五月七日 動き始めた意志
「てやぁああ!」
一気呵成。シーダの気迫溢れる叫び声が室内に響き渡り、逆手に握られた二刀小太刀が目まぐるしく回転する。
「むむむっ……」
対するユウナは防御に徹し、確実に斬撃を捌きつつ、一定の間合いを保ちながらシーダの連撃を凌いでいた。堅牢なユウナの守りに崩れる様子は見られず、シーダの勢いも留まる気配がない。もう暫く、同じ攻防が続くだろう。
「日進月歩、といったところでしょうか」
僕の隣に立っていたアルティナが、瞠目しながら言った。
「ああ。たったの一ヶ月間で、見違えたよ」
五月七日、日曜日。五月に入り一回目の自由行動日に当たる今日、僕らは朝一に練武場の門を潜り、シーダの朝稽古に付き合っていた。
週に一度切りの貴重な自由行動日に、朝っぱらから汗を流す。熱心なシーダの誘いに、僕は何の抵抗もなく首を縦に振ったが、一方のユウナは流石に難色を示した。身体を休めるどころか普段よりも早く起床したこともあり、とりわけユウナの「おはよ」は欠伸のせいで声が擦れていた。
しかしいざ得物を握れば、自然と気が引き締まるものだ。ユウナの体捌きは見事なもので、シーダの動きも洗練されつつある。一ヶ月前と比較すれば、まるで別人だ。
「それでも、ユウナには及ばないな。呼吸も乱れていないし、まだ余裕がある」
「そのようですね」
左右一対の得物。僕の双剣術と違い、彼女らは攻防いずれにも特化可能だ。
だからこそ求められる技量は計り知れない。棍棒術は僕の専門外ではあるが、ユウナのそれはひとつの才能と言っていい領域にある。警察学校時代は優秀な成績を収めていたという話は、誇張ではないのだろう。ガンブレイカーに対する特別な想い入れも相まっているのかもしれない。
「ここ最近は特に調子がいいようだしね。帝国という異郷の地に慣れてきたおかげかもしれないな」
「……私としては、寧ろクルトさんの方が気になりますが」
「僕の?何の話だ?」
「今月に入り、私はクルトさんの戦力評価を上方修正しました。シーダさんの急成長と単純比較はできませんが……何か、あったのですか?」
年不相応な無表情の中に浮かぶ、僅かな感情の兆し。少女の純粋な疑問に対し、確かな手応えと高揚を抱きながら、内心で己に問い掛ける。
何かが特別変わった訳じゃない。
僕だけのヴァンダールは未だ見付からず、漸く踏み締めた一歩目の先に何が待っているのか、自分でも分からない。
しかし結局は、ラウラさんの言った通りなのだろう。心持ちひとつで、眼に映る景色は変わる。変えることができる。
「どうだろうね。好きに解釈してくれて構わない」
「よく分かりませんが、何かを誤魔化そうとしていませんか?」
「気のせいだろう」
「む……釈然としません」
「それより、そろそろ頃合みたいだ」
視線を正面に戻し、交差する二人の姿を追う。
立ち合いを開始してから既に五分間が経過していた。合図と共にシーダが仕掛けて以降、形勢に変化はない。
しかし段々と、シーダの斬撃が途切れ途切れになりつつあった。考えなしに傍から見れば、攻め急いだ代償。決め手に欠けたことで一時的に息切れ状態に陥っているように映る。―――その全てが、シーダの狙い。敢えて隙を作り、ユウナが攻めに転じた瞬間を突く。シーダが得意とする後の先を取ろうとしているに違いない。
やがて連撃が収まり、シーダの足が止まる。一気に間合いを詰めたユウナがガンブレイカーを振りかざすと、シーダは待ってましたと言わんばかりに身体を捻り、ユウナの死角へと滑り込んだ。
「なんちゃって」
「えっ」
「とりゃ!」
流れるような足取り。シーダが完全にユウナを見失うと共に、視界の外からやってきた返し技がシーダの脇腹へと突き刺さる。
全力疾走後の、腹部への打撃。その苦痛は語るまでもない。シーダは息も絶え絶えな状態で床に膝を付き、苦悶しながら蹲っていた。
「痛たたた……」
「アル、水とタオルをお願い。クルト君も手を貸してくれる?」
「了解です」
「ああ」
シーダの唇から乱れた息遣いが漏れ、褐色の肌を汗が滑り落ちる。右手を差し伸べると、シーダは掌の汗を拭ってから僕の手を取り、呼吸を落ち着かせながらゆっくりと立ち上がった。
「シーダ。今の駆け引きで、よく分かっただろう」
「……はい」
課題は明白だ。元々浮き彫りだったのだ。
『実戦経験の少なさ』が、シーダの武器である『感応力』の足を引っ張っているのだ。後の先には必須と言える技の読み合いが、まるでなっていない。彼女が限界まで集中を研ぎ澄ませれば、あの剛毅にだって届く天賦の才が、この有り様。まだまだ磨く余地は多いようだ。
「焦る必要はない。場数を踏めば、自然と身に付くはずだ」
「フィーさんも、同じことを言っていました。『後の先』の先に、『対の先』、そして『先の先』があるって。……剣の道って、果てがないですね」
「そうだな。『先の先』を目指すのであれば、尚更さ。恐らくだけど、シュバルツァー教官やオルランド教官でも、届かない領域だ」
「そ、そうなんですか?」
「本来の意味で使いこなせる武人がいるとすれば、この帝国でも―――」
「呼ばれた気がするな」
「「っ!?」」
思わず身体が跳ね上がり、間抜けな声が漏れていた。
振り返ると、僕らの背後には武を体現した女性の姿があった。オーレリア・ルグィン分校長。その逞しく美しい曲線を描く右肩には、身の丈を超える宝剣―――ではなく、清掃用の箒が置かれていた。
「ふむ。自由行動日に総出で朝稽古とはな。精が出るではないか」
「ぶ、分校長こそ、いつの間に?」
「そう構えるな。ただの巡回だ」
この状況は一体何だ。突然の声掛けに困惑する僕らに、分校長は箒をくるくると器用に回しながら説明してくれた。
ここ最近の分校長の一日は、早朝に校内を巡回することから始まる。異常がないかを点検して回り、目に付く場所があれば手早く清掃。何かしら不備があれば、自らの手で改める。自由行動日も例外ではなく、今日も今日で巡回の最中だったそうだ。
「朝一から直々に見回りとは……長としてのご尽力、感服しました」
「いや……少々、持て余していてな」
「は?」
首を傾げていると、分校長は大きな溜め息を付いてから、憂いを帯びた声で続けた。
「部下が優秀過ぎる、というのも考えものだ」
掻い摘んで言えば、『暇』なのだそうだ。実務を担当する教官がたったの四名という過酷な環境下にある以上、自らが前線で業務に当たる必要があると、分校長は設立当初から考えていた。
しかし蓋を開けてみれば、想定は大いに外れた。人手不足は否めないものの、運営自体は特に支障なく軌道に乗っている。勿論、四名の教官らが死力を尽くしてくれている成果に他ならないのだが、人手が足りていないのに業務が回ってこないという、奇妙な状況に陥っているらしい。
「無論、未だ稼動していない設備もあるが故、人員は今後も増やす計画だ。購買部や医務室が無人ではそなたらも不便であろう。……気は進まぬがな」
「……つまり、益々持て余してしまう、と」
「とりわけハーシェルの処理能力が常軌を逸している。頼んでもいない業務が、知らぬ間に私の決裁待ちになっているのだ。早く印鑑を押せと言わんばかりにな。あれもひとつの『先の先』と言える」
分校長には、分校長にしか担えない業務がある。第二分校における管理監督者としての職務権限があり、あらゆる判断を下す立ち位置にある。彼女の代理は、誰にも務まらない―――はずなのだが。どうやらその前提すら危ういらしい。
「まあ、そういう訳だ。邪魔をしたな」
分校長は踵を返すと、箒を使い室内の掃き掃除を始めた。無言で黙々と箒を動かすその背中には、哀愁のような何かが漂っている。
「「……」」
何かしら、声を掛けた方がいいのだろうか。視線で女子三人と会話を交わしていると、ユウナが思い付いたようにぽんと掌を叩き、シーダの背中を叩いた。
「そうだ。ねえシーダ、『意見箱』の件、分校長に相談してみたら?」
「え、ええ?」
意見箱。分校長が即座に食い付くであろう話題を振ると、分校長は予想通りの反応を示し、竜胆色の眼を輝かせた。
「はい。実はシーダ、生徒会……と言っていいのか、まだ分かりませんけど。取り組みの一環として、学生寮に意見箱を設置していたんです。困っていることとか、教官への要望とか、そういう声を募るために」
「ほほう。そのような取り組みを始めていたのか」
今月に入って以降のことだ。部活動へ所属せず、たったひとりで所謂『生徒会』としての道を選んだシーダは、本校で生徒会長を担っていたハーシェル教官の意見を参考にしながら、取っ掛かりを模索していた。
そうして辿り着いた入口が、意見箱。単純な発想ではあるが、開校から日の浅い第二分校は、数々の課題を抱えているのだ。僕だって困りごとのひとつやふたつはすぐに思い浮かぶ。
「え、えーと。確かに今日、集まった意見をまとめようと思ってました」
「しかし一生徒であるそなたひとりで対処し切れるものでもなかろう」
「……なので、リィン教官にお願いしました」
「なに?」
「一緒に対応策を考えて貰うよう、リィン教官へ既にお願いしてあるんです」
「……。……そうか」
間が空いた。遥か遠方から届いた小鳥のさえずりがひどく場違いに聞こえ、言葉が出ない。分校長の表情は至って平静なのだが、心なしか沈んでいるようにも窺える。
「まあよい。話は変わるが、折角の機会だ。私が直々に稽古を―――」
「すまないみんな、遅くなった」
分校長が何かを言い掛けた直後、背後の扉が開かれ、声が遮られた。
この場に集うはずだったⅦ組特務科の、五人目。担任であるシュバルツァー教官が、額の汗を拭いながら室内に入って来る。
「道中でチャミーさんの長話に捕まってな。適当なところで……ん、分校長?分校長も、朝稽古ですか?」
「……いや。気にするな、詮ないことだ」
それだけを告げて、分校長は静かな足取りで練武場の出入り口へと向かった。
事情を飲み込めないでいるシュバルツァー教官が、首を傾げながら分校長に頭を下げる。一方の僕らは何を口にしても逆効果を生んでしまいそうな気がして、押し黙ることしかできないでいた。
「……よく分かりませんが、自ら校内の清掃を買って出るだなんて、ご立派ですね」
「ティナ。それ、皮肉になってる」
「ちょっと意外だったけど、結果的に微妙な雰囲気になっちゃったわね……。クルト君、どうしよっか?」
「どうもこうもないさ。きっと君も、同じことを考えているんだろう?」
「ん。じゃあ、行こっか」
「一体何の話をしているんだ……?」
せめて、今日ぐらいは。僕らは教官を引き連れて、掃除用具を片手に分校長の後を追った。
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午前九時。本格的に活動を開始した運動部の活気に、食堂で談笑に耽る生徒らの声、普段よりも軽やかな足音。トールズ本校では失われつつある、自由行動日ならではの賑わいが、五月七日の第二分校に溢れていた。
一方の本校舎一階、軍略会議室では、オーレリアを含めた五名の教官らが集い、臨時の小ミーティングが開かれていた。
「……成程な」
オーレリアが手にしていたのは、リィンが先月末に作成した報告書だ。ランドルフやトワが提出したそれと異なる点は、教官としてではなく、『灰色の騎士』として綴られた数々。
四月二十三日のあの日、一体何が起きていたのか。騎神を駆るに至った経緯、神機と称された尋常ならざる存在。そして―――
「『準起動者』としての力を利用した機甲兵による戦闘行為。確かにこれは、外部には出せぬ文書だ」
準起動者。起動者であるリィンを起点として何らかの繋がりを持つことで、騎神のみが有する超常的な力の行使を認められた、極僅かな人間達。先月の特別演習でクルトが揮った力は、紛うことなき準起動者としてのものだった。
「ヴァンダールが搭乗したドラッケンが……。馬鹿げているとしか言いようがない内容だが、誇張は一切ないのだな?」
「はい。全て事実です。遅くなってしまいましたが、報告すべきか否か、俺なりに考えた結果……共有すべき情報であると判断しました」
それらの事実をリィンは敢えて秘匿し、信頼の置ける仲間を除けば、この場に集う第二分校の教官勢のみに打ち明けていた。
理由は明白だ。学生が操縦する量産汎用型機甲兵が、騎神と肩を並べて神機と対峙し、一定の戦果を挙げたのだ。騎神には遠く及ばないと言えど、知れ渡れば何が起きるか想像も付かない。
「ふむ」
オーレリアは一連の内容に目を通すと、報告書の束をデスクに置き、腕組みをして天井を仰いだ。一方のリィン達は、口を閉ざしながら身構える。
リィンからの報告を受け、どう判断するのか。知らぬ存ぜぬを通し、かん口令を敷くのか、それとも。
「博士、クルト・ヴァンダール専用の兵装を開発して頂きたい」
やがて告げられた内容は、誰しもが予想だにしないものだった。
G・シュミットが確かめるように、問い返す。
「それはつまり、ヴァリマールの太刀のように、ヴァンダール専用の双剣を、ということか?」
「可能であれば、ですが」
「……私とて暇ではない。設計を引き受けても構わんが、生産自体は外部委託になるぞ」
機甲兵用の兵装は、この第二分校にも複数配備されている。T2型機甲兵用ブレード、T51グロッケンハンマー、L24シュツルムランサー、M08アサルトライフル等々、一通りの訓練用が機甲兵教練でも使用されていた。
オーレリアの依頼は、クルトの得物である双剣。ヴァリマールがそうであったように、搭乗者専用の兵装があれば、それだけで戦力は飛躍的に向上する。
「分校長。その、宜しいのですか?」
「ああ。報告書の内容通りであれば、あやつは有事の際に騎神と並ぶ貴重な戦力となり得る。今後の演習でも何があるやもしれぬ以上、万事に備えておいた方がよいであろう」
「ま、待って下さい」
思わず口を挟んだのは、困惑を露わにしたトワだった。
「先月の演習が熾烈を極めた影響で、機甲兵の修繕費が予算を上回り、一部が今月度に回っているぐらいです。これ以上の投資は、流石に無茶です」
「二機ともオーバーホールする羽目になっちまったからなぁ。そりゃミラも掛かるって」
さも他人事のようにランドルフが漏らすと、トワは不満気に周囲を見渡した。
事実として、無視できない問題でもある。トワが言及したように、配備されてばかりの機甲兵が甚大な被害を受け、オーバーホールを迫られたのだ。シュミットやティータ・ラッセルの尽力もありコストは抑えられたものの、当初見込んでいなかった費用が、全体を圧迫してしまっていた。
「問題なかろう。『その他雑費』にでも計上しておけ」
「経費管理を何だと思ってるんですか!?」
「冗談だ。私からもある程度の融通は利かせよう。そなたなら可能だな?」
「そ、それはまあ。遣りようは幾らでもありますけど。学生の頃から慣れっこですから」
「……やはり末恐ろしいな、そなたは」
「は?」
味方としては心強いことこの上ないが、絶対に敵に回してはならない典型例。オーレリアが頼もしさついでに畏怖の念を抱いていると、代わってシュミットがリィンへ疑問を投げ掛けた。
「私からも確認だ、シュバルツァー。アッシュ・カーバイドとシーダ・ウォーゼルについての報告内容だが、これも事実なのだな?」
「アッシュとシーダ……はい。そのはずです」
二人に関する内容は、既に演習後の総括の場でも報告されていた。シュミットの引っ掛かりは、アッシュとシーダの人並み外れた才に関するものだった。
「カーバイドの操縦技量もそうだが、ウォーゼルの知覚に至っては、機甲兵に搭載されたセンサー系統をも上回っているぞ。確かなのか?」
「アッシュが秘める資質は、天性のものでしょう。シーダも同じです。視覚や聴覚といった点に限って言えば……恐らく、分校長に匹敵する」
ドラッケンを巧みに操り、そのスペックを最大限に引き出した隠密行動。そしてシーダの鋭利な感覚。両者が合わさったことで、はじめてあの場での奇襲に繋がった。
シュミットにとっては、関心の抱きようがない些細な情報。しかし改めて二人の天性を見比べ、そして沸々と込み上げてくる衝動。それは、ひとつの可能性だった。
「私は軍人ではない。機甲兵という存在が戦場に及ぼす影響など、知ったことではない。ただ導力工学者として、可能性を追い求めるだけだ」
「あの、博士?」
「フフ、実に興味深い。この二人ならば、或いはな」
口髭をたくわえた無表情に、明確且つ怪しげな感情が浮かんだ。その矛先が自身の生徒らに向いていることは言うまでもなく、ランドルフとリィンは薄ら寒さを覚えた。
(おいシュバルツァー。すっげぇ嫌な予感がするぞ)
(ど、同感です)
当の二人には、知る由もなかった。
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「えーと、次の意見です」
午後四時を回り、出払っていた生徒達が宿舎へと戻り始めた時間帯。私とリィンさんは食堂の一画で、先月末に設置した意見箱の中身を整理し、その内容をひとつずつ確認し合っていた。
「『学生食堂の品目をもっと充実させてほしい』。……これも、難しそうですね」
「そうだな……。ジーナさん一人で切り盛りするだけでも手一杯のはずだ。利用者の数を考えても、流石にな」
ある程度の想像はしていたけれど、集まった要望のほとんどが、すぐには実現不可能なものばかりだった。
購買部―――故郷にもあった交易所のようなものは、現時点で開く見込みがない。医務室も物品は揃っているものの、管理する人員がいない。そもそも清掃が行き届かず、開校して一ヶ月が経ったこともあり、段々と埃が積もり始めている場所がある。
様々な面で至らない状況下で、先程のような要望に応えられるはずもないのだ。そういった意味では、分校長自らが掃除をして回るのも当然なのかもしれない。
「ここだけの話だが、こういった教育施設には保険医の常駐が必須なんだよな」
「え?いやでも、いませんよね?」
「本校にはいるだろう?法的にはそれで問題ないんだ」
「……言っている意味が分かりません」
「ああ、すまない。『帝国法上は問題ない』って意味さ」
「分かってて言ってるんですよ!」
まるで理解できない理屈が、どうやらこの国ではまかり通る場合があるらしい。ただでさえ浮世離れしているという自覚はあるのに、頭が痛くなってくる。
ともあれ、これで全員分の要望は集まった。内容は様々あったけど―――実のところその大半が、この宿舎に関するものだった。
「今ので最後ですけど……随分と偏りましたね。『男女の部屋が同じ階にある』って、そこまで気になるものなんですか?」
『同じ階に男女の部屋が混在していて気まずい』、『水場が一階にしかないから尚更気を遣う』、『一部の男女がだらしなくてお互いに困っている』、『実例を挙げればレオノーラの部屋着に隙があり過ぎる』、等々。
言い回しは様々あるけれど、結局は同じことだ。女子の間でも度々話題に上がることで、全く気にしていないのは私とティナ、レオノーラさんぐらい。それ以外の女子生徒は、全員が問題視をしていると言っていい。……この国に来てから、私はいつだって少数派だ。
「リィン教官が本校にいた頃は、どうしていたんですか?聞いた話では、男女の部屋は別々の階に別れていたそうですけど」
「確かにそうだな。《Ⅶ組》の学生寮は二階が男子で、三階を女子が使っていたよ。ただ、別に階に分ければいいという話でもないんだ。寧ろそれが弊害になることだってある」
「……と言いますと?」
「『この階に異性はいない』という油断が、事故を招くことは多々あった。例えば上の階から女子の悲鳴が聞こえたら、男子はどうする?」
「教官は、どうなったんですか?」
「慌てて様子を見に行ったところまでは覚えてる。でもその先の記憶がない。多分、右クロスカウンターだった」
リィンさんは笑いながら、右拳で自身の顎を小突いた。
痛々しくて、直視ができない。一体誰がリィンさんの意識を刈り取ったのだろう。ラウラさんだろうか。いや、お兄ちゃんの話から察するに、アリサさんか?……義理の姉だとは考えたくない。
「と、とりあえず、この件は一度みんなとも相談してみます」
強引に一区切りを付けて、話題を変える。
課題は山積みだけれど、良い報せだってあるのだ。そのひとつが、先月の演習の際にもお世話になった、『あの人』の件だ。
「今後のことは、セレスタンさんに相談してみよう。本校の第一学寮の管理を担っていたこともある優秀な人だ。力になってくれるとは思うが、それでも人手不足は否めないな。各教室の清掃なんかは、これまで通り生徒達が担当して欲しい。構わないか?」
「はい。ミントさんのことも含め、みんなにも伝えておきます」
第二分校の管理スタッフとして、セレスタンさんが来週以降に来校してくれるというのだ。加えてリィンさんの同窓生でもあったミントさんも、同じ時期に着任予定。二人とは挨拶を交わしただけだけれど、きっと信頼できる人達なのだろう。リィンさんの言葉の端々から察するに容易い。
「それと、教官。別件で相談したいことが―――」
言い掛けて、こんこんと扉をノックする音が耳に入る。
すぐに違和感を抱いた。食堂の扉をわざわざノックする人間は、この宿舎にはいない。
(あ、あの人誰だよ?めっちゃ美人じゃなんか)
(あれは……教会の、シスターか?)
椅子に座ったまま振り向くと同時に、軽食を取っていた男子生徒らが、控え目な称賛の声を上げた。
開かれた扉の先には、黒色の衣装を身に纏った女性が立っていた。整った小顔の上に浮かぶ円らで大きな瞳と、金色の細髪。この国における女性の美を象徴するかのような姿に、自然と目が離せなくなる。
「ロジーヌ?」
「……教官の、お知り合いですか?」
「ああ。すまない、少し時間をくれないか」
リィンさんは立ち上がり、小走りでロジーヌと呼んだ女性の下へ向かった。
するとリィンさんは女性と一言二言を交わしてから、意外そうな表情を浮かべ、女性と共に視線を私へと向けた。
「シーダ・ウォーゼルさん。少しだけ、お時間を頂けますか?」
「……はい?」
人違いではなかった。女性は優しい笑みを湛えて、私の名を呼んだ。
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時刻は午後五時を回る頃。頭上は夕焼けに染まりつつあり、週に一度の自由行動日が終わりを告げようとしている。第二分校に入学して一ヶ月が経った今も尚、一日があっという間に過ぎていく感覚に変わりはない。
「お話の最中に、突然ごめんなさい。シーダ・ウォーゼルさんですね?」
「は、はい。えーと……ロジーヌさん?教会の方、ですよね?」
宿舎からほど近い街路上で、私達は足を止めて向き合った。
よくよく見てみれば、街中で何度か見掛けたことがある顔だ。これまでは遠目にしか映らなかったけれど、こうして面と向かうと、その魅力に奇妙な気恥ずかしさが込み上げてくる。
「はい。でも今の私は、表側の人間です」
「表?」
「私は『裏側』の人間でもあります。と言えば、貴女にも伝わりますか?」
途端に、冷静さを取り戻した。忘れ掛けていた記憶や感情が一気に甦り、脳裏を過ぎる。
長兄の言葉を借りれば、この国には表と裏がある。今の私は表側の世界を知る道中にあるけれど、表を知る以前に、裏の一端に触れたことがある。
「……合点がいきました。兄がお世話になっています」
「フフ、こちらこそ。……本当に、ガイウスさんそっくりですね」
「よく、言われます。もしかして、ロジーヌさんもトールズの?」
「はい。本校出身です。《旧Ⅶ組》の皆さんとも、親しくさせて頂いてましたよ」
リィンさんとも旧知の仲。先程の親しげなやり取りから考えても、単に同じ本校出身という間柄に留まらないのだろう。リィンさんも、彼女が秘める素性を知っているのだろうか?
「積もる話もありますが、今日は手短に。彼から手紙を預かっています」
ロジーヌさんは、筒状に巻かれた便箋を手渡してくれた。見慣れない金属製の留め金で封をされていて、一見しただけでは外し方が分からない。
「ご存知の通り、内容はこちらで検閲しています。ご了承下さい」
「あ、ありがとうございます」
兄からの便り。故郷を発ったあの日から、幾度かこうして手紙を送ってくれることがある。第二分校の生徒になって以降は、これが初。まさかリーヴスにまで届くとは考えてもいなかった。
「それと貴女に、渡す物があります。伝えなければならないことも」
「え……何ですか?」
「手紙を読めば、分かりますよ」
手紙。この手紙に、何か特別なことが綴られているのだろうか。内容はいつも平坦で、重要な何かしらが記されていた試しがない。意図的に控えている節すらあった。
「一体なにがっ……ぁ!?」
時が止まった。前触れなく、ぞっとするような戦慄が走った。感覚の何もかもが虚空の彼方に吹き飛んで、呼吸が儘ならなくなる。全身が縛られたように、身動きが取れない。
「な……に。いまの」
思わず夕空を仰いだ。遥か上空から見下ろされ、睨まれていたかの如き、圧倒的な支配と掌握。無意識の内に研ぎ澄まされていた感覚が、それらを一手に拾ってしまったに違いない。
一体誰が。一体、何が?振り返った先には―――普段通りの、日常風景の一枚があった。
「ミュゼ、さん?」
「……どうやら、ご友人がお呼びのようですね」
ロジーヌさんは私の手を取り、一枚の紙切れを私に持たせ、声を潜めた。
「ARCUSの番号です。明日以降にご連絡下さい。続きは、また今度」
「えっ。あ、あの」
私の制止を意に介さず、ロジーヌさんがその場を後にする。
残された私には、選択肢がなかった。焦燥に駆られて、私は真っ直ぐに前を見据えた。
「……ミュゼさん」
「こんばんは、シーダさん。どうかされましたか?」
「いえ……私は、別に」
再び頭上を見上げる。段々と日が暮れて、周囲は既に薄ぼんやりとした暗がりに閉ざされている。
(さっきのは……この人の)
一抹の疑念を抱きながら、私達は横並びになって宿舎へと続く道の上を歩き出した。