面倒くさがり女のうんざり異世界生活   作:焼き鳥タレ派

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悲劇の終わり。奇妙な新住人
はい、通常営業に戻りまーす


シュワルツ将軍率いる騎兵隊を先頭に、

あたしとエレオノーラ、大工や石工達が馬車に乗って、街道を西に向かっていく。

もちろん、目的はマウントロックス村の現状視察。

無いとは思うけど、まだモルスロウの生き残りが居るなら掃討する必要があるし、

そもそも何故連中が蘇ったのかを知る必要がある。

 

 

 

悪夢の夜を乗り切った翌日、

朝一で街の役場に駆け込んで事の次第を説明して、現地調査を依頼した。

最初は、受付のオッチャンも半信半疑だったけど、

デザートイーグルと5文字のメモを見せると、とりあえず対応してくれた。

ちなみに今、M100にはお休みしてもらって、

左のショルダーホルスターにデザートイーグルを差してる。

 

「なるほど。モロなんとかって化け物が、まだ居るかもしれない。

将軍殿に調査に兵を派遣して頂けないか伺ってみよう」

 

「お願い。マウントロックスの現状を見ないと、あの事件は終わらないの」

 

そして一旦帰宅して連絡を待っていたら、翌日。

 

“うおおおおお!リサアアアァァ!!”

 

窓ガラスをビリビリ震わせるほどの大音声が近づいてくる。

声の主がシュワルツ将軍だってことは見なくてもわかるけど、一応窓から様子を見る。

街道を愛馬に乗って爆走する装甲の塊は、軽戦車の突撃並の迫力がある。

そして、彼は間もなく玄関先に馬を停め、ドアをノックしてきた。

 

素早く階段を下りてドアを開けると、いきなり彼に両肩を掴まれ激しく揺さぶられた。

頭が首ふり人形みたいにグラングランする。

将軍にしたら軽く揺すってるつもりなんだろうけど。

 

「リサ!!話は聞いた!危うく命を落とすところであったと!無事であったか!」

 

「わわわ、大丈夫です!大丈夫ですから落ち着いてくださいな!」

 

「あの僻地にモルスロウなる怪物が潜んでいたとは!生き残りがいる可能性もある!

リサ、生還したばかりで済まぬが、案内を頼みたい!」

 

ようやく彼の大きな手から逃れたあたしは、軽く咳をして喉を整えてから答えた。

 

「もちろんです。マウントロックス村に何があったのか、

わたくし一人では調査しきれません。ご協力に感謝します。

その前に、少々お待ちいただけますか。

頼れるシスターが必要になると思いますので……」

 

「うむ!我らはここで待たせてもらう!」

 

あたしがダイニングに向かおうとすると、彼女の方から聖堂に入ってきた。

 

「エレオ……」

 

「話は聞かせてもらいました。きっと、浮かばれない者達が今でもいるはずです。

わたしもお力添えできると思います」

 

「ありがとう。

もう化け物はいないだろうけど、殺された住人達を放っておくわけにもいかなくてね。

……将軍、お待たせしました。マウントロックス村に来て頂けますでしょうか」

 

「うむ、準備万端である!ハッピーマイルズ領の地図を持参したのだが、

マウントロックスという村は記されていなかった。リサの案内が必要である。

さっそく出発しようではないか!」

 

 

 

それで、あたし達は馬車で街道を西に進む。

小さな男の子の足でもすぐに着いたくらいだから、5分程度で目的地手前に着いた。

あたしは窓から顔を出して、将軍に声を掛ける。

 

「この辺りで止まって頂けますか?

左手の岩肌に、見落としそうなほど狭い入り口があります」

 

「よし、皆の者!馬を止めい!」

 

数台の馬車が雑草だらけの街道に停まると、

あたしは馬車から降りて、夢で見た村の入り口を探す。

でも、探すと言うほど時間は掛からなかった。

ちょっと進むと、あたしが閉じ込められた村の入り口が見つかった。

やっぱり岩が山積みになってる。

 

「将軍、こちらです。この向こうに例の村があります」

 

あたしを追いかけて、将軍や職人達が岩の壁の前に集まった。

 

「うむむ……これでは通るのは無理だな」

 

そりゃ、あなたの大きさじゃね、と心の中で思っていると、

石工の親方らしき人が積まれた岩に近づいて、隙間を覗き込んだ。

 

「将軍さん、確かに向こう側に村みたいなもんがありますぜ。

岩どけりゃ、中に入れます」

 

「わかった。岩の撤去作業を頼む」

 

「へい。……野郎共、道具の準備だ!テキパキやるぞ、テキパキと!」

 

“はい、親方!!”

 

さすがはプロの石工達だった。絶対人間じゃ動かせないと思ってた岩に、

一つ一つしっかりと丈夫な縄を縛り付け、滑車で引っぱり、テコや細い丸太で移動し、

あっという間に人が通れるだけのスペースを作ってしまった。

 

「ふぅ。馬はちょっと入れやせんが、将軍さんでも横になれば入れます」

 

「ご苦労だった。今度は我々の番であるな。総員、警戒態勢を保ちつつ、突入するぞ!」

 

将軍と騎兵隊の人達が岩の隙間から中に入っていく。

全員が通ったのを確認すると、彼らにあたしとエレオもついていく。

……あの惨劇の舞台へ。また、ここに来るとはね。

 

[マウントロックス村へようこそ]

 

夢の中でここに来た時に見た立て看板を探したけど、

朽ちた木の棒が1本立っているだけだった。そして、改めて村を見回す。

今度は昼間だから、全体像がよく見える。

あたしが最初に飛び込んだ家も、あの男の子が殺された2階建ての家屋も、

何もなかった。

 

何もない、というより正確には、まともな状態を保った家が一件もない。

完全に崩れて家の姿を留めていない。崩れてから相当時間が経っているようで、

屋根だった木の板も踏んだだけで簡単に割れそう。

瓦礫と化した家々や雑草を、6月の湿気を帯びた風が通り抜け、

灰色の木片がカラカラと音を立てて転がり、寂しげな情景を生み出している。

 

「リサ、ここが貴女の戦ったマウントロックス村であるのか?」

 

「はい。夢の中で、ですが。

おそらく、家の跡を掘り返すと、人の骨が出てくるはずです。

住人が殺される光景が何度も意識の中に飛び込んできましたから……」

 

「そうか……では、大工の諸君は廃材の撤去。我が部隊は、皆の護衛。

またモルスロウが出現しないとも限らん」

 

“へい!” “了解!”

 

兵士と大工が作業に取り掛かると、

あたしは改めてマウントロックス村だった場所を見回した。

来たときよりも更に雑草が生い茂っていて、

ここに人が住んでいた事実を覆い隠しているみたい。

でも、確かにここで生きていた人がいる。あたしがそれを忘れりゃ本当にお終い。

その時、エレオがあたしの袖をつまんだ。

 

「里沙子さん。大丈夫です。大丈夫ですから」

 

「ああ、ごめん。なんか怖い顔してたかしら?」

 

「無理もありません。

やはり、無念な想いを捨てきれず、留まっている人達がたくさんいます。

きちんと弔って差し上げなくては。それは、わたしに任せてください」

 

「ありがと。やっぱり頼りになるわね。あなたは」

 

“遺体発見、遺体発見!”

 

あたし達の会話を兵士の報告が遮った。それから、同様の報告があちこちから上がった。

兵士のひとりが持ってきた広い布を何枚も地面に広げ、騎兵隊総出で遺骨を並べた。

大人のもの、子供のもの、完全なもの、上半身しか見つからなかったもの。

様々な形状の遺骨が村の跡地中央に並べられた。

死をかき集めた光景を前に、あたし達はしばし言葉を失った。

 

「何ということだ!

これだけの犠牲者が出ていながら、何の記録も残っていないとは……」

 

「きっと、軍と行政の組織的連携が、

今ほど発達していなかった時代の出来事だったのでしょう。

住人達も騎兵隊をあてにせず、強力な銃で立ち向かおうとしていたようですから」

 

「なんて酷い……彼らの悲しみが、声なき声となって、未だこの地に響いています。

将軍、お願いがあります。わたしが迷わず天に旅立てるよう、彼らに祈りを捧げます。

その後、別の土地に埋葬してあげてください。

この呪わしい地は、死者の眠りに相応しくありません」

 

「承知した。

ハッピーマイルズ北西の人里離れた海沿いに、日当たりの良い空き地がある。

そこに共同墓地を作るのが良いだろう。領主には我から伝えておこう」

 

将軍が地図を調べながら答える。

 

「ありがとうございます。では、わたしは……」

 

エレオノーラは、丁寧に並べられた白骨死体の前に立つと、その場に膝を折り、

指を絡めて、祈りの言葉をささやき始めた。

しばらく見ていたけど、あたしにできることは何もない。

全てが手遅れになってからやってきただけのあたしには。

犠牲者の供養はエレオに任せて、あたしは将軍に声を掛けた。

もうひとつ気になる場所がある。

 

「将軍、もう一ヶ所見ていただきたいところがあるのですが、来て頂けますか?」

 

「リサの通報にあった、謎の広場か?」

 

「はい。あの北のほうに、樹木が形作っているトンネルがありますよね。

それを抜けた先です。そこで、モルスロウを生み出していた処刑人を倒しました。

ひょっとしたら、処刑人の骸もあそこに」

 

「なるほど、それは放置しておけない。調査が必要だ。行こうではないか」

 

あたしと将軍は、村にエレオノーラと護衛の兵士を残して、

謎の広場を目指して歩き出した。

広葉樹のトンネルは薄暗く、空気がひんやりしていて、やっぱり葉が腐ってる。

慎重に歩かないとまた転びそう。

大工達は足場の悪い現場での作業に慣れているのか、スタスタ歩いてるけど。

 

トンネルを抜けると、見覚えのありすぎる円形の草原。中央の崩れた岩山はそのまま。

なぜ、こんなところに処刑人が陣取っていたのか、真実を突き止めなきゃ。

そう思ったあたしの横を通り抜けて、石工達がまっすぐ岩山に向かっていった。

そして、転がる岩を入念に調べる。

 

あらら、なになに?ただの落石じゃないの?

何が気になるのか尋ねようとした時、石工の親分が将軍に大声で呼びかけた。

 

「将軍さん、こりゃ石碑ですぜ!崩れてやすが、積み上げれば元に戻りやす!」

 

「石碑だと?復元にはどれくらい掛かる?」

 

「1時間もありゃ十分でさ!」

 

「では頼む。作業に取り掛かってくれ」

 

石碑……?だとすると、“奴”の復活した原因がおぼろげながら見えてくる。

石工達はさっきのような、手慣れた動きで岩にしっかり縄を掛け、

テコやジャッキを駆使して、壮大なパズルを組み立てるように、岩を積み直す。

作業完了まで少し待つ。その間、将軍にあることを確認する。

 

「……将軍、ところで機雷の製法はお役に立ちましたでしょうか」

 

将軍はきょとんとした顔であたしを見る。

 

「機雷?それは何であるか」

 

「失礼しました、なんでもありません。わたくしの記憶違いだったようです」

 

彼はあたしの妙な質問に、顎髭をねじりながら考え込んでいたが、

あたしはもう黙って気づかないふりを続けていた。

あの日の出来事が全部夢なら、シュワルツ将軍が来ていたことも夢。

自分の記憶の中で一番印象的な事実。

トライトン海域共栄圏辺りの事件と、あたしの知識、

あの子の記憶への干渉がごっちゃになった、

言わばエラーみたいなものだと思う。

 

 

 

「おーし、こんなもんだろう。

あと、土台と右側の出っ張り、ワイヤーでしっかり巻いとけ」

 

“はい!”

 

そして、石工達は宣言通り、ほぼ1時間で石碑を完全に修復した。

ひび割れてはいるけど、高さ3mはある石碑に、文字が刻まれていた。

風化が進んで見えづらい。近づいて一文字ずつじっくり読む。

 

 

この重石にて罪深き血塗られた魂をここに封じる

 

殺人 52名

強盗殺人 31名

放火 9名

放火殺人 17名

執行者 1名 二度とあってはならぬ咎人

 

第67代法王 (欠損している)

 

 

……そういうことだったのね。あたしが戦った処刑人が、ここに刻まれている執行者。

本来、死刑執行人は神職だけど、奴はここに封印されるほどの何かをやらかして、

逆に処刑されることになった。

 

死んでもなお、その殺意は消えることなく、何かの弾みで石碑が崩れたのをきっかけに、

化け物として蘇り、かつて自分が処刑した罪人をモルスロウとして蘇らせて、

欲望のままマウントロックスの住人を虐殺した。こんなところかしら。

 

「これは、墓というより悪霊を封印するための戒めなのだな……」

 

一緒に石碑の文を読んでいた将軍がつぶやく。つぶやき声でもやっぱり腹に響くわ。

とにかくこれであの悪夢の原因はハッキリした。

エレオにも伝えなきゃ、と思ったら、いいタイミングで彼女も広場にやってきた。

 

「皆さん、すぐにその石碑から離れてください!それは穢れにまみれています!」

 

「エレオノーラ女史。穢れとはどういうことか?」

 

「あなたの言う通り、これは墓でもなければ供養塔でもない、

罪人が二度と生まれ変われないよう、魂を封印する石碑なのです。

さあ、石工の皆さん早く!穢れが取れなくなる前に!」

 

“うぇーっ” “勘弁してくれ!” “野郎共、全員撤収だ!”

 

切迫したシスターの声に、石工達はさっと石碑から距離を取る。

あたし達も後退すると、エレオノーラに尋ねた。

 

「やっぱり、これが諸悪の根源だったのね?」

 

「はい。この下にも罪人達の遺骨が眠っているはずですが、

これは掘り返すべきではありません。このまま封印しておくべきです」

 

「石工達が石碑を修復し、形を取り戻した。

これで悪霊は再度封印されたと考えてよいのだろうか?」

 

「問題ありません。見た所、この石碑は魔力でなく、

大聖堂教会で石材に施された封印儀式で罪人の魂を閉じ込めているので、

ここまで修復されていれば、半永久的に封印を続けることができるでしょう」

 

あたしは大きく息をつく。ようやく肩の荷が下りた気がした。

悪夢の始まりから、実時間で24時間経ったかどうかなのに、

ずいぶん長く戦ったような気がした。こうしてマウントロックスの悲劇は幕を閉じた。

 

皆も帰路に着く。

将軍によると、住人の遺体搬送が終わり次第、マウントロックスの入り口は爆破し、

再び人が入れないようにするらしい。

あたしもかつて村があったこの地は、そっとしておくべきだと思う。

 

「皆さん!石碑に触れた人、触れたかもしれない人は、

この光を浴びて穢れを落としてください!」

 

エレオノーラが何かの光魔法で輝くベールを呼び出し、職人達を浄化している。

なんとなくあたしは、その様子をぼんやりと見ていた。

全て解決した。だけど、達成感なんかあるはずもなく。

手に入れたものと言えば、古ぼけたデザートイーグル。

 

トンネルを抜け、雑草だらけの村の跡を抜け、

あたし達はマウントロックス村だった荒れ地を去った。

後のことは将軍が上手くやってくれると思う。あたしは馬車に揺られながら、

嬉しくも悲しくもない、虚な気持ちで教会に運ばれていった。

 

 

 

 

 

サービス期間は終わったのさ……

つまり、特別編のエピローグ的なもんは終わったから、ここからはUFOが飛んできたり、

ブロブが這いずってきたり、フェイスハガーに貼り付かれたりする展開も、

ないとは言い切れないから、そこんとこヨロシク。

 

 

 

教会に戻ったあたし達は、会議室と化しているダイニングで、

みんなにあたしに起こったことについて説明した。

話し終えると、まずルーベルが口を開いた。

 

「……おい、そんな事聞いてねえぞ。なんで黙ってたんだよ!」

 

ドンと口惜しそうにテーブルを叩く。

 

「全部片付いてから話そうと思ったの。

それに、まさか役所に通報してから、翌日に将軍が来てくれるとは思わなかったのよ。

お役所にしては珍しいスピード対応にびっくりしたわ」

 

「お姉ちゃん……そんな怖い思いをしたのね」

 

「ひゃっ。ふふ、慰めてくれてるの?たまには頭なでられるのもいいわね」

 

カシオピイアがあたしを抱き寄せて、頭と頭をそっと突き合わせる。

 

「ずるい!傷ついた里沙子お姉さまを優しく癒やすのは、パルフェムの役目ですのに!」

 

「はいはい、後でパルフェムもあたしの髪をといてくれるかしら?」

 

「ええ、喜んで!やったー」

 

「……しかし、悲しい事件でしたね。

時を越えて、不幸な偶然で惨殺された少年が助けを求めてきた。

里沙子さんの健闘は讃えられるべきなのでしょうが、結局誰も助からなかったなんて」

 

エレオノーラが手元のティーカップに目を落とす。そう、あの戦いに勝者なんていない。

処刑人にも言ったけど、奴を殺したから誰が戻ってくるわけじゃない。

強いて生存者を挙げるなら、このデザートイーグル。

なぜ現世に現れたのかわからないけど。

 

「しかも私達、人間の血や骨を食ってたんだって?マジありえねー」

 

「いい加減気持ち悪い話はやめてよ!あーあー、聞きたくない!」

 

「本当にピーネはビビリだな。吸血鬼ならむしろ血は喜べよ」

 

「冗談じゃない!血は肉体にかぶりついて直に吸うのが作法なの!」

 

「はいはい、わかった。お前は立派だよ」

 

「またそうやって馬鹿にして!やっぱりルーベルなんか嫌い!」

 

ダイニングに笑い声が響く。

こうして生きて帰って、このいつも通りの生活に戻れただけで御の字かしらね。

まあ、一瞬でもそんな事を考えたあたしが馬鹿だったんだけど。

 

 

“拙者もこやつの武勲は百万石に値すると思うわ、のじゃ!”

 

 

一気に部屋がし~んとなる。みんながあたしの方を見る。

 

「里沙子~いくらキャラ立てたいからってそれはないと思うぞ。ハッ」

 

「違うわよ!キャラなら十分立ってるでしょうが!主人公なんですけど、あたし!?

あと、あんた鼻で笑ったでしょ、今!」

 

「そうかぁ?初期のドライな里沙子の方がいいって意見もあるぞ?」

 

「うるさい!あたしはあたしよ!今も昔もない!」

 

「うぷぷ、里沙子ダサ~い」

 

“これ、拙者を無視しないで!いや、するでない!”

 

二度目の謎の声。あたしの方から聞こえてきたけど、今度こそあたしじゃない。

デザートイーグルを抜き、安全装置を解除し、姿の見えない侵入者を探す。

みんなもそれぞれの武器や構えを取り、周囲を見回す。どこにいる……?

モルスロウはもう存在しないし、あたしに憑いていた何かもエレオが祓ってくれたはず。

 

“どこを見ておる。ここよ…じゃ”

 

ため息が出る。もう間違いない。デザートイーグルが喋ってる。

あたしはとりあえず安全装置を掛けて、銃に話しかけてみた。

 

「ねえ、あんたナイトライダーのK.I.T.T.みたいに自分の意思持ってたりする?

アメリカが極秘でトンデモ兵器作ってたとか?」

 

“無礼者!わた…拙者は由緒ある名門武家、シラヌイ家が長女、エリカである!”

 

「うぉう!銃が喋ってるぞ!どうなってんだ!」

 

「キャー!きっとまだ里沙子さんに助けを求めてる霊がいるんですよ!」

 

「……変な銃」

 

「名前からして皇国の存在っぽいですけど、銃に入れる人間なんていなくてよ!」

 

「もうやだ!里沙子の持ってるもの変なのばっかりじゃない!」

 

「あたしのせいにしないでよ!あたしだって知らないわよ!

何かあったら全部あたしの責任ってわけ!?カシオピイアはもっと普通に驚きなさい!

エレオ、この銃、まだ何か憑いてたりする!?……はぁ、はぁ」

 

叫び散らして息を切らしながら、幽霊とかの専門家に助けを求める。

ジョゼットが頼りにならないのは知っての通り。

 

「そんな!確かに先日、里沙子さんに憑いていたものを全て祓ったのに……!」

 

「お願い、この銃もう一回お祓いして!せっかくM100の相棒が見つかったんだから、

まともに使えるようにして欲しいの。悪いけれどそんな想い(略」

 

「はい、すぐに!

……在らざる者、還るべき者。生ある者に縋るべからず。聖母の御下へ旅立ち給え!」

 

エレオノーラの手に淡い光の球が現れ、彼女がその手で銃にそっと触れた。

これで大人しく成仏するといいんだけど。

 

“むはは!拙者にそのような術は効かないわ!…効かぬ!”

 

イライラしてきた。銃の中にいることより、キャラ作ろうとして失敗してる喋り方に。

無理矢理にでも中の奴を叩き出したくなってきた。

 

「……あんた。.44マグナム弾と一緒にお空の向こうに旅立ちたい?」

 

“わた、拙者に鉄砲など効か、ぬ?”

 

あたしは安全装置を解除して、開いている窓から外を狙う。

 

「発砲した時の銃の中って熱いわよ。当然よね。

パンパンに詰まった火薬が爆発して、もんのすごい圧力と燃焼ガスで灼熱地獄になる」

 

“……”

 

「撃つわよ、いいわね?」

 

“そ、そこまで見たいなら見せてやろう。拙者の真の姿を!”

 

すると、銃口から青白く光る大きな餅みたいなのが、にゅるんと出てきて、

宙に浮き、もやもやと変形して人の形になった。現れたのは少女の幽霊。

黒髪ショートに白いカチューシャ。青い瞳。

胸元のボタン周りにフリルが付いただけの、地味な紺色のドレスを着ている。

 

ただ、体の上に、彼女の装備品もふわふわと浮かんでる。

武士の鎧のような籠手、肩当て、そして刀。やっぱり足がない。

完全なる、うらめしや~ね。

 

「キー!おばけ!もういや、こんな化け物屋敷!」

 

ああ、ピーネが裏から出て行っちゃったわ。

みんなもそれなりに驚いてるけど、本当にビビりね。

 

「どうして……確かに迷える存在なのに、わたしの除霊術式が効かないなんて!」

 

「バテレンの妖術なんて効かないわ!あ、いや、効かぬ!

サムライの魂持ちたるわ…拙者には!」

 

「お、おい。これ里沙子が持ち込んだんだろ?お前なんとかしろ!」

 

「こいつが勝手に来たのよ。前にも言ったけど、あたしを変な奴処理班にしないで!」

 

「あ、あのー!とにかく彼女に詳しい事情を聞いてみませんか?

どうして銃に入っていたのか」

 

「……ジョゼットに軌道修正されるとは、あたしもヤキが回ったかもね。そうよね。

まずこいつの処理が先。ねえ、なんであんた、わざわざ拳銃の中に引きこもってたの?」

 

シラヌイ・エリカとやらは、遠い目をして語り始めた。

触れてもすり抜けるけど、目の前を飛び回る装備が鬱陶しい。

 

「そもそも拙者がこの国に来たのは武者修行のためなの…じゃ。

道なき道を旅していると、悪鬼魍魎に脅かされている村にたどり着いたの、だ」

 

「マウントロックス村ね。それで?」

 

「当然!サムライとして弱き民を守るため、奴らの征伐を買って出た!

あの激闘は忘れもしないわ……」

 

「ふむふむ。当時のマウントロックス村に居合わせたってことは、

相当長い間幽霊やってんのね、あんた。で、なんで死んだの?語尾忘れてる」

 

「と、とにかく!拙者は正々堂々と奴らに立ち合いを申し込んだのだ!

しかし、力及ばず拙者は力尽き果て、異国の地で命を落とすことになってしまった!」

 

「モルスロウと正々堂々?そんで立ち合い?どんな感じだったのよ」

 

「あの激闘は、私…拙者も経験のない戦であった……」

 

 

“やーやー我こそはシラヌイ家が長女、エリカである!民を脅かす妖怪共、いざ尋常に”

 

サクッ

 

“無念……”

 

 

「馬鹿なんじゃないの」

 

「馬鹿とは何事か!武士としての誇りを賭けた、天下分け目の大一番を!」

 

「事前に住人から聞かなかった?

奴らは真正面の敵しか認識できない。後ろから殴れば楽勝だって」

 

「武家のサムライたる者がそんな卑怯な、じゃない、

斯様に卑劣な真似ができるものか!」

 

「あーもういい。あんたが死んだ理由はわかった。とりあえずこの銃から出てって。

これはもうあたしの銃。なんであんたがこれに取り憑いてるかはどうでもいい」

 

「いやよ!じゃなくて、断る!」

 

「なんでよ!もう化け物共とその親玉は殺して封印し直したの。

サムライのあんたが銃なんて持っててもしょうがないでしょう」

 

「もちろん拙者のその鉄砲を通して、そなたの戦は見ておった。

拙者が討ち損じた宿敵を倒したその力は目を見張るものがあるが、まだまだ未熟。

そこで拙者は、直々にそなたに戦のイロハを叩き込んでやろうと、

こうして現世に留まったというわけである。……言えたっ」

 

「最後の聞こえてたから。とにかく余計なお世話よ。銃から、出てって」

 

「なんという恩知らず!

重い鉄砲に憑依して、ここまで苦労して飛んできたというのに!」

 

「あー、それで机の引き出しに入ってたのね。

あんた器用ね、デザートイーグルで引き出し開けるなんて」

 

「一時的に定規に乗り移って、隙間に差し込んで引き出しを開けて入ったのよ。

戦には計略も欠かせぬのである。ふっ……」

 

挙動不審者のくせにドヤ顔をした。実体があったら殴ってる。

 

「一ヶ所口調忘れてたわよ。で、一緒に入ってたメモは?」

 

「成仏できずにいた少年から預かった言伝である。

……あの、一ヶ所とはどこのことだ?」

 

「もういいっす。最後通牒よ。デザートイーグルから、出ていきなさい」

 

するとエリカは銃にしがみついて叫ぶ。さっきから距離が近いのよ、離れて!

新聞紙でハエを叩くように奴を払う。

 

「ならぬ、ならぬ!拙者はまだまだ腕を磨きたいの!この依代は渡せない!

人々の強さへの願いが込められた鉄砲は、拙者を現世に留めてくれる!

絶対出ていくもんか!

現世に?……そうだ、お主だ。物の怪を倒したお主の体なら、もっと強くなれるはず!

旅を続けることだってできる!お前の体を……よこせえぇぇ!!」

 

突然亡霊としての本性を表したエリカ。

彼女を取り巻く蒼い炎が燃え上がり、目を見開いて、あたしの身体に潜り込んできた。

みんなが悲鳴を上げるけど……あたしの身体に入ったならこっちのものよ。

 

「大丈夫か里沙子!!」

 

「里沙子さん!?しっかりしてください」

 

「お姉ちゃん!」

 

“嗚呼!血の流れ、肌の感触、温かい!私は生きてる。また命を手に入れたのよ!

再び武士として名を上げる好機が巡ってきたのよぉ!!”

 

「そう……ならしょうがないわね」

 

「えっ、まさか里沙子、そいつと一緒に旅に出る気か?」

 

「冗談。力ずくで引き剥がすに決まってる。

どうやら強さに対する執着が、こいつをこの世に引き止めてるみたい」

 

「しかし、除霊術式が効かなかった相手にどうやって……?」

 

「パルフェム、こいつは確か日本の文化を継承した皇国出身だったのよね」

 

「え、ええ。お名前といい、鎧姿といい、皇国の方に違いありませんわ……」

 

「なら、エレオの除霊が効かないのも納得だわ。

日本人がヘブライ語で悪口を言われても、全く堪えないのと同じでね」

 

「つまり、どういうことなんだ?」

 

「こうするのよ。みんな、少し静かにしててね」

 

あたしは両手を合わせ、合掌する。

子供の頃、お婆ちゃんがいつも口にしてるのを聞いてて、

自然に覚えたものが異世界で役に立つなんてね。

雑念を捨て、精神を集中し、その言葉を紡ぎ出す。

 

──仏説摩訶(ぶっせつまか)般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)心経(しんぎょう)

 

“はっ……!”

 

身体の中でエリカが明らかな動揺を見せる。やっぱりね。

エレオの除霊が通じなかったのは、

彼女にとって無意味な記号の羅列でしかなかったから。

あたしは仏教の教えを唱え続ける。

 

観自在菩薩(かんじざいぼさつ) 行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ) 照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)

度一切苦厄(どいっさいくやく) 舎利子(しゃりし) 色不異空(しきふいくう) 空不異色(くうふいしき) 色即是空(しきそくぜくう)

 

“何これ……苦しい!私を追い出さないで!”

 

「里沙子さんに取り憑いた霊が、苦しみ始めました……」

 

空即是色(くうそくぜしき) 受想行識亦復如是(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ) 舎利子(しゃりし) 是諸法空相(ぜしょほうくうそう)

不生不滅(ふしょうふめつ) 不垢不浄(ふくふじょう) 不増不減(ふぞうふげん) 是故空中(ぜこくうちゅう)

 

“痛い、痛い!身体が剥がれちゃう!お願いやめて!”

 

「里沙子、お前何やってるんだ!?」

 

「今は見守りましょう。お姉さま、完全に術式に没頭していますわ」

 

無色(むしき) 無受想行識(むじゅそうぎょうしき) 無眼耳鼻舌身意(むげんにびせっしんい) 無色声香味触法(むしきしょうこうみそくほう)

無眼界(むげんかい) 乃至無意識界(ないしむいしきかい) 無無明亦(むむみょうやく) 無無明尽(むむみょうじん)

乃至無老死(ないしむろうし) 亦無老死尽(やくむろうしじん) 無苦集滅道(むくしゅうめつどう) 無智亦無得(むちやくむとく)

 

“いやだいやだ!私は、武士として天下を取り、シラヌイ家が天下を、天下を……!”

 

「武家社会なんて、100年も前に終わりましたのに……」

 

「そんなに、幽霊としてこの世をさまよってたんですね。かわいそうです……」

 

以無所得故(いむしょとくこ) 菩提薩埵(ぼだいさつた) 依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみったこ)

心無罣礙(しんむけいげ) 無罣礙故(むけいげこ) 依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみったこ)

得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい) 故知般若波羅蜜多(こちはんにゃはらみった)

 

“あああああ!!消える、私が消える!私が消えたら、家臣が、乳母が、父上が!!”

 

「なあ、これでいいのか、本当に、なあ?」

 

「死者は、迷わず信じる神の元へ還るべき。わたしが言えることは、それだけです」

 

是大神呪(ぜだいじんしゅ) 是大明呪(ぜだいみょうしゅ) 是無上呪(ぜむじょうしゅ) 是無等等呪(ぜむとうどうしゅ)

能除一切苦(のうじょいっさいく) 真実不虚(しんじつふこ) 故説般若波羅蜜多呪(こせつはんにゃはらみったしゅ)

 

“どうして、どうして私をのけ者にするの……”

 

「あなた、とは、生きられない……ごめんね」

 

即説呪日(そくせつしゅわっ) 羯諦(ぎゃてい) 羯諦(ぎゃてい) 波羅羯諦(はらぎゃてい) 波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)

菩提薩埵訶(ぼじそわか) 般若心経(はんにゃしんぎょう)

 

“ああっ!!”

 

お経の終わりを告げると、あたしの身体からエリカが放り捨てられたように、

転がり出てきた。合掌をやめ、ただ浮かぶだけの幽霊に話しかける。

 

「どうする?大人しくブッダ様のところに帰るか、もう1回リピートするか。

あたしは何回でも行けるわよ」

 

「私は、お家のために……諦めるわけには……」

 

「おーし、アンコール希望ね。オッケー。

舎利子になった気持ちで、耳の穴かっぽじってよく聞きなさい」

 

「おいよせって!」

 

なぜかあたしを止めるルーベル。どういうつもり?まさか仏の教えに目覚めたとか?

 

「なんで!あと少しだってのに!」

 

「そいつ……泣いてるだろ。話だけでも聞いてやれよ」

 

エリカを見ると、器用に空中に手をつきながら、さめざめと涙を流している。

 

「だめよ。この手の霊は“優しい人”に、いくらでもすがりついてくるの。

多少強引にでも成仏させたほうが本人のためなの」

 

「少しだけでいい。時間をくれ」

 

「その少しだけ、がズルズルと……」

 

「お待ちになって、お姉さま」

 

意外なメンバーがルーベルに同調する。パルフェムまでどうしたの。

 

「パルフェム。こんな変な霊に関わるべきじゃないわ。

あなたに入り込まれたら、般若心経じゃどうにもならない」

 

「少しだけ話をさせてください。

パルフェムも同じ皇国出身です。彼女を説得できるかもしれません」

 

「……そこの餅女。

この娘に妙な真似したら、さっきのアレ24時間ぶっ続けで聞かせるからね」

 

「うう……」

 

パルフェムは椅子に乗って、涙で顔に髪が貼り付くエリカに話しかけた。

 

「エリカさん、はじめまして。わたくし、パルフェムといいますの。

あなたと同じ、皇国の生まれですわ」

 

「皇国……?」

 

「そう。あなたは武士として修行の途中、道半ばにして倒れた。間違いありませんね?」

 

「私は……死んだ。化け物に、敗れて……」

 

「それから幽霊として、滅びた村の中で留まり続けていた」

 

「ずっと、考えてた。戦う、方法。化け物、倒して、武勲を、立てる……」

 

「話は変わりますが、エリカさんは今がいつなのか、ご存知ですか?」

 

「行碌七年……」

 

「違います。今は西暦で2018年。あなたが生きていた時代から100年以上経っています。

もう武家社会は終わり、刀で身を立てる時代は終わったのです」

 

「そんな!それじゃ、私は、何のために……」

 

「もう、旅は終わりにしましょう。彼岸でご家族がお待ちです」

 

「ううっ、あああっ……!」

 

とうとうエリカが両手で顔を覆って号泣する。どうすんのよこれ。

さすがにあたしも話の締めどころに困って、とりあえず話しかける。

 

「ねえ、この娘の言う通り、もうあんたも楽になってもいいんじゃない?

現世に留まったって、この国に刀を必要としてる人はいないし、

皇国に戻ってもあんたの知り合いもとっくに亡くなってる。

極楽に昇るなり、輪廻の輪に戻るなり、前向きな生き方考えてもいいと思うわ。

死んでるやつに生き方ってのも変だけど」

 

「前向き……?」

 

「そう、そうよ。さあ、刀を置いて、すべて忘れて、心を穏やかに……」

 

「ならぬっ!」

 

「えっ!?」

 

その時、うつろだったエリカの目に光が戻り、転がっていた鎧や刀が彼女の元に戻った。

あ、変なスイッチ押したっぽい。

 

「拙者は、これからは前向きに、死に武者として生きるわ!この刀に誓って!」

 

シャキンと刀を抜いて、高く掲げる。天井にめり込んで半分隠れてるのが物悲しいけど。

 

「生きるってどうやって……死んでるのに、ってツッコミはもうやめとく。

具体的に何するのよ。あと語尾」

 

「里沙子殿、先程は大変失礼つかまつった。

あなたの中にいた時、幾多の戦いの記憶が流れ込んできたの、だ!

まだまだ世界には悪が蔓延り、助けを求めている者がいることがわかった!

拙者は力なき民のために、この刀を振るうことに決めたのよ、オホホホホ!」

 

「もう完全にキャラめちゃくちゃじゃない。

ちゃんと仕上げないうちに表に出すからそうなるのよ。

力なき民って言っても、誰も戦ってる奴なんていないわよ、この辺。

マウントロックスがラストチャンスだったのよ。諦めなさい」

 

すると、エリカはあたしに向き直って、三つ指を着いて頭を下げた。

 

「連れていってください」

 

「は?」

 

「悪鬼魍魎が蔓延り、民を苦しめている地へ、征伐の旅に連れて行ってください」

 

「寝ぼけんじゃないわよ!誰がそんな面倒くさいこと!行くなら勝手に行きなさいよ!

あたしらに迷惑かけないなら、何しようと構わないから!」

 

「安心しろ。ここにいりゃ、変な奴が向こうからケンカ売りに来るから」

 

「ルーベル黙る!あんたどっちの味方なのよ!」

 

「ありがと…かたじけのうござる!

いや、それが、一旦ここの主人たる里沙子殿に取り憑いたせいで、

この家の何かに憑依しないと外に出られない身体になってしまったから……」

 

「はあ、地縛霊にクラスチェンジ!?それでここに住まわせろって?

般若心経20連発食らわせてでも追い出すから!」

 

そう言い放つと、エリカが涙ながらに懇願してくる。

あたしの周りを旋回するな。目ざわりだー!

 

「お願い致す~!これでも武士の端くれ、用心棒や荒事では役に立つつもりじゃー!」

 

「ルーベルや妹で間に合ってるわ!」

 

「もう諦めたらどうだ?ここから出られなくなっちまったんだろ?

デカい銃持ってきてくれたんだから、面倒見てやれよ」

 

「くっ……!」

 

ちょっと痛いところを突かれた。左脇のホルスターを見る。

確かに、マウントロックスの一件がなかったら、

この一品が手に入ることはなかったかもしれない。悩みに悩む。

今でさえ飽和状態のこの家に、新しい住人、しかも幽霊が来るとは……ぐぬぬ。

 

「あたしが指定したものには絶対取り憑かないこと!特にこの金時計!

勝手に触ったらどんな手を使っても二重に殺すから!わかった!?」

 

「ありがとう、ありがとう……!」

 

「ふん、あとはさっさとサムライキャラ完成させること、以上!」

 

ダイニングの中の雰囲気がわっと盛り上がる。

どうやら、新しい住人を歓迎してるみたい。理解できない感性だわ。

 

「わーい、やっぱりなんだかんだ言って里沙子お姉さまは優しいんだ!」

 

「何が“わーい”なの?言ってごらんなさい。

ヘッポコ幽霊と同居することの、何がわーいなのか言ってみなさい!」

 

「へへ、実際最後には行き場のないエリカを住まわせることにしたんだろ?

さっきの呪文で追い払うこともできたのに」

 

「そうです。あれには驚かされました。

まさか里沙子さんが、わたしにも祓えなかった霊を、

不思議な魔法で身体から追い出すなんて。いつ光魔法の習得を?」

 

「ああ、あれ?般若心経って言ってね、あたしの祖国の宗教で広く読まれてる教えよ。

観自在菩薩って神様みたいな存在が、舎利子という弟子に“空”の概念を説くって内容」

 

「くう?なんだそりゃ」

 

「あたし達の身体や魂は今ここに存在するけど、

それは5つの感覚が構成しているもので、それはどれもあたし自身じゃないし、

他にあたしが居るわけもないから、結局あたしはどこにも存在しない。

その5つの感覚もまた実体がないから、そのこだわりを捨てた観自在菩薩、

つまりお釈迦様は全ての苦しみ、災いもまた捨て去ることが出来たの」

 

「……」

 

聞いているのかいないのか、ルーベルが微動だにしない。

 

「肉体だってそう。身体もまた実体のないもので、

実体がないものが、あるように見えてるだけ。

本当の姿は、実体が“ない”という形で“存在”してて、

真の姿はさっき言った感覚のように幻のような形で身体として存在してるの」

 

「はぁ……」

 

さすがにエレオも“何言ってんだこいつ”という顔。

 

「お釈迦様はこう述べた上で、この世に実体があるものはなくて、

生まれたり消えたり、汚れたり清められたり、増えたり減ったり、

苦しみに陥ったり幸福に満たされることもないと仰ってる」

 

「……」

 

ジョゼットがゆらゆら揺れてる。

 

「こんな風に、何事にも実体がないという境地に達すれば、

身体が受け取る感覚や、心までが一切“無”だってことになる。

ここまで来れば、老いることも死ぬこともないけど、老いることも死ぬこともある。

あたし達を苦しめてるものがないこともあれば、なくなることもない。

そんな感じで苦しみを受けつつ、それを捨て去ることもできる」

 

カシオピイア、立ったまま寝ないの。

 

「つまり、“空”の概念を理解すれば、一切のしがらみからフリーになって、

お釈迦様みたいに開放された存在になれる。……まあ、これはあたしの解釈よ。

本当に空を理解してるのはお釈迦様くらいね」

 

「うんよくわかったありがとう。ジョゼットの頭がオーバーヒートしてるんだが」

 

ルーベルが指先でつついても、ジョゼットの反応がない。

別に理解できてなくても何も問題ないから、放って置きましょう。

 

「これでも600巻の経典の中から、要点だけをかいつまんで記してるのよ」

 

「とても、ありがたい経典なんでしょうね。

わたし、今の説明がほんの少しだけ理解できたような気がします。

つまりわたし達や周りの物事に絶対性はなく、

要は気の持ちようで苦しみから逃れられる、ということでよろしいのでしょうか」

 

「さすがエレオね。その通りよ」

 

「しかし、そんな便利な魔法があるなら、

わたしの力がなくても、あの晩、背中に憑いたものを追い出せたのでは?」

 

「ああ、これは魔法じゃないし、

唱えただけで悪霊を祓えたりご利益が得られる、お手軽便利なものでもないの。

そういうのを求めてるなら、別のお経を探すべきね。

あたしがエリカを叩き出したのは、あくまで心の力」

 

「心の力?」

 

「彼女があたしの中に入り込んできたとき、

このありがたい教えをただ集中して唱えたの。

般若心経で満たされたあたしの心とエリカの執念が、言わば押しくら饅頭してたわけ。

結果、あたしの心の力が打ち勝って、

取り憑いたエリカを心から引き剥がすことに成功したの。アーイ、ウィン!

あたしの精神力も捨てたもんじゃないわね。今なら、まみやふじんも倒せる気がする」

 

「アイテム2つしか持てねえから無理だろ」

 

「とーもーかーく!エリカはあたしが指定した物品で寝泊まりすること。いいわね?」

 

「うむ。かたじけのうござる!」

 

 

 

所変わって、ガラクタだらけの物置。

ここには前の住人が残してったものがいろいろある。エリカの寝床を探さなきゃ。

今回は買い物イベントをスキップできて助かった。別になんでもいいんだけどね。

 

「これなんかちょうどいいかも」

 

錆びきって使い物にならない、石炭式アイロン。

安定もいいし、地縛霊の住処にはこれくらい薄汚れてるほうがいいわ。

 

「エリカー?どこー」

 

「拙者を呼んだであるか?」

 

「うぉっ!壁からところてんみたいに出てくるんじゃないわよ!

……まあいいわ。ほら、これ。あんたの寝床」

 

「えっ……うん、ありがとう」

 

一瞬、素に戻っておもっくそ嫌な顔をした。あたしは適当な台にアイロンを置く。

 

「試しに入ってみなさい。狭くて入れないとかだったら、他の探さなきゃいけない」

 

「拙者はそもそも眠らなくてもいいんだけど……」

 

しゅるしゅると石炭の投入口から、中に入り込むエリカ。問題なく全身が収まってる。

 

“うう、炭の臭いがくさいでござる~”

 

「文句言わない。ここに住ませる事自体、大幅譲歩なんだから」

 

幽霊の住処も用意して一仕事終えたあたしは、パンパンと手を払った。

なんかいつも以上にドタバタしてたから頭が痛いわ。今回はここまでよ。

それでは皆さん、熱中症には気をつけて。

 

あと……お経はちゃんと手打ちで入力したことだけは信じてやって。

断じてコピペじゃない。奴もそこまで罰当たりなことしないわ。

読めない字は予測変換にちょっと頼ったけど……

 

 


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