リドとレイの二人は、喉の奥がひりつくような感覚を味わっていた。今すぐにでも駆け出したいという感情とは裏腹に、自身の足は全く動こうとはしてくれない。
その原因はただ一つ……彼らの目の前に立つ、異様な鎧を身に纏った人物である。
「お前たち」
「っ……な、なんだよ……」
兜越しのくぐもった声が投げかけられる。リドはなんとか返答するも、その声は上ずってしまっている。このような人物に話しかけられれば、まぁ無理もないのだが。
そんな心境など知る由もない鎧姿の人物は、淡々と口を開いた。
「ここはどこだ」
「……?」
唐突に出されたその問いに、レイまでもが頭に疑問符を浮かべる。てっきり正体を怪しまれての飛び止めだと思っていた二人は、一先ず怪しまれてはいないのだろうと安堵した。
「ここは、どこだ」
「あ、あぁ。すまねぇ、ちゃんと聞いてるさ」
鎧姿の人物は再び問いかける。詰問じみたその声に、我に返ったリドが慌てて返事を返す。
とにかく、一刻も早くこの場を離れなければならない。その為には穏便に済ませる事が第一であると知っている彼は、聞かれた内容について答えた。
「ここは21階層だ。上の階層まで行くんだったら、この先の通路が近道だぜ」
答えた内容に偽りはない。近道を教えたのも、早く行ってくれればという願いからである。恐らく下層から上がって来たと思われるこの人物の目的地が地上だと当たりをつけた、というのもあるが。
しかし当の本人は、リドの言葉に何の反応も示さない。ただ黙り、微動だにせずこちらを見ているだけだ。
その姿に何か良くないものを感じ取る二人。レイはローブ越しにリドの鎧に触れ、必死に恐怖に耐えているようだ。リドも鱗の走る背中に、浮かぶはずのない冷や汗の感覚を味わってしまう。
やがて鎧姿の人物は再び口を開いた。その口から発せられた言葉は、しかし二人の想像を超えたものであった。
「“階層”……やはり、ここは地下か」
「……は?」
思わず素で間の抜けた声が出てしまった。何と目の前の人物は、この場所が地下である自覚がなかったようなのだ。しかしそんな事があり得るのだろうか。リドは困惑すると同時に、緊張感を更に高める。
ダンジョンにいるという自覚すらないのに、返り血に塗れたこの姿。自身は傷ひとつ負っていないという事実が、その強さを証明している。ひょっとするとこの血はモンスターのものではなく、冒険者のものなのでは……という考えさえ浮かんできた。
まともな思考が出来ているのかも分からない狂人。それがリドの下した評価だった。
(レイ、オレっちの合図で一気に走るぞ)
(分かりマした……!)
リドは背後に立つレイに小声で語りかける。幸い目の前の人物は動く気配はなく、タイミングさえ間違えなければ振り切る事が出来る程度には離れている。その機会を見逃さないよう、全神経を尖らせた。
時間にしておよそ数秒。しかし何倍にも伸びた時間を味わった後、ついにリドの口が合図を告げようと動いた―――――それと同時に。
バキリ、と、周囲の壁に亀裂が走った。
「!?」
その異変にリドとレイの肩が大きく揺らぐ。その間にも亀裂は壁一帯に、三人を取り囲むようにして広がっていった。
生まれ落ちてからダンジョンの外に出た事のない彼らであってもそうそう経験のないこの事態に、レイは震える声で呟きを漏らす。
「も、
その呟きと入れ替わりとなって、新たに生まれ落ちたモンスターたちの雄叫びが響き渡った。
壁より這い出たモンスターは虫の姿をしたものが多い。
彼らは一様に三人に殺意を孕んだ赤い瞳を向けてくる。そうしている間にも壁からの誕生は続いており、徐々に通路に溢れ返ってくる。
「くそ、こんな時に……!」
そう毒づきながらも、リドはこの状況を切り抜ける事が先決であると決めると腰に差した得物に手を伸ばす。ロングソードとシミター、どちらもダンジョンで手に入れた冒険者の遺物だ。
僅かの間に覚悟を決めるリド。兜越しに目の前のモンスターの群れを睨みつけ、いざ切り込もうとした彼の目に……突如として、小規模な爆発が飛び込んできた。
「なっ!?」
瞠目するその視線の先。そこには件の人物がいた。
手にしている奇剣……トゲが生えた異様な直剣を切り上げた格好のこの人物の前方には、バラバラになったモンスターの残骸が散らばっている。それらは片端から灰へと還り、その中に淡く輝く魔石を遺していった。
一体何が起こったのか。信じ難い事ではあるが、この状況が全てを物語っている。
なんとこの人物は剣による切り上げの衝撃のみで、爆発と見紛う一撃を放ってのけたのだ。斬られた個体は言うに及ばず、後方にいたモンスターも纏めて吹き飛ばしたその威力に、リドの背に冷や汗の感覚が蘇る。
モンスターたちは鎧姿の人物に殺到する。どうやら派手に暴れている方に気を取られ、リドとレイの事など眼中にないようだ。リドとレイもまたその常識離れな光景に、逃げる事も忘れてその場に立ち尽くしてしまう。
繰り広げられたのは暴虐の嵐と言っても良かった。
鎧姿の人物が繰り出す一撃は、その度にモンスターたちを屠っていった。千切れ飛ぶ手足、胴体、頭。体液を伴ったそれらはダンジョンを汚し、そしてすぐに灰へと変わる。石の地肌が見えていた地面は既に、その大半が灰によって隠れていた。
モンスターたちも黙ってやられている訳ではないのだが、その抵抗すらも些細なものだった。鎧姿の人物は身体に纏わりつくそれらを、まるでゴミのように引き剥がす。
引き剥がし放り投げ、踏み潰し、時には壁を使って挟み潰す。更には左手にある、これまたトゲの生えた盾でもって叩き潰す。その戦いざまに、レイはフードの中で顔を青くさせた。
リドもまた絶句していた。まるで暴力が人の形を得たかのようなその光景に、これが本当に冒険者の戦い方なのか?という思いが湧いてくる。
リドも詳しい事は分からないが、冒険者とは本来“未知”を求めて探究するものであると聞いている。彼らはその為に己を鍛え、仲間と共にダンジョンを攻略するのだと。
その中にはお伽噺や英雄譚に出てくる主人公のような流麗な剣技を使う者もいるらしい。もちろんそれはほんの一握りの実力者だけであり、大半の冒険者は泥臭い戦い方をしている事も知っている。
しかしこれは、余りに壮絶に過ぎる。
群がるモンスターたちに向けて剣を振るい、力任せに斬り殺す。纏わりつくモンスターは強引に引き剥がし、そして潰す。戦法とも言えぬこの戦い方は、誰の目から見ても異様に映る。
(これじゃあまるで……)
もはやリドには、目の前の人物を冒険者として見る事は出来なかった。
モンスターの群れに囲まれ、周囲には死骸の灰と魔石が散乱している。その中心でひたすら殺し続けるその姿はまるで……。
(……まるで、モンスターじゃねぇか)
湧き出たモンスターも残り僅か。鎧姿の人物はそれでも勢いを止めず、最後まで剣を振るう。その時、背後にいた一体のモンスターが、鎧姿の人物の頭部目掛けて牙を剥いた。
ガキッ!という金属音と共に体勢が僅かに崩れるも、即座に身をよじって押し倒されるのを回避する。モンスターはドシャリと地面に叩きつけられ、その身体を強かに打ち付けられた。
同時にゴトリ、と、トゲだらけの兜が地面に転がる。
鎧姿の人物が残りのモンスターを片付け、即座に地面に叩きつけたモンスターの頭部に剣を突き立てた。冒険者たちが恐れる
断末魔の叫びと共に絶命するモンスター。突き立てた剣を引き抜き、鎧姿の人物はゆっくりと立ち上がる。地面に転がる兜はリドとレイの足元近くにまで転がって来ており、二人は自然にその顔へと視線を向けた。
「ッ!?」
そして、見た。
兜に包まれていた、その人物の顔を。
「なっ……!?」
「お、お前。その顔……ッ!!」
レイが言葉を失い、リドはあらん限りに両目を見開く。その原因は、兜によって隠されていたその素顔にこそあった。
水分を失い、カラカラに干乾びた肌。その下にある筋線維の色なのか、顔全体が赤黒く見える。恐らくそれは全身も同じなのだろう。それでいて腰まで届く長い黒髪だけは妙に艶があり、かえって不気味さに拍車をかけている。
落ち窪んだ眼窩に光はなく、がらんどうの穴が開いているだけ。常識で考えればものを見る事は出来ないはずだが、今までの動きがそれを否定している。顔全体に刻まれた亀裂と見紛う程の深い皺はとても目立ち、ミイラのような様相を呈している。
まさしく『亡者』……リドとレイの脳裏には、そんな共通の単語が浮かんでいた。
しかし件の人物は二人の動揺などはどこ吹く風で、隠す素振りもなく二人の元へと近付いてゆく。落ちている兜を拾う為なのだろう。
「……っ」
ごくりと唾を呑み込む。そしてリドは一歩前へと足を進めた。
「リド……!」
「レイ、少し待ってくれ。どうしても確かめてぇんだ」
こちらの身を心配するレイに断りを入れるリド。更にもう一歩進むと、彼はそこでしゃがみ込んだ。そして地面に落ちていたトゲだらけの兜を注意して持ち上げ、それを鎧姿の人物へと差し出す。
「ほらよ」
「………」
鎧姿の人物は無言を貫いていたが、やがて差し出された兜を手に取った。
トゲだらけのそれを慣れた手付きで片手で扱い、空いたもう片方の手で長い黒髪を雑に後ろで纏め上げる。その様子を真正面から眺めていたリドだったが、ここで不意に、自分が被っている鉄兜へと両手を伸ばした。
その意図を知るレイの頬に、一筋の汗が流れた。自分たちの正体を明かすこの瞬間だけは、やはり何度やっても慣れないものだ。
そして露わになったその素顔。
「なぁ、あんたは……オレっちたちの
カークは現状を正確に認識出来ていなかった。
目覚めてから度々出くわしたモンスター。それら全てを切り伏せ、ひたすら上を目指した。苦戦する事はなかったものの、そもそもこの場所が何処なのかが分からない。露出した岩肌からして、恐らく地下墓地のような所なのだろうが。
このまま彷徨っていても良かったのだが、途中で鎧とローブに身を包んだ二人組を見つけた。鎧の方はバーニス兵の亡者かとも思ったが、どうやら違うらしい。ローブの方も同様だ。カークは備えていた剣を握る手から、密かに力を抜いた。
二人組はそのまま何事もなく通り過ぎようとした。が、カークはその背に待ったをかけた。
別に殺すつもりはない。ただ単純に、この場所についての情報を手に入れようと思っただけの事。そういった程度の思考を、カークはまだ持ち合わせていた。
しかしここで先程の
二人組の内の鎧を着た方が動くよりも先に、カークが動いた。振るったトゲの直剣はモンスターたちを纏めて吹き飛ばし、絶命へと追いやった。多くのソウルを糧としてきた肉体をもってすれば、この程度は造作もない。他のモンスターたちも全てカークへと殺到し、その全てを返り討ちにした。
最後の不意打ちで兜を飛ばされたが、それだけだった。亡者の顔が曝け出されてしまったが別にどうでも良い事だ。仮にこの場所が“人の世”であったとしても、再び迫害されるだけだ。
そんな事を考えていたカークへと差し出された兜。この亡者の顔を見ても逃げ出さないという事は、この二人組も亡者という訳か。そう当たりを付けたカークであったが、その考えは覆される事となる。
晒された鉄兜の中身。それは人間のものではなく、どこからどう見ても蜥蜴のそれだった。
「なぁ、あんたは……オレっちたちの
蜥蜴顔はそう言って、真剣な目つきをカークへと向けるのだった。
痛いほどの沈黙が落ちる。つい先程までの戦闘からは考えられない程だ。
リドは無言でこちらを見てくるカークに思わずたじろいでしまう。
「オレっちたちは、その、『
「! は、はイ」
リドの目配せに応え、レイは着ていたローブを脱いだ。そうして現れたのは鳥の両手足を有した、女神と見紛うばかりの美貌であった。
くすんだ金の長髪の毛先は青く、双眸も同じ色をしていた。胸にはアマゾネスが好むような
「レイは
「………」
どうにか言葉を捻り出そうとするも、リドはついに言い詰まってしまう。
終始無言を貫いていたカークは無反応で、そんな様子を見てレイも黙ったまま立ち尽くしていた。リドの言葉が空回りに終わり、再び沈黙の時が訪れる。
肝心なところで口下手な自分を呪ったリドだったが、このままでは埒が明かないと、意を決して本題に切り込む。
「……なぁ、お前もオレっちたちと同じ『
やっとの思いで告げる事が出来たその言葉。
その提案に対する、カークの返答は……。
「………ああ」
「!」
短い肯定の言葉に、リドは破顔した。牙を剥き出して喜びを露わにするその姿に、緊張が治まらずにいたレイもまた安堵し、そして喜んだ。
探していた新たな
そんな彼らを眺めるカークの目は、冷ややかなものだった。
喜ぶリドとレイ。二人に向ける視線には一切、感情がこもっていない。兜を隔てたただの光景として、カークの脳は淡々と処理していた。
元より行き先など存在しない身。それ故に流れに身を任せただけに過ぎない。その結果自身の身に何が起きようとも構わないし、彼らの身に何が起ころうとも知った事ではない。
そんな考えをしているなどとは露ほどにも思っていない二人は、いそいそと防具を着直し始める。鉄兜で顔を隠したリドはカークに向けて手招きし、付いてくるよう促した。
「ほら、こっちだ!オレっちたちの『隠れ里』に案内するぜ!」
こうしてカークは、二人の後に付いてダンジョンの中を進んでゆくのであった。