絢の軌跡Ⅲ   作:ゆーゆ

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Aya's Diary:前々作『絢の軌跡』及び前作『絢の軌跡Ⅱ』をご参照下さい。


五月十二日 歪み始めた絆 ~後編~

 

 煮えたぎる汚泥のような感情が、少年の中に在った。右眼の疼きと共に在り続けたそれは、紛うことなき少年自身の想いである一方、まるで身に覚えのない穢れでもあった。

 感情の正体が『憎しみ』であることを、少年は自覚していた。しかし右眼が疼く度に雑音が入り混じり、自分の手を離れてしまう。何者かの意志が介在して、感情が一人歩きを始める。

 この感情は何?決まっている、憎悪だ。

 何を憎んでいる?……分からない。

 違う。偽物だ。こんな不純物だらけの憎しみは、自分のものではない。……右眼が疼く理由も分からない。

 

(気に入らねえ)

 

 偽物の感情には屈しなかった。支配を拒み、常に冷静さを忘れなかった。粗野で猛々しい立ち振る舞いは、周囲の目には破天荒に映りつつ、決して一線は超えない。引き際を弁えながらも、他者の支配を撥ね退けて、己を曲げずに押し通す。その姿に、憧れを抱く者さえいた。

 

(気に入らねえ。どいつも、こいつも)

 

 少年はいつしか、やり場のない感情の行先を求めていた。記憶の欠片を拾うと、憎しみは肥大して、より一層の不純物が混ざり込んだ。

 欠片が足りない。もっとだ。この憎しみは、己が生み出した純粋な感情のはず。誰の手も触れさせない。

 より純粋に。一切の淀みなく。何者でもない、自分自身を手に入れるために。

 

___________________

 

 

 五月十日、夜。浴場で一日分の汗と垢を洗い流したアッシュ・カーバイドは、フェイスタオルで額の汗を拭いながら、食堂へと向かった。

 隅の席に勢いよく腰を下ろし、ふうと一息を入れる。背後の窓が半開きになっていて、僅かに流れ込んでくる夜風が火照った頬を撫で、心地良い。

 

「お疲れだな」

「ん……」

 

 男子の落ち着き払った声と、椅子を引く音。次いでテーブル上に置かれたのは、二本の缶入り炭酸飲料。向かいの席に座ったクルトは内の一本を開けて、ごくごくと喉を鳴らした。

 

「なんだ、そりゃ」

「オルランド教官からだ。『ウチの馬鹿を宜しく頼む』と言って差し入れてくれた」

「ならお前らで飲めや」

「一ダースもあるんだ。それにアルティナやシーダは、炭酸が苦手らしい」

 

 アッシュが零度付近にまで冷えた缶を手に取ると、クルトは腕組みをしながら不機嫌そうに言った。

 

「シーダから話は聞いた。部室に有害図書を置いているそうだな」

「馬鹿言え。勘違いしてんじゃねえよ。ただのグラビア誌だっての」

「シーダの生い立ちを少しは考慮してくれないか。物事には順序があるだろう。……ひどく困惑していた」

「はいはいサーセンしたー。気を付けまーす」

 

 椅子を傾けて、反省の欠片もない言葉を並べる。誤魔化すようにクルトから視線を逸らし、アッシュは周囲の様子を見渡した。

 厨房に近いテーブルでは、《Ⅷ組》のグスタフとウェインが談笑を交わしている。そして厨房内には《Ⅶ組》女子が三名。各々が食材や調味料を手に取り、計量作業の真っ最中だった。

 

「女子共は何してんだ?」

「明日に軍隊調理法に関する授業があるだろう。その準備だと言っていた」

「ああ、そういや。ご苦労なこった」

 

 他愛のない会話に花を咲かせながら作業を続けるユウナらの姿を、アッシュはぼんやりと見詰めた。

 何の変哲もない《Ⅶ組》の日常。その場に居合わせた者達の目には、そう映っている。事実として、すっかり見慣れた光景だ。

 

(……仲が良いんだか、悪いんだか)

 

 しかしアッシュにとっては、彼女らが『歪んでいる』ように思えて仕方なかった。誰もそのことに気付こうとしない。表面化しないが故に正しようがなく、改めようのない関係。上辺だけの絆。

 取り繕うあまり、己を捻じ曲げる。

 感情を押し殺して、ひた隠しにする。

 ……馬鹿げている。自分もその一部だと想像しただけで、虫唾が走る。

 

「君が《Ⅶ組》に来て、今日で三日目になる。大分慣れてきたんじゃないか?」

「クク、そうだな」

 

 黒々とした感情と共に、缶の中身を一気に飲み干す。喉に炭酸の刺激を残したまま、皮肉を込めて大仰に笑いながら告げた。

 

「まあ、居心地は悪くねえさ。だがな、肝心な所で一線を超えようとしない気持ち悪さは、どうにも鼻持ちがならねえ」

「……それは、どういう意味だ?」

「チビ兎が良い例だろ。この三日間だけで、情報局だのなんだの、爆弾発言しまくりじゃねえか。だってのに、誰もそのことについて言及しようとしねえ……普通に考えて、おかしいだろうが」

 

 事の真相は定かではなく、しかしアッシュの言い分は尤もだった。

 帝国正規軍情報局出身。アルティナが明かした身分ひとつ取っても、彼女が常軌を逸した世界で生きていたであろうことは想像に容易い。けれども、アルティナが不用意に垣間見せた過去を、誰もが気に掛けず、触れようとさえしない。

 

「君の言いたいことは分かるが……時が来れば、アルティナ自身の口から語ってくれるはずだ。僕らが追及するのは筋違いだろう」

「クク、綺麗事吐かしてんじゃねえ。『腫れ物に触れる』のを避けてるだけだろ?」

「っ……」

「チビ兎に限った話でもねえぜ。じゃじゃ馬に、チビッ子だってそうだ。いつまで『腫れ物扱い』する気なんだよ」

 

 アッシュは立ち上がり、クルトを一瞥して背を向けた。容赦のないアッシュの言葉に、クルトは押し黙った様子で何も語ろうとしない。アッシュは畳み掛けるように続けた。

 

「さっきも言ったが、居心地自体は悪くねえ。……だが仲良しごっこは、真っ平御免だ」

「あっ。クルトさん、アッシュさん」

 

 アッシュがその場を去ろうとするのと同時に、胸掛けを着たシーダが歩み寄って来る。シーダは二人の間に漂う物々しい雰囲気を察して、思わず足を止めた。

 

「えと……どうかしましたか?」

「いや、何でもない。僕達に用か?」

「あ、はい。お二人に、お願いがありまして」

 

 シーダは躊躇いつつ、二人を交互に見詰めながら告げた。

 

「明後日の金曜日の朝に、少しだけ時間を貰えませんか。会って欲しい人がいるんです」

 

___________________

 

 

 二日後。五月十二日の明朝に、シーダは忙しない様子で寝惚け顔のアッシュを急かし、強引に上着を着せた。

 

「ほらアッシュさん、早く早く!」

「だりぃ。何でこんな朝早くに……くぁ」

 

 時刻は朝の六時前。宿舎一階は朝特有の静けさに満ちている。教官生徒を問わず、週末が近付くに連れて疲労が蓄積するせいか、この時間帯に起床しているのは《Ⅶ組》の生徒らだけだ。

 勿論、《Ⅶ組》揃っての早寝早起きには理由があった。

 

「あん?クルト達は何処に行ったんだ?」

「先に礼拝堂へ向かいましたよ。ロジーヌさんを待たせては失礼ですから」

 

 先週末に、シーダとロジーヌが交わしたやり取り―――『渡したい物』と、『伝えたいこと』がある。約束の内容は、たったのそれだけだった。後日に落ち合う日時を決める際にも、淡々とした会話しかなかった。

 しかしシーダは、概ねを察していた。だからこその《Ⅶ組》総出の訪問だった。

 

「さあ、行きましょう」

 

 リーヴスの礼拝堂は宿舎から徒歩ですぐ、駅前広場の北西に位置している。シーダは気乗りしない様子のアッシュを連れて、急ぎ足で礼拝堂へと向かった。

 やがて、時刻は六時ちょうど。礼拝堂の大扉を開けると、先行していたクルト、ユウナ、アルティナ、そして礼拝堂のシスターを勤めるロジーヌの姿があった。

 

「やっと来たわね、プリン頭。いつまで寝てたのよ?」

「朝っぱらから騒ぐな、じゃじゃ馬」

「す、すみません。遅くなりました、ロジーヌさん」

「いえいえ、時間通りですよ。では早速、こちらに」

 

 向かった先は、普段は主に日曜学校、学びの場として使用されている一室。シーダらが最前列の席、アッシュだけがその後ろの席に腰を下ろすと、ロジーヌは改まった声で口火を切った。

 

「コホン。先に少しお話させて頂きましたが……シーダさん。私は貴女に、渡したい物と、伝えたいことがあると言いました。どうして、彼らまで?」

「必要だと思ったからです。その、私だけの問題じゃないような気がして」

 

 封聖省。七耀教会が表沙汰にはできない役割を担う、教会が秘める裏側の一端。この帝国においても極僅かの者しか把握していない世界に、シーダは兄を介して触れていた。

 ロジーヌの思わせ振りな言動。渡す物と、伝えること。ロジーヌが彼女の前に現れ、普段は秘匿しているであろう素性を明かした以上、想像に難くはなかったのだ。

 

「そうでしたか。フフ、察しがいいのですね」

 

 ロジーヌが部屋の出入り口を一瞥し、周囲に人気がないことを確認する。

 

「では、改めまして。この礼拝堂に勤めているロジーヌと申します。元士官候補生で、昨年までトールズの本校に通っていました」

「昨年……つーことは、アンタもシュバルツァーの同期かよ?」

 

 アッシュの粗暴な言動を咎めようともせず、ロジーヌは微笑みと頷きでアッシュに応じて、その先を続けた。

 

「先月の演習の件については、リィンさんから伺っています。結社『身喰らう蛇』に、大陸有数の猟兵団『西風の旅団』……あの内戦時にも暗躍していた彼らが、第Ⅱ分校に接触してきたそうですね」

 

 ロジーヌが整った語調のまま演習の顛末について触れると、自然と場が引き締まる。

 身喰らう蛇。西風の旅団。まるで書物の一節を読み上げるかのように、平然とその名を口にしただけで、目の前の女性が裏に精通しているであろうことは、十二分に伝わっていた。

 

「皆さんもご存知のように、一年半前に勃発した内戦には、トールズの士官候補生らが大きく関与しました。とりわけリィンさん達《Ⅶ組》の面々による能動的な行動が、内戦の情勢に大きな影響を及ぼしたとされています」

「要するに、だ。偉大なパイセン達が宜しくやってくれたおかげで、第Ⅱ分校も連中に目を付けられちまったってことだろ。クク、ありがたい話じゃねえか?」

「はい。そして貴方達《新Ⅶ組》も、自らの意思で彼らに刃を向けたことで、《旧Ⅶ組》と同様の立ち位置を確固たるものにした。つまりは、そういうことですね?」

 

 流暢な返し。ロジーヌが笑みを深めると、アッシュは値踏みをするように視線を這わせた。

 

「そうくるかよ。思いの外にイカした姉ちゃんだな……何者だよ、アンタ」

「フフ。私はこの礼拝堂のシスターです。先程も言いましたでしょう?」

「えー、コホンっ」

 

 クルトが咳払いを置いてクラスメイトの非礼を遮ると共に、ロジーヌに話の先を促す。

 するとロジーヌは静かに深呼吸をした後、真っ直ぐな視線をシーダに向けた。

 

「……話を戻しましょう。シーダさん、貴女に、これをお渡しします」

 

 やがて差し出されたのは、一冊の薄い書物。とりわけ際立つ点は見られない、書店の店頭に並ぶことの多い一般的なノートだった。

 受け取ったシーダは、表紙に並んでいた文字を指でなぞった。

 

「『Aya's Diary』……あれ?こ、これって、お姉ちゃんの日記?」

「正確には手記でしょうか。アヤ・ウォーゼルさんが一時から記し続けていた物です。存在自体は、シーダさんもご存知だったようですね」

「は、はい。でも、これって―――」

 

 ―――ガタンと、物音が鳴った。シーダらが驚いた様子で振り返ると、食い入るような目付きで手記に見入る、アルティナの姿があった。

 

「てぃ、ティナ?どうかした?」

「……どうしてそれを、貴女が所持しているのですか?」

「友人であるガイウスさんからお預かりしました。ただそれだけのことですよ」

 

 唯一平静を保っていたロジーヌが、余裕のある笑みをアルティナに向けた。アルティナは息を詰まらせると、怪訝そうに目を細めてロジーヌを凝視した。

 

「お察しの通り、それは単なる手記ではありません。アヤさんが手に入れた、裏の世界に関わる情報の数々……それらが丁寧に記された、貴重な一冊です」

「お姉ちゃんが……」

「ガイウスさんは、貴女には知る必要があるとお考えになったのでしょう。そして知るだけの権利がある。だから私を介して、貴女に託した。……私から言えるのは、ここまでです」

 

 恐る恐るノートを開き、内容に目を凝らす。日付けは二年前の九月六日から始まる、思い思いに綴られた手記。今では思い出と化してしまった家族が残した、数少ない私物のひとつが、シーダの手の中にあった。

 

「……これは、みんなに見せても?」

「貴女自身が決めることです」

 

 ロジーヌの言葉に促され、ユウナとクルトがシーダの手元を覗き込む。

 『Aya's Diary』。その名の通り、手記は手記に過ぎない。内容の大半は、アヤが過ごしてきた日常その物。時に友と語り合い、想い人と触れ合いながら育んだ大切な絆と想いが、文字列として並んでいた。

 しかしながら、幾頁かの空白を挟んで、内容が変貌していく。

 

「こ、これはっ……『結社』の組織図、なのか?いや、それだけじゃ、ない」

「なによこれ。く、クロスベルのことまで、こと細かに」

 

 膨大な情報が、紙面上に圧縮されていた。

 情報の集合体が、頁によって異なる観点から整頓され、整列している。組織や勢力別、時系列順、各国の政治的背景、影響力や重要度といったように、同一の事柄が頁によって千差万別に扱われ、姿を変える。

 一例を挙げるなら、クロスベル。元クロスベル自治州という視点から、近年に発生した事件や時事問題を考察する。それだけでも六頁分が費やされており、一個人が取り纏めた情報とは到底考え難い程の完成度を誇っていた。

 

「あれ?……ん、くっ付いてる?」

 

 シーダが頁を捲っていると、不意に指が引っ掛かった。よくよく見ると、紙同士が糊付けされたかのように引っ付き、剥がれない部分があった。

 

「注意して下さい。貴女達が今、知るべきではないとされる情報が記された頁に限り、ガイウスさんによる『封印』が施されています」

「ふう……え、封印?」

「はい、封印です」

 

 施された封印。突然飛び出した仰々しい表現に誰もが首を傾げていると、それまで黙りを決め込んでいたアッシュが、シーダの手元を見やった。

 

「貸せ」

「え、え?」

 

 半ば無理矢理に手にした一冊をアッシュがぱらぱらと流し読み、引っ付いた頁に差し掛かったところで、鼻を鳴らした。引っ付いた二枚を強引に剥がそうとするやいなや、アッシュの指に鋭い痛みが走る。

 

「痛ぅっ!?」

「ちょ、わわっ」

 

 火花が散ったかのような音と光。思わず手離してしまった手記を、落下寸前でユウナが拾い上げた。当のアッシュは呆然と指先を見詰めた後、シーダとロジーヌを交互に睨み付けた。

 

「クソッタレ。どう考えても普通じゃねえだろ。こいつの兄貴は何者なんだよ?」

「ま、待って下さい。お兄ちゃ、兄はっ……その」

 

 尋常ならざる力の片鱗を目の当たりにして、シーダは思わず立ち上がっていた。

 普通ではない。その言葉を、安易に否定はできない。こうしている今も尚、長兄は託された意志を貫き、力を鍛造している只中にある。その事実を明かすのは、今ではない。

 明かす訳にはいかなかったのだ。揺るぎない絆で結ばれた友にさえ伏せ、自身から直接伝えたいという兄の意向を尊重する以上、口を噤むしかない。

 

「すみません。これ以上は、私の口からも」

「……ちっ。そうかよ」

 

 段々と声が尻すぼみになっていく。アッシュが舌打ちをして深く腰を下ろすと、それまで五人を見守っていたロジーヌが、気遣わしげに言った。

 

「この部屋は自由に使って頂いて構いません。暫くの間、人払いをしておきますね」

 

 バタン。扉が閉ざされ、残された者達の視線が複雑に絡み合う。

 ユウナは手元の手記を一旦シーダに返し、アルティナの反応を窺った。……目立った挙動はなし。やれやれといった様子で、ユウナは情報局云々の件について言及した。

 

「アヤさんの手記のこと。アルは、知ってたの?」

「情報局のデータベースに登録がある、とだけ。指定重要図書として扱われています」

「クク、参ったな。どいつもこいつも、隠しごとがお好きなようだ」

 

 アルティナの物騒な物言いに対し、アッシュは苛立ちを隠そうともせずに不機嫌さを撒き散らした。

 

「し、しかしこれは、本当にすごいな」

 

 一方のクルトは、再度アヤの手記を開き、感嘆の声を漏らしていた。

 情報局が指定重要図書として扱うレベルとは言え、あくまでそれは保険に過ぎない。一部の者にとっては周知の事実ばかりであり、情報価値としては大して高くはなく、日付が昨年の年始で途絶えているせいか、直近の時事についてはすっぽりと抜け落ちている。

 特筆すべきは、整然。あやゆる立場、観点から見ても、一律に理解できてしまう程に整えられた情報の数々。国や概念、宗教、年齢に性別、職業の一切を問わない平等さが、一冊の中に在った。

 

(これではまるで、第三者へ知らせるための……。アヤ・ウォーゼルが、誰のために?シーダ、なのか?)

 

 自分自身の情報整理が目的ではなく、他者に伝えるための一冊。一体何のために、そして彼女は誰のために、これを残そうとしたのか。該当しそうなのは義妹であるシーダだが、時系列が上手く噛み合わない。

 

「……ユウナ?」

 

 漠然とした疑問を抱きながら、クルトは右隣でノートの中身を共有していたユウナの表情に気付く。ユウナは虚ろな目をゆらゆらと揺らしながら、クルトの手元を覗いていた。

 

「どうかしたのか?」

「ううん、違うの。クロスベルのことも……その。沢山、書かれてて」

「……そうか」

 

 神妙な面持ちのユウナが、苦しそうに笑みを浮かべる。クルトはそれ以上の追及を控え、ユウナの言動を見守った。

 

(また、か。今はそっとしておくべきなんだろうな)

 

 アヤの、そしてユウナの故郷でもあるクロスベルが絡むと、彼女は決まって複雑そうな心境を露わにする。その傾向は入学当初から一貫しており、この帝国に対してわだかまりのようなものを抱いていることも、クルトは理解していた。

 一方では、何がユウナをそうさせるのか、彼女が何を想って沈むのかが、未だに見えてこない。一向に縮まる気配のない独特の距離が、クルトの悩みの種でもあった。

 

「おい。お前らって、いつもこうなのかよ」

 

 重い沈黙が漂い始めた頃、アッシュが語気を強めて言った。

 

「……アッシュ。何のことだ?」

「一昨日の晩も言っただろ。この数日間、お前らを見てきたが……都合が悪い時に限って、誰も何も語ろうとしねえ。普段は口うるせえくせして、今だってそうじゃねえか」

 

 それはこの数日間、アッシュが《Ⅶ組》の一員として日常を共にしてきた中で、抱いていた疑問。クルト、ユウナ、アルティナ、そしてシーダも例外ではない。担任教官であるリィンも含め、否定できない側面。

 何故誰も語ろうとしないのか。

 何故誰も触れようとしないのか。

 己を曲げずに我を貫くを徹底し生きてきたアッシュにとって、我慢がならなかったのだ。

 

「ハッキリ言ったらどうなんだ、じゃじゃ馬」

「何の、ことよ?」

「そこにも書いてあることじゃねえか」

 

 アッシュはユウナの手元を覗き込みながら、彼女の胸の内を代弁した。

 

「てめえの故郷に『列車砲』をぶっ放したのが、気に食わねえんだろ?」

「なっ……」

「……え?」

 

 事実を知る者は、そう多くない。しかし決して少なくもない。積極的に報じられなかったというだけで、情報統制が敷かれた訳でもない。この場に集った五人の内、シーダを除く四人の中では事実として認識されている。『向けられた側』であり、『撃たれた側』のユウナにとっては、悪夢に等しい過去があった。

 

「アッシュ、君はっ……!」

「待って、クルト君」

 

 アッシュに詰め寄ろうとしたクルトを遮り、ユウナが頼りない声を捻り出す。

 

「あれは……あの件は、別に。だって、状況が状況で……だから、その」

 

 到底納得はできず、しかし理解はしていた。

 主観を捨て外側の世界から見れば、クロスベルの選択は常軌を逸していた。あらゆる面で非常事態に陥り、何より神機という人智を凌駕した脅威を前にして、列車砲は玩具同然。放たれた砲弾さえもが、無力でしかなかったのだ。

 だから、仕方のないことだった。私達は人であり、国ではない。ここで声を荒げても、何も生み出さない―――ユウナが懸命に自分自身へ言い聞かせていると、アルティナが疑問の声を上げた。

 

「よく分かりません。私達は今、何を議論の対象としているのですか?」

「え……え?」

「発射指令の合法性でしょうか。確かに帝国正規軍法では、列車砲の起動には防衛庁長官と共に、最高指揮官である宰相の承認が求められます」

 

 体温が一気に低下していくのを、ユウナは感じた。眩暈がして、視界が歪んだ。

 事務的に並べられた言葉。言葉ばかりが先行して、全くと言っていい程に頭の中に入らない。……そんな議論を、誰もしていない。聞きたくもない。

 

「しかし帝国領域内の財産及び人命が脅威に曝され、尚且つ承認を得る時間的余裕が無い場合、特定の環境下においてのみ承認を得ることなく、権限移譲が発生します」

「っ……。やめ、てよ」

 

 ユウナは理解した。悪夢のような現実が、この少女にとっては、その程度のことなのだ。取るに足らない些末なこと。対岸の火事ですらない。

 煮えたぎる汚泥のようなこの感情が―――何ひとつ、微塵も伝わらない。

 

「当日も現場責任者である第五機甲師団所属、ワルター中将による判断で―――」

「やめてって言ってるでしょ!?」

 

 一転して、静けさを取り戻す。

 ユウナは唖然とした。今し方の怒鳴り声が、自分の声なのか。血の気が引いて、吐き気を覚えた。

 

「……ごめん。ちょっと、お手洗いに」

「ゆ、ユウナさん?」

 

 逃げるように、ユウナが急ぎ足で室外へと出ていく。慌てて制止をしようとしたシーダは、どんな言葉を掛ければいいのか分からず、今し方のやり取りの意味さえ理解できずに、声を失くして立ち尽くすしかなかった。

 やがて。思い掛けず引き金を引いてしまったアルティナが、小さな両手を見詰めながら、か細い声を漏らした。

 

「私は……。私は、『また』、なんですね」

 

 薄々勘付いてはいたこと。己の不用意な言動が、時に誰かを驚愕させ、時に意表を突きながらも、咎められたことはなかった。傍に居てくれた誰かが尻拭いをしてくれたから、見過ごされ続けてきた。

 ……誰かを傷付けることだって、あり得たのだ。じわじわと背筋に圧し掛かる重さに耐え切れず、アルティナは珍しく、直情的に動き出した。

 

「ユウナさんと、話をしてきます」

「あ……ま、待ってティナ。私も行く」

 

 見るに見かねて、シーダがアルティナの背を追う。駆け出してすぐ、シーダは何かを思い出したように足を止めて振り返り、アッシュと視線を重ねた。

 

「正直に言って、私には何が何だか、分かりません。でも……どうして、あんな」

「お前だってじゃじゃ馬と同じはずだぜ、チビッ子」

「私が、ユウナさんと?」

「前にも聞いたよな。『どうして帝国に来たのか』……お前にもあるんだろ。『消したくても消えねえ焔』ってやつが」

 

 アッシュが《Ⅶ組》の一員として加わった初日。唐突に切り出されたアッシュの問いに対し、シーダは戸惑い、言葉を濁して曖昧な返答を口にした。

 今にして思えば、あれは己の根底に踏み込んだ一歩だった。彼なりに私と向き合い、知ろうとした一歩目。一線を超えようとした一瞬。

 

「っ……今は、答えたくありません。答えたくない」

 

 苛立たしげに呟いてから、シーダが一室を後にする。残されたアッシュは、背もたれに反り返って天井を仰ぎ、背後に立っていたクルトへ声を掛けた。

 

「やれやれ。思いの外に引っ掻き回しちまったな」

「そのようだ。随分と損な役回りを演じてくれたみたいだが……これで、君は満足なのか?」

「クク、殴りてえなら殴れや。殴り返すけどな」

「そこまで愚かじゃないさ。だがユウナ達が傷付いて、黙っておく程、愚かでもないっ……!」

「あん?」

 

 クルトはアッシュの胸倉を掴み、固く握った右拳を振り上げて、アッシュの右頬を殴打した。込められた想いは複数。何も言い返せない己の不甲斐無さ。ユウナの真情を未だ理解できない自分。些細な言動で綻んでしまった《Ⅶ組》の脆弱さ。

 何よりも、たとえ理不尽であろうと、感情に身を任せた愚行であろうが、男子として抑える訳にはいかなかった。クルトは右手に鈍い痛みを抱えたまま、アッシュを見下ろした。

 

「殴り返すのは、また今度にしてくれ。二人同時に怪我をしては不自然だ」

「っ……クク、面白え。楽しみにしてろや」

 

 クルトはアッシュが口にした言葉の意味について思考した。

 『消したくても消えない焔』。自分にだってある。同じように彼女達にも、そして恐らくは、この男にも。

 

 

 

 

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