絢の軌跡Ⅲ   作:ゆーゆ

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今話に登場する「オーツ村」に関しては「絢の軌跡64話:狼と少女」をご参照下さい。


第一章 エピローグ

 

 四月二十三日。演習最終日の前夜。明日はこの二日間の振り返りを行う共に、ベースキャンプの撤去作業を済ませた後、昼前には発つ段取りとなっていた。滞在の痕跡を消しながらの迅速な撤退も訓練の一環ではあるのだが、三日間に渡る演習も残り僅か。生徒達がほど良い疲労感と達成感を味わう中で―――教官らが集う一号車には、重い沈黙が淀んでいた。

 やがて口火を切ったのは、ミハイル・アーヴィングだった。

 

「……ハーメル村に纏わる案件はレアケース中のレアケースだ。情報の秘匿は法的義務ではない。だが現実には国家機密に等しい、国を揺るがしかねん暗部なのだぞ。それは理解しているな」

「重々承知しています。だからこそ、生徒達に話しておくべきであると考えます。最早彼らも、無関係ではありません」

 

 ハーメル村に纏わる真実。百日戦役を勃発させた引き金。十四年前に闇へ葬られ、長年に渡り隠蔽されてきた暗部。それらを生徒達に明かすか否か。重い決断を、彼らは迫られていた。

 口外厳禁と言っても、内容があまりに凄惨で濃い闇に満ちている。士官候補生とはいえ、学生である彼らに背負わせてしまっていいのだろうか。彼らは耐え切れるのか。そもそも明かすことで得られる物は一体何なのか。正解がない以上、慎重に議論を重ねる他なかった。

 

「オルランド。君はどう考える」

 

 不意に名を呼ばれたランドルフは若干驚いたようだったが、できる限り言葉を吟味しながら答える。

 

「どうもこうもありません。上の判断に従うまでっすよ。しかしまあ、権利ぐらいはあるんじゃないですかね」

「権利?」

「事後処理や人形兵器の掃討にも、生徒達は一役買ってくれた。だがあいつらは軍人じゃねえ、学生だ。命を賭して戦う義務はねえし、今回の演習は明らかに想定を超えた内容だったはずだ」

 

 誰の目にも明らかであり、否定できない事実だった。

 演習という体裁の下、不穏な気配が漂う地に生徒らを送り込む。万が一に備え機甲兵を駆り出し、場合によっては実戦に投入する。

 蓋を開けてみれば実戦どころの騒ぎではなく、想定を遥かに凌駕した脅威が待ち構えていたのだ。幸いにも重傷者は出なかったものの、最悪の可能性もあり得た。ランドルフの刺々しい物言いには、明確な感情が込められていた。

 

「負傷者も多数出た。無傷だった奴は一人だっていやしねえ。理不尽に巻き込まれた身で、あいつらは文句も垂れずに最後までやり切ったんだ。……真実の一端を知る権利ぐらい、あるんじゃないですかって話です」

「……ふむ」

「どっちにしろ、俺は従いますよ。ハーシェル教官、お前さんはどうなんだい」

 

 ランドルフに続いて、トワ・ハーシェル。トワは注がれた三つの視線をひとつひとつ確認するように見渡した後、静かに告げた。

 

「私は……メリットとデメリットを天秤に掛けて、判断するべきかと」

「デメリットは重々承知している。前者について簡潔に述べたまえ」

「私は私なりに、この国の側面を垣間見てきたという自負があります。その中でも、ハーメル村に関しては……常軌を逸していると、言わざるを得ません」

 

 この国が、彼女を育んだ故郷に等しいということ。その違いひとつとっても、トワとランドルフの受け取り方は変わってくる。複雑な胸中を冷静に整えながら、トワは続けた。

 

「でも、理不尽さはどの世界にも存在します。誰だって大なり小なりの不条理を飲み込みながら、この国で生きていかなくてはなりません」

「だから今の内に、この国が抱える不条理を見せておけ、と?」

「そこまで短絡的に考えてはいません。ですがこの国と正面から向き合う機にはなり得ます。生徒達に限らず、私達はこれから何年も、何十年も、生涯この国で生きていくかもしれないんです。それに……あの地には、犠牲になった沢山の魂が眠っています。ランドルフ教官の言葉を借りれば、弔う権利もあるのではないでしょうか」

 

 丁寧ながらも芯の通った言葉。優しく諭すような声を前に、ミハイルはしばし黙考した。

 気まずい静寂が訪れる。この場に限って、主任教官を務めるミハイルが他三名の上司であり頂点。一方では帝国正規軍の佐官でもあるのだ。

 

「分校長が不在な以上、私が判断する。明日の朝に指示を出す。それでいいな」

「了解です。……それと、別件でひとつ宜しいですか」

「別件?」

「明日の早朝、俺の生徒を『とある場所』へ連れて行こうと考えています。演習に支障は来しません。許可を頂けますか?」

「……いいだろう。だが反省文は確実に提出させたまえ」

「勿論、責任を持って。既に書き始めている頃だと思います」

 

 リィンに釘を刺しながら、ミハイルが一号車を後にする。

 すると一転して空気が弛緩した。ランドルフは肩を解しながら深々と溜め息を付き、腕と足を組みながら申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

「やれやれ。立場上仕方ねえけど、途方もなく損な役回りを押し付けちまったな」

「そ、そうですよね。私達は、各々の意見を出すだけで済みますけど、ミハイル少佐は……」

 

 想像に難くなかった。ミハイルの生真面目な性分から察するに、恐らく一晩中自問自答を繰り返すに違いない。そう口には出さずとも、三人は同じ想いを共有し、負い目のような物を感じてしまっていた。

 とはいえ、思い詰めても始まらない。場の空気を和らげるように、ランドルフは話題を変えた。

 

「そういやシュバルツァー。反省文は何枚書かせてんだ?」

「五十枚です」

「ご……十五?」

「いえ、五十です」

「四人合計で?」

「いえ、各自で五十枚です」

 

 五名の生徒らが犯した明白な命令違反。訓練の放棄。機甲兵の私的利用。正規の軍人であれば如何なる処罰も覚悟しなければならないのだが、彼らはあくまで軍人の卵に過ぎない。

 生徒には学院らしい方法を以って罰を課す。ランドルフも理解はしていたのだが、リィンが口にした枚数に耳を疑わざるを得なかった。

 

「マジかよ。超スパルタだな。俺もアッシュにそれぐらい書かせた方がいいのか?」

「自分が学生だった時もある程度は書いていたので……多かったですか?」

「リィン君、一時期は百枚以上書いてたよね」

「それはフィーですよ。いや、アヤだったか?」

「……ホント何なんだよ、この国」

 

 様々な意味で、この国は自分の理解を超えている。ランドルフは思わず身震いをしていた。

 

___________________

 

 

 翌日の早朝。太陽が頭部を覗かせ始めた薄明りの中、騎神がサザーラントの上空を東に向かって飛行していた。両手上には、恐る恐る地上を見下ろすシーダの姿があった。

 

『シーダ、大丈夫か?』

「は、はい。でも不思議ですね。すごい速度で飛んでるのに……全然風を感じないし、静かだし」

 

 飛行船の甲板に立っていても穏やかな風しか感じられないように、霊力を利用した飛翔機関と同じ類の作用が働いているのだが、そもそもシーダは飛行船の利用すら未体験。説明しても仕方ないと踏んだリィンは、サザーラントの東端に差し掛かった辺りで、高度を下げ始めた。

 

『よし、この辺で一旦下りよう』

 

 騎神が地上に着地してから、シーダがそっと地面に降り立つ。周囲を見渡しても、人の気配はない。目の前には故郷のラクリマ湖を思わせる巨大な湖が広がっていた。

 

「教官、ここは?」

「この辺りがサザーラントとクロイツェンの州境だ。あれがエベル湖で、向こう岸に薄らと町並みが見えるだろう?あれがレグラムさ」

「へえー。じゃあ、あれがラウラさんの。……教官とラウラさんって、婚約はしていないんですか?」

「と、突拍子もなく突っ込んだことを聞かないでくれ。急にどうしたんだ?ユウナじゃあるまいし」

「もっと教官のことを知ろうって、私決めたんです。今度、沢山お話を聞かせて下さい」

「あ、ああ……?」

 

 怪訝そうな表情を浮かべつつ、リィンは北に向かって歩き出し、シーダがその背中を追った。遠目に見えるレグラムを除けば人里らしき物は見当たらず、やはり人気もない。

 一体何処へ行くのだろう。シーダが首を傾げていると、草木の向こう側に、人工的な何かが映った。

 

「あれは……小屋?」

 

 木製の小さな建屋はぼろぼろに朽ち果てていて、土や苔塗れ。もう何年も使用されずに放置されているであろうことはすぐに理解できた。

 更に歩を進めると、建屋は数を増した。そのどれもが原型を留めておらず、枯れ果てた古井戸も見付かった。よくよく見れば、元は日常品であった小物も散見された。

 かつては人が居住していたはずの跡地。新鮮な記憶と風景が浮かび上がる。

 

「あのハーメルっていう廃村みたっ……!?」

 

 リィンが足を止めると同時に、シーダも瞬時に察した。

 昨日の今日で、無警戒が過ぎた。こうして視界の端に映る程に近付いて、漸く気付かされる。

 

「剛毅の……流石に、これは予想外だな」

 

 剛毅のアイネス。鉄機隊筆頭補佐。彼女が揮う圧倒的な力を前に、一時は身も心も屈し掛けた。羨望にも似た複雑な想いを抱きつつ、明確な敵であることに変わりはない。

 何故彼女がこの場に。そもそもどうして気配を拾えなかったのか。答えも、明白だった。

 

「……身構えるな。今の私は、一人の武人に過ぎぬ。場を弁えろ」

 

 リィンは太刀の柄から手を離し、代わりにシーダの小さな手を取った。二人は緩く手を握り合いながら、ゆっくりと一歩ずつ近付いていく。

 微塵も殺気を感じなかった。剛毅の手に得物はなく、甲冑も身に付けていない。一人の女性が廃村の中心に立ち、朝陽に染まりつつある晴れ渡った空を仰いでいた。

 

「この地には、偉大な武人が眠っている。ただ、それだけだ」

「……成程な」

 

 合点がいったような様子のリィンに、シーダは益々疑問を深めた。そんなシーダの背中を、リィンは優しい手付きでそっと押した。

 

「九年前らしい。ここには、『オーツ』という村があったんだ」

「っ!?」

 

 オーツ村。村の名を耳にした途端、全てが繋がりを見せ始める。

 今から九年前、二人の母娘がこの帝国を訪れた。親戚を頼っての外国旅行。母親は伴侶を失った悲しみの果てで、別の幸せを掴むために。娘はそんな母親を見守り、見届けるために。確かな幸せが待っているはずだった。

 けれども、一夜にして全てが崩れ去った。

 母親諸共、村人は惨殺された。

 娘も一度は死の淵に立たされ、感情を失くした。

 全てを奪われた娘は、これまでの人生を捨て、名前を捨てて―――『アヤ』という存在を作り上げた。

 

「ここが……お姉ちゃんの、始まりの地。じゃあ、武人って……お母さん?」

 

 よくよく見ると、剛毅の足元には一房の髪があった。丁寧に切り揃えられた栗色の髪束。誰の者かは、聞くまでもなかった。

 

「そ、その髪は」

「故郷の習わしだ。髪を一房手向け、弔う。ちょうどそなたに切られた髪だ。捨てるよりはいいだろう。……邪魔をしたな」

 

 素っ気のない声を置いてから、一人の武人が去っていく。

 一時は支える籠手の紋章を掲げながら生きてきた。誰よりも正しくあろうとする世界の中で、断絶した流派を継ぐ武人として誇りを抱いていた。だからこそ、この地に眠る『彼女』に惹かれていた。

 

「一代で我流の剣を築き上げた遊撃士、か。……せめて、安らかに」

 

 感謝の言葉を、シーダは声に出すことができなかった。朝陽が滲む栗色の髪が揺れて、黄金色に照らされた後ろ姿に、ただただ見惚れていた。言葉を失っていた。

 やがて背中が見えなくなった頃に、リィンが告げた。

 

「シーダ。ひとつだけ、話しておく。アヤは今、眠っているんだ」

「え……え?」

 

 眠っている。時に様々な意味合いを持つ表現に、一瞬悪夢のような現実が過ぎったが、リィンが湛える笑みがそれを否定した。

 本音を言えば、何度も考えた。もしかしたら、義姉はもうこの世界を去っているのではないか。誰もが口を閉ざしているだけなのではないか。もう二度と会えないのではないか。

 でも、生きている。アヤは生きている。大いなる希望に、自然と力が湧いてくる。

 

「今も彼女は、眠っている。だから俺達は、みんなで起こしに行こうって、そう仲間と約束した。いつか必ず会いに行く。それが《旧Ⅶ組》の約束だ」

「……私も。私達《新Ⅶ組》も、行きます。行かせて下さい」

「ああ、勿論だ。みんなで起こしに行こう。ここで眠る女性のためにも」

 

 夜が終わりを告げて、完全なる夜明けが周囲を輝かせる。太陽はいつだって等しく昇り、過去に生きてきた者達にそうしていたように、今を懸命に生きようとする者も、未来を育むであろう者達も、変わらずに照らし続ける。

 

「待っていて、お姉ちゃん」

 

 新たな一日が、始まりを告げる。

 

 

 

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