世界を騒がせる『白騎士事件』が起こってから約二年。ボクは無事に中学生になる。篠ノ之箒の転校など色々あったが新しい友達も増えて、ボクの生活は概ね順風満帆といったところだろうか。千冬姉に食卓で神妙な顔で「おまえ達ももう中学生だ」なんて感慨深げに一丁前な親父のような言葉を囁かれてはボクと一夏は静聴する。
連絡の途絶えた世界の束氏については、きっと千冬姉が知っているだろうからあまり心配はしていない。そんなボク達に制服が手渡される。
「ほら、おまえ達の制服だ」
一夏は新品の男性用の学ランを。
ボクは千冬姉のお古と思わしき女子用のセーラー服。
「なんかもう慣れてるな春香」
「家は貧乏だからしょうがない」
「まぁ、確かにな」
「なんなら着てみる? 一夏がセーラーでボクが学ラン。体格的にはボクの方が華奢だし身長も殆ど変わらないからできないこともないけどね」
「すみません、助かってます。遠慮させてください」
「似合うと思うけどなー」
一夏の方が体格は良いからたまに服を借りることもできる。今度、一夏が学校を休むようなことがあったら制服を借りてみようか。ここまではいつものパターンだ。
「春香」
「なぁに? 千冬姉」
「そのだな……」
千冬姉にしては珍しく歯切れが悪い。頰をぽりぽり掻きながら視線を泳がせて明後日の方を向いている。顔は逸らしていないのに妙な違和感を感じた。
そんなボクに突きつけられたのは、一つの封筒だった。ボク宛に届くのは海外からシャルロットがくれる手紙のみ。それが何故か、海外から来たような手紙ではなく普通の封筒。もちろんボク宛。
「実はこの前、ふざけてオーディションに応募したんだが……最終面接の案内がきてしまってな」
「……」
オーディション。いったい何のオーディションだろ。ボクは手に取って一度開封された封筒の中身を確認する。簡素に一枚の紙が入っているだけで他はない。その紙を引っ張り出して内容を一夏と確認してみる。と、目を疑うような事実が書かれていた。
「えっと……この度はアイドルオーディション女性部門に御応募いただきありがとうございます。厳正なる審査の結果、織斑春香氏の一次審査突破を御報告させていただきます。つきましては下記の日取りで最終面接を行いますので御参加下さるようお願い申し上げます」
一夏が読み上げていく内容にボクは自分の目が汚れているわけではないことを確認した。
「千冬姉、何したの?」
「わ、私はただおまえの写真とカラオケで撮った歌っている映像を送っただけで他は何もしてないぞ。履歴書だって同封したものには男性だと書いたし……」
「大丈夫かな、この審査員」
「まぁ、その容姿で男って言われてもちょっと納得できないと思うぞ」
「カラオケってスカート履いてた時だね」
「そうじゃなくても間違えるやつ多いだろ。鈴とか」
妙にぐいぐい押してくる。凰鈴音。篠ノ之箒と入れ替わりに転校してきた中国籍の女の子で、初対面では間違えられてやや色々とあった子だ。
「何かの間違いだと思うから、放っておこう」
「そ、そうだな……それがいい」
「元はといえば千冬姉のせいだよな?」
「何か言ったか一夏?」
「いえ、何も言ってません」
明日は入学式。リクルートスーツ姿の千冬姉に一夏は降参した。もう何年も着ている貫禄があることにボクと一夏は驚愕を隠せない。そんな歳でもないはずなんだけどなぁ。
「へー、そりゃ災難だったわね」
入学式も終わり、凰鈴音宅の中華料理屋でお祝いだ。夕食は奮発してくれると言ったが生憎、ボクはわいわいやるのも静かに過ごすのも好きなタイプなので彼女の家の中華料理を食べに来たわけだが。
「そんなのでいいのか?」もっと高いの選べと言いたげな千冬姉の提案を一蹴するのと同時、遠慮して皆で祝おうよ的な感じで彼女と共に夕食の席を一緒にしているのだが、ボクが言うのもなんだが鈴ちゃんに失礼な気がした。取り敢えず店の中でその発言だけはさせてはならない。
そんなボクと一夏、千冬姉、凰鈴音を加えた四人で卓を囲む。
食事中に昨日の話をすると、ちょっと残念そうなトーンで慰めるものだから餃子を摘みながらボクは言い返す。
「鈴ちゃん、まったく災難だとか思ってないよね?」
「災難も何も行かなかったんでしょ? ならいいじゃない。でも、私は少し見てみたかったかもな。実際、春香の歌ってものすごくレベル高いし。人気出ると思うわよ」
「面白そうだけど、堅実的にバイトした方が儲かるんだよ。レッスン料なんてバカにならないし、日本じゃ中学生を雇ってくれる店なんてないから無理かなぁ」
「うちで雇ってあげよっか?」
「え、いいの?」
「あんたなら大歓迎だってうちのお父さんもお母さんも大賛成よ」
法律云々は置いておくとして、魅力的な話に耳を傾けていると千冬姉が渋い顔になる。
「……しかし、それは困るな。春香の手料理が食べられなくなる」
「じゃあ、家事は一夏に任せよう。休みの日くらいは夕食は作るし、朝食は毎日やるつもりだけど」
「俺も甘えたままじゃいけないと思うんだけどさ……。春香が家事でよくね?」
「自炊できる男子はモテるよ」
「誰にだよ?」
「……うん、ごめん、一夏は恋愛に興味なかったね」
少なくとも、箒の背中を押してあげてはいたが結局意識することはなく、二人は離れ離れに。だから、ボクはもうこの件からは手を退いている。そして、ボクも恋愛に興味はないのだけど。
「そ、そう言うあんたはどうなのよ?」
「ボクは別にって感じで……」
「なんだ、外国の手紙の相手は違うのか?」
千冬姉の言葉に鈴の顔色が変わる。レンゲにスープを乗せたまま、その中身は空中で皿へと戻っていく。
「え、友達だけど」
「毎日、電話やメールをしてるのにか?」
「うん。なんで?」
「いや、なんでもない……」
上機嫌で餃子に手を伸ばす。まだ娘は嫁にやらん的なお父さんだろうか。どっちかというとお母さんだが、主に反対するのはお父さんだと読んだ漫画には書いてあった。
「別にどうこう言うつもりもないけど、千冬姉はどうなの?」
「私に合う男がいると思うか?」
まず地上最強の男にならなければ千冬姉とは釣り合わないだろう。結論、いない。もしくは、可愛い系の男性とか……。むしろ千冬姉はイケメンの類だ。女の子が寄ってきそうにまである。
千冬姉の相手をしているとそのうち怒りを買いそうなので鈴に視線を向けてみる。元を正せば鈴からこの会話が始まったような気がする。
「鈴ちゃんは好きな人いないの?」
「な、わっ、……!」
思わぬキラーパスに慌てて箸を取り落す。そんなに取り乱すような議題ではないはずだが。彼女は顔を真っ赤にしてグラスを手に取ると水を一気飲み、空になったグラスをテーブルにドンと置いた。
「そりゃあ、まぁ……いないこともないけど」
「まぁ、頑張りなよ。ボクは応援しないけどね」
「あんたに応援されても困るのよね」
酷い言われようである。うっかり一夏がお風呂に入る時間帯に箒をお風呂に入れてしまって、偶然ばったり裸で鉢合わせなんてこともあったけど、そのエピソードを鈴ちゃんは知らないはずなんだけどなぁ。
「ま、とにかく恋愛って正々堂々平等で勝負するべきだと思うんだ。だから、ボクは応援しないし見守るくらいにするよ。余計な手を出して拗れさせるのもアレだし」
「はぁ……」
「なんでボクは呆れられてるのかな」
「春香って意外と鈍感だからじゃないか?」
「一夏には言われたくないよ」
「待て。俺がいつ鈍感だって言うんだよ」
「箒ちゃんとか」
「あいつと何の関係が……?」
ほら、こういうところ。
ついうっかり口が滑ったけど、箒にバレないようにしないと。
この件がバレたらボクはただじゃ済まない。
誤魔化すように青椒肉絲を黙々と口にした。
入学祝いの夕食を終えて中華料理屋を出た。鈴とはまた明日学校でと言いながらも登校は一緒だ。千冬姉と一夏に挟まれながら帰路を歩く。そんな夜道で千冬姉が思い出したように言う。
「すまない、少し急用を思い出した」
「急用ってなんだよ千冬姉?」
おそらく、中華料理屋を出てから……。
後を尾行してくる気配に気がついたのだろう。だけど、隠しているようで隠しきれていない。一定の距離を保って追ってくる気配をボクは気付きながら放置していたのだが、千冬姉は野放しにはしておかないようだ。
「あれは放っておいてもいいんじゃないかな」
「なんだ、おまえも気づいていたのか」
「うん。あそこまであからさまだとね」
「だが奴は何故コソコソとしているのだ?」
「いったい何の話だよ?」
会話に入りきれていない一夏を置いてけぼりに会話を進めていく。
結局は、興味が勝ってボクから提案した。
「このままもなんだし一度二手に分かれてみる?」
「目的もわからないしな。だが、危険だと感じたらすぐに逃げるんだぞ。こっちに来ていないとわかったらすぐにそちらに向かう」
「心配性だなー、千冬姉は。ボクだってオトコノコだよ」
「私からしたらまだまだ二人とも子供だ」
年齢的に言えばそうなんだろう。
十字路で千冬姉と別れて帰路を歩く。すると、その気配はボクと一夏を追って来た。
狙いは千冬姉ではない。だとしたら、ボクと一夏のどちらか。次の曲がり角で曲がるとその場に立ち止まる。
「どうしたんだよはる–––」
「喋らないで」
口に人差し指を立てて一夏の口を塞ぐ。
直後、気配の正体が曲がり角から姿を現した。
「っ、ひゃぁ!?」
勝手に驚いて腰を抜かして転ける。尾行をしていたその人の間抜けさにボクは思考が追いついていなかった。暗闇であまり見えてはいなかった影が街灯に照らされ、姿をようやくみることができたと思えば、ボクらより少し年上のお姉さんだったのだ。
「えっと……一応聞くんだけど、中華料理屋から出た辺りからつけて来ていたのは君だよね?」
「ごめんなさいごめんなさい悪気はないんです。ただ声を掛けるタイミングを伺っていたら踏ん切り付かなくて、ただでさえ織斑先輩と一緒に歩いてたから余計に声掛け辛くて」
「む? 山田じゃないか」
「ひゃぁ! って織斑先輩!?」
「なんでここに?と言いたいようだがそれはこちらの台詞だ。それになんだ? おまえの身体についているのは」
闇夜から現れた千冬姉が指摘して気づく。見れば山田という女性の身体には街灯に反射して光沢のような煌めく何かが光っていた。ボクはその液体に触れて舐めてみる。……あ、これハチミツだ。
取り敢えず、何故かハチミツでべとべとの山田真耶氏を招き入れて、お風呂に入らせた後にボクは調理を始めた。軽いスープとベーコンとハムの有り合わせで二食分の食事を完成させた。風呂から上がって千冬姉の服に着替えた真耶氏はリビングに、ボクも自然とリビングに集まってしまった。一夏は多分部屋でゲームしてる。
「す、すみません……お風呂をいただいた上に夕食まで……」
「なに、気にするな。話は後だ。春香の料理は美味いぞ」
さっき食べたはずなのにさらに食べる千冬姉。それにつられて真耶氏は食事に手を付け始めた。ボクは入学と同時に出された課題を側でやり始め様子を見る。
そして、食事を終えた頃に話が進む。
「それでだ、おまえはどうしてここにいる? 私の住所は教えた覚えがないぞ」
「私もまさか織斑先輩の家だとは思ってませんでした……」
「どういうことだ?」
「えっと……織斑春香さん宛に通知が届いてませんか? ……アイドルオーディションの」
あぁ、なるほど。つまり履歴書から住所を調べて来たわけだ。ボクは昨日千冬姉から渡された通知を取り出そうとして、何処にしまったのか忘れたことを理解した。
「昨日千冬姉が見せたやつだよね」
「あれか……いや、だが何故おまえが知っているんだ?」
千冬姉が教えていなければ尤もな質問に眉根を寄せる。困ったようにずっと申し訳なさそうな顔の真耶氏は俯きながら遠慮がちに答えた。
「その……実は、父がアイドル育成の現場で働いていて、忙しい父の代理なんです」
「初耳だな。だが、何故わざわざ?」
「うちの父って実績が全く無くて、もうすぐ解雇されそうなんですよ。このままじゃ一家揃って路頭に迷ってしまう……そんな時に届いたのが春香さんの歌っている映像なんです 。本当は今日、軽い面談の後、合格を伝える筈だったんですけど来なくて……。明日にも他の関係者達が来ると思うんですけど、そうなると父の実績にはならないので」
「んー、そこまでするかなぁ?」
アイドルってなりたい人がなるものじゃないんだろうか。芸能関係については全く知らないが、ボクだって地下アイドルなるものは聞いたことがある。あの人達も陽の光を目指している筈だ。ボクと同じく首を傾げた千冬姉は萎縮している真耶氏に問い掛ける。
「そんなことはあるのか?」
「先輩だってわかってるじゃないですか。日本だってモンド・グロッソの為に優秀な選手の選出をしてるんですから。似たようなものですよ」
「要はビジネスか」
ISも限定数の篠ノ之束にしか造れないコアを巡って一時期は大混乱になったことがある。つまりは、そういうことなのだろう。ある程度事情はわかったけどまだわからないことがある。
「でも、なんでハチミツ被ってうちに来たの?」
「私だって好きでやっているわけじゃないですよ。いきなり父に呼び出されたと思ったら、春香さんの歌っている映像を見せられて『この子の歌はどうだ?』なんて聞かれて『とても好きです』と答えたら『オーディションには合格したけど辞退されたからおまえ誘惑してこい』ですよ! その上、織斑先輩の弟だなんて来てから判明しましたし、そんなことしたら織斑先輩に殺されるじゃないですか!」
「ほお、誑かすつもりだったのか?」
「はひっ!? い、いえそのようなつもりは……」
不敏というかなんというか。もはや可愛そうなレベルで萎縮して涙目になってしまった真耶氏。千冬姉にガン睨みされると怖いのはボクでも知っている。
「しかしおまえは馬鹿か? ハニートラップでハチミツとか」
「父に渡されたんですよ。興味の出る年頃ならこれで一発だって」
「帰れ。どれだけ春香が凄かろうとこいつの魅力を生かせない無能なPでは話にならん。それにハニートラップ如きで釣られるようなオトコノコではない」
「そ、そんなぁ……」
縋り付く真耶氏を寄せ付けない千冬姉。涙目通り越して涙腺崩壊した真耶氏はそれでもなお縋り付く。
「父には連れてくるまで帰るなって言われているのにどうしたらいいんですかぁ!」
「そんなもの私が知るか。帰れ」
一蹴されてついに一人泣きを始めた真耶氏。なんだろうこの感情。流石のボクも胸が痛くなってきた。ボクはなにも悪くない筈なんだけど。
「まぁまぁ、今日は夜も遅いし泊まっていきなよ」
「おまえはどっちの味方なんだ?」
「敢えて言うなら被害者かな」
主に理不尽によって目の前で泣いている推定年上女性の。
少なくともボクは、こう思うのだ。
「だいたい千冬姉が軽い気持ちで送った履歴書が原因なんだから、このまま帰すのも可哀想だよ」
「リストラ云々は知らんぞ」
「それでもこのままは嫌だよ。後味悪いし」
「だがなぁ……おまえもやりたくはないだろう」
「ま、しょうがないでしょ」
「まったくおまえは……」
呆れ返ったような千冬姉は頭を抱えて、真耶氏に追撃のデコピン。
バチンッ、という人間からおおよそ聞こえてはいけない音が聞こえた気がした。
「いいか山田。条件は一つだ。プロデューサーはおまえがやれ。こいつに変な虫をつけるな。篭絡しようなどと変なことは考えるな。これが守れるなら貸してやる」
「えっと、それってつまり……?」
「二度も言わせるな。気が変わらんうちにさっさと寝ろ。連れて行くなら明日、こいつの学校が終わってからだ」
「あ、ありがとうございます!」
途端に華やぐ真耶氏の表情に、雨上がりに咲く花のような錯覚を覚えた。
ボクは手を差し出し、握手を求める。
「よろしく、プロデューサー!」
多分重要なファクター。