面倒くさがり女のうんざり異世界生活   作:焼き鳥タレ派

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風邪引いてるか引いてないかの中途半端なだるさに苦しめられてる。

あたしとエリカは、金色に燃え上がるように揺らめく姿を目の当たりにした。

それがアイーダさんだと気づいたのは、顔だけは原型をとどめていたから。

鬼火のように燃えるトレンチコートが、ジョゼットにじりじりと近づく。

 

「いや!やめてくださいアイーダさん!」

 

『あなたの…心を、わたしに…ください』

 

素早くベレッタ93Rを抜き、腕を狙って発砲。

でも銃弾は彼女の身体をすり抜けてタイルの壁に突き刺さる。

3点バーストも効果がない。

その間にも彼女は一歩ずつジョゼットに接近し、その指を身体に這わせる。

喉元からゆっくりと左胸のあたりに。

 

「ひうっ!」

 

『ここ。ずっと、あなたと、いっしょに……』

 

アイーダがジョゼットの心臓に手を差し込もうとする。

やっぱりエレオノーラだけでも解放してくるべきだったのかもしれない!

エリカに視線を移すと…いない!?

だけど、床を伝うように青白い光が二人の元まで伸び、

光に沿って瞬時に移動していたエリカが抜き身の刀を伸ばしていた。

 

「そこまででござる。ジョゼット殿に手を出すなら、拙者が相手を致そう」

 

そのまま振り下ろせばアイーダの腕を切り落とせるように、

刀身をジョゼットに向けた手の上に突き出す。

彼女は刀を刃先から柄まで眺めると、再び言葉を紡ぐ。

 

『そう…あなたは、そうだったものね。でも…あなたには…わたさない』

 

──わたしの、リリアナ!!

 

激情に駆られたアイーダが一層激しく全身を燃やし、後方にジャンプ。

滞空したまま聖堂へ濁流に身を任せるように消えていった。

エリカもさっきの瞬間移動で彼女を追う。遅れてあたしも聖堂へ。

 

 

 

マリア像の前で、刀を構えたエリカとアイーダが対峙していた。

一人の剣客と一体の化物。共通しているのは、この世ならざるもの、ただそれだけ。

遅れてきたあたしに振り向くことなくエリカが告げる。

 

「里沙子殿は下がっているでござる!アイーダ殿は拙者が止めてみせるわ!」

 

「なんで!?ずっと一緒にいたエレオノーラが気づかないなんて!」

 

「話は後でござる!彼女を斬れるのは拙者だけ!里沙子殿はジョゼット殿を!」

 

「わかった!」

 

あたしがダイニングに戻ると、聖堂からアイーダの怨嗟の声が響いてきた。

 

『かえせ、かえせ、わたしの、リリアナァァァァア!!』

 

ジョゼットを介抱しつつ、2階に避難させる。

 

「ジョゼット、立てる?何があったの?」

 

「わかりません。いきなりアイーダさんがあんな姿になって、驚いてしまって……」

 

「よくわからないけど、彼女はエリカに任せるしかないわ。

あたしの部屋に隠れてなさい」

 

「はい……」

 

あたしはジョゼットに肩を貸し、私室に向かった。

 

 

 

拙者は変わり果ててしまったアイーダ殿と対面し、互いに隙を窺う。

なぜこんな事になってしまったのかわからぬが、現世に目覚めてから初めて戦う相手が、

よりによってアイーダ殿だとは皮肉な話でござる。

 

『リリアナ、リリアナ、リリアナを、どこに隠したああぁ!!』

 

「そんな姿の貴女に会わせるわけにはいかないわ!ここでお主を止めてみせる!」

 

『かえせえええ!!』

 

彼女が絶叫すると、足元から無数の悪霊の手が伸びてきて、拙者を捕らえようとする。

とっさに天井近くまで飛行し、回避。

まずいでござる。アイーダ殿の慟哭に呼応して、良からぬ霊が集まっておる。

一気に仕留めなければ。拙者は刀を構えて、上方から真っ直ぐに一太刀を浴びせる。

 

「白閃流し!!」

 

我が白虎丸がアイーダ殿を切り裂く。彼女を形作る執念か怨念かが、一瞬崩れる。

 

『きゃあああ!』

 

悲鳴を上げる彼女だが、とどめを刺すには至らない。

むしろ激怒してさらなる攻撃を仕掛けてくる。

何やらぶつぶつと口元で唱えると、

彼女の背後から津波のような霊力の奔流が押し寄せてきた。

 

「くっ!」

 

拙者は意識を強く持って、その場に存在を留める。

しかし、やせ我慢のツケで私を構成する霊力がどんどん削られていく。

あまり時間はないようね!守りを捨てて攻撃に集中。

刀身に精神を走らせ、刀で宙を横一文字に薙いだ。

 

「真空燕返し!!」

 

刀から放たれた剣閃が、高速でアイーダ殿に向かって飛翔し、命中。

やはり悪霊と化した彼女を鋭く斬る。

 

『ああああ!……この、死にぞこないめ!おまえも、喰らいつくしてやる!』

 

どんどん人らしい形状が崩れていく。

顔が割れ、拙者のように足が形を保てずひらひらした幽体の布になる。

それでも彼女は戦うことをやめない。

両手に魔力を集めると鉛色の雲が集まり、気づいた瞬間、拙者に突撃してきた。

 

「が、ふっ……!!」

 

巨大な重量を持ったガスが拙者を殴り、後ろに放り出された。

まともに飛び道具を食らった拙者は説教台に叩きつけられ、

衝撃でしばし身体の自由が奪われる。

ずるずるとこぼれ落ちるように倒れた私に、彼女が接近してくる。

 

『おまえの、こころを、よこせ……』

 

アイーダ殿の右手が大きく膨張し、拙者を鷲掴みにしようと迫ってくる。

拙者は焦りを押さえ込み、強引に肺を動かし、霊力を練り、術式を口にした。

 

「冥土のアギトよ今開け!

我が盟約に従い、五ツの罪喰ろうて、もがき、苦しみ、泣き叫べ!外道収束波!」

 

5つの属性を無理やり一点に凝縮させ、臨界に達したところで解き放つ。

五曜の反発力を受けたアイーダ殿は、全身にヒビが入り、右手が吹き飛ぶ。

精神修養の座学で学んだ魔術がどうにか成功してくれた。

でも、霊体の拙者は魔力が存在そのもの。今の術で大きく力を損耗してしまった。

 

『ぎああっ!きえる、きえる!わたしが!まだ…まだなのに!!』

 

「けほ…アイーダ殿、そこまでで、ござるよ。これ以上戦える身体ではござらん」

 

とは言え先程受けた攻撃から幾分立ち直った拙者は、

その場に浮かび、彼女に問いかける。

そしてわずかに視界を広げ、聖堂の様子を観察する。

うむ、霊体同士の戦いで助かったでござる。

お互い実体を持っていたら、ここも滅茶苦茶になっていたであろう。

そうなれば、アイーダ殿ではなく里沙子殿に殺されるでござる。

 

『リリアナァァ……』

 

床に倒れ込み半死半生になりながらも、女性の名を呼ぶ彼女。

 

「……リリアナとは、ジョゼット殿のことであるか?」

 

『はぁ…うう…わたしの、たったひとりの、たいせつな、むすめ……』

 

「大切な存在なら、何故彼女をみなしごにしたでござる。

どうしてこんな形で会いに来たでござる」

 

『もうあえない、もう死ぬ、死んでしまう!あああああ!!』

 

アイーダ殿が最後の力を振り絞り、雄叫びを上げると、

天井高く飛び立ち、全身から光を放つ。まだこんな力が残っていたとは!

拙者も高度を上げ、真正面に彼女を見据える。

 

『殺してやる!お前も奪って!リリアナとずっと一緒に……!』

 

「親の心があるならば、このまま屋敷を去るでござる!」

 

『うるさい!なにもかも吹き飛ばして、あの娘とひとつに!』

 

破れかぶれになった彼女が、膨大な量の霊力を抱えるように膨れ上がらせる。

ガラスや調度品がガタガタと揺れる。

まずい、実体に干渉している。あれが弾けたら、今度こそ教会が吹き飛ぶでござる!

 

決着をつけるべく、拙者も刀を刺突の構えに変える。

目を見開き、標的までの瞬間移動の経路を焼き付ける。霊力弾の爆発まで、およそ5秒。

雑念を捨て、彼女に突進する。あと4秒。

アイーダ殿の抱える熱量に焼かれそうになる。あと3秒。

詠唱を開始し、刀と魔術と我が身を一体化する。

 

「静寂の黒、虚空の白、煌めく刃に姿を変えて、総てを無に帰し静寂を!

明暗の太刀・落涙の型!」

 

──!!

 

拙者の世界から音が消える。アイーダ殿の周囲を滑るように旋回しつつ、

白と黒で染め上げられた刃で幾度も空間を斬る。

彼女の悲鳴も、消えゆく霊力弾も、私自身の咆哮も、何も聞こえはしなかった。

 

……ゆらりゆらりと木の葉のように舞い落ちるアイーダ殿。

彼女を追いかけ拙者もゆっくりと降下する。

その姿は元の人の形であったが、

色を失った彼女が間もなく完全に消滅するのは誰の目にも明らかであった。

 

「エリカさん……」

 

仰向けに倒れたまま、力なく拙者に手を差し出す。

 

「アイーダ殿。どうして今になってこのような事を。

教会を訪ねてきた時にジョゼット殿を連れ去ろうとは考えなかったのでござるか?」

 

「始めは、そんなつもりはなかったのです。

元気な姿を最後にひと目見たかった。それだけなのです。

でも、そばにいる時間が長くなるにつれて、欲望を制御できなくなりました。

あの娘といたいという、欲望を」

 

「きっとそれは欲望ではなく愛でござる。

拙者には母が子に抱く愛情というものはわからない。

でも、ジョゼット殿に会えばはっきりするでござる。

アイーダ殿をそうまでさせたものが、

身勝手な欲望なのか、我が子に向ける純粋な愛なのか」

 

「できるなら。ですがもう時間がありません。私はじきに死ぬでしょう」

 

「まだ、諦める必要はないでござる」

 

私は、彼女の手を握りしめた。

 

 

 

 

 

ダイニングにアイーダさんの拘束を解かれた全員が集まる。

あたしの前には彼女が持ってきた青白い鏡餅。

ジョゼットとアイーダさんはずっとうつむいている。

しばらく誰も何も言おうとしなかったから、

あたしがとりあえず当たり障りのない事を言ってみる。

 

「エリカ、本当にあんたが戦えるなんて思ってなかった。割と本気で見直したわ」

 

「うう……霊力の使いすぎでしんどいでござる。形が保てないでござるよ……」

 

「すぐ線香焚いてあげるから」

 

「皆さんごめんなさい。私のために……」

 

聖堂で派手にやりあってたのは聞こえてたけど、

消えかけたアイーダさんに消耗しきった身体で霊力を分け与えたから、

こんな形になっちゃったみたい。

 

「拙者は平気でござる。それより、ジョゼット殿と話を」

 

「えっ、わたくしですか……?あの、まさかアイーダさんがお母さんだったなんて。

ずっとモンブール中央教会やこの家の皆さんが家族だと思っていたので、

どういえばよろしいのか……」

 

「いいの。何か言って欲しくてここに来たわけじゃないんです。

ただ、大きくなったあなたを見届けたら出ていこうと思ったのですが、

気がついたら欲望が抑えきれなくなって。

あなたの魂と一体化することでずっと一緒にいたい。そんな気持ちで頭がいっぱいに」

 

「わたしがあなたの本当の姿に気づけなかったのは、

あなたが死者の魂ではなく、生霊だったからなんですね……」

 

生霊か。死霊とは違って、生きた人間の魂が強い想いで抜け出て彷徨う存在。

微妙にエレオの管轄外だからわからなかったのね。

 

「はい。私の肉体は、今もどこかの孤島で床に臥せっています。

……ジョゼットさん。怖い思いをさせて本当にごめんなさい。

すぐに旅立っていればこんなことにはならなかったのに」

 

「別に、私は……その」

 

やっぱりジョゼットは困惑と戸惑いの表情を浮かべて言葉に詰まってる。

だけどこればっかりは、あたしが尻叩いて口を開かせるわけにもいかない。

 

生まれてから16年も音信不通だった人に、いきなりあなたの母親ですって言われても、

あたしだって何を言えばいいのかわからない。

 

他人同然だった人が肉親だったとわかったとしても、

結局は思い出というものがなければ所詮他人でしかないわけで。

人の心は安物ドラマのようには動かない。

 

「ごめんなさい。私が話すべきですよね。

あなたを捨てた理由。今まで何をしていたのか。

あっ……もちろん聞きたくなければこのまま出ていきます」

 

「それは、ちょっと待って下さい……聞きたいのか、聞きたくないのか、

自分でもよくわからなくて」

 

「ジョゼット殿、決断を急かすようですまぬが、彼女には時間がないでござる。

次の機会はないと思った方が良いのだ」

 

鏡餅の言葉に、つい時間がない理由を聞こうとしたけどやめた。

アイーダの身体が少しずつ透けていく。

 

「……教えて下さい」

 

「はい。あなたを生んだばかりの私は、罪を犯して追われる身でした。

愛した人と追手をかわして逃げ続ける日々。

野を越え、地を走り、海を渡り、ひたすら身体を引きずって安住の地を求めました。

しかしある晩、とうとう力尽きた私は、あなたをこの国の教会の前に置き去りにし、

間もなく逮捕され国に連れ戻されました」

 

「罪って、なんですか……」

 

「私は政治犯。夫は小国のスパイでした。

当時、遥か西に位置する2つの国で諍いが起きて、

双方ともに激しい諜報戦を繰り広げていました。

そんな中、民衆を惑わした容疑で追われる私と、

敵国のスパイとして逃亡を続ける夫が出会ったのは、

ある種の必然だったのかもしれません。

やがて恋に落ち、子を儲けた私達は国外に逃げ出し、

サラマンダラス帝国にたどり着きました」

 

「そのわたくしを捨てた場所が、モンブール中央教会だったんですね?」

 

「いくら詫びても詫びようがありません。

でも、あなたまで国の手に渡すわけにはいかなかったのです。

強制送還された夫は処刑され、私も機密保持のために流刑に処されました。

何の手も打たなければ恐らく反乱軍の娘であるあなたも同じ目に遭っていたでしょう。

それだけは避けたかった。何の言い訳にもなりませんが……」

 

「いいえ。それが分かれば十分ですし、あなたを責めるつもりもありません。

でも、ひとつだけ伝えておきますね。今のわたくしは、幸せです」

 

「……よかった。それがわかれば、私に思い残すことはありません」

 

「あなたは生霊なんですよね。今、本当のあなたはどこに?」

 

「それは言えません。私が消え去っても、躯を探そうとはしないでください。

国はまだ戦いを続けています。当然あなたの存在も許しはしないでしょう。

私のことはお忘れになって、ここであなたを大切にしてくれる人と、

あなた自身の人生を歩んでください」

 

「わかりました……」

 

「ありがとう」

 

そしてアイーダが席を立つ。時々よろけながら聖堂に向かう。

たまりかねたルーベルが立ち上がる。

 

「なあ、ジョゼット。これでいいのかよ!実の母親なんだろ?何か言うこととか……」

 

「ルーベル、やめて。ジョゼットの問題」

 

「でもよう!」

 

「待ってください!」

 

ジョゼットも立ち上がる。

それから少し視線をさまよわせて、意を決した様子で彼女も玄関に走った。

あたし達も後を追う。

 

玄関を開けると、雪の積もった草原に雲ひとつない爽やかな青空。

足跡のない積雪の先に、アイーダがいた。

ジョゼットは雪を踏みしめ、彼女に向かって叫ぶ。

 

「アイーダさん!」

 

「ジョゼット、さん……?」

 

「わたくし、今の生活に満足しています!

たくさんの仲間がいて、おいしいご飯を食べられて!」

 

「そう……よかった、本当に」

 

「でも!ひとつだけ不満なことがあるんです!」

 

「なに?私には……もう何も」

 

「ひとつだけ、ひとつだけ、やりたいことができてないんです!

あなたをこう呼びたかった!……お母さん!」

 

「リリ、アナ……」

 

「しょうがないじゃないですか!

ずっと気づかなかったけど、わかっちゃったんですから!

あなたがわたくしを娘だと言ったように、

わたくしだって誰かをお母さんと呼びたいんです!」

 

「ありがとう。ありがとう……ごめんね、悪いお母さんで」

 

「それだけです。さようなら、お母さん……」

 

「さようなら、リリアナ」

 

アイーダさんが微笑むと、彼女の姿は薄れ、雪化粧の中に消えていった。

ジョゼットは少しその場に立ち尽くしてから、

アイーダさんに背を向けるように、何も言わず家の中に戻った。

今度はジョゼットを追わず、あたしはそのまま外に足を踏み出す。

 

歩きながら考える。彼女の名前。アイーダは本名だったのかしら。

それともオペラ“アイーダ”の悲劇のヒロインを真似たのかしら。

気になりつつも結局聞きそびれてしまった。

アースから楽譜か何かが流れ着いた可能性は否定できない。

ただ、この世界が原作と異なる点は、アイーダとラダメスの間に娘が生まれていたこと。

人の縁って不思議ね。

 

「あなたもそう思わない?」

 

「何がですか?」

 

ガトリングガンを観察している魔女に聞いてみる。

一日そこらじゃ何も変わらないとは言ったんだけど、

どうしても気になって仕方ないみたい。

 

「彼女の正体、気づいてたんでしょ?」

 

「ええ」

 

リーブラは束ねられた銃口をひとつひとつ覗きながら答えた。

 

「別に責めてるわけじゃないんだけどさ、どうして黙ってたの?」

 

「そうですね。アイーダさんが生霊だということは見てわかりましたし、

彼女の正体がはっきりすることで、

リリアナさん…ジョゼットさんの方がいいでしょうか。

とにかくジョゼットさんという存在がひとつの事柄として確定し、

辞典の1ページが完成すると考えたからです。

その頃合いを見て今日お訪ねしたんですが、やはり私の読み通りでした。

よかったら見ます?齢16の人間と言えど、すごい情報量です」

 

「んーやめとく。これ以上ジョゼットに頭悩まされるのは勘弁。

寒いからそろそろ帰るわ。じゃあね」

 

「そうですか。では私もこれでお暇……くしゅん!」

 

「あら、不死身でも風邪引くの?」

 

彼女は鼻をすすって大きな辞典を開く。

 

「ずずっ、そのようです。ドクトルに風邪薬をもらいましょう。

あ、もしかしたら病気に死ぬヒントが……残念、“風邪”は既に参照済みですね」

 

「まぁ、納得行くまで頑張ってよ。バイバイ」

 

「さようなら」

 

リーブラと別れたあたしは教会に戻った。

みんなが気を利かせたのか、ダイニングにはジョゼットと動けない鏡餅だけ。

黙って皿を洗っている。あたしも黙って席に着く。

 

「コーヒー、入れましょうか」

 

「……うん、お願い」

 

ジョゼットがお湯を沸かす間、テーブルの鏡餅をつついてみる。

ひゃうん!と妙な声がした。

面白いからもっとやろうと思ったけど、鏡餅になってる理由を思い出してやめる。

 

「ああ……怒る気力もないでござる。やめるのじゃ」

 

「悪かった、ごめん。今日のあんたは95点よ。武者修行は伊達じゃなかったのね」

 

「当然でござる。拙者は、不知火家の武士なのじゃから。……残りの5点は?」

 

「語尾。ツッコミ役がいなかったから派手に間違ってたわよ」

 

「無念……」

 

エリカと喋ってる間にお湯が湧いた。

ジョゼットが粉コーヒーに湯を注いで持ってきてくれた。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 

それだけ。だけどなんとなく誰かいた方が良いような気がして、ここにいる。

あたしはコーヒーを飲みながら新聞を広げた。

今日の“玉ねぎくん”は、飴色になるまで炒めてもらえなかったことに怒ってる。

彼の主張に目を通していると、ふいにジョゼットが話しかけてきた。

 

「里沙子さん」

 

「どした」

 

「いつか、一人前のシスターになったら、旅に出ようと思うんです。

母の足跡を追って、せめて亡骸に祈りを捧げたい。

母が生きた世界も、見てみたいですし。

わたくしにできる親孝行らしいことと言えば、それくらいですから」

 

「……来るなって言われなかった?」

 

「実の娘が言われるまで親の顔がわからなかったんですよ?

どこの国かはわかりませんが、

外国の人にわたくしが誰かなんてわかるわけないじゃないですか」

 

「そう。だったら光魔法だけじゃなくて他属性にも手を伸ばした方がいいわね。

いざとなったらトンズラできるように」

 

「はい!」

 

新聞を置いてジョゼットの顔を見る。

その頬には二筋の涙が~なんて陳腐な展開はなかったけど、

顔いっぱいの笑みと少し赤い目が彼女の気持ちを物語っていたような気がする。

人の心はやっぱり難しい。

 

あたしの母さんは今頃どうしてるのかしらねえ。

もし会えるとしても、懐かしい団地の玄関を開けて“おいす”って呑気に挨拶したら、

何か言う前にひっぱたかれそう。

 

「あたしちょっと部屋に戻るわ」

 

「ええ」

 

さて、そろそろエリカの栄養補給をしなきゃ。

まだ動けないし持ち運べないから、2階から線香と線香立てを持って来る必要がある。

こんな感じで今回の騒動は収まって、またいつもの騒がしい毎日に戻るの。

まともな新キャラを期待してくれた方には申し訳ないけど。

 

階段を上り、線香の束とマッチを取って、ダイニングに戻る。

そこには変わらず小柄なシスターと変な幽霊がいる、日常の風景。

でも、“日常”からとんだ非日常が生まれることもあるってことを今回思い知ったわ。

あたしの夢見る植物のような平穏な人生はまだ遠い。マッチを擦りながらそう思った。

 

 


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