Brand/Brave new world! 作:ムラクモの人
そして、その頃。
大瀑流の中を掻き分けて、二人の少女が疾走する。
明日菜、そして木乃香だ。
明日菜は自身の身体能力のみを頼みにして豪快に駆け抜け、木乃香はインラインスケートを履いてそれを追走する。
「あーもう、結局遅刻寸前じゃないのよー!」
「まさか電車一本逃すとは思わんかったやねー」
「てか乗る前になってアンタが急に”飛ぶ”から!ホームの屋根見てもハトしか居なかったじゃない!いや白いから確かに珍しいんだけど!クッソ、引きずってでも乗せるべきだったわ、ねぇ!?」
「あー、これからそうなったらウチ荷物扱いでも構わんわあ」
「じゃあ明日からこれからそうする、ってうわ!」
眼前への落下物を見咎めると、明日菜は速度に体を乗せつつサイドステップして滞空。障害物を左肩で掠めながらクリアすると、振り返らずに今見たものを検分する。
「あれ、コタロじゃなかった!?」
「あー、今日も屋根から叩き落されたんかなぁー」
「まぁ死んでないだろうから別に良いわね、行くわよ!」
「はいなー、速度ちょっと上げよかー」
そう言って木乃香は一歩強く踏み出し、更に加速。明日菜はそれに追随してフォームを少し変える。意識の持ちようと本人は考えているが、陸上選手の走り方に近く洗練されていく。
しかし、
「――――――ん?」
右手側、屋根の日陰に掛かったところに、何かが落ちている。いや、目を凝らすと人に見える。つまり、倒れている。ベンチを目の前にして。その脇には馬鹿みたいに大きなトランク、そして布でグルグル巻きにされた長物だ。影の中だけれど、照り具合から見てトランクは革張りらしい。
「木乃香、ちょっとストップ!」
「へ?」
二人が急制動を掛ける。明日菜は一度軽くジャンプして足を止めて地面に靴跡を擦り込みながら。木乃香は器用に人の流れをすり抜け、S字の軌道を描いて速度を殺しながら。
「あの、大丈夫ですか!?」
流れる人並みを素早く脱出し、二人は屋根の陰の中に入る。
近付くと分かる。これは、確かに人だった。焦茶色の、フード付きのコートを着て倒れている。
「こんな所で行き倒れ……?」
「ヘバッて休んどるんと違う?」
「いや、それならベンチに座るでしょうが」
「面倒やったんと違う?」
「思ってもいない冗談はいらないって」
軽口を素っ気なくあしらいながら、明日菜はそのうつ伏せに倒れた人に歩み寄る。
そして機敏な動きで屈み、
「あの、大丈夫ですか!」
「Wa……」
「うぉ……何ですか!?」
「Water……」
「うぉーたー……水?ってか、外国の人……?」
息はか細く、しかし荒立っている。風の吹くような音を喉から鳴らしながら、その人は倒れていた。
「ああ、とりあえず地べたは良くないか……よっと!」
明日菜は膝を地面に付けて体を地面に這わせるように下げ、彼女の左脇に右肩を入れる。肩を貸す形で体を引き起こそうとするが、
……ん?ちょっとだけ重い……かな?
そう思って右肩越しに顔を見ると、
……女の人?それに……うわ、すっごい美人。しかもパツキンだ。
化粧はしているらしい。閉じた瞼の睫毛は甚だ長い。鼻筋も凛と通っている。薄い唇には桜色の紅が引かれていて、肌にしてもきめ細かく下地が出来ているのが分かる。顔色の悪さはほとんど誤魔化せていないのだが、それも含めてまるで出来の良い陶器のような、思わず見惚れる程の美人だった。
女性なのに少し重いのは背が高いせいだろうか。コートの重さもあるかも知れない。随分とオーバーサイズで、肩を覆う傘のような布も生えているし、ゴテゴテだ。それに生地の感じからして相当な重さなのは分かる。
思わず頭を振り、それよりも、と明日菜は動き始める。まずは、ベンチへ向かって。
その背中に、
「アスナ、その人連れてくん?」
「まぁ後からそうしようかと思ってるけど、とりあえず、そこに座らせるか寝かせるかしたほうが……」
「う……ぅ……」
「あ、起きるかも」
声に目が覚めたのか、それとも夢現なのか。それでもその人は少し口を開くと、
「……Sis?」
「え?」
……シス……って、スター・ウォーズじゃ、無いわよね。うん。意味わかんないし。
唐突に放たれた言葉に明日菜が考え込んでいると、更に英文が続いていく。
「No way……I’m in Japan. She’s here? Impossible……」
あー、と前置くと、明日菜は困り顔になって、左肩越しに親友を呼ぶ。
「……木乃香。何言ってるか分かる?
「うーん……”私は日本にいます。彼女はここにいます?不可能”……んー?」
「ごめん直で訳されてもちょっと意味分かんないわ」
「ほやなぁ……”のーうぇい”がちょっと分からへんから、やっぱアカン」
「オーケー。私達中学生だもんね。仕方ない仕方ない。とりあえず、そこに寝かすわ。こう、モーローとしてるから話が出来ないだけかもしんないし」
「ほやなぁ。でも遅刻も遅刻の大遅刻やんなぁ」
「新任教師のお出迎えもすっぽかし、か。まぁ人助けなんだから不可抗力ってやつよ。……って、忘れてた。この人、水が欲しいんだっけ。”ウォーター”って言ってたし」
「あーん、でもウチら水筒とか持っとらんし……そこらの自販機で買ってこよか?」
「うん、お願い」
「はいなー」
木乃香はそう言うと人もまばらになった大通りを引き返し始めて、自販機を探し始める。だが、
「ん――――――――いや、待った。自販機?自販機って言ったわよね?」
明日菜は振り向いて、問いかけで呼び止める。それに足を止められた木乃香は意外そうに、
「ほぇ?自販機、アカンのん?」
「いや、フツーの自販機ならいいのよ。でも何故か麻帆良市ってよく分かんない会社の自販機あるから……ちゃんと見極めてよね?」
「うんうんー、了解やー」
手を振って、木乃香は来た道を逆戻り。インラインスケートの滑車の音が静かに響く。もはや人混みの名残は遠のいていく足音だけになった。そして、
……二人きり、か。
明日菜はこの状況をそう思う。
まず、相手は外国人だ。英語を喋っているから多分アメリカ人かイギリス人か、いや、別に英語を話したからと言ってそのどっちかに限られるわけじゃないけれど、でも外国人に違いない。言葉の心配はある。けれど、日本の中でもこんなところに来る人だ。ここに”観光名所は無い”し、麻帆良祭にしても時期は随分先だ。見るべきところと言えば……街並みは立派ではあるけれど、それも結局ヨーロッパだかどこかのバッタモンだ。こういう外国の人はそっちに行くほうがハードルは低いはず。いや、建てた人には失礼だけれど、本当にそういうふうに作っているんだから言葉にすればどうしてもこうだ。だから用事があるとすれば、ウチの学園都市にはよくいる留学生の一人か、それともその家族かだ。このバカに大きいトランクは、多分長期滞在になるからだろう。そういうことなら、きっと言葉は少し通じるはず。
そう心の中で言い聞かせて、
「今、友達が飲み物探しに行ってますから。ここで休んで下さい。……よっと」
少し引き摺るようになりながらも、明日菜はベンチに辿り着き、背負った人をそこに横たえた。
仰向けに寝かせると、その背の高さが改めて分かる。自分より10センチ近く高いだろう。女性にしては高身長だ。いや、それも見慣れているのだけれど。あの厭味ったらしい悪友のせいで。そして、その体型の細さたるや。これもまたあの忌々しい天敵のせいで見慣れている気も。しかし、
……背が高くてこんな細くて、って。モデルかなんかかしら。胸は……なさそうだけど。
随分と無礼なことを考えているな、と溜息を吐く。すると、目の前の人のまぶたが僅かに震える。そして、開いた。
赤みがかったブラウン。これもちょっと日本人だとお目にかかれない、綺麗な色。こういうのをなんて言うんだろう。もっとキレイな言葉があったように思うけれど、思い出せない。
そして弱々しく口を開くと、
「Sis……?」
「”シス”?」
まただ、と明日菜は思った。この意味は、なんだろう。そう思って首を傾げていると、目に力が宿る。
「No……って、あの、貴女は……」
流暢な日本語がその口から放たれて、明日菜はそれに何となく返す。
「ああ、その、そこで倒れてたんですよ。地べたで倒れっぱなしってのも良くないと思って――――――――」
アレ?と明日菜は思った。特に気負うこともない。というかこの人もしかして、
「……えっと、日本語、出来ます?」
「ええ、まぁ。仕事で使うものですから、ちゃんと出来なくちゃと思いまして。こうして日本の方と直接お話するのはほとんど初めてなんですけれども……私の日本語、おかしくないですか?」
「い、いや、ぜ、ぜぜん」
こっちがおかしくなってどうする、と明日菜は頭を振る。
ところで、
……もしかして、この人。物凄く日本語が上手いのでは?
言葉の不安は消えるどころか、こちらが恥ずかしくなる。『日本の方と直接お話するのはほとんど初めて』?馬鹿言うな。こんなのほとんど日本人と変わらない。一体自分の不安は何だったんだ。
しかしそれよりも、
「あの、”シス”って何です?さっきから言ってましたけれど……」
「ああ、”Sis”ですね。日本語では”お姉さん”という意味です。”Sister”の短縮形ですね。親しい姉妹間ではそういった言い回しをするんですよ。……それはともかく、その、なんだか私のお姉ちゃんに似た匂いがしたので……あ、でもなんだか違う匂いもしたような……」
「そりゃ、別人なんだから違う匂いがするとは思いますけれど」
本人も馬鹿馬鹿しいと思っているのだろう、苦笑いをしながら、彼女は答える。
「それもそうですね。でもアレは……んー」
そこまで言って、言葉を止める。瞼を閉じて、考え込み、唸る。
「Cigarette、煙草……の匂いでしょうか。でも貴女は、その制服は女子生徒の制服ですし…………あれ?」
「げ」
マズイ。
非常にマズイ。
木乃香のお陰で匂いの誤魔化しは完璧のはず。消臭した上でちょっと華やかな香りを付けて、カバーも確実だと思っていたけれど、
……あ、香水そもそも付け忘れてる!
急いで寮を出た、シャワーを浴びてから香水を付けるのも、肝心要の消臭も完全にすっぽかしていたのだ。今の自分は本当に素の体臭……いや、一応ボディソープそのものも消臭系で――――――――
……やっば、本当にただシャワー浴びただけだった!
急ぎすぎた。そもそもお湯で汗を流しただけで、洗ったわけじゃない。体臭が多少残っていても不思議ではないし、登校ラッシュで全力疾走していたのだから汗も出る。しかも髪を洗う暇は無いから起き抜けの一服の臭いがそのままだ。仕事の時はマシなのだ。空気も冷たいし、別にそんな密着するほど距離が詰まることはないし、何よりまだたった一本だった。いくら臭うとは言ってもたかがそれくらいだ。でももしこうして髪が触れるくらい近くに寄れば……そりゃあ、バレるかもしれない。
「……どうして、生徒の貴女から、煙草の臭いが?」
「あ、その、ええーっと……」
その態度は余計に良くない。詮索を招く。分かってはいるけれど、狼狽えずにはいられない。
そうしてベンチの彼女から後ずさり、たたらを踏んでいると、怪訝顔は深まるばかり。万事休すか、と思ったところに、
「……おや?」
声とともに人影が落ちてきて、一つ足音を鳴らす。咥え煙草のタカミチだ。明日菜からは10メートルほど離れている。それにしても、高所から降りてきたにしては足音が静か過ぎたが、それを明日菜は怪訝には思わない。彼が来れば、すぐに煙が臭いを振りまいて辺りが煙草臭くなるからだ。明日菜にとっては天の恵みだ。もはや誰から臭っていたかは明白となる。それに、こんな風に登場するのは比較的見慣れた風景だったのだ。
けれど、
……高畑先生?ああ、そっか。コタロを落としたのって。
ふとその様に考えたが、
「アスナ君、遅刻するぞ?こんなところで油を売って……ん?」
教え子にして妹分の彼女を見て少し険しい表情になったタカミチだが、その視界の端にもう一人を見咎めると、携帯灰皿を取り出して煙草を揉み消して仕舞う。
「……あの人は?」
「ああ、その、私こうしてるのって人助けっていうか……ええと」
間違いは言っていない。むしろ後ろめたいことなど何もない。こうしていること自体には。そう、その助けた人に気取られたナニカは後ろめたいことのそのものだけれど。だから、
「そこに倒れてたんで、今介抱してるところ……で、木乃香は水とか飲み物探しに行ってて……ああ、そういえば新しい先生のお迎えに行かなくちゃいけなかったんですよね……その先生、今待ちぼうけでも喰らってるのかな……ああもう」
近寄ってきたタカミチの前で縮こまる明日菜。だが、それにタカミチは肩をすくめて微笑み、
「――――――いや、その点については心配ないよ。君は役目を”より良い形”で果たしてくれたわけだしね」
「え?」
「まぁ、見ていて。意味は、すぐに分かるから」
そう言ってタカミチはベンチに横たわるその人の前でしゃがみ、
「久しぶり。しかし、随分と美人になったね」
「それは、どういたしまして。……久しぶり、タカミチ」
……ん?
どうやら、この行き倒れの彼女とタカミチは顔見知りらしい。それも、それなりに前からの。そのように見受けられる。しかし、随分甘い言葉を掛けるものだと思う。『美人になったね』だなんて、そんな殺し文句。
……私、そんなこと言われたこと無いな。
腹が立つ。いや、そこで腹が立ってもどうこうするわけでも無いのだけれど、それでもなんだろう、この負けた気分は。
明日菜とてタカミチとの付き合いは長い。記憶している限りでは、小学1年生の頃からの付き合いで、もう7年か8年にもなる。教師として働き出す前から、彼は何故か実家に入り浸っていた。養父の元弟子らしくて、それで時々”師匠”なんて呼び方をする。何の弟子なんだろう、煙草屋の弟子って。それはともかく、その度に『やめろ』と言われるのだけれど。ともかく、そんな関係だったから、明日菜にとって彼は良き兄貴分であり、
……まぁ、好き、なんだけど。
そんな思慕の念を抱いている、というわけである。それでいきなり、こちらの見知らぬ人に『美人になったね』だ。ヤキモキして当然だ。そんなわけで右足のつまさきを貧乏揺すりの速度でにパタパタパタパタ踏み鳴らしているのだが、タカミチは気付かずか意に介さず会話を続ける。
「……実は君の出迎えを頼んでいたのが彼女達でね。僕の受け持った生徒なんだよ。これから、君にとっても縁深くなる子達だ』
「へぇ……それは、何だか凄い巡り合わせ」
「だろう?……さて、立てるかい?体はいつも辛いだろうから、ゆっくり行こう。もう人もまばらだから、車が出せる」
「そこまではいいよ、タカミチ。そろそろ楽になってきたし……自分で歩く」
随分と重々しく体を引き起こしてベンチに座り直すと、真っ白だった顔は少し青くなり、
「……うん、大丈夫」
「その顔色じゃ説得力がないぞ?」
苦しい笑みで強がる彼女にタカミチは苦笑いで返して、手を伸べる。
随分……気のおけない関係に見える。
エスコートも丁重というか。何だか、もしかして、ひょっとすると、いやまさかーーーこの人は敵かも知れない。
なんだか二人だけの世界に入っているように見える。だから明日菜は、
「その、それで。この人、何者なんですか?」
「うん。それもそうだね。さ、名乗って」
「ああ、そうですね……コホン。座ったままで大変申し訳ないんですが」
細い息を整えて一つ咳払い。そして、一礼。
「私はーーーーーーアリウム・シルバーバーグ。今日から麻帆良学園女子中等部2-Aの副担任になります。担当はタカミチ……いえ、高畑先生と同じく英語です。つまり高畑先生の生徒である貴女達の、もう一人の先生ということになりますね。……どうぞ、よろしくお願いします」
え?
疑問符を口に出す前に、タカミチはその言葉に続いて、
「僕はこれから出張がもっと多くなるから、担任の仕事のほとんどを任せることになっているんだ。授業はもちろん、通知表もやってもらうことになると思う。まぁ事実上の担任交代だと思ってもらって良いかな」
え?―――え?
「だから、僕からもよろしく。この、アリウム先生を、ね」
「えぇーーーーーー!?」