スラッシュとか言うクズを追い払ったその晩、あたしは夜中になってもエールも飲まず、
私室で作業に没頭していた。
とりあえずは混乱が収まった街から戻ったジョゼット達の言葉が頭をよぎる。
“あんなの、ひどすぎます……。どうして何の罪もない人が!”
罪のない人間なんていないんだけどさ。だからって殺される理由にはならないわよね。
“里沙子さん、敵はあなたが目的だったそうですが、狙われる心当たりは?”
ありすぎてわからないと答えた。肩を落とすエレオノーラ。
彼女達の姿を見ていると、
いつの間にか心の中にしまいこんでいた何かが浮かび上がってきた。
新しい道具を手に取る。
銃砲店で調達した手頃なリロードツール。
ワインオープナーと万力が一体になったような形。
アースでは使用済みの実包を再利用できる大掛かりなツールが個人でも手に入るけど、
こっちにはそんなもんない。
とりあえず散弾の中身を入れ替えられる簡単なキットが見つかったからそれで妥協した。
“死者14名、負傷者31名。とにかく皇帝陛下には報告済み。
ワタシも返事があり次第出動することになると思う”
カシオピイアが街の状況を教えてくれた。断じてこれはあたしの『日常』ではない。
“彼”だったら指先一つでこうなった原因を爆破することができるんだろうけど、
あいにくあたしはそうじゃない。
こうして銃弾に工夫してまたあいつとやり合う必要がある。
“……里沙子。しばらく帝都の要塞で世話になったらどうだ。
あそこにはプロの軍人や強力な兵器がたくさんあるんだろ?”
“そうです、何もお姉さまひとりで戦う必要はありません!
次こそパルフェムも一緒に!”
“うむ、ついに拙者の首切丸を抜く時が来たようじゃ!”
無理、無駄、無意味。考えられない。あたしには守るべきものがある。
言っておくけど、ルーベル達のことでもハッピーマイルズのことでもない。
作業に戻りましょう。
まず、新品の12ゲージ弾の頭を
スタークランプという6分割の溝に沿ってドライバーで開き、
散弾の入ったワッズという小さなケースを取り出す。
この時、内部の火薬をこぼさないよう注意。
ワッズから鉛の散弾を取り出して、新しく購入した金属の粒を
柔らかい竹製のはさみを使ってひとつずつ慎重に入れる。
静電気が飛んだらあたしが吹っ飛ぶ。
粒を入れ終わったら、リロードツールに薬莢をセットし、
ネジを締めるようにハンドルを回す。
下りてきた型が最初に開いた弾薬の頭を圧縮して、
6つの溝に分かれた元のショットガンの弾に戻る。
これを繰り返して改造ショットシェルを5発作り、レミントンM870に装填。
ハンドグリップを引く。後は安全装置を掛けておしまい。
レミントンを壁に立てかけると、
あとはずっと前に買ってほんの数回使っただけの魔導書を復習する。
ランプの明かりだけで薄手の本を読み、唇でぶつぶつと詠唱してみる。思い出した。
脳から古い知識を引っ張り出し、改めて記憶を心に刻み込む。
何度か暗唱して淀みなく唱えることができることを確認すると、準備は完了。
本をブックスタンドに突っ込むと、そのままベッドに潜り込んで眠りについた。
翌朝。
斑目里沙子は身支度を終えると朝食を取るため、仲間の集まるダイニングに現れた。
その顔には喜びも怒りも不安も焦燥もない。
「おはよう」
「おはよう、ございます……」
まだ昨日のショックから立ち直っていないジョゼット達は、力なく返事をした。
「すみません、簡単なものしかできなくて」
辻斬り事件のせいで昨日は買い物どころではなかった。
メニューは買い置きの塩パンと目玉焼きだけ。
「そんなことないわ。十分良く出来てるじゃあないの。
目玉焼きだってあたしの好きな固焼きになってる。朝はこうでなくちゃいけないわ」
里沙子は皿を指差しながら席につくと、すうっと匂いを嗅ぎ、塩パンを手に取った。
「見て。この塩パンはね、パン屋の親方が開店以来
ずっと自分で仕込みをしてるこだわりの一品なの。
牛乳屋の手作りバターを練り込んだ生地に
モンブールから取り寄せた岩塩が振ってあって、焼き立てはもちろん、
冷めても美味しいのよ。毎日午後3時には売り切れるらしいわ」
「あの、里沙子さん……?」
何ということもない独り言を始める里沙子だが、
彼女に何か異様なものを感じたエレオノーラは話しかけようとした。
だが、何を言って良いのかわからない。
「ほら、触ってみて。一昨日買ってきてそのままなのに、まだフワフワしてるでしょう?
こうやって指で感触を楽しむのもこのパンの……。あらやだ、あたしったら」
手触りを確かめていた塩パンに指が刺さってしまった。
一見何の変哲もない、彼女の一挙手一投足を皆が不安げに見守る。
「お行儀が悪かったわね、ごめんなさい」
そして彼女はバターと塩がついた指をベロベロと“しゃぶる”。
明らかに異常なのに何が異常なのかわからない。
特にカシオピイアは姉の変わりように顔を青くするばかりだった。
「さ、さあ皆さん食べましょう!マリア様、今日のお恵みに感謝致します」
ジョゼットが不気味な何かから逃げるように簡単な食前の祈りを捧げると、
皆も追随して朝食を食べ始める。
あまり固形食を摂らないルーベルは、水を飲みながら里沙子の観察を続けていた。
皆がシンプルな朝食を食べ終え、ナイフとフォークを置く。
「ごちそうさま。あたしは不健康な生活を送ってるけど、朝食だけは欠かさないの。
一日三食のなかで最も重要なのは朝食。
身体を壊したら不健康な生活そのものが送れなくなるでしょう。
それは酷く退屈であたしの生き方を変えざるを得なくする。
到底認めることのできない異常事態だわ」
「あ、はは……。お姉さま、今日はやけにご機嫌なようですね」
パルフェムはいつもより饒舌な里沙子に恐る恐る話しかける。
「いつもどおりの朝を迎えられたからじゃないかしら?昨日は最悪な一日だったからね」
洗い場に皿やコップを置きながらパルフェムに返事をする里沙子。
「そうですね。あんな悲惨な事件が起きてしまいましたから」
「あの件に関してはカシオピイアが皇帝陛下に連絡してくれたんだろ?
返事が来るまで私達は下手に動かないほうがいいな。敵は里沙子が狙いなんだろう」
「あたしは今日出かける用事があるの。
用事と言っても、予定を立ててたわけじゃあないんだけど。
昨日買いそこねた食パン2斤を買ってこなくちゃ」
「えっ!?危険ですよー!
ルーベルさんの言う通り、辻斬りの犯人は里沙子さんを狙ってるんですから、
家の中で待っていた方が……」
「それはできない相談だわ。
あたしは誰かの都合で自分のやりたいことを邪魔されることが我慢ならないの。
今日こそは絶対にハッピーマイルズの街で食パンを買う」
「では、せめてわたし達も一緒に!」
「いいんだ、エレオノーラ」
ルーベルが同行を申し出るエレオノーラを止めた。
思いがけず制止されルーベルを見ると、彼女はただ首を振る。
「銃はちゃんと持ってけよ?」
「当然。銃はあたしという存在を形作る要素だから置いていきはしないわ。
ドーナツに必ず穴が開いているよーに、あたしが行くところに必ず銃はあるの」
里沙子はコートハンガーに引っ掛けていたガンベルトを身体に巻き、
ショットガンを背負うと聖堂から玄関ドアを開けて出かけていった。
エレオノーラはルーベルに真意を問う。
「訳のわからないことを言っていましたが、
本当に行かせてしまってよかったのですか?」
「みんな気づかなかったか?里沙子を見て」
「確かに、お姉ちゃん、変だった」
「里沙子はいつも変だけど、なんだかもっと変っていうか……」
「思い出せ。いつか里沙子が記憶喪失になったときのことを」
「「……っ!?」」
ルーベルの意図するところを知った全員に衝撃が走る。
「あ、あのぅ!それってまさか、里沙子さんがまた!?」
「間近で戦った私だからわかる。里沙子の心に“あいつ”が現れたんだ!」
「それでは、またお姉さまがパルフェム達に襲いかかってくると?」
「いや、その心配はない。さっきだって普通に朝飯食ってただろ?
今回は、里沙子の理性を持ったまま、蘇った“奴”が暴れだすだろう。
里沙子より敵の方を心配したほうがいいかもしれねえ。手回しをしといたほうがいいな。
きっと里沙子は街には行ってないはずだ」
「というと、里沙子殿は街ではなくどこへ向かったというのじゃ?」
「奴の行動パターンから考えると……」
そして全員がルーベルの見立てに耳を傾けた。
ルーベルの予想した通り、里沙子は街へ続く街道ではなく
隣接する森の奥に入り込んでいた。
木々がまばらになり開けた場所に出ると、
彼女は足を止め、目的の人物が現れるのを待った。
待ったとは言うものの、向こうも里沙子を待ち構えていたようで、
すぐ乱暴な歩調で落ち葉を蹴散らしながら現れる。
「よォ、斑目里沙子。昨日はテメエのせいで散々だった。
肩、血まみれになるわ、リーダーに腹蹴飛ばされるわ。まだ腹が痛えんだよ。
楽には殺さねえ。今度こそジワジワと全身の肉削ぎ落として、
たっぷりテメエの絶叫を聞かせてもらうぜ!」
里沙子はやはり感情のない目でスラッシュを見つめながら彼に問う。
「怪我をした上にトップに痛めつけられる。
……君は一体何のために戦っているのかしら。
実に気の毒な生き方をしているんじゃあないかとあたしは思う」
「死ぬまで遊んで暮らすために決まってんだろうが!
お前をぶっ殺してちょっとした“ままごと”に付き合えば、
有り余る国の予算でゴージャスな一生が送れんだよ!
俺を気の毒だっつーなら、お前は何のために戦った?
魔王をぶっ殺して、メタトロンをなだめすかして、何が残ったって言うんだ!?」
「……『日常』」
「は?」
「激しい「喜び」はいらない…そのかわり深い「絶望」もない………
「植物の心」のような人生を…そんな「平穏な生活」こそあたしの目標だったのに………
君が起こした騒ぎのせいで、昨日あたしはパンを買うことができなかった。
それはあたしの『日常』に波風を立てる、存在してはならない事実よ」
「ハッ!そんなクソつまんねー人生の何が楽しい!?
お前、能力の使い方まるでわかってねえな。
スキルってのはな、選ばれた人間だけが持ってる文字通り“特殊な能力”なんだよ!
気に入らねえやつは証拠もなく殺せるし、
金持ちの願いを2,3個叶えれば一生食うに困らねえ!
お前の大好きな日常とやらも金次第でどうにでもなるってのに、
買うものと言えばたかがパンひとつ?マジ笑えるぜ!」
「金でどうにもならないから、あたしがここにいるんだけど。
スキル、か……あたしにもちょっとした“特殊な能力”があってね」
そして里沙子は背中のレミントンM870を抜き、左手で握りながら詠唱を始めた。
──収束せよ、鋼に秘めし其の力、猛る混沌、死の鐘響、無慈悲に終末を奏でんことを
里沙子の左手にグリーンに光る魔力が集中。
銃身の内部で何かが圧縮されるような感触をもたらす。
「馬鹿が。俺に銃は効かねえことは昨日わかっただろう?
ちょいと不意を突かれて怪我はしたが、あれでお前の悪運も尽きたんだよォ!」
体内に魔力を循環させたことで、スラッシュの能力が目視できるようになった。
全身を覆う無数の斜線にもう隙はない。
頭上も布の網目のように細かい次元の裂け目に包まれて、
もはやどの方向からも攻撃を受け付けない。
だが、里沙子は何も言わずにショットガンの安全装置を解除する。
「お得意のクロノスハックはどうした。
まさかそのショットガンで俺を撃ち殺せるとでも?」
「『日常』を乱されること…それはこの『斑目里沙子』が最も嫌うこと…
だから、スラッシュ。君をここで始末させてもらう」
「ああそうかよ!だったら始末される前にお前を始末しなくちゃあなっ!」
スラッシュは右手の人差し指を大きく振りかぶり、空間に巨大な斜線を生み出す。
斜線は一拍置いて真空波となり、里沙子に向けて高速で直進。
足元の落ち葉や突き出た木の枝を両断しながら彼女に迫る。
里沙子はその場でしゃがみ込み、巨大な一閃を回避。
真空波は彼女の髪をわずかに斬り落として通過していった。
それを確認した里沙子は、再び立ち上がってスラッシュと対峙する。
「まぁ、こんぐらいじゃ死なねえわな。死なれても面白みがねー。
次はクロノスハックに頼らねえとキツいぜ?」
「……さっき」
「あん?」
「さっき君が言っていた能力の使い方だけど……。
気に入らない奴は殺す、金持ちの言うことを聞けば一生安泰。
この能力を戦いや金儲けに使うことはやろうと思えばいつでもできた。
やらなかったのは単にあたしが「闘い」の嫌いな性格だったからよ……
「闘争」はあたしが目指す「平穏な人生」とは相反してるから嫌いよ…
ひとつの「闘い」に勝利することは簡単よ…
だが次の「闘い」のためにストレスがたまる……愚かな行為だわ」
「人生は闘いの連続だろうが!
そんなに闘いたくねえならお前の「闘い」を元から絶ってやるよ!
俺が負けるわけねえがなァ!」
「そう!元から絶たなければあたしの『日常』は戻らない……ッッ!」
両者攻撃態勢に入る。
スラッシュが両手を広げ、里沙子は銃を構えてトリガーに指を掛ける。
「死ねや!!」
だが、スラッシュの攻撃より一瞬早く、里沙子の銃が咆哮した。
銃口から吐き出されたのは鉛の散弾ではなく、巨大な火の玉。
レミントンM870が火炎放射器のように激しい炎を噴き出し、スラッシュを包み込んだ。
焼け残りの散弾が火花のように舞い落ちる。
突然真っ赤な炎に包まれた彼は、状況を理解するのに数秒を要したが、
少し遅れて全身が燃え上がるとようやく攻撃を受けたことを認識した。
「あ、あ、あぎゃあああがあっつおあああーーっ!!」
激痛でその場で転がり、のたうち回り、
身体を食い破る火を消し止めようとするスラッシュ。
里沙子はハンドグリップを引き、空薬莢を排出し、次弾を装填。
「あああっ!あづい、あぢいよおおぉ!!何が、何が起こって……」
ドラゴンブレス弾。
鉛の散弾ではなくマグネシウムのペレットを封入することにより、
発砲時に銃身内で急激に燃焼。射程約30m内の標的に猛烈な炎を浴びせる特殊弾。
更に、里沙子の魔法で強装弾となった弾薬は2000℃に達する熱を放射する。
スラッシュの能力が面ではなく線である以上、
どれだけ緻密な防御を敷いても鉄すら溶解させる形のない熱を防ぐことはできなかった。
彼は地面を掴みながら、這いずるように逃げようとする。
「はぁ…ひぃ…デリート!マルチタスク!来いぃ!俺を助けろおぉぉ!」
しかし、背後から三編みをおさげにした得体の知れない女が銃を抱えて忍び寄る。
致命傷ではないものの、身体が真っ赤に焼けたスラッシュの前に回り込む。
里沙子は高くそびえる森の木々をゆっくりと眺めながら感慨にふける。
「ン・ン~ン。いつ来てもここは緑豊かなところよね。
小学生の頃、行きたくもないのに連れて行かれた遠足を思い出すわ。
子供の足じゃ遠すぎる距離を歩かされて、水筒の水は全然足りなくて喉もカラカラ。
結局何を何のために見に行ったのかさっぱり覚えちゃいない。そんな経験君にはない?」
「てめえ、なにを言ってやがるんだ……」
「これからもう一発君に食らわせる前に、ちょっと確認しておくことを思い出した。
連中もスキルとやらを持っているの?」
「は、はやく……助けて」
「だめ、だめ、だめ、だめ、だめ、だめ、だめ。君は死ななくてはいけないの。
この斑目里沙子の『日常』を破壊する人間は誰一人として居てはいけないの」
徐々にスラッシュの呼吸が荒くなってくる。
重度の熱傷を受けた彼は今すぐ治療しなければ命に関わるだろう。
「たのむ…わるかった、許してくれ……」
「許す?ちょっと待って。あたしは別に怒っているわけじゃないわ。
別に街の人間を殺しただの、同居人に精神的ストレスを与えただので
あたしが怒ってると思っているのなら、それは誤解だわ。
「生活」よ。君と戦うことになったのも「生活」だし、
『日常』を取り戻すことも「生活」なんで、前向きに行動してるだけなのよ…
「前向き」にね…」
焼死体と変わらぬ男を目の前にしても
里沙子は穏やかな笑顔を浮かべたまま銃を構え直す。
ガチャリと銃身が音を立て、スラッシュが怯える。
「ひうう!!」
「さあ教えてちょうだい。
そのうち分かることだけど、君本人の口から実際に聞いておきたいの。
デリート、マルチタスク。他の奴らの名前は?この街に、あと何人いる?能力は?
あと、リーダー」
「おまえ、一体、なにもの……」
「質問を質問で返すなあーっ!!疑問文には疑問文で答えろと学校で教えているのか?
あたしが「リーダーは誰か」と聞いているのよッ!」
突然里沙子は激高し、スラッシュの眉間をねじるように銃口を押し当てる。
「しらねえ!言えねえ!ころされる……!」
「はぁ…はぁ…あたしとしたことが取り乱してしまったわ。
お願いだから協力してくれないかしら。
君の言う“クソつまんねー人生”を取り戻すために、
こうしてしなくてもいい努力をしているんだから。
ゆうべも夜なべしてこの特別な弾丸を作ったの」
「うう、あー……」
「もう死にかけてるわね。
『日常』を取り戻す最初の一歩として、まず君にとどめを刺そうと思う」
里沙子はドラゴンブレス弾の業火に巻き込まれないよう後退して距離を取る。
そして息絶える寸前のスラッシュに狙いを定め、トリガーに指をかけた。
……が、その瞬間、里沙子に何者かが飛びかかり、
押し倒されると同時に火炎弾は空に放たれた。
熱風が両者を叩き、二人共思わず顔をしかめる。
「馬鹿野郎!誰か一人でも人間を殺したら
この企画はおしまいだって言ったのはお前だろう!」
ルーベルだった。起き上がった里沙子はしばらくぼーっとしていたが、
やがて目が覚めたようにまばたきを繰り返し、ショットガンを掴んで駆け出した。
「あら?こうしちゃいられないわ、早く取り戻さなきゃ!!」
「おい、どこ行くんだ!待てよおいー!」
里沙子を追いかけて、
ルーベルも地に転がるスラッシュを放って森の外へ走り去っていった。
死にゆく彼に駆け寄る小さな気配が3つ。
「お姉さん。スラッシュが死んじゃったよ」
「スラッシュはまだ死んでないよ、お姉さん」
「うん、まだ生きてる。ああ、酷い怪我」
ぼやける視界に見えたのは双子の姉妹と銀髪の少女。
スラッシュがデリートと呼ぶ少女が、彼が受けた熱傷を削除し始める。
彼女の治療と全身を走る激痛で、一度は永久に失いかけた意識が強引に呼び戻された。
どうにか口が利ける程度まで回復したスラッシュは、やっとのことで言葉を紡ぐ。
「……リーダーに、伝えろ。斑目、里沙子は、イカれてる……」
そして彼は今度こそ気を失った。同時に、馬の蹄の音が森の入口からなだれ込んでくる。
一頭や二頭ではない。騎兵隊一個小隊ほどの規模はある。
「人が来る。これ以上は治せない。
悪いけどスラッシュに囮を引き受けてもらいましょう。マルチタスク、お願い」
「お姉さん、もう帰ろうか」
「もう帰ろうね、お姉さん」
双子の姉妹が手を取り合うと、彼女達の身体から黒い波動が立ち上り、
自分達とデリートを闇に飲み込んで騎兵隊の到着と同時に消え去った。
先頭を走る将軍、シュワルツ・ファウゼンベルガーが
焼け焦げた木と周囲に残る熱風に辺りを警戒する。
「カシオピイア少尉の通報によると、
ここでリサがスラッシュと戦っているとのことだが……」
「将軍!あそこに死体が!」
部下が指し示した方向に、
幾分回復したとは言え放っておけば死ぬほどの重症を負ったスラッシュが倒れていた。
「奴が辻斬りの犯人だ!封魔の鎖を持てい!治療は後で構わん!」
「「はっ!」」
将軍の指示でスラッシュは引きずられるように担架に乗せられ、
ハッピーマイルズ軍事基地に搬送された。
一方その頃。
里沙子はショットガンを片手に、
ハッピーマイルズの街へスキップしながら到着したところだった。
銃を持ったまま市場に乱入した彼女に、買い物客達がギョッとして道を空ける。
「待てよ、待てったら里沙子!」
「急がなくっちゃ。もうすぐ、もうすぐだから」
乾いた血痕など、まだ惨劇の痕が残る広場を抜け、更に西の区画へ抜ける。
雑貨屋などの店舗が並ぶエリアに入ると、
里沙子は迷わず“エルマーズ・ベーカリー”のドアを開けた。
大柄な店員が焼き上がったばかりのパンを棚に陳列している。
彼は里沙子の銃を気にした様子もなく、並べ終わるとレジに立った。
「やっと追いついた。今日に限って無駄に張り切りやがって。
一体なにがあるってんだよ……」
「ここの食パンは毎日11時に焼き上がるの。ねえ、店員さん。食パンを2斤ちょうだい」
「少々お待ちを」
店員は大きな紙袋に注文通り食パンを詰めると、里沙子に渡した。
「……20Gです」
「はい」
「ありがとうございました……」
店を出た里沙子は満足気に笑みを浮かべ、ルーベルは呆れ返っている。
「何かと思えばパンかよ。森でドンパチやらかしたと思ったら、今度は街までお使いか?
私達がどれだけ心配したと思ってる!?」
「ほら見て、できたてをゲットできたわ」
「聞いてんのか?」
「焼きたてホカホカのパンが香ばしいでしょう。この食パンは耳まで柔らかいの。
トーストにするとバターとの相性が抜群で、
染み込んだバターのまろやかさと生地のほのかな甘みが引き立て合って最高なのよ」
オートマトンのルーベルに唾液はないが、もし彼女が人間だったら、
里沙子の様子を見てつばを飲み込んだだろう。
パンを抱えて笑顔で語る彼女は、顔がススで汚れ、おさげの先端が焦げ、
ワンピースもあちこち焼けて穴が開いていた。だが、それでも彼女は笑っていた。
もう一度紙袋の中身を確かめた里沙子は、こう呟いた。
「これで今夜も……くつろいで熟睡できるな」
同時に、『日常』を取り戻した里沙子は突然意識を失い、その場に倒れた。
慌ててルーベルが抱きとめなければ、頭を打っていたかもしれない。
彼女の腕の中で眠る里沙子は、もう元通りの里沙子に戻っていた。
“吉良吉影”は、再び里沙子の潜在意識の中へ消えていったのだ。
ルーベルは歯噛みする。
ちくしょう、これじゃあ、本当に私がいないと駄目じゃねえか!!
里沙子が抱える爆弾を目の当たりにしたルーベルはどうすることもできず、
彼女を背負って帰るしかなかった。
後日。
里沙子はコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。
結局、今回も吉良吉影について覚えていなかった里沙子を見て、
ルーベルは本人には伏せておくことにした。
彼女は前日に眠ったきり、翌日の記憶が抜け落ちているらしい。
仲間には里沙子がスラッシュを倒した事実について、“多少”ぼかした表現で説明した。
一口コーヒーを含んだ里沙子が“玉ねぎくん”を読み終えると、
開いた1面の見出しにこう書かれていた。
《連続殺人犯逮捕 犯人は皇国のスパイを自称 斑目氏の暗殺に失敗》
顔中に包帯を巻かれた男の顔写真を見ると、どこか頭の芯がうずく里沙子だった。
引用元:ジョジョの奇妙な冒険 Part4 ダイヤモンドは砕けない