絢の軌跡Ⅲ   作:ゆーゆ

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第一章もエピローグを残すのみになりました。


四月二十三日 それぞれの一歩目

 

「―――リィンさん!?」

 

 微睡みの底から急浮上をして、飛び起きる。止まりっ放しだった呼吸を再開し、熱を帯びた呼気を吐き出して、冷たい空気を吸い込んでを何度も繰り返す。全身から噴き出していた汗が肌寒さを呼んで、身体を震わせた。

 

(……夢、ですか)

 

 自覚した途端、一気に意識が冴えていく。現時刻から考えて、約二時間は眠れていたらしい。

 状況確認。夜通しで続いた復旧作業の影響により、十分な睡眠時間を確保できていなかったことから、交代で仮眠を取っていた。午後からはリィンさんの指示に従い、《Ⅷ組》と《Ⅸ組》合同でのカリキュラムに専念する。……けれども、リィンさんは。

 

「ん、んんぅ……」

「……シーダさん?」

 

 頭上から、呻き声のような何かが聞こえた。

 ベッドから出て、備え付きの梯子に足を掛け、物音を立てないようにそっと一段ずつ上る。声は断続的に漏れていて、やがて横向きに蹲りながら小刻みに震える、シーダさんの姿があった。

 

「シーダさん、どうかしたのですか?」

「んん……んぁ!?」

「えっ」

 

 不意を突かれて梯子を踏み外しそうになり、どうにか踏み止まる。気を取り直してベッド上に座り、シーダさんの様子を窺うと、額には無数の汗粒がびっしりと浮かんでいた。呼吸も荒く、頬が紅潮していて、視線が定まらない。

 つい先程の自分を見ているようだ。私はここまで取り乱してはいないけれど。

 

「てぃ、ティナ?私……え、あれ?」

「落ち着いて下さい。私とシーダさんは、仮眠を取っていたところです。察するに、夢を見ていたのでは?」

「夢……。そっか。ゆめ、かぁ」

 

 シーダさんは深々と息を吐くと、手の甲で額を拭って、再度仰向けに寝そべった。するとシーダさんは、傍らに座っていた私の左手を、右手で緩く握った。拒む理由は、特に見当たらなかった。

 

「今、何時か分かる?」

「十一時十三分です。昼食まで、まだ少し時間があります」

「そっか。……もしかして私、魘されてた?」

「はい」

「……何だか、ごめんね」

「謝る必要はありません。私も私で、不快な夢から覚めたばかりでした」

「あれ、そうなの?」

 

 夢は夢に過ぎない。記憶の再生と再処理であり、混濁した記憶や知識が擬似的な異世界を作り上げる。

 造られた存在の私でも、夢を見る。大抵は荒唐無稽で意味のない世界が現れて、時折不快感極まりない映像を突き付けられることもある。

 

「イレギュラーが発生し、普段とは異なる時間帯に睡眠を取ったことで、心身が不安定になっていた影響と考えます。お互いに疲労もありますから」

「よ、よく分からないけど。でもちょっとだけ、意外かも。ティナも嫌な夢を見たりするんだね」

「……シーダさん。その呼称は、何ですか?」

「胡椒?」

「呼び方です。ティナ、というのは?」

「え?あ、ああっ?ご、ごめんなさい」

 

 シーダさんによれば、所謂『あだ名』と呼ばれるものだそうだ。私が与り知らないところで、シーダさんら三人は、私の呼び方に関する談議に花を咲かせていたらしく、結果として二つの派閥が生じた。ユウナさんは『アル』派で、シーダさんが『ティナ』派。中立のクルトさんが『アルティナはアルティナだろう』。

 どこぞの誰かを連想せざるを得ない。呼び方ひとつに貴重な時間を割くなんて発想は、一体何処から生まれるのだろう。相も変わらず、私の理解から程遠い人達だ。

 

「まあ、構いません。お好きなように呼んで貰えれば」

「そう?じゃあ早速、ティナ。お願いしてもいい?」

「何でしょうか」

「もう少しだけ、このままで」

「……構いません。お好きなように」

 

 小声でそう呟いてから、シーダさんは私の左手を握り直した。私は無言で返答をして、小さな溜め息を付いた。

 もやもやとした何かが、確かな感情を伴って胸にせり上がる。拒む理由がないという、たったそれだけのことが、左手に温もりを与えてくれた。知らぬ間に、悪夢は過去のものになっていた。

 

___________________

 

 

 ややあって。私とティナは起床した後に身なりを整え、三号車に向かった。

 ユウナさんとクルトさんは私達に先んじて仮眠を取り、午後の演習に備えた点検作業に当たっていた。入れ替わりでベッドに向かう際、一緒に昼食を取ろうという話になっていたから、既に二人も三号車にいるはずだ。

 

「リィン教官は……今頃、どうしてるのかな」

「既に二時間以上が経過しています。何かしらの進展はあったのかもしれません」

 

 リィンさん達が演習地を発ったのは午前九時過ぎ。今頃は北のセントアークか、それとも南のパルムか。いずれにせよ、あの三人が一緒なら、きっと首尾よく進んでいるに違いない。それに、私達が気に掛けても仕方のないことだ。

 

『その、あの人にあんな風に言われたからって』

『……別に、落ち込んじゃいないさ』

 

 貫通扉を開けようとして、思わず手が止まった。

 張り詰めた声。扉越しに伝わってくる冷ややかな空気。私は隣に立っていたティナに身振り手振りで「ちょっと待って」と制止してから、耳を澄ませた。

 

『とっくに分かっているんだ。あの人が、僕らを危険から遠ざけるために、あんな態度を取ったことくらい。僕らには……いや。僕には荷が勝ち過ぎる。彼の判断は何も間違っていないさ』

 

 情けなくは、あるけどね。意識していなければ聞き漏らしてしまいそうな、覇気のない呟き。普段の彼からはまるで想像できない剥き出しの弱さが、とても意外で―――ちくりと、胸の奥底に引っ掛かりを覚えた。

 

『あのね、クルト君。格好付けて、物分かりがよさそうなことを言っているみたいだけど……別にいいじゃない。置いてかれて悔しい、で』

『っ……』

『あんな風に遠ざけられて、納得なんてできる訳ない。あたしもアルも、シーダだって同じだよ』

 

 瞬く間に、違和感が増大した。声を失ったように、言葉を発せない。扉を挟んで立っているはずなのに、段々と遠退いていくかのような錯覚に陥ってしまう。私が、悔しい?

 立ち尽くしていると、隣で首を傾げていたティナが、私に代わって扉を開く。振り返った二人と視線が重なって、クルトさんはばつが悪そうな表情を浮かべた。

 

「シーダ、アルティナ。いつからそこに?」

「……シーダさん?」

 

 悔しい。悔しい。悔しい。それらしい感情を探しても、やはり胸の中には見当たらない。

 分かっていたことだ。私は今、三人とは違う戸惑いを抱いている。ばつが悪いのは、私の方だ。

 

「悔しいというより……悔しいとは、感じていません。ただ、分からなくなりました」

「分からない?」

「ずっとリィン教官を信じて、頑張ってきたのに。急に教官のことが、分からなくなったんです」

 

 悔しさとは違うのだと思う。遠ざけられたことに、失望した。落胆して、迷いが生じてしまった。

 義姉に纏わる真実に近付きたければ、強くなれ。リィン教官の言葉が、私の支えだった。この一ヶ月間、直向きに打ち込んできた。

 けれども、唐突に見放された。兄や義姉と共に数多の困難に立ち向かい、肩を並べてきたあの人に、まるで「お前には無理だ」と言われたかのよう。

 私では届かないのだろうか。あの人の言葉を、私は信じ続けていいのだろうか。考えれば考える程、分からなくなっていく。

 

「……ユウナ、さん?」

 

 俯いていると、頭に手が置かれていた。

 一瞬、穏やかな記憶が過ぎった。それらはすぐに消え去って、手の届かない背中へと元通りになる。代わりに、クラスメイトの控え目な笑顔があった。

 

「ねえシーダ。あなたはあたしやクルト君よりも、教官のことを信頼している。信頼していたんだと思う。でも、どうして?」

「それは……お兄ちゃんや、お姉ちゃんが」

「そうじゃない、あなたがどう思っているかを聞いてるの。前々から薄々感じてはいたけど、アヤさんやガイウスさんは関係ない。シーダ自身が教官を信頼する、その支えになっているものは、なに?」

 

 頭の中を整理しながら、全ての始まりを思い起こす。同時に、意識をして兄と義姉の存在を追い出して、考える。

 出会いは突然だった。憧れの対象でもあった。偶然の再開に歓喜して、私は―――

 

「……あ、あれ?」

 

 驚きのあまり、血の気が引いた。『ほとんど見当たらない』のだ。縋るように教えを乞い、信頼に値すると決め込んでいた男性に関する物が、僅かしか思い浮かばない。

 これ程までに、私は盲目だったのだろうか。考えてみれば入学初日、私を除いた三人は、選択を迫られたと聞いている。《Ⅶ組》への所属を拒否してもいいし、教官役に不服があるのなら、そう提言して貰っても構わないと。私は―――あの人のことを、僅かしか知らない。知ろうとしていなかった。

 

「欠けているのは、それなんだと思う。本当のシーダは、とても悔しくて、それを教官にぶつけたい。でも教官と正面から向き合ってないから、それができない。……あたしも、人のことは言えないけどね」

「はい?」

「ううん、別の話。正直に言うと、あたしはもっと素のシーダを見てみたいの。あなたは誰よりも聞き訳がよくて、真面目で、頑張り屋で……でも一応、クラスメイトなんだし。文句のひとつぐらい垂れてくれた方が、嬉しいかな」

「……そんな風に、感じていたんですか?」

「ちょっとだけよ。まあでも、教官に対する態度がやっぱり一番ね」

 

 より素直に。リィンさんのみならず、もっと剥き身で接する。

 その通りなのかもしれない。偽りの自分を演じていたつもりは毛頭ない。けれども、無意識の内に同じことをしていたと言われれば、否定できない。聞き訳がよくて、真面目で、頑張り屋?トーマやシャルが聞いたら、腹を抱えて笑い転げるに違いない。

 正面から向き合おう。思うところがあれば抱え込まず、躊躇せずにぶつけよう。一先ずはそれからだ。

 

「アルだって、クルト君と同じでしょ。そんな顔のアル、初めて見たわよ」

「私は、悔しいとは……。よく分かりません。ただ……そうですね。理解はしていますが、納得はしていません」

「ん。それで十分よ」

 

 ユウナさんは何度か頷いた後、私達の中心に立った。それが彼女の在り様を象徴しているようで、とても頼もしく、誇らしく思えた。

 

「改めて言うわ。あたしは到底納得できない。置いていかれる程、あたし達は無力じゃない。やりようは幾らでもあったはずよ。なのに何よ、それっぽい綺麗ごとや理屈を並べて、取り繕っちゃって。クルト君と同じね」

「急な駄目出しはやめてくれ……しかし、そうだな。そこまで言うからには、何かいいアイデアでもあるのか?」

「え?」

 

 居た堪れない静寂が訪れる。クルトさんは「冗談だろう」と言わんばかりに驚愕の表情を惜しみなく浮かべ、ティナは細い目を向けて口を噤んだまま。敢えての無言が容赦なくユウナさんに突き刺さる。

 私も私で呆れ果てていると、背後に人の気配を感じた。

 

「―――ふふっ、よかった。元気を取り戻されたみたいで」

 

 場違いな程に蠱惑的で艶やかな笑みが舞い降りて、事態は急展開を迎えた。

 

___________________

 

 

 午後の十三時前。クルト・ヴァンダールは前日にも訪れた紡績町パルムの剣術道場の門を潜り、目当ての人物の足取りに関する情報を集めていた。

 

「ええ、来られましたよ。師範代も一緒でした。確か昼過ぎぐらいだったと思います」

「……やはりそうでしたか」

「あのー、何かあったんですか?昨晩も演習地でひと騒動あったと聞きましたが……」

「いえ、大事ありません。今も追跡訓練の最中で、別行動を取っているだけです。なので、僕らのことは他言無用でお願いします」

 

 ウォルトンにそれらしい事情を伝えて、道場を後にする。外へ出てすぐ、南サザーラント街道へと繋がる西口の方から走り寄って来たユウナと合流したクルトは、掻い摘んで状況を説明した。

 

「やっぱりそうだ。教官達は昼過ぎにパルムを経由して、西に向かったらしい。ユウナ、間に合うと思うか?」

「昼過ぎってことは……うん。地形にもよるけど、飛ばせば追い付けると思う。遠回りしてでもレンタカーを確保しておいて正解だったわね」

「よし、すぐに発とう」

 

 西口に停めた導力車へと向かいながらARCUSⅡを取り出し、頭上高くに待機していたアルティナと無線通信を繋げる。更にクラウ=ソラスが携帯していた通信機器を介して、遠方の森林地帯で機甲兵と共に息を潜めていたアッシュと連絡を取り合った。

 

「クルトだ。そっちはどうだ?」

『どうもクソもねえ、機甲兵の中で待機中だ。足取りは掴めたか?』

「ドンピシャリさ。予定通りの座標で落ち合おう。僕らもすぐに向かう」

『了解だ。やれやれ、林道は動き辛くって仕方ねえな』

「……君は、どう思っているんだ?」

『だから、何がだよ?』

「いや……何でもない」

 

 事の発端は、ミュゼが提供してくれた情報だった。彼女の話によれば、切っ掛けはティータが所持していたサザーラント地方の地図。十数年前に発行された一昔前の地図上に、とある村名が表記されていた。

 人形兵器の大所帯を潜めておくに適した拠点。ひとつの可能性に過ぎない一方で、妙な説得力のある言い回し。事実として、状況から考えれば彼女の憶測は的を得ていたということだ。

 

「……考え過ぎか」

 

 いずれにせよ、立ち止まってはいられない。後にも引けない。ただひたすらに、前へ進むだけだ。

 

___________________

 

 

 量産汎用型機甲兵『ドラッケン』。アッシュは学生離れをした操縦技術を最大限に引き出し、人目が付かない林道の中を一歩ずつ進んでいた。

 

(ドンピシャリ、か。まあ、勘繰りはこの際だ)

 

 この状況下が、もしも何かしらの思惑が働いた結果だとして。それでも余計な詮索は不要だとアッシュは考えていた。兎にも角にも、足踏みをしてはいられない。求めるもののひとつが、この先に。

 

『おうチビッ子。ちゃんと掴まってろよ』

「わ、分かってます」

 

 機甲兵の右肩には、必死になって肩部にしがみ付くシーダの姿があった。

 機甲兵は足音ひとつ取っても隠密行動には向いておらず、対象への接近は困難。安易な動作が引き金となり、接近に気付かれてしまう。つまり万全の索敵体制を以って先手を取り、敵の所在を認識する必要があった。

 シーダの秀でた五感と独特の勘所は、アッシュの知るところでもある。彼女は打って付けの役処だったのだ。

 

「あの、アッシュさん。村って、そんな簡単に消えてしまうものなんですか?」

『あん?何だよ急に』

「えーと。私ってまだ、国の中身を上手く理解できていなくって。村や町があって、都市があって……村が消えたっていう話を聞いて、驚いちゃいました」

『……成程な』

 

 シーダならではの悩み。ノルドという大自然で育まれた、外界では当たり前の概念が存在しない真っ新な頭で『国』を理解するには、順を追う必要があった。

 

『山津波は例外としてだ、別に珍しいことでもねえさ。特に辺境の村ってのは、生業ひとつが成り立たなくなるだけでも不安定になっちまう。それこそ、気象変動による不作続きとかな』

「不作、ですか。移住したりはしないんですか?」

『そりゃ遊牧民の発想だろ。村ってのはそこにあるから村なんだ。……あとは人の問題とかもある。村民同士の争いで燃えちまった村なんかもあったっけな』

「……やっぱり、そうなんですね」

『厳密に言えば、大都市も一緒だぜ?衰退と復興を繰り返して今がある。規模が小せえと、復興もクソもねえってことさ』

 

 饒舌に語るアッシュに、シーダは意外そうな様子で感嘆の声を上げた。

 

「アッシュさんって、物知りなんですね。とても勉強になります」

『クク、暇潰しに読書することが多いからな。自然と知識が身に付いちまう。少し博識なぐらいが、女受けもいいんだぜ。チビッ子もその口か?』

「前言撤回をよっ……と、止まって下さい!」

 

 張り上がった声へ瞬時に反応したアッシュは、機甲兵の動作を緊急停止させた。最低限度の導力源を確保しつつ索敵レーダー以外の周辺機器を落とし、物音を立てないよう身動きも一旦封じる。外部スピーカーもオフにしたため、ARCUSⅡを介した無線通信へと切り替えた。

 

『チビッ子、聞こえてるか』

「はい。でも通信は必要ありません。装甲越しに声は拾えます」

『マジかよ。でも俺が拾えねえんだ、繋いどけ』

「あ、そっか」

 

 レーダー上には何も反応がない。機甲兵同士が対峙することはないらしい。が、昨晩の一戦から考えて、『それ以上』の脅威が待ち構えている可能性は大いにあり得る。

 

『それで、どうなんだ?』

「恐らく、ですけど……複数人。六、七人はいます。その内の一人は、シャーリィと呼ばれていた女性です」

『あのイカした姉ちゃんか。距離は?』

「二百アージュ以上はあると思います」

『……マジですげえな。そんだけ離れてて気配を拾えんのかよ』

「あ、あの人の殺気が巨大過ぎるんです。嫌でも気付きます。それに呼応するように、他の人達も……これ以上は、もっと近付かないと分かりません」

 

 二百アージュ。仮に三百アージュ以上の距離があったとしても、機甲兵では接近を感知される危険がある。しかも相手は、あの結社有数の使い手。更に距離を詰めるにしても、百アージュかそこらが限界だろう。

 アッシュは操縦方法をセミオートからマニュアルに切り替えて、再度導力源を立ち上げた。ひとつ深呼吸をしてから、操縦レバーを握り直す。

 

『歩き方を変える。落ちんなよ』

「は、はい」

 

 その動作は、所謂『忍び足』。身を屈め、全身の関節駆動部を細かく操作し、衝撃を和らげる。木々との接触も避け、ゆっくりと着実に。アッシュの巧みな操縦を目の当たりにしたシーダは、声を失っていた。

 

(こ、こんな動きを、機甲兵が?)

 

 一歩ずつ前進して、距離が縮まっていく。やがて百数アージュ程手前にまで接近した頃には、複数人の気配も明確になり、シーダは各々を特定するにまで至っていた。

 

「ま、間違いありません。リィン教官達です。それともう二人は、甲冑を身に付けた例の女性達です」

『……ここいらが限界だな』

 

 これ以上の接近は困難と判断したアッシュは、シーダとの通信を切り、代わりにクルトのARCUSⅡと無線通信を繋げた。声を潜めてお互いの情報を確認し合いながら、思考を巡らす。次なる一手を、何処に打つべきか。

 

「クルト、今何処にいる?」

『予定の座標まで……あと五分程で着く。何かあったのか?』

「予定座標から南南東に三百アージュだ。教官共と、昨晩に出やがった結社の使い手が三人いやがる。俺達の百アージュ先にな」

『な、何だって!?』

 

 機甲兵があると言えど、たった二人で割って入るなんて真似は無謀が過ぎる。そもそも視界が絶望的で、状況の詳細が分からないのだ。シーダ一人を向かわせるにも、この環境下では目と耳を手離すに等しい。現時点では、手の打ちようがない。

 

「こっちは身動きが取れねえ。あと二分で来やがれ」

『できる限り飛ばす。ユウナ、急いでくれ』

『了解っ……舌を噛まないでよね!』

 

 クルトとの通信を終えて、再度シーダと繋げる。シーダによれば、既に剣の鞘は抜かれており、交戦が始まっているらしい。対峙しながら何かしらの会話を交わしているようだが、中身まではシーダでも拾いようがなかった。

 

『一旦待機だ。あとはクルト達の到着を待つ』

「分かりました。……アッシュさん。もうひとつだけ、聞いてもいいですか?」

『何だよ。手短に言え』

「この国で消えてしまった村の中に、『オーツ』という村はありませんでしたか?」

 

 オーツ村。前方に注意を払いつつ、記憶と知識の海から該当の村名を探し始める。……見付からない。探索を早々に打ち切ったアッシュは、怪訝そうな物言いで質問を投げ返した。

 

『覚えがねえな。その村がどうかしたのかよ?』

「お姉ちゃん関係で、少し」

『……姉貴絡みか。どうやら訳ありみてえだな』

「そうですね。お姉ちゃんは一度、村と共に亡くなったと聞いています」

『何だって?』

「死んだんです。村も、お姉ちゃんも」

 

 まるで予想だにしない言葉に、アッシュは面食らった。

 アヤ・ウォーゼルの存在を、アッシュも把握はしていた。本校の元士官候補生であり、リィンの元同窓生。灰色の騎士と共に内戦集結に一役買い、しかし一時を境に諜反の容疑を掛けられ、行方知れずとなった女性。シーダの義姉。そんな彼女に纏わる、シーダの何故めいた告白。

 

(村と共に一度死んだ、か……。クク、重なりやがるじゃねえか)

 

 思慮分別に欠けた好奇心が込み上げ、アッシュは自虐気味に笑った。同時にARCUSⅡの振動が着信を報せ、アッシュは声と表情を整えてから応じた。

 

「遅えよ。着いたのか?」

『ああ、既に視認している。敵勢は五人だ』

「五人だと?おいおい、三人じゃねえのかよ?」

『気配を殺して潜伏していたんだろう。甲冑姿の弓使いと、猟兵らしき狙撃手が一人。膠着状態にあるが、教官達の不利は明らかだ。今の二人に頭上を取られている』

 

 弓の使い手と、猟兵の狙撃手。尋常ではない相手だけに、機甲兵の装甲を撃ち抜く程度なら容易くやってのけるだろう。窮地に立たされているとしても、下手に動けない状況に変わりはない。

 どの道、躍り出るしか術はない。それなら、取っ掛かりは彼らの役目だ。

 

「仕方ねえ。てめえらが先陣切って、俺達が続く。クルト、指示を出せ」

『僕が?』

「何度も言わせんじゃねえ。こっちは動きようがねえんだ、さっさと腹括りやがれ!」

『……分かった。二十秒後に合図を出す。そちら側の敵を叩いてくれ』

 

 背部に携えていた得物を構えると共に、開閉レバーを引いて操縦席のハッチを開ける。

 

「おいチビッ子、俺と一緒に乗れ」

「は、はい!?あの、何をするつもりですか!?」

「奇襲だ。連中の不意を突くんだよ。おら、早くしろ!」

 

 有無を言わさぬアッシュの形相に、シーダは迷いを振り切って操縦席に飛び込んだ。

 ハッチが閉じると、狭苦しい操縦席の中には、自分の居場所が見当たらない。シーダは慌てた様子で声を振り絞った。

 

「ど、どこに座れば?」

「ここに決まってんだろ。しっかり掴まってろよ」

 

 アッシュの両脚の間、僅かな座席の隙間に恐る恐る腰を下ろす。すると操縦レバーを握った両腕に挟まれ、背中には煮え滾るように熱い体温と激しい鼓動音が伝わってくる。立ち込める濃い雄の匂いに頭がくらくらとして、シーダは思わず唇を噛み、正面を見据えた。

 

「一気に行くぜっ……おおるぁあああ!!」

 

 鬱憤を晴らすかのような疾走からの、跳躍。頭上高々に振り上げたヴァリアブルアクスを、着地と同時に地面へと振り下ろす。地鳴りが響き渡った直後に操縦席のハッチが開かれ、寸でのところで回避行動を取っていたシャーリィ、そして弓使い―――エンネアと、シーダの視線が重なった。

 

「今だ、ぶちかませ!!」

 

 アッシュの気迫に背中を押されて、シーダは二刀小太刀の鞘を払った。

 やるしかない。我武者羅でいい。渾身の力を込めて、飛べ。

 

「見よう見真似、二の型『疾風』……!!」

 

 落下と踏込みの速度を殺さずに、突進力を斬撃の鋭さに変えて、斬り掛かる。着地と同時に振り返り、対の一刀がエンネアの喉元へと向いた。

 

「あら、うふふ。どうやらあなたが、アイネスを散髪してくれた女の子みたいね」

「動かないで下さい。私は本気です」

「動けないのは、あなたも同じでしょう。シーダ・ウォーゼルちゃん?」

 

 首に突き付けられた小太刀。エンネアの手に握られた一本の矢。妙域に達した弓使いに死角はなく、ゼロ距離における接近戦など造作もない。先手を許した不利はあれど、エンネアには技を選ぶ余裕さえあった。

 

「クルト、ユウナ、アルティナに、シーダまでっ……駄目だ、下がっていろ!」

「聞けません!!」

 

 視線はそのままに、シーダは揺るぎない信念に裏打ちされた、クルトが紡いだ言葉を耳にした。

 間違っているかもしれない。

 許されない行為なのかもしれない。

 それでも私達は、私達の意志でここにいる。誰かに頼まれたからでも、強要された訳でもない。煌々と輝き、赤々と燃え盛る意志の下で―――私は。

 

「……噂以上に不思議な子ね。こんな時に、どうして涙を流すの?」

「今までの自分が、情けなくてっ……許せないから」

 

 もう認めよう。ユウナさんの言う通りだ。四月一日のあの日から、私はずっと空っぽだった。

 リィンさんを信頼していたからではなく、私は全てを委ねてしまっていた。リィンさんを知ろうともせず、彼の言葉に縋り、与えられることに満足して、意志を放棄していただけだ。

 義姉に負けない強さを手に入れ、真実を手繰り寄せて、探し出す。私自身の意志で歩を進める。今日がその一歩目であり、取っ掛かり。だから譲れない。この場だけは、引く訳にはいかない。

 

「ふふ。もう少しだけ戯れてあげたいところだけど……そうも言っていられないみたいね」

「動かないで!」

「そうかしら。巻き込まれてしまうわよ?」

「え……」

 

 唐突に陽の光が遮断されて、巨大な影が地面に落ちる。

 直後に感じた、天地が逆さまになったかのような衝撃。逆光のせいで、『それ』は巨いなる影としか映らない。

 

「……う、そ」

 

 破壊と絶望の権化に、私達は見下ろされていた。巨影を前に、意志は無力に過ぎなかった。

 

___________________

 

 

 戦況が目まぐるしく変貌を遂げては、無力さに苛まれる。人智を凌駕した力同士の衝突が眼前で繰り広げられて、為す術もなく立ち尽くしていた現実を、クルトは今更ながらに自覚した。

 

「っ……みんな、アッシュの容体が心配だ。手伝ってくれ」

 

 クルトに続いて、ユウナら三人が駆け出す。向かった先は、岩肌に叩き付けられて微動だにしない機甲兵。搭乗者であるアッシュは今も尚操縦席に取り残されており、最悪の可能性が四人の脳裏を過ぎる。

 

「アッシュ、聞こえてるか!?……クソ、今開ける」

 

 外部に備え付けられていた開閉レバーを引いて、ハッチを開ける。操縦席に座っていたアッシュの額からは血が滴っており、クルトは努めて冷静さを保ちながらアッシュの名を呼んだ。

 

「アッシュ、アッシュ!?」

「し、心配ねえって。ただの、脳震盪だ。傷も浅い」

「そ、そうか。立てそうか?」

「それより、どうなった?あのデカブツは?」

「……見ての通りだ」

 

 灰色の騎士が駆る騎神ヴァリマール。対するは神機アイオーンγ。かつてクロスベル独立国に降臨し、帝国正規軍第五機甲師団を壊滅に至らしめた悪魔。

 互角に渡り合えていたはずが、徐々に形勢は変わりつつあった。ゼムリアストーンで鍛えられた太刀による八葉一刀流が、幾度も撥ね退けられてしまう。騎神の消耗は明らかで、有限が無尽蔵に立ち向かうかの如き理不尽ばかりが展開される。端から見ていても、打開策がまるで見当たらないのだ。

 

「二人共、危ない!!」

「「!?」」

 

 ユウナが叫び声を上げた直後、騎神の背中が岩山を揺らした。

 ドラッケンの再現だった。神機の巨腕が揮った一撃を真面に受けたヴァリマールは、背中から岩肌に叩き付けられ、ドラッケンの隣で地に膝を付いていた。

 どうする、どうする。どうすればいい。

 

「……アッシュ、退いてくれ。僕が動かす」

 

 強引に一筋の光明を見出したクルトは、アッシュの手を取って力任せに彼を立たせ、操縦席を空けた。ぽかんとした表情を浮かべていたアッシュは、やがてぎこちなく笑った。

 

「クク、面白え。やって見せろや、クルト・ヴァンダール」

「く、クルト君!?何をしているの!?」

 

 制止の声を振り切って、入れ替わりで操縦席に座り、ハッチを閉める。確認作業の大半を省略して、各種警報を流し読む。主だった損傷はなく、どれも軽微。短時間の戦闘に支障はない。

 しかし愛用の得物も、火力もない。立ち向かう術も思い浮かばない。無謀と言われても反論の余地がない。ないない尽くしの状況下で、神機は一歩ずつ歩み寄って来る。

 

『く、クルト?何の真似だ、早く降りろ!』

「できません」

『降りろと言っているだろう!?』

「できません!!」

 

 間に合え。操縦方法を切り替えて、立ち上がる。既に神機は眼前へと立ちはだかり、ヴァリマール諸共薙ぎ払わんと、巨大な右腕を振りかざしていた。

 

「え―――」

 

 刹那。溢れんばかりの青白い光で、操縦席が満たされる。胸が高鳴り、落雷に打たれたかのような衝撃が全身を走った。同時に視界が一気に広がって、奇妙な一体感が舞い降りる。

 やがて、その場に居合わせた全員が、目を疑った。教官と生徒、鉄機隊の筆頭、猟兵に執行者でさえも。

 

「……なん、だ?僕は今、何を?」

 

 眩い光に包まれた機甲兵が、神機の剛腕を軽やかな身のこなしで捌き、返す刀で掌底を見舞う。騎神を彷彿とさせる、機甲兵では届き得ない領域。操縦者であるクルト自身が、呆気に取られてしまっていた。

 真っ先に思い至ったのは、目を逸らさずに彼を見守り続けていた、仲間達だった。

 

「い、今の超反応は、まるでシーダの……それに、警察学校で習った、逮捕制圧術?」

 

 シーダを思わせる、両利きの利を活かした左右対称の構えからの返し技。クロスベル警察学校で指南を受けた、制圧を重んじた体術と体捌き。ユウナの目には、そのいずれもを機甲兵が繰り出したようにしか映らなかった。

 

「神気、発動」

 

 続いて、アルティナ。アルティナの声を合図にして、再度機体が光に満ちていく。事態が飲み込めないでいたクルトは、神機に注意を向けながら、混乱を露わにしてアルティナに声を張った。

 

『あ、アルティナ、一体何が起きている?何か知っているのか?』

「原因は分かりませんが、どうやら私達は、『準契約者』と同様の力を与えられたようです」

『分かるように言ってくれないか!?』

「今のクルトさんは、無力ではありません。そして私達は、あなたと繋がることが可能です」

 

 ―――無力ではない。

 たったそれだけの言葉が、頭の中を幾度も叩いては反響を続け、じんわりと浸透していき、余韻を残した。微睡みから覚めた直後のように現実味がなく、言葉が見付からない。

 本当に、そうなのだろうか。

 先程の力が、本当に、僕の?

 

「そうだよ。クルト君。あなたは、無力なんかじゃない」

『ユウナ……』

「だって、ずっと見てきたから。あたしは、あたし達は、ずっとクルト君を見てきたから」

 

 背中を押すように、ユウナは止め処なく浮かぶ言葉を、想いのままに口にした。

 ずっと見てきた。毎朝見てきた。欠かさずに鍛錬に没頭して、剣を振るう姿を何度も何度も目の当たりにしてきた。

 今のあなたを形作る、根柢たる礎を、私達は知っている。

 この一ヶ月間、一番傍で見てきたのは私達だから。

 誰よりも見てきた。誰よりも知っている。家族よりも友人よりも、今この場に立って懸命に歩み出そうとするあなたを―――私達が、見ているから。

 

(僕は―――)

 

 機体の中で、クルトは一人咆哮を轟かせた。身体の奥底から湧き上がる想いに身を任せて、唸りを上げた。前を見据えて、ずっと目を逸らし続けていたものと向かい合って、前だけを。

 

『アルティナ、神気とやらを絶やさないでくれよ』

「了解です」

『シーダ、君の力はこんなものじゃない。もっと集中するんだ』

「は、はい!」

『それに、ユウナ。ありがとう』

「まっかせなさい!警察学校で……へ?」

 

 向かい風は強い。けれども、前に進むことはできる。情熱を力に変えられるのなら、明日だって変わる。未来も変わる。今の僕なら―――仲間と一緒なら、きっと。

 

 

 

 


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