パチリ、と咲夜は目を覚ました。ゆっくりと体を起こすと、先程まで見ていた『夢』を反芻する。自身と母親との絆を思い出す。自分と友人との馬鹿騒ぎを思い浮かべる。
そうだ、私は一人じゃなかった。そんな言葉が彼女の中に浮かび上がり、今までの自分を払拭するように頭を振る。よし、と気合を入れると、少しだけふらつきながら立ち上がった。
「おや、お目覚めかい」
そんな彼女に声が掛けられる。振り向くと、何故か逆さに立っている一人の女性の姿が見えた。自分をここまで動かした原因であり、彼女の母親と協力関係にあったはずの、今は自分の協力者で全ての反逆者である『鬼』。
寝覚めは良さそうだな、と笑みを浮かべるその顔を見ながら、咲夜はゆっくりと目を細めた。もうこれ以上こいつの口車に乗ってはいけない。そんなことを思いながら、自分と母親、友人との絆を確かめながら真っ直ぐ睨みつける。
そんな彼女の姿を見て、目の前の『鬼』は肩を竦めた。おお怖い、とおどけたように述べると、案外そうでもなかったのかと小さく笑い声を上げた。
「何がよ」
「いや、何。その調子だと、変な夢を見て勘違いをしているんじゃないかと思ってね」
何を勘違いしていると言うのか。そんなことを思いながら咲夜はふんと鼻を鳴らした。既に彼女にとって目の前の『鬼』は、鬼人正邪は協力者でも何でもない。自分と最愛の母親を傷付けた明確な。
「知ってるか? 今この場所は時間も空間もお前が支配している。ただの人間では到底出来ない、いや、妖怪でもここまでやらかせるのは一握りだろう」
「……だから、何?」
「きっとあの吸血鬼はそこに目を付けたんだろう。自分の娘として可愛がれば、強大な能力を思いのままに操れる、とね」
何を言っているんだ、と咲夜は反論した。しようとした。が、何故かその言葉が喉に引っ掛かったように出てこない。そんなことはない、と断言出来るはずなのに、出来ない。
「まさか本当に妖怪が人間を娘として愛しているなんて考えているはずないよな? 人は人、妖怪は妖怪。特に吸血鬼なんぞ人は食料でしかない」
それは違う、と彼女は絞りだすように述べた。が、目の前の正邪はベロリと舌を出すと、何が違うんだと口角を上げる。まさかその光景を一度も見ていないなんてことは、そう言い掛けて、少しだけ驚いたように彼女は目を見開いた。
「あっはははは! こいつは傑作だ。あの吸血鬼はよっぽどお前のご機嫌取りがしたかったと見える。ああそうか、じゃあ訂正しないと。お前は特別だ。大事で、特別な」
レミリア・スカーレットの『道具』だ。そう言い放ち、正邪は堪え切れないと再び笑い出した。壊れないように丁寧に扱っていたんだな、とまるで気遣うような言葉まで掛けてくる。
それが咲夜にはどうしようもなく不快であった。ふざけるな、と正邪を睨み付け、自分は道具なんかじゃないと反論する。が、本当にそうか、という言葉に彼女は思わずたじろいでしまった。
「お前は母親がどういうものか知らないからそう思っているだけだろう? 知ってるかい? 母親ってのはな、娘を叱りつけたり、時には喧嘩をしたりするもんなのさ。お前にはあるのかな、そんな記憶が」
「それは――」
言い淀む。レミリアに叱られたことも、レミリアと喧嘩をしたことも彼女には無かった。自分は母親を困らせない良い子だったから、そんな言い訳が思い浮かび、そして本当にそうなのかと自問自答する。本当は、何か悪いことをしても叱られなかっただけではないのか、向こうが自分を離れさせないようにしていただけではないのか。
答えてくれる相手はここにはいない。彼女の不安を否定してくれる者など、ここにはいない。
いるのは、その不安は正しいと諭す天邪鬼が一人。
「あの『友人』達だってそうさ。強大な力を持った人間が味方ならば、博麗の巫女の権力はずっと強くなる。その為にあいつらはここへと攻め込んできたし、母親を殺されたと激高してた娘も簡単に手の平を返して友達だなんて言い出しただろう?」
「……嘘だ」
「嘘じゃないさ。普通の妖怪なら当たり前に出す答えだ。人間と、妖怪の絆? 妖怪同士ですら滅多に出来ないことをやろうだなんて、ちゃんちゃらおかしい」
くるりと反転し、正邪は彼女の前に立つ。だが、私は違うと笑みを浮かべる。え、と顔を上げた咲夜に向かい、真っ直ぐに右手を差し出した。
「絆だなんて綺麗事は言わない。私はお前と同盟を結びたいのさ。お互いの利益が一致している間の、利用し合う仲間。どうだい、後腐れないだろう?」
「利益が、一致?」
「私はこの強力な妖怪だけがいい目を見ている幻想郷の環境をひっくり返したい。お前はいいように使われた強力な妖怪達に仕返しをしたい。目的は違うが、相手は一緒だ」
「相手が、一緒……」
「博麗の巫女と吸血鬼は手を組んだ。だったらこっちも一旦手を組むのは悪い案じゃない」
「……手を組む」
ゆっくりと、咲夜は右手を差し出す。そのまま正邪の右手を握り締めると、少しだけ表情を歪ませた。さっきまで楽しかったはずの『夢』は、急にどこかハリボテであったように思えてきた。裏でみんな、自分を『道具』としてみている。そう思うと、何かが張り裂けそうになった。
ならばいっそ、最初からそうだと言ってくれるこの『鬼』の方が。
「ガキはホント、御しやすい」
「……何か言った?」
「いいや、何も。さあ、一緒に反逆を行おうか」
そう言って隣に立った正邪に向かい、咲夜はうん、と小さく頷いた。
「ここか! って何事!?」
「ああ博麗、遅かったじゃないか」
飲子がそこにやってきた時は既に喧嘩が終わった後であった。年齢一桁の子供同士が戦ったにしては大規模な破壊の跡を眺めつつ、彼女は呑気な声を上げている霖之助へと目を向ける。その視線に合わせるように肩を竦めた彼は、それでそっちの首尾はどうだいと問い掛けた。
「へ?」
「……何をしにここに来たのか、聞いてもいいだろうか」
「えっと……何しに来たんだっけ?」
「三回くらい死んだ方がいいわよあんた」
隣に目を向け、そしてそんな返しをされた飲子は酷いと顔を歪める。が、そう述べたレミリアは馬鹿にするように鼻で笑うと、まあお前は殺しても死ななそうだから一生そのままだな、と続けた。
ギャーギャーと反論と言えないような文句を述べる飲子を無視しながら、レミリアはそんな彼女と会話をしていた青年に視線を動かす。咲夜の心の一部と接触したわ。そう霖之助に述べると、成程と納得したように彼は頷いた。
「となると、ここもあの娘の心の一部と見て間違いないだろう」
「恐らくは」
「……メチャクチャぶっ壊れてるけど、いいの?」
「実際に心の中にいるというわけではないだろうからね。あくまで彼女の心が反映された異空間、まあそんなところだろう」
「ええ。そしてその中心に」
本物の、咲夜がいる。目を細め、表情を真剣なものに変えながらレミリアはそう呟く。少しだけ目を伏せると、彼女は踵を返した。次の部屋へ、彼女の求める中心部へ。そこへ向かうために足を進めるのだろう。
そんな彼女に飲子は声を掛ける。まさか、一人で行く気か、と。
「……それが?」
「いやいや、私達も行くからちょっと待って」
ちらりと横目で飲子を見やる。ふぅ、と溜息を吐くと、好きにしろと言い捨て開きっぱなしであった扉に背を預けた。
了解、と笑顔で頷いた飲子は霖之助に視線を向け、そして何故か第二ラウンドを開始しようとしている霊夢と魔理沙に駆けていく。当然というべきか、流れ弾に激突した彼女は盛大に吹き飛んだ。
何か悩み事かな、と霖之助はその光景を眺めていたレミリアに問う。まさか、と肩を竦めた彼女は、そう言えば自己紹介していなかったわねと彼に名乗った。それに名乗り返した霖之助は、霊夢に抱き付いて頬ずりした挙句顔を真っ赤にした娘にアッパーで吹き飛ばされる現博麗の巫女を見て呆れたように笑う。本当に昔から変わらないな、そんなことを呟きながら、少しだけずれた眼鏡を直した。
「あいつは、昔からああなの?」
「博麗かい? ああ、そうだね。彼女は昔からああだよ。何も考えていないチャランポランで、全く学習せずにとりあえず力押しで行こうと抜かす脳筋で」
自由で、基本的に誰にでも懐く。君もその被害者なんじゃないのかい、と言いながらレミリアを見た霖之助は、彼女が苦い顔を浮かべているのを確認すると笑みを強くさせた。
遊んでいないで行くぞ。彼の言葉で我に返った母娘は、呆れたような魔理沙の視線を受けながら扉へと走る。お母さんのせいだからね、という霊夢の言葉に、だってしょうがないじゃないと飲子は返していた。
「レミリアと咲夜ちゃんの親子愛を見せられたんだよ。こりゃ私もやるしかないって思うじゃない」
「今この瞬間ほど親子の縁切りたいと思ったことはないわ」
「酷い!」
遊んでいないで行くぞ、と霖之助は再度彼女達に告げる。はーいと締まらない返事をした二人は、しかし表情を引き締めるとそれでどうするのかとレミリアに問うた。この空間は彼女の娘の心の迷宮。ならば、親であるレミリアが道案内をするのが一番望ましい。そのはずである。
「そうね……さっき私とオマケが訪れた場所が咲夜の親と娘の思い出ならば、ここは友人との思い出といったところかしら」
「ついさっき出会って友達になったばっかりだぜ、私達」
「あの娘にとって、同年代の友人というのはそれだけ掛け替えの無いものだったんでしょう。悔しいけど、ひっじょーに悔しいけど!」
コホン、とレミリアは咳払いを一つ。気を取り直して扉を一歩出ると、そこに広がる行き先の見えない空間をぐるりと眺めた。彼女の娘の、咲夜の心を眺め、そして、そこに至る答えを導き出す。
何かを手繰り寄せるように右手を突き出すと、その拳をしっかりと握り締めた。見付けたこれをもう離さんとばかりに、見えない何かを掴み取る。
「さあ、行くわよ」
静かに彼女はそう告げる。今の行為が何だったのか、とか、本当に大丈夫なのか、とか。そういう疑問を挟める余地などないその空気に、四人はこくりと頷くだけに留まった。
足に力を込める。この先に、咲夜がいる。自然と早くなる歩みを、しかし心で押し留めて一歩一歩確実に進んでいく。愛する娘のために、母娘の絆のために。人間と妖怪、吸血鬼と食料、そんな穿った見方など粉砕してやるために。
「ねえ、咲夜」
これが終わったら、しっかりお説教よ。歪んだ空間で呟いたその言葉は、やけにはっきりと木霊した。
一方、合流してはいけないと考えた末に結論を出した華扇ら一行であるが。
「あ、案外早く集まったんですね」
「……そうですね」
「どうした?」
「何だか凄い顔してるわよ」
「あー、うん。気にしないで」
不思議そうに首を傾げる命蓮と幽香に、ルーミアがあははと笑いながらそう返す。まあ集まったものはしょうがない。そんなことを言いながら、頭脳担当に視線を向けた。パチュリーも、アリスも、当然さとりも、別段焦った様子もなくこくりと頷いている。
それを見た橙は、ああつまりそういうことかと納得したように頬を掻いた。
「あの結論特に意味なかったのね」
「何ですかそれは! 悩んだ私の時間返しなさいよ!」
「気にしない気にしない」
「気にするわ!」
がぁ、と吠える華扇であるが、まあ多分大したことではないだろうと当たりをつけた合流組は視線を彼女から残りの面々に向けた。その中に一人、フランドールを除いて見覚えのない顔を見付けた三人は少しだけ彼女を眺め、まあよくあることだとそのまま流す。その態度を見たパチュリーは、皆こんな感じなのかと苦笑した。
「それで、貴女もいつの間にかそちら側の仲間入り、と」
「そういうパチェこそ」
「……この調子だと、レミィも同じようになってそうね」
「多分、咲夜も、ね」
お互いにそう言って笑い合うと、最後に出した彼女についてのことで表情を引き締めた。同時に、どうやら同じ結論に辿り着いたのだろうと確信を持って頷き合う。
が、ではどうやってそこに向かうかといえば。
「闇雲に進んでもしょうがないわね」
「身も蓋もないが、そうだな」
「いや、でも、動かなきゃどうにもならないですよ」
幽香と命蓮の答えに美鈴が異議を唱える。それは二人も分かっているのか、確かにその通りだと頷くと視線を残りの面々に向けた。橙は申し訳無さそうに顔を伏せ、華扇はあからさまに視線を逸らした。ルーミアはどーしたものかと能天気に呟いている。
「この空間を形作っている魔力の補給元は一つ、潰したわ」
「確かに歪んでいるけれど、全体に通した魔力の大元を辿れば、ある程度は当たりが付けられるはずよ」
アリスが報告、パチュリーが道を示す。そして視線をさとりとフランドールに向けた。片や分かっていると言わんばかりに頷き、片や何故自分と首を傾げる。そんな対称的な二人に向かい、彼女等は口角を上げ言葉を紡いだ。
「さとり、ここが人の心で出来ているのなら、貴女だったら余裕でしょう?」
「期待に添えるようにはしますよ」
「フラン。貴女なら、ここの基点を、『目』を探し出すことも出来るんじゃない?」
「へ? あ、そういうことか。分かった、やってみる」
さとりとフランドール。二人を先頭に立たせ、一行は出口の見えない出鱈目に組み合わされた迷宮を再び歩き始める。それが向こうの、天邪鬼の狙っていた通りだとしても、その方針に変更はない。
もしそうだったとしても、それがどうした。そんなものは結局、後でぶち壊してやればいいだけなのだから。
もう少し、のはず。