「きーー!!ほんとにもうこのお猿さんはーー!!」
「なんですってー!?」
午前中の授業を終え、昼休み。
麻帆良学園女子中等部の2-Aの教室では各々好きなように過ごしていた。
他愛のない世間話に花を咲かせる者達いれば、周囲の騒がしさをものともせず眠る者いる。
実に学生の昼休みらしい混沌とした様子である。
そんな中、ある二人の女子が周囲の喧騒を黙らせるほどの声を出して勢いよく立ち上がった。
穏やかな空気が変わる。
互いのこめかみに青筋を立てていることからかなり頭にきている様子が窺える。
もし、他所のクラスの者がこの光景を見たら慌てて止めるなり教師に助けを求めにでも行っただろう。
「またアスナといいんちょ?」
「やれやれー!」
「アスナに食券5枚!」
「いいんちょに10枚!」
だが、このクラスの者にとってそれは普段と変わらぬ日常であった。
いいんちょ、と呼ばれた女子の名は雪広あやかといい、明日菜とは小学生からの付き合いで所謂幼馴染みだ。
幼い頃から今日のような喧嘩を頻繁に繰り返しているため、周りからすれば見慣れたものだ。
そのため、喧嘩を止めるどころか二人の周りには野次馬が形成されていく。
挙げ句の果てに二人の争いを増長させようとする声やトトカルチョを始める声までもする。
それでいいのか女子中学生。
まあ、周りも二人が普段よりもヤバい雰囲気になれば止めるだろうが、結局いつもじゃれあいのような喧嘩で終わる。
ならば見世物として楽しませてもらおうというのが皆の考えだ。
きっと今回も毎回のようにどちらかに軍配が上がるか、長期戦になって教師が来るまで続けられるかのどっちかだろう。
誰しもそう考えた時、それを打ち破るかの如く携帯の音が鳴り響いた。
「ちょ、ちょっと待ったいいんちょ。電話電話っ!」
「なんですのもうっ!!」
「はいはいごめんごめん。っと、英一?この時間に電話かけてくるなんてどうしたのよ?」
音の発信源は明日菜の携帯からだったようで、あやかとの喧嘩を中断して電話に出る明日菜。
そのまま携帯片手に教室から出ていってしまう。
沈黙が教室を支配する。
「……えー、この場合は……引き分け?」
「えーー!?引き分けなんて誰も賭けてーー」
「えへへへ」
「はっ、桜子。あんたまさか!」
予想外の結末にどよめく教室。
が、それよりも聞き逃してはいけないことがあった。
「というよりも誰ですの今の電話のお相手!?英一、と言ってましたが男性の名前でしょう!?」
女子校である以上、どうしても男子との接点は少ない。
部活等で男子と関わることがあってもそれは放課後の僅かな時間のみ。
また、2-A全員容姿が整っているのにも関わらず、浮わついた話は一切上がらない。
例外として柿崎という異端者(彼氏持ち)がいるが、それはノーカン。
故に、2-Aの生徒達は年頃の女の子らしく、人一倍にそういった臭いのする話には敏感であった。
特に常日頃からタカミチ・T・高畑の良さを説き、オジコン趣味と認識している明日菜から男の名前が出たとすれば尚更だ。
「もしかして明日菜の彼氏!?」
「そういえば前に男子と二人で放課後に歩いてるとこ見た……」
「えー!じゃあほんとに!」
「あーもう誰なの英一って!」
英一という名にクラスの何人かが反応する。
数名は「おっ?」と知っている名前が出た故の興味での反応に、「あー…」と何故か納得したかのような反応を示す者が数名。
他の数名は何故か難しい表情を浮かべている。
「待ってください。その人はむぐっ?!「まーまー待ちなって夕映」むぐぐぐぐっ」
その中の一人、図書館探検部で交友のある綾瀬夕映が皆の前に出ようとしたが、同じく図書館探検部にて交友のある早乙女ハルナに口を押さえられ止められる。
「……急になにするですかハルナ」
「なんか面白そーな展開になってきたししばらくこのままにしとこって。それにこのかのいる前でアイツの事説明するのはアレじゃない?」
「むぅ……確かにそうかもですが…」
そんなやり取りがされてるとは知らずにどんどん話はヒートアップしていく。
「このか!あんた明日菜のルームメイトなら何か知ってるんじゃない!?」
「んー…確かに明日菜と風間くんが一緒にいるのは最近よぉ見るけど、付き合ってるとかは聞いてへんなぁ」
「んもう!なら朝倉!あんたは何か知ってない!?」
「っていってもなー…おおまかなプロフィールは知ってるけど恋人の有無まではまだ調べてないなー」
「「「おおまかなプロフィールは知ってるんだ!?」」」
「最近色々と話題になってるしねー彼」
そう言って朝倉と呼ばれた少女は胸元からメモ帳を取り出す。
「風間英一。男子中等部2-A所属。特定の部活には所属していなかったが、今年に入ってさんぽ部に入部。その後図書館探検部にも入部。入学時の学力・運動能力共に平均の域であったが前回の試験においては男子中等部内においてトップクラスの成績を残す。尚、放課後の動きについては神出鬼没とされている…っと。まあ、こんなもんか」
「こわっ!?訊いといてなんだけどあんたの情報網どうなってんの!?」
「このぐらいはその気になれば簡単に調べられるって。まあ?彼のプロフィールに関してはもっと詳しい人がいるんだけどねー?」
「…………」
にまにまとした笑みを浮かべ、何故かこの話題に関わろうとしなかったクラスメイトを見る朝倉。
視線を向けられたクラスメイトは普段の明るい表情からは想像もつかないつまらなそうな表情を浮かべている。
「そんなことはどうでもいいですわ!!」
バンッ!!と勢いよく教卓に手を叩きつけるあやか。
「問題なのは何処の馬の骨かも分からない男性とあのお猿さんが交際しているかもしれないということです!」
「いや小学生でもないんだし、恋愛ぐらい好きにさせてあげなって」
「それにおかしいと思いませんか!あれほどオジコン趣味である明日菜さんが同年代と交際しているなんて!」
「それ普通」
あやかは考える。
もしかすると、その風間英一という男に何か弱味を握られているのではないだろうかと。
何より、もし清い交際であってもクラスメイトに。
腐れ縁とはいえ、幼馴染みである自分に一言も告げないのはどういうことだと。
「この問題は放っておくとクラスの士気に関わります!」
「せやろか」
「なので、この私が!2-Aの委員長として責任を持って二人の関係を確かめます!」
「「「おおーーー!!」」」
もう嫌だこのクラス。
誰かがぼそりと出した声は、誰に届くことなく消えていった。
◆◆◆
風間英一14歳、誘拐されました。
誠に遺憾ながらメディア等に取り上げられそうにないが。
放課後。
いつものように動こうと校舎を出た俺を待ち構えていたのは髭の素敵な執事の爺さんだった。
『お待ちしておりました風間様。お嬢様がお待ちです。さあ、どうぞお乗りに』
あんた誰。
俺がそう言う前に、突然現れたメイド2体に両腕を抱えられ、そのまま黒のリムジンに強制的に乗車させられた。
お嬢様という言葉に「もしかして近衛さんが!」と少しでも期待して抵抗しなかった俺がいけなかった。
謎の執事とメイド軍団に囲まれたまま車に揺られること数十分。
待っていたのは当然ながら近衛さんではなかった。
「さあ、どうぞお座りになってください」
そう俺に言うと、目の前のパツキンのチャンネーが優雅にティーカップを口につけた。
パツキンのチャンネーというとヤンキーを想像してしまうが、目の前のパツキンはチャンネーは優雅という言葉をそのまま擬人化したような見るからにお嬢様だった。
しかも美人。
顔面偏差値まで上流階級とは恐れ入る。
だが、以前の俺ならともかく今の俺には何も響いてこなかった。
「悪い。お嬢様とお茶するなら黒髪のお嬢様と決めてるんだ俺」
「はい?」
「いえなんでもないです」
背後で控えていた爺さんから物凄いプレッシャーを感じた俺は言う通りに座る。
多分アレ覇気。
「え、えーと、何処かでお会いしたことありましたっけ?」
背後の爺さんを刺激しないよう言葉を慎重に選ぶ。
「いえ、お会いするのは初めてです。申し遅れましたが、私中等部2-Aの雪広あやかと申します」
「あっ、ドーモ。ユキヒロ=サン。カザマです」
「ええ、存じあげております」
スルーされた。
まあ、根っからのお嬢様相手にネタが伝わったらそれはそれでびっくりするが。
と、何故か爺さんが顔を寄せて耳打ち。
「予め言っておきますが、お嬢様はニンジャではありません」
あんたがわかるんかい!!
「ん、2-A?ってことは近ーーんんっ。明日菜のクラスメイトってことか」
「ええ、そういうことになります」
危ねえ危ねえ。
危うく近衛さんの名前を出すところだった。
これでもし「あら?近衛さんとお知り合いですの?」「いえ、一方的に知っているだけです」みたいな会話になったらあらぬ誤解を受けかねないからな。
「で?その雪広さんが俺に何の用?」
「率直に訊かせていただきます。風間さん、最近随分彼女と懇意にしているようですが、彼女のことどう思っているのですか」
どきりとした。
が、それを表に出さず何とか冷静を装う。
コイツ、まさか俺の気持ちを知っている……?
ありえない話ではない。
明日菜のことは信頼しているし、むやみやたら誰かに話を広めたりしないだろう。
けれど、最近知り合った他の2-Aの奴らの中に面白半分で話を広める奴に何人か心当たりがある。
相談できる相手は多い方がいいと思ったのが仇となったか。
ぶっちゃけ近衛さん本人にバレなければ誰にバレても構わないのだが、人の本気の恋を面白半分に扱われるのは少々気にくわない。
「それを話す必要が?」
「ありませんとも。けれど、それを承知の上で私は知りたいのです。クラスメイトとして。そして何より、彼女の幼馴染みとして」
きっと雪広と近衛さんはお嬢様同士昔から交友があったのだろう。
雪広が一方的に好意を抱いているだけの男にわざわざ会いにくることから、今でも仲がいいことがわかる。
幼馴染み、か。
その言葉を聞くと、告白の一件以来顔を合わせていない幼馴染みの顔が思い浮かんだ。
フラれて疎遠になってしまってはいるが、俺にとって幼馴染みはかけがえのない大事な存在だ。
もしそんな幼馴染みに好意を抱いている男がいると知ったら俺はどうするだろうか。
幼馴染みという関係だけで、俺があれこれする資格なんてない。
きっと何もしないのが正しいのだろう。
それでも、俺はきっと雪広と同じ選択をすると思う。
俺自身が気になるというのも勿論ある。
だが何より、彼女が悲しむ顔は見たくない。
幼馴染みとして願えるなら、彼女には笑っていてほしいから。
きっと雪広も同じ考えなんじゃないだろうか。
そう考えた瞬間、自然と俺は口を開いていた。
「……好きだ。真剣にお付き合い出来ればと考えてる」
「その言葉に嘘偽りはありませんか?」
「ない」
ジッと俺の目を見つめる雪広。
流石の俺もこんな至近距離でジッと見つめられると思わず目を逸らしたくなるが、それは駄目だと思った。
見つめ合うこと数秒、先に目を逸らしたのは雪広だった。
「……貴方の気持ち、確かにわかりました」
「もういいのか?」
「ええ。これでも人を見る目はあるつもりですの。これほどまでに真剣な目をした貴方なら任せられると判断しました」
どうやら幼馴染みから合格判定を頂けたらしい。
俺の近衛さんへの気持ちが本気だということを誰かに、それも幼馴染みに認めてもらえたというのは素直に嬉しい。
「無礼を働いたお詫びとして、私二人の仲を応援させて頂きますわ。何か手伝えることがありましたら何でも仰ってください」
「い、いいのか?」
「勿論ですわ。正直おバカでガサツなあの子には勿体無いくらいの方だと思います」
「えっ、あっ、どうも」
「ふぅ……でも、あのお猿さんをここまで慕う方が現れるなんて……」
何故かセンチメンタルになる雪広。
近衛さんがバカでガサツ。
しかも猿と呼ばれるのはどうも納得できないが、幼馴染みにしか見えない部分もあるのだろう。
最初は戸惑ったけれど、今日俺は恋のキューピッドに出会えたのかもしれない。
それに近衛さんが明日菜だけでなく雪広と、友達に恵まれていると知れてなによりだ。
「…………」
だからだろうか。
無性に幼馴染みの顔が見たくなった。
…………ちなみに帰りはちゃんと送ってもらえるんでしょうか。
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