面倒くさがり女のうんざり異世界生活   作:焼き鳥タレ派

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クリスマススペシャルと特別ゲスト
もうクリスマスね。うちにも来たわよサンタ……あ、違う、サンタじゃなくて、


大勢の衛兵や司教、民衆が彼を取り囲む。

あるもの達は彼に罵声、嘲笑、唾きを吐きかけ、

またあるもの達は嘆き、悲しみ、涙した。

幾度も鞭打たれ、血まみれになり、最期の時を迎えようとしている彼は、

天を仰ぎ祈りを捧げた。

空は蒼く、真っ白な鳩が飛んでいく。

 

 

「ううっ…父よ、彼らに、赦しを……なにをしているかわからないのです」

 

 

“自分を救ってみろ、救世主なんだろう!”

“ハハッ、あいつがユダヤの王だとさ!”

“どうしてこんな酷いことをするの!?”

“彼は救い主だやめろ!”

 

 

その時、ジリジリと眩しく丘を照らしていた太陽に突然黒い雲がかかり、

瞬く間に辺りが暗くなりだした。雷鳴が轟き、稲光が走る。

パニックを起こし逃げ惑う民衆。

 

「父よ……我が霊を……御手に、委ねます」

 

そして、男は息絶えた。

 

 

 

 

 

後で聞いたら、彼もあたしと同じ、近所の野っ原に転移してきたらしいわ。 里沙子

 

──面倒くさがり女のうんざり異世界生活 クリスマススペシャル

 

 

 

 

 

“私”は草花が生い茂り、虫達の息づく、広い草原に降り立ちました。

父の教えに従い、かつての人の姿を借り受け、

見聞を広めるためこの世界にやってきました。

私を完全なる存在とみなす者もいるようですが、

混迷を極める現代の人の世を救済するには、

改めて世界を見聞きする必要があると考えます。

全能の存在は我が父と精霊のみなのです。

 

ひとつ深呼吸をしましょう。素晴らしい。

空気が、かつて人の子であったあの時と同じように澄み切っています。

そして、なにやら不思議な力にもあふれています。これは一体何でしょう。

早くも学ぶべきことが現れました。

私はゆっくりと草原を見渡しますが、尋ねるべき人が見当たりません。

 

しかし、丘の向こうに信じられないものを見つけます。なんということでしょう。

父の教えは、確かにこの地にも根付いていたのです。

私は裸足に柔らかな草を感じながら、そこに向かって走り出します。

ようやくたどり着きました。見上げると屋根には立派な石碑、私のはじまり。

そして門戸を叩きます。

 

 

 

 

 

ああ、思い出したくもない。その日もジョゼットの馬鹿が勝手なことしてたのよ。

 

「あんたは、一体、何をやっているのかしら……?」

 

昼寝から起きたあたしが寝ぼけ眼で聖堂に行くと、壁の一面に、

細く切った色紙を輪っかにしてつなぎ合わせたものが半円を描くように吊るされてた。

ほら、小学校の時、学芸会なんかで作ったアレよ。

 

「あ、里沙子さんも手伝ってください!色紙の輪っかづくりって楽しいですよね!

この聖堂全体に吊るすにはあと……」

 

ゴチン!

 

「痛ったああい!」

 

あたしはいつも通りゲンコツを振り下ろす。言っとくけど、殴る方も痛いのよ。

この娘、結構石頭だから指の骨に直に衝撃が跳ね返ってくるんだけど、

こいつが勝手に暴走するから両者悲しい思いをするハメになる。

 

「誰に断って人ん家パーティー会場にしてんのよ、小学生じゃあるまいし!

まさかここに信者共招いてクリスマス特別ミサとかやるつもりじゃないでしょうね!?」

 

「よくわかりましたね!クリスマスを覚えてるなんて、

里沙子さんも大いなる母の教えに興味が……」

 

「もう一発行っとく?今すぐ片付けなさい」

 

「ひえっ、乱暴は駄目だと思うんです……でも、いいじゃないですかクリスマスくらい!

主母マリア様の生誕祭なんですよ?サラマンダラス帝国上げてのお祝いなんです、

わたくし達だって聖夜に祈りを捧げたっていいじゃないですか!」

 

ビビりながらも勝手な主張をぶつけてくるジョゼット。肝が座ってるのかいないのか。

 

「あーうるさいうるさい。IT業界にゃ盆暮れ正月クリスマスなんてありゃしないの。

すっかり忘れられてる設定だけど、あたしがSEって仕事に就いてたときは、

クリスマスなんか平日と同じだったわよ。いつも通り仕様書に沿ったプログラム作って、

どうにもならないバグ抱えたツールを修正というより一から作り直して!

パソコンだけが恋人よ、まったく」

 

「うーん、やっぱり里沙子さんのお仕事、よくわからないです」

 

「そりゃあ、この世界には存在しない職業だし、

何度説明しても理解できないあんたの脳みそも原因ね」

 

「ひどい!そんなこと言ったら里沙子さんだって聖書の教え、

全然覚えてくれないじゃないですか!」

 

「あれは覚えられないんじゃなくて、覚えるつもりがないの。

あんたとは根本的に“ごめんください”って誰よったく」

 

誰かがコンコンとドアを叩いてる。あたしは面倒くさいけど、

一応家主として応対に出たのよ。ジョゼットに任せるといきなりドア開けかねないし。

 

「だーれ?今日は休みよ、日曜に50G持ってまた来て」

 

“私は父に導かれし放浪者です。この祈りの場所に光を見出しました。

どうか私を受け入れてください”

 

「お父さん?悪いけどここは日曜限定営業だってパパに……」

 

「はいはーい!マリア様を信奉する方はどなたでも大歓迎ですよー!」

 

「こら、鍵開けんじゃないわよジョゼット!何勝手に日曜診療ルール変更してんの!

前々から言おうと思ってたけど、あんた腰低いふりして相当やりたい放題よね!

……ってうっわぁ」

 

 

「ありがとう、清き心を持ちたる隣人たちよ」

 

 

あんまりすごくて声も出なかったわ。髪はセミロングっていうか背中まで伸ばし放題。

髭も伸び切ってるし、肌も真っ黒で何日も風呂に入ってないのがひと目でわかる。

服は麻でできた一応服を名乗れる程度のボロ。

腰にもベルトなんて洒落たもん着けてない。紐で縛ってあるだけよ。

あたしは小声で、同じく絶句してるジョゼットに耳打ちした。

 

(ねぇ、あんたの信者?)

(知りません。日曜ミサでも見たことがありませんし……)

(とにかくあんたが入れたんだから、あんたがなんとかしなさい)

(わかってますよぅ。

でも、ちょ~っとだけ里沙子さんにも手伝って欲しいかな~なんて)

(忠告しとくけど、居住スペースに入れるんじゃないわよ。

あたしは焼け石に水程度でも、この状況を改善する準備をしとくから、

こいつをここに留めとくのよ、いいわね?)

(はい……)

 

「あ、はは……だいぶお疲れのようですね、敬虔なる信徒の方。

どうぞお座りになってください。

マリア様は全ての者に等しく光を当ててくださいますから、多分」

 

「ありがとう。母を敬ってくださっているのですね。

とても信心深い方たちに巡り会えたことを、父に感謝します」

 

引きつった声のジョゼットの応対を背に、あたしはバスルームに向かった。

おっとその前に道具置き場から買い置きのスポンジと桶を取ってこなきゃ。

よし、これでいい。バスルームで桶にお湯を入れた。

 

聖堂に戻ったら、ジョゼットは変な男のそばで、

笑顔を貼り付けたまま突っ立ってるだけだった。

男はただ珍しそうに聖堂を見回してるだけ。使えねー。

とにかくあたしは、お湯の入った桶とスポンジを男のそばに置いたの。

 

「はい、これ。床はボロだけど汚れてるわけじゃないの。泥持ち込まれると困るから」

 

「これは、とても、不思議な手触りです。

パンのように柔らかく、それでいてちぎれない。

人の子の創造力は、素晴らしいものです」

 

「足を洗えって言ってんの!じれったいわね、もういい、貸しなさい!」

 

あたしはいつまでもスポンジで遊んでる変な男からひったくると、

お湯を含ませて足を拭いてやった。

ってなんであたしが野郎の足洗わなきゃいけないのよ!

まあ、聖堂汚されても困るからしょうがないけどさ!

 

「ありがとう。私の足を洗ってくれているのですね」

 

「見ればわかること実況しないで……あら、あんたどうしたの。傷だらけじゃない」

 

初めは気づかなかったけど、スポンジで汚れを落としていくと、

しなる鞭で叩かれたようなミミズ腫れが見えてきた。

よくよく観察してみると、足だけじゃなくて腕や足、

とにかく服から出てる部分全部にあったの。

 

「ねぇ、まさかあんた脱走した奴隷?」

 

将軍に聞いたことがあるわ。

このオービタル島の遥か南に奴隷貿易をしてる国があるって。

それにしちゃずいぶん遠くまで来たものね。

 

「いいえ。私はナザレのイエスです」

 

「う~ん、暑さと飢えでやられちゃったか。あたしは斑目里沙子。

こっちのちっちゃいシスターはジョゼットね。

……ジョゼット、とりあえずこの人にパンと牛乳を持ってきて」

 

「は、はいー!」

 

ようやく再起動したポンコツジョゼットが冷蔵庫へ駆け出した。

その間にこの変人の事情聴取を済ませましょう。ちょうど足も洗い終わったし。

 

「奴隷に靴を買えってのが無理な話だけど、わらじくらい作りなさいな。

木枯し紋次郎もしょっちゅう編んでたでしょう……いや、それ以前の問題ね。

そんな酷い怪我、一体何されたの?」

 

すっかり綺麗になった足には、釘を打ち付けたような跡があった。

どう見ても異常な状況だわよね。あたし達の手には負えなそう。

彼の腹ごしらえが済んだら、将軍を訪ねましょう。

 

「ワラジ、とは何でしょうか。この傷は、原罪を背負し証です」

 

目の前の男がかすかな微笑みを浮かべて聞いてくる。

ん?“原罪”というキーワードを耳にした途端、だんだん嫌な予感がしてきた。

 

「どうしてこの世界は肝心なもんは入ってこないのかしら。

わらじってのはね、稲穂を編んで作る簡素な履物よ。ちょっと待ってて。

すぐ裏に積んである藁、取ってくるから」

 

「あなたにとって、よき旅路でありますように」

 

「すぐ裏って言ってるでしょう!人より自分の旅を心配なさい!」

 

まったく何なのかしらあの男。違うと思う、っていうか思いたい。

ただの狂信者が真似しただけ。それも嫌だけど。

あたしは藁を抱えると聖堂に戻り、ロン毛男のそばに置いた。

 

「ほら、足を出して」

 

「こうでしょうか」

 

「そう、わらじっていうのはね……」

 

そんで、ヒゲ男(ロン毛とどっちにしようか迷う)に、

わらじの作り方をレクチャーし終えた頃に、ようやくジョゼットが食事を持ってきた。

なんでわらじなんか作れるかって?そりゃ、紋次郎に憧れて調べたに決まってる。

実際編んだりもしたわ。

 

「こう、藁をねじってね……そう、そこに親指を通して」

 

「藁にこのような使い方があるとは。まさに、目からうろこが落ちてきそうです。

役目を終えた稲に再び生を与えるとは尊い行い。あなたに祝福がありますように」

 

「そりゃどーも」

 

視聴率じゃ必殺シリーズに水を開けられたけど、あたしは木枯し紋次郎派ね。

必殺も必殺で面白いけど、渋さは紋次郎が段違いだわ。

まぁ、それについて語ると長くなるから置いといて、

とにかくあたし達は彼を素足からマシな状態にして食事を振る舞ったの。

 

「はい、召し上がれー!」

 

足を洗って綺麗になった彼に若干慣れてきたのか、

ジョゼットも無駄に元気よく、彼の隣に食事の乗ったトレーを置いた。

 

「ありがとう……父よ、心優しき聖女達を遣わし、

私に恵みを与えてくださったことに感謝いたします。アーメン」

 

ロン毛は両手の指を絡めると、祈りの言葉を口にして、

ゆっくりとした手つきでパンを食べ、牛乳を飲み始めた。

あー……これ、なんか確定っぽい。

あたしは食事を続ける彼を置いて、ジョゼットを隅に引っ張る。

 

「ジョゼット、ヤバイことになったわ」

 

「確かに……あの人色々変ですねぇ」

 

「そうじゃない!恐らくなんだけど……うちの世界の神様が来ちゃったのよ」

 

「それって、以前里沙子さんが言ってたイエス、えーと……」

 

「キリストよ!マリアさんの息子!地球で一番信者が多い一神教の神!

怒らせたら、空から硫黄の火を降らされて街ごと焼き尽くされるわよ!」

 

「ええっ!?マリア様にご子息がいらっしゃったなんて!

それに、そんな怖い人には見えないですけど……」

 

「とにかく!なんでこんなとこに来たかは知らないけど、

丁重にさっさとお帰り願うわよ。

とりあえず将軍に似たような前例がないか聞きに行くの。

それには今の格好じゃ問題が多い」

 

「お買い物ですか!?」

 

「目ぇキラキラさせない!あんたのものは買わないわよ!

将軍に会うに相応しい格好をさせんの!速やかに出かける準備をしなさい」

 

「わっかりました!」

 

ジョゼットが家屋スペースに走り、あたしがイエス(仮)のところへ戻ると、

彼はもう食事を終えた後だった。あたしを見ると、静かな笑顔を浮かべて、

 

「とてもおいしかったです。ありがとう。次の安息日には私がパンを振る舞いましょう」

 

「はは、そりゃあよかったわ。で、イエスさんって言ったわね。

とりあえずこれからどうするつもり?その格好じゃどこ行っても迫害されるわよ」

 

「なんと。この世界にもファリサイ派の手が及んでいるというのですか」

 

「そーじゃない。端的に言うと、あなた汚すぎなの。

旅を続けて教えを説くにしても、もうちょっとマシな身なりをしないと、

誰も相手にしてくれないし話も聞いてくれないわよ。

あなたが人間だった頃はともかく、今はそういう時代なの」

 

「それは困りました。私はこれから世界を見聞きし、

悲しき者、病める者を救済しなければならないというのに、

一体どうすればいいのか……父よ、私を導いてください!」

 

大げさに両手を握り、天に掲げるイエス(仮)。

そこに祀られてるのはマリアなんだけどね。

 

「お父様困らせないの。今からあたし達と一緒に街に行くのよ。

そこで体を綺麗にして、ちゃんとした服を買う」

 

「しかし……私が持っているデナリウス銀貨3枚で立派な服が買えるでしょうか」

 

「そこんとこは気にしなくていいわ、あたしが持つ」

 

「やはりあなたは清き人。私のために財産を投げ打つというのですか!」

 

「あー間違っちゃあいないんだけど……訳あって金には困ってない、ただそれだけよ」

 

いちいち大げさなイエス(仮)と二人きりだとなんだか疲れるし変な汗が出る。

ジョゼットはまだかしら。

 

「すみませーん、ちょうどいいトランクが見つからなくて」

 

「なんでもいいから早くする!……ほら、イエスさん。行きましょう」

 

「新たなる旅の始まりですね」

 

「2,3時間で帰ってくるから旅っていうか買い物ね。とにかく出発するわよ!」

 

んで、あたし達は教会を出てハッピーマイルズ・セントラルに向かったわけ。

野盗のバカ共が出ないことを祈ってたけど、取り越し苦労に終わったわ。

今日の街道は至って平穏そのものだった。神のご加護ってやつ?

街のゲートを越えると、イエス(仮)は出店で賑わう街を感激した様子で眺めてた。

あたしはいつも通り人いきれで頭痛が爆発寸前。

アホ共が茶々入れてきて怒り爆発寸前。……もうちょっと頑張ればラップになったかも。

 

「ははっ、どうした里沙子。男連れか?」

「その格好、南の国から奴隷なんて……恐ろしい子!」

「お金持ちなら服買ってあげなよ~」

「今からその服買いに行くの!とっとと黙らないと乱射事件起こすわよ!」

 

あたしが街の連中からいじられてるのを尻目に、

呑気に両腕を広げて満面の笑みでイエス(仮)に街を紹介するジョゼット。

 

「イエスさーん、ここがハッピーマイルズ・セントラルです!賑やかでしょ!」

 

「はい、エルサレムの街を思い出します」

 

「お願いだからここで暴れないでね。ここはちゃんと商売をする場所なんだから」

 

「正しき所で正しき行いをすれば、それはやがて自分自身を豊かにするでしょう」

 

「答えになってるようでなってない回答どうも。まずは風呂ね。

街の北東に公衆浴場があるわ。そこで体を綺麗にしてきてね」

 

ちょっと歩くこと10分。北へ伸びる道を歩いて東に曲がる。

そう、銃砲店や薬局とは正反対の方向よ。

さらに数分歩くと、煙突から白い煙が昇る大きな建物に着いた。

ここが公衆浴場、つまり銭湯ね。

 

「ほら、イエスさん。右側のドアから入って目の前の店員にこれを渡すの。

それから、湯船に入る前に体の汚れを綺麗さっぱり落としてね。

他のお客さんに迷惑だから」

 

あたしは念押ししてイエス(仮)に5Gと家から持ってきたスポンジを渡した。

でも、勘の良い読者はこの後の展開読めてると思う。

 

「ありがとう。やはりデナリウス銀貨ではないのですね」

 

「まぁ、銀には違いないから両替商に持ってけば、

この世界の通貨に変えてくれるだろうけど、多分雀の涙でしょうね。

さ、早くあったまってきて」

 

「では、少しの間失礼します」

 

彼がドアに入って金を渡すところを擦りガラス越しに見届けたら、

今度はジョゼットにミッションを発令した。

 

「ジョゼット、1000G渡すから30代男性用の紳士服の上下買ってらっしゃい。

キャザリエ洋裁店までダッシュで」

 

「ええっ、ここからですか!?走っても10分もかかりますよぅ……」

 

「グズグズ言わない、さっさと行く!聖堂の輪っか全部引きちぎるわよ!」

 

「うわーん、里沙子さんの鬼ー!」

 

半泣きで走り出すジョゼットを見送る。ふぅ、ようやく一段落した。

と思ったらそんなことはなかったわ。

 

 

“ぎゃああああ!!”

“うわっ、なんだこれ!”

“くせえ!”

 

 

はい、答え合わせの時間です。あたしは深く深くため息をついて男湯のドアを開けた。

脱衣場は風呂から飛び出した客で一杯になってたけど、

あいにく男のナニでビビるほどヤワじゃないの。

浴場に飛び込むと、困惑したイエス(仮)が立ってた。

 

「里沙子、私は間違いをしてしまったようです……」

 

「うん、確かに間違ってるわね。結婚式で振る舞っても誰も喜ばないわ」

 

何があったって?湯船の湯が全部ワインになってたに決まってるでしょう!

アルコールとワインの臭いが湯気と混じり合って、なんつーか本当に、くせえ。

とうとうイエスの名前から(仮)が取れちゃったわ。

何とも言えない悪臭にふらつきそうになってると、後ろから大きな気配が。

 

「……おい、姉ちゃん。この兄ちゃんの知り合いかい?」

 

「え、あの、知り合いっていうか羊と羊飼いの間柄っていうか……」

 

ガッチリした体格の店主があたしらににじり寄ってきて──

 

 

“二度と来るねい!”

 

 

イエスの着替えもそこそこに、銭湯から放り出されてしまった。

しょんぼりするイエスに仕方なく声を掛ける。

 

「ねえイエスさん?

その……奇跡を起こすときはあたしに相談してもらってもいいかしら」

 

「申し訳ない里沙子。あなたにもらった銅貨5枚を無にしてしまった……」

 

「体はちゃんと洗えたみたいだから別にいいわよ。

とりあえず風の当たらないところに行きましょう」

 

あたしらはとにかくイエスさんが湯冷めしないよう、

近くの古びた喫茶店に入ってジョゼットを待ってたの。

 

とりあえず注文取りのおばちゃんにコーヒーを2つ頼む。

おばちゃんもギョッとした目でイエスさんを見てた。

そりゃ普段ミミズ腫れだらけのボロを着た客なんて来ないから当然よね。

 

5分ほど経ってコーヒーが運ばれてきたけど、ジョゼットはまだ来ない。

イエスさんは一口飲むと渋い顔をした。

 

「この“コーヒー”という飲み物は、温かいがとても苦い。

温もりを得るには苦しみを乗り越えなければならないという、

父の与えし試練なのでしょうか」

 

「あなたが子供舌なだけよ。ミルクとお砂糖入れればマシになるわ、

そこに置いてるやつ」

 

「この壺ですか。……おお、これは素晴らしい。

四角く形を保った砂糖に、とろみのついた牛乳。これらが生み出す優しい味わい。

最後の晩餐に弟子たちにも振る舞いたかった。

そうしていればきっとイスカリオテのユダも……」

 

「あーあー、自分で古傷えぐって落ち込まないの!

どうにもならない過去を悔やんでもしょうがないし、

コーヒー一杯で銀貨30の誘惑に勝てたとも思わない」

 

「そうですね……私は未来を照らさなければ」

 

だべりながら20分くらい待ってると、

ジョゼットが汗だくになって角から飛び出してきたの。

 

“里沙子さーん!イエスさーん!どこですかー!?”

 

窓ガラスの向こうであの娘が叫んでる。

コンコン、と軽く窓を叩くと、こちらに気づいて店に入ってきた。

 

「はぁ、よいしょっと!」

 

ジョゼットが重そうにトランクをあたしたちのテーブル近くに置く。

今更だけど、リスキーな賭けをしてたことに気づいたわ。

この娘に紳士用の服を選べるセンスがあるかどうか。

念のため中身をチェックすることにした。

 

「中、見せてごらんなさい」

 

「はい。これなんですけど……」

 

疲れた様子でジョゼットがテーブルに広げたのは、

糊の効いたシャツと丈夫でスラッとした黒のジーンズ。あら、意外ね。

 

「やるじゃない。褒美としてミルクセーキをおごるわ。

イエスさん、ジョゼットが休んでる間にこれに着替えてきて。

もう街を歩いていても馬鹿にされる心配はないわ」

 

「おお、ありがとう、神の子よ。この施しは未来永劫忘れることはないでしょう」

 

「本当に大げさね。早くお手洗いに行ってらっしゃい。あの男女マークがある個室」

 

イエスさんは洋服を持って嬉しそうにお手洗いに入っていった。

頼むから今度は奇跡起こさないでね。

 

「よくやったわ、ジョゼット。あんたに男物のセンスがあったとは驚きだわ。

別にミルクセーキじゃなくてもいいから、なんでも好きなの頼みなさいな」

 

「疲れました~。あの服ですか?お店の人に聞いたんです!

フリーサイズの男性用衣類をくださいって。あ、ミルクセーキください!

……そうだ、イエスさんちゃんとお風呂に入れましたか?」

 

「人任せかよ。まあいいけど、とにかくよくやってくれたわ。

こっちは半分成功、半分失敗ってとこかしら。

体を洗うことには成功したけど、

イエスさんが間違えて湯船の湯をワインに変えちゃったから出禁食らった」

 

「え?なにをどう間違ったらワインに変わるんですか!?」

 

「神様もミスの一つや二つくらいするわ。

ラストは床屋ね。あの伸び放題の髪と髭をさっぱりさせる」

 

「ちゃんと答えてくださ~い」

 

「あたしだってわかんないわよ、水がワイン変わる過程なんて!

とにかく彼が戻ったら市場への道に引き返して途中の床屋に寄るわよ」

 

「なんか納得行きませんけど……はーい」

 

すると、店の隅のお手洗いのドアがガチャッと開いて、

着替えを済ませたイエスさんが出てきた。その変わりようには正直驚いたわ。

ちゃんとした格好すれば割りとイケメンじゃない。

 

「里沙子、ジョゼット。これで私は迫害から逃れることができるのでしょうか」

 

「うんうん、もう街を歩いても誰にも馬鹿にされないわ」

 

「とってもお似合いですー」

 

「ありがとう……見ず知らずの私にこんなに親切にしてくださって。

その献身の心は父も見ておられます。

あなた方の魂は、時が来れば楽園へと導かれるでしょう」

 

「やった!楽園にはマリア様もいらっしゃるんですか?」

 

「もちろん、母も暮らしています」

 

「はいはい、二人共服くらいで喜びすぎ。まだ仕上げが残ってるんだから。

イエスさん、これから床屋に行きましょう」

 

「床屋、とはどのような商いをする店なのでしょうか」

 

「その伸びた髪や髭を剃ってくれるの。

服がまともでもその顔じゃあ、将軍に失礼でしょ」

 

「将軍。つまり神殿警察を統率する指導者たる存在……

ああ、どうか何があっても大司祭の耳を切り落とすことのないよう切に願います」

 

「誰がそんなことするかっての!神殿警察も存在しない!とにかく、

将軍は心の広い方だし、地球からの転移者が珍しくないこの世界に暮らしてるんだから、

絶対あなたを捕らえて十字架にかけたりなんかしないわよ。

この領地のことについてはとりあえず彼に聞けばわかるってくらい詳しいから、

イエスさんが地球に戻る方法も知ってるかもしれない。

今日、いろんな店に回ったのは、彼に会うための身支度を整えるためよ。

やんごとなき立場の方だからね」

 

「なるほど、あなたが保証してくれるなら心強いです」

 

「そうと決まればさっさと出ましょう。ジョゼット、いつまで飲んでんの!」

 

「待って、まだ少し!」

 

ズズーッとみっともないストローの音を立てて、

ミルクセーキを飲み干したジョゼットが立ち上がった。

 

「ぷはっ、それじゃレッツゴーですね!」

 

「何あんたがはしゃいでんのよ」

 

喫茶店から出たあたし達は市場への道を逆戻りして、

ちょうど中間に当たる場所にあるその店を目指したの。でもその前に……

 

「ねえ、イエスさん。その服要らないなら捨てましょう。そこにゴミ箱がある」

 

「しかし、洗えばまだ」

 

「使えない。汚れを落としても、そんなもの着てうろついてたら、

それこそ迫害受けるわよ」

 

「そうですか……では仕方ありませんね」

 

彼が名残惜しそうにポスンとボロ着をゴミ箱に入れた。

さぁ!見栄えも荷物もスッキリしたところで床屋へGOよ。

なんか後ろがうるさいけど、かまってる暇はないわ。もう太陽が夕陽に変わりつつある。

 

 

“こいつは俺のだ!”

“俺が先に見つけたんだよ!”

“なんでこんなもん欲しいんだよ、俺に譲れ!”

“うるせえ、なんか知らないけど欲しいんだよ!”

“くじ引きにしようぜ、くじ引き!”

 

 

やっと着いたわ。市場と薬局や銃砲店のあるエリアを南北に結ぶ道。大体その真ん中。

地球みたいに店先にサインポールがないからちょっと見つけにくい。

とりあえず店にイエスを連れて入って、

暇そうに新聞を読んでいた中の親父に声を掛けた。

 

「おじさん、彼を綺麗にしてやってくださいな」

 

「ああ、いらっしゃ……ちょっとやり過ぎだろ、兄ちゃん」

 

あたしは素早く親父に近寄り、金貨を20枚握らせた。

 

「お願い、チップ弾むから何にも聞かずに彼の髪と髭を整えて。顔剃りもね」

 

「や、やばい客じゃないだろうね」

 

「もちろんよ」

 

今のところは、という続きを“言い忘れた”。

 

「ただちょっとおおっぴらにされたくないの。だから、ね?」

 

「わかったよ……お兄さん、こっちへどうぞ」

 

あたしの真剣な表情と一握りの金貨を見た親父は、

平静を装ってイエスを理容椅子へ促した。彼は椅子に座るなりまた感激しだす。

そりゃ2000年ぶりの地上じゃ驚くことも多いだろうけど、

ヒヤヒヤしてるこっちの身にもなって欲しい。

 

「おお……これほどまでに柔らかい玉座は、

きっとローマ皇帝も座ったことがないに違いない。そして、一点の曇りもない大きな鏡。

数多くの熟練した職人によって磨かれたのでしょう。

この映り具合、まるで父の御業。私がもう一人いるようです」

 

「ははっ、そんなに床屋が珍しいかい。兄ちゃんどこから来た。

おっと、まず髪にタオルを巻くよ」

 

「ガリラヤのナザレです。ああ……とても温かい。

私の髪が優しい温もりに包まれていく。これは何の儀式なのでしょうか」

 

「髪を柔らかくして散髪しやすくする俺達の大事な儀式さ。それでどうする。

せっかくここまで伸ばしたのに、ショートにしちまうのはもったいない気がするね。

髭だってそうだ」

 

“偉い方とお会いしても恥ずかしくない程度に切りそろえてくださいな”

 

「あいよ」

 

あたしが後ろの待合席から親父に注文をつけた。

彼に任せたらどんな奇跡を起こすかわかったもんじゃない。それから待つこと30分。

あたしは新聞を読み、ジョゼットは退屈そうに足をぶらぶらさせて、

鬱陶しいとあたしに叩かれながら待ってたの。散髪もそろそろ終わりそう。

めまいがしそうな会話が聞こえてきたからわかった。

 

 

“じゃあ、兄ちゃんシャンプーするから、洗面台に前かがみになって目を閉じててくれ”

“おお、これは!とてもいい香りだ。オリーブ油の一種ですか?”

“そんなもん付けたら頭ギトギトになっちまうよ。さぁ、口も閉じて”

 

 

やっぱ思考が人だった頃のまんまなのよね。

とにかくこれでようやく彼の身支度が終わった。窓の外を見る。もう完全に夕方ね。

今日将軍にお会いするのは無理そう。

まぁ、ほとんどの目的は達成したんだし、一日くらい大丈夫でしょう。

 

今日の寝床は“父よ私をお救いください!”“暴れないでくれ兄ちゃん!”

ああっ!どうしてこうも人生スムーズに行かないものかしら!

新聞を放り出して、散髪椅子に向かう。

そこには三本指を絡めた右手を掲げて必死に祈るイエスさんと、困惑する親父の姿が。

 

「どうしたの!イエスさん、どうしたの!?」

 

「里沙子、助けてください。彼の手から嵐が!

彼は御使いですか?それとも悪魔なのですか?」

 

「頼むから落ち着いてくれって兄ちゃん。

ドライヤーすらないって、一体どこの田舎だよ、ナザレってのは!」

 

「……ああ、イエスさん落ち着いて。この人が持ってるのは髪を乾かす道具よ。

彼もただの人間でそれ以上でも以下でもない」

 

「はぁ、はぁ、そうでしたか。ご迷惑をおかけして申し訳ありません……

しかし、不思議な道具があるものです。

私が天上にいる間に地上は大きく変わってしまったようですね」

 

「いいのよ、そりゃ2000年もあればいろいろ変わるわ。親父さん、ごめんなさいね。

最後の仕上げをお願い」

 

「あ、ああ……ドライヤーかけてちょちょっと整えれば終わりだよ」

 

ひとつため息をついて待合席に戻る。

ジョゼットは何をしてたかというと、寝てやがった。

ムカつくからアイアンクローをお見舞いする。

激痛と驚きで椅子からずり落ちるジョゼット。ざまあ味噌漬け。

 

「いだだだだ!痛~い……里沙子さん、何するんですか!」

 

「召使いのくせにあたしが右往左往してる間お休みとはいいご身分ねぇ、

イエス関連で大騒ぎだったってときにさぁ?」

 

瞬きせずに作り笑いを浮かべて、丸めた新聞でジョゼットを小突き回す。

 

「ああっ、ごめんなさいごめんなさい!何かあったんですか!?」

 

「危うくお父様呼ばれるところだったわよ。面倒だから説明はしない」

 

「それじゃなんだか叩かれ損な気がします……」

 

 

“どうする兄ちゃん、ワックス付けるかい?”

“私は全ての施しを拒みません”

“付けるってことかい?まあいいや。こんくらい手にとって、と

……はい、兄ちゃん終わったよ。男前になったじゃねえか”

“ありがとうございます。あなたの人生に精霊の導きがありますように。アーメン”

 

 

さてさて、どうなったのかしら。今度はジョゼットもついてくる。……おお、すげえ。

まさに、読者がイエス・キリストという名前を聞いて連想するような顔になった。

無神論者のあたしでも思わず神々しさに胸が締め付けられる思いがしたわ。

ジョゼットなんか目を潤ませて“ああ、確かにマリア様の面影が……”と、

会ったこともないくせに馬鹿なことを言ってた。

 

「やったじゃない、イエスさん。これなら将軍にも堂々と謁見を求められるわ。

今日は無理だけど」

 

「イエスさん……こんなにカッコよかったなんて」

 

「これも二人のおかげです。持たざる私に金銭だけではなく、

労苦という形で惜しみない慈愛を恵んでくださった。

ボロを纏うだけであった私を、ここまで導いてくださったあなた方は、まさに聖女です」

 

「だから大げさなのよ。あたしは善人じゃない。ただやりたいように生きてるだけよ。

ジョゼットはイエスさんのこと“知らない”って言ってたから多分悪人だけど。うぷぷ」

 

「違います!それは今までイエスさんがこの世界にいなかったからであって……

里沙子さんの意地悪!」

 

その時、散髪椅子から立ち上がったイエスさんが両手を伸ばしてきた。

その手のひらには、やっぱり釘の痕。

 

「ありがとう。本当にありがとう。人は誰しも罪、とが、憂いを背負うもの。

例えあなた方が何某かの罪を背負っていたとしても、

悔い改めれば父は必ずお赦しになります」

 

その言葉を聞いたあたし達は、その手を取って、そっと握った。

彼がかすかな微笑みを浮かべる。その瞳を見つめると、優しく心が洗われる気分。

こんなの初めてだわ。……でも、こうしちゃいられないわね。

完全に日が落ちる前に帰らなきゃ。

 

「それじゃ、今日のところは教会に戻りましょう。

イエスさん、明日またここに来ることになるわ。今夜は早めに休みましょう」

 

「わかりました。帰りましょう。母の祀られし聖なる家に」

 

「そういえば、イエスさんの世界の教えでは、

マリア様はどういう位置づけで信じられてるんでしょうか。

帰ったら詳しく教えて欲しいです!」

 

「今度になさい。今日はイエスさんも疲れてんだから」

 

「構いません。父の御言葉や教えを伝えるために私は遣わされたのですから」

 

「あー、もういい。……とにかく親父さん、ありがとうねー

この事はあんまり言いふらさないでくれると姉さん助かる」

 

「わかってるよ。まいどー」

 

床屋から出たあたし達は帰路に着いた。市場へ続く道を南へ。

そしてぶらぶら歩いてると、イエスさんがいきなり足を止めた。どうしたってのかしら。

 

「聞こえます。救いを求める祈りの声が」

 

するとイエスさんが突然裏路地に駆け込んだ。これには流石にびっくりね。

一体何の用だってのかしら。

 

「えっ、ちょっとイエスさん!そこは裏路地!ろくなことにならないわよ!」

 

ああ、行っちゃった。あたし達も後を追う。

例によって頭のおかしい浮浪者のうめき声を無視して彼を追いかけると、いた。

道にダンボールを敷いて何かブツブツ言ってる物乞いの前で立ってた。

 

「あー追いついた。いきなりなに?イエスさん。……ああ、そのおじいさん?

目が見えないからここで物乞いしてるのよ。ここは結構長いみたいだけど」

 

「うう……マリア様、マリア様。哀れなじじいにお慈悲をお与えください。

わしにあなたの光をもたらしてください……」

 

その白く濁った瞳でただ宙を見るだけの老爺。

イエスさんはあたしの問いに答えず、おじいさんの前で膝を突いた。

 

「……怖がらなくていい。聖母は常にあなたのそばにある」

 

そして自分の手に唾をかけると、その手で優しくおじいさんの目をなでた。

おじいさんもされるがままにイエスさんの手を受け入れてた。そしたら、

 

「さぁ、勇気を出して目を開いて。あなたを包んでいた闇は取り払われた」

 

おじいさんがまぶたを震わせながら、少しずつ目を開く。

すると、濁っていた目は澄んだブラウンに変わり、彼が歓喜の声を上げた。

 

「ああ……見える!目が見える!なんという救い!

もしや、あなたはマリア様が遣わされた天使では……?」

 

イエスさんは黙って首を横に振り、

 

「あなたの信仰が、あなたを救った。そして、この出来事は誰にも話してはなりません」

 

「な、何故ですか?」

 

「左手に告げるなかれ。父の教えです。光がもたらされた今、あなたも我が友のように、

隣人に見返りなき施しを行うことを私は望みます」

 

それだけ言うと、“せめてお名前だけでも”という

おじいさんの声に耳を貸すこともなく、イエスさんは通りに戻っていった。

いわゆる神の奇跡を目の前で見たあたしたちは、しばらく声が出なかったわ。

黙って彼についていくしかなかった。通りに出ると、イエスさんが振り返った。

 

「ああ里沙子、すみません。あなたに黙って、つい奇跡を起こしてしまいました。

救済を求める声に、居ても立ってもいられなくなりました」

 

「いいの。あなたのしたことは正しかったわ」

 

「これが、神の御業なんですね……」

 

ごちゃ混ぜ宗教のシスターも目の前で起きた奇跡に、まだ驚きが抜けない様子だった。

 

「じゃあ、今度こそ帰りましょう。特に買うものはないから市場はスルーして、と」

 

「帰るべき家があるのは良いものですね。私の人生は旅の連続でしたから」

 

「イエスさん、帰ったらいっぱいお話しましょうね!」

 

で、あたし達が役所前の市場を通り過ぎようとしたら、

なんだかいつもと雰囲気が違うのよ。

いつも馬鹿騒ぎのように商売してる連中が大人しい。

代わりにヒソヒソと噂話が聞こえてくる。

 

 

“まだ二十歳だったんですって”

“可哀想にねえ。一人息子だったらしいじゃない”

“せっかく努力して騎兵隊に入ったってのに”

“盗賊団との銃撃戦で命を落としたらしい”

“旦那さんにも先立たれて、お母さんこれからどうするんだろうねぇ”

 

 

殉職か。決して日本より治安がいいとは言えないここじゃ珍しくない話だけど、

あたしより若いうちに死んじゃうなんてさすがに気の毒ね。

市場の真ん中の大広場に、棺桶がひとつ置かれ、多数の兵士、

そして将軍に囲まれている。

白髪を後ろで束ねただけの老婆が、棺桶にすがりついて泣き崩れている。

 

「あああっ!ライアン、目を覚ましておくれ、ライアン!

おっ母を残して逝かないでおくれ!ううっ、ああ……!」

 

「あなたがライアン三等兵の母君であるか……

彼は第7騎兵連隊の一員として、最後まで立派に戦った。

そして、彼の死は全て我の責任である。

ライアンをあなたの元に帰すことができず、お詫びのしようもない」

 

「うっく……ライアンは、一人前の兵士になるのが子供の頃からの夢だった!

……でも、こんな姿になって帰ってくるなら、行かせるべきじゃなかった!!」

 

号泣し、中にいる物言わぬ息子にそうするように、体で棺をなでる母親。

あたし達もその様子を見ていると、イエスさんがあたしに向き合った。

何も語らず、あたし達は意思を通わせる。

 

「……左手に告げるなかれ。事が済んだらすぐに走って帰りましょうね」

 

「ありがとう、里沙子」

 

彼は市場を一歩一歩踏みしめながら、兵士に囲まれた棺に近づく。

やがて、その見慣れぬ姿に気づいた民衆達からガヤガヤと声が上がる。

そして、イエスさんが棺に近づくと、気づいた兵士達が彼に銃を向け、静止を命じる。

でも、彼は気にせず、棺に涙を落とし続ける母親の肩を抱いて優しく告げた。

 

「泣かないで。もう悲しむ必要はありません」

 

「あなた…は?」

 

イエスさんはただ微笑むと、周りの兵士に言ったの。

 

「棺を開けてください。彼がいるべきはここではない」

 

「何を言っている!きさ…ま……」

 

銃を向けていた兵士も、彼のどこまでも優しい眼差しに毒気を抜かれて、

目で将軍に指示を乞う。将軍も彼に瞳に何かを見たようで、

 

「棺を開けよ!」

 

と、相変わらずうるさい声で命令した。すかさず兵士達が棺桶を開ける。

中には立派な騎兵隊の軍服に身を包んだ若者が眠っていた。

胸に銃創。きっとこれが致命傷だったのね。

それを見たイエスさんは、ただ、一言を告げた。

 

 

「若者よ、起きなさい」

 

 

異様な光景にその場にいた全ての者が口を閉じ、夕陽が照らす広場を静寂が包む。

その時、奇跡は再び起きた。棺の中で眠っていた若い兵士の指がわずかに動き、

目が徐々に開かれ、ついにその身体を起こした。

そして、そばにいた母親にこう言ったの。

 

「……母さん?」

 

「ライアン!!」

 

母親がライアンという兵士を思い切り抱きしめる。

ライアンもまた母を抱きしめ、背中を撫でる。そのあり得ない奇跡を目の当たりにし、

言葉を失っていた皆が、一人、また一人と我に返り、口々に驚きの声を上げ始める。

 

 

“奇跡だ……”

“生き返ったわ!”

“あの男は一体誰なんだ!?”

“マリア様の御使いだ!そうに違いない!”

 

 

まずいわね、騒ぎになり始めた。あたしはイエスさんに駆け寄って、その手を取る。

すると、気づいた将軍があたしに問いかけてきた。

 

「待て、リサ!その御仁は貴女の知り合いなのか……?」

 

「今日出会ったばかりですの!明日この人とお会いいただきたく存じます!」

 

「それは構わんが、彼は一体何者なのだ!?」

 

「イエス・キリストです!ごめんあそばせ!」

 

どんどん騒ぎが大きくなる。急いで逃げなきゃ、既に物好き共が追いかけてきてる!

 

「ジョゼット、遅れるんじゃないわよ!」

 

「はいー!」

 

「やはり群衆の前で奇跡を起こすのは無謀だったのでしょうか」

 

「さっきの場合はやむを得ないわね!イエスさんも早く走って!」

 

そして、街道を全速力で走って野次馬を振り切ったあたし達は、

すっかり息切れ状態で教会に飛び込んで鍵を掛けた。

確かあたしはインドア派って話だったはずだけど、

毎回何かしら体力勝負みたいなことやらされてる気がする。

とにかく呼吸が整うまで10分くらいかかったわ。

窓の外を見ると、とっくに陽は落ちてる。

 

「もう、ここまで逃げれば大丈夫でしょ。ああ疲れた」

 

「やっぱり死者を蘇らせるのはインパクト強すぎましたね~」

 

「どうしましょう。これでは父の教えを広めることができません」

 

「そーだ!わたくしにいい考えがあるんですけど……」

 

「悪いけど二人共後にしてちょうだい。あたしは疲れた。飯食って寝る。

ジョゼット、惣菜パン3つ温めて。あたしは牛乳出しとくから。

あんたもあたしも今から料理するとか苦行でしょ」

 

「はぁい」

 

それから、あたし達はジョゼットが温めた惣菜パンと牛乳1瓶の夕食を済ませた。

やっぱりイエスさんは、いただきますの代わりに父上と精霊に祈りを捧げてた。

簡単な夕食だったけど、イエスさんが文句を言うはずもなく、

全員風呂に入って寝ることにした。

 

食事の後、イエスさんにシャワーの使い方を教えて

あたしが脱衣場でバスタオルを準備していると、

中から“恵みの雨”だの“天界の温もり”だの聞こえてきた。

クリスチャンの方々に朗報よ。天国は結構簡単に再現できるらしいわ。

 

あらやだ。大事なこと忘れてた。ベッドがない。

ベッド自体は空きがあるけど、布団がないのよ。しまったわ……

しょうがない。またジョゼットと2人で寝ましょう。

寝てる間にちょっかい掛けないよう釘を差すため、彼女を探していると、

聖堂の長椅子に座ってなにやら難しい顔をしてた。

 

「どうしたの、考え事なんてあんたらしくない」

 

「ひどっ!まるでわたくしが直感だけで生きてる野生児みたいに!」

 

「大して違わないでしょうが。

それより、今日、イエスさんのベッドがないからあんたの貸してあげなさい。

あんたはあたしと一緒に寝るの」

 

「本当ですか?やったー!」

 

「もうすぐ四捨五入したら30の女と寝て何が楽しいの?

とにかく、寝てるときに背中つついたりしたら、またゲンコツだからね。わかった?」

 

「里沙子さんもわたくしをつついてくれていいんですよ?つつきあいっこしましょうよ」

 

「じゃあお言葉に甘えて拳でつつくことにしましょうか」

 

「うっ、冗談ですよぅ……」

 

その後、シャワーで汗を流したイエスさんも聖堂にやってきた。

 

「今度は水をワインに変えずに沐浴をすることに成功しました。

とても気持ちがよかった。ありがとう」

 

「それはなによりだわ。あのワイン風呂の臭いは正直吐き気がしたから。

ああ、それとごめんなさいね。パジャマ買うのすっかり忘れてたわ。

悪いけど、今夜は服のままで寝てちょうだい」

 

「こんなに素敵な服を着て寝られる私は幸福です。では、私はお先に休ませて頂きます」

 

「ええ、おやすみなさい……ってちょっとちょっと!」

 

「あの、何か?」

 

何か、じゃないわよ。いきなり長椅子に布団も掛けずに横になるからびっくりしたわ。

 

「そんなところで寝てたら風邪引くわよ。

住居の2階、階段から見て右手の部屋にジョゼットのベッドがあるからそこで寝て。

この娘はあたしと寝るから」

 

「朝から夜まであなた方が与えてくださった厚意は、まるで日輪の輝きのようです。

旅の間は野宿ばかりだったので、このような安らぎは久しくありませんでした。

ありがとう」

 

「本当に大げさなんだから。グンナイ」

 

で、今度こそイエスさんは2階に上がっていった。

お願いだから今日はこれ以上の騒ぎは勘弁してね。マヂで疲れてるから。

 

「ジョゼット、あたし達もシャワー浴びてさっさと寝るわよ。

明日将軍に会いに行くんだから、9時には出たい。

遅刻は理由の如何を問わず極刑に処す」

 

「ど、努力しま~す」

 

その後、あたし達もシャワーで汗を流してパジャマに着替えて早々にベッドに入った。

ジョゼットと一緒に寝るのは何話ぶりかしら。まぁ、どうでもいいわ、そんなこと。

ランプを消すと真っ暗になる。おやすみなさい。

 

地球では豆球付けないと寝られない派と、付けると寝られない派がいるけど、

違いは何なのかしら。あたしは付けない派。

あんなのが天井にあったら鬱陶しくて寝てらんないわ。

しかし……さすがに釘を刺しといたから抱きついたりはしてこないけど、

ジョゼットが微妙に身体を押し付けてくる。本当、子供じゃないの?

お陰で前回よりはよく眠れたけど。

 

翌朝。時計を見ると朝7時。ジョゼットはまだ寝てる。

とりあえずのんびり身支度しようとジョゼットをまたいでベッドから下り、

顔を洗って歯を磨く。そんで服に着替えていつも通り三つ編みを編んで軽く化粧する。

ガンベルトも装着完了。朝食はイエスさんが起きてからでいいわよね。

 

と、思ったら廊下から足音が。あら、もう起きたみたい。

あたしは私室のドアを開けて話しかける。

 

「おはよう、イエスさん」

 

「おはようございます。里沙子」

 

「ちょっと待っててね。今ジョゼット叩き起こしてパン焼かせるから」

 

「いいえ、朝食は私に任せてください」

 

「あ、そう言えば」

 

その後、起きてきたジョゼットが身支度を終えるのを待ったあたし達は、

テーブルに着いていた。出したのは1人1瓶の牛乳だけ。

 

「あのう、わたくし、本当に何もしなくていいんですか?」

 

「今日だけはね。見ててごらんなさい。面白いことが起きるから」

 

イエスさんは棚に積んであったカゴを手に取り、語りだした。

 

「里沙子、ジョゼット。昨日は本当にありがとう。

私にはこのようなことしかできませんが、感謝の気持ちとして受け取ってほしい」

 

さあさ、お立ち会い。彼がカゴを天に掲げると、不思議な事が起こる。

空のカゴに次々と白パン、クロワッサン、塩パン、色々なパンが現れたの。

たちまちパンで山盛りになったカゴを見て仰天するジョゼット。

 

「ええっ!ええ?なんですかこれ!?どうなってるんですか!」

 

「父の恵みです」

 

「イエス・キリストの奇跡の一つよ。パンを生み出し多くの人に食べさせる」

 

「神様って凄すぎる……」

 

「さぁ、どうぞ召し上がれ。温かいうちに」

 

実際どのパンもホカホカで、

街のパン屋でも食べられないような焼き立てのいい香りに食欲が刺激される。

ちぎって口に運ぶ手が止まらない。シンプルな味付けだけど、

それが素材の味を引き立ててる。素材の出どころは不明だけど。

 

「ふぅ。ごちそうさま」

 

「おいしかったですー」

 

「喜んでもらえて、私も嬉しい」

 

朝っぱらから満腹になるまで食べちゃったわ。

さて、そろそろ将軍のところに出かけましょう。片付けは帰ってからでいいわ。

 

「じゃあ、イエスさん、ジョゼット、出かけましょう」

 

「はい!手土産の砂糖菓子もバッチリです!」

 

「参りましょう。この地を守る百人隊長の居城へ」

 

それで、あたしらは連れ立ってハッピーマイルズ・セントラルの将軍を訪ねるべく、

外に出る。……ことができなかった。玄関のドアを開けた瞬間、また閉めて鍵を掛けた。

 

「何考えてんのよあのアホ共は!」

 

「どうしたんですか~?」

 

「窓から外見てごらんなさい!」

 

「外って……キャア!」

 

教会が市場、いや、ハッピーマイルズの連中全部に包囲されてて、

外に出たら間違いなくもみくちゃにされる。外からなにやら声が聞こえてくる。

 

 

“マリア様の御使いに会わせてくれー!”

“天使様、お顔だけでも!”

“聖母様バンザーイ”

“あのお方がわしの目を治して下さったんじゃあ!”

“乞食の爺さん!?詳しく聞かせてくれ!”

 

 

「イエスさん、悲しいお知らせ。外に出られなくなった」

 

「何故でしょう」

 

「昨日、あなたの奇跡を見た連中が押し寄せてる。

次にドアを開けた瞬間、この教会がパンクするほどの人間がなだれ込んでくるわ。

とりあえず今は将軍のところへは行けない」

 

「ああ、父よ。これも一つの試練だというのですか。

私に空を飛べとおっしゃるのですか」

 

「あなた一人ならできるかもね。でも生憎あたしたちには翼がない」

 

外の連中の声はますます大きくなる。

いっそ野盗の襲撃ならダイナマイトでドカンだったのに……!

どうしてくれよう。イエスさんを連れ出すにはどうすればいいのかしら。

 

 

 

 

 

ちっとも楽しくねえクリスマスは始まったばかり。続きは今夜18時頃ね(怒)!!

 

 




キリスト教に関する知識は付け焼き刃なので、いろいろ矛盾があると思われますが、
広い心でお許し頂けると幸いです。

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