面倒くさがり女のうんざり異世界生活   作:焼き鳥タレ派

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猛暑で全滅寸前
この暑さで体調がメチャクチャ。一日中寝てる日が増えたし、酒で酔う元気すらないわ…


“長らく無政府状態が続いていたマグバリスが、トライトン海域共栄圏の支援を得て、

奴隷解放、武装集団の排除、農業技術・水資源の供給技術の確立を実現した。

そして、史上初となる民主的選挙による初代総裁が誕生。今後の先行きは不透明ながら、

マグバリスは立憲民主主義国家としての道を歩み始めた。

 一方、魔国は皇国に対し、新式魔術回路の特許無償使用を認める声明を発表した。

これにより、皇国は高速演算システムや重工業の発展が大きく前進し、

莫大な利益を得ることになると思われる。

 共栄圏設立からしばらくその恩恵を受けていなかった皇国だが、魔国の決定により、

具体的な形で共存と発展の一歩を踏み出した。

 まだ歪な三角形ではあるものの、トライトン海域共栄圏の動向に世界が注目している”

 

「ふ~ん、なるほどね。

彼が残してくれた戦果は、今のところ良い結果に結びついてるみたい」

 

2度目の冷水シャワーを浴びたあたしは、三つ編みを解いたまま新聞を読み、

ダイニングのテーブルでジョッキ一杯の氷水を飲んでいた。

 

冷やしすぎると身体に毒ですよ。

 

ジョゼットがこう言ってくれたけど、

こうも暑いと内外から肉体を冷却しないとやってらんない。

 

当のジョゼットだって汗まみれだし。律儀に真っ黒な修道服着てるからよ。

一応袖まくりはしてるけど、明らかに焼け石に水だし、背中が汗でびっしょり

 

「ジョゼット、昼食は軽いものでいいわよ。ていうか、軽いものしか食べらんない。

ここんとこエールで酔う気力もないわ」

 

「あ、はい……」

 

「それだけは喜ばしいことだな。この機会に禁酒しろ」

 

くたびれた様子で返事をするジョゼット。

涼しい顔をしてるのは、暑さ寒さに強い、オートマトンのルーベルだけ。

ムカつくほどの猛暑の中、全員、死にかけていた。

あ、正確には魔導空調機の設置されてるワクワクちびっこランドの住人以外ね。

 

魔導空調機なんて御大層な名前だけど、要するにエアコンよ。

暑くなり始めた頃、街の魔道具屋を探して見つけたんだけど、

なんと1台10万Gですってよ、奥さん。

 

なんでも?冷暖房機能を司る水と火属性、送風機能の風属性、

屋内の気温を感知する土属性、それらにエネルギーを供給する雷属性。

5属性の魔法陣を、熟練の魔道士が媒体のプラチナの板に彫り込んで内蔵してるから、

とんでもない値段になるみたい。おまけに公共マナの料金がバカ高い。

これじゃ、とても全員の部屋に設置なんかできない。

 

貯金が全部吹っ飛んで、あたしが働きに出る羽目になる。

だったら死んだほうがマシってことで、

熱中症になりやすい子供の部屋にひとつだけ買ったってわけよ。

あら、食事ができたみたい。ジョゼットがお皿を並べ始める。

けど、その手が微妙に震えてるし顔色も良くない。

 

「お昼は冷製トマトスープパスタです。それだけです……。それでおしまい。うへへ」

 

「十分過ぎるわ。東京で一人暮らししてた頃は、

この時期は飯を食うのが面倒だから3食プロテインだったもの。

ねえ。あんたこれ食べ終わったら、塩を舐めて水飲んで、

しばらく涼しいちびっこランドで横になりなさい。熱中症の初期症状が出てるわよ」

 

「うふふ、わたくしは大丈夫です。ふへへへ……」

 

「ジョゼット、マジで顔色悪いぞ……?

私は人間の身体のこととかわかんねえからさ、里沙子の言うとおりにしとけ」

 

「いい?これは命令よ。食事が済んだら冷水シャワーを浴びて、

クソ暑い修道服から夏用パジャマに着替えて、

エアコンの効いてるちびっこランドで休養すること」

 

「うう、わかりました……」

 

正直あたしも完全にバテてたけど、ジョゼットを座らせて、残りの皿はあたしが並べて、

弱々しい声でみんなを呼ぶ。

 

「……みんな~おいしいお昼ご飯よー。10秒で集まらないとあたしが食う」

 

2皿も食う元気なんてないけど。

皿に目を落としたら、茹で上がったパスタを水で締めて、

酸味が食欲をそそるトマトスープを掛けた美味そうな麺料理。

子供の頃、そうめんが出る度にぶーたれてごめんよ母さん。

クソ暑い中、毎日よくこんなもん茹でてたわね。

 

思い出に浸りながらしばらく待つと、

2階の階段からペタ…ペタ…と、なんだかふらついた足音が聞こえてきた。

 

「遅いわよ。あと1mmあたしの食欲が……ひっ!」

 

思わず悲鳴を上げる。そこには変わり果てた彼女の姿が。

 

「里~沙~子~さん…どーおしたんですか?髪型変えちゃって、イメチェンですかい?」

 

「どうしちゃったの!あなたそういうキャラじゃないでしょう!?ほら、これ飲んで!」

 

すかさずジョッキにたっぷり水を注ぎ、塩を大さじ2杯入れて、

エレオノーラに飲ませた。いつもの儚げで可憐な少女の姿は見る影もない。

真っ白な修道服はジョゼット以上に汗でぐっしょり。

きれいな薄桃色の髪はボサボサで、目に隈ができてる。

床に座らせて看病するけど、視線がうつろ。

 

「う~ん……。しょっぱいです~」

 

「しょっぱくなきゃ意味無いの。こんなになるまで何してたの?」

 

「今日一日を無事終えられたことをマリア様に感謝していました……。3時間くらい」

 

「まだ昼の12時よ!?1日の感覚が半分ズレてる!ああ、世話が焼けるわね!

……総員に告ぐ!動ける者はテーブルの食事を速やかに摂取し、飲めるだけ水を飲め!

動けないものは何かで音を立てなさい、以上!」

 

あたしだってぶっ倒れそうなのに、

結局、死にかけノーラやその他住人の救助に忙殺されることになった。

 

 

 

1時間後。

所変わって子供部屋。唯一魔導空調機が設置されてるワクワクちびっこランドに、

エレオノーラとジョゼットを寝かせて、

他のみんなは立ったまますし詰め状態になっていた。

それでも蒸し風呂状態の自室に戻るよりマシだった。

床に設置するタイプのエアコンが、ごうごうと冷気を吐き出している。

 

「もう!どうして私達がベッドから叩き出されて棒立ち状態なのよ!」

 

「ピーネ静かにして。エレオノーラが熱中症で危険な状態なの。

毎年何人もこれで死んでるのよ」

 

「ジョゼットさんの状況も、決して良くはありませんわね……」

 

パルフェムの言う通り、若干回復したとは言え、

快適な部屋ですやすやと眠る2人の顔色はまだ悪い。

思い返せば、この家、構造的に風が通り抜けにくいから熱がこもるのよね。

何らかの対策を講じないと、同じことの繰り返しになる。考えられる案は3つ。

1.思い切って空調機を買い足す。2.精の付くものを食べる。3.集団疎開。

 

1はありえない。さっき言ったように金がなくなる。

2はウナギなんかを食べてビタミンやミネラルを補給して元気になる方法だけど、

根本的解決にならない。この暑さはまだまだ続く。

またエレオを部屋に戻したら、オウム的修行を始めかねない。

3は……と、最後の案に考えが至ったところで、エレオ達が目を覚ました。

 

「うう……わたしは、何をしていたんでしょう」

 

「まだ頭がふらふらします~」

 

「ほら、無理しないの。あんた達、暑さでクルクルパーになってたのよ。

笑い話じゃなくて、死んでてもおかしくなかった」

 

「それは、ご迷惑をおかけして、すみませんでした。

あの……どうして里沙子さんは髪型を?」

 

「あー、そっから記憶が飛んでるのね。単に水シャワー浴びたから乾かしてるだけよ。

自然乾燥はハゲるらしいけど、病気でもあるまいし、知ったこっちゃないわ。

そんなことより……」

 

あたしは、再び3つ目の案について思いを巡らす。

今は空調の効いてる子供部屋で休んでるけど、

だからって子供を灼熱地獄に放り出したままにして、患者を増やしたら本末転倒だわ。

だったら、一時帰宅(?)しかないわね。

 

「ねえ誰か、帝都の主要機関と連絡取る方法知らない?

今のエレオに魔法使わせるのは危険だし、ジョゼットは移動魔法なんて知らないし」

 

部屋を見回すと、紫の軍服を汗で染めたカシオピイアが、奥に入り込んできた。

この娘も要注意ね。苦しくても表情に出さないだろうから。

 

「はい……」

 

彼女が小さな鉄の棒を手渡す。あら懐かしい。魔王編で活躍した音叉だわ。

……そう、これよ!まだ回線が生きてるなら、皇帝陛下とつながるはず!

そこから大聖堂教会に連絡して、あっちから迎えに来てもらう。これしかないわ。

 

「ありがと!これならなんとかなりそう!」

 

さっそく指先で音叉を弾くと、

高い音色の音波が紫の色を帯びて目に見えるようになり、部屋に広がる。

みんなで美しい音の輪を見ていると、音が鳴り終わり、元の音叉に戻る。

数秒待つと、今度は低い音と黒い音波が発生し、返事が返ってきた。

 

“どうした、カシオピイア隊員。何か問題でも発生したのか。

報告書では平和そのものらしいが”

 

「皇帝陛下、わたくしです!斑目里沙子です!彼女の音叉を借りてお話ししています!」

 

“おお、里沙子嬢。久しいな。

先日受け取った新たなライダーシステムは上々の出来である。

貴女と仲間も開発に関わったとか。

敵を傷つけず無力化する兵器は、専守防衛を国是とするサラマンダラス帝国の……”

 

「申し訳ありません、非常事態なのです!何卒お力をお貸しください!」

 

“!……用件を”

 

非常事態という言葉に世間話を打ち切って、あたしの続きを待つ皇帝。

あたしは現状エレオノーラとジョゼットが熱中症で、油断のできない状況であること、

大聖堂教会に連絡を取って、

空調の効いた教会に迎えに来るよう頼んで欲しい事を手短に伝えた。

 

“了解した。直ちに教会に連絡を取る。

実は我が軍でも、この猛烈な暑さで倒れる者が続出している。

体力のない女性では耐えられまい。とにかく、今すぐ対応する。時間が惜しい、切るぞ”

 

「ありがとうございます!」

 

礼を言うと同時に音叉が振動を止めた。

あたしはほんの少しだけ安堵して、カシオピイアに音叉を返した。

 

「皇帝陛下が大聖堂教会に連絡を取ってくれるって。

……エレオ、ジョゼット。もう少しだけ我慢して」

 

「すみません……。お手数を、おかけして」

 

「あう…お昼のパスタは、どうでしたか」

 

「暑い時期にピッタリのベストチョイスだったわ。おかげであたし達は元気。

でも、軽いものでいいって言ったのに、あんな熱いもの茹でることないじゃない。

こんなに汗だらけになって。あんたはゆっくり寝てなさい」

 

「ふふ…病気になると、里沙子さんが優しいです。

たまには病気で倒れるのも嬉しいかも」

 

「どっかで聞いたような台詞はよしなさい。多分、もうすぐ救助が来ると……」

 

その時だった。

あたし達がだべってると、部屋全体の空間が実体を失って、

洋服ダンスやベッドに手足がめり込み、

ワクワクちびっこランドが目で追えないほど高速回転を始め、

危うく酔うところで思わず目を閉じた。

 

みんなその場でかがみ込んで、突然の現象が収まるのを待っていると、

そのうち周囲の気配が静まったのを感じたので、少しずつ目を開けると、

驚くべき光景が広がっていた。大聖堂教会、法王謁見の間。

 

法王の間には、医療班と思われる白衣とマスクを着けた大勢の神官と、

簡易ベッドを抱えた屈強なパラディン達が待機していた。

当然、高い杖を持った法王猊下も。何か言おうとしたけど、医療班の声に遮られた。

 

「パラディンはエレオノーラ様、ジョゼット女史を医務室に搬送!

医療班は氷嚢で体温を下げ、生食を点滴静注!急げ!」

 

「「了解!」」

 

パラディン達がエレオノーラとジョゼットを簡易ベッドに固定し、

ベッドごと抱えて医務室へ運ぶ。

それを追いかけるように、医療班達が用意していた氷枕や点滴で手早く処置を施す。

 

バタン、と扉が閉じられ、どこかへ連れられていく2人。

あたしはその様子を見ていることしかできなかった。

エレオノーラ達が去っていったドアを、静かに見守る法王猊下がつぶやいた。

うろたえることもなく、長い顎髭を指先で撫でている。

 

「皇帝が魔法文で緊急連絡をくれた。……あまり大事に至らなければ、良いのじゃが」

 

あたしは彼に跪いて、頭を下げた。

 

「申し訳ございません。お孫さんがこのような事態に陥ったのは、

管理責任を怠った、家主であるわたくしの責任です。弁解の余地もありません。

つきましては……」

 

法王猊下は続きを口にしようとするあたしを、そっと手で押し止めた。

 

「面を上げるがよい。エレオノーラも、もう16。自分の身は自分で守れるはずじゃ。

そうでなければならん。つまり、誰の責任でもない」

 

「しかし……」

 

「ここには魔導空調機が完備されているとは言え、

今年の暑さはこの老骨にもずいぶん堪える。自然の力に抗えるものなどおらん。

エレオノーラの心配は、わしがしよう。貴女はお仲間の心配をするとよい」

 

「猊下……。ありがとうございます。

わたくし達は、聖堂で2人の回復を待たせていただきます。では、一旦失礼いたします」

 

「うむ。……おお、そうじゃ」

 

あたし達が退室しようとすると、法王が杖をトンと突いた。

大きな杖を持っていなければ、軽く手を叩いていたと思う。

あ、この杖で“神の見えざる手”を発動して、あたし達を転移させたのね。

 

「里沙子嬢。君達も、当分客室に滞在されるがよい。

せめてこの猛暑が一段落するまでは」

 

思わぬ申し出に慌てて遠慮する。

 

「い、いえ、そこまでお世話になるわけには!

正直な所、エレオノーラさんとジョゼットの受け入れを

お願いしようとは考えていましたが、

わたくし達まで泊まり込むなど図々しいことはできません!」

 

「では、また誰かが暑さで倒れることになってもよいのかね?

後ろの妹君も、だいぶ汗をかいているようじゃが」

 

「それは……」

 

確かにカシオピイアの軍服も、肩口から背中にかけて、汗でびっしょりと濡れている。

やっぱり本人は無表情だけど。この娘を放っといたらジョゼット達の二の舞になる。

 

「何から何まで、本当に申し訳ありません……」

 

「そう気にすることではない。普段孫が世話になっておるのだ。

客室も無駄に多く、たまに使わねば傷んでしまう。すぐに使えるように支度をさせよう。

しばし、待たれよ」

 

こうして、あたし達はエレオノーラとジョゼットの回復を待ちながら、

しばらく大聖堂教会で厄介になることになった。

 

 

 

 

 

その頃、里沙子の部屋でゴトゴトと何かが動いていた。部屋の隅に置かれた位牌。

青白い霊魂が抜け出て、人の形になる。

夜になっても真っ暗で、人の気配がないのを不審に思った彼女は、

キョロキョロと周りを見回し、誰ともなしに呼びかけた。

 

「誰か~?いないでござるかー?里沙子殿、そろそろお線香を上げて欲しいでござる」

 

当然ながら返事はない。教会の中は静まり返っている。

仕方がないので、彼女はドアをすり抜けて廊下に出て、皆の部屋を覗いて回る。

 

「誰かいたら返事をして欲しいのじゃ~!」

 

他のメンバーの個室にも誰もいない。1階に下りる。

ダイニング、聖堂、シャワールーム、子供部屋。

虱潰しに探したが、やはりエリカ以外、人の姿はなかった。

置いてきぼりにされた事実に愕然とするエリカ。

 

「いない!また捨て置かれたのじゃ!里沙子殿の薄情者―!……くすん」

 

ひとりぼっちで教会に取り残されたエリカ。

しばし放心状態でその場でふわふわ浮かぶが、無理やり寂しさを怒りに変えて、

自分を奮い立たせる。

 

「どうも里沙子殿は、幽霊は雑に扱っても良いと思っているフシがあるのじゃ!

このままではシラヌイ家の名が廃るのである!

こうなったら幽霊の恐ろしさを味あわせてやるしかない!」

 

そして、また辺りを見回す。

手近なもので自分の存在をアピールできるものはないだろうか。

適当なものを探していると、メモと文房具が入った箱の中、赤のマジックに目が留まる。

 

「この筆記具に憑依して、台所の壁に大きく“絵里香参上!”と書いてやるのは……。

ダメダメ、里沙子殿がぶち切れるわ。三途の川に沈められてもおかしくない。

あの人ならやりかねない」

 

身震いするエリカ。もうちょっと可愛げのあるイタズラで、

なおかつ自分を表現できるものはないかしら。ないかのう。

 

「うーん、今回は書き置き程度で我慢しておくでござる。

まず、この太い筆記具に取り憑いて伝言を紙に書き、テーブルの上に置いておくのじゃ」

 

今度はマジックに憑依し、メモにひとつメッセージを書いた。これくらいでいいだろう。

というより、物に憑依して動かすのは結構疲れる。

筆記具の場合は、一言書き残すだけで精一杯だ。

若干文字が歪んでしまったが、彼女は満足したようだった。

 

「うむ、これなら里沙子殿も少しは反省するでござろう!はぁ、疲れた……。

だめだめ、これだけで満足してちゃ。あと2,3個はイタズラが必要なのじゃ。

……怒られない程度の。次は何にしようかしら」

 

とりあえずエリカは、今までに里沙子から受けた仕打ちを思い出す。

ええと、確か拙者が取り憑いたままの鉄砲をゴミに出されたから……。

裏庭のゴミを、ちょっとだけ里沙子殿の部屋に散らかしてやるのが良いであろう!

後で自分で片付けろと言われても負担にならない程度に!

 

エリカはつい人間だった頃の癖で、玄関の鍵に取り憑いて鍵を開いたところで、

物置から裏庭に出たほうが早いことに気づき、奥に引き返した。

 

おっと、拙者としたことが。

里沙子殿がいなくても、この建物から離れ過ぎなければ大丈夫なのである。

大丈夫というより離れられないのであるが……

大体3(けん)(約5.4m)程度なら平気なのじゃ。

 

 

 

 

 

ガチャッ……

 

俺は背後の小さな音に思わず足を止めた。夜になっても明かりのひとつもない教会。

つまり住人は不在。だから俺は忍び込んで金目のものを失敬しようと、

玄関の鍵をピックで解錠しようとしたんだが……。くそ、なんて面倒な作りだ。

ここは諦めるか。立ち去ろうとしたその時。

……なぜか向こうから鍵が開いた。

 

思わず振り返ってドアを見るが、人が出てくる様子はない。

空き巣の俺にしちゃ好都合なんだが、気味が悪い。誰か隠れてやがるのか?

とにかく俺は、ゆっくりドアを開く。

 

ボロい聖堂が広がっている。一番高そうな物が、細かいヒビが入った石膏のマリア像。

ここには大したものはなさそうだ。

奥に通じるドアを通って、住人が暮らしているらしい区画に入る。

 

そこはダイニング。住人が食事をしていたらしい。

食べ終えたもの、まだ少し残っているもの。6人分くらいの皿が並んでいる。

通帳かなんかは無いか?俺は書類ケースや食器棚を手当たり次第に開く。

 

食器棚に金品なんてあるのかって?意外とあるんだよ。

泥棒の裏をかいて妙なところに隠せば大丈夫だと思ってるやつが多いんだ。

ま、俺達にはお見通しだがな。ここにもねえか……

 

今度は2階を家探ししようとしたら、テーブルの上に何か書き置きがあるのを見つけた。

夜目が効く俺でも、真っ暗な家の中じゃよく見えなかった。

その紙切れを手にとって読んでみる。

 

 

──みす て ない で

 

 

「ぎゃっ!!」

 

思わず悲鳴が出て、心臓が飛び出るかと思った。

とっさに血で書き残されたメモを投げ捨てる。死に際に書いたと思われる歪んだ字。

一体どうなってる、この屋敷は!?

 

 

 

 

 

よいしょ、よいしょ、と。

壊れた椅子ひとつとは言え、取り憑いて運ぶのは一苦労でござる。

裏庭から物置を通って廊下に戻ったところで一休み、と。その時でござった。

台所から男の悲鳴が!

 

“ぎゃっ!!”

 

「きゃっ!」

 

コホン、不覚にも武士らしからぬ声を出してしまったのじゃ。

やはりこういう時は「うぬう!」と野太い声を……

 

“誰だ!誰かいるのか!?”

 

ああ、気づかれちゃったみたい。とりあえず椅子の中に入ったまま様子を見ましょう。

というか、あの殿方は誰かしら。里沙子殿がお留守番を雇ったのじゃろうか。

全くもう、拙者という頼れる用心棒がありながら。

 

 

 

 

 

“きゃっ!”

 

「誰だ!誰かいるのか!?」

 

暗い廊下から悲鳴が聞こえた。声が聞こえた方を見ると、廊下の真ん中に壊れた椅子が。

……なんでこんなところに椅子が?

俺はジャケットに手を突っ込んで、銃を取り出し、両手で構えながら近づく。

そして、つま先で軽く蹴ってみた。反応はない。

恐る恐る、椅子に銃を向けながら、廊下の奥に見える寝室に向かった。

 

2人用の部屋らしい。ベッドのサイドボード、衣類用チェストを引っ掻き回すが、

ガキの部屋だったらしく、金になるものは何もなかった。それにしても暑い。

ここ数日の猛暑で仕事にも支障が出てる。手汗でピックが滑って解錠がし辛い。

 

おおっ、こんなところに魔導空調機があるじゃねえか。

こんなもんがあるってことは、やっぱり金持ちなんだな。

ちょっとお宝探しは休憩して、少し涼んでいくとしよう。

ええと、ボタンが2つあるが冷房のボタンはどっちだ。ちくしょう、暗くてわからねえ。

両方押して見るか、と思った時。

 

“右でござるよ……”

 

「はうっ!」

 

飛び上がる思いをした。正体不明の声に振り返ると、

さっき廊下にあったはずのボロい椅子が、空中に浮かんで話しかけてきたのだ。

 

「うわあああ!!」

 

俺は思わず椅子を銃で撃った。脆くなっていた椅子が粉々に砕けて床に散らばる。

それでも激しい鼓動が止まらない。こりゃアレか?ポルターガイストって奴か!?

 

「なんだ、なんだ、なんなんだよこの家は!?

もう10Gでいい、小銭でもなんでもひっつかんで、とっととここからおさらばするぞ!」

 

部屋から逃げ出すと、俺はよつん這いになりながら2階への階段を上っていった。

 

 

 

 

 

お留守番の人が子供部屋に行ったのだ。なぜか拙者に鉄砲を向けているが……。

しまったのである。椅子に取り憑いたままであった。

いきなりこんなところに現れては、警戒されるのも必定。以後反省。

 

さて、彼は子供部屋の掃除を始めたのじゃ。

なるほど彼は、お留守番兼お手伝いさんだったのであるな?

しかし、子供とは言え、女子の部屋であるのだから、

もう少し丁寧に扱ってもらいたいと思うのは贅沢であろうか。

 

むっ、彼が確か……魔導空調機とやらを使おうとしてるわ。ふむ。

幽霊の拙者には気温の寒暖は関係ないが、生きた人間にはこの暑さは耐え難いであろう。

使い方を知らぬようであるから、そっと後ろから指南する。

ん?馬鹿にするでない!確かにカラクリには不案内であるが、

スイッチ2つの使い方くらい拙者でもわかるわよ!

 

「右でござるよ……」

 

“うわあああ!!”

 

彼が突然発砲。拙者はいきなり撃たれてしまったー!……ああ、またしても失敗。

椅子の姿のまま話しかけてしまった。また彼を驚かせてしまったでござる。

 

“なんだ、なんだ、なんなんだよこの家は!?

もう10Gでいい、小銭でもなんでもひっつかんで、とっととここからおさらばするぞ!”

 

里沙子殿すまぬ。拙者がお留守番を驚かせたせいで、彼が仕事を辞めようとしているわ。

きっと“たいしょくきん”という物を探しているのよ。

せめてものお詫びに、拙者も一緒に探そうと思う。

この姿では切腹もできぬ。いや、やらないけど……

 

 

 

 

 

俺は廊下両脇の部屋を片っ端から開ける。何か、何かないか!?金になる物!

……ちくしょう、ガラクタやどうでもいい書類!

お、あったぞ!大聖堂教会の聖水、金のマリアの模型、シルクの服!

背負ったリュックを下ろし、急いで詰め込むと、最後の部屋に向かう。

廊下の突き当り、一番奥の部屋。

 

ここが当たりだった。ガラクタだらけの汚ねえ部屋だったが、

踏んづけて足を痛めないよう、すり足で床を進むと、デスクの上に高級な金時計!

間違いない。これを売っぱらえば死ぬまで食うに困らねえ!

訳のわからねえ何かに怯えながら仕事に励んだ甲斐があったぜ……

 

ホッとした俺が金時計に手を伸ばすと、

蒸し風呂のような暑さの中、背筋に凍るような冷たい悪寒が走った。

 

“殺される……”

 

伸ばした手が動かせない。俺の真後ろに、“奴”がいる。

振り向こうなどとは考えもしなかった。

 

“殺される……”

 

悲鳴も出なかった。二度目が聞こえた時、俺は飛び跳ねるようにドアをくぐり、

階段を下り、聖堂を抜け、転がるように呪いの屋敷から脱出した。

 

 

 

 

 

2階へ垂直に通り抜けると、彼は皆の部屋を探し回っているところであった。

“たいしょくきん”が必要なのはわかるが、

里沙子殿が戻るまで待って欲しいでござるよ。それはエレオノーラ殿の私物である。

 

声を掛けるべきかどうか迷っているうちに、

とうとう里沙子殿の部屋に入ってしまったのじゃ。あ、それ以上いけない。

拙者は彼を追って部屋に入る。この部屋でも彼は里沙子殿の持ち物を漁っていたが、

とんでもない行動に出ようとしていた。

 

なんと彼女の金時計を持ち去ろうとしていたのである。

そんな狼藉を働いた日には、里沙子殿に文字通り地獄の果てまで追いかけられ、

どんな目に合わされるかわかったものではない。

拙者は取り返しがつかなくなる前に、意を決して霊体の姿でそっと彼の背に触れ、

声を掛けた。

 

“(里沙子殿に)殺される……”

 

お留守番が金時計に伸ばした手を止めた。うむ、それでよい。命あっての物種である。

しかし、それでも尚その場から動こうとしないので、もう一度警告した。

 

“(グチャグチャにされて)殺される……”

 

今度は素早い動きで部屋から出ていってくれた。

窓から外を見ると、彼の急ぎ足で帰宅する姿が。

もう遅いから、早く帰られるが良かろう。拙者もそろそろ寝るとしよう。

里沙子殿が買ってくれた位牌は、とても寝心地がよい。

 

ずっと外で自由に浮かんでいるのが一番だと思っておったが、

死者を祀る位牌と霊体の相性は非常に良いらしいのだ。

幽霊は寝なくても問題ないのじゃが、位牌の中にいると、つい寝坊してしまうわ。

それにしても里沙子殿や皆はどこに行ったのかしら。

 

 

 

 

 

翌日。

ハッピーマイルズ軍事基地に、空き巣がほうほうの体で駆け込んできた。

猛暑の中、街外れまで走ってきた彼は、

汗だくになりながら門番の兵士にすがりつくように訴える。

 

「助けてくれ!教会に化け物がいる!」

 

「なんだ、いきなり訳のわからんことを」

 

「昨日ハッピーマイルズ教会に、その……。お邪魔したんだが、

勝手に物が動いたり、変な声が聞こえたり。

そうだ!助けを求めるメモもあった!あそこの住人はみんな“奴”に殺されたんだ!」

 

「まるで意味がわからんぞ。暑さでおかしくなったんじゃないのか?」

 

ハハハ、と門番はゲート向こうの詰め所にいる同僚と笑い合う。

たまたま通りかかったシュワルツ将軍がその声を聞きつけ、彼らに近づいた。

 

「どうした。何事か」

 

「はっ!この男がおかしなことを。ハッピーマイルズ教会に化け物がいて、

住人がそいつに皆殺しにされた、とのことです」

 

将軍が厳しい目つきで、男に問いかける。

 

「……その、化け物とやらを見たのは何時頃か」

 

「夜だ!夜8時頃だったと思う!そこで見た、いや、聞いたんだ!亡霊の叫び声を!

調べてくれ、きっと教会の周辺に住人の死体がゴロゴロと……」

 

「馬鹿者!!」

 

思わず言葉を失う男。大きな声で有名なシュワルツ将軍の怒鳴り声に、

周りの兵士たちも身が縮まる思いをする。

 

「え、だって……」

 

「リサと仲間達は昨日の昼から帝都の大聖堂教会で療養中である!

シスター2人が暑さで倒れてな!

……となると、夜に侵入した貴様は盗人であるな?兵士、この男を拘束しろ!」

 

「はっ!」

 

兵士が男に手錠を掛け、リュックの中を調べる。

 

「うわっ、やめろー!」

 

「将軍、所持品の中からこんなものが!」

 

「これは……エレオノーラ嬢の頭巾。そして大聖堂教会謹製の品々。

なぜ貴様がこんなものを持っている!?取調室に連行しろ!」

 

「了解!さあ、立て!」

 

「違うんだ!いや、違わないけど、化け物は確かにいるんだ!あの教会を調べてくれ!」

 

「ついでに頭から氷水でも浴びせておけ」

 

こうして、哀れな空き巣は逮捕された。

そんな事はつゆ知らず、エリカは快適な位牌の中で昼まで眠っていたという。

 

 

 

 

 

法王猊下の計らいで、あたしは冷房が効いた大聖堂教会の客室でくつろいでいた。

もう一日に何回も水シャワーを浴びなくても済むわ。

エレオノーラもジョゼットもずいぶん元気になったし、カシオピイアにも笑顔が戻った。

やっぱりあたし以外には無表情にしか見えないだろうけど。

 

あと一週間もすればこの馬鹿みたいな暑さも少しは収まると思う。

それまではここでお世話になって、3食しっかり食べて、

残りの夏を乗り切れるだけの体力を付けましょう。

とは言え、あたしも少々夏バテ気味ではあったし、昨日からバタバタしてたから、

少々休息を取らせてもらおうかしら。

 

あたしは仮眠をとるべくベッドに横になり、目を閉じた。

そして、大切なことを思い出す。

 

「やべ、エリカ忘れた」

 

 


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