久保side
何度目かわからない溜息を吐き出す。
手元には、下田君から手渡された木下君と姫路さんの浴衣姿の写真と、霧島さんの浴衣姿とハーフパンツ姿の島田さんのツーショット写真。裏面には『この写真を全男子に回すこと。女子及び教師に見つからないよう注意!尚、パクったヤツは坂本雄二の名の下に私刑を執行する』と殴り書きされていた。
目にした男子生徒達は皆興奮しているみたいだけど、僕にはイマイチその魅力が伝わって来なかった。勿論、姫路さんも霧島さんも島田さんも魅力的な女性だ。これに関して悪いのは先に挙げた三人じゃなくて、僕が好きな人がーー
「……はぁ」
ここでまた、溜め息を吐く。
……ここ数日、僕はずっと悩んでいた。それは、自分の好きな人に関して、だ。
僕の好きな人は、きっと僕のことなんて眼中にない。そこに大きな壁があるからだ。……性別という、どうしても越えられない大きな壁が。
しかも今回の騒動で、彼もやはり異性愛者なのだと突きつけられてしまって、もうこの恋に望みがないのだと思うと胸が苦しくて堪らない。
もうそんな恋なんてやめたらいいと手持ちの写真を破ろうとしたけれど、それも結局出来なくて。
好きでいたい、好きになっちゃいけない、諦めたい、諦めきれない。そんな気持ちの堂々巡りで、精神的にすっかり参ってしまっていた。
……写真、次は誰に回そう。
自習室の隅の席には、自分以外誰も座っていないので少し歩かなくてはならない。でも、腰を上げるのも億劫で。
……だけど、渡さなくちゃいけない。せめて、彼に迷惑だけはかけたくないから。
緩慢な動きで立ち上がろうと床に手をついた、その時。
「なんだ、その写真」
「……夏目君」
ぱっ、と僕の手から写真が離れた。
夏目君は写真を一瞥して、裏面を流し見るとすぐに通りかかった横田君へと渡してしまった。
写真が手元から離れたことで、少しだけ気持ちが楽になって一息吐く。
「酷い顔色だな。大丈夫か?」
「……うん」
「大丈夫じゃ無さそうだな」
夏目君がその場に腰を下ろし、僕のおでこに手を添える。見当違いな心配なんだけど、ささくれて疲れていた心にその優しさが少し沁みて目の奥にツンときた。
「ごめん。体調が悪いわけじゃないんだ」
「…本当か?随分と青い顔をしているが」
「バスの中の君と同じくらい?」
「その話は掘り返すな」
バツが悪そうな顔をするものだから、つい、くす、と笑いが溢れた。
あの車酔いことなんて本当に気にしていないのに。むしろ、自分から頼ってきたくせにきまりが悪そうにしているのがおかしかった。
「……夏目君は。あの写真、どう思った?」
写真を渡してきた下田君は興奮しきった様子だった。周りを見る限り、まあ大半の生徒はそんな反応だった。だけど、彼はさっと目を通しただけで渡してしまった。
……しかし、彼は表情筋が全く仕事していないので。無表情に見えても内心はもしかしたらドキドキしていたのかもしれない。
「いい写真だったな」
ふ、と夏目君が目を細める。
ドキドキしているとかそういう感じじゃなくて、まるで孫の写真を見たおじいさんみたいなーー生温かい視線だった。
「本音は?」
「優子の浴衣が良かった」
呆れるほど一途なその感想に思わず苦笑が漏れる。
「木下君じゃだめなのかい?」
「確かにあの写真の秀吉は優子に微かに似ていたがーーやはり違うな」
「微か、なんだ」
結構似てると思ったんだけどな。特に、あの写真は木下君が緊張していたのか少し吊り目気味で顔付きも強張っていたから。
「……もし、の話なんだけど」
でも、さっき。
木下君は?と聞いた時に、彼は男だからとは言わなかった。淡く湧き立った期待を胸に口を開く。
「もし、木下さんが男でも…君は、木下さんを好きになっていたと思う?」
これは、議論したところで仕方がないたらればの話だ。
だけど、彼がもし、きっと好きになっていたと答えてくれたら。僕の抱いたその感情は間違いではなかったと、彼が肯定してくれたのならーーそうしたらこの鬱屈とした気持ちも少しは晴れるんじゃないか。ただ少し運が悪かったと諦められるんじゃないか。
夏目君は目をぱちくりと瞬かせた後、顎に手を当てて考える。しばらく、僕達の間に沈黙が流れていた。長い沈黙の後ーー(実際には1分しか経過していなかったけど僕にはとても長く感じた)夏目君がやっと口を開いた。
「わからない」
「優子が男だったら、なんて考えた事がなかった。別に、優子が女だから好きというわけではないが、男の優子を好きになるかと言われたらーーそうだ、とは言えない」
「男の優子は、そもそも関節技に興味がないかもしれない。あの時俺と出会わなかったかもしれない。同じクラスじゃなかったかもしれない。色んな偶然の上で今が成り立っているのなら、優子が男というだけで今が成り立たないかもしれない」
……それはそうだ。
人との関係はその時の偶然で成り立っていることが殆どだろう。現に僕達だって、夏目くんが木下さんの事を好きじゃなかったら、夏目君が勉強を頑張っていなかったら、同じ Aクラスの仲間じゃなかったら。…きっと、友達にもなれなかった。
「でも」
それでも、と夏目君は言葉を続ける。
「男の優子とも出逢えたらいいなと思う。男でも、女でも、どんな形でも」
そう続けて、夏目君は視線を明日の方向へと向けた。視線の先にいるのが誰かなんて聞かずともわかる。けど、その目線にいつものような熱はなくて、ただただ穏やかだった。
僕はといえばーー内心、驚いていた。
夏目君が抱いている恋慕はもっと、単純なものだと思っていた。だけど違った。そう見えないだけで、彼が向けている恋慕の中にはもっと色々な感情が詰まっているのではないかとーーそう思った。
夏目君はいつも、関節技が綺麗だって褒めているけど。多分それはきっかけに過ぎなくて、きっと、もっとーー。
「久保?」
「……あ、ああ、ごめん。ぼうっとしてた」
「本当に大丈夫か?具合が悪いなら医務室に」
「大丈夫だから。それよりほら、自習時間なんだから勉強しなくちゃ」
「……それもそうだな。だが、無理はするなよ」
夏目君はそう釘を指して、僕の隣の席に座るといそいそと勉強道具を広げる。わざわざここに来たということは教えてもらいにきたんだろう。
「それで?どこがわからないんだい?」
まだ何も言ってないのに、と言わんばかりに夏目君が驚いたように目を見開く。それがあまりにもわかりやすいものだから面白くて、堪えきれず笑ってしまった。
◆◇
『クソッ…!さすがAクラス、強過ぎる…!!』
『お前ら陣形を取れ!1対1で戦おうとするな!!』
扉を隔てた先からBクラスの生徒達の悲鳴が聞こえる。
時刻は20時。女子風呂の覗きを賭けた戦いが今、この扉の先で繰り広げられていた。
「久保!早く行かねえと乗り遅れるぞ!!」
「お前には同志達の悲鳴が聞こえないのか!?」
「……!!(コクコク)」
ーーだというのに。僕はまだ、この戦いに参加すべきかどうか悩んでいた。
「君達、少し落ち着きなよ。Aクラス男子は賛成派と反対派で真っ二つ。だから代表ーーつまり成績最優秀者である久保君に判断を委ねようって話になったんだろ」
僕につかみかからんばかりの勢いのクラスメイト達を大森君が抑え、本田君が諭す。
「ねー久保君。いいの?早く決めないとクラスごと真っ二つになっちゃいそうだよー?」
隣でけらけらと笑うのは半田君だ。
彼の言うことはその通りで、このまま僕がうじうじしていればそうなってしまうのも時間の問題だ。僕が決断出来なければ勝手に動き出す賛成派と呆れ返る反対派で決定的な溝が生まれてしまうだろう。
……せっかく一緒になったクラスメイトなのだ、それは絶対に避けたい。
「半田、あんまそう言う事言うな。久保も思い詰めるなよ?そうなった時の責任をお前のせいにする為に代表にした訳じゃないんだから」
「……横田君、ありがとう。」
半田君に軽くチョップをし、僕にもフォローを入れてくれる横田君。この二人は良くも悪くも中立のようで、異様なこの雰囲気にも呑まれず冷静だった。
「んで?実際どっち寄りなんだ?……それとも、判断が付かないんじゃなくて惣司郎を待ってんの?」
「……それも、あるかもしれない」
……そう。この室内にはAクラスの男子生徒全員がいるーーわけではなく。夏目君だけが席を外していた。つい30分程前に、急用が出来たと言い逃げするように部屋から出ていって、そのまま戻って来ていない。
「……夏目の事だから、吉井達と一緒なんじゃ?」
「でも戦いで見かけてないって聞いたぞ」
僕も霧島君と同じ意見だ。この場にいないのは多分、吉井君達と一緒なんだろうと思う。
……でも、そうなると少し奇妙なのだ。何せ夏目君にはまだ覗き魔のレッテルは貼られていない。つまり、覗き騒動には参加していないということだ。……まあ、かなりの人数を巻き込んでいるから、たまたま女生徒や教師の目に触れなかった可能性だってあるわけだけど。
「ま、来るかわかんねえ惣司郎を待ってても仕方ないってことだ。……アイツが、こういう時には頼もしいって気持ちもわかるけどな」
樋野君が肩を竦める。
夏目君には思いやりと決断力がある。もしこの場にいたなら、悩んでいる僕を見かねて判断を変わってくれていただろう。
……でも、そんな夏目君は今はいない。僕自身で何とかしなくちゃいけない。緊張のせいか、額に脂汗が滲んで垂れた。
……決断はとうにした。とっくに決めていたのだ。ただ、それを言う勇気がまだ出なかった。胸を張って、これで良いと言える勇気が。
刻一刻と時間が迫っている。急かすようにドタドタと誰かが階段を降りてくる音が聞こえる。
『よし!これで一階の制圧も上手くーー』
『いや待て、様子がおかしい!』
坂本君と吉井君の声だ。
ここまで来ているという事は、BクラスだけでなくCクラスも立ち上がったという証拠に他ならない。残りは、僕達Aクラスだけとなった。
『…………雄二。悪戯はここまで』
『明久君。ここは通しませんよ』
『翔子かっ!』
『姫路さん…!!』
霧島さん、姫路さんという最強クラスの二人に対し、死屍累々のBクラスの男子生徒達と吉井君達。圧倒的に分が悪く、勝てる見込みはどう足掻いてもない。
……それに、二人を倒したとしてもその奥には高橋先生がいる。高橋先生は霧島さん、姫路さん以上の最高戦力だ。僕達が加勢に出たとしても敵うかどうかわからない。
『明久君。大人しく降参してください』
『……雄二。諦めて』
『ぐっ…、翔子……!』
坂本君が呻く。きっと吉井君の方にも姫路さんが迫っている事だろう。あまりに絶望的な状況だ、勝ち目なんてあまりにも無い。……だと言うのに。
『いいや、諦めちゃダメだっ!まだ僕らは負けたわけじゃない!!今ここで気持ちも負けたら、勝てる勝負も勝てなくなるっ!!』
『でも、霧島も姫路も入ってない風呂に覗く価値なんて……』
『逆に言えばここに居ない木下優子さんや美波はお風呂に入っているってことだ!覗く価値は充分にあるっ!』
ーー吉井君はまだ、勝機があると疑っていないようだった。
『明久よ。何故ここまで圧倒的に不利な状況にありながら諦めないのじゃ?ここまで騒ぎも大きくなってしまった事じゃし、もう真相がどうであろうと今更お主の評判は変わらんじゃろうて』
『ーー違う、違うんだ秀吉。そうじゃないんだよ』
『そうじゃ、ない?』
『確かに最初は、真犯人を突き止めて覗きの疑いを晴らす為だった。……でも、こうして仲間が増えて、その仲間達を失いながらも前に進んで、初めて僕は気がついたんだ』
『明久。お主何を言ってーー』
たっぷりと息を吸って、吉井君は声高らかに叫ぶ。
『ーーたとえ許されない行為であろうとも、自分の気持ちは偽れない。正直に言おう。今、僕はーー純粋に、欲望の為に女子風呂を覗きたいっ!』
「っく、ははっ!」
「久保?」
あまりにも馬鹿らしくて、つい笑ってしまった。
ああ、君はなんて馬鹿でーーなんて、真っ直ぐで、愛おしいんだろう。
「皆。待たせてごめん」
額から滲み出ていた汗はいつの間にか乾いていた。強張っていた身体ももう動く。大丈夫だ、僕はきっと後悔しない。
……いや、もしかしたら後悔するかもしれない。けど、きっと大丈夫だと思った。きっと、いつの日にかあんな馬鹿やってたなあって笑い飛ばせる日が来る。
「ーー総員、戦闘準備を」
「「「了解っ!」」」
乗り気の人もいる。仕方ないって顔をしている人もいる。反対派を語っていた人も、やれやれと立ち上がる。けれど皆、奥底にある気持ちは一つみたいだった。
『世間のルールなんて関係ない!誰にどう思われようと、僕は僕の気持ちに正直に生きる!』
ずっと閉じていた扉を開く。
真っ先に目に入ったのは、剣を振りかぶった姫路さんの召喚獣と拳を握りしめた吉井君の召喚獣だった。その間に呼び出した召喚獣を滑り込ませ、姫路さんの召喚獣の剣戟を大鎌で受け止める。
「よく言った、吉井明久君!」
ガチッ、と鈍い鋼同士がぶつかる音が響いた。大きな目を更に大きくして驚いた姫路さんが、慌てて召喚獣を下がらせる。
「……待たせたね、吉井君。君の正直な気持ちは確かにこの僕が聞き届けた」
「久保君っ!来てくれたんだねっ!」
「到着が遅れてしまってすまない。踏ん切りがつかず、ずっと迷っていたんだけど……さっきの君の言葉を聞いて決心がついたよ」
「決心がついたって、それじゃあ…!!」
「ああ。今この時より、Aクラス男子総勢24名が君達に力を貸そう!Aクラスの皆、聞こえているね?全員で吉井君達を援護するんだ!!」
「「「おおおーっ!!」」」
「ありがとう久保君、Aクラスの皆!君達の勇気に心から感謝するよ!!」
吉井君、坂本君、土屋君、木下君が二人の間を縫って駆けていく。高橋先生の方はーーきっと坂本君の事だから何かしらの策はあるのだろう。
だから僕は、今目の前にいる相手を倒す事に集中すれば良い!
「久保君、どうして邪魔をするんですか…!?明久君が女の子の裸を見たがっていることに何とも思わないんですかっ!?」
「思ったよ。やはり彼は女の子が好きで、僕は君達と同じ土俵にすら立てないんだってずっと悩んでた」
「それなら、何でその手助けをするんですかっ!?」
「男女なんて関係ない、好きなものは好きなんだ!僕もーー彼らみたいに、自分の気持ちに正直に生きたいっ!!」
『Fクラス 姫路瑞希 VS Aクラス 久保利光
総合科目 4422点 VS 4630点 』
「さあ、勝負だ姫路さん!ここから先は誰も通さない!!」
「望むところですっ!勝って、明久君達を止めてみせますっ!!」
召喚獣達が火花を散らしてぶつかり合う。
理想郷をかけた最終決戦の火蓋が今、切って落とされた。