そこにまずやってきたのは、おおよそ予想通りの相手であった。料理で言うならばメインディッシュ、前菜やスープを全部すっ飛ばしていきなりドカンと大物を呼び込んだ形だ。
だが、それでよかった。それが目的であった。自身の目的の為には、そうでなくてはいけない。
吸血鬼と人間の親子の亀裂を、あの『博麗の巫女』に修復してもらわなくてはならないのだ。
「さて、と」
細工は流々、仕上げを御覧じろ。そう呟きながら、鬼人正邪は口角を上げた。そして、ちらり、と横に立つ『協力者』を見る。その視線に気付いたのか、彼女はコクリと頷いた。
一歩彼女が踏み出す。入り口に立っていた連中は、その動きに反応しまずは一人が飛び出した。咲夜、と愛娘の名前を叫びながら、母親は一直線に彼女へ駆け寄る。
「来ないで!」
そんな母親を止めたのは、少女の明確な拒絶の言葉であった。一歩よろめくように後ろに下がると、しかしすぐさま体勢を立て直し真っ直ぐに咲夜を睨む。その表情こそ鋭いものであったが、しかしそこに浮かんでいるのは敵意などでは無かった。
「咲夜」
「嫌!」
「……咲夜、聞いてちょうだい。私は――」
「聞きたくない! ママの言葉なんか、信じられない!」
耳を塞ぎ、何かから逃れるようにそう叫ぶと、咲夜は何処からか取り出したナイフを構えた。キラリと光るそれは、銀製。目の前の相手を、母親を殺傷するのに効果的な素材で出来た刃。
それを、迷うことなく投擲した。
「レミリ――」
「来るな博麗飲子!」
咄嗟に飛び出そうとした飲子をレミリアは手で制した。そして、飛来したナイフをその身で受け止める。深々と肩口に刺さったナイフは彼女の服を赤く染め、吸血鬼の治癒能力が追い付かない量の血を床に滴らせた。
「痛いわね。……凄く、痛いわ」
肩に刺さったナイフを引き抜く。その拍子に更に溢れた血液を見ることなく、血のついたそのナイフを一瞥し視線をもう一度咲夜に向けた。ビクリ、と反応する彼女を見て、レミリアは表情を変えることなく、ゆっくりと首を横に振る。
「駄目よ咲夜。狙いが甘いわ。仕留めたいならば」
トントン、と自身の額を指でつつく。そして、もう一度だと言わんばかりに持っていたナイフを咲夜に向かい放り投げた。
先程より更に悲痛な表情になった咲夜は、震える手でナイフを拾う。そして、自身の母親に言われたように、仕留めるための狙い所を見据え、そこに向かって投げるために手を。
「咲夜! お前何をしようとしてんだ!」
「……魔理沙」
「母親を自分の手で殺そうっていうの? 正気?」
「霊夢……」
視線を動かした。明らかに怒っていると言わんばかりの二人が、彼女の方へと踏み出そうとしているところであった。待て、と霖之助が止めようとするが、聞く耳もたんと足を動かす。
そんな二人を見て、咲夜は一歩後ろに下がった。腕をだらりと下げ、何かから逃げるように、縋るように横を見た。
何も問題など無い。そう言わんばかりの表情を浮かべた『鬼』は、どうしたと彼女に問い掛けた。
「……本当に、やらなきゃ、だめ、なの?」
「やりたくないなら止めればいい。お前の反逆はそこで終わりだ」
あの連中の『道具』として、精々可愛がられろ。そう言うと正邪はポンと彼女の肩を叩いた。やんわりとした、しかし明確な拒絶。それをされた咲夜は、ブンブンと否定するように首を振った。
「霊夢も、魔理沙も……ママも。私を、道具扱いした皆に、私は」
「お前は、どうする?」
「反逆する! 私は、皆に、反逆する!」
「おお、そうだ。それでこそだ」
表情を一変させた咲夜を見て、正邪はペロリと舌を出した。援護は任せろ、と一歩下がると、彼女を前面に押し出すように背中を叩く。
それを合図にしたように、咲夜は一気にレミリアへと駆けた。
「ママ――ううん、違う。レミリア・スカーレット! 覚悟!」
「咲夜……親を呼び捨てにするなんて、悪い子ね」
咲夜とは対照的に、レミリアはどこか乗り気でないように迎撃せんと腕を振り上げる。が、その動きは酷く緩慢。先程の銀のナイフの一撃は、予想以上に彼女の力を奪っていたらしい。
あ、やばい。思わず心の中でそんなことを思った刹那のことである。
「ちょーっと待ったぁ!」
空気の読めない巫女が、文字通り体でナイフの一撃を受け止めていた。
「あっだぁぁ!」
「博麗飲子!?」
咲夜のナイフの一撃を喰らい吹き飛ぶ飲子を、レミリアは思わず目で追ってしまった。そして、しまったと慌てて視線を咲夜に戻す。
信じられない、という表情を浮かべながら、自身と同じように吹き飛ぶ飲子を目で追っていた。一体何が信じられないのか、というのはそこからでは伺えないが、まあ大体予想は出来るとレミリアは少しだけ口角を上げる。
「咲夜」
「っ!?」
弾かれたように視線を戻す。まだ手に持っているでしょう、という言葉で銀のナイフに意識を向けてしまった咲夜は、それで自分をかばうように前へと突き出した。
「私はそんな不意打ちをするような女じゃない。知っているでしょう?」
「……」
「思い切り私に不意打ちしなかったっけ?」
「真正面からぶん殴ったでしょうが。お前の反応が鈍過ぎるのが悪い」
「酷い!?」
「……」
いたた、とナイフが当たったであろう箇所を手で擦りながらレミリアの横まで戻ってきた飲子は、彼女のその言葉に肩を落とす。そしてそんな飲子を、咲夜は無言でじっと眺める。傷らしい傷は見当たらない。大分おぼろげであるとはいえ、あの時死んでも死ななかったようなものを見ている以上予想通りともいえるが、それでも色々とおかしいのは変わりない。
いくら頑丈だからといって、躊躇いなく自分の体を盾にするなど、頭がおかしい。
「咲夜」
「……何?」
「一応言っておくけど、別にお母さん自分の体を盾にするつもりなかったから。受け止めようと思ったけど間に合わなかっただけだから」
「……娘によく理解されてるようね」
「わーい嬉しくねぇ!」
泣くぞ、と霊夢に視線を向けた飲子は、だったらもう少しカッコよくしろと娘に叱られシュンと項垂れる。そしてそんな母娘を見たレミリアは、何やってんだかと肩を竦めた。
が、同時に今の自分達を省みて羨ましくなったのも嘘ではない。
コホンと咳払いを一つ。表情を再度真面目なものに戻したレミリアは、それでどうするのだ、と自身の娘に問い掛けた。そのナイフで、もう一度攻撃するのか、それとも。
「っ!」
バックステップで距離を取る。ほぼ最初の位置まで戻った咲夜は、ギリリと奥歯を噛み締めながら持っていたナイフを頭上に掲げた。同時に一本だったナイフが二本三本と増え、子供の手に持つにはいささか多過ぎる量の刃が生み出される。
「それは貴女の力? それとも、後ろの小汚い『鬼』の小細工?」
「酷い言われようだ」
ギロリと睨まれた正邪は頭を振る。その相手を小馬鹿にするような笑みを消すことなく、残念ながら、と舌を出した。
正真正銘、この空間もあの刃も彼女自身の資質だ。そう言ってケラケラ笑いながら正邪は一歩後ろに下がった。
「だから安心しな。あんたの大事な『力』はしっかりと成長しているさ」
「成程。それは心配だわ」
ふんと鼻を鳴らしながらレミリアは視線を正邪から咲夜に戻す。ちゃんと待っててくれたわね、そう言って微笑むと、さあ来なさいと傷の付いていない左腕を突き出し構えた。
「レミリア」
「何だ博麗飲子。私は今忙しい」
「いや、それは分かるけど。……いいの?」
「これは私と咲夜の問題だ。手助けはいらん」
「だから分かってるっての。あーもう」
ったく、と飲子は一枚の札を取り出しレミリアに投げ付ける。丁度彼女の右肩の傷口に当たったそれは、しっかりと張り付くとぼんやりと輝いた。
何だこれは、と飲子を睨んだレミリアに、別に大したものじゃないと彼女は返す。ちょっとした治療の札。そう言い、じゃあ頑張れと彼女はそのまま距離を取った。
「……博麗飲子」
「礼はいらないよ」
「絆創膏程度の効果しかないのだけど」
「うっさい! それで私の全力じゃい!」
がぁ、と吠えた飲子を見ることなく、レミリアは札が貼られている傷口をそっと撫でる。痛みは殆ど治まらないし、止血されているかも怪しい。これが聞くのは精々一般人か低位の妖怪が関の山だろう。だが、それでも。彼女は右腕が楽になったような気がして、肩を思い切りぐるりと回した。
「まったく」
出会ってすぐの自分でも分かる。あいつは、馬鹿だ。馬鹿が付くほどの。
「お人好しめ」
さて、と霖之助は歩みを進める。レミリアと咲夜の母娘喧嘩に飲子も霊夢も魔理沙も気を取られている現在、何か言われることなく近付ける丁度いいタイミングだ。そんなことを思いつつ、彼はゆっくりと自身と同じように遠巻きに眺めている相手へと向かった。
隣いいかな。そんなことを言いつつ、彼はその相手の真正面に立つ。
「隣、じゃないなその場所は」
「言葉の綾だよ。まあ、それより」
少し聞きたいことがある。そう続けた霖之助は向こうの言葉を待ったが、当然のごとく相手は嘲るような表情を浮かべるとやなこったと返した。
「まあ、そうだろうね。何せ君は」
「天邪鬼さ。それがどうした?」
「どうもしないよ。それで、本当に嫌かい?」
「しつこい男は嫌われる。お前、モテないだろ」
「ははは、まあね。僕みたいな奴を好きになる変わり者はまずいないよ」
尚、人里で授業を行っていた誰かと霊夢の横にいた少女が盛大にくしゃみをしたが、今は関係ないので割愛する。
ともあれ、霖之助はそれならそれで構わないと口角を上げた。だからこれは独り言だ。そう言いながら言葉を続けた。
「幻想郷をひっくり返すのが目的だと思っていたけれど、どうにも行動が不可解だ」
「天邪鬼だからな」
「あの娘を利用して何をしようとしているのか、それがイマイチ読めない」
「お前達には理解出来ないさ」
「ただ、一つだけ分かっていることはある」
「それはそれは」
ククク、と笑いながら、正邪は素早く距離を取った。その刹那、彼女が立っていた場所に銃弾が叩き込まれる。いつの間にか取り出していた手製の銃をくるりと回した霖之助は、そのまま目の前の天邪鬼に照準を合わせた。
「物騒だな」
「それはそうさ。君のやっていることは僕等にはよろしくないからね」
「随分と自分勝手なことで」
「そうでなければ、こんな場所で、あんな連中と付き合っていけないさ」
余裕の表情を浮かべる正邪と同じように、霖之助も薄く笑みを浮かべながらそのまま引き金を引く。乾いた音が鳴り、そのまま銃弾は真っ直ぐ相手へと飛来する。
そして、明らかにおかしな方向へと軌道を捻じ曲げられ、彼女の背後の床へと落ちた。
「うんうん。どうやらまだ私は利用しあう協力者であるようだ」
結構結構。ベロリと舌を出しながら踵を返した正邪は、ごくごく軽い調子で足を動かした。既に彼など眼中にない、そう言わんばかりの態度に霖之助も少しだけ怪訝な表情を浮かべてしまう。互角か、あるいは優勢だと思っていた読み合いの天秤を急に傾けられたような、そんなもどかしい気持ちが浮き上がってきたからだ。
待て、と手を伸ばす。だが、その手は容易く空を切った。触れることすら出来ない、という事実に、彼の思考は新たな推論を積み上げていく。距離を取る天邪鬼を追い掛けることすら忘れ、自分の世界に没入してしまう。
「……変人はこういう時やりにくい」
思わず正邪は舌打ちした。もう少し粘ってくれるかと思っていたのに、至極あっさりとこちらを見なくなったからだ。あそこで騒いでいる連中ならば無駄な突撃を繰り返してくれたのに。そんなことを考え、まあいいかと彼女は肩を竦める。
「どのみち、こんなものはオマケでしかない」
本命は、これから先だ。咲夜がどれだけ能力を拡大してくれるか、どれだけ自身の負担を顧みずに暴れてくれるか、どれだけ壊れるのを長引かせてくれるか。それらは確かに重要だが、あくまで過程だ。既に下地は出来ている以上、百パーセントを百二十パーセントに引き上げる程度でしかないのだ。
ちらりと博麗の巫女を見る。呑気に、何も考えて無さそうに母娘を応援する彼女を見る。見て、先程彼女が取った行動を改めて思い出した。
「まあ、まず間違いない。私が言わずとも、あいつはやる」
それがこちらの目的だとも知らずに、あのお人好しは咲夜を助ける。レミリアの、友人の大切な娘である彼女を助ける。
そして。
「妖怪の賢者サマも、さぞかしお喜びになるだろうよ。厄介者を始末してくれてありがとう、なんてな」
正邪は笑う。見えもしない空を見上げて、碌に会ってもいない相手を思い浮かべて。思い通りだと、計画通りだと、彼女は笑う。
鬼人正邪は、天邪鬼は、一人その場で、勝ち誇る。
途中で勝ち誇るのは典型的な負けフラグ。