再度の襲撃を警戒しながらの復旧作業は、夜を徹して続けられた。
驚かされたのは、デアフリンガー号の損傷が思いの外に軽微であったこと。対戦車擲弾の直撃を受け、銃弾の雨曝しにされておきながらも、列車としての機能に異常はなし。勿論全車両の装甲は歪んでしまってはいたけれど、既に試運転も実施済みで、移動に支障を来たすことはないようだ。
寧ろ問題は、二体の機甲兵にあった。損傷の程は見た目以上に深刻で、翌日の機甲兵を用いた演習も絶望的。そもそもこんな状況下では演習どころではなく、誰もが頭を抱える中―――『あの人』だけが諦観せずに手を動かし続け、そして夜が明けたのが、つい今し方。
「シーダちゃーん、どう?軽警報、まだ出てる?」
「き、消えました。ティータさん、問題なく動いてます」
「やった!ウェインさん、立ち上げをお願いできますか?」
「ああ。任せてくれたまえ」
機甲兵とケーブルで繋がっていた端末パネルからアラートの表示が消えて、聞き慣れた駆動音が辺りに響き渡る。機甲兵の胸部付近で作業をしていたティータさんは数度頷いた後、脚立を伝って地上に下り立った。
「着弾の衝撃と同時に導力がダウンしちゃったから、導力弁が半端な位置で止まってただけだったみたい。……はあぁ、すっごく遠回りしちゃった。もっと早く気付いてれば、すぐに復旧できたのになぁ」
軽々と言うけれど、リィン教官やランドルフ教官といった準専門家でさえ匙を投げたに等しかったのだ。それでもシーダさんは最後まで背を向けず、たった一人で為し遂げてしまった。私はきっと、ひとつの偉業に立ち会ったに違いない。
「そ、それよりこれを使って下さい。油と汗まみれで、その、全身真っ黒です」
「あ、本当だ。でも慣れっこだから平気だよ」
手渡したタオルでティータさんが顔面を拭うと、油汚れのせいですぐに片面が黒色に染まった。腰には複数の工具が収まった革ベルトが巻かれていて、重量感のあるそれらも油まみれ。ティータさんは気にする素振りを微塵も見せず、晴れ晴れとした達成感を振り撒いていた。
「お水です。飲んで下さい」
「ん。色々ありがとう、シーダちゃん」
紙製のコップを受け取ると、ティータさんは一口で中身を飲み干して、朝陽に照らされた機甲兵の頭部を仰いだ。
「いい子。後でちゃんと直してあげるから、もう少しだけ頑張ってね」
機甲兵の脚部に這わせた手は私のように小さく、けれど薄らと無数の傷痕が刻まれていて、逞しく力強い。華奢のように映る四肢は、その実しっかりと鍛え込まれている。
何より特筆すべきは心。心が動じていない。あれ程の騒動があったのにも関わらず、物怖じせずただ直向きに、知恵と技術を駆使して為すべきを為していく。こんな風に彼女の背中に見惚れるのも、初めてではないはずだ。
(……憧れるなぁ)
何が違うのだろう。年齢も背丈も大差ないはずなのに、まるで別世界の人間のように感じてしまう自分がいる。引き合いに出すなら、アルティナさんが近い。私の理解に及ばない何かが、ある種の強さを生んでいるような気がしてならない。……今の私では、とても敵わない。
「お疲れ」
声に振り返ると、フィーさんの姿があった。昨晩は夜通しで警戒に当たってくれていたはずなのに、疲労感は全くと言っていい程窺えない。
いい機会かもしれない。あまり接したことはなかったけれど、「君を見ているとフィーを思い出す」というリィンさんの言葉が、実はずっと気に掛かっていたのだ。
「フィーさん。お疲れ様です」
「今作業中?」
「ちょうど区切りが付いたところです。どうかしましたか?」
手分けして当たっていた復旧作業は既に終盤戦。辺りには空腹を刺激する朝食の匂いが漂っていて、食事の後には交替で仮眠を取る段取りとなっている。その後の詳細なスケジュールについては、教官らが協議をしている最中だった。
「なら少し付き合って」
「は、はい」
フィーさんの後を追い、列車を挟んで演習地の反対側にある小さな池の畔へと向かった。フィーさんは立ち止まると、何の躊躇いや容赦もなく、私の身体を弄った。さわさわ、にぎにぎと。
「ふぃ、フィーさん?あの、あの、ひゃっ!?」
「……ふーん」
値踏みをするような目付きで、上から順に腕や脚を両手で確認していく。思わず身体が強張る度に「力を抜いて」と注意されては、「無茶を言わないで」という文句を飲み込んで耐え忍ぶ。この拷問は一体何だ。
たっぷりと私の身体を堪能したフィーさんは、顎に手をやりながら言った。
「うん、非力だね」
「……えーと。はい、知ってます」
知っているどころか、昨晩にも嫌という程その現実を突き付けられて、作業中も思い悩む程度には自覚している。そんな私の胸中を察したのか、フィーさんは小さく微笑みながら続けた。
「でも私が好きなタイプかな。年齢を加味してもフィジカルはないけど、アジリティーはまあまあ。反応とセンスには光る物がある。ただスタミナに乏しいから長所を活かし切れてない。……加えて、少し『勘違い』をしてる」
「え……」
「この場合、センスってどういう意味だと思う?」
突然過ぎて、答えに窮してしまう。
センス。単語自体に複数の意味があるけれど、だからこその問い掛けだろうか。
「センス……持って生まれた才能、とかですか?」
「それだけじゃない。生まれ育った環境も大きく影響する。シーダで言えば、ノルドの民特有の感覚と、とりわけ秀でた五感、そしてノルドという大自然。あなたを形作ってきた物の全てが、シーダ特有のセンスを育んだ。結果論だけどね」
ひとつひとつの言葉を咀嚼しながら、整理をしていく。フィーさんは私から一旦視線を外し、何かを思い出すような様子で、少しだけ寂しげな表情を浮かべながら、呟くように言った。
「私もそうだった。《Ⅶ組》の中で、私の生い立ちはあまりに特殊で、私の力は異質過ぎた。一時はその現実に戸惑ったり、拒絶されるぐらいにはね」
「……フィーさん?」
「でも……うん。シーダには、何の心配も要らないみたい。誰もがあなたを受け入れているし、周囲に恵まれてる。第Ⅱ分校は上手くいってるっぽいね」
段々と分からなくなってきた。フィーさんは何を語ろうとしているのだろう。
しかし最後の言葉だけは理解できる。私がここに立っているのは、第Ⅱ分校のみんなが支えてくれたからに他ならないのだ。この想いだけは、卒業するまで肌身離さず持ち歩こう。
「何も気負わず、武器にすればいい。優れた五感と反応力を更に磨けばいい。鍛錬次第では体格の不利だって有利になり得る。あとは戦い方の問題かな」
「戦い方、ですか?」
「『後の先』は到達点じゃない。『対の先』があり、『先の先』があって、その先を往く領域がある」
聞き慣れない単語を並べてから、フィーさんは戦術オーブメントを取り出した。
ARCUSⅡ。入学時に支給された私達の戦術オーブメントと同モデル。
「五分間だけ付き合ってあげる。戦術リンク、繋げるよね?」
「戦術リンク?」
「私は教官じゃないし、そもそもこういうのは言葉で伝えられることでもない。だから感覚で受け入れて。……アヤ以上に、強くなりたいんでしょ?」
たったの五分間。されどこれ程に貴重な五分間も滅多にない。
力が欲しい。私は強くなりたい。今はリィンさんを信じて、強くなろう。
___________________
クルト・ヴァンダールは気配を殺しながら、二人のやり取りを離れた距離から見詰めていた。
「……何をしているんだ、僕は」
己の行動に苦言を呈し、大木に背中を預けて深々と溜め息を付いた。両の掌を交互に見た後、瞼を閉じて昨晩の一戦を思い起こす。するとすぐに、得体の知れない焦燥感に駆られてしまう。
剛毅が揮う圧倒的な膂力を前に、為す術がなかった。届くはずがなかった。それ程の差があった。しかしその差はどうすれば埋まる?あとどれだけ積み重ねればいい。―――その余地が、この手の中にあるのだろうか。
「悩んでいるな。少年」
ハッとした表情で顔を上げると、クルトの視線の先には、腕組みをしたラウラが立っていた。クルトは小声で朝の挨拶を置いてから、僅かに口を尖らせた。
「少年呼ばわりされる程、年齢差があるとは思えませんが」
「二十代になると、大人の仮面を被りたくなるのだ。そなたもいずれ分かる時が来る」
ラウラは先程のクルトと同様に、そっと顔を覗かせて、フィーとシーダの濃密な五分間を見詰めた。戦術リンクで繋がった者同士の流れるような体捌き。親友の珍しい一面を垣間見て、ラウラは自然と笑みを浮かべた。
「成程な。何ともアンバランスで不安定ではあるが、鍛え甲斐がある。フィーが磨きたくなる訳だ」
「……そうですね。僕もそう思います」
言葉とは裏腹に、クルトの声色には複数の感情が込められていた。本人でも整理し切れていない想いの数々。ラウラはやれやれといった様子で、クルトの背中をぽんと叩いた。
「勘違いをするな。そなたは既に磨かれつつあるだけだ。少なくとも私の眼には、そう映っているぞ」
「気休めは要りません。更に磨くだけの余地が、大して残っていないだけでしょう」
「剛毅とやらにも諭されていたであろう。その気負いが、迷いを生んでいる」
「……感情の問題だと?」
「ああ。気持ちの問題だな」
自然と語気が強まる。クルトは沸き上がる感情を隠そうともせずに、声を荒げた。
「気の持ちようだけで、何かが変わる程度のっ……僕が積み重ねてきた物が、そこまで軽いと仰りたいのですか?」
「それ程に繊細な剣だということだ。二刀流は攻防一体であり二刀一心。そんなことも忘れてしまったのか?」
「っ……!」
クルトは、自分の頭が空回りをしていることに気付いていた。曖昧な不安に駆られている自覚もあった。己が歩もうとしている道に先はあるのか、道は合っているのか。そもそも自分は、『逃げ道を選んだに過ぎない』のだろう?何を、今更。
しかし整理がまるで追い付かない。感情が雁字搦めになり、堂々巡りをしてしまう。日々欠かさずに続けている鍛錬さえもが、逃避に思えてくる。
「フフ、まあよい。私はそなたに、頼みごとがあって訪ねたのだ」
「頼みごと?あなたが、僕に?」
「少々失礼するぞ」
「えっ。な、ななっ。らう、ら?」
唐突な抱擁。ラウラはクルトの背に両腕を回し、抱き寄せ、瞼を閉じた。身体の一部が軽く触れ合い、お互いの呼吸が耳に入る。ラウラは年下の兄弟を諭すような声と仕草で、優しげに告げた。
「私が考えるに、そなたが《Ⅶ組》の『重心』だ。『中心』がユウナであるならば、重心がクルト、そなただ。だからこそ、リィンのことをお願いしたい」
「……教官を?」
「私とリィンの関係は、聞き及んでいるな?」
「はい。存じていますが」
すっかり赤面したクルトは、リィンの名を聞いて漸く冷静さを取り戻し、耳を澄ませた。
「そなたも既に承知の通り、あれは何かと一人で抱え込み、熟そうとする傾向がある。悪い癖と言ってもいい。導く側に立って尚、その節が窺える。だから、支えてやって欲しい」
「僕達が……支える」
「『教官と生徒という垣根を越えて、共に高め合っていこう』。そのようなことを、リィンは言っていなかったか?」
「それは、確かに。入学初日だったと記憶しています」
「ふむ。ならば言質は取得済みだ」
そっと距離を取って、ラウラは混じり気のない笑顔を湛えた。
見惚れるしかなかった。目が離せないでいた。かつての級友であり、仲間であり、そして想いを馳せる恋人の笑顔。やがてクルトは、母親の顔を思い出していた。次いで、門出の日に兄が託してくれた言葉を。
「己をあまり卑下しないことだ。そなたなら更なる高みを目指せる。……頼んだぞ、クルト」
不意にやって来た風と共に、ラウラがその場を後にする。
同時にクルトは驚愕した。「そなたもな」とラウラが肩に手を置いた女子生徒は、形容のしようがない表情で立ち尽くし、ラウラに応じようともせず、ぼんやりとクルトがいる方角を眺めていた。
「うぉっほん。ユウナ、いつから見ていた?」
「……口から心臓が飛び出るかと思った。ううん、一度飛び出たんだと思う。すぐに飲み込んで正解だったわ」
「落ち着いてくれ。一応確認するが、誤解はしていないだろうな」
「してたらもう撃ってるわよ」
「二人諸共か?」
「ど、どうかな。ていうかこのやり取りは何?要る?」
「……落ち着いてくれたな」
辛うじて踏み止まれたのは、二人の信頼関係がそれなりに築かれつつあるからだろう。ユウナは慎重にガンブレイカーの引き金から指を外し、ぱたぱたと手を扇いで額に浮かんだ汗を乾かし始める。
「それで、どう?あたしには何のことかさっぱりだけど、少しは気が晴れた?」
「……ほんの少しだけね」
「ふーん」
眼に映る風景は相変わらず。前に進めた手応えもない。けれども、二刀流は攻防一体であり二刀一心。それを思い出せただけでも良しとしよう。今はそれでいい。
「あれ。何かありましたか、お二人共」
ユウナに続いて、シーダ。シーダの変わり果てた身なりに、ユウナは戸惑いを露わにして、一方のクルトは憐れむような視線を向けてシーダの髪を整えた。
「どど、どうしたのよシーダ!?」
「見事にぼろぼろだな……」
「今まで生きてきた中で一番濃厚な五分間を過ごした気がします……」
僅か五分間で何かが変わるはずがない。が、取っ掛かりを掴むまでには至っていた。あるべき姿と理想像を明確化することで、初めて人は歩を進めることができる。クルトの迷いは、それが定まっていないからこそ生じる焦り。泥沼から脱するには、切っ掛けが必要だった。
「あ、そうそう。二人共、ちょっと三号車まで来てよ。どうも妙な展開になってきたみたい」
「「妙な展開?」」
クルトとシーダの声が、次いで視線が重なる。昨晩の襲撃は、全ての始まりに過ぎなかった。
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三号車へ向かう道中、ユウナは簡単に事のあらまし伝えていた。
予定時間を過ぎても終わらない教官勢のミーティング。そして突然現れた『かかし男』の異名を持つ帝国軍情報局所属の、特務少佐。詮索は不要だと言われても、昨日の今日。見過ごせるはずがなかった。
クルト達が三号車に入ると、車内には教官らを除いた全生徒が集っていて、誰もが不安気な表情を浮かべていた。
「お、クルト達も来たか」
「ああ。まだ終わっていなかったのか?」
クルトの問いに対し、グスタフが首を縦に振った。ミーティングは既に三十分以上も長引いており、五分後には早朝のブリーフィングも控えている。予定時刻変更の事前アナウンスもなく、放置されているに等しい状況下で、事の深刻さは想像するに容易かった。
「やれやれ、アタシらは蚊帳の外ってか。面白くないねえ」
「も、もしかして、演習が中止なるって可能性も?」
「あり得ますね。教官達も、あんな事態は想定していなかったはずです」
「鉄道憲兵隊が動くかもしれないな。何れにせよ今は……シーダ、どうかしたのか?」
スタークの声を皮切りにして、全員の注意がシーダに向いた。当のシーダは貫通扉の前に立ち、聞き耳を立てるような仕草を取っていた。一気に視線を集めてしまったシーダは、慌てた様子で告げた。
「その、声が拾えたので、よく聞こえるようにと」
「声って……ま、まさか。教官達の会話が、聞こえるのか?」
「はい。微かにですけど、聞こ、っ……え……?」
段々と言葉が途切れていく。シーダは向けられた複数の凝視を前にして、無意識の内に後ずさった。
ざらつくような違和感。
押し寄せる負の感情。
私が何をした?どうして私は、見られている?
『―――私の力は異質過ぎた。一時はその現実に戸惑ったり、拒絶されるぐらいにはね』
怖い。嫌だ。やめて。私は、そんなつもりじゃ。フィーの言葉が脳裏を過ぎり、ぞっとするような恐怖感が頭を穿った。―――しかしそれらは瞬く間に霧散して、次々と声が上がった。第Ⅱ分校を成す者達の、声があった。
「マジかよ!もしかしてあれか、俺達のこそこそ男子トークとかも筒抜けだったりすんのか!?」
「ご安心を。シドニーさんの破廉恥な視線には女子全員が気付いています」
「寧ろ男子も時々引いてるぜ」
「それだけ耳が利くとなるとぉ、夜にユウナちゃんのいびきはなぁー」
「確かにユウナのいびきはねぇ」
「気の毒に……」
「悪夢かよ……」
「あのさ、そのネタいつまで引っ張るの?言っておくけどあたし結構気にしてるよ?ねえちょっと、ねえってば!?」
今更ながらに、漸くシーダは察した。フィーの言葉を理解した。周囲に恵まれているという幸せを、本当の意味で理解し、噛み締めた。フィーが口にした『勘違い』の対象は、ひとつではなかったのだ。
不意に温度を帯びた目元を拭って、シーダは一度深呼吸をした。泣いている場合じゃない。追々寝床の中で、改めて受け止めよう。だから今は、目の前に集中。深く潜り込んだ、集中だ。
「アルティナさん、戦術リンクを繋いで貰える?」
「リンクをですか?」
「単語は拾えるんだけど、途切れ途切れだし、分からない言葉も多いから。アルティナさんなら、上手く変換できると思うんだ」
「……成程。意外ですね、シーダさんにしては柔軟な発想です」
「あはは。意外は余計だよ」
再度深呼吸を置いて、貫通扉に耳を当てる。
五感の操り方はオーレリア分校長譲り。未だあの域には達していないけれど、視える物を視えなくしたり、聴力も同じ要領で多少はコントロールできる。感覚に蓋をせず、故郷で風の声を拾うように、引き出す。
(―――鉄道憲兵隊)
ひとつひとつを、漏らさずに拾い上げる。
鉄道憲兵隊。
赤い星座。
帝国正規軍。
帝国東部。
現有戦力。
儀式。
灰色の騎士。
―――ばその要請―――も手伝わ―――貰おう。
「え?」
シーダの耳に入った声がアルティナに伝わり、単語が意味を成し、前後の文脈から推測された言葉が、抜け落ちた部分へと填まっていく。何度も繰り返している内に二人の理解が統一されていき、声を潜めていた全員に広がっていった。
やがて、静寂が訪れる。すると静けさは段々と変貌していき、いつの間にか車内には、重苦しい沈黙が淀んでいた。口火を切ったのは、ティータだった。
「何と言うか……聞いちゃいけないことを、聞いちゃった気がしますね」
「よく分かりませんが、シュバルツァー教官はずっと、背負い続けてきたんですね」
「……英雄って、何なんだろうな」
答えなんて、あるはずもなく。英雄と持て囃し、祭り上げる。国とは、政治とは、軍事とは一体何なのか。何の覚悟もなく、期せずして知り得てしまった帝国の裏側の一端を前にして、誰もが暗い影を落としていた。
それでも彼らは、彼らだけは、懸命に前を向こうとしていた。
「クルト君、アル、シーダ。すぐに仕度するわよ」
「ああ。言われるまでもない」
「了解です」
「急ぎましょう!」
想いは、実らなかった。
___________________
奇妙な懐かしさを抱いていた。隣に誰かがいる。後ろでも前でもなく、横並びに立ってくれる誰かがいる。いつ以来の感覚だろう。
リィン・シュバルツァーは物思いに耽りながら、駆け付けてくれた三人と共に装備品の点検作業を続けていた。時刻は午前九時十五分。動くに遅過ぎる時間ではないが、如何せん突破口になり得る材料が少ない。すぐにでも発つ必要がある。
「教官!!」
「っ……」
教え子の声に、リィンは腹を括った。流れに任せるという選択肢もあった。しかしそれでは教官役として不義理が過ぎる。何れにせよ、避けては通れないのだ。
「さっきみん……トワ教官から、聞きました。教官は帝国政府からの要請で、別行動になるって。本当、なんですか?」
「ああ。特務活動は昨日で終了とする。本日は《Ⅷ組》《Ⅸ組》と合同でカリキュラムに当たってくれ。……アルティナ、君もだ」
「え……は、え?しかし、私は」
「経緯はどうあれ、今の君は第Ⅱの生徒だ。俺の個人的な用事に付き合わせる訳にはいかない。……これもいい機会だ。三人と行動を共にしてくれ」
じわじわと、背筋に圧し掛かる重み。胸の奥底にじんわりと沁み込んでいく鈍い痛み。
不意に、声が聞こえた。誰の声だろうと思いきや、自分自身のそれだった。自分の言葉が、他人のそれに聞えた。不可思議な感覚に囚われて、思わず首を横に振った。不要な感情を削ぎ落として、今に徹する。二年前とは状況が違う。
「っ……失礼します」
「ちょ、クルト君!?」
そう。違うのだ。自分は今、導く側に立っている。確かに俺は、『彼ら』であったのかもしれない。けれども今は護るべき物があり、超えてはならない一線がある。全てを覚悟の上でここにいるのだ。根底にあるのは、教官としての正義に他ならない。
「あたしが、みんながどんな思いで教官を、教官達をっ……馬鹿にしないでよ。少しは、見直してたのに」
それなのに何故、負い目を感じてしまうのか。正面から向き合っているはずなのに、眼を逸らしているような錯覚を抱いてしまう。小刻みな震えが収まらない。
教え子達が一人、また一人と去って行く中、最後に立っていたのは、幼さが残る少女だった。
「あの、リィン教官」
「……何だ?」
「《旧Ⅶ組》の話は、お兄ちゃんから沢山聞きました。どんな困難も、立ちはだかる壁を幾度も乗り越えて、そうやって俺達はお互いを高め合い、成長して、絆を育んできたんだって。だから、今回も―――」
「聞こえなかったのか、シーダ」
「で、でもだからって」
「君達は《旧Ⅶ組》じゃない、《Ⅶ組特務科》だ。俺の指示に従ってくれ」
意識して突き放す言葉を選び、閉じていた瞼を起こす。向かい風が強く、思わず目を細め、やがてリィンは予想だにしない衝撃を受けた。
「……私は今日まで、教官を信じて頑張ってきました。私の家族が信じたあなたを信じて、強くなれという言葉を胸に、励んできたつもりです」
面影が、あまりに濃過ぎたのだ。顔立ちや身体的な特徴は、かつて共に戦い、語り合い、支え合ってきた親友の。そして頑なさと直向きさ、揺るぎない何某かを宿した心は―――今も遠くで眠り続ける、彼女の。
「けれど、分からなくなりました。お姉ちゃんのことだって、あなたは何も話してくれない。……失礼します」
小さな背中が遠退いていく。見送ってから、リィンはゆっくりと深く息を吸い込んで、吐き出した。動じてはいない、そう自分に言い聞かせながら、眉間に寄っていた皺を右手で解した。
「……ふう」
背後から、肩に手を置かれた。ラウラはリィンに身体を寄せて、お互いの体温を感じ取れる程に近付き、包み込んだ。慈しみに溢れた、温かな感触。リィンはそっと、手を重ねた。
「リィン。そなたの胸中は察している。損な役回りを負わせてしまったな」
「ラウラ……ぐああぁ!?」
少しも表情を変えることなく、ラウラはリィンの人差し指を取り、折り曲げた。曲がってはいけない寸での位置取りが骨を軋ませ、痛々しい悲鳴が上がり、珍妙な光景を生んだ。
「しかし態度と言動を選んだらどうなのだ。その不器用さを正せ、未熟者。フィー、往くぞ」
「ラジャ」
指を押さえて蹲るリィンを見かねて、水属性のオーバルアーツを発動させるエリオット。その気遣いが、理不尽な孤独感に苛まれた心を癒していく。
「す、すまない。エリオット」
「いいって。ラウラが言ったように、間違ったことはしていないしね。難しい立ち位置にいることは、僕らも理解してるよ」
痛みが和らいでいく指を擦りながら、リィンはかつての恩師の存在について触れた。
「最近、考えるんだ。サラ教官のことを」
「サラ教官?」
「サラ教官はどんな思いで、俺達を見送っていたんだろうな。教官側に立ってみて……改めて思い知らされた」
導く側に立ってみて、初めて抱いた感情。怖さと言い換えることもできる。
あの人はどうだったのだろう。表に出さなかっただけなのか。それとも教官としての確固たる信念があったからこそ、死地へと飛び込んでいく俺達の背中を押してくれていたのか。今となっては、想像を働かせることしかできない。
「ほらまたそうやって、一人で抱えようとする」
「え?いや、俺はそんなつもりじゃ」
「さっきも言ったけど、僕らがここに居る理由を考えて欲しいな」
ともあれ、もう後戻りはできない。時間もあまり残されてはいない。灰色の騎士として、為すべきを為す。それだけだ。
「……分かったよ。力を貸してくれ、親友」
「言われなくとも。親友」
お互いの握り拳を打ち、痛みが走る。心地の良い痛みだった。