戻ってきた鼠を眺めながら、ナズーリンは成程、と頷いた。その様子を見守っていた一行へと向き直ると、彼女は笑みを浮かべる。どうやら有力な情報が集まったらしく、その表情は自信に満ちていた。
「異変の黒幕は『鬼』だと言ったね」
それらしき妖怪は二体。指を二本立てながらそう述べたナズーリンは、その内の一体はと、と言いながらその指をフランドールに向けた。
君とその姉の種族、吸血鬼だ。そう続けたが、しかし。それは既に周知の事実であり、何より当の本人からもたらされた情報でもある。今更そんなことを言われたところで何も得るものはない。
それを彼女も分かっているのか、問題なのはもう一体の方だと二本立てた指をゆらゆらと揺らす。恐らくこちらが本命だろう、そう言いながら皆の顔を見渡した。
「天邪鬼。この幻想郷に住まうもう一体の『鬼』と名の付く種族さ」
「天邪鬼、か」
その言葉に反応したのは命蓮。何か思うところがあったのか、顎に手を当て考え込むように視線を落とす。それを見たナズーリンは、まあ君ならそう反応するだろうと思ったよと笑った。
そんな彼とは別に、話を聞いていた残りの四人もまた思い思いに思考を巡らせた。考えていることこそ違ったが、その根底にあるのはほぼ全員が一致している。すなわち、どうやってそれをボコボコにするか、だ。
「あ、ナズーリンさん」
「何だい?」
美鈴が思い出したように彼女に声を掛ける。視線を自身に向けられたのを確認した美鈴は、聞きたいことがあるんですけどいいですかと問うた。こくりと頷いた彼女に対し、では遠慮無くと口を開く。
「その黒幕の天邪鬼、名前や姿は分からないんですか?」
その言葉に暫し動きを止めたナズーリンは、周囲にいる鼠を再び呼び寄せた。紙と筆記具を取り出し、鼠からの情報を受け取りながらふむふむとそこに筆を走らせる。
名前は分からなかったが、姿はまあ大体こんなものだ。そう言いながら出来上がった人相書を眼前に掲げる。そこに描かれているのは一人の少女で、見る限りとりたてて邪悪な存在には感じられなかった。
「……本当にこれがそうなんですか?」
見せられた美鈴もいまいち信用出来ないようで、訝しげな視線をナズーリンに向けている。向けられた彼女は少し自信なさげに頬を掻いたが、とりあえず会ってみれば分かるだろうとそう述べた。
「ま、それもそうね」
「そーだね」
幽香とルーミアもそれに同意し、じゃあ早速そいつの場所に案内してもらいましょうかとナズーリンを見る。分かったと頷くと、鼠達に案内を頼むと命令を下した。
では行こうか、そう言いながら歩みを進めようとした一行だが、一人人相書を見詰めたまま唸っている少女がいたことでその歩みを止めた。どうしたんですかフランさん、そう言って美鈴が訊ねると、彼女は顔を上げ、間違いない、と呟く。
「こいつだ」
「え?」
「お姉様と会っていたのは、こいつ。思い出した……そう、確か、名前は」
鬼人正邪。それが、幻想郷をひっくり返すと豪語していた『鬼』の名であった。
どこまでも紅いその館を眺めながら、飲子達はさてどうするかと頭を悩ませた。正面突破をするのがいつもの彼女なのだが、今回は事態が事態である。何より、このメンバー構成が問題なのだ。
「そう思うのなら、何故霊夢や魔理沙を枠に入れたのかしら?」
「いや、だって」
「まあ確かにそうね。でも、わざわざ危険に晒すのは褒められたものじゃないわ」
「どうせ言ってもついてくるし。ってもう先に言われてる!?」
毎度のやり取りよね、とさとりは笑う。そんな彼女の笑みを見ながら、とにかく、と飲子は空気を変えるように咳払いをした。ここはもう少し慎重に行かなくてはいけない。そう言って皆の顔を見渡す。
「……あ、あれ?」
さとり、アリス、橙、そして霖之助。飲子の視界の中にいるのはその四人だけであった。慌てて周囲を見渡すが、どこかに隠れている様子もない。まさか、と紅魔館の門を見ると、半開きになった扉がキイキイと音を立てていた。
「急げば追い付くわ!」
飲子が何かを言う前に、さとりが既に駆け出していた。そして心を読まずとも大体察した残りの面々も血相を変えて紅魔館へと突っ込んでいく。
ああもう、と彼女は叫ぶ。これでは結局正面突破じゃないか。そんなことを口にしながら、しかし頭の中は別のことで一杯であった。
「霊夢、魔理沙ちゃん……の馬鹿!」
どうか無事でいますように。そんなことを祈りつつ、紅魔館へと足を踏み入れた。
中庭は中央の噴水から清流が溢れており、その効果なのか周りの草花も活き活きと茂っている。ただ、選定するものがいないのかその大半は好き放題に伸びっぱなしであった。
そんな庭園を進むと見えるのは館の入り口。既に開いているそこは、子供二人が侵入しているという証拠でもある。
「お客様ですね」
そして、その門の傍らに佇む一人の女性。赤毛のストレートが美しいその女性は、何時ぞやに人里の妖怪を先導していたあの妖怪であった。
その妖怪、小悪魔は一通り来客を眺めると良かったあの化物はいないと胸を撫で下ろす。ここでトラウマが再発すると何も出来ないまま戦闘不能になってしまうのだから。そんなことを思いながら、開いていた扉を閉めた。
「何のつもりよ」
「それは勿論、お客様のおもてなしですよ」
アリスの言葉に平然とそう返した小悪魔は、では、と頭を下げる。その瞬間、庭園の茂みから複数の人型の何かが飛び出してきた。どうやら材質は土で出来ているらしく、しかしその体は崩れること無く彼女達に襲い掛かる。
「何のつもりなのさ!」
「だから、先程申し上げたじゃないですか。おもてなでしですよ。お・も・て・な・し」
土塊が拳を振り上げる。それを体をずらすことで躱すと、飲子は眉を顰めた。そういうことなら、全力でもてなされてあげようじゃない。そう言いながら札とお祓い棒を構えた。残りの面々も同じように戦闘態勢に入っている。
嘗めるな、と飛び出したのは橙。土塊の一体へとその爪を突き立てる。バターのように切り裂かれたそれは、あっさりと土の山へと成り果てた。
そう思ったのも束の間、そこから再び手が生え、彼女の足を捕まえる。そのまま真上に放り投げられると、橙は慌てたような声を上げた。
「と、っとと。何あれ!?」
「パチュリー様特製のゴーレムです。生半可な攻撃では倒せませんよ」
やっちゃってください、という小悪魔の指示に従い、土塊は再び彼女達に迫る。それにカウンターを叩き込んだ飲子であったが、崩れた土は形の残っていたゴーレムの部分に吸収されるように取り込まれると再生してしまった。それを見て彼女は苦い顔を浮かべ、小悪魔は余裕の笑みを向ける。
その横ではアリスが人形を操りゴーレムを削り取っていたが、その破片もやはり残っている部分が吸い取るとすぐに元に戻ってしまう。
「鬱陶しい!」
「何よこの再生力」
揃って悪態を吐くと、どうにか出来ないものかと視線を巡らせた。が、生憎とこんな敵陣のど真ん中に自分達が有利になるものなどあるはずもなし。
その時、二人の背後が爆発した。慌てて振り向くと、霖之助が巨大な砲台を取り出してゴーレムに叩き込んでいるところであった。その威力は凄まじく、着弾地点には既に何が合ったか分からないほどだ。
だが、それでもそこを中心に周囲の土が集まると再び人型の土塊が現れてしまった。これでも駄目なの、と驚く飲子を尻目に、霖之助はむしろ納得したように頷いている。
「以前、五年ほど前に人里を襲った骨と同じか」
「……ルーミアはいませんよ」
「ああ、分かっているよ。それに今回は核となる部分が見当たらないからね。恐らくは」
「成程。それは確かに私が適役ですね」
頷くと、さとりは小悪魔へと視線を向けた。そのままそちらへと歩みを進め、少しだけ足止めをお願いと皆へ声を掛ける。了解、と返事をすると、飲子達は彼女に襲い掛かるゴーレムを受け止めた。
距離にして二メートルほどであろうか。近接攻撃を加えるには少々遠いその位置で、さとりはピタリと足を止めた。そんな彼女を訝しげに見ていた小悪魔であったが、ふとあることに気付く。
彼女の胸にある第三の目。それが、自身を見透かすようにじっと見詰めていた。
「……な、何ですか?」
「ああ、やはり貴女が再生の起点のようね。よかった」
「な、何がよかったんですか?」
「ハンバーグ」
「……っ!?」
小悪魔の体がビクリと震える。一体何のことだ。そう言いながらも、その視線が忙しなく泳いでいるのが傍目でも分かった。
成程。そう頷いたさとりは、ゆっくりと自身の第三の眼に触れる。よく観察させて貰ったわ。そう言うと、彼女は柔らかく微笑んだ。
次の瞬間、小悪魔の目の前に一人の女性が現れた。チェックのスカートとベストを纏い日傘を差しているその姿は、彼女にとって最も会いたくない相手であり。
トラウマを誘発させる、恐怖の象徴でもあった。
『ここでミンチになっても、次の機会があるの?』
「ひっ、や、やめて、いや、いや!」
『いいハンバーグになるわよ』
「いや、いやぁ! 挽き肉は嫌ぁ!」
半狂乱になって震える小悪魔に向かい、女性はゆっくりと拳を振り上げる。その顔は笑顔、表情は全く変わらず、笑みを浮かべたまま。禍々しく口は歪められ、開かれた目はどうしようもないほどに加虐心に満ちていた。
『痛いのは一瞬、じゃ詰まらないでしょう?』
「やめて、やめて! いや、やだ、助けて! 誰か! パチュリー様! レミリア様!」
『じゃあね、小悪魔さん。次は――』
「パチュリー様! レミリア様! 咲夜ちゃん! フラン様ぁ!」
拳が振り下ろされる。それが彼女に届くか届かないかの距離で、女性の姿は掻き消えた。同時に小悪魔が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。どうやら気絶してしまったらしく、女性の姿が消えたのもそのせいらしかった。
倒れて動かなくなった小悪魔を見て、さとりはふう、と息を吐く。これでよし、と振り向くと、土の山となったゴーレムの成れの果てを踏みながらこちらにやってくる一行の姿が見えた。
外が騒がしいわね、と館の廊下を走る霊夢は呟いた。その隣を同じように走る魔理沙は、それはそうだろうと彼女に返す。
「だって私等勝手にここまで来てるわけだし」
「仕方ないじゃない。お母さんったら正面突破はやめようとか言い出すんだもの」
それをやめたら博麗の巫女じゃない。そんなことを続けながら、霊夢は人気のない廊下を走る。お前のその考えはどうなんだ、そう返しながらも魔理沙は彼女の横から離れない。
そのまま暫し探索を続けていた二人であったが、ふと何かに気付いて足を止めた。おかしい、そんなことを言いながら周囲を見渡す。
「こんなに広いのに、誰も使用人いないのか?」
「そういうのはお嬢様であるあんたの方が詳しいでしょ」
「少なくとも家はもう少し奉公人がいるぞ。おかげで抜け出すのが一苦労なんだよ」
「普通に許可貰って外出しなさいよ」
呆れたように肩を竦めると、とにかく、と霊夢は表情を真剣なものに変えた。通常では考えられないこの状態はつまり。ある程度の予想を付け、彼女は陰陽玉を取り出し、油断なく身構えた。
刹那、彼女に向かって何かが飛来してくる。陰陽玉でそれを弾くと、廊下に金属音を立てながら落下した。
「何これ?」
「……ナイフとフォークだな。西洋の食事に使うやつだ」
落ちているそれを拾い上げると、銀で出来ていることに魔理沙は気付いた。高級品だぞ、と話すのをどうでもいいと切り捨てつつ、霊夢は飛んできた方向から目を離さない。
やがてゆっくりと彼女達に近付いてきたその人物は、見た限りでは大体自分達と同じ年代の人間。まだ子供といって何ら問題のない年齢の、メイド服を纏った少女であった。その目は明らかな敵意を向けており、しかしその佇まいは冷静さを保っているようにも見えた。
「何か用なの?」
「それはこちらのセリフです。紅魔館に侵入してくるとは、子供の悪戯でも感心しません」
「いや、お前だって子供だろ」
魔理沙のその言葉にジロリと視線を向けると、少女は両手にどこから取り出したのか先程と同じようなナイフとフォークを構える。それを真っ直ぐに突き付けながら、警告させていただきますと言葉を紡いだ。
「ただちにここから立ち去りなさい。さもなくば」
「さもなくば、何? 力尽くは大好物よ」
陰陽玉に霊力を溜めながら、霊夢はそう言って笑う。それが少女は気に入らなかったのか、目付きを鋭くさせナイフを握る手に力を込めた。
そんな霊夢に続くように、魔理沙も同じように少女に向かい指を突き付ける。どのみち私達はこの先に用があるんだからな。そう言って不敵な笑みを浮かべた。
「えっと、レミリア・スカーレットだったっけかを、ボッコボコにするために来たのさ」
瞬間、魔理沙のこめかみをナイフが掠めた。風圧でふわりと舞い上がる髪を感じながら、彼女は目を瞬かせぎこちない動きで目の前の少女を見る。
先程までとは比べ物にならないほどの殺気を撒き散らしながら二人を見る少女の姿があった。手に持っているナイフとフォークがカチカチと音を立て。獲物の肉にそれを突き立てんと唸りを上げているようにも感じられるほどである。
「――ママを、どうするって?」
「……へ?」
「私のママを、ボコボコにするって、そう言ったのか! お前は!」
「……む、娘、さん?」
豹変したような少女の気迫に思わず圧されてしまった魔理沙が恐る恐る訊ねると、ふんと鼻を鳴らしながら彼女は二人を睨み付ける。そのまま堂に入ったお辞儀をすると、再び自身の手に持っているナイフとフォークを突き付けた。
「咲夜・スカーレットと申しますわ。……まあ、すぐ死ぬ相手に覚えていてもらおうとは思わないけど!」
言うが早いか咲夜はナイフとフォークを投擲する。先程までの牽制とは違うそれは、確実に仕留める意志を持って二人の急所へと飛来する。陰陽玉でそれらを何とか躱した霊夢は、どうしてくれるのよと背後にいる魔理沙を睨んだ。
「状況最悪になったじゃない」
「わ、私が悪いのか!?」
「当たり前でしょ! 何相手の地雷踏み抜いてるのよ!」
「知らなかったんだよ! しょうがないだろ!」
「ああもう、戦闘の役には立たないわ余計なことを言うわで、ほんっと使えないわね」
「あぁ? 訂正しろよ、今回の私は戦闘の役に立たないなんてことはないんだぜ」
「余計なことを言うのは認めるのね」
「うるさい!」
叫びながら魔理沙が取り出したのは八卦を模した小型の銃。霖之助が使っていたものと同じようなデザインのそれと、背中に担いでいた箒を抜き放った。
どうだと言わんばかりに胸を張る魔理沙を見た霊夢は、じゃあもう庇う必要ないわねと体をずらす。へ、と素っ頓狂な声を上げた彼女の眼前にナイフが迫っていた。
「うひゃぁ!」
咄嗟に箒を振り回しそれを弾くと、何しやがると霊夢に叫んだ。対する霊夢は涼しい顔で、戦闘で役に立つのならそれくらい余裕でしょと言い放つ。ああ言えばこう言う、と苦い顔を浮かべた魔理沙だったが、対面から聞こえてくるもう一つの声に我に返った。
「……余裕ね。じゃあ、こっちも遠慮なくいかせてもらうわよ!」
瞬間、彼女達の周囲に無数のナイフが現れる。四方八方を包囲したそれは、全てを避け切るのは不可能とも言えるほどで。
それらが一斉に二人に迫る。どれだけふてぶてしくても所詮五歳児、絶体絶命のピンチを冷静に切り抜けられるほどの修羅場を潜ってはいない。天狗に攫われた時でさえ、命が簡単に消えるような事態ではなかったのだから。
「ママを侮辱した罪、命で償いなさい」
「れ、れれ霊夢!」
「落ち着け魔理沙! こんなもの! こんな! こん、なー!」
弾く、弾く、弾く。だが、それでは躱し切れない。一発一発と彼女達の肌を浅く切り裂くごとに、戦意が失われていく。時間が立つごとに、敗北が、大怪我が、死が、濃厚になっていく。
それでも、霊夢は涙を流さない。ここで泣いたら完全に負けてしまう気がしたから、彼女は泣かない。そして、母親を頼ろうとしない、母親を呼ぼうとしない。自分勝手にここにきたのだから、縋り付くなんて虫の良いことは決してしない。
そしてそれを肌で感じた魔理沙もまた、零れそうになっていた涙を引っ込ませた。こいつには負けない、負けたくない。そんな思いで、意地を張った。
「しぶといわね。とっとと串刺しになればいいのに」
「……嘗めんじゃないわよ」
「ん?」
「嘗めるなって、言ったんだよこのウスラバカ!」
叫び、そして全力で体を動かした。弾き、吹き飛ばし、そして躱す。一点突破で包囲網に穴を開け転がるように抜けた二人は、ボロボロの体をものともせずに立ち上がると、どうだと言わんばかりに指を突き付けた。
そんな二人の態度が癇に障った咲夜は、怒りを隠そうともしないで睨み付ける。
「バカって言った方がバカなのよ」
「んじゃお前も言ったからバカだな、バーカバーカ」
「お前もってことは、自分でバカだって認めるのね」
「はぁ!? 何言ってんだよ霊夢。大体お前も今言ったからバカなんだぞ」
「バカばっかね」
「え? 何それ? 今の駄洒落? 超つまらないんだけど」
「は? そんなわけないでしょう。バカじゃないの?」
「ほーら、バカって言った。バーカバーカ」
「まあ、どう考えても一番バカなのは魔理沙よね」
「そうね。えっと」
「霊夢よ。で、あっちのバカが魔理沙」
「バカバカ言うな!」
「分かったわよバカ」
言っていることは子供そのものだが、やっていることは物騒極まりない三人の戦いは、もう少し続く。
争いは、同じレベルの以下略。