この独り言タイトル、番号振ったほうがいいのかしら。そろそろごちゃついてきたし。
「う~ん、幸せ……」
あたしは昼寝から目覚めると思い切り伸びをした。
ベッドのそばの窓際では、苦難の末に取り戻したミニッツリピーターが日差しを浴びて、
上品な輝きを放っている。
この世界に来てから、色々面倒事厄介事喧嘩事の連続で心労が溜まってたのか、
昼寝をしても夜に熟睡出来るスキルが身についた。
喜んでいいのか微妙だけど、あたしは今、幸せよ。
幸せだから面倒な来客にも対応する。
ジョゼットはどこほっつき歩いてるか知らないけど、
とにかく玄関のドアを叩く音がするから聖堂に向かう。
開けるかどうかはまだわかんないけどね。
また、コンコンとドアを叩く音と、のんびりした女の声がする。
はいはい、ちょっと待ってちょうだいな。
“ごめんくださ~い”
「どなた?この教会は日曜以外お休みなの、ごめんなさいね~」
“え~?そんなこと言わないで、見学だけでもさせてくださいよ~”
「だめだめ、一人特別扱いしたら我も我もになっちゃうでしょ。
日曜になったら5G持ってまた来て」
50Gから大幅に値下げしたのには理由がある。
1つは、あたしにとっては未だにピンと来ないんだけど、
街の連中にとって50Gは割りとキツい金額らしく、要求した所で初めから出せないこと。
ジョゼットにそれとなくもっと出せと言わせても、無い袖は振れないらしく、
ノルマには到底及ばない。ないものねだりしてもしょうがないわ。
2つ目。あんまりしつこく大金ふっかけても、客足が遠のく。
ミサに行ったら大金ぼったくられたなんて噂が立ったら誰も来なくなるわ。
そうなったら50どころか0よ。うちはどっかのカルト宗教じゃないの。
3つ目。金時計を取り戻した時に儲けたお金が有り余ってて、
もうそれほど金集めに精を出さなくても生活していけるから、
貧乏人から巻き上げる必要がなくなったってことね。
教会運営の補助金もあるからなおさら。
でも、日曜限定営業を変えるつもりは絶対にない。
自分のスペースに誰かがいるだけでイラつきが頂点に達するようなあたしの家に、
毎日他人が出入りする事態になったら、精神的負荷で脳細胞が急速に死んでいく。
だから、この女もなんとしても追い返さなきゃいけない。
“お願いします~先日、こちらに尊いお方がお見えになったと聞いて、
帝都から飛んで来たんです~”
ああ、そういうことか。イエスさん騒ぎがまだ尾を引いてるのね。
とっくにクリスマスも終わったってのに熱心なこと。
でも、どこから来たのかなんて知ったこっちゃないわ。
あんまりしつこいようなら、窓から威嚇射撃を敢行しよう。
……と思ったらジョゼットが聖堂に駆け込んできた。
「どうしたんですか、里沙子さーん?」
「どこ行ってたのよ。イエスさん目当ての信者が来たんだけど、
ちっとも帰る気配がない。あんたからも今日は休みだって言ってやんなさい」
「え、駄目じゃないですか!確かにイエスさんの存在は認知されましたけど、
教えそのものはまだまだ広まってないんですから!
熱心な信者さんに地道に教えを説いていかなくちゃ。今開けまーす」
「ちょっ、馬鹿、何やってんの!?」
ガチャッ。あ、開けやがった!この尼……!
この家が誰のものなのか完全に忘れてやがる!
ははっ、思い出させるには10発じゃ済みそうにないわねぇ?
笑顔で変なやつ招き入れてんじゃないわよ、後で覚えてらっしゃい!
「お邪魔しま~す」
そいつがトランクを抱えながらぴょんと敷居を飛び越えて聖堂に入ってきちゃった。
どうせまともな奴じゃないんでしょうね。昼寝の余韻がイラつきに変わる。
彼女があたしを見てニッコリ笑う。歳はあたしと同じくらいかしら。
顔は悪くない。というか、柔らかい雰囲気を持った美人だけど、
顔がいいやつがまともだとは限らないのは経験上学習済みよ。
眼鏡を掛けたミディアムロングで、
後ろだけ腰まで長く伸ばして、編んだ一房を垂らしてる。先端がなんだか絵筆みたい。
明るいベージュのベレー帽を被ってて、同色のセーター、
赤いチェックのロングスカートを履いてる。
まぁ、都会から来ただけあって身なりはきちんとしてるけど、
何考えてるかわかりゃしない。
「あなたにも会いたかったのよ、斑目里沙子さん」
「もうあたしを知ってても別に驚かないわ。
イエスさん騒ぎで良くも悪くも有名んなっちゃったからねぇ、家も住人も!
ならイエスさんの言いつけ、夢で聞いたわよね?
無闇にここに押しかけんな、あたしらに迷惑かけんなって!」
「わたくしはお茶を入れておきますね~」
「こら、待ちなさいジョゼット!あたしに変なの押し付けて逃げんじゃ……
くそ、逃げやがった。まあいいわ、後で百叩きにするとして、とにかくあんた!
今日はコーヒー飲んだらさっさと帰るのよ!?」
「里沙子ちゃん」
「何よ」
「くんくん、くんくん……」
「ちょっと、何してんのよ!何いきなり人の臭い嗅いでんの!
寝汗で濡れてるから、ちょ、やめ!」
お巡りさんこっちです!変な女が接近してあたしの首筋を入念に嗅いできた。
やっぱ変質者だった!あたしも迂闊だったわ。この物語が始まってから、
突然訪ねてきたやつにまともなのがいた試しがないって、今更ながら思い出した。
あたしがピースメーカーに手をかけようとした時、
そいつは嗅ぐのをやめて、喋りだした。
「やっぱり!強い神性が残ってるわ。きっと“彼”の恵みを受けたのね~」
「出ていきなさい。退去命令無視は射殺されても文句は言えなくてよ」
今度こそピースメーカーを謎の女に向けて警告する。
でも、そいつは急に真剣な表情になって、あたしの手を両手で包み込み、
優しい声で語りかけてきた。
「私は、芸術の女神マーブル。突然押しかけてごめんなさい。
どうしても彼が降り立った聖地を訪れたかったの……」
「馬鹿、やめなさい!トリガーに指がかかってる!
わかったから、とりあえず話だけ聞いてやるから放しなさい!」
マーブルとか言う女が手を放すと、慌ててホルスターに銃を戻した。
芸術の女神ですって?どうでもいいけど、変な奴には逆らうなって母さんも言ってたし、
結局あたしは諦めてこいつの相手をしてやることにした。
「……で、さっきの質問だけど、イエスさんは夢に出なかったの?」
「同じ神である私のところにはおいでになりませんでした。
彼はあくまで人を導く存在ですから」
「よーするにハブられたのね。
まあ、とにかく。お茶くらいは出したげるから、本当にすぐ帰るのよ?」
「ああ……この空間も神聖な空気に満ちています~くんくん」
「聞いてんの!?」
あたしはマーブルとかいう自称芸術の女神をダイニングに連れて行った。
その頃にはもうジョゼットがコーヒーとお茶菓子を用意して待っていた。
「さあどうぞ召し上がれ~」
「ありがとうジョゼットちゃん」
「あれ、自己紹介しましたっけ?」
「どっかで聞きつけたんでしょ。
イエスさんの件以来、あたしら変な方向で有名になっちゃったから」
「それはもう。帝都でもお二人のことは有名ですよ~私は芸術の女神マーブル。
普段はこの人の姿で路上の似顔絵描きをしています」
「……ふん、なんで芸術の神様とやらがそんなショボい商売してんのよ」
あたしはテーブルに着いてコーヒーを一口飲んで尋ねる。
そしたら、マーブルがチョコチップクッキーに伸ばしかけた手を止め、
自嘲気味の笑顔を浮かべてつぶやいた。
「お金が、ないとです……」
どよ~んとした雰囲気を出してうなだれる。これはマジっぽいわね。
ちょっと面白くなったあたしは、もう少しつついてみることにした。
「なーんで神様がお金なんか欲しいのよ。別に食べなくても死なないんだし、
あたしみたいにごろ寝生活してればそれでいいじゃない」
「仮にも芸術の神である私が、みすぼらしい格好をしている訳にはいきませんから、
流行や季節に合わせたファッションを整える必要があるんです!
つ、つまり……素敵な服や靴が欲しい!
それに、神様だって死ななくてもお腹は空くんです。
飢えを凌ぐために3食パンの耳で過ごす日なんて珍しくありません、まる」
後ろ髪の束がしょぼくれた犬の尻尾ように垂れ下がる。
「呆れた。ファッションオタクのクソ女じゃない」
「里沙子さん、ストレート過ぎます!いつものひねりはどうしたんですか!?」
「ハハ……いいのよジョゼットちゃん。
どうせ私なんて神様ランキングでも下から数えたほうが早いへっぽこなんだし」
「もう、なんなのよ。いきなり押しかけてきたと思ったら、今度は急にへこみだすし。
あんた本当に神様?最初の勢いはどこ」
まぁ、へこませたのはあたしなんだけど。
ちょっと可哀想だから前向きな方向に話を持っていく。
「神様だったらさぁ、うちの教会みたいに、献金集める場所とかないの?
縁のある古代建築とか、ほこらでもなんでもいいわ。
コイン投げ込んだら幸せになれる噴水とか」
「あるにはあるんですけど、ちょっと古くて。写真見ます?」
マーブルがトランクを開けて荷物を探りだした。
中を覗くと、絵を書いてるのは本当らしく、
絵の具やパレットといった画材道具がたくさん入ってた。
ようやく彼女が1枚の写真を取り出してあたしに渡した。
受け取りながらやる気なく励まそうとしたけど……
「大丈夫よ。うちだってボロボロだけど毎週客が──」
絶句。ひどすぎる。誰に撮ってもらったのか知らないけど、
ところどころ壁が崩れた赤レンガの洋館前で、マーブルが笑顔でピースしてる。
なんで自分ちの窓ガラス全部割られてるのに笑っていられるのかしら。
壁面の大部分が蔦で覆われてるし、明かりもついてないから、
入ってくんなオーラ丸出し。
「なにこれ、バイオハザード7?腕ちょん切られた屋敷とそっくり」
「なんだか知らないけど里沙子ちゃんさっきからひどいです!
ジョゼットちゃ~ん、里沙子ちゃんがいじめる~」
マーブルがジョゼットの手を握って情けない声を出す。
ジョゼットに泣きつくようじゃお終いよ、と言いかけたけど、
流石にこれ以上は死体蹴りになるからやめといた。
「里沙子さん!いくらなんでも言い過ぎです!女の子泣かせるなんて!
……マーブルさん、大丈夫ですよ。
里沙子さん、口は悪いけどなんだかんだで、どうにかしてくれる人ですから!」
「はぁ!?あたしにどうしろってのよ!っていうか勝手に決めないでよ!」
「本当ですか!?私の信仰を取り戻してくださるとおっしゃるの?」
「まるで昔はあったみたいな言い方ね」
「そう、かつてこの屋敷は神殿であり美術館でもあったんです。
画家志望の学生が集い、その腕を磨き、私に信仰を寄せる彼らの才能に働きかけて、
多くの有名画家を育ててきました。才能ある学生の人生を花開かせる美術館として、
私はこの屋敷で崇められてきたのですが……
やがて帝都に売れっ子絵師の講師がたくさんいる美術大学が出来ると、
私の存在は徐々に忘れ去られ、館に来る者はいなくなり、
結果寄付金もみるみるうちにゼロになってしまったんです。ヨヨヨ……」
「それで、嘘泣きしてあたしらにどうして欲しいわけ?」
「もう、里沙子ちゃん全然容赦な~い!
……別に、学生を呼び戻してくれとか、屋敷を綺麗にしてくれとか、
図々しいお願いをするために来たわけじゃないんです。
ただ、アースで最も信仰を集める神様の、神としての在り方を勉強したくて……
でも、イエスさんはもうお帰りだし、
マリア様はどちらにいらっしゃるのか見当も付きません。
だからせめて、彼が降臨した教会に仕える聖職者の方々にお話を聞きたかった、
ただそれだけなんです。それはどうか信じてください……」
両手でコーヒーカップを握りながら寂しそうに語るマーブル。
尻尾みたいな後ろ髪も元気なく揺れている。そうは言われてもね。
帝都なんて正確な距離は知らないけど、このオービタル島のど真ん中。
このハッピーマイルズ領のはるか遠くに住んでる彼女のために出来ることなんてねぇ。
とりあえず状況を整理しましょうか。
「……まずね。イエスさんを参考にしようってのが無理な話。
彼のしてきたことは、どれもこれも、それができりゃ苦労しねえよレベルだから。
あんたに出来ることを地道にやってくしかないでしょう」
「それがわからないからマーブルさんは困ってるんじゃないですか!
わたくし達で何か考えましょうよ!」
「はい、どうせなんにも考えてないやつは黙る。とりあえず帝都まで行くとしても、
交通費だけで何千Gかかるかわかんないからねぇ……」
あたしが考え込んでると、マーブルが立ち上がってちょっと無理した笑顔を浮かべた。
「いいんです。困らせちゃってごめんなさい。今日は本当にありがとう。
話を聞いてくれただけでも気持ちが楽になりました。
しょうがないですよね、絵を書くことしか取り柄のない神様なんて、
それなりの信仰しか集まらなくって当然なんです。
……それじゃあ、私はそろそろ失礼します」
帰るって言ってるんだから別に放っといてもいいんだけど……
なーんか負けた気になるわね。マーブルがトランクを持って立ち去ろうとする。
彼女が歩く度に、中身の画材道具がガタガタと音を立てる。ん、絵を書く?
あたしは最後の可能性に賭けて、その背中に問いかける。
結局ジョゼットに乗せられた形になって癪だけど、余計な出費を浮かせられる。
「ねえ、あんた。絵が描けるって言ったけど、塗装も出来るの?」
「えっ?」
「もう見たと思うけど、この教会さ、
外壁の塗装がボロボロでそろそろ塗り直さなきゃって思ってるの」
マーブルがはっと振り返り、答える。
「もちろん、できます!壁も、大きなキャンバスと変わりませんから!」
あたしは空になったコーヒーカップを弄びながら、後ろを向くことなく聞いてみる。
ジョゼットはじっとあたしを見つめている。
「物は相談なんだけどさ、うちの壁塗り直してくれないかしら。
それで、絵を書いて欲しいの」
「何の絵、ですか……?」
「もちろん、マリアさんとイエスさんよ。
ここに来る信者が思わず跪くほど神々しい絵を壁一面にね。
そこにあんたのサインを入れるの。“芸術の女神マーブル”ってね。
代わりと言っちゃなんだけど、あたしらも少しはミサであんたのこと宣伝するからさ。
やるのはジョゼットだけど」
「里沙子さん……それ、とってもいいアイデアだと思います!
イエスさんの一件以来、いろんな領地の信者の方が訪れるようになりました!
皆さんが、マーブルさんの素敵な絵を見て土産話を持ち帰れば、
帝都の方たちも彼女を思い出してくれます!」
「まー、本来主母の肖像を看板にするのは違法なんだけど、
教会だって曲がりなりにも神様のやることに、いちゃもんつけたりはしないでしょう。
……やるかどうかはあんた次第だけど」
「……里沙子ちゃん、ありがとう!すぐ作品作りに取り掛かるわ!」
マーブルは駆け足で教会の外に飛び出していった。ふふっ、上手く行ったわ。
「すごいです!やっぱり、里沙子さんって根は優し……あ、笑顔が黒い」
「ふっ、塗装工雇う手間と金が浮いたわ。ふふふ……」
さてさて、芸術の女神様はどんなお仕事をしてくれるのかしら。
あたしは様子を見るため、ラングドシャを一つ口に放り込んで、外に出た。
おおっ、これにはちょっと驚いたわね。
マーブルが身体から淡い光を放つと、彼女の姿が都会的な洋服から、
真っ白な法衣に変わり、周りに幾つもの原色のオーブが現れた。
そして、ふわりと上空に浮上して、教会全体を見渡す。
「え~と、まずはざっと下地の色を塗りますね~」
マーブルが目を閉じ集中すると、後ろで束ねた長い絵筆のような髪が、
意思を持った生き物のように動き出して、
青と白のオーブに浸かり、毛先が水色に染まる。ああ、やっぱりあの髪、筆だったのね。
彼女が身体をひねって色付けした毛先を大きく振ると、
水色に光る粒子が教会に降りかかり、
ペンキよりむき出しの木の面積の方が多かったボロボロの壁を、
あっという間にムラのない水色に染め上げた。
これだけでも十分完璧なんだけど、肝心の神様を描いてもらわなきゃね。
マーブルが東側の壁近くに浮遊して、あたしに尋ねる。
「里沙子ちゃん、
マリア様の肖像画はたくさん見たことがあるのでイメージは湧くんですが、
イエスさんのお姿は見たことがありません。
どんなお顔立ちだったのか教えてくれませんか」
「そうね。まず、髪はセミロングで……」
あたしはマーブルにイエスさんの特徴をなるべく詳しく伝えた。
すると、彼女は納得した様子でうなずいた。
「わかりました。ここからは細かい作業も必要ですね。任せて~!」
マーブルがトランクに手をかざすと、
中から画材道具一式が飛び出して、彼女の手に収まった。
再び彼女が色のオーブに髪の絵筆をつけると、広い範囲の色を迷いなく塗り広げ、
細部を手に持った筆でどんどん仕上げていく。
その仕事の速さに、ふと、どうでもいいことを思い出してしまったあたしは
口に出してしまう。
「さあ、ここでバンダイキブラウンを使いましょう」
「え?この頭頂部の髪にはキャラバン・キャメルが良いと思うんですけど……」
「あ、ごめん、なんでもない。続けて。
昔、30分で油絵一枚描いちゃう凄い絵描きがいたのよ。
彼がしょっちゅう使ってたのがバンダイキブラウン。妙に面白くて毎週見てたの。
もう亡くなったけど、懐かしくなってつい声に出しちゃった」
ごめんなさい。趣味に走りすぎたわ。
知らない方は適当な動画サイトで“ボブの絵画教室”を検索してちょうだい。
一見の価値はあるわ。
「凄い人がいたんですね~私はのんびりしてるから、そんなに早くは描けません」
とは言え、彼女のスピードもなかなかの物よ。
ただの水色だった壁に、もう人の顔らしきものが浮かんでる。
髪の絵筆、ナイフ、ヘラ、刷毛を巧みに使い分け、どんどん描き進めて行く。
徐々に“彼”と“彼女”の姿が形になる。ジョゼットも呼んでやろう。
「ジョゼットー!ちょっといらっしゃい。凄いものが見られるわよ!」
「はーい!……わぁ、本当だイエスさんそっくり」
ジョゼットも未完成とは言え、壁一面に描かれたマリアさんとイエスさんに言葉を失う。
これが芸術の神、なのね。あたし達が立ち尽くしていると、
作業が一段落したマーブルが額の汗を拭って、さらに陰影を付けていく。
彼女は真剣に、でもどこか楽しそうに壁画を描き続ける。そして、1時間後。
「できたわ~!そういえば、こんなに大きな絵を描いたのは久しぶりです。
腕が鈍ってなくてよかった」
あっけにとられるしかなかった。
教会の壁で、あの日出会ったイエスさんと、はじめましてのマリアさんが微笑んでいる。
ジョゼットなんか目を潤ませて言葉も出ないみたい。
あたしも一言声をかけるのがやっとだったんだけどね。
「まだよ。サ・イ・ン!あんたの名前をこれでもかってくらい大きく書かなきゃ」
「あら、そうでした~最後の仕上げですね!
……う~ん、やっぱり主張しすぎてもだめね。いつも通り右下に、と」
マーブルは絵のバランスを崩さない程度の大きさで、“芸術の女神マーブル”と書いた。
そして、髪の太い絵筆を透明なオーブに付けると、
思い切り振って、また光る粒子を壁画に浴びせかけた。
「うん、保護剤で仕上げもバッチリ!里沙子ちゃん、ジョゼットちゃん、できました~」
あたし達のそばに降り立つと、
マーブルは法衣姿から洋服姿に戻ってその出来栄えに喜ぶ。
でも、あたし達は返事をするのに時間がかかった。
マリアさんとイエスさんが肩を寄せ合って優しい笑顔を浮かべている。
絵の中とはいえ、イエスさんとの思わぬ再会に言葉が詰まる。
でも、ずっとこうしてもいられない。
「マーブル。あんまり凄くて正直言葉が出ない。
来週のミサで信者が泣き出さないか心配なくらいよ。実際ジョゼットが泣きそうだし」
あたしの隣でジョゼットが顔を真っ赤にして涙をこらえている。
「やった!一生懸命描いた甲斐があります~!
……こんなに全力で絵を描いたのは随分昔のような気がします。
私、この絵がどんな結末を迎えようと後悔はありません。
楽しんで描く。一番基本的で大切なことを思い出せたんですから」
「今からそんな弱気でどうすんのよ。この絵は必ず、信者達の心を掴む。
これを描いたあんたへの信仰も、絶対に戻ってくる。
少し時間はかかるだろうけど、ちょっとの我慢よ」
「里沙子ちゃん、ありがとうございます。私にチャンスを与えてくれて。
既にイエスさんのご加護があるのに、こんなちっぽけな神を相手にしてくれて」
「別にいいわよ、礼なんて。イエスさんに言ったけど、
あたしは“なんとなく”で生きてるだけ。
ただ“なんとなく”で思いつきを言ってみただけよ。
まあ、塗装代……じゃない、お互いの利益になってよかったんじゃないの?」
「よくわかりませんけど、本当にありがとうございます。
私も帝都に帰って、自分に出来ることをしようと思います。
まず、自分のお家くらいは掃除することにしようかと。毎日少しずつね」
「それがいいわね。
信者が戻るにしても、神殿が使い物にならなきゃどうにもならないから」
「それでは、里沙子ちゃん、ジョゼットちゃん、お元気で。
帝都に来ることがあれば、是非私の教会を訪ねてくださいね」
「ほら、ジョゼット。いつまで泣いてんの。お別れくらい言いなさいな。
……それじゃあね、マーブル。ファッションも大事だけど、腹が減っては戦はできぬよ。
収入が安定するまで、なるべく着回した方が良いわ」
「えへへ、こればっかりは趣味も兼ねてるんで~」
「うぐっ、マーブルざん。ありがとうございばず!
マリア様とイエスさんがこんなにそばに……」
「ふふっ。気に入ってくれたみたいでなによりです。
私から人が離れていったのは、いつの間にか私自身が、
絵を描く楽しさを忘れていたせいかもしれませんね。
……では、これでお別れですね。
あなた達が信じる神が、光をもたらしてくれますように。さようなら~」
すると、マーブルの身体がゆっくりと空に浮かび上がり、
上空からあたしたちに手を振った。
そして彼女が帝都の方角へ向くと、次の瞬間、北へ向かって飛び去っていった。
あたしたちは彼女の姿が点になって消え去るまで見送っていた。
家に戻ったあたしは、特にやることもなく、寝転がってただぼんやりしていた。
隣の部屋からジョゼットの“痛いよ~”という泣き声が聞こえてくる。
今回も奇妙な客人が来たけど、撃ち合い殺し合いにもならず、
比較的平穏に過ごせたので、百叩きのところを25叩きで勘弁してやった。
1/4にまで減らしてやるなんて、あたしもお人好しが過ぎるわね。
悪い人に誘拐されないか自分が心配になるわ。
一ヶ月後。
あたしの元に一通の手紙が届いた。差出人は“芸術の女神マーブル”。
あれからミサに来る客は、皆一様に壁に描かれたマリアとイエスに圧倒されて、
ミサが始まる直前まで祈りを捧げていたらしいわ。
あたしは街で暇つぶししてたから現場は見てないけど。
ジョゼットにもそれとなくマーブルの紹介をするよう命じておいたから、
少なくとも状況は悪くはなってないはず。どれどれ。あたしは手紙の封を切る。
“里沙子ちゃん、ジョゼットちゃん
お久しぶりです。お二人はいかがお過ごしでしょうか。
私はあれから幸せな日々を過ごしています。
あの絵を見た人達が、私の話を持ち帰ってくれたおかげで、
かつて神殿で修行していた人達が私のことを思い出して、
再び立ち寄ってくれるようになりました。
その荒れた状況を見た皆さんが、清掃や補修工事を買って出てくれたおかげで、
神殿は元の姿を取り戻しつつあります。
また、美術大学に通っている学生たちも、芸術の女神である私の存在を知って、
祝福を求めて新たに神殿を訪れるようになりました。
少しずつですが、私の家にも賑わいが戻り始めました。本当に、ありがとうございます。
お二人のおかげで、まだ少しですが、信仰を取り戻すことができました。
その力の一部を同封しておきます。好きなものを絵に書いて必要な時に念じると、
なんでも1時間だけ実体化させることができます。
まだこの程度のことしかできませんが、何かのお役に立てば幸いです。
それではお体にお気をつけて。 芸術の女神 マーブル
追伸:自炊をはじめました。ちゃんと3食食べてます”
「まったく、貧乏なのに自炊もしてなかったなんて。
節約メニューならもやし炒めがお勧めよ。
塩コショウで炒めるだけで立派なおかずの出来上がり……じゃなくて、
他にも何か入ってるわね」
封筒を覗いてみると、手紙の他に1枚の真っ白なカードが入ってた。
なんでも1時間だけ創り出せるって話だけど、何にしようかしら。
1時間で消えるなら……武器はだめね。お金は、あんまりにもつまらない。
今のあたしに必要なのは、以前も考えたけど、強力な兵器ね。
でも、今言った通り、1時間で消えちゃうからアテにならない。
まあ、別に今すぐ決める必要はないんだし、後でゆっくり考えましょう。
あたしはスマホにイヤホンを差し込んで、気分転換に音楽を聞き始めた。
<キュオーン、チャラララ、チャラララ、チャララララ……♪>
あっ!懐かしの音楽を聞いて閃いた。武器が駄目ならボディーガードを作ればいいのよ。
悪魔も震え上がるほど、とびきり強力なやつ。正念場の一戦を凌げればそれでいい。
あたしはデスクに着いて、色鉛筆でカードに絵を描き始めた。
ふふふ、こいつに勝てるやつはいるのかしら。
あたしは鼻歌を歌いながらその勇姿を描く。できた。
カード自体が小さいから10分ちょいで描き終えたけど、
これなら財布に入るからちょうどいいわ。
まぁ、これを発動することなんてそうそうないだろうけど。
って思ってたのよ、その時のあたしは。
*みなさん、良いお年を。