また奴のクロスオーバー癖が出そうな気配。両方の作品を熟知してないと駄目なんだって何回言えばわかるのかしら。
桜の花も終わりを迎え、すっかり冬の装いが暑くなった今日このごろ。
ハッピーマイルズ教会の愉快な面々も、冬と夏の間に訪れる穏やかな気候に包まれ、
いつもどおりの生活を送っていた。
つまり、斑目里沙子は、荒れていた。
「だぁ~かぁ~らぁ~!ウォッチドッグスは、例えるなら1作目がダーティハリーで、
2作目がビバリーヒルズコップなのよ!うぃっく」
「ああ、また里沙子さんの意味不明談話が始まっちゃいました!
とにかく、わたくしのベッドに横になって下さい!」
ジョゼットの肩を借りて、彼女の寝室に向かう里沙子。
千鳥足で一歩一歩階段を上る様子は、なんとも頼りない。
「2作目も2作目で面白かったけど、
あたしが期待してたのは、1作目のような渋いクライムサスペンスだったのよ。
ああいうリア充の冒険物語じゃない!
アメリカのお菓子をばらまいたようなカラフルさは求めてないのよぉ!!」
「ほら、ベッドに寝ててください。お水持ってきますから」
「あうあ……悪いわね」
ルーベルは呆れ半分苛立ち半分と言った様子でその様子を眺め、
エレオノーラは焦りと心配の入り交じった感情で里沙子に問う。
「どうして飲んでしまったのですか!?今日にも帝都から返事があるというのに……!」
「放っとけ、放っとけ。
同じ失敗繰り返す馬鹿は、簀巻きにして皇帝の前に捨てっちまえばいいんだ。
そのみっともない姿を見てもらえ!」
ベッドに寝転んだ里沙子が、ヘラヘラと笑いながら意味不明なうわ言を繰り返す。
「ごめんね~エレオ。
チビ助共が来てから事が済むまで禁酒しようとは思ってたんだけど~
つい我慢できなくなっちゃって。
ちょっと舐めるだけのつもりだったんだけど~アルコールが入るとペースが、
スピーダッ!スピーダッ!って感じで加速度的に急上昇しちゃったの。
なんでボスなのに放置しとくだけで死んじゃうのかしらねぇ……」
「……わたしは下で連絡を待っていますから、なるべく早く体調を戻してくださいね」
エレオノーラはこりゃだめだ、と言いたげに、首を振ってその場を離れた。
すると、入れ替わるように、ワカバ達が心配そうに様子を見に来る。
「りさこさん、大丈夫ですか?」
「アハハハ!ざまあないわね里沙子!まるでタコみたい!」
「どうして人間は、お酒を飲むとフラフラになるのかな」
「よーく見とけ。お前らはこんな大人になるなよ」
彼女達の言葉も耳に入っていない里沙子は、
ただ仰向けになりながら回転する世界を楽しむだけだった。
そして、階段を駆け上がる控えめな足音が近づいてくる。
「は~い、みんな。ちょっと通してね……里沙子さん、お水です」
ジョゼットが水差しとコップをお盆に乗せて戻ってきた。
すぐにコップに水を注いで、里沙子に飲ませる。
「あう~助かるわ……ぷはっ。
やっぱり装備は、ミサイル上下にオプション5個引き連れてレーザー斉射が最強よね。
他は使い所わかんない」
「意味はよくわかりませんが、
それ以上は古参の人達からクレームが来そうなのでやめてください。
里沙子さん、魔王がいなくなってからちょっとずつダメ人間化が進んできてますよ。
もうちょっとピシッとしてください。
前はもっと締めるとこは締める人だったじゃないですか」
「もう一杯ちょうだい……ありがと。
ふぅ、だんだんジョゼットの方がしっかり者になって、
あたしがアル中で肝硬変になって、この物語もそろそろ終わりかもね」
わずかながら酒が抜けた里沙子が遠い目をして語る。
「ダメです!せめてこの子達が落ち着く所は見つけてもらわないと」
「そうですよー。永遠に寝る前にワカバ達が魔界に帰る方法見つけてくださーい!」
「あ、私は絶対嫌だからね!?魔界なんてホコリ臭い所、二度とごめんだから!」
「ん~お願い、酒が入ってる時に両立し得ない要求突きつけるのはやめて。
ああ、頭痛が」
その時、音もなくエレオノーラがカシオピイアを連れて舞い戻ってきた。
「お姉ちゃん。大変」
「帝都から呼び出しが掛かりました!今すぐ出発の準備を!」
「帝都ぉ?あたし今、世界と戯れてるから無理。
みんなで行ってきて、結果報告だけキボンヌ。ウヘヘ」
「こんのやろ!」
呑気にゴロンと寝返りを打つ里沙子を見て頭が真っ白になったルーベルは、
ふにゃふにゃになった里沙子に襲いかかった。
ええと、エレオノーラの、何だったかしら。
そう、“神の見えざる手”で、久しぶりに帝都まで来たのよ。
チビ助共に穴の開いたズタ袋被せて、それから……ああっ!
「本当に簀巻きにすることないでしょうが!聞いてんの、ルーベル!」
「うるさい!へべれけのお前を担いでやってるのは誰だと思ってる!さっさと行くぞ!」
「うぃ~っ、怖いお姉さんに誘拐される~」
「里沙子さん、本当に静かにしてください。
今、皇帝陛下とお祖父様が謁見の間でお待ちですから」
「お姉ちゃん、大人しくして……」
エレオノーラがあたしを心配しながら、教会の関係者専用出入り口に皆を先導する。
通行人があたし達を珍しそうに見るけど、幸い顔が見えてるあたしに集中して、
チビ助共には気が向いてないっぽい。
とにかく、あたしはルーベルに担がれながら、
いつもとは別ルートで教会に入ったわけよ。
それにしても、最近ルーベルがあたしに厳しい気がするのは気のせいかしら。
「ほら、お前たち。もう袋脱いでいいぞ」
「蒸し暑かったです……」「どうして私がこんな目に!」「転ばなくてよかったー」
チビ助がエレファントマンよろしく素顔を隠していたズタ袋を脱ぎ捨てた。
連中が法王の前で“I’m a human(僕は人間だ)!”って叫んだら、
“いやいや、悪魔やないかい!”って突っ込みが成立するんだけど。
あら、このボケ結構行けるんじゃないかしら。
う~ん、まだ酒は抜けきってないみたい。どうでもいいことに笑いが漏れてしまう。
「何笑ってんだ。お前は罰としてそのままだ。自分でそうなった理由を説明するんだぞ」
「ウヘヘ」
とりあえずルーベルがゴミにならないよう、ズタ袋を拾って鞄にしまう。
初めてここに来た時はあたしが引率してたもんだけど、すっかり彼女がリーダーね。
あたしの地位が階段から転げ落ちるように急落していくわ。
……虚しいから話を戻しましょうか。
それほど高価な素材じゃない、防音用と思われるカーペットが敷かれた廊下を進むと、
突き当りに年季の入った扉があって、エレオノーラがノックする。
「お祖父様、エレオノーラです。子供たちを連れて参りました」
“入るが良い”
「あの、その前にお断りしたいことが……里沙子さんの体調が思わしくなくて、
少々お見苦しいところをお見せしなくてはならないかと」
“里沙子嬢が?一体どうしたというのだ。とにかく顔を見せて欲しい”
お、この渋い声は皇帝陛下ね。最後にお会いしたのは魔王編の最後かしら。
嫌だわ、化粧くらいしてくるんだった。ぐへへ、この有様じゃ意味ないっての。
エレオノーラがドアを開けて、みんながぞろぞろと謁見の間に入っていく。
恐らく来賓用の豪華な椅子に座る皇帝陛下と、同じく玉座に腰掛ける法王猊下が、
あたしを担ぐルーベルを見てギョッとする。
そしてあたしは、無残に部屋の真ん中に放り出されたの。
「ギャッ!ルーベル痛い!この状態じゃ受け身取れないから!悪いけれどそんな想い─」
「うるさい。身から出た錆だ。ネタの使い回しをするな。
さっさと簀巻きになってる理由をお二人に説明しろ」
なんとかくねくねと身をよじって、藁の束から上半身だけ抜け出したあたしは、
まだぐらつく視界の先にいる二人に、大きな声で元気よく挨拶した。
「キャー、ピースして~!皇帝様、法王様、こんにちは!
呼ばれて飛び出て斑目里沙子よ!こんな格好してるけどね、あたし全然酔ってないの。
シラフよシラフ。今日だってちゃんと言われた通りチビ助連中連れてきたんだから!
ぐへへへ」
「もういい、お前は黙ってろ!お前は連れて来られたほうだろうが!」
突然、法王の部屋に現れた変質者に、さすがの二人も状況を飲み込めない。
「皇帝陛下、お祖父様、申し訳ありません!里沙子さんは最近辛い出来事が重なって、
一人でそれを抱え込むうちに、お酒に手を……」
「ふむ、しこたま飲んだようじゃな。深くは聞くまい。
エレオノーラ、今日はお前が里沙子嬢の代理を務めるのだぞ?」
「はい、承知しました」
「確かに、対応に手間取り、急に呼び出した我々に落ち度はあるのだが……
酒は控えめにせぬとやはり毒だ。気をつけよ」
「ハイ、かしこまり!」
ウィンクして元気よく返事をした。これで挨拶はバッチリね!
「黙れと言ってる!さあお前たち、法王猊下と皇帝陛下にご挨拶するんだ」
悪魔の子供3人の対応が後回しになるほどの飲んだくれが一騒動起こした後、
ワカバ達がようやくお二人の前に並んだの。法王猊下と皇帝陛下はただ彼らを見つめる。
3人は法王達を前にして立ったまま。
ルーベルがもう一度促そうとした時、ワカバが意を決して声を上げた。
「あ、は、はじめまして!ゴーゴンのワカバです!
ここに来れば魔界に帰してもらえるって聞いてきました!」
残りの2人もワカバに続く。
「私は誉れ高き吸血鬼一族、ピーネスフィロイト・ラル・レッドヴィクトワールよ!
特別にピーネと呼んでもよくってよ。ちなみに魔界に帰る気はないから」
「僕は、ゴーレムのガイアです。よろしくおねがいします」
皆の自己紹介を聞いた皇帝と法王が納得した様子でうなずく。
あたしは相変わらず床でイモムシ状態。藁がチクチクして痛いわ。
「うむ。君らの事情はエレオノーラから聞いておる。本日諸君に急な招集を掛けたのは、
なにぶん帰還のための時間が残されていないというのが理由だ」
「それはどういうことでしょう、お祖父様」
「仔細については我輩から説明しよう。
魔王が倒れ、魔界へのゲートが完全に消滅した今となっては、
直接行き来する方法はない。だが、アクシスの能力者を結集して対策を練ったところ、
一人の天文術士がひとつの可能性を提示した」
「と、おっしゃいますと?」
「大堕天使の象徴たる、明けの明星は知っていることと思う。つまり、金星。
実は金星が最も輝く時が3日後に迫っておるのだ」
「金星と、この子達になんの関係があるのでしょう?」
「その天文術士が言うには、当日の晩、彼の術式で金星の光を増幅することで、
大堕天使が地球上にいる魔族の存在を察知し、
その光の翼で同族、すなわち子供らを魔界へと連れ帰るらしい」
光の翼?ああ、V2のあれね。ルシファーはVガン。理解した。
理解したからちょっとくらい居眠りしても許されるわよね……
温かい藁に包まれて寝ようと思ったら、突然ピーネが甲高い声を上げた。
やめてよ、耳と頭に痛いったらありゃしない!
「そんなの嫌よ!さっきも言ったでしょう!?私は魔界になんて帰らない!
みすみす殺されに行くようなものじゃない!
あいつらは、最後の一人になるまで戦い続ける。
魔界に帰ったって知れたら絶対私を生かしておかない。
私は、家督なんて継ぎたくないのに……」
ピーネは必死に皇帝と法王に訴える。二人は困惑した様子で顔を見合わせる。
エレオやカシオピイアの報告から事情は分かっていても、
これだけは答えが出せなかったんだと思う。
「そもそも、私は人間と魔王様の戦いなんて知らなかったのに!
ただ、ママと一緒に暮らせるところに行きたかっただけなのに……
ねぇ!あなた達が戦争を始めたなら、あなた達が責任を取ってよ!
人間界にいてほしくないなら、誰も私を知らないところに連れてってよ!
ひとりぼっちだっていい。ママの思い出と一緒に生きていける、
どこか別の世界に……!」
……ピーネの嘆きを聞いているうちに、やっとまともな思考力が戻り始めたあたしは、
横になりながら彼女に問いかけた。
「ピーネ。悪いけど、まだあなたの問題についてはどうにもならないの。
人間はまだ、魔王との戦いから悪魔に対してピリピリしてて、
見つかれば何されるかわからない。
だからって、魔界に戻れば兄弟にいつ暗殺されてもおかしくない。
ちゃんと方法は探すから、とりあえずワカバとガイアは帰してあげない?
2人には待ってる人がいる」
「……わかったわよ、勝手にすればいいじゃない!
どうせ人間なんか、悪魔の子供がどうなろうと知ったこっちゃないんでしょ!?
気の済むまで争って、奪い合って、後のことは放ったらかし!
もう人間も悪魔も、大嫌い!!」
「ピーネちゃん……」「僕たち、どうすればいいんだろう」
涙交じりの彼女の叫びが、謁見の間に響く。
ピーネを見ていた皇帝陛下が、床を這いつくばるあたしに目を落とし、語りかけてきた。
「里沙子嬢に頼みがある。
ピーネについては、引き続き貴女の教会で預かってはもらえないだろうか。
カシオピイアもいる。力を持つ貴女には安心して預けられるのだが」
「ええ、もちろんで……」
「嘘つき!里沙子だって最初は私を殺そうとしたくせに!
また都合が悪くなったら私を切り捨てるんでしょう!
もうやだ、ママに会いたいよ……うあああん!」
ピーネがしゃがみこんで泣き出してしまった。困ったわ。
疑心暗鬼に陥って自分の殻に閉じこもっちゃった。
「なあピーネ。私達ができることには限界がある。
お前の問題は特に難しいから、まずはワカバとガイアを送り出してやろうぜ?」
ルーベルがそっとピーネを抱きしめる。そうね。こういう役は彼女の方がいいわ。
色々ひどいことしたのは本当だし。徐々に泣き止んで、ピーネもルーベルを抱き返す。
「ぐすっ……本当に、私のこと見捨てたりしない……?」
「するもんか。それに里沙子だって。確かにお前たちにきつく当たったこともあったよ。
でも、みんなとの付き合い方に本気で悩んだり、必要なものを買いに行ったり、
頑張ってたんだ。
里沙子だけじゃない。教会のみんなが、どうすればお前たちをあるべき場所に返せるか、
必死になって考えてたんだ。それは、信じてやれ」
「……わかった。私はここに残る」
「よし、偉いぞ」
そうして、ルーベルはピーネの頭をポンと撫でた。
頭の翼がピクッと動く。というか、あれは耳なの、翼なの?翼にしては小さすぎる気が。
……酔いが覚めてきたらどうでもいいこと考えるようになっちゃったわ。
「では、皇帝陛下、法王猊下。3日後にワカバとガイアを帰還させたいと思います。
何卒お力添えを」
「よかろう。場所は当教会の庭園が良かろう。
外から誰にも見られず、星空がよく見える」
「例のアクシス隊員も既に準備は整っている。後は機が熟すのを待つのみだ」
ああ、ルーベル。どせいさんから立派に成長して、里沙子さん嬉しいわ。
今回若干あたしを放置気味の点に目を瞑れば。ちょっとくらいまともなこと言わないと。
「このような格好で誠に申し訳ないのですが、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか」
「ようやく酒が抜けたようじゃが、まだ身体は辛かろう。楽にして話すがよい」
「明けの明星を利用して堕天使を呼び出すという計画ですが、
危険性はないのでしょうか。つまり、我々に襲いかかってくることは」
「心配無用。
大堕天使は、自らを天界から追放し、悪魔たらしめた神への復讐しか頭にない。
歴史書を紐解くと、幾度かこの地上に降り立ったことが記されているが、
人間に対し害を及ぼしたという記録はない。……今の所は、だが」
「ありがとうございます。では、安心して2人を送り出すことができます」
「ふぅ、やっとまともに喋れるようになったみたいだし、
こっちのミノムシも紐解いてやるとするか。……ほら起きろ」
ルーベルがあたしを縛っていた紐を解いて、簀巻き状態から解放してくれた。
若干頭がふらつくけど、あたしは元気です。じゃなかった。慌てて二人に頭を下げる。
「本日は、お見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんでした。
また、二人の帰還についてお忙しい中ご尽力頂き、誠に感謝しております」
「そう固くなることはない。戦争の後始末は我輩達の責務。
むしろ今まで貴女やピーネ達に負担を強いてきた。
それに……貴女の酔いつぶれた姿は中々に見ものであったぞ。
そうではないか?法王猊下」
「その通りじゃ。思い返すと笑いが止まらぬ」
「ああ、それは……どうかご容赦ください」
あたしも思い出すと顔から火が出そう。何が“ピースして”よアホじゃないかしら。
こんな思いをしても、結局時間が経てばまた飲むんでしょうね、あたしってば。
お酒って麻薬のような中毒性があるわ。法律で規制されないのが不思議なくらい。
「では、3日後の晩、大聖堂教会の庭園に集合ということでよろしいかな」
「はい。よろしくお願い致します」
もう一度深く頭を下げる。
「今度は飲むなよ」
「わかってるわよ!次は日程が決まってるから我慢できる」
「怪しいもんだ」
そして小声で下らないやり取りをひとつ。
「では皆の者、準備は万端怠らぬよう。また3日後に。解散」
法王猊下の一声で、その場はお開きとなった。
今度は裏口じゃなくて、聖堂に続く廊下を歩く。
チビ助達が、またズタ袋を被りながら一足早い別れを惜しむ。
「ピーネちゃん、新しいお家、見つかるといいね」
「会えなくなるのは寂しいけど、応援してるよ」
「大丈夫に決まってるでしょ。私の辞書に不可能の文字はないの。まあ……ありがと」
ボロい麻袋の群れが喋ってるのは、中々シュールな光景だったけど、
とにかく外に出たあたし達は、またエレオノーラの術で我が家に転移した。
別れの日。
エレオノーラは、今度は大聖堂教会の庭園に直接ワープした。
いちいちズタ袋脱ぎ着させるのも面倒だし、この時間なら人の目のないだろうしね。
連れてきたのはワカバとガイアの二人だけ。ピーネには自宅で待ってもらってる。
堕天使がまとめて彼女まで連れていきかねない。
「では、ワカバ、ガイア。準備は良いか?」
「はい!いつでもだいじょぶです!」
「僕も大丈夫です!」
庭園の中央では、アクシス隊員と皇帝陛下が堕天使を呼び寄せる準備をしてる。
隊員が、チョークで地面に魔法陣…というより、星図を書いてる。
杖の先端に取り付けたチョークをコツコツと走らせて、
どんどん細かい図を描き上げていく。こっちの準備はOKよ。
彼の作業が終わるまで、あたし達はただ待ち続ける。
「陛下、準備が整いました!」
「うむ。さっそく儀式を開始せよ。里沙子嬢、子供たちをこちらに」
「はい。さあ、二人共。出発の時間よ」
ワカバもガイアも、緊張した様子で星図に近づく。
それを確認した隊員が、描いた金星を杖で指し、詠唱を開始。
「千里の果て、我ら見下ろし神を見上げる燃ゆる金星、其の昏き光を我らの元に!」
彼が呪文を唱え終えると、星図の金星に夜空の星々の光が、
吸い込まれるように一瞬にして集まり、目もくらむほどの光を一度だけ放った。
思わず目をかばうと、次に目を開けた時に、
星図の上に不思議な存在が立体ホログラフのように実体を伴わない姿で現れていた。
「ふむ……これが、魔王と双璧を成す、大堕天使」
「よもや、このような姿をしておるとは。いや、これが真の姿ではあるまい」
皇帝と法王が驚くのも無理はなくて、彼は人間と変わらない姿形に、
パーマを当てたブロンドのショートカット。
クリーム色のシャツにオレンジ色のジャケットのジーパン姿だった。
ごめん、はっきり言ってかなりダサい。
シャダイのルシフェル参考にしたほうがいいわよ。同じ長身なのにもったいないわ。
どうでもいいことを考えていると、彼の方から口を開いた。
『う~ん、この静謐な空気は、教会かな。僕を呼んだのは君達かい?』
予想外にフランクな態度に、皆が少し戸惑ったけど、法王が一歩前に出て答えた。
「左様、ここはシャマイム教最大の教会。汝に頼みがあり、こうして呼びかけた」
『僕に?一体なにかな』
「ここにいる二人の悪魔を魔界に戻してやってはくれぬか。
先の魔王との戦いの中、親を失い、人間界に取り残された」
『なるほど?なにか教会に似つかわしくない気配がすると思ったら、
この子達だったんだね。まだ生まれたてだから、反応が微弱で気づかなかったよ。
何しろ、金星から思念だけでやり取りしてるもんだからね。ごめんよ』
やっぱり本体じゃなかったわけね。
別にいいんだけど、実物が来てたら何か良くないことが起きてた気がする。
『それにしても、君達って面白いよね。魔王の事は僕も知ってるけどさ、
彼を殺したってことは、人間は悪魔を憎んでるって認識でいいのかな。
なのにどうしてわざわざ未来の災厄になりうる悪魔の子を生かしておいたんだろう。
これって矛盾してるような気がするね』
「……人間も臆病者ばかりではないということだ。
ここに集った、心優しき者達のように。
例え人にあらずとも、抗う力を持たぬ者の命を奪うことを良しとせず、
彼女達は未来に賭けたのだ」
法王が少し身をずらして、堕天使にあたし達の姿を見せた。
彼はしげしげとあたし達を見て、カラカラと笑う。
『うん、うん。おさげの娘から少しばかり魔族の匂いがするよ。
この2人の子供とは別種のね。この匂いというか波動は……ヴァンパイアかな?』
「……ピーネの事、知ってるの?」
チャラいけど、どこか不気味な威圧感を持つ堕天使に、
あたしは彼女の境遇について掻い摘んで説明した。
彼女の現状を変える何かを知ってるかもしれない。
『ふぅん、その娘ピーネっていうんだ。じゃあ、僕からひとつヒントを。
まぁ、こうして僕は金星と契約して大宇宙の一部になって、
人間界を眺めたり、魔界の乱れた秩序を正したりしてるんだけど、
僕みたいにこの宇宙を構成する星々の力を手に入れると、大抵のことは意のままになる。
彼女に伝えといてよ。その力で自分だけの静寂の世界を構築するか、
本能の赴くままに破壊と騒乱を世にもたらすか、それは君次第だって。
もっとも?力を手に入れる前に身体だけ大きくなって、
欲望に飲み込まれたらそれまでだけど』
「伝えとくわ。必ずあたしが生きてるうちにピーネに星の力を掴ませる」
『さて、こんなところかな。他に用事はない?交信も今回限りだよ。
僕、暇そうに見えて結構忙しいんだ』
「大堕天使さま!ワカバ達を魔界に帰してください!」
「お願いします!兄弟たちのところに戻らなきゃいけないんです!」
『オーケー、オーケー、待たせちゃったね。
魔界までは金星を経由して、自己の存在を次元の狭間に滑り込ませればひとっ飛びさ。
僕はいつでもいいよ。後ろの人達とのお別れは済ませたかな?』
そう問われると、ワカバとガイアが振り返ってあたし達に呼びかける。
「りさこさん、あなたの家で過ごした時間、とっても楽しかったです!
ルーベルさんは優しくって、えと、ジョゼットさんの料理がおいしくって……」
「エレオノーラさん、大事な魔石をありがとうございました。
カシオピイアさんも、僕たちのために、帰る方法を探してくれて、
ありがとうございました!
……りさこさん、僕らのこと、見捨てないでくれてありがとうございました。
あの、だから、ピーネちゃんのことも、よろしくおねがいします!」
二人のつかえながらも心のこもった感謝の言葉に、あたしも決意を固めて答える。
「ピーネの事は任せなさい。必ずあの娘だけの家を探して見せる!」
「ありがとう。りさこさん、ピーネちゃんをよろしくです!」
「もっと一緒にいたかったけど、行かなきゃ……さようなら!」
ワカバとガイアが星図に向き合う。みんな、何か言おうとしたけど、言葉にならなくて。
堕天使が、その背中から光の翼、というより、数万本もの細い光の糸を広げる。
その光は、闇夜に包まれていた庭園を照らし出し、
かつて大天使だった頃の片鱗を匂わせる。
光の翼は、優しく二人を包み込み、その姿が見えなくなると、
同時に堕天使も消滅し、再び庭園に夜の帳が下りる。
「……行っちゃった、か」
堕天使が去った後には静寂だけ。庭園の花の香りだけが確かな感覚として残された。
「成功、と考えて良いのだろうか……?」
「そのようじゃ。堕天使が無害なうちに接触できたことは、
運が良かったとしか言いようがない」
「魔王のように、ミドルファンタジアを侵略しに来ると?」
「奴は友好的というより気まぐれという感じだった。気を許すには危険な存在であろう」
皇帝陛下と法王猊下は難しい話をしている。あたしはなんとなく足元の石ころを蹴る。
では、帰ろう。二人のどちらが言い出したかはともかく、
その言葉で、皆も帰るべき場所へ向かい始めた。
こんなに早く別れるなら、もっとチクワ投げてやれば良かったかな、って
ほんの少し未練がましい事を考えながら、
あたし達はエレオノーラの術で我が家に戻った。
教会に着くと、少しダイニングで時間を潰し、みんながそれぞれの部屋に戻るのを待つ。
そして、2階へ続く階段を上り、私室の前で足を止めた。
中からピーネのすすり泣く声が聞こえてくる。
“ぐすっ、うう……ピーネ、またひとりになっちゃった。
やっぱり一緒に行けばよかったのかな……”
あたしがノックすると、彼女が少し驚いたような声を出して、
ゴソゴソと布団に潜り込むような音がした。
自分の部屋に入るのにノックするのもなんだか妙な感じだけど。
返事がなかったから、勝手に中に入る。
ベッドを見ると、やっぱりピーネが布団に包まって団子になってた。
「……みんな、帰っていったわ」
「そう……今日からベッド独り占めで足を伸ばして寝られるわ!」
鼻声で強がる彼女を誘ってみる。
「ねえ、ちょっと付き合ってよ。外で空を眺めるの」
「ふ、ふん!どうして里沙子なんかと!一人で行けばいいじゃない!」
「堕天使から、ピーネが自分だけの世界を手に入れるためのヒントをもらったの。
星に関係あることだから、二人で眺めましょう」
すると、布団の中から鼻をひとすすりする音の後に、
ピーネが布団からもぞもぞと出てきた。やっぱりその目は真っ赤で。
「……早く連れていきなさい」
「じゃあ、行きましょうか」
あたし達は玄関先に移動し、座りこんで満天に輝く星々を眺める。
夜は危険だけど、家の前なら大丈夫でしょ。金星を指差してピーネに説明する。
「あの明るい星が、堕天使が契約して力を得た金星」
「星と契約?」
「ごめん、意味はよくわからない。でも、それで魔界を行き来したり、
魔王と対等の力を持ったり、自分の世界を手に入れたって聞いた」
「私だけの、世界?」
「そう。あなたも魔力を高めて力を付けて知識を蓄えれば、
あの星のどれかと契約を結んで、誰にも邪魔されないピーネだけの世界を作れるのよ」
「本当!?」
「本当よ。でも、それができるかどうかはあなたの努力次第だし、
できればあたしが生きてるうちにやり遂げて、安心させてくれると姉さん助かる」
「……じゃあ、ずっとここにいていいの?要らなくなって捨てたりしない?」
「しない。できない約束は初めからお断りだから。
でも、あたしが寿命か急性アルコール中毒で死ぬ前に達成しないと、
結局は宿なしになるからね?頑張るのよ」
「うん。……ねえ里沙子」
「どうしたの?」
ピーネが夜空に向かって手を伸ばす。
「あのお星様のどれか一つに、ひょっとしたらママが住んでいるのかしら」
「宇宙に広がる星全部を、ひとつひとつ探せば見つかる可能性があるかもね。
でも、人間が宇宙について知ってることなんて、ほんの一握りしかない。
あなたが迎えに行った方が早いわね」
「……私、頑張る」
「あなたがやる気なら、あたしらも手伝うからさ。
そろそろ戻りましょうか。子供はおねむの時間よ」
「うっさい、子供扱いすんなー!」
「ふふふ、はいはい」
春とは言え、まだ朝晩は冷える。こんなところかしら。
ピーネを連れて聖堂に入り、ドアに鍵を掛ける。
私室に戻ると、緊張が張り詰めてたのか、
子供たちの先行きに目処が付いてほっとしたのか、急に眠くなってきた。
あたしはしばらくぶりのベッドに、ボスンと飛び込んだ。
右向きに寝るのがあたしのスタイル。
「あー、そこ私のベッド!」
「今日からはあたしのベッド。っていうか元々あたしのよ!
ワカバとガイア、子供2人分のスペースが空いたんだから、一緒に寝られるでしょうが」
「あなたと一緒なんて冗談じゃないわ!」
「なら、そこの固いマットか寝袋で休みなさいな。あたしはもう疲れた。
ちなみに、そこで寝てると疲れが取れるどころか、どんどん溜まっていくから。
おやすみ~」
「ああ、待ちなさい!パジャマに着替えるから」
「あと言っとくけど、正式にうちの住人になったからには、
あたしの指示が絶対だからね。面倒くさい要望は一切聞き入れないし、
ものぐさで部屋の片付けを命じることもあるからそのつもりで」
「はぁ!?何よそれ!私をこき使おうっての?横暴よ横暴!」
「もしもの話よ、フフフフ」
「もう最悪!なんでこんなとこに来ちゃったのかしら」
ブツブツ文句を言いながら着替えるピーネ。
服をハンガーに掛けると、ベッドに近づいて、そっとあたしの隣に入り込む。
そして、あたしの背中を抱くようにそっと両手を当ててきた。
「おっ、里沙子さんの背中に興味があるのかしら。子供だから多少くっついても許す」
「い、いらないわよそんなの!いいから早くランプ消して!」
「はいはい」
そっとランプのつまみをひねって、小さな火を消すと、室内が真っ暗になる。
ちょっと背中のピーネの様子をうかがうけど、泣き疲れたのか、
すぐに寝息を立てて寝てしまった。
あたしも精神的疲労が溜まってたから、すとんと眠りに落ちた。
明日からは平穏な日々が待っている。そう信じたいものだわね。ないんだろうけど。