らなかったら、もうちょい髪が落ちてたかも」
「ふむ。手心を加えたとはいえ、まさかこれほどとは。……散髪は当面、不要だな」
アイネスは髪留めを外して、半端に残っていた長髪にハルバードの刃を当てると、無造作に斬り払った。やがて沸々と込み上げる感情を抑え切れず、肩を揺らして笑い声を上げた。
「フフ、ハハハ!惜しいな。余りに惜しい。鍵として見過ごすには惜しい武の才だ」
「何のことか分からないけど、鍛え甲斐があるのは同感」
「ああ。だが主の命には逆らえぬ」
フィーの後に続くように、《旧Ⅶ組》の面々が機を突いて応戦を始め、戦況に変化が訪れる。
「この音色は、エリオットさんの……?」
「すまないリィン。遅くなってしまった」
「ラウラ……来てくれたのか」
エリオットの演奏が耳に入った影響か、フィーに抱き抱えられていたシーダも既に意識を取り戻していた。
目が覚めるやいなや、見覚えのある顔に覗かれていたシーダが、戸惑いを露わにする。
「久し振り。元気にしてた?」
「ふぃ、フィーさん!?え、あの、どうして」
「やれやれ。頃合だな」
アイネスは身を屈めると、常軌を逸した脚力を以って飛び上がり、後方の崖の上へと退いた。するとシーダは、慌てた様子で制止の声を張った。
「ま、待って!」
クルトが詮ない戯れ言とした『鍵』という言葉。義姉の故郷であるクロスベル。クロスベルを開く鍵が、私。
何かを連想せざるを得なかった。立ち合いの結果すら気にも留めず、初対面の敵が発した言葉へ縋るように、シーダは問い掛けた。
「私が鍵って、一体何のことで……お姉ちゃんを知ってるんですか?お姉ちゃんは、今何処にいるんですか!?」
「……何も知らぬと申すか。そなたには同情を禁じえぬ」
アイネスは憐れみを隠すように背を向けて、ある種の感情を帯びた声で、静かに言った。
「全てを存じてはいない。が、知りたくば高みを目指すがいい。力を求めよ。……いずれまた、相見えることになる」
高み。力。私にはない力。
まただ。リィン教官の言葉と同じだ。また私は強さを求められた。弱さは自覚しているけれど、私はあとどれぐらい強くなればいいのだろう。強さの先に、一体何が待ち構えているというのか。
「アイネスさん……」
答えは、何処にも見付からなかった。
「あらあらアイネス、随分と可愛らしくなったわね。急にどうしたの、素敵な殿方との出会いでもあった?」
「出会い……確かに、思いがけぬ邂逅はあった」
「まあ。それで、どんな人?」
「少女だ」
「あら~」