桜咲刹那にとって、近衛木乃香とは何よりも大切な存在である。
木乃香は忌み子として里の皆に蔑まれてきた刹那を、ただ一人の友として接してくれた。
その優しさに、木乃香と過ごす暖かな日々に、刹那はどれだけ心救われただろうか。
ずっとこんな幸せな日々が続けばいい。
そう考えたこともあった。
けれど、それは許されなかった。
木乃香は関西呪術協会の長の娘にして、関東魔法協会の長の孫である。
それに加えて、生まれながらにしてあのサウザンドマスターすら上回るとさる膨大な力を秘めている。
よからぬ考えを抱く者にとって、これほど利用価値のある者はいない。
そんな木乃香が裏の世界に関わることなく平穏に生きていくことは決して簡単なことではない。
一歩でも道を誤れば、一瞬にて危険に晒されるだろう。
だからこそ、刹那はこれからは自分が、たとえ命を懸けてでも木乃香を。木乃香の日常を守ると誓ったのだ。
他でもない己自身に。
そのために木乃香を追いかけ麻帆良学園に入学した刹那。
木乃香を守りたい一心で、その若さながらも学園に入学する時点で既に裏の世界でも実力者と呼ばれる存在となった。
が、力は力を引き寄せる。
今の自分が木乃香の側にいれば、木乃香を狙う者だけでなく、余計なモノまで引き寄せかねない。
ならば、陰から守ろう。
木乃香に降り注ぐありとあらゆる災厄を切り払おう。
刹那がその考えに至るのに時間はかからなかった。
そう決めたからにはかつてのように接することはないが、それでいいと刹那は思う。
心の奥底には、昔のように話したいと望む自分もいるが、刹那が側にいなくとも木乃香は友人にも恵まれ、笑顔でいられる毎日を過ごしている。
木乃香の幸せを願う刹那にとって、これ以上望むものなど何もない。
その代償が、この程度のものであるなら安いものであった。
放課後、刹那は一人で帰る木乃香を追い、離れた場所で見守っていた。
刹那一人では何時いかなるどんな場所でもというわけにはいかないが、木乃香が一人になる時は必ず護衛にあたるようにしている。
といっても、結界の張り巡らされている学園内において危険に晒されるという事はほとんどないだろうが。
木乃香の動きに合わせて、刹那も動く。
ここからならあの茂みがいいだろう。
そう考え、刹那は慣れた動きで、いつものように茂みに入った。
いつものように。
そう思ったからだろうか。
いつもとは違う予想外の事態に、不覚にも刹那は固まってしまった。
「なっ」「えっ」
何故ならそこには既に人がいたのだから。
刹那だけでなく、相手も目を見開いて驚きを隠せずにいる。
そのまま数秒見つめあう二人。
それでも流石というべきか。
先に動いたのは刹那だった。
「貴様……一体何者だ?」
相手がどんな動きを見せようが、その前に必ず仕留める。
そう考え、背負っていた刀、夕凪に手を伸ばす。
同時に、刹那は相手を観察する。
相手はまだ少年であり、男子中等部の制服に身を包んでいる。
一見、ただの一般生徒にしか見えない。
だが、一般生徒が用もなくこんな所にいる理由がない。
それに、一瞬ではあるが、目の前の少年の視線は刹那が現れるまで確かに木乃香に向けられていた。
侵入者、あるいは刺客か。
その場合、相手の実力が未知数であることに加え、仲間がいる可能性も考慮し、応援を呼ぶべきか。
だが、もし相手の目的が木乃香であるなら。
視線を一瞬、木乃香に向ける。
先程から特に変わった様子はない。
刹那の一瞬の視線の動きに気付いたのか、相手も視線を木乃香に向ける。
そして答えた。
「お前と同じだ」
「同じ、だと?」
同じとはどういうことか。
この状況下で考えられるものとして、相手も刹那と同じ木乃香の護衛だということだろうか。
しかし、学園に来て以来長く木乃香を見守っていたが、目の前の人物の存在など刹那は知らない。
学園長が周囲に秘密裏にしている可能性はあるが、それを同じ護衛である刹那にまで隠す必要はない。
虚言か。
そう判断し、刀を抜こうとしてーーーー気付いた。
相手の木乃香を見る目が自身と同等、あるいはそれ以上に慈しみに溢れているということに。
そう気付いた瞬間、刹那の本能ともいえるなにかが、目の前の相手は敵でなく味方であると告げていた。
そして、それは間違いないと刹那自身が判断した。
「……そういうことでしたか」
刀から手を引く。
ならば普段通り私は護衛に徹するとしよう。
相手も必要以上に話すつもりはないのだろう。
視線を完全に刹那から木乃香に移し、無言になる。
「「…………」」
長い沈黙が二人を襲う。
気まずい。
一人での護衛が当たり前であった刹那にとって、誰かと二人。しかも同年代の男子と至近距離でいる状況はどうにも心をざわつかせた。
「(な、何か話すべきなんだろうか)」
一度会話が完全に途切れてしまった以上、また話をするというのはどうにも厳しい。
それが人よりコミュニケーションを苦手とする刹那なら尚更だ。
そもそも互いの素性すら知らないのは問題ではないだろうか。
服装で相手が学生であることは窺えるが、裏の世界の住民にとって年齢なぞなんの意味を持たない。
なんせ世の中には女子中学生でありながら忍者やら吸血鬼やら凄腕の殺し屋スナイパー巫女までいるのだから。
それでもせめて名前ぐらいは名乗るべきじゃないだろうか。
だが、護衛中に余計な会話は控えるべきではと、あれこれ悩んでいる刹那だが、先に沈黙を破ったのは相手だった。
「選んだのはお前だ。その関係を変えたいと望むのなら、それはお前自身がどうにかするしかあるまい」
「っ!?」
急に何の話をと思ったが、すぐに意図がわかった。
必要なこと以外語らなかった相手が、この状況で会話を切り出すものがあるとすれば、それは一つしかない。
木乃香のことだ。
自分とは違い、相手はこの短い間の僅かな情報だけで刹那の立場を見抜いたのだろう。
木乃香の護衛であることから学園関係者。背負う長太刀から刹那が神鳴流という流派に属していることすらも。
そして、刹那の僅かな感情の揺らめきだけで。
「ならば……何故貴方はこの関係を選んでいるのですか。そんな貴方こそ、お嬢様との関係を変えたいと望んでいるのではないですか」
それはある意味自分への問い掛けなのかもしれない。
相手の言う通り、この距離を、関係を選んだのは他でもない刹那自身だ。
それでも思ってしまう。
昔のように接しても構わないのではないか、と。
心の奥底に潜んでいるその願望が、時折刹那の剣を鈍らせる。
だからこそ刹那は訊きたかった。
己と同じ境遇であろう相手がどう考えているのかを。
「望んでいない、と言えば嘘になる」
「ならば何故!」
「俺には彼女の近くにいる資格がないからだ」
その言葉は、刹那の胸にストンと落ちた。
そうだ。
何を甘えた考えを抱いていた。
木乃香のために何もかも捨てると決めたのは自分ではないか。
何より、既に汚れてしまっている自分が木乃香の近くにいる資格なぞあっていいわけがない。
改めて相手を見る。
それは刹那だった。
弱さを、甘えを捨て、木乃香を守ると誓った本来あるべき姿の自分だった
姿こそまるで違うが、刹那にとってはまるで理想の鏡を見ているようだった。
ならば私もそうあるべきだ。
鏡を見ながら、刹那は己を整える。
そして、誓いを再び胸に刻む。
もう決して迷いはしない、と。
「……私もです」
会話が途切れたことに悩む必要はなかった。
木乃香のことを第一に考える二人にとって端から言葉なんて必要なかったのだから。
答えは得た。
そして得たのはもう一つ。
ちらりと隣にいる相手を見る。
もし、この場に刹那を知る者がいたら驚くだろう。
ーーあんな穏やかな表情、初めて見た、と。
◆◆◆
俺、風間英一にとって、放課後の時間とは一分一秒すら無駄に出来ない貴重な時間である。
俺の放課後における行動は大きく分けて三パターン存在する。
一つ目のパターンは、近衛さんが占い研究会に参加する場合。
この場合、俺は寮に戻り勉強するか、身体作りのためのトレーニングを行う。
近衛さんと将来的にお付き合いするためには、両親を始め、祖父であるここの学園長に認めてもらう必要があるだろう。
近衛さんのパートナーとして認められる条件が果たしてどんなものか想像つかないが、文武共に優秀であれば、俺という人間を評価する時、少なくとも悪い評価にはならないはずだ。
それに何らかの条件を出された場合でも、知識や体力はないよりあった方が遥かにいいだろう。
二つ目のパターンは、近衛さんが図書館探検部に参加する場合。
この場合は簡単だ。
俺も参加する。
なんせこのために図書館探検部に入ったのだから。
学園が男子校と女子校に別れている以上、図書館探検部での活動は近衛さんとお近づきになる一番の機会なのだから。
……生憎、活動中まだ近衛さんと話せてないが、これは時間の問題だろう。いずれ話せるようになる……はずだ。
そして三つ目。
これは、近衛さんが真っ直ぐ寮に帰るか、何処かに出掛ける場合。
この場合、俺はさんぽ部の活動を装って、遠すぎない距離で近衛さんを見守る事にしている。
あの出会いの時のように、いつ近衛さんがトラブルに巻き込まれてもいいようにしているのだ。
ちなみに、近衛さんが放課後どのように動くのかは協力者である明日菜から事前に教えてもらっている。
頼み混んだ時は何故かドン引きされたが、何度もしつこく頼み込むと渋々ながらもなんとか協力を約束してくれた。
今度明日菜にはお礼に男子中等部の英語教師、タカミティンの生写真を贈呈しよう。
もちろん高畑先生とは別人だ。
そして今日の明日菜からの定時報告では、近衛さんは部活動には参加せず、買い物をしてから寮に戻るとのことだ。
つまりはパターン3。
俺は帰りのHRが終わると共に教室を飛び出し、既に近衛さんの買い物ルートに向かっている。
教室を飛び出す際、鈴木や田中から「アイツ、最近付き合い悪いよなー!」「ほっとけほっとけぇ!。どうせならアイツがいる時には出来ない会話しよーぜ!」と敢えて教室全体に響き渡る大声で言われ、物凄く後ろ髪を引かれる思いをしたが、それでも俺は友情より恋に生きる道を選んだ。
……まあ、近い内に軽く事情を説明する必要があるかもしれん。
明日菜からパターン3の報告がされた時、俺は心踊った。
パターン3になることを少し期待していた自分がいたからだ。
何故か。
それは、俺が最近得られるはずのなかった同好の友を得たからだ。
ーー先日、今日と同様にパターン3の報告を受け、俺は茂みから近衛さんを見守っていた。
そこの茂みは俺からは見やすく、周囲からは見えにくいという絶好のスポットで、俺のとっておきの場所。
まさに知る人ぞ知る茂みというわけだ。
だからこそ、そこに誰か入ってくるなんて予想だにつかなかった。
『なっ』『えっ』
突然の来客に言葉を失う俺。
それは相手も同じだったようで、きりりとした目を見開いていた。
互いに固まり、見つめ合うこと数秒、膠着した状態を打ち破ったのは彼女だった。
『貴様……一体何者だ?』
ぶるり、と背筋が凍るような鋭い声で俺を睨む少女。
剣道関係の部活動にでも所属しているのか、その手は背負っていた刀に伸ばされている。
最近、初対面の女の子に警戒される事が多くて心が痛い。
どれも自分の行動が原因なのだが、それでも同年代の女の子にこうも露骨に警戒されるというのは辛いものだ。
しかし……ここはなんと答えるべきか。
明日菜のように事情を知っている相手ならばいくらでも正直に話すが、何も知らない相手に「近衛さんを見守っている」と伝えれば、あらぬ誤解を生むだけだ。
……待て。目の前の女の子は何故この茂みに入ってきた。
先程言ったように、この茂みは知る人ぞ知る茂み。
用がなければ入るはずのない茂みだ。
疑問に思い、ジッと彼女を観察るように眺めていると、一瞬視線が動いた。
その動きを俺は見逃さず、俺も彼女の視線を追う。
その視線の先にはーーーー近衛さんがいた。
そうか……そういうことか。
合点がいった。
つまり彼女は俺と同じということか。
なら、なんと答えるかは決まっている。
『お前と同じだ』
『同じ、だと?』
もし、ここに現れたのが男だったら俺は冷静ではいられなかっただろう。
その理由として、近衛さん相手にストーカー紛いの行為をしている事が許せないというのもあるが、何より重要なのは相手が男ならば恋敵である可能性が非常に高いからだ。
近衛さんが絶世の美少女であることが確かな以上、俺以外に心奪われた奴がいたっておかしくない。
むしろ、いるのが当然だ。
だけれども、実際に恋敵なる者が現れれば俺は不安や焦りを覚えるだろう。
その覚悟はしている。
してはいるが、そうなった場合、じっくり少しずつ仲良くなっていくという計画を変更する必要があっただろう。
心身共にまだ未熟である俺にとってはそれはなるべく避けたい事態だ。
しかし、目の前に現れたのは同年代の女子。
恋愛に発展する可能性は極めて低いだろう。
女の子同士というのもなくにはないだろうが、明日菜に近衛さんにそっちの気がないことは確認済みだ。
大方、目の前の女子は近衛さんと純粋に仲良くなりたいが、中々ふんぎりのつかないだけなのではないだろうか。
だからこそ、こうして俺のように近衛さんを見守り、あわよくば機会を窺っているのではないだろうか。
その考えに至った時、俺は嬉しかった。
何故なら、近衛さんは異性だけでなく同性からも魅力がある人で、俺の目に間違いはなかったということが証明されたからだ。
そう思うと不思議と目の前の意識に仲間意識が芽生えてくる。
勝手に悪いが、これから彼女のことを友、と呼ばわせてもらおう。心の中だけだが。
『……そういうことでしたか』
俺の親愛の気持ちが通じたのか、刀に伸ばしていた手を下ろす友。
どうやら警戒は解いてくれてようだが、そこで会話は途絶えてしまった。
いくら俺が相手の事を一方的に友と思っていても、気軽に世間話が出来るような仲ではない。
むしろ下手に会話をしていて本来の目的を疎かにしてしまっては意味がない。
友もそう思っているだろう。
そう思い、俺は近衛さんを見守る使命に戻ることにした。
『『…………』』
しかし、今までこういった状況に遭遇したことがないため、隣に誰かいるこの状況がどうも気になる。
気になって、ちらりと隣に視線を向けると、友はどこか憂いを感じさせる表情を浮かべていた。
その理由が、ソウルメイトたる俺にはなんとなく察しがついていた。
『選んだのはお前だ。その関係を変えたいと望むのなら、それはお前自身がどうにかするしかあるまい』
『っ!?』
わかる。わかるぞ。
見守ると決めたけれども、こうして姿を見るとやっぱり直接話したくなるよな。
けど、一度どのタイミングで話しかけるか考えると中々踏み出せなくなるものだ。
こういう場合は思いきって軽い気持ちで行くぐらいがいいのだろうが、俺も友もそれが出来ないからこうしてるわけだ。
けれど、俺も友も近衛さんと今以上の関係を望むなら覚悟を決めなければならない。
『ならば……何故貴方はこの関係を選んでいるのですか。貴方こそ、お嬢様との関係を変えたいと望んでいるのではないですか』
えっ……この子、近衛さんの事をお嬢様って呼んでるの?
いくら近衛さんが学園長の孫娘でもお嬢様と呼ぶのはどうかと思うが、まあ、呼び方など個人の自由だろう。
そして、友の質問の答えだが、その答えは決まっている。
『望んでいない、と言えば嘘になる』
『ならば何故!』
『俺には彼女の近くにいる資格がないからだ』
もっともこれは「今」はの話。
いずれ近衛さんの近く、強いては隣に立つに相応しい男になると俺は自身に誓っている。
『……私もです』
消え入るような声で、そう呟くと友は視線を再び離れている近衛さんに向けた。
えっ、まさかの同じ理由なの?
自分で言っておいてなんだげど、誰かの側にいるのに普通は資格なんていらないと思うけど。
ここまで真剣だと、この子近衛さんとただ仲良くなりたいのではなく、より親密な関係になりたいのでは?
……まあ、どっちであろうと俺に彼女を止める権利などない。
本当にそうならば、その時は友として、またライバルとして正々堂々戦おうではないかーー
そうして今日も俺は例の茂みに辿り着く。
すると、そこには既に友が待ち構えたいた。
友は俺に気付くと、ペコリと軽く頭を下げ、すぐに近衛さんに視線を戻す。
そう、これでいい。
俺達の仲に余計な言葉なんて必要ない。
今はこの空気が、ただ心地よかった。
……まあ、自己紹介ぐらいはしておいてもよかったかとは思う。
同年代の女子と二人きりという状況が英一を無意識にモードユグドラシル(笑)にしています。