3月1日未明。
結論から言うわ。あたし達は負けた。……っていうか彼の思い通りになった。
『えー、ここサラマンダラス要塞に各領土の開票結果が持ち込まれ約6時間……
あ!ただいま結果が掲示されました!ヒトラー氏、アドルフ・ヒトラー氏当選です!
繰り返します。新領主選出選挙は、アドルフ・ヒトラーの当選が確定致しました!』
「あべし~……」
脱力してテーブルに倒れ込むあたし。みんなも一斉にざわつく。
ラジオだけがしつこくヒトラー当選のニュースだけを繰り返し流してる。
ルーベルがあたしの肩を揺する。
「おい、どうするんだよ!ヒトラー受かっちまったぞ」
「里沙子さん、わたくし達はどうすれば!?」
「新領地に独裁者が誕生してしまいましたわ。
パルフェムの祖国ではありえない事です……」
「お姉ちゃん。これから、新しい領地の人は、どうなるの……?」
「まずは落ち着きましょう。
前にルーベルさんが言ったように、皇帝陛下がいる限り
そうそう滅多なことはできないはず。
お祖父様とも協力して、彼の暴走を阻止しなければ!」
「まあ、決まっちゃったもんは仕方ないわ。諦めましょう。なるようになるわ」
ひとしきり落ち込んだあたしは、冷めきったコーヒーを飲み干して身体を伸ばした。
「呑気なこと言ってる場合かよ!この世界でヒトラーがまた……」
「あんな領地じゃ何もできやしないって。落ち着きなさいな」
「あんな領地って、どんな領地だよ?」
「新聞に載ってなかった?4つの領地の角が重なってできた猫の額みたいなスペース。
ほら、前に玩具のピストルで一悶着あったときに、あたし2本お話書いたじゃない?
1本目に登場したサボテンくらいしか生えないところ」
「えっ!あの街は実在するんですか!?」
「うん。実際には賞金首に占拠されてなんかないし、
旅人相手の商売で細々とやってるんだけど、
領主がいなくても成り立ってたからずっと放置されてたのよね。
帝国もやっと重い腰を上げたみたい」
「はぁ…わたし達はとんだ取り越し苦労をしていたんですね。
どうして教えてくださらなかったんですか?」
「みんな新聞か何かで知ってると思ってたのよ。
この様子だと毎日“玉ねぎくん”を読んでるあたししか知らなかったみたいだけど」
「……里沙子。言えよ!」
「そうですわ!お姉さまもお人が悪い!」
「ワタシ、眠くなっちゃった。もう寝るね……」
「悪かったわよ。あ、カシオピイアおやすみ。
でも、みんなも情報のアンテナ低すぎない?」
「ヒトラーさんの行動に一喜一憂していたわたくし達はなんだったんでしょう……」
「同じ悲劇が起きる可能性はゼロにしておきたかったのよ。
現に皇帝陛下や法王猊下もあたしらにヒトラーの監視を命じたじゃない。
お二人があの領地について何も知らなかったと思う?」
「そうですが……
本当、ジョゼットさんの言う通り、里沙子さんたらいじわるなんですから」
「オホホのホ、あたしにとっては褒め言葉よ。もう眠いからあたしも寝るわ。お先~」
ダイニングから階段を上り、私室に戻ったあたしは、
定期テストが終わった学生のような気持ちで久しぶりに安心して眠りについた。
同時刻。
ラジオの速報を聴いた私は、
ヘル・ドラードに集った支持者達と高らかに勝利宣言を行った。
「万歳!万歳!万歳!」
“万歳!万歳!万歳!”
魔女達はもちろん、私が誘いをかけた大勢のエルフ達も両腕を振り上げ万歳する。
歓声は止む気配を見せないが、私は声を振り絞り皆に訴えかけた。
「諸君、ありがとう!
理不尽な圧力や他候補の卑劣な妨害を跳ね除け、よくここまで耐え抜いてくれた!
今日の日に勝利を手にすることができたのは、
ひとえに諸君の忍耐と結束あってのことである!」
“ジーク・ハイル!ジーク・ハイル!”
「夜明けの日がついに訪れたのだ!ここに宣言しよう!新生ドイツ第三帝国の建国を!
連合軍、共産主義、貧困、疫病、その他の外患から諸君を守る強靭なる国家である!」
どよめきが激しさを増す。隣のグリザイユ女史からも皆に言葉が必要である。
一歩下がると彼女が軽く頷いて前に出た。
「みんなのおかげでこの戦いはヒトラーの勝利に終わったわ。本当にありがとう。
ほんの一月前まで、私は自分の不本意な境遇を嘆くだけの無力な女だった。
でも、彼と出会って変わることができた。誇りを取り戻すことができた。
みんなにもそうあって欲しいの。まだかつての私のような人達はたくさんいると思う。
きっとヒトラーはそんな人達を導いてくれるわ。彼に、拍手を」
巨城を揺るがすほどの拍手。私の全盛期を思い出す。
これほどまでの栄光に浴することができるとは誰が想像したであろうか。
私を讃える大勢の民衆を前に、いつの間にか忘れていた笑みを浮かべた。
3月8日。
あれから一週間後。あたし達は特別開放されたサラマンダラス要塞に、
ヒトラーの新領主任命式を見に来ていた。
ハッピーマイルズの市場とは比較にならない人混みで死にそう。さっさと始めてほしい。
なのにスーツ姿のヒトラーが要塞の事務方と揉めてるせいで、式の開始が遅れてる。
「ですから、“ドイツ第三帝国
「違う違う違う!何度言えばわかる!“ドイツ第三帝国”だ!領ではない!」
「あー、はい。ドイツ第三帝国の領なんですね。こちらにサインを」
「貸したまえ……うむ」
「では、正式な拝命手続きが終わりましたので、まもなく任命式が始まります。
陛下に失礼のないように」
「貴君に言われるまでもない!」
しばらくすると軍楽隊のファンファーレが鳴り響き、皇帝陛下が姿を現し、
赤い絨毯を歩いてグラウンド中央に組まれたステージに上がった。
周囲のざわつきが収まると、続いてヒトラーもステージの階段を上る。
二人が向かい合い、少しの間黙って互いの顔を見ると、
皇帝がテーブルに置かれた額に入った任命書を手に取った。
「……アドルフ・ヒトラー。ここに貴殿をドイツ第三帝国領、領主として任命する」
「我が身を粉にしてその命を全うしよう」
皇帝が任命書をヒトラーに手渡し、握手を交わした。
拍手の怒涛が巻き起こり、報道陣のフラッシュが辺りをまばゆく照らす。
そして軍楽隊がフランツ・フォン・スッペの「軽騎兵」を演奏し始めた。
アースから楽譜なりレコードなりが流れてきたんだと思う。
「貴殿の心の内はわからぬ。
だが、半数近い国民がそなたを信じて未来を託した。それは忘れてはならん」
「言われるまでもなく承知している。私はこの国に理想郷を作るのだ」
式典がクライマックスを迎えたところで、
皇帝とヒトラーが黒い車体を磨き抜いた高級馬車に乗り込んだ。
これから正式な領主を迎えたドイツ第三帝国領に向かうらしい。
馬車を見送ると、あたしはほっと一息ついた。
「どんな結果になるかと思ったけど、まあこんなところかしらね」
「本当にこれでよかったのでしょうか。
結局彼は領主として、ひとつの国の長となってしまいました……」
「エレオが心配するのも無理はないけど、あたしはよかったと思う。
前向きに考えれば、無理にヒトラーを地球に帰すより、
ミドルファンタジアに閉じ込めておけば、後々まで変な思想が残る可能性も低くなるし。
ホロコーストには間に合わなかったけど」
「そうですね。
わたしは彼が支持者の皆さんを裏切ることのないよう、祈り続けることにします」
主役2人がいなくなった帝都大通りから、徐々に人が去っていく。
あたし達も帰りましょうか。そろそろ頭痛とイライラと吐き気がピークに達する頃だし。
みんなでエレオと手をつなぎ、輪になった。
馬車を降り、ゆっくりと地平線に沿って視界を動かす。
そこは赤茶色の大地が広がる未開の地であった。
かろうじて道らしきものが見えるが、舗装されておらず、
ただ人や馬車が通って自然に砂が掃き出されたに過ぎない。
「落胆したかね。手にした領地は寂しい荒野だが」
後から降りた皇帝が話しかけてきた。
「愚問である。私にはドイツ第三帝国の輝かしい未来予想図しか見えていない」
ポケットから紙片を取り出し、広げてみる。あの日、牢獄で描いた理想の未来。
「成すべきことが山ほどある。
市街地の整備、アウトバーン建設、インフラの拡充。休んでいる暇はない」
「……貴殿がこの地の良き統治者になることを願っている。
左手に小さな町が見えるだろう。サンディ・ムーン。
今日からその政策事務所が貴殿の家だ」
皇帝が指し示した先には古い木造建築が立ち並ぶ小さな町。
サンディ・ムーンというらしい。
田舎町だろうと、我が国の領土が増えたことは喜ばしい。
ここを足がかりに、ドイツの新しい歴史が、始まるのだ。
「吾輩は帝都に戻る。後は貴殿の采配にかかっているが、ひとつ助言しておくと、
領土の運営にはまず騎兵隊を組織することだ。
ここには治安維持の機関が駐在所と保安官一人しかいない」
「うむ。では早速、武装親衛隊とゲシュタポを配置するとしよう。
まずは兵員を募集しなければ」
「さらばだ、ヒトラー。幸運を祈る」
皇帝は馬車に乗り帝都へ帰っていった。私はサンディ・ムーンに足を踏み入れる。
住人達は珍しそうに私を見ながら通り過ぎていく。
歓迎式典の準備が間に合わなかったことは理解できるが、
笑いながら中途半端に敬礼するくらいなら始めから何もするな。
この田舎者達には私の存在が伝わっていなかったらしい。
明日は住民に招集を掛けて私の領主就任を知らしめなければ。
途中、通行人に政策事務所の場所を尋ね、2階建ての小さな家にたどり着いた。
事務所と言っても、そこいらの民家と変わらない、くすんだ色の木造家屋だ。
中に入ろうとして鍵がないことに気づいたが、ドアノブに吊り下げられていた。
不用心である。乞食の巣窟になったらどうする気なのか。
ドアを開けてようやく我が居城に足を踏み入れると、
1階部分は本当にただの民家だった。階段を上る。2階には寝室と事務室があった。
事務室の中には大きめのデスク、キャビネット、
茶色くなった辞書や数十年前の明細書が詰まった本棚。今はこれでいい。
あまりにも小さな国会議事堂であるが、
異世界におけるドイツ再興の拠点としては申し分ない。
ゴミと変わらん紙くずを本棚から引っ張り出して任命書を立て掛ける。
ところどころ革の破れた椅子に座りデスクに着くと、
一仕事終えた解放感からどっと疲れが出てきた。
一息ついてシミだらけの天井を見上げていると、私のそばに静かな気配が現れた。
椅子にもたれたまま口を開く。
「フラウ・グリザイユ。大したもてなしはできそうにない」
「気持ちだけで結構よ。すぐに旅立つから」
「貴女の助力には感謝してもしきれない。
こうして2つ目のドイツ第三帝国を手にするに至った」
「それはお互い様。私も人間に葬られかけていた自分の存在意義を取り戻せた」
「行くのか」
「ええ。深淵魔女の肩書を捨てて、ただの魔女として世界を見る。
魔国でも旅しようかしら。貴方は?」
「まずは……犬を飼おうと思う。ブロンディには済まないことをした。
忠実なジャーマン・シェパードと最期まで付き添うつもりだ」
「そうなの。なら、これを渡しておくわ」
彼女が指を鳴らすと、事務所の中央に巨大な袋が現れた。
とんでもない重量で床が軋みを上げ、今にも抜けそうだ。
「これは?」
「昔、賞金首ごっこをしていた時に貯めた懸賞金。
誰も取りに来ないから貴方にあげるわ。私にはもう必要ないから。
金貨のままだと家に入り切らないからプラチナのインゴットに変えておいた」
「最後まで世話になる。別れとは辛いものだ」
「二度と会えないわけじゃないわ。縁があったら、いずれまた」
そして彼女は手を振りながら、宙に描いた魔法陣をくぐって消えていった。
秘書を雇う必要があることを思い出したが、
彼女以上に優秀な人物はきっと現れないだろう。
だが、いつまでも感傷に浸ってはいられない。
再び一国一城の主に返り咲いた私は、ポケットから金属製のケースを取り出し、
くず箱に放り込んだ。
3月のある快晴の日。
最後に、あれから世界がどうなったのか報告しておくわね。
安心して。ヒトラーは“今の所”まともな統治をしてるみたい。
まあ、暴れようにも狭くて何もないあの領地じゃ、
巨大なSSを組織したり強制収容所を建てる余裕がないんでしょうけど。
周辺4つの領地が睨みを利かせてる事情もあるっぽいわ。
魔女やエルフ達はまだ鉤十字を手放していないけど、
これに関しては飽きてくれるのを待つしか無い。
ヒトラーを追ってドイツ第三帝国領に移住した人もいるみたいだけど、
領地が狭くて早くも過密問題が発生してる。
足元の問題を片付けるまで、当分ハウニブの開発はお預けね。
昨年末から散々彼に振り回されたあたし達にもようやく平穏が訪れた。
新領主選挙が終わって街も元通りになったわ。
この前ロザリーに会ったけど、鉤十字のワッペンと腕章はもう着けてなかった。
どこかの世界で思う存分自己主張して気が済んだ先輩が、
あまりヒトラーに執着しなくなったから、外しても気にしなくなったんですって。
結局、あたしがどうしてヒトラーが自殺した歴史を知っていたのかは謎のままだった。
行方知れずになった彼を連合軍が死亡扱いにしたのか、
ただ時空が変な形でつながったのか、
パラレルワールドからの来訪者だったというベタなオチだったのか、
今となってはわからない。
でも、前にも言ったように物事は前向きに考えようと思う。
地球の鼻つまみ者をミドルファンタジアに閉じ込めることができた。
それでいいんじゃないかしら。
と言うより、あたしだって帰る方法がないんだからどうしようもないんだけどね。
それで、あたしは今なにをしてるのかって?
去年中断したクリスマス、お正月、ひな祭りの埋め合わせ。
ジョゼットと和洋折衷のご馳走を準備してるのよ。
年末から何もイベントがなかったピーネの不満が溜まりきってるから、
早いとこ伊達巻を焼き上げないと。
せかせかと働くあたしらと違って、ラジオはマイペースにDJのトークを流し続ける。
『選挙が終わってブームも一段落したヒトラーさんですが、
また何かお祭り騒ぎを起こしてくれないか、密かに期待しているアレックスです。
それでは次の曲に参りましょう!
サグドラジル領にお住まいの、PN雪は降る貴方は来ないさんのリクエスト、「軽騎兵」。
アレックスも勇壮な感じのこの曲は大好きです。
最近アースのレコードがじゃんじゃん入ってきてますからね。行ってみましょう!』
そしてクラシックの名曲が始まる。
あたしは角型フライパンを手首の力加減で跳ね上げた。
「よっと」
伊達巻をひっくり返してふと思う。スターリンが来なかっただけまだマシかもね。
そんなわけで今回の騒動はこれでおしまい。あたしも枕を高くして寝られる。
また変な客さえ来なければの話だけど。
みんなは良いクリスマスと元旦を迎えられたことを祈ってるわ。また、近いうちに。
──面倒くさがり女のうんざり異世界生活 クリスマススペシャル
ヒトラーが街にやってきた編
(完)