面倒くさがり女のうんざり異世界生活   作:焼き鳥タレ派

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改めてこの企画全体を総括するなら竜頭蛇尾の一語に尽きるわね。

古いあばら家の中は散らかっている。床は酒瓶や脱ぎ捨てられた服で足の踏み場もなく、

まっとうな生活を送っているようには見えない。

まだ日が出ているにもかかわらず泥酔している男が

ソファの上で半分寝転がるようにビールをラッパ飲みしている。

 

「俺ぁなあ、帝国一のエリート騎士様だったんだよぉ!何が銃だ。何が魔法だ!

剣は要らなくなっただと?寝ぼけやがって。あんなもんはビビりの武器だ!」

 

ひとしきり喚くとまた瓶から酒を飲む。

 

「……あなた、昼間は飲まないって約束したじゃない。お願いだからお酒は控えて仕事を探して?大丈夫よ、きっとあなたにぴったりの職があるはずだから」

 

女性が腫れ物に触るような態度で男に懇願するが、苛ついている男が大声で怒鳴った。

 

「るせえんだよ!女房が旦那に口出しするんじゃねえ!」

 

「きゃっ!うう……」

 

男が女性の顔を平手打ちする。彼が女性を守るように彼女の前に飛び出した。

 

「パパやめてよ!もうママを叩かないで!」

 

「ガキは黙ってろ!」

 

今度は拳で彼の頬を殴った。

 

「痛い!うっ、ううう、えーん!」

 

「やめて、子供には乱暴しないで、お願いよ!」

 

「ピーピー泣きやがってうるせえなあ!外に行って、ついでに酒買ってこい!

泣き止むまで帰ってくんじゃねえぞ!辛気臭くてイライラする!」

 

「もう食べていくだけで精一杯なの。これ以上お酒を買うお金なんて!」

 

「いいや。こいつは持ってるはずだ。お前が時々渡してるあれだ」

 

「だめ、あれは……この子のお小遣いよ。少しでも他の子と同じようにさせてあげたいの」

 

「子供のもんは親のもんだろうが!

……なあ、お前はいい子だからできるよなぁ?“おつかい”、できるよな?」

 

「ああっ!」

 

男は彼の髪を掴んで頭を上げると、顔を近づけ猫なで声で強要する。

 

「あなた!私が行くから子供を放して!」

 

「俺に指図するなこの野郎!」

 

「あぐうっ!ああ!」

 

また女性が男から手加減なしに頬を張られた。今度は2回。顔は腫れ唇が切れた。

彼が泣きながら男にしがみつく。

 

「うぐ…行く、行ぐからママにひどいことしないで」

 

「さっさとしろ。手間ぁ掛けさせやがって」

 

「行ってきます……」

 

彼は机の引き出しから小銭の入った小さな巾着袋を取り出し、急ぎ足で街へ出かけた。

木枯らしの吹く冬の季節。時折かじかむ手を擦り合わせ、息を吐きかけながら温める。

しばらく歩くと、土がむき出しの田んぼ道からレンガで整備された歩道に出た。

少し辺りを見回し、久しぶりに来る街の様子を確認してから目的の場所へ向かう。

 

 

 

酒場に入った彼はカウンターに立つ店員に話しかけて巾着袋を差し出した。

 

「すみません。これでビールを買えるだけください」

 

「悪いな、子供には売れないんだよ」

 

「えっ、どうしてですか!?」

 

「国の規制が厳しくなってな。

未成年が酒を飲まないようにお使いでも子供には酒を売れなくなったんだ」

 

「お願いです。お酒がないと、ママが叩かれるんです!」

 

彼の必死な様子を見た店員が顔の痣に気づいたが、

どうしようもない事情と面倒に関わりたくない本心から知らないふりをすることにした。

 

「売れないものは売れない。バレたらおじさん達がしょっぴかれる」

 

「おつかいができないとパパに叱られちゃうよ!」

 

「騒ぐなら帰ってくれ!客に迷惑だしおじさん達も忙しいんだ!」

 

「はい……」

 

肩を落として酒場を後にする彼。途方に暮れつつも結局あの家に帰るしかない。

枯れ葉を踏みしめながら畑の広がる農村地帯へと戻る。無意識に遠回りをしていた。

いつもは通らないあぜ道を歩いていると、どこからか歌声が聞こえてくる。

道の脇に建つ一軒の小洒落た民家。

楽しそうな雰囲気に引き寄せられるように窓に近づき、こっそり覗いてみた。

 

誕生日おめでとう 誕生日おめでとう

新しい年がはじまるね

次の1年は もっと楽しく

みんなで一緒に 年を取ろう

 

両親と子供の3人家族が歌を歌っている。子供の誕生日を祝っているらしい。

母親が棚から立派なケーキを取り出し、テーブルに置いた。

 

「誕生日おめでとう、ダニー!」

 

「わぁ、美味しそう!」

 

「それだけじゃないぞ。ほら、プレゼントだ。欲しがってただろ?」

 

「新しい釣り竿だ!パパ、ありがとう!」

 

「大物を釣ってきてくれよ」

 

「よかったわね。さあ、次はケーキのロウソクを吹き消して」

 

「うん!……ふーっ」

 

子供が一息に火を吹き消すと、再びおめでとうの声と拍手の音が響く。

母親がケーキに包丁を入れ、子供が待ちきれない様子でそれを見つめる。

その時、父親がふと窓の外にいる身なりの良くない少年に気がつくと、

さり気なく立ち上がってこちらに近づき、シャッとカーテンを閉めた。

 

彼はまるで夢から醒めたように現実に戻り、再び帰路についた。

歩きながら先程の光景を思い出す。

自分もいつかあんなふうに誕生日を祝ってもらえたらどれだけ嬉しいことだろう。

あの大きなケーキを思い出すと口の中のつばが増える。

しかしその後、誕生日ケーキというものが彼の口に入ることはなかったが。

 

 

 

家に帰り着くと、浮かない気持ちでボロボロの玄関扉を開けて中に入った。

北風の吹く外よりは若干暖かい我が家に戻ってきたものの、ほっとしている余裕はない。

怯えつつもリビングへ進む。

 

「ただいま……」

 

「酒は!?」

 

千鳥足でキッチンから出てきた男から突然大声を浴びせられる。

思わず半歩下がってから思い切って返事をした。

 

「買えなかった。お店の人が、大人にしか、売れない……へぐっ!」

 

話し終える前に男の拳が飛んできた。痣と同じ箇所を再び殴られ、痛みはより強いものになる。

 

「おめえは“おつかい”ひとつできねえのかよぉ!!この能無しのクズが!

親の言うことが聞けねえ悪い子には“おしおき”が要るよなあ!」

 

「ひがあ!ぎゃっ!いだい!」

 

男は彼に馬乗りになり何度も容赦なく拳を浴びせる。

別室に居た女性が大きな音に気づいて出てくると、

その光景に驚き全身で男に飛びつきその暴力を止めた。

息を切らしながら女性は必死に男に問いをぶつける。

 

「あなた、なんてことするの!どうして!自分の子供を愛してないの!?」

 

だが、挫折を乗り越えられず自分自身のことしか考えられなくなった男にその言葉は届かない。

怒りの矛先が女性に向く。今度は彼女の腹を殴った。

 

「かあっ…ああ!」

 

「どいつもこいつも俺をバカにしねえと気が済まねえのかよ!クソだ!

世の中全部クソ野郎だらけだ!」

 

男は女性に平手打ちや殴打を繰り返し、八つ当たりの暴言を吐き続けた。

幼い彼にそれを止めるだけの力はなく、ただ泣きながらその凄惨な光景を見続けるしかない。

 

「チッ、ろくでなしどもが……」

 

やがて時が経ち、暴力に疲れた男が寝室に去ると、彼は女性に駆け寄り抱きしめた。

 

「ママ!ママ、しっかりして!」

 

女性の整っていた顔は無残に傷だらけとなり、鼻血と痣が広がっていた。

さめざめと涙を流しながら、彼女もまた彼を抱き返す。

 

「ごめんね。守ってあげられなくて、ごめんね……」

 

二人はお互いの温もりを感じ合いながら、泣き続けた。

 

 

 

夜。隣のベッドに寝ている男のいびきで目が覚めた。いや違う。

いびきの中に交じったうめき声。ほんの一瞬だったが異質な何かを感じさせた。

不安になった彼は女性を探し男とは反対側のベッドを見るが、いない。

 

「ママ、どこにいるの?」

 

ベッドから下り家の中をそろそろと歩いて女性を探す。

リビングには見当たらない。キッチンにもいなかった。物置にも気配はない。

決して広くないこの家を探すとしたら残りは一箇所しかない。

最後に洗面所に行くと、ポタポタと水の滴る音が聞こえたので奥に進む。

 

「……そこなの、ママ?」

 

風呂場のドアを開けると、少年の思考が白に染まり、数秒息の仕方すら忘れた。

確かに彼女は居た。浴槽に身を預けて左腕を突っ込んで。

ただ、その左手首は右手に持った剃刀で切り裂かれ、浴槽の水は赤く染まっていた。

彼女は大きく目を見開き、口にタオルを詰めて悲鳴を噛み殺した痕がある。

 

うわああああ!!

 

女性の死体を目にした彼は絶叫した。叫び続けた。

やがてその声に起きてきた男がやってきて、同じ光景を目にする。

 

「おい、うるせえぞ!眠れねえじゃねえか。……あん?なんだこりゃあ」

 

「パパ!ママが、ママが大変だよ!お医者さんを呼んで!血がいっぱい出てる!

死んじゃうよぉ!」

 

「ふん……死んでらぁ、馬鹿野郎」

 

「えっ?」

 

「死んでる、つったんだよ。……たく、本当に、バカが。このバカが!!」

 

男は壁を殴り肩を怒らせて去っていった。呆然と立ち尽くす彼。妻が死んだ。母が死んだ。

その事実に悲しむ様子もなくただ自分勝手な怒りをぶちまけるだけで眉一つ動かさない。

彼の腹に何かが湧き上がる。それは憎しみとも言えたし、無力感とも表現できた。

 

母を弔うことすら忘れ、ふらふらと男を追い風呂場から覚束ない足取りで進む彼。

寝室に続くリビングに戻ると、始めは暗くて気づかなかったが

テーブルに書き置きのメモが残されていた。

 

“何もかもに疲れてしまいました。ごめんなさい。愛しいあなた。愛する我が子”

 

彼の手からはらりとメモが落ちる。腹に溜まった煮えたぎるものが更に熱を持ち渦を巻いた。

その正体が何かはわからないが、

一つだけ言えるのは、彼の中の何かが壊れたということだけ。

 

寝室に戻ると、男はベッドの上で背を向けて横になっていた。

ただぶつぶつと“馬鹿野郎”を繰り返している。

彼は構わず壁に飾られているロングソードを手に取った。

男がまだ輝いていた頃の思い出。今は虚しい過去の栄光。

小さな体で重いそれを両手で持つと、彼は男に暗い視線を送り、そばに立つ。

 

「パパ」

 

「あんだよ。……おいコラ、勝手にそれに触んじゃねえ!!」

 

「悪い子には“おしおき”が必要、だったよね」

 

「待て、おめえ、何考えてやがる!?」

 

「お前のせいでママが死んだ!おしおきを受けろ、クソ野郎!」

 

全身の筋肉を使ってロングソードを振り抜いた。

相手が子供とは言え、丸腰の男は腕で身体を守るしかなかった。

だが、それでよく手入れをされた大剣の一撃を防げるはずもなく。

 

「ぎゃああああ!!」

 

ぼとりと右腕が斬り落とされた。噴き出すように鮮血が飛び出す。彼は続けて剣を振るう。

今度は左手。両手を失いパニックになる男は命乞いをする。

 

「いでええ!やめろ、やめてくれ!お、俺が悪かったよぉ!もう殴らねえ!

あいつに謝るから、お前にも!殺さないでくれぇ!」

 

「うるさい!なにをしたってママはもう帰ってこない!死んでつぐなえ!」

 

「がっ、はがあああぁ!?」

 

次は真っ直ぐにロングソードを腹に突き刺す。既に手がない男は抵抗できずに血を吐いた。

彼は剣を腹から抜くと、全力で振り上げ、とどめとばかりに頭部に叩きつけた。

斬撃が命中。剣の重量と切れ味で、男の頭は半分に割られた。

切り口から両断された脳が見え、目玉が飛び出している。

 

「はぁ…はぁ…」

 

全てが終わると、彼は返り血だらけになりながら息を切らしていた。

どれくらいそうしていたのかわからない。

ロングソードを放り出し、しばらく呆然と立ち尽くしていた。

やがて朝が来た。血で染まった寝室。男の死体。

それらが現実を教え、自分のしたことを思い知らせる。しかし後悔はしていなかった。

 

彼は風呂場に戻る。女性の亡骸は相変わらずそこにある。

冷たい水から彼女を引き上げ、床に寝かせて胸に両手を置いた。

最後に開いたままの目を閉じて別れを告げる。

 

「……ママ。さようなら。ぼくは、行くよ。ぼくもママを守れなくて、ごめんね」

 

そして生まれてからほんの僅かな時を幸せに過ごし、

残りを理不尽な運命に苛まれながら生きたあばら家を後にし、彼は旅に出た。

母からもらった巾着袋だけを持って。

 

 

 

行く当てのない彼は各地を放浪する。

少しばかりの小遣いで買ったブラシと布で靴磨きをして食い扶持を稼ぎ、

街から街へと孤独にさまよう彼は思い知る。この世は子供に残酷だ。

ある田舎町で客を待っていると、同じ靴磨きの少年に出会った。

その子は彼に会うなりこう言った。

 

「おい、お前向こう行けよ!ここは俺の縄張りなんだ!」

 

「知らないね。ぼくが先に見つけた場所だ」

 

地面を見つめたままぼそりと答える。

 

「いいから消えろ!今日中に50G稼がないと殴られるのは俺なんだぞ!」

 

少年の言葉に否が応でも心が反応する。顔を上げて尋ねた。

 

「殴られるって、誰に」

 

「親父だよ!働きもしねえで酒ばっかり飲んでるクソ親父さ!わかったらそこをどけ!」

 

「……どいてもいいが、条件がある」

 

「なんだよ条件って!」

 

「お前、どこに住んでる。教えろ」

 

「2ブロック先の裏通り。ゴミ捨て場の向かいだ。ほら言ったぞ、失せろよ」

 

「ああ。じゃあな」

 

彼は立ち上がり、少年の家を目指した。

言った通り、悪臭の漂うゴミ捨て場の向かいにある集合住宅だった。

隙間だらけの木のドアを叩く。しばらくすると、腹の出た男が酒臭い息を吐きながら出てきた。

 

「んあ?誰だてめえ」

 

「あんたの息子にいちゃもんつけられた。

稼がないとあんたに殴られるそうだが、どうしてあんたは働かないんだ?」

 

「関係ねえだろ。消えろクソガキが」

 

「こっちもこれ以上商売の邪魔されると困るんだ。あんたが仕事すれば解決する問題なんだ」

 

すると男は片手に持ったぶどう酒の瓶から一口飲んで応えた。

 

「子供をどう使おうと親の勝手だ。子供が親に尽くすのは当然だろ、あん!?

そいつが世の中の決まりってもんだ」

 

「……そうかよ。あんたもそうなんだな」

 

「訳わかんねえこと言いやがって。さっさと消えろ、殺すぞ!」

 

「ぐっ!」

 

男に鼻を殴られた。鼻血が出る。バタンと乱暴に扉が閉じられ男は中に戻っていった。

……彼は閉まったドアをしばらく見ていた。腹の中にまたあの感情の渦が現れる。

ある決意をした彼はゴミ捨て場に入ると、積み上げられた木箱に身を隠し、

そのまま時間が流れるのを待ち続けた。

 

夜が来た。靴磨きの少年の悲鳴が外まで響いてくる。

 

『てめえ!50稼いでこいっつっただろうが!たった30Gしかねえだろうが!』

 

『ぐふっ!ごめん父ちゃん、変なよそ者に客を取られて……』

 

『言い訳すんじゃねえ、この役立たずが!』

 

何かをはたくような乾いた音。彼はぎゅっとポケットを握った。

 

『痛い!ごめん、ごめんなさい!殴らないで!』

 

『もう一回行ってこい!50稼ぐまで帰ってくんな!』

 

『わかった……』

 

キィとドアが開き、靴磨きの少年が涙を拭いながらとぼとぼと街に戻っていく。

こんな夜にわざわざ靴を磨いてもらいにくる物好きがいるとは思えない。彼は決意を固めた。

鍵を掛け忘れたドアをそっと開け、中に入る。

昼間会った太った男がソファに座ってやはりぶどう酒をがぶ飲みしている。

 

奴は背を向けている。彼は護身用に手に入れた飛び出しナイフを取り出し、

足音を殺して男に近づく。一歩、二歩。ソファにもたれる巨体が近づく。

酔いでろれつが回らず聞き取れない愚痴をこぼす男に十分近づいたところで、彼は言い放った。

 

「おしおきを受けろ、クソ野郎」

 

「ん?」

 

と、男が気づいた瞬間には彼の手が首に回っていた。

飛び出しナイフが男の喉を切り裂き、血が噴き出す。

 

「あぶあっ!?」

 

短い悲鳴を上げると、一気に大量の血を失った男は、ほぼ即死に近い状態で死んだ。

彼は男の死体を恐怖や罪悪感といった感慨を抱くこともなく、ぼんやりと見つめていた。

だが、次第に何かこれまで感じたことのない達成感のようなものを覚える。

これであの少年は無理なノルマを課されることもなく、殴られる心配もなくなるだろう。

 

ああ、これはぼくに与えられた使命なんだな。

 

子供を搾取する大人は、ぼくが“おしおき”しなければならない。それは悪いことだから。

父が教えてくれた唯一の正しいこと。

良いことを終えた彼は、家を出て野宿先として贔屓にしている人気のない馬小屋に向かった。

 

翌日、彼が起こした殺人事件はニュースになり、軍や保安官も捜査に乗り出したが、

本来何の接点もない乞食に近い靴磨きは犯人として捜査線上に上がることなく、

迷宮入りすることが確実視された。

 

この事実が彼の歪んだ使命感を更に強くした。

行く先々で子供を道具扱いする悪い大人に“おしおき”する。ターゲットには事欠かなかった。

 

結果を出せないメンバーを陰に連れ込み陰湿な体罰を繰り返す野球チームのコーチ。

家に火を放ち丸焼きにした。性別もわからなくなるほどしっかり焼けたらしい。

 

娘をピアニストにするため自分勝手な夢を子供に押し付ける女。

嫌がる少女を毎日10時間以上もピアノの前に座らせ一度でも間違うとムチで手を叩く。

ピアノが大好きなようだからピアノ線で絞め殺してやった。

 

不当に安い賃金で子供に有毒な染料を使った染め物をさせる工場長。早く手を打たなければ。

工員として紛れ込みコーヒーに染料を混ぜておいたら勝手に苦しんで死んでくれた。

いずれ社長も殺す必要があるが、今は手が出せない。絶対に忘れない。必ず殺す。

 

やがて殺しを続けながら成長した彼は、その手口も多様化し、

軍の捜査をかいくぐりつつひたすら子供達を食い物にする大人への制裁を続けた。

しかしある日、そんな彼に転機が訪れる。

 

靴磨きでは食べて行けず工事現場の作業員として働いていた彼は、

昼休みにダイナーで買ったチーズバーガーを食べていた。

木陰でハンバーガーをかじっていると、大勢の楽しそうな声が聞こえてくる。

ここからは見えない。街の中心部へ足を運んでみた。

 

広場にたどり着くと、移動サーカスの巡業が仮設ステージの上で色々な芸を披露していた。

つまらない。下手くそなラインダンスやみすぼらしい火遊びの何が面白いのか。

彼が現場に戻ろうとすると、その足を子供達の歓声が引き止める。

振り返ると、派手な衣装を着て真っ白なメイクをしたピエロが

手を振りながら登場するところだった。

 

「やっほー!よい子のみんな、こんにちは!

今日はラブリーピエロ・ブーピドゥのステージを見に来てくれて、ありがとう!」

 

振り返った姿勢のまま、彼の視線はピエロの存在に釘付けになっていた。

ブーピドゥとやらの芸はお世辞にも完成されているとは言えなかった。

お手玉はしょっちゅう失敗するし、玉乗りも2、3秒乗ったかと思えば思い切りすっ転ぶ。

手品もタネが丸見えだ。

だが、それでも、ピエロが失敗して照れながら頭をかく度に子供達が笑うのだ。笑顔になるのだ。

 

まさにそれは彼にとって衝撃的な事実だった。

長年殺しを続ける中で、大人は子供達の敵、殺すべき相手という固定観念に取り憑かれていたが、

自らを笑いものにして子供達に喜びを与える。

そんなピエロという大人の存在は彼の世界観を根底から覆した。

 

自分もあんな大人になりたい。

強烈な衝動にも似た想いに駆られた彼のそれからの生き方は変わった。

給金の殆どをピエロになるための衣装や小道具に費やし、独学で芸の勉強を始めた。

同僚からはわざわざ笑われるために金を使ってるのかとバカにされたが耳を貸さず、

ひたすら街角に立つ宣伝ピエロの立ち居振る舞いを研究し、歌の稽古に打ち込んだ。

 

……そして、殺しの技も方向性をガラリと変えた。

刃物で刺したり、鈍器で殴ったり、毒を飲ませたり。笑いにならない退屈な方法をやめ、

見ていて楽しくなるような遊び心にあふれる方法を模索した。

図書館に通い詰め、様々な魔導書からカラフルな光を放つ攻撃魔法や

あっと驚く移動魔法を学のなさに苦しめられながらも一つ一つ習得していった。

 

数年後。その時がやってきた。彼は鏡の前で自分の姿に惚れ惚れとしていた。

赤いアフロ、黄色を基調とした派手な衣装。真っ白なメイクの目はダイヤの模様。

両目の下には涙のマーク。

 

名前はもう決めてある。子ども達を苦しめる悪い大人をやっつけて、

いつの日か皆を悲しみのないワンダーランドに集めおいしいケーキを食べる幸せのピエロ。

そう、殺人ピエロ・ヤミィケークが誕生したのだ。笑顔で生まれ変わった自分に挨拶する。

 

「こんにちは!ぼくの名前はヤミィケークだよ!

歌をうたうのが大好きなんだ。みんなも一緒にうたおうよ!」

 

小躍りしながら軽く鼻歌を奏でてみる。バッチリだ。

その時、ヤミィケークは何かに気づいた様子でハッと口を押さえた。

 

「いっけなーい。大事な用事を忘れてたよ。急がなくっちゃ!」

 

彼はスキップしながら自宅を後にする。ぼくには大きな夢がある。

胸には未来への期待と希望しかなかった。

街中を跳ねながら進む彼を通行人がちらりと見るが、よくいる街頭芸人だとすぐ興味を失う。

程なくして目的地に着いた彼は、嬉しそうに一度うなずいた。

 

「うん。ぼくの冒険はここから始まるのさ!……ヤミィ・マジックぼよよんジャンプ!」

 

土属性の魔法を発動すると、足元の地面が変質しトランポリンのような弾力性を持った。

彼は地面の反動を利用してその場で跳ね、5m以上もあるその塀を飛び越えたのだった。

 

薄暗い廊下の両脇に鉄格子で封じられた牢屋が続く。

中から囚人達の虚ろな視線が絡みついてくるが彼は気にも留めない。会いたい人は他にいるから。

 

「ルンルンルン、どこかなどこかな~」

 

やがて、囚人の中に中年の女性を見つけると、彼は両手をパッと開いて喜びを表現した。

 

「あ、いた!こんにちは~ベティ・カルバーさん!」

 

「……なんざますか。弁護士以外と話すつもりはないざます。

それになんですの、その格好。お遊びに付き合うほど落ちぶれてはいなくてよ」

 

「人生は楽しまなくっちゃ損だよ!ぼくはヤミィケークって言うんだ、よろしくね!」

 

「帰っていただけるかしら。人を呼ぶざますよ!」

 

「オォーウ、残念……それじゃあさっそく用事を伝えるね。今日は君をおしおきしに来たんだ」

 

「なんですって?」

 

「今、人生は楽しまなくっちゃ損って言ったよね。

でも君たちが子ども達からマナを奪ったせいでみんなはその人生をたくさん失っちゃった」

 

「知らないざます。教師が勝手にやったこと。私は関係なくてよ。これは不当逮捕ざます」

 

「お願いだから協力しておくれよ。

君がそうやって罪から逃げ続けているせいで、みんなが間違った考えから逃れられない。

先生なんて大したことないんだってことがわかれば、

子ども達は目を覚まして新しい人生を楽しめる」

 

「看守!今すぐ来るざます!頭のおかしな男が侵入していてよ!」

 

「ああ……本当に残念だよ。君は最期までそうなんだね。

じゃあ、ラストはぼくのマジックで飾ることにするよ」

 

ヤミィケークは、懐から十数枚の薄い鉄板を取り出した。

剣を持った女神が刻まれており、四辺が鋭く研がれている。

牢屋の少ない明かりが鉄製のカードに小さく反射し、斬れ味を強調していた。

女はそれらが放つ殺意に動揺する。

 

「な、何をするつもりざます!?」

 

「ヤミィ・マジック!どきどきタロット8番“正義”(ジャスティス)!」

 

彼女の問いに答えず、器用に指先の力で刃物と化したカードを飛ばした。

標的の全身に剃刀のようなカードが突き刺さる。

両目がパックリと割られ、身体中の筋肉や腱が切断され、勢いよく出血し、激痛に悲鳴を上げる。

 

「ひぎゃあああ!いたいいたいいたい!」

 

「やったあ!クリティカルヒット、大ダメージだ!」

 

「そこで何をしている!!」

 

先程の女の声と悲鳴を聞きつけた看守が駆けつけてきた。

ヤミィケークは小さく飛び跳ね驚きを表現。

 

「あわわ、怖い軍人さんがやってきた。逃げなくっちゃ!……おっとその前に」

 

別のカードを取り出し、瀕死の女に弾き飛ばした。

今度は普通の紙。ただ“I’m Yummy-Cake!”という一文だけが書かれている。

 

「急げ、急げ、やれ逃げろー!牢屋の外へ一目散!」

 

そしてヤミィケークはケタケタと笑いながら駆け出した。

警報が鳴り響き、増援の兵士が駆けつける中、笑い続けた。

再び刑務所の塀を乗り越えるまでどこをどう走ったのかは覚えていないが、確かなことがある。

彼はそう、幸せだった。

 

彼の凶行は翌日の朝刊を飾ることになる。

カルト集団のリーダー、ベティ・カルバー殺害。ヤミィケークなる殺人犯の出現。

帝都の民は異常犯罪の発生に戦慄した。

そして、帝国の中心地を襲う恐怖はこれだけに留まらない。

 

ヤミィケークの犯行声明だ。サラマンダラス要塞から北西に建つ時計塔。

彼はその頂上に立ち、無数のチラシをばらまいた。

年月日、場所、名前をびっしりと覚えている範囲で書いている。

空から降ってきた謎の紙に気づいた住民達が彼の存在に気づく。

 

「おい、ありゃなんだ?」

「あんなところにピエロ?度胸あるなぁ」

「違う、ありゃヤミィケークだ!新聞の似顔絵そっくりだ!」

 

早くも眼下に野次馬や兵士が押し寄せている。

満足した様子でそれを眺めると、ヤミィケークは大声で宣言した。

 

「レディース・アンド・ジェントルメン!ぼくの名前は、ヤミィケーク!

好きなものは、子どもの笑顔とおいしいケーキ!

今日はみんなに自己紹介をしたくてここに来たんだ!さっそくだけどその紙を見ておくれ。

この人達はね、子どもにひどいことをして

お金儲けしたり自分の欲望を満たそうとしていた人ばかりなんだ。それって悪いことだよね?

だからぼくがおしおきしたんだ!」

 

群衆の騒ぎが更に大きくなる。

 

「悪い子はおしおきしなきゃダメ。ぼくのパパが昔そう言ってたんだ。

残念なことだけど、この国は悪い大人がいっぱい!

でもヤミィケークは子ども達を助けるために一生懸命おしおきしてきたんだ。

もちろんこれからもそうするさ。

この中に、もし子どもに痛いことをしたり苦しい思いをさせている人がいたら、

今すぐやめて欲しいんだ。じゃないと、ぼくがおしおきしなきゃいけなくなるからね」

 

屋内へ続くドアの奥から、兵士が階段を駆け上がる音が近づいてくる。

 

「そろそろお別れの時間だよ。

挨拶代わりにヤミィ・マジックの一つをお見せするね!すいすいフライト~!」

 

ヤミィケークはカバンからゴム製のマントを取り出し、背負うように羽織って両手両足に固定。

ためらいなく時計塔から飛び降りた。

群衆から悲鳴が上がるが、彼は落下することなく風を受けて

あっという間に遥か彼方へ飛んでいった。

 

真下に広がる帝都の景色を眺めながら、彼は自分が思い描く理想の世界に想いを馳せる。

全ての子どもが笑顔でいられる世界。みんなで一緒においしいケーキを食べられる世界。

自分にはそれを創ることができると信じていた。たとえ何人殺すことになろうとも。

 

「ママー!ぼくが今度こそ守ってみせるからねー!」

 

 

………

……

 

 

「ピーネ殿!?ピーネ殿!しっかりするでござる!」

 

「あっ……」

 

エリカの声で我に返る。

ヤミィケークの血を吸った瞬間、膨大な量の彼の想いで心がいっぱいになって自分を見失った。

でも、もう大丈夫。やっとわかった。

ずっと笑ってたけど、彼の心の奥底には哀しみしかなかった。血の臭いの正体はただそれだけ。

 

「あんたは、人より先に自分を助けるべきだったわね」

 

ヤミィケークの亡骸に声を掛ける。虚しいだけだとわかっているのに。

そっとエリカが私の肩に手を置いた。

 

「何を見たのかわからぬが、あまり帰らぬ者に入れ込み過ぎてはならぬ。

幽霊の拙者が言えたことではないかもしれんが」

 

「わかってる。行きましょう。後始末をしなきゃね」

 

私は立ち上がってスカートの砂を払った。

 

「ピーネ殿の賞金稼ぎ、見事でござった。

こやつも最期には救われた、と信じることができるでござる」

 

「よして。賞金首ごっこはもう終わり。

後は里沙子に溜まりに溜まった文句をぶつけてやるだけよ」

 

気づけば私達を照らす日が紅くなっていた。長い一日が終わろうとしてる。

私達はヤミィケークの遺体を軍に引き渡すため街に戻ろうとしたけど、

表通りにはもう多数の軍用馬車が集まっていた。

きっと、屋上の火災を見た誰かが通報したんだと思う。向こうから来てくれて助かった。

軍人を呼んでまたここまで戻ってくるには、

里沙子の悪口も思いつかないほどすっかりくたびれていたから。本当に、心も身体も疲れてる。

 

「バイバイ」

 

だけど最後に私は振り返り、冷たくなったピエロに短くさよならを言った。

 

 

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