「んまあ!なんて可哀想な子なんでしょう!マーカス君、もう心配いらなくてよ!
このハッピーハッピーこども園で、みんなと楽しくいつまでも暮らしましょうね。
ここでは毎日温かい食事とベッドが保障されてます」
「はい、よろしくおねがいします!」
哀れな捨て子を装って返事をした。実際似たようなもんなんだが。
化粧のキツいババアがここの園長らしい。
正門を潜ろうとしたら、入り口の警備に止められたから、
里沙子の紹介状と“寄付金”を渡したら、あっさりお客様対応に変わった。
それで、今は園長室で入園手続きの最中だ。
「ふむふむ……身元保証人は、ハッピーマイルズ教会のミス・マダラメ。
問題なくってよ!あなたも今日からここの一員!
愉快な仲間と素敵な毎日を過ごしましょうね!私が園長のベティ・カルバーですわ。
よろしくね、マーカス君!」
「ありがとうございます、園長先生!楽しみだなあ」
いちいち声がデケえんだよババア。でも、しばらくはいい子を演じておく必要がある。
とにかく、これで内部を見られる。建物の外見自体は“ただの”孤児院だった。
問題は中で何をやってるかだ。ババアと園長室を出て、後に続く。
「まず、ここがみんなと一緒に眠るベッドルームざます。二段ベッドになってますから、
上下どちらにするかは、他のお友達とよく話し合って。ケンカは駄目ざますよ」
「はい、先生。……わー、ふかふかのベッドだ!」
ここは問題ねえな。広いスペースに、木製の二段ベッドがたくさん並んでる。
皆はここで眠るらしい。怪しげな装置の類も見られなかった。
「うふふ、もうすっかり気に入ってもらえたみたいざますね」
「こんなに柔らかいベッドで寝られるなんて、僕はラッキーです!」
「そうざましょう、そうざましょう。次は年少組の教室を見学しましょうね。
ちょうどみんなもお遊戯の最中ですから、いいタイミングですわ、
マーカス君を紹介しましょう」
よし、ここまでは順調。廊下を通って教室に移動する。何かあるとすれば次だな。
子供達の歌声が近づいてきた。
♪まっかな太陽 まっかなリンゴ
ぜんぶ ぜんぶ マザー・レッドのお恵みだ
みんなで歌おう 声合わせ
今日もマザーが ぼくらのことを
すてきな 笑顔で みまもるよ
やがて 世界を 赤く染め
マザー・レッドが みんなをみちびく
早くも病原体らしきものが見つかったぜ。
教室の中では、4,5歳くらいの子供達が、訳のわからん奴を称える歌を歌わされていた。
まぁ、こいつらに歌わされてるって自覚はねえんだろうな。
色紙を切って作った、いろいろな動物が壁中に貼られている教室に入ると、
全員が歌を止めてこっちを見た。ババアが手を叩いて俺の紹介を始める。
「皆さん、注目ざます!新しいお友達がハッピーハッピーこども園に仲間入りしました!
彼はお兄さんですから、年長組に入ってもらうことになるざます。
これからみんなのお世話をしてもらうこともあるから、お兄さんと仲良くね。
さ、マーカス君。自己紹介を」
「はい!みんな、僕はマーカスっていうんだ。
まだわからないことが多いけど、これからよろしくね」
“よろしくおねがいしまーす!”
さっと子供達を見回すが、事前情報のベネットって魔女らしきやつはいなかった。
恐らくそいつも年長組とやらにいるんだろう。
「よくできました。では、あなたがお勉強することになる、年長クラスに行きましょう」
「はい。その前に、ひとついいですか。園長先生」
「何ざます?」
「さっきみんなが歌っていた不思議な歌、僕も覚えたいです。
楽譜を1枚分けてもらえないでしょうか」
「んまー!なんて勉強熱心なんざましょう!先生、彼にも楽譜を1枚」
「かしこまりました!マーカス君、どうぞ」
「ありがとうございます!」
担任らしき女性から、わら半紙に刷られた楽譜を受け取る。証拠品1つゲット。
胡散臭さ爆発の歌詞で、何から考察すればいいのかわかんねえ。
「今度はマーカス君の教室になる、年長クラスの教室を見学しましょう。
年長クラスは2階ですから、階段を上りましょうね」
おし、来た。年少クラスから出ると、また廊下を進む。
俺は手に入れた歌詞を読みながら、
まずは一番気になる、マザー・レッドについて探りを入れる。
「先生、さっきの歌について質問があるんですけど、いいですか」
「いいわよ~何でも聞いてちょうだい!」
「歌詞の中にマザー・レッドという言葉が出てくるんですが、これは何ですか?
人の名前…みたいですけど」
「ああ、それは……話すと長くなるざます。後日丁寧な説明がありますわ、オホホ!」
あからさまにごまかしやがった。
どうもマザー・レッドとやらが、この孤児院の気色悪さの正体らしい。
階段を上りきって、また廊下を進み、
“年長組”のプレートが横に突き出た教室に案内された。
ババアがスライド式の木のドアを開けると、
学生用の簡易机に座っていた生徒が一斉にこちらを見る。
さすがに年少クラスのようなガキみたいな飾り付けはされてない。
「先生、少し失礼するざますよ」
「どうぞどうぞ。園長先生」
「はい皆さん、少し鉛筆を止めて話を聞いてください。
今日からこのハッピーハッピーこども園で、一緒に生活することになった、
マーカス君です。どうぞ、自己紹介を」
「はじめまして。今日からお世話になる、マーカスです。
早く先輩方に追いつけるよう、頑張りますのでよろしくおねがいします」
自己紹介しながら教室を見渡す。お、あいつだな。
後ろの方の窓際で、頬杖をついて外を見ている、オレンジの混ざったブロンドの女。
机の横のフックには紫の頭巾を引っ掛けてる。間違いねえ。里沙子の情報と完全一致。
後はどう接触するかだ。
「そうですわね……急な話だったので、
マーカス君の教科書や文房具はまだ用意できておりませんの。
今日のところは授業の雰囲気にだけ慣れてもらうざます。
空いた席に座って、先生の話を聞くだけにしておきましょう。さあ、好きな席に座って」
「はい、わかりました!」
ツイてる。ちょうどベネットって奴の隣が空いてた。
机の間を通りながら、よそ見してるやつの筆箱から鉛筆を一本拝借。
席に着くと、教師が黒板に板書しながら授業をしている……が、
まるで国語のカ行変格活用を解説するかのように、
正気の沙汰とは思えない妄想を生徒に垂れ流していた。
「教科書87ページ、世界の成り立ち。ちゃんと復習したかー?
まず、この宇宙はマザー・レッドによって創造され、
その御威光は今なお耐えることなく、宇宙は膨張を続けてる。
ミクロの視点では、先生達が食べてるパン、住んでる家、着ている服に至るまで、
全部マザーのお恵み。これらに対して感謝を忘れることは許されん。
マクロ的視点では、夜空に光る星々。デカいもんだと光輪星だな。
これら惑星の活動も、マザーの深い思慮によって、宇宙の均衡を保ちながら、
誕生と消滅を繰り返してる。この辺、次のテストに出るからなー?
ハインツ、冥落星はもう惑星じゃねえぞ。しょうもないところで点落とすなよ」
「わかってますよ~そこはもう復習しました」
アハハハ……
なんでこいつら笑ってんだ?アホ丸出しの与太話に一生懸命耳を傾けてやがる。
こいつらは手遅れだとしても、とっととどうにかしねえと下のガキ共が危ない。
俺は教師の目を盗んで、鉛筆でさっきの楽譜の裏に走り書きでメッセージを書いて、
ベネットとか言う奴の机にそっと置いた。
“里沙子 救助 会いたい”
楽譜に気づいたベネットが少し驚いた様子で、
同じく気付かれないように一言書いて戻してきた。
“授業後 ベランダ”
要救助者との接触に成功。後はこのキチガイの集会が終わるのを待つだけだ。
施設内にチャイムが鳴る。2限目が終了したらしい。
ベネットが俺を置いて教室から出ていくが、それを慌てて追いかけるほど馬鹿じゃねえ。
少し、間を置いてから……
「ねえ、マーカス君だっけ。新入生なんだよね。私ララっていうの。
これからよろしくね」
「はい。よろしくおねがいします、ララさん」
ちくしょう、邪魔が入りやがった。
「ふふっ、敬語なんていらないよ。あなたも同じ年長組なんだから。
年齢なんて関係ないよ」
「ありがとう。うっ……」
「どうしたの?」
「ごめん、急にお腹が痛くなってきた!トイレはどこかな?」
「大変、教室から出て右に進んだところよ」
「本当にありがとう!しばらく戻れないと思う」
「気をつけてね~」
上手い口実が見つかってよかった。ベランダとトイレは同じ方向だ。
トイレを通り過ぎて、突き当りにあるベランダへのドアを開く。
そこにさっきのブロンドが待っていた。
「……さっきも言ったが、マーカスだ。あんたを助けに来た」
「里沙子が今更何のつもりですの!?
この天下無双の悪霊使い、ベネット様をキ印の巣窟に叩き込んで、今度は帰ってこい?
一体何を考えてるのかしら!しかも寄越したのが、こんな薄汚れたガキだなんて。
あいつこそ、このカルト宗教で洗脳されればいいんだわ!
絶対今よりはマシになるはずよ!」
「時間が無えんだ。出る気があるのかないのか、はっきりしてくれ。
俺一人なら出るのは簡単なんだが」
「待って!……出る。私も出ますわ。何か方法でもあって?」
「侵入が困難な守りの固い所ほど、脱出への備えは甘いものだって、
ガラクタ屋の古本に書いてあったし、実際その通りだ。
だが、その前にここがヤバイ施設だって証拠が必要なんだ。
ただクソ以下の理屈を教えてるって事実だけじゃ、正直弱いんだ。
なんか軍が動き出すような、客観的事実が欲しい」
「ええ、ええ、ありますとも!両手に抱えきれないほどたくさん!
私なんて、アレで何度も、何度も……キ、キキキキィ!もごもご!」
「落ち着け、大声を出すな!」
ベネットが突然奇声を上げ始めたから、
ハンカチで口を押さえて、背中を撫でて落ち着かせた。
「はぁ、はぁ、嫌な事を思い出させないでくださいまし!
あと、レディに気安く触れないで!」
「触れないでなら、いきなり発狂するのもやめてくれ。で?証拠品ってのは」
「まず、私が持ってる教科書全部。
一言で言うと、マザー・レッドとやらを信じないと地獄に落ちる」
「他には?」
「ここには地下階があるのをご存知?
そこにはかろうじて横になれる程度の広さしかない独房や、
マザー・レッドへの信仰が足りないと判断された者を、
再教育と称して拷問する部屋がありますの。
そこにある拷問器具を1つか2つを持ち出せばいいんじゃないかしら」
「やけに詳しいんだな」
「何度あそこで口にするのもはばかられることをされたことか……!
あなた、園内に白衣を着た屈強な男がうろついているのはご覧になりまして?」
「そういや、何度かすれ違ったような気はするな」
「奴らは通称“せんせい”。
園の規律を乱す者、マザーを信じない者を、強引に地下階へ引きずり込んで、
真っ暗な独房に丸一日閉じ込めたり、拷問に掛けたり……
さすがの私も、脱走を試みる度に連れ戻され、痛めつけられるうちに、
逃げる気力がなくなってきてますの。
口先だけでマザー・レッド万歳を唱えてれば、一日三食は保証されますし。
もしかしたらそれでいいのかも……」
「やっぱり時間はないみたいだな。あんた、もうすぐ教室の連中と同じになるぞ。
そうやって疲れさせて考える力を奪うのは、この手のカルトのやり口だ」
「えっ……そんなの、嫌。どうすればいいの?」
「証拠品があるのはわかった。
具体的にここの連中が子供達に何をさせてるのか教えてくれ。
マザーなんとかに祈らせてるだけじゃないんだろ。だったら施設の運用ができない。
その資金がどこから出てくるのかって話だよ」
「それは、次の“実技”の授業でわかるわ……そろそろ時間ね」
ベネットがそう言うと、予鈴のチャイムが鳴った。戻らないとやべえな。
俺達は年長組の教室に戻った。
学生机に座ると、さっきの教師が入ってきて、教壇に変な水晶玉を置いた。
「よーし、3限目はみんな大好きな実技だ。嬉しいだろ?」
マジー?、勘弁してくれー、と言った声が上がるが、本気で嫌がっているわけではない。
日直や掃除当番が回ってきて、ちょっと面倒だな、という感じでしかない。
ろくでもない事が起ころうとしているのは嫌でもわかる。
「マーカス君は初めてだから、今日は見学しててくれ。
マザー・レッドに祈りを捧げる儀式なんだ」
「わかりました!」
「それじゃあ、全員、いつものように水晶に向かって祈りを込めて。
マザー・レッドに祝福を、マザー・レッドに祝福を……」
“マザー・レッドに祝福を” “マザー・レッドに祝福を”
生徒達全員が手を握って祈りを捧げる。すると、皆の身体から青白い光が浮かび上がり、
一筋の糸となって水晶に吸い込まれていく。
目を動かして隣のベネットを見ると、同じく青い光を吸い取られてるけど、
その表情は苦しそうだ。
「はい、止め。お疲れさん。……ベネット。祈りの力が少し足りないぞ。
もっとマザー・レッドと心を一体化して、精神的ステージを上げる努力が必要だな」
「はぁ、うくっ…すみません、先生……」
「頑張って。ベネットさんならきっと出来るわ」
休憩時間に俺に話しかけてくれた、ララって子がベネットを励ます。
……きっと、何も疑っちゃいないんだろうな。
「実技のある日は午前中で授業終了だ。みんな疲れてるだろ?
放課後の過ごし方は自由だが、園の外には出ちゃ駄目だぞ。
銃を持った略奪者がウロウロしてるからな。
ここの安全が保たれてるのも、マザー・レッドの守護のおかげというわけだ」
半分俺に説明するように、教師は改めて全員に告げた。
「起立、礼。ありがとうございましたー」
教師が水晶を持って教室から去ると、すかさずベネットに近づき、小声で問う。
「おい、しっかりしろ。顔色悪いぞ」
「見たでしょう。あれが“実技”。奴らが集めてるのは……」
「マナだろう。でも何のために?」
「さあ……でも、実技のあとはひどく疲れますの。
さすがに100歳を超える魔女の私でも堪えますわ。文字通り寿命を削られてますもの」
「文字通り?気になる言い回しだな」
「……実は、この年長組のほとんどは、去年まで年少組にいた子供達ですの。
人はマナを強制的に抜き取られると、身体の細胞分裂も急速に加速して、肉体が成長、
あるいは老化と言った方がいいかもしれませんわね。
とにかく異様な早さで歳を取りますの。私もここに来て初めて知った事実ですけど」
「マジか!?じゃあ、ここの連中、1年前まで下のクラスでお遊戯してたってのかよ」
「そういうことになりますわね。
魔法の技術を失っただけでマナが大量にある私は無事で済んでますけど、
他の生徒たちは、ガリガリと寿命を削られてる。
それがこのハッピーハッピーこども園の仕組みですの」
「水晶はマナの吸引装置ってわけか。もう悠長な事は言ってられねえ。今夜決行する」
「……ねえ。私の事を助けてくれるって、本当?
この際、里沙子の差し金だのはどうでもいい」
「心配すんな。報酬分の働きはする」
とにかく、ベネットの肩に手を置いて、安心させてやる。
「もう……気安く触れないでって言ったじゃない。私は天下無双の悪霊使い……」
「ベネットだろ。なあ、ベネット。お前の居場所を確実に知っておきたい。
今から寝るまでの予定を教えてくれ」
「予定も何も、実技でクタクタだから、夕飯までベッドで休ませてもらいますわ。
その後も就寝までずっと。そうそう、ベッドの番号は13-Bですわ。
女子用ベッドルームですから、気をつけて入ってくださいまし」
「わかった。
夜中に突然背中をつついたりするかもしれねえが、大声出したりするなよ?」
「ハンカチでも噛んで待ってますわ。……必ず来てね」
「ああ。約束だ」
それから、俺達は夕食まで適当に時間を潰し、
食事の時間になったら、また教室に集まって、給食を食べた。
何が入ってるか怪しかったが、食パンを詰めたケースの社名や、
牛乳瓶の蓋を観察すると、食事は外注してるらしく、
とりあえずは安全だと自分を納得させて口にした。
深夜1時。俺は9時の就寝時間から、ずっとベッドに入ったまま目を開けていた。
廊下に響く足音。近づいては遠ざかるランプの光から、
“せんせい”の巡回パターンを探っていた。30分ごとに一周。もういいだろう。
俺は行動を開始した。
まず、1度目の巡回が過ぎ去ったら、昼の自由時間に目星を着けておいた場所に、
素早くそして足音を殺して静かに忍び込んだ。目的は職員室。
あの水晶やこの施設の資金源に関する手がかりがあるかもしれない。
そっとドアを開けると……危ねえ、まだ誰かが作業してやがった。
「今月納品するエーテルには少し足りんなぁ。ベネットのマナ放出量が少なすぎる。
まだマザー・レッドへの信仰心が薄い。もっと、外的刺激が必要だろうか。
……おっと、もうこんな時間だ。ふあぁ、私もそろそろ帰るとするか」
中年の職員が、ファイルを閉じて、デスクのランプを閉じて職員室から立ち去った。
室内は真っ暗だが、俺は夜目が効くし、ベッドの中で暗さに目を慣らしていたから、
問題なく捜索できる。さっきのオッサンが見ていた帳簿みたいなものを開く。
○生徒別マナ(単位Mn)回収量 10月8日
・カザーク 207
・ララ 143
・ベネット 78
・ミーシャ 136
(その後も生徒の名前とマナの量が並ぶ。“新入生マーカスに期待”と但し書き)
昼間生徒から吸い取ってたマナの一覧だな。これも証拠品だ。
後は肝心のマナを奪う手段だが……あった。
職員室後方の、教材や教科書が置かれている棚に、無造作に置かれている。
ツルツルしてるから、滑らないようハンカチで包んだ。
1巡目はこんなところか。一旦戻ろう。
ベッドの中に証拠品を隠すと、”せんせい”のランプが通り過ぎていった。
夜が明けたら終わりだ。モタモタしてはいられない。
2巡目は、職員室に逆戻り。目的は、電話だ。
里沙子から聞いていた。領内の主要施設には、
“すまーとふぉん”とかいう奴が配られてて、それで会話が出来るんだと。
いつの間にそうなったのかは知らねえけど。
そんな便利なものがあるなら、誰でも使いやすいところにあるはずだ。
すまーとふぉんの特徴や使い方は里沙子に教わってる。あとは見つけるだけだ。
園長の机は、ない。教材の棚、ない。となると、後は……窓際の机。
表面がピカピカの薄い小さな箱。これだな。
光が漏れないよう、カーテンにくるまってからボタンを押す。
画面の明るさと綺麗さに少し驚いたが、教えられた通りに操作する。
規則的で不思議な音が何度か続くと、里沙子が出て、前置きなしに聞いてきた。
“状況は?”
「やっぱここはヤバイことしてる。
子供達をマザー・レッドって奴を信仰するよう洗脳してて、マナを吸い取ってる。
マナを奪われた子供は異常な速さで成長してて、放って置くと命が危ねえ。
証拠品ならある。すぐこっちに騎兵隊をよこしてくれ」
“わかった。すぐ軍事基地に出動要請するわ。それまで持ちこたえて。
繰り返すけど、無茶は駄目よ。万一の時はあなただけでも逃げて”
「わかってる。他人の犠牲になるのはごめんだ。切るぞ。これ以上はまずい」
“気をつけて”
通話が切れた。俺はすまーとふぉんを置くと、またベッドルームに戻る。
今度は“せんせい”回避のためじゃない。
ドアを開けて影に身を隠し、慎重にタイミングを見計らう。
巡回に来た“せんせい”が窓の外から中を覗き、
俺がいないことに気づいた瞬間、飛び出す。
「貴様、脱そ「すいません、トイレどこですか!?」」
白い看護服の大男が、俺にランプを向ける。
「お腹が痛くて、もう、でる……」
「なんだ、新入生のマーカス君か。このまま、まっすぐ行って左だよ。急ぎなさい」
「ありがとございます!」
俺は慌てて走る素振りをして、“せんせい”に軽くぶつかってから、
トイレの方向へ走っていった。一旦トイレに入り、奴が背中を見せたことを確認したら、
地下階への階段をトトト、と駆け下りた。
地下階は鉄格子で封じられてて、鍵がないと入れない。
つまり鍵があれば入れるってこと。
さっきスリ取った鍵束で鍵を開けて、ゆっくり鉄骨のドアを手前に引いて中に入る。
一歩中に入ると、異様な気配に背筋が寒くなった。
一直線に廊下が続いているが、壁は赤茶色に錆びていて、血のような色をしている。
ここにはまるで“生”が感じられない。
右手に多数の独房。幅がドアとほぼ同じで、中も異常な狭さであることが伺える。
左手には鉄製のドアが3つ並んでいる。手前から開けていくしかないだろう。
中の様子が見えないから、せめて聞き耳を立てて、人の声がしないかを確認する。
ここでも鍵束が役に立った。
1つ目の部屋の鍵を開けて中に入ると、そこは実験室のようで、
四方の隅に鉄製のテーブルが置かれ、中央に何やら訳のわからない装置が、
青白い光を放って稼働していた。
よく見ると、機械上部に、マナを吸い取る例の水晶がいくつかセットされている。
そこから流れるマナを辿っていくと、途中でマナに何かの素材を混ぜて液体にして、
小さな瓶に流し込み、一杯に満たされると、
別の装置にコンベアで運ばれキャップが締められる、という仕組みになっていた。
部屋の中を調べると、紙を挟んだクリップボードが置かれていた。こんな内容だ。
○自家製マナ使用 生エーテル出荷記録(9月分)
納入先・数量:
私立火属性専門学校 2ケース
無属性研究会 1ケース
国立魔術大学 10ケース
飛行技術を極める魔女の集い 5ケース
相反属性融合調査部 3ケース
売上:1,050,000 G
備考:
先月度も順調な売上を記録。成長過程にある子供のマナから精製されたエーテルは、
純度・魔力量、共に高品質で、高い評価を得ている。
当然、マナの出処は企業秘密ではあるが。
……子供の命を商品にしてたってことか。ひでえ話だ。
クリップボードとエーテル2、3瓶取って、ドアから出た。
俺は確実にこの狂った施設を叩き潰せる証拠を求めて、隣の部屋に入った。
ここが、ベネットが言ってた拷問部屋だな……
大小様々な拷問器具が並び、今度こそ本物の血が、壁の到るところに飛び散っている。
古いもの、新しいもの、2つが入り混じり、鉄の匂いを放っている。
むせ返るような澱んだ空気に軽く吐き気を催しながらも、口と鼻に袖を当てながら、
証拠品となるもの、それも武器になりそうなものを探した。
剥がした爪が先端に残っているペンチ、石を抱かせる三角のギザギザが施された台、
持ち手にスイッチが付いた鉄製の警棒。
比較的マシな警棒を手に取り、スイッチを入れてみると、殴る部分に電流が走った。
こいつは、電気ショックで激痛を与える拷問器具だな。
スイッチを切って、柄の底を回して、フタを開ける。
中から出てきたのは、スティック状に加工された雷光石。奥を覗くと……簡単な魔法陣。
これで電力を調整してるようだ。生かさず殺さずってわけか。
スタンバトンは数本ある。俺は、2本持ち出すと、拷問部屋を後にした。
こんなところは一刻も早くおさらばしたい。
最後の部屋に入ろうとしたが、このドアだけサビがなく、
定期的にきれいにペンキを塗り直されているようだ。
そして、“マザー・レッド”と彫られた金属製のプレートが固定されている。
ゆっくりドアノブを回して、扉を開いた。
中には、大きなベッドがあり、うわ言をつぶやく老婆が仰向けに寝ている。
テーブルや本棚、小物を並べるチェストがあり、ここだけ人が住んでいる気配がある。
思い切って老婆に話しかけてみた。
「……婆さん、こんばんは。俺のこと、わかるか?」
「う、うあ……わたしは……まじょ。あかい……まじょ……」
「あんたが、マザー・レッドなんだな」
「ど、どど、どーなつが……たべたい……」
「あんたの、名前を、教えてくれ」
「あれくしあ…かるばー」
カルバー。あのババアの母親と見て間違いねえな。
婆さんが無害なことがわかったところで、部屋を調査する。
写真立てには、古くなった写真。
赤い三角帽子を被って、先端に大きな赤い宝石を固定した上等な杖を掲げる魔女。
若い頃の婆さんだろうな。本棚には昔の魔術書。今は関係ない。
チェストには一通の封筒があった。中の書類には、民間の保険会社からの通知書。
後見人 ベティ・カルバー 様
アレクシア・カルバー様の民営年金9月分を振り込ませていただきましたので、
ご連絡致します。
振込金額:100,000 G
今後共弊社をよろしくお願い申し上げます。
アイアンクロス生命
そういうことだったのか。ここじゃあ、どっかから孤児を引き取って、
子供達に授業の一貫として、マザー・レッドへの忠誠心をひたすら刷り込む。
そして何の疑いもなくマナを差し出させて、それをエーテルにして売りさばく。
オマケに婆さんの年金までネコババか。とことん腐ってやがる。
もうここに用はねえ。ベネットを連れて逃げるだけだ。
俺は一旦“せんせい”の巡回を回避するため、ベッドルームに戻って、布団に潜った。
あの不気味なランプの光が通り過ぎるのを待ち続ける。
大男の影が遠ざかったのを確認すると、
今まで集めた証拠品をシーツにくるんで泥棒みたいに背中に担いだ。
少し物音を立ててしまったが、皆ぐっすり眠ってる。昼間の“実技”で疲れてんだろう。
あと回収しなきゃいけないのはベネットだけだ。
ドアをそっと開いて女子用ベッドルームに侵入する。13-Bのベッドを探せ。
奥に向かって数字が増えてるから……あの辺りだな。
俺はベッドに記された番号を見て、少し暗さに手間取りながらも、
小さな文字で13-Bを見つけた。
下の段には、あのオレンジがかったブロンドが背中を向けてる。寝てんじゃねえよ。
予告通り、背中を何度かつついてやると、ベネットがヒャッと声を出しかけたから、
とっさに口を押さえた。
「うむ~ん、何をなさるの」
「ベネット、出るぞ。ここはとんでもなくヤバイとこだ。これ持ってろ。脱出に必要だ」
俺はベネットに2本のスタンバトンの片方を渡した。
「使い方はわかるか?」
「……ええ、嫌というほど!」
手渡された武器を見て顔をしかめるベネット。
こいつの餌食になったことがあるんだろうな……
「窓から外を見たんだが、正門を二人の兵士が固めてる。
そいつに背後から忍び寄って、俺達で同時に仕留める」
「そんなことできるの……?」
「やらなきゃやられるだけだ。俺達は身体が小さい分、素早く動ける。絶対上手くいく。
自分を信じろ」
「わかった。でも待って」
ベネットは、ベッドに括り付けていた紫の頭巾を被った。
「これでオーケー。行きましょう」
ベッドルームから出た俺達は、正面玄関を目指してひたひたと歩く。
「こんなに上手く行くなんて。あんた、どっかのスパイでもやってたの?」
「言ったろ。入りにくいところほど中は無防備だって。ほら、出るぞ。
……気をつけろよ。外にはもう敵がいる。スイッチを最大出力に上げておけ。
ショックで死んでも構わねえ」
「言われなくても。ここの連中に、こいつを振り下ろすの、夢だったのよね」
玄関には施錠がされていたが、
中からはサムターンを回すだけで簡単に開けられる構造になっていた。
難なく外に出ると、10mほど先に門の両サイドを固めるように警備兵2人が。
俺とベネットは互いに目配せすると、足音を消して少しずつ近づく。
あと5m。ここでしくじれば全てが終わり。覚悟を決めて俺は叫んだ。