「まさか夏目君のお兄さんと吉井君のお姉さんが友人だったとはね」
「俺も驚いた。世間は狭いな」
夕飯の支度の為ひと足先に帰った玲さんと、それを送っていくとついて行った藤司郎さんを見送った後。アタシ達は二階にある夏目の部屋へと通された。
夏目の部屋は至極シンプルで飾り気もなく、必要最低限の家具が並べられている他には筋トレ道具が置かれているだけ。愛子が真っ先にベッド下を覗いていたけど何もなかったようでつまらなそうに唇を尖らせていた。
「折りたたみの机を持って来る」
ジムにあるような本格的な筋トレ道具がスペースを圧迫しているようだが、夏目の部屋はそれでもアタシ達五人がいても窮屈さを感じないほどに広い。適当な場所に座り待つこと数分。夏目はすぐに戻ってきた。折りたたみ式の机を抱えながらペットボトルのお茶五本を手に持って、足を器用に使いながら部屋のドアを開く。
「悪い、このくらいしかなかった」
皆がお礼を伝えながら先にお茶を受け取って、夏目が机を開く。
五人で囲える机なんてよくあるわね、なんて思ったけどそういえば夏目は兄二人に妹二人の五人兄弟なのだから、あってもおかしくはないのかと思い至る。机はやたらと綺麗だからあまり使った形跡は無さそうだけど。
「さーてと。夏目君が数学をやるならボクも数学をやろうカナ?」
「…………………………私もそうする」
「別に合わせなくても、」
「いいじゃないか。せっかくの勉強会なんだから。同じ教科の方が皆聞きやすいし教えやすいし」
ね、と久保君がちらりとアタシを見た。
…どうやら夏目に教えるのを皆も手伝ってくれるつもりらしい。み、みんな…!
「それじゃあ始めるか」
友人達の優しい心遣いがじんわりと沁みる。
初めてのお宅訪問浮ついていた気を改めて引き締め直し、早速勉強へと取り掛かった。
◆◇
「男子三人と女子三人が一列に並ぶ時男子と女子が交互にならぶ確率を求めなさい、ね。シャーペンと消しゴム借りるわよ」
机の真ん中に、皆から拝借したシャーペン三本と消しゴム三つを置く。確率なら話して教えるより実際に見せながら教えた方がわかりやすいからだ。
「…………………まず、全部で何パターンあるのか考える」
代表がまず青色のシャーペンを手に取った。それを先頭におき、残りのシャーペンと消しゴムは離して置き直す。
「…………この青色のシャーペンが先頭の場合、次の並びは残りの五個の中から選ぶ。次に並べるのをこのピンクの消しゴムとした場合、その次の並びは残り四個の中から選ぶ」
代表がそれぞれのシャーペン、消しゴムを指差しながら順番に並べていく。
「……………つまり。最初の一個の並べ方は六通りあって、次の並べ方は五通り…って続いていくから?」
「…全パターンは6×5×4×3×2×1で6の階乗通りの並べ方がある!」
「そうそう。じゃあ次に交互に並ぶパターンを考えようか」
今度は久保君が真ん中に手を伸ばし、改めてシャーペンと消しゴムが交互になるように置き直す。
「交互に並べるのであればその逆しかないから、交互に並ぶパターンは二パターンってことか?」
「うん。そうなんだけど…。ねえ、夏目君。このピンクの消しゴムと緑の消しゴムは同じ消しゴムかい?」
「……む?……あ、そうか。ピンクの消しゴムと緑の消しゴムが逆になるパターンもあるから…えっと…これも3の階乗通りあって、シャーペンの方も3の階乗通りあるのか!」
「ウンウン、そういうこと!じゃあそうなると式はどうなるカナ〜?」
「確率は分数で表すから…6の階乗が分母、3の階乗×3の階乗×2が分子になるわけだな」
「そうね。そして分数なら答えを出す前に一個、やることがあるわね?」
「約分だな!3×2で6、2×2で4が消えて3と3も消せるから…残った5×2×1分の1で……10分の1!」
「だいせいかーいっ♪」
愛子が夏目のノートに大きく花丸を付ける。
夏目を教えるのは最初の説明に骨が折れるものの理解してしまえば話は早く、続く問題もさくさくと解いていた。
……やっぱりコイツ、勉強してこなかっただけで頭が悪いわけじゃなさそうなのよね…。
「夏目クン、飲み込みが早いし教え甲斐あるね♪教えるのも良い復習になるし、優子や久保クンが嫌な顔せずに教えてる理由がよくわかったよ〜」
「それもあるんだけど…。夏目君、視点が独特だからか結構面白い質問が多くて。自分も答えられなくて勉強し直したり調べたりしてさらに知識が深まることもあって楽しいんだ」
「それほどでもあるな」
ふふん、と何故か得意げな夏目。
いや授業受けてるんだからその時に理解しなさいよ、と思ったがせっかくやる気を出して勉強しているのだからそれを今言うのは野暮だろう。
…実際、先程の説明でちゃんと理解出来たようで。解き終わって提出された解答用紙と解答を照らし合わせて丸つけをしたが、ほとんどの問題に対して正答をしっかり出せていた。
「…こことここ以外は全部マルだったわ」
「…むぅ……」
「あ〜…。問題の読み違いだね。ここはさーー」
愛子が誤答に対して解説をしようとした、その時。
『ただいまぁ〜』
大きな声が階下から聞こえてきた。
続いてどさどさと物音が続き、静かだった夏目家が途端に賑やかになる。
『ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ…。あらぁ?皆帰ってきたのかしら?』
『お母さん気付いて。皆帰ってきてたとしても靴が一つ多いし、私達八人家族になっちゃうよ…』
「「「「…………」」」」
壁にかけられている時計を見上げると時刻は18時半を指していた。もう夕飯時だし、そろそろ帰った方が良いだろうか。
「…ちょっと待っていてくれ」
夏目が立ち上がり部屋から出ていく。大方お母さんにアタシ達のことを話しにいくのだろうーーそれならこの辺りでご挨拶だけしてお暇するのが良さそうだ。
皆も同じように考えたのか、机の上に広げていたノートや参考書を閉じて片付け始める。
『…あれ?惣兄?』
『おかえり。母さん、京子、蝶子』
『うん、ただいま。藤兄はリビング?お友達まだいる?』
『藤司郎の友人はもう帰っていて、藤司郎はその送りに行った。今来ているのは俺の友達だ』
『えっ!?惣ちゃんにお友達!?!?』
『母さん、ちょっと声がでかーー』
『あひゅう〜……。惣ちゃんに、お友達……。そう、康太ちゃん以外にお友達出来たのねぇ…。お母さん嬉しいわぁ…ぐすっ、ひぐっ……』
夏目のお母さんは声が大きいのか、よく通る声は特に筒抜けになっていた。これはちょっと、流石に気まずい。
『…京子、』
『私に振られても困るよ。とりあえずお友達、紹介してあげたら?』
『……』
『…まあ、わかるよ。お母さんに紹介するの、ちょっと恥ずかしい気持ちもわかるけどさ。…私お母さんの気持ちもわかるよ。惣兄は光兄と違って友達が出来ないんじゃなくて、そもそも作る気がないじゃん。いや別に無理して作るものでもないけどさ、友達って』
『…でも身内としてはやっぱり康太君しかいないのは心配だったし、何より勿体無いなって思ってたんだよ。惣兄は確かにちょっとアレだけど…でも、いいヤツじゃん。その魅力を私達だけしか知らないって、ちょっと世界勿体なくない?って…皆ずっと思ってたんだから』
『……………………。…わかった。連れてくる』
『うん。いってらっしゃい』
とん、とん、と階段を登ってくる音が聞こえる。
緊張からかそわそわと落ち着かなく、居住まいを正して待っていると程なくして部屋のドアが開いた。
「……ちょっといいか」
夏目の表情もどことなく固い。アタシ達が黙って頷くと、夏目は踵を返して歩き出す。夏目に続いて階段を降りていくとーーそこにはお母さんと思しき橙色の髪が目に眩しい小柄な女性と以前にも会った妹さん二人がいた。
「…母さん。友達、連れてきた」
何を話したらいいのかわからず、曖昧に笑みを浮かべながら小さく会釈する。
夏目のお母さんはその大きくて丸い目を更に丸くしながら、あらまあ〜!と朗らかな笑顔でこちらに駆け寄って来た。
「綺麗な子に、可愛い子達ねえ〜。…君は……もしかして弟君がいたりしない?」
「え?あ、はい…」
「そうよね!?京子のお友達の良光君にそっくりだと思ったのよ〜!ご兄弟ともども仲良くしてくれてて…ありがとうねえ」
「こちらこそ、良光とも仲良くしていただいてありがとうございます」
確かに久保君の弟さんと久保君は似ている方だと思うけど…それにしても一度顔を見ただけでわかるとは。夏目の勘の鋭さはお母さん譲りなのかもしれない。
「あっ、ごめんないねえ私ってば名前も言わないで。改めて、母の遼子です。息子と仲良くしてくれてありがとうねえ。ね、せっかくだから皆さんのお名前もお聞きしていいかしら?」
「………………霧島翔子です」
「工藤愛子です、よろしくお願いします〜」
「久保利光です」
「木下優子です。こちらこそ、いつも夏目君にはお世話になっています」
……三方向から物言いたげな視線を感じたけど、一旦スルーしておこう。
「翔子ちゃん、愛子ちゃん、利光君、優子ちゃんね?うんうん、素敵なお名前ね。教えてくれてありがとう。これからも良かったら息子と仲良くしてあげてねえ」
にこにこと人懐こい笑みを浮かべるお母さんと、気恥ずかしいのか黙ったままの夏目はなんだかちぐはぐで面白い。
…というか、あの夏目がこんな可愛いらしいお母さんに弱そうなのもちょっと面白いのよね。さっきも泣かれて戸惑っていたみたいだし。
緊張も解けてアタシや愛子が面白がり始めたことに気付いたのだろうーーこほん、と生温かい空気を変える為にか夏目が咳払いをした。
「…母さん。夕飯の支度はいいのか?スーパーで買ってきたものは早くしまった方がいいぞ」
「あらそうだった!もうこんな時間だものね…。あ、そうだ!皆さんも良かったらお夕飯食べて行かない?」
「…えっ、いいんですか?」
「是非是非!お母さん頑張っちゃおうかな!」
楽しみにしててね、と夏目のお母さんがスーパーの袋を抱えてステンドグラスのドアを潜る。妹さん達もお母さんが持ちきれなかった残りの袋を持って続いていった。
残されたのは帰る支度を整えてしまったアタシ達だけだ。ちらりと夏目がアタシ達を見る。
「…食べて行くなら部屋に戻る。帰るならそのまま帰すが、どうする?」
「「「「ご相伴に預かります」」」」
「……だよな」
お母さんに振り回されて疲れたのか、心なしか背中を丸めて歩く夏目に続いてアタシ達はまた部屋に戻るのだった。