絢の軌跡Ⅲ   作:ゆーゆ

6 / 19
四月十六日 第Ⅱ分校の割りと長い午後

 

 残り僅かとなったミルク粥をスプーンで掬い、一気に頬張る。途端に濃厚且つまろやかな風味が口一杯に広がり、名残惜しさと一緒に飲み込む。コップに入った水を飲み干して、スプーンを置いた。

 

「はあ。ご馳走様でした、ジーナさん」

「フフ、お粗末様。一気に平らげちゃったわね」

 

 実力テストの追試を乗り越えた私は、小一時間程度の仮眠を取った後、少々遅めの昼餉を取りに学生食堂を訪ねていた。休息日でも食堂は普段通りに開いていて、ジーナさんは快く食事を提供してくれた。

 食堂を利用するのは今日が四回目。初めは勝手が分からず多少の抵抗があったけれど、ユウナさんやクルトさんの勧めもあり、今では楽しみのひとつでもある。

 そういえば、ゼンダー門にも食堂という名の食事処があったっけ。……シャル、元気にしてるかなぁ。トーマへの分と一緒に、今度手紙を書いてみよう。

 

「シーダちゃんはミルク粥がお気に入りみたいね」

「はい。故郷のとは大分違いがありますけど、とっても美味しいです」

 

 恐らくチーズを使う点が一番の違いだ。鶏卵と合わさることで独特の味わいを生み出している。

 ノルド高原とエレボニア帝国。文化の違いには、良い側面だってある。何ごとも前向きに捉えて、ポジティブ思考を心掛けよう。

 

「そうそう、聞いたわよ。部活動を始めるんでしょ?シーダちゃんは何部に入るの?」

「それは……まだ、決めてません」

 

 部活動。実力テストを終えた今、考えるべき案件。

 部活動の何たるかを、概ね理解はしていた。お兄ちゃんやお姉ちゃんのおかげだろう。私も私で、今日中に所属する部を決めなくてはならない。既に午後十三時を回っているから、あまり時間に余裕もない。

 

「これから校内を見て回りながら、ゆっくり決めようと思います」

 

 この二週間が慌ただし過ぎたせいか、私は色々な物が見えていなかった。この第Ⅱ分校の設備にしても、本校舎と食堂を除けば、ほとんど利用したことがない。広過ぎる、という理由もあるけれど。

 ともあれ、まずは知ることから始めよう。私の世界はまだまだ狭い。心持ちひとつで世界は広がる。風も変わる。今日も一日―――良い風が、吹きますように。

 

___________________

 

 

 初めに向かった先はクラブハウス。目当ては『自動販売機』。以前にクルトさんが利用しているのを見たことがある。ミラさえあれば飲料品が手に入るというそれを、一度利用してみたかったのだ。

 食堂の階段を上って、一度本校舎の屋上に出てから、階段を下って本校舎の二階に―――本校舎?

 

「あれ?」

 

 違う違う。本校舎ではなくクラブハウスだ。道順を間違えてしまった。

 再び屋上へ戻り、扉を開けて階段を下る。そう、ここが学生食堂で、私はいつもお気に入りのミルク粥を―――んん?

 

「……ああもう」

 

 大きく溜め息を付きながら、踵を返して階段を上り直す。

 三度屋上に出ると、クラブハウスに繋がる扉の前には、アルティナさんの姿があった。

 

「シーダさん、何かお探しですか?」

「……もしかして、見てました?」

「はい、室内から。何やら行ったり来たりをされていたので」

 

 一気に顔が熱くなる。恥ずかしいことこの上ない。帝都中央駅で右往左往をしていた時も、こんな感じだったか。

 無事にクラブハウスへ辿り着いた私は、財布からミラ硬貨を取り出しながら、未だ校内の構造に慣れていない旨を明かした。

 

「そういった事情なら、生徒手帳の簡易マップを参考にされては?幾分マシになるかと」

「……ちゃんと中身を見てなかったです。そんな便利な物があったんですね」

「それとシーダさん、5ミラ硬貨は使えません」

「え?」

「自動販売機に使えるのは10ミラ硬貨からです」

「……はい」

 

 そっと5ミラ硬貨を財布に戻し、アルティナさんの助言に従う。見た目と名称からは味が想像できなかったので、『缶コーヒー』なる物のボタンを押した。

 多少苦戦しつつ缶の蓋を開けて口にすると―――何だろう。これはきっと、大人の味だ。苦みと渋み、甘みが複雑に絡み合っている。まあ、悪くはない。

 

「はあ。アルティナさんって、物知りですね」

「この程度で見識を計られても困るのですが」

「でも私、色々と助けられてばかりです。入学式の時も、それにこの一週間だって、ずっと……アルティナさんがいてくれて、本当に良かったです。……アルティナさん?」

「……いえ」

 

 ずっと抱いていた想いを告げると、アルティナさんは考え込むような仕草を取って、傍に置かれていた椅子に座った。私も隣の席に腰を下ろすと、アルティナさんは小さな小さな溜め息を付いた。

 

「考えても仕方ありませんね。これが感情と呼べるか否かは、保留にしておきます」

「保留?」

「こちらの話です。それよりシーダさん、部活動の方はどうですか?」

「まだ決まってないよ。これから校内を見て回って、それからかなぁ。アルティナさんは?」

 

 質問で返すと、元々垂れ目気味だったアルティナさんの目尻がより一層垂れ下がり、どんよりとした重々しさが漂い始める。

 返答を聞くまでもないのだろう。こんな様子のアルティナさんを目にするのは、初めてだ。

 

「教育機関というのは、何故こうも自主性を求めてくるのでしょうか。肩が凝りまくりです」

「ま、まあ私も似たようなものだし。まだ時間はあるんだから、焦る必要はないんじゃないかな」

「ですが私は……あの、シーダさん。それは敢えて『そうしている』のですか?」

「え……ごめん、何のこと?」

「いえ、お気になさらず。ユウナさんからも言われていたことなので、私はともかく、そちらの方が自然なのかもしれません」

「??」

 

 理解が追い付かないでいると、アルティナさんは立ち上がり、これから図書室へ向かうつもりだと告げた。本腰を入れて部活動を決めるために、書物を参照にするらしい。

 私もそろそろ行かないと。最後の一口を飲み干し、缶をゴミ箱に捨てて―――漸く、未自覚な変化に気付く。

 

「あ……」

 

 今更元に戻す方が不自然なのかもしれない。先ほどの口振りから考えて、アルティナさんも気を悪くはしていないのだろう。それなら、改めて。

 

「アルティナさんっ。お互いに、いい部活が見付かるといいね!」

「はい。お互いに善処しましょう」

 

___________________

 

 

 アルティナさんと分かれた私は、その足で訓練場やプールが設置された地下に向かいながら、部活動を選定するに当たる考え方を再度振り返った。

 大別すれば二つになる。自分の得意分野や趣味に沿うような部活動を選ぶか、或いは不得意で身近ではない領域に踏み込むか。

 

(そう考えると、お兄ちゃんやお姉ちゃんは前者だよね)

 

 お兄ちゃんは逞しい体格に恵まれながらも、とても繊細で器用なところがあった。私達と一緒に暮らしていたお姉ちゃんにとって、馬の世話は日常の一部だったと言える。美術部に馬術部という選択は、とても自然な発想だ。

 それなら、私は。自問しながら両開きの扉に手を掛けると、広大な空間が現れる。

 

「ひ、広い」

 

 屋内プール。改めて目の当たりにすると、途方もなく大掛かりな施設だ。これらが全て人の手によって造られたというのだから驚く他ない。ゼンダー門や監視塔には目が慣れていたけれど、圧巻の一言に尽きる。

 

「ん……やあ、シーダじゃないか」

「こんにちは、グスタフさん」

 

 扉の傍には、腕組みをしながらプールを見詰めるグスタフさんが立っていた。

 

「朝はお疲れだったね。無事に合格できて何よりだ」

「ありがとうございます。これも皆さんのおかげです」

「はは、まあお互い様さ。それで、君も水泳に興味があるのか?」

 

 興味云々は別として、得意不得意で言うなら、泳ぎには覚えがある。夏の暑い季節にはラクリマ湖でよく水浴びをしていたし、それなりの距離なら泳ぎ切れる自信がある。

 リィンさんの話では、『軍事水練』という名のカリキュラムもあるらしい。そもそもこのプールが設置された目的はそこにあるらしいけれど―――水面から漂う、この奇妙な匂いは、なに?

 

「それはきっと消毒薬の匂いさ」

「消毒……ですか」

「ハハ、成程。君は人一倍敏感だって話だったか。慣れるのに時間が掛かりそうだな」

 

 ある程度なら我慢できるとは思うけれど、率直に言って不快感が凄まじい。嗅覚についても、もっと自分でコントロールできるようになる必要がありそうだ。頭がくらくらしてきた。

 

「おっと。おーい、シーダー」

 

 鼻を押さえていると、水着姿で水面に浮かんでいたレオノーラさんが声を張った。脱力した自然体の身のこなしは見事なもので、水滴と共に浮かぶ凛々しい笑顔が、とても眩しく映った。

 

「朝は凄かったねえ。アンタ見掛けによらず根性あるじゃないか。大したモンだよ」

「あ、あはは。ありがとうございます」

「アタシ達は水泳部を立ち上げるつもりなんだ。アンタも気が向いたら入りなよ、大歓迎さ」

 

 今日は同じようなやり取りを繰り返すことになるらしい。それはともかくとして。

 遅かれ早かれ、軍事水練はカリキュラムとして課せられることになる。水泳のような運動は体力不足を補う手段にもなり得るし、候補のひとつとしておこう。

 

___________________

 

 

 水泳部の見学を終え、一階に繋がる階段を上っていると、小柄な男子生徒の背中があった。

 カイリさんは大きな紙製の箱を抱えていて、体勢は見るからに不安定。重い物が入っているせいか、よろよろと左右に揺れながら歩く様はとても危なっかしく、私は思わず手を貸した。

 

「っとと、大丈夫ですか?」

「し、シーダさん?すみません、助かります」

 

 二人で箱を持ちながら、一歩ずつゆっくりと階段を上っていく。

 

「シーダさんの勇姿は、僕も見ていました。君はとても強い女性だったんですね」

「勇姿だなんて、そんな。私なんてまだまだです」

「それを言うなら僕なんて全くです。身体は小さいし、力もない。茶道部の活動で、何かを掴めればいいんだけど……」

 

 小声でそう呟くカイリさんの表情を、私は少なからず理解できた。ないもの強請りをしたって、何も始まらない。自ら生み出そうとしない限り、変わらないものがある。

 それにしても、茶道部か。茶の道と書いて茶道。どういった部活動なのだろう。カイリさんの言動からはいまいち想像が付かない。

 

「あら、シーダさん。珍しい組み合わせですね」

「ミュゼさん?」

 

 階段を上り切ると、目的地である一室の前に、ミュゼさんの姿があった。

 抱えていた荷物を室内に運び終えた後、カイリさんは手伝ってくれたお礼にと缶コーヒーをご馳走してくれた。まさかの二本目を堪能していると、ミュゼさんは艶やかに笑いながら、思いも寄らない話題に触れた。

 

「シーダさんには、改めてお話を聞かせて欲しかったんです。シーダさんは以前から、リィン教官とお知り合いだったのですよね」

「……リィン教官から聞いたんですか?」

「ウフフ。リィン教官のことなら、何だって存じていますよ。勿論、常識の範囲内で」

 

 明確な返答をさり気なく避けながらの笑み。一緒に入浴した昨晩を思い出す。

 リィンさんとの馴れ初めはクラスメイトにも明かしていたことだし、ユウナさん辺りから耳に挟んだ、ということにしておこう。常々感じていたことだけれど、ミュゼさんはリィンさんに興味津々らしい。

 

「リィン教官がまだ学生だった頃、一昨年の初夏ぐらいですね。特別実習……遠地での演習の場に、故郷のノルド高原が選ばれたんです。リィン教官とは、その時に知り合いました」

 

 私にとって、初めて『外』と交わった三日間。グエンさんやシャルのような知り合いはいたけれど、あんな風に深く関わりを持ったのは、お姉ちゃんという例外を除けば初めての体験だった。

 あの忘れられない思い出から、もう二年間が経つ。そう考えると、不思議な感覚がある。

 

「聞けばリィン教官達は、シーダさんのご実家に寝泊りをされていたとか。夏の一夜を共にするなんて……ああ、なんて羨ましい」

「み、ミュゼさん?」

「ウフフ。そしてシーダさんは憧れのリィン教官を追って、この第Ⅱ分校を選んだということですね」

「違います。全然違います」

「や、やはり女性はああいった男性に惹かれるんですね……僕なんて、僕なんて」

 

 瞬時にして勘違いが増えまくり、収拾が付かなくなっていく。どうしてこうなった。

 強引にミュゼさんの誤解を解いて、そもそもの目的でもある『茶道部とは』という話題に持ち込もうとするやいなや、ミュゼさんは再び蠱惑的な笑みを浮かべた。

 

「リィン教官ではないとすると、シーダさんはどういった殿方に惹かれるのですか?」

「へ」

「所謂『理想の男性像』、ですね」

「……いや、ええっと。そういうのは、考えたことがないです」

 

 質問の意図は理解できる。しかし何も頭に浮かんでこない。リィンさんにも憧れに近い感情を抱いてはいたけれど、異性として意識した覚えはない。というより、そういった経験自体がない気がする。

 

「でも私達のような年頃なら、少なからずあるのでは?女子として当然の感情であり、本能ですから」

「……うーん」

 

 理想の男性像。漠然とし過ぎていて、当たり前の前提らしき要素ばかりが思い浮かぶ。こんなものでいいのだろうか。

 

「強いて言えば、逞しくて頼り甲斐のある男性がいいです。……か、カイリさん?」

 

 私の隣で、カイリさんが泣いていた。

 

___________________

 

 

 収穫が乏しいまま午後四時を過ぎた頃、校内をぐるりと回ってグラウンドに下りると、遠目に運動着姿のユウナさんの背中が映った。

 

「あれ、シーダちゃんだ。ユウナちゃん、シーダちゃんが来たよ」

 

 私に気付いたのは、主計科のルイゼさん。戦術科のゼシカさんも含めた三人は、ここ最近一緒にいる機会が多い。お兄ちゃんが言っていたように、別のクラスの生徒と交流を持つことはきっと大切で、貴重な繋がりなのだろう。

 

「お疲れ、シーダ。部活動はどう?良さそうなの見付かった?」

「一通り見て回っているところです」

 

 ユウナさんの右手には、不思議な形状をしたラケットという競技用の道具が握られていた。『テニス』と呼ばれるスポーツは、ラケットを使ってボールを打ち合いながら競うものらしく、ユウナさんら三人はテニス部を立ち上げるつもりだそうだ。

 

「少しだけ見学しても構いませんか?」

「もっちロン。シーダなら大歓迎よ」

 

 邪魔にならないよう距離を取ると、グラウンドの片隅には金属製のコンテナが置かれていた。

 中を覗くと、競技用と思しき道具が複数入っていて、テニスラケットも複数本収まっていた。それ以外にも竹製の刀剣や奇妙な形をした球、衣装にシューズ等々、見慣れない物で溢れ返っていた。

 

「このラケットは……テニスとは、違うのかな?」

「それはバドミントンと呼ばれる競技用だ」

「え……ぶ、分校長!?」

 

 思わず振り返ると、オーレリア・ルグィン分校長が腕組みをしながら私の手元を見詰めていた。

 私が手にしていたラケットは、テニス用のそれとは違い細身で軽く、重みは僅かしか感じない。私の小さな手にも収まってくれていた。

 

「私も少々身体を動かしたくてな。生徒らの様子見を兼ねて、校内を回っていたところだ。そなたはバドミントンに関心があるのか?」

「い、いえ、そういう訳では。ただ、どういったスポーツなのか、少し気になりまして」

「ふむ。ならば実践だ。ウォーゼル、付き合うがいい」

「えええ!?」

 

 今日二度目となる『どうしてこうなった』。縋るようにユウナさんに視線を送ると、「ご愁傷様」と言わんばかりに遠くへ避難した三人が立っていた。逃れる術はないらしい。

 腹を括って分校長の説明に耳を傾けると、大まかに言ってテニスとよく似た近代スポーツのひとつだそうだ。シャトルと呼ばれる羽根が付いたコルクを打ち合い、取得点数を競うという内容だった。

 

「本来であれば専用のコートが必要だが、この際ルールも不要だ。型にとらわれず、打ち合いに興じるとしよう」

「あの、どうやって打てばいいんですか?」

「見て覚えるがいい。さあ、往くぞ!!」

「無茶を言わないで下さい!?」

 

 問答無用に放たれた打球は、初速こそ相当な速度があったものの、山なりの軌道を描きながら、ゆっくりと私の頭上付近に落下した。

 

(こ、こんな感じ?)

 

 頭越しにラケットを振り切り、どうにかシャトルを打ち返す。ラケットとコルクの弾力が重なったおかげか、思いの外にシャトルは勢いよく飛んでいき、分校長が再度ラケットを構える。

 

「力み過ぎだ。四肢を弛緩させ、身体のバネを以って振り切るがいい」

「は、はい」

 

 この感覚は―――悪くない。一打を重ねるごとに、力の使い方が段々と理想に近付いていく。反応の速さも重要だ。打球の瞬間を見逃さず、即座に反応して落下地点に回り込み、構え直す。

 それにこの軽さ。二刀小太刀『絶佳』と通じるものがある。特殊な金属で鍛えられた絶佳の刀身は、まるで羽根のように感じられた。重さを犠牲にした分、あらゆる『速度』が求められる。

 

「中々筋がいいな。ならば、全力で往くぞ」

「え―――」

「はあぁ!!」

 

 シャトルの落下と同時に、跳躍。全体重を乗せて打ち下ろされたシャトルは、文字通り『目にも止まらぬ速さ』を伴い、私の後方へと飛来した。

 隙を突いた一撃。真面に反応すらできなかった。

 

「ジャンピングスマッシュと呼ばれる球種だ。初速だけならあらゆる球技を凌ぐ。羽球の花形と言えるな」

「っ……分校長。もう一度、全力でお願いできますか」

 

 微動だにできなかったのは確かだ。しかし私にも油断があった。来ると分かってさえいれば、返しようはあるはずだ。

 

(集中……集中っ)

 

 深い集中と感応。実力テストの追試の場で掴み掛けた、あの感じ。全ての感覚を眼前の一点に収束させて、一挙手一投足を見逃さず、反応する。自在に使いこなせれば、非力な私にでも、私にしかできない活路を見い出せる。自分を信じて、立ち向かえ。

 

「心地良い気当たりだ。その心意気、汲んでやるとしよう」

「はい、お願いします!」

「武神功っ……!!」

「えっ」

 

 黄金の羅刹。いつぞや耳にした武神の二つ名が、眼前で在りのままに体現される。グラウンドの中央に黄金色の渦が生じ、全てを薙ぎ倒さんとする覇気に全身を射抜かれて、分校長が握っていたラケットが、炎上した。

 

「あの、分校長!?それは多分駄目なやつです!色々と間違ってます!」

「望み通り、全身全霊を込めて打つ。さあ、耐えてみるがいい!!」

「無理ですうううううううう」

 

 バドミントン部を立ち上げる、という選選択肢もあるのかもしれない。そんな私の想いは粉々に打ち砕かれ、羽球は私のトラウマと化した。

 

___________________

 

 

 ☆分校クエスト

【件名:学生食堂の窓ガラスの修理】

 期限:短

 依頼者:トワ・ハーシェル

 内容:リィン君、大変!学生食堂の二階なんだけど、突然外から何かが飛来して、窓ガラスが一枚割れちゃったみたいなんだ。予備のガラスはあったから、早速取り替えたいんだけど、手伝ってくれないかな。え、なに?手が届かないから?あはは、何を想像してるのリィン君、ぶっ飛ばすよ?早く来て欲しいな。

 

___________________

 

 

 午後十七時。呆然自失とした私は、入浴でもして気分を改めようと考え、宿舎に帰っていた。

 一旦部屋に戻り、着替えと入浴用具を手に一階へ下りると、食堂の中から男子生徒の声が聞こえてくる。

 

『アカーン!やっぱ無理、無理やって!ビジュアルがまんま残っとるやん、これはアカンて!』

「……パブロさん?」

 

 随分と騒がしい。そう思いきや、すっかり青ざめた様子のパブロさんが、食堂の中から逃げるように飛び出してくる。着替え諸々を玄関ロビーに置いて食堂に向かうと、戦術科のフレディさんが怪訝そうな面持ちで立っていた。

 

「あのー。どうかしたんですか?」

「いや、俺にもよく分からないんだが。……ちょうどいい、シーダ。君もひとつどうだ?」

 

 フレディさんが差し出した小皿には、小さな黒色の何かが複数盛られていた。甘辛い香りから察するに、醤油と砂糖で煮詰めた料理なのだろう。

 

「これって、コオロギですか?」

「ああ。リーヴスではこの季節でも採れるのかと興奮して、皆の分も作ってみたのさ」

「へえぇ。帝国のコオロギって、小さくって可愛いんですね」

「……シーダ。君は今、可愛いと言ったか?」

「はい。ノルドにいたコオロギは、これぐらい大きかったと思いますよ」

 

 右手で握り拳を作って見せる。コオロギに限らず、イナゴも同じだ。先日に校内の茂みで見掛けたイナゴは、故郷のそれと違ってとても小さく、大いに驚かされた。生態系の違いというやつなのだろう。

 

「これ、頂いてもいいんですか?」

「勿論だ。是非食べてみてくれ」

「むぐ……んっ。美味しいけど、あはは。翅と脚が歯の間に挟まりますね」

 

 しかしわざわざ可食部を減らすというのもおかしな話だ。貴重な栄養源である以上、無駄にはできない。

 それにしても、帝国でも昆虫を食する習慣があったのか。これはこれで驚きだ。

 

「シーダ。聞いてくれ」

「え……あの、え、え?」

 

 不意に、両手を掴まれる。皮が厚く、包み込むような大きな手は、お兄ちゃんを連想させた。

 

「俺と一緒に料理研究会に入らないか?」

「あの、あの。りょ、ええ?」

「候補に入れるだけでいい。頼む、この通りだ」

「っ……か、かか、考えて、おきます」

 

 どうにか声を捻り出すと、フレディさんは満足した様子で「フハハハ!」という独特な笑い声を上げながら、食堂を後にした。

 

(……この感じ、なに?)

 

 どうしてだろう。身体が火照って動かない。胸の鼓動音が聞こえる。頭に熱が籠もり、全ての感覚が限界を振り切ったかのよう。私は今、何をしているのだろう。

 

「ララララーララーラーラララー。……ねえ。そんな所で突っ立って、何してるの?」

 

 ヴァレリーさん、それは私が聞きたいです。それと、今日は随分とご機嫌ですね。

 

___________________

 

 

 あっという間に一日が終わる。もう何度目か分からないこの感覚は、夕餉と入浴を済ませた後、部屋に戻った頃になって一気に溢れ出てくる。

 

「つっかれたー。自由行動日なのに、全然休んだ気がしないわね」

 

 ベッドの上に大の字で寝転がるユウナさん。ユウナさんは予定通りテニス部を立ち上げるつもりらしく、分校長がグラウンドで暴れ回った後も、一人で練習に励んでいたそうだ。

 

「ねえアルティナ。何でちょっと不機嫌そうなのよ?」

 

 陽が落ちて以降、どうも表情が晴れないのがアルティナさん。部活動を決めあぐねているという訳でもなく、レオノーラさんらの勧めで水泳部に所属すると言っていた。だというのに、若干複雑そうな面持ちなのは、何か理由があるのだろうか。

 

「不機嫌、という訳では。ただ、何かと世話を焼きたがる知り合いと再会して……私らしさとは、一体何なのでしょうか。自問自答のあまり、哲学的な領域に入りそうです」

「ごめんアルティナ、全然分かんない」

 

 ユウナさんに同じく。時折アルティナさんは、塞ぎ込んで考えごとに没頭する時がある。それらは大抵、私達には理解し切れないものだ。

 けれども、今はそれでいいと思える。こうして何かを共有していれば、きっといつか分かり合える日が来るはずだ。

 

「それで、シーダの方はどう?部活動、決まりそう?」

「候補はありますよ。もう少しだけ、考えてみます」

 

 バドミントンは論外として。正直に言って、候補は全部と言っていい。これといった決め手がない限り、どれを選んでも後悔はしない自信がある。

 

「今日一日で改めて感じました。皆さん、とても良い人ばかりですね。お兄ちゃんからは、多少の軋轢は覚悟するようにって言われてましたけど、全然そんなことなかったです」

「ユウナさん、耳が痛そうですね」

「そこ、茶々を入れない」

 

 問題は考え方だ。お兄ちゃんやお姉ちゃんのように、身近な物事を部活動として広げるか。それとも思い切って、知らない世界に飛び込むか。それさえ定まれば―――否。段々と、定まりつつある。

 

「それにしても、この宿舎の部屋割りって微妙よねー」

「部屋割り?」

「ほら、男子と女子の部屋が同じ階にあるじゃない?色々と気を遣わないといけないから、慣れるのに時間が掛かりそう」

 

 不満そうにユウナさんが愚痴を溢すと同時に、部屋の外から男女入り混じった喧騒が聞こえてくる。

 

『ぷはー。やっぱり風呂上りは炭酸に限るね。マヤも一杯どうだい?』

『ちょっとレオ姉、そんな恰好で出歩かないで下さい。ウェイン君はシドニー君をお願いします』

『どけ、どいてくれウェイン!クルトも邪魔すんなよ見えねえだろ!?』

 

 成程。そういった問題もあるのか。

 しかし宿舎の構造上、男女を完全に区切るというのは無理がある。三階が教官と来客用とされているのも私達生徒への気配りのはずだし、解決策はすぐに思い浮かばない。

 

「ていうか、こういうのって誰に相談すればいいのかしら。リィン教官?トワ教官?」

「うーん……でも、そうですよね。そういうのも、やっぱり必要なんだと思います」

「……シーダ?」

 

 具体案はなくとも、考えることはできる。部活動という枠組『以外』の選択肢だって、あるはずだ。幸いなことに、トワ教官という先人もいる。

 

「トワ教官に相談してみます。私は―――皆さんの力に、なりたいんです」

 

 思い切って、知らない世界に飛び込もう。良い風が吹いてくれると、そう信じて。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。